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2009-01-18

バブル時代の多幸症(ユーフォリア)/『戦争と罪責』野田正彰


 友岡雅弥の『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』で紹介されていた一冊。いくつか紹介する予定だが、まずは友岡本に引用されていた「多幸症(ユーフォリア)」の部分から――


 時代の気分は、薄く浅い「幸せ」に色づいて流れていた。より正確に言えば、「多幸症(ユーホリア〈ママ〉)」である。内容の乏しい、空虚な爽快。現実を見るよりも、総ては「うまくいっている」と前もって受け止める構え。その裏には、自発性の減弱と衝動性の亢進があった。

 人々は落ち着き泣く動き回り、バブル経済で浮かれ、いつもいつも、何をしたのか、何が起こったのか、検証することなく、幻の幸せに向かって笑ってきた。政治の空洞化、金融の破綻、官僚制の肥大、アジア諸国の開発独裁への加担、目的なき情報化、子供たちの閉塞感……それぞれに衝撃的に反応し、顔を顰(しか)め痙攣的に涙を流すことはあっても、深い悲しみはない。


【『戦争と罪責』野田正彰岩波書店、1998年)】


 バブル経済に酔い痴れる人々を精神科医特有の視線で巧みにスケッチしている。「多幸症」とは言い得て妙。確かに浮かれていた。騒々しいほどに。若い女性は何も考えずに、ワンレン、ボディコンというスタイルで踊り狂っていた。ああ懐かしや、ディスコのお立ち台。まさに、精神のメタボリックシンドローム


 皆が皆、好景気というビートに乗って踊らされていた。使い切れない現金は「財テク」に回された。さして珍しくもない製品にプレミアがつきまくった。日銀が金融引き締めを行い、大蔵省(当時)が銀行に対して総量規制を指示。気がつくと気温は氷点下になろうとしていた。不良債権貸し渋り、中小企業の社長は自殺、リストラの嵐、失われた10年、失われた熱狂……。バブル崩壊は景気循環ではなく、官僚の政策ミスが原因だった。政治家は無能。


 本書は失われた10年の真っ只中で書かれている。野田正彰は、日本人特有の祭り大好き、右へならえ的な資質を、「自省能力の欠如」と捉える。で、その根っこが「戦争に対する個々人の無反省」にあるとしている。戦地で繰返された暴虐の数々に野田は耳を傾け、冷静に分析する。


 日本軍は中国で人体実験を行い、強姦し、拷問し、殺戮した。目を背けたくなるような残虐ぶりを発揮した人々が、帰国してからは沈黙を保ちながら恩給をもらい、好々爺を演じている。戦争の思い出話は被害に限られ、加害については誰も語ろうとしなかった。


 素晴らしい内容なんだが、野田の主張にはやや行き過ぎがあると私は感じた。主観が勝ち過ぎて、明らかに断罪という意図が働いているように見受けた。「自分の人生を振り返る」という主観と、「戦争犯罪の心理」という客観のバランスが時々崩れてしまっているのだ。私の読み違えもあるかも知れないが、途中からどうしようもない違和感を覚えてならなかった。例えば上のテキストでいえば、「痙攣的に涙を流す」という部分が該当する。医師独特の揶揄が垣間見え、上から見下している視線を感じる。


 一つだけ確かなことは、間違いなく本書が有益な議論の材料となり得ることである。

戦争と罪責

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