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2008-12-28

あやまちのない人生は味気ない/「橋の下」山本周五郎(『日日平安』所収)

 人生の奥深さを書かせれば、山本周五郎の右に出る作家は、まずいないだろう。哀感はしみじみと、そしてじわりと取り付き、読む者の背骨を自然のうちにスッと伸ばす。


 友人と果たし合いをするべく若侍がやってくる。ところが、約束の時間を間違えてしまった。ふと見ると、河原に煙が見えた。若侍が下りてゆくと、橋の下で暮らす乞食夫婦がいた。曰くありげな老夫妻のことは既に噂となって流れていた。


 若侍を見るなり、老人は察した。自分と同じ過ちを犯そうとしていることを。老人は元々武士であった。だが、好きな女性が原因で幼馴染みの友人を斬り、駆け落ちの末に転落の人生を歩んでいた。


 老人はどこを見るともない眼つきで、明けてくる河原の向うを見まもった、「あやまちのない人生というやつは味気ないものです。心になんの傷ももたない人間がつまらないように、生きている以上、つまずいたり転んだり、失敗をくり返したりするのがしぜんです。そうして人間らしく成長するのでしょうが、しなくても済むあやまち、取返しのつかないあやまちは避けるほうがいい、――私がはたし合を挑んだ気持は、のっぴきならぬと思い詰めたからのようです、だが、本当にのっぴきならぬことだったでしょうか、娘一人を失うか得るかが、命を賭けるほど重大なことだったでしょうか、さよう、……私にとっては重大だったのでしょう。家名も親も忘れるほど思い詰め、はたし合の結果がどうなるかを考えるゆとりさえなかったのですから」

「どんなに重大だと思うことも、時が経ってみるとそれほどではなくなるものです」と老人は云った。


【「橋の下」山本周五郎(『日日平安』所収、新潮文庫、1965年)】


 老人は恋に勝って、人生に敗れた。若侍を説得しようとするわけでもなく、ただ自分の越し方を淡々と語った。真の雄弁には、沈黙の中に百万言を伝える重みがあった。若侍は襟を正し、言葉遣いを改めた。生きざまが激変する時、人の言葉遣いは変わる。


 深き悔恨から、人生を見据え、過去を捉え直す作業は、まさしく哲学そのものである。老人は乞食に身をやつしていたが、修行僧さながらの精神の持ち主であった。擦れ違うような出会いの中で、人生の先達の言葉が青年を変えた。己の我執に気づいた時、若侍の顔は晴朗に輝いた。


 心に傷を負った人ほど、豊かな人生を歩める――と、この作品は教えてくれる。

日日平安 (新潮文庫)

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