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2008-11-17

「星の流れに」菊池章子、ちあきなおみ、谷真酉美


 普段、演歌は全くといっていいほど聴かないが、これは名曲だ。しかも、三者三様の味があり、甲乙つけがたい。昭和22年に発表、翌23年にヒットした。笠置シズ子の「東京ブギウギ」と時を同じくしている。


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 作詞の清水みのるは、『東京日日新聞』の投書欄に掲載された手記の内容を読んで怒りに体が震えた。その内容は、奉天から引き上げた元看護婦の悲惨な夜の女への転落だった。「こんな女に誰がした」は戦争によってもたらされた悲惨さを告発したものである。

 敗戦当時、生活苦から、身を売ったり、米兵に暴行され転落した女性は数しれなかった。戦争の犠牲はまず女性と子供、弱き者を直撃する。米兵による日本人女性への強姦・暴行は数知れなかった。アメリカ兵相手の慰安所をつくったのもそのような事情からである。

 清水みのるは歌のタイトルを《こんな女に誰がした》としたが、GHQから「日本の反米感情を煽る」というクレームがつけられた。アメリカという国は自由主義の国だったはずでは。とにかく、GHQの検閲は厳しかった。結局、歌のタイトルはそのような事情から、《星の流れに》になったのである。

 焼け跡の星空は悲しかったが、美しかった。作詞の清水は、戦場で明日のわが身を流れ星を見て占った体験があった。星を真っ先にタイトルの置いたのも、清水の体験によるものである。作曲者の利根一郎は、上野の地下道や公園を見て回り五線譜に向かった。敗戦国の惨めさは戦災孤児の姿と夜の女に象徴されていた。戦後の希望が《リンゴの唄》なら、その翳の裏側が《星の流れに》である。

 テイチクは当初、淡谷のり子に歌わせようとした。淡谷は1946(昭和21)年秋にコロムビアからテイチクに移籍していた。ところが、淡谷は歌詞の内容に不満を持った。「パンパン歌謡は歌えない」という誤解を招く発言をして会社の意向を蹴ってしまった。淡谷は不幸な夜の女性をテーマにしてレコードを売りたくなかったのである。


【「歌謡曲に見る戦争の傷痕菊池清麿/2006-11-09】

星の流れに/岸壁の母