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2009-02-23

間宮陽介


 1冊挫折。


 挫折10『市場社会の思想史 「自由」をどう解釈するか』間宮陽介(中公新書、1999年)/新書だと思ってなめてかかったのが失敗。結構難解。20ページほどで挫ける。経済学はアダム・スミスの『国富論』に始まるが、ケインズ理論から現代に至る経済学の思想的背景を探っている。本来であれば、サブプライム問題を論じるのであれば、このあたりから勉強しないといけないのだろう。体力をつけてから再チャレンジする予定。

戦時中、日本兵は中国人を食べた/『戦争と罪責』野田正彰


 本書もどんどん紹介してゆきたいのだが滞ってしまっている。


 日本兵による鬼畜の如き行為がいくつも出てくるが、これには唖然とした――


 また自白できることと、決して自白できないことがある。一人ひとりの脳裏を、自白できない罪行が掠めていった。いかに上官の命令と弁明しても逃れられない。自分の意思による罪行も浮んでくる。強姦を上官の命令とは言えない。処罰されることは極めて稀だったが、一応、強姦は犯罪とされていた。そのため兵士たちは強姦の後で女を殺したのである。

 第59師団第111大隊の下士官であった新井正代は、次のような罪行を書き残している(『私たちは中国でなにをしたか 元日本人戦犯の記録中国帰還者連絡会編)。


 私は2日前から18歳ぐらいの中国の娘を連行させていた。自分の慰みものにしていたのだが、いずれは何とか処置しなければならぬことは分っていた。

 このまま殺してはつまらない。私は一つの考えを思いつき、それを実行した。私は娘を裸にして強姦し、その後、庖丁で刺し殺し、手早く肉を全部切り取った。それを動物の肉のように見せかけて盛り上げ、指揮班を通じて全員に配給したのである。兵隊たちは人間の肉とも知らずに、久し振りの肉の配給を喜び、携行していた油で各小隊ごとに、揚げたり焼いたりして食べた。


 信じがたい残虐。こんな犯罪は戦友にも言えない。まして、勝者である中国人に言えない。


【『戦争と罪責』野田正彰岩波書店、1998年)】


 戦争は人間を獣に変貌させる。人間はいかなる環境にも順応できるということなのか。歯止めの利かない欲望が、人間の正体なのか。


 本書には、勇気を奮って自分が犯した戦争犯罪を告白した数人の方が登場する。野田正彰は直接インタビューをしながら、彼等の精神を分析する。当時の心理はどのような状況だったのか。そして、現在の精神は健全といえるのか。野田は疑問を呈し、時に辛辣な評価を下す。そう。評価だ。


 民族性に目を配り、時代を読み解きながらも、まるでカルテに書き込んでいるような素振りが感じ取れる。それが、結果的に本書の論旨を中途半端にしている。


 もちろん、彼等が犯した行為は許されることはあり得ないし、告白した程度で罪が軽くなるとも思えない。「よくも生きていられるもんだな」というのが私の本音である。やり直しが効くレベルをとっくに超えてしまっている。


 だがもっと大切なことは、彼等が実は私の祖父だったのかも知れないし、あるいは同じ状況になれば我々だって、そうならないとは言い切れないだろう。私は言い切ってしまうけどね。


 彼等が示したのは、人間の中に潜む「最悪の可能性」だ。人という動物はこれほどむごいことをし得るのだ。私は彼等の行為を知った。彼等の行為を学んだ。だから、同じことは絶対にしない。目の前でそのような非道が行われれば、私自身が“法”と化して、速やかに断罪するだろう。

戦争と罪責

仏教はもっともドグマから遠い教え/『ブッダ入門』中村元


 インディラ・ガンジーは、インド初代首相ネルーの娘。1984年、護衛兵をしていたシーク教徒の凶弾に斃(たお)れた。


 私は、インドのインディラ・ガンジー首相がお亡くなりになる2週間ほど前に何度かお会いしました。ちょうどその時、「仏教および国民文化に関する第1回会議」("The First International Conference of Buddhism and National Cultures")というのが開かれていたのです。この会議を開いたことが、ある意味でガンジー首相の最後の仕事になったといってもいいと思います。ガンジーさんがなぜそういうことを思いついたか、インド政府が国費を支出してそのようなことを行なったのはなぜかというと、開会式の中でこういうことをいっていました。

「今の世界は非常に危険な状態にある。文明は進歩したけれども、精神面ではいろいろとちぐはぐなことが起こっている。今度もしも戦争が起きたなら、勝利者もいないし、敗北者もいない。これをどうして防いだらよいか。そのためには高貴なる精神を必要とする。過去の世界の生んだ偉大な精神的指導者の教えに耳を傾けるべきである」

 そこでまずブッダ(仏陀)をあげます。それからマハーヴィーラをあげます。これはジャイナ教の開祖です。それから3番目にあげたのがナーナタです。シク教の開祖です。次にマホメットイエス・キリスト孔子老子、こういう人の名をあげました。世界の多くの人々が奉じ、耳を傾けている教えというわけです。

 そして、

「こういう人々の教えに耳を傾けるべきであるけれども、とくに仏教はリースト・ドグマティックである」

 つまり、仏教は、教義をたてに人を縛ることがもっとも少ない。

「だから私はその精神を明らかにするためにこの会議を開く」

 といっていました。


【『ブッダ入門』中村元(春秋社、1991年)】


 アンベードカルを知った今、インディラ・ガンジーに対する私の評価は地に落ちてしまった。政治的に仏教を利用した感さえ覚える。所詮、ヒンズー教徒である。マハトマ・ガンジーも、ネルーも同じ穴のムジナだ。カースト制度を疑うことなく、カースト制度の維持に務めた連中なのだ。


 カースト制度はアーリア人のインド支配によって誕生した。紀元前13世紀頃のことである。ブッダが生まれたのは約1000年後の紀元前463年(中村元説)だった。


 岡田英弘によれば、インドは歴史を持たない国であるという。このため詳らかな事蹟は謎に包まれている。しかし、仏教がカースト制度を打破できなかったことは確かだ。思想は習慣に勝てなかったということなのか。


 インディラ・ガンジープーラン・デヴィが憧れた人物だった。そして、「ファシズムの権化」「ヒトラーの再来」とインド国民から罵られた人物でもあった。

ブッダ入門