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2008-11-08

高橋昌一郎


 1冊読了。


ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論高橋昌一郎/クルト・ゲーデルは「アリストテレス以来の天才」と称された数学者。晩年のアインシュタインをして「私が研究所に行くのは、ゲーデルと散歩する恩恵に浴するためだ」と言わせしめた。ま、この二人を“20世紀最大の知性”と表現しても、さほど異論は出ないだろう。新書でありながらも、ゲーデルの一生と不完全性定理がわかりやすくまとめられている。高橋昌一郎の腕がいいね。ロクに知識がない人が読んでも、ちゃあんと昂奮できるようになっている。それにしても、完全性定理と不完全性定理を発表したのが23歳の時というのだから驚く。天才って本当にいるんだね。いやあ、たまげたよ。神の領域にまで迫る数学は、実にスリリングだ。

精神科医の襟度/『精神科医になる 患者を〈わかる〉ということ』熊木徹夫


 実にわかりやすい文章である。きっと普段から「わかりやすくあろう」と努めているのだろう。明晰というよりは誠実。患者の前に立つ自分自身に対して自問自答を繰り返す様子すら窺える。この若さで中々できるものではない。


 以下の指摘は重要――


 そもそも、精神科臨床の方法論にのっとり、個々の症例について厳密に「物語」を紡いでゆくなら、その延長線上に社会へ向けての「物語」など成り立たず、安直な社会評論はできないはずである。このようなことを続けていると、いつか社会の側から精神科のあり方に疑問が発せられ、精神科臨床の方法論の基礎が掘り崩される時がくるだろう。これは精神科だけでなく、ひいては社会の損失のはずである。

 さらにこのような精神科医には、自らの専門性のおおもとである「物語」作成のすべを臨床から転用して、すべての社会事象に説明を与えようとする〈説明強迫〉傾向の強い人々が多い印象を受ける。実はこの〈説明強迫〉もよくない。精神科医がある犯罪者の奇行に説明をつけることにより、本人の独善的行状に社会的容認を与えてしまっている可能性がある。言葉による現象の追認にすぎないと思われるものも多い。わらかないものは説明せず「わからない」と話す勇気も必要ではないか。

 あらゆる社会事象に心理学的な説明が求められるということもあるだろう。しかし、そういう今だからこそ、精神科医の責任は重大である。いたずらに精神科患者の範疇を拡張しないように、各々の医師が心してゆかねばならない。本当に精神科医療が手をさしのべるべき相手はだれか。それをしっかり意識すべきである。加えて一般の方々も、自らが精神科の医療サービスを受ける立場になるかもしれないことを想定して、先に示したような事情に自覚的になれるとよいだろう。「物語」の逸脱に対し抑制の働く治療者を、選びとる眼を皆がもてるようになるならば、精神科医各人も襟を正さずにはいられなくなるはずである。


【『精神科医になる 患者を〈わかる〉ということ』熊木徹夫(中公新書、2004年)】


 穏やかな表現でありながらも、手厳しい内容となっている。「分を弁えろ」ということだろう。特に昨今は、猟奇的な犯罪が社会全体の病理として現われるといった説明が目立つ。メディアというメディアは、社会が悪い方向へ進むことを望んでいるような節すら感じる。統計は不問に付され、極端なまでに異常性にスポットライトを当てる。そして視聴者は、日常で溜まりに溜まった鬱屈をガス抜きするのだ。


 ま、恐怖や不安をテコにするところは、インチキ宗教の手口そっくりだわな。「どうして、これほど悲惨な事件が起きてしまったのでしょう?」と語るお前が「どうして、テレビカメラの前で金を稼げるのでしょう?」と私は言っておきたい。大衆消費社会は、大衆から「拒絶する権利」を奪い去った。大衆は常に選択を強いられる。それがたとえ、ウンコやゲロであったとしてもだ。


 話を元に戻そう。精神科で治療を受けている人がいれば、次の点をよく考えるべきだ。まず、藪医者が多い。次に、効果があるから投薬しているわけではなく、取り敢えず試験的に薬を出しているということ。これは致し方ない側面もあるけどね。しかも一番恐ろしいのは、どんな副作用があるかわからないことだ。薬というものは、健康な人が服用すれば毒になることを忘れてはなるまい。また、心の病が脳の病気であることも証明されているわけではない。これは、アメリカの製薬メーカーによる販売戦略として世界中に喧伝されたものだ。

精神科医になる―患者を“わかる”ということ (中公新書)

「オバマ氏は日焼けしていてカッコいい」…首相発言で政界炎上


 イタリアのベルルスコーニ首相は6日、黒人初の米国大統領となるバラク・オバマ氏を評し「日焼けしていて格好いい」と発言したことから、野党陣営から批判が噴出している。

 問題の発言が飛び出したのは6日ロシアで、同国のメドヴェージェフ大統領と会談後の記者会見においてだった。「イタリアはロシアにとって最大のパートナー」と会談の成果を強調したあと、このほど米大統領選に勝利したオバマ氏に言及。

 そのなかで「オバマ氏は、素朴で若く、格好よく日焼けしている。(メドヴェージェフ)大統領といい関係が築けると信じている」とコメントした。会場にいた記者団からは即座に失笑がもれた。

 この発言に対し、イタリアでベルルスコーニ首相の中道右派陣営に対抗する民主党のウォルター・ベルトローニ党首は「我が国のイメージを損ない、米国との関係に水を差すもの」と非難。同党のダリオ・フランチェスキーニ幹部も「言語道断の発言」と批判した。

 これまでベルルスコーニ首相は欧州各国の首脳の中でも、共和党のブッシュ政権との強調関係を明言してきたひとり。そのため、民主党のオバマ次期政権とどのような再スタートを切るかが注目されていた。

 同時にベルルスコーニ首相は、いわゆる「トンデモ発言」でも知られてきた。EUで議長国を務めた際、批判したドイツの議員に対して議場で「知り合いの映画監督に、ナチス将校の俳優として紹介しましょうか」と応酬したり、「選挙期間中はエッチ断ち」宣言などが過去に話題になった。今回も会場にいた記者団からは、即座に失笑がもれた。

 ちなみに日焼けに関していえば、イタリアでは今日でも紫外線の被害に関する認識は一般的に日本よりも浸透していない。かわりに日焼けは「長い夏季休暇がとれる」というステイタスシンボルの意味合いが依然強い。ベルルスコーニ首相自身も、夏はサルデーニャ島にある別荘で過ごす。

 今回のオバマ氏に対する発言は、第一に政治家が人種に言及する際の危機意識の欠如が露出したかたちだが、同時にそうした日焼けに対するイタリア人の認識も背景にあるといえる。


【レスポンス 2008-11-07】

脳内で繰り広げられる道路工事/『まず、ルールを破れ すぐれたマネジャーはここが違う』マーカス・バッキンガム&カート・コフマン

 優れたビジネス書にも脳科学の記述がある。そりゃそうだ。ネットワークという思考が行き着くところは脳内のシナプスでありニューロンなのだから。


 子供が3回目の誕生日を迎える頃までに、完成された結合は桁外れの数になる。1000億のニューロンの一つひとつが1万5000のシナプスを形成する。

 しかしこれでは多すぎる。頭のなかを駆けめぐる膨大な情報で溢れ返ってしまう。これらの情報すべてに自分なりの意味を持たせることが必要だ。自分なりの意味だ。したがってそのあと10年前後のあいだに、この結合のネットワークは、自分の頭のなかでさらに磨きをかけ、そして整理統合することになる。強力なシナプス結合はますます強力になり、弱い結合は次第に消滅する。ウェイン・メディカルスクールの神経学教授、ハリー・チュガニ博士は、この淘汰の過程を幹線道路のシステムにたとえてこう説明した。

「最も交通量の多い道路は拡幅する。ほとんど使われない道路はそのまま放置される」


【『まず、ルールを破れ すぐれたマネジャーはここが違う』マーカス・バッキンガム&カート・コフマン/宮本喜一訳(日本経済新聞社、2000年)以下同】


 それにしても不思議だ。ここにはシナプスの結合強化がどのような理由で行われているのかが書かれていない。欲求なのか、興味なのか。あるいは自分が置かれた環境における利害なのか。はたまた脳自体が感じる心地よさなのか。意識では自覚することのできない、広大な無意識の領域が我々を形成している。


「最も交通量の多い道路は拡幅する。ほとんど使われない道路はそのまま放置される」――この喩えは秀逸。さながら、仏法で説かれる業(ごう)の如し。習慣は癖となり、癖は業と化す。時間軸における最大要素。私の場合、「使っていない道路」が多いような気がするが、これまた気づくことができない。もう、なくなったのかもね。


 そして、こう続く――


 思いやり用に四車線道路を備えることができれば、周りの人たちの気持ちを自分のもののように感じることができるだろう。これとは対照的に、思いやり用に荒野ができあがってしまうと、感情的には何も感じることなく、不適当な人に対して不適当な時間に不適当なことをいつまでたっても話し続けるだろう。別に悪気があるわけではない、ただ自分に送られてくる感情の信号の周波数にうまく合わせる能力がないだけだ。同様に、論争に適した四車線道路を備えていれば、その人は実に幸運で、議論の最中にその頭のなかから次々と完璧な言葉が吐き出されてくる。論争用に荒野しか持っていない場合、その人の脳は、肝心の勝負を決めるその瞬間に活動を停止してしまい、その口からはまったく言葉が出なくなるだろう。

 これらの脳の道路が、その人のフィルターなのだ。その本人を他でもないその人自身にする行動の習慣的パターンを作り出している、ということだ。どの刺激に反応し、どの刺激を無視すべきかを指示している。どの分野にすぐれているか、どの分野は不得意かを規定する。その人の気持ちや意欲を盛り上げるのも、無気力や無関心にさせるのもすべてこのフィルターなのだ。


 なーるほどね。これが、「自分という名のバイアス」。結局のところ、自分と環境の相互作用によって形成された欲求ということになりそうだ。するってえと、泥棒の子は泥棒の発想となり、王様の子は王様の振る舞いが身につくのだろう。では、生まれによって人生が決まってしまうのだろうか。否。そんなこたあない。これを「御破算で願いましては」と振り出しに戻す作業が“教育”なのだ。だから、二世議員とか二世社長ってえのあ、馬鹿だと思いますな。だって、親に敷いてもらったレールの上しか歩けないんだからね。


 さあて、新しい道路でもつくるとするか(笑)。早速、興味のない本を読むことにしよう(ニヤリ)。

まず、ルールを破れ―すぐれたマネジャーはここが違う

全ての票が数えられる社会は来るのか


 大統領選挙はオバマの勝利。マケインはいち早く敗北を受け入れた。それでオーケー……ということで良いのだろうか?アメリカは個人を尊重する国のはずなのに、なぜか選挙となると個別の票集計はいいかげんで、不法な妨害により投票できなかった人たち、郵送投票しても集計されなかった人たち、間違ったデータにより「あなたには選挙権がありませんよ」と選挙当日に宣告された人たちに対しては顧みられることがない。


 結局のところアメリカは、普段はそうでないにせよ、決定的に重要な場面において個性や人権が軽視される社会のように思えてならない。政府は金融業界を救済するために7,000億ドル(75兆円)もの公的資金をつぎ込むが、貧困に苦しむ米国民3,730万人には何の融資もしない。腐敗した保険企業には850億ドル与えても、医療保険に加入できない米国民4,570万人には何の救済もしない。イラクは沈静化、アフガニスタンには増派などと戦況ばかりが大局的に報道されるが、ブッシュ政権の提示した戦争の大義という嘘を信じて死んでいった田舎出身の若い兵士たちや、理由もなく虐殺され、巻き添えに殺されたイラク国民たち……その1人1人に家族と名前があった人たちの棺から聞こえる無念の声や、墓前に集う人たちの声が、新大統領の演説のように全米にライブ放送されることは決してない。だいいちアメリカ国民は、いったい何人が戦死したのかすら正確には知ることがなく、今後何人が戦死するのかについてすら興味がないといった風情だ。


暗いニュースリンク 2008-11-06