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2009-02-09

平将門の亡霊を恐れる三井物産の役員/『スピリチュアリズム』苫米地英人


平将門の首塚」だってよ。周辺跡地に大蔵省が建てられることとなったが、工事関係者や大蔵省職員の不審死が相次いだそうだ。


 東京・地下鉄大手町駅から歩いて1分、ビジネス街の一角に平将門の首塚が祀られています。そばにある三井物産の役員室は、全部そこにお尻を向けないように設計されています。つまりエリートビジネスマンが平将門の霊力を信じて畏れているということです。これは1000年単位で続いている迷信ですから、相当に強く洗脳が維持されていると言えます。

 国や地域で畏れる対象は異なっていても、現在生きている人類はすべてなんらかの迷信に洗脳されていると思った方がいいでしょう。お互いがお互いを洗脳し合っているのです。洗脳状態をお互いが巧妙に維持し合っているというのが、この世の実情かと思います。


【『スピリチュアリズム』苫米地英人(にんげん出版、2007年)】


 いやあ笑わせてもらった。信じることによって、祟りが現実のものとなるのだろう。ブードゥー教の呪いと同じメカニズムだ。


 将門なんぞの怨念に力があるとすれば、ルワンダなんか怨霊で溢れかえっていることだろう。


 とはいうものの、人間心理というのは馬鹿馬鹿しいところに面白さがある。

スピリチュアリズム

中国人民の節度/『青春の北京 北京留学の十年』西園寺一晃

 父は西園寺公一(きんいち)、曽祖父は西園寺公望(きんもち)。西園寺一晃は北京に10年間留学し、文化大革命を目の当たりにする。本書を文革礼賛本と称する向きもあるようだが、底の浅いステレオタイプの類いに過ぎない。一人の日本人少年が何を目撃し、どう感じたかという事実と、文化大革命の功罪は全くの別物だ。「反中」というのは単なる嫌悪感であって、思想ではあるまい。


「あの店はあなた方、外国同志達のためにあるのです。私もあの店の洋菓子がおいしいことを知っています。でも今は食べません。もう少ししたら、我々は今の困難(100年振りの大災害による食糧不足)を克服して6億人民全部がいつでも好きなだけ、おいしい菓子を食べられるようになります。そうしたら食べます。その時は、おいしい菓子が一段とおいしく感じられるでしょうから、その時までとっておきますよ」

 と言って笑った。彼はその日、中国の笑い話やことわざについて色々と話してくれ、僕達を腹の皮がよじれるほど笑わして帰っていった。しかし、彼の前に出されたシュークリームはそのまま残っていた。僕達一家4人は、同じように手をつけなかった菓子を前に、妙に白けた気持ちになった。僕は苦いものを飲み込むようにそれを食べた。少しもおいしくなかった。


【『青春の北京 北京留学の十年』西園寺一晃〈さいおんじ・かずてる〉(中央公論社、1971年)】


 果たしてこれだけの連帯感が我々の日常にあるだろうか。家族の中にだってないことだろう。貧しくても節度のある人と、豊かでありながらも欲望に翻弄される人と、どちらが上等かね。


 バブル経済を経てからというもの、この国には節度や節操はなくなった。そうして国民が選んだのは小泉という男だった。もちろん節度とは無縁の人物だ。小泉は「開き直る」ことに新しい価値を吹き込んだ。今尚、小泉待望論があることに私は驚きを隠せない。やはり、節度はとっくに死滅していたようだ。

青春の北京 北京留学の十年