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2009-02-24

『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン/鈴木主税訳、鶴見良行解説(合同出版、1971年)


人間の崩壊―ベトナム米兵の証言 (1971年)


 これでも人間か! 人間はこうもなり得るのか? もはや人間ではない。崩壊だ! 崩壊が、あなたとわたしを包む同じ文明、同じ時間の中で起こってる! この本は公刊に際し、非常な勇気と決意を必要とした。権力に対する、最も強烈な告発の書だったからだ。読者にも、恐怖に堪える勇気を要請する真実の書だ!(帯より)

巨大な建造物は人間の不安を写している/『アウステルリッツ』W・G・ゼーバルト


 こんな文章が延々と続く。改行もないままで――


 駅舎建築を研究していると、と午後遅くハントスフーン・マルクトにあるカフェのテラス席で歩き疲れた足を休めているあいだにもアウステルリッツは語った。別離の苦悩と異郷への恐怖という考えがなぜか頭にこびりついて離れません。そんなものは建築史とはなんの関係もないのですが。もっとも、けた外れに巨大な建造物は、往々にして人間の不安の度をなによりも如実に写しているものなのです。要塞の建設を見るとはっきりとわかります、たとえばアントワープ要塞がうってつけの例ですが、あらゆる外敵の侵入を防ごうとするならば、自分たちの周りにつぎつぎと防御設備をめぐらしていかざるを得なくなり、その結果、同心円がとめどなく拡大していって、最後に自然の限界に達して終わるまで続くのです。


【『アウステルリッツ』W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳(白水社、2003年)】


 何となくエリアス・カネッティの『蝿の苦しみ 断想』と文体が似ている。なおかつ冗長であり、豊穣であり、逸脱していると感じるほど言葉が溢れている。


 しかも一読してわかるように、言葉によって思想を組み立てるのではなくして、思想が言葉を紡ぎ出している。雨に濡れてキラキラと光る巨大な蜘蛛の巣を眺めているような気分になってくる。

改訳 アウステルリッツ (ゼーバルト・コレクション)

依法不依人/『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士

 いやあ、たまげた。これほど興奮を掻(か)き立てられることも珍しい。一見すると「トンデモ本」と見受けるが、それこそ、とんでもない話だ。


 関西大学法学部教授というだけあって、緻密(ちみつ)な考証と論理を積み上げて、紀元前の壮大なドラマに迫ろうとしている。“想像力を遊ばせる”といった類いの姿勢は全くない。昨日の夜遅くに読み終えて、ざわめき立つ脳細胞が眠ることを拒否した(笑)。


 もう、のっけから全開である。四つの福音書(イエスの伝記=マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝)を比較し、


 一人の人物が四つの異なった「履歴書」を持っているとしたら、あなたは、その人物を信頼することが出来るでしょうか。


 とバッサリ。当時のベツレヘム地方で12月25日に赤ん坊が「馬小屋のかいばおけ」に産み落とされたら、「間違いなく凍死している」と手厳しい。


 また、仏教とキリスト教の酷似するキーワードが次々と示される。釈迦の母親・摩耶(Maya)=イエスの母・マリヤ(Maria:Mary)、釈迦の父・浄飯王(じょうぼんのう)は、イエスの父・ヨセフ(Ioseph:Joseph)と関係ないが、イエスの宗教上の父であるヨハネ(Ioannes:John)という名は、イタリア語で「ジョヴァンニ」(Giovanni)と発音する。

 もうね、走り出したくなるほど興奮したよ(笑)。これ以降、怒涛のラッシュ。次々と聖書の根拠が仏典にあることを明らかにしている。


 釈迦は、尼連禅河(ネーランジャラー)で「洗身」した後、49日間、仏陀伽耶(ぶっだがや)の菩提樹の下で悪魔の誘惑に会いました。

 これは、イエスがヨルダン河で「洗礼」を受けた後、荒野で40日間、悪魔の誘惑に会ったことにまさに相当することであります。


 法学者の面目躍如といったところ。そればかりではない。類似点・酷似箇所を列挙しながらも、返す刀で相違点の理由まで示しているのだ。


 何だかね、「別々の事件の犯人が実は同一人物だった」という法廷スリラーを読んでる気になってくるよ。


 カースト制度の最上層に位置するバラモン(婆羅門)が、中央アジアで少数派だった「アーリヤン」(白人)であり、インド人種との同化を恐れた挙げ句、階級社会が作られた。


 この白人支配下のインドに生れた釈迦は、苛酷な人種差別と職業差別とに反対し、「人間みな平等」(「四姓平等」)の立場に立って、かの宗教を創始したのでありました。


 二乗(声聞乗、縁覚乗)がバラモン出身者であったことを踏まえると、大いに首肯できる話だ。「二乗不作仏」とは、彼等に巣食う拭(ぬぐ)い難いまでの「差別意識」を仏が責めたものだったのだろう。


 だが悲しいことに釈迦滅後、後継者は“頭陀第一の迦葉”(バラモン出身者)となり、仏教のバラモン教化が避けられなくなる。


 著者はイエスの正体にどんどん迫る。「来(きた)るべき者」としてのメシヤ(救世主)は、仏教の「当来仏」としての弥勒(みろく)である、と。弥勒=サンスクリット語マイトレーヤ(Maitreya)=パーリ語のメッティーヤ(Metteya:Mettiya)となって、見事に「メシヤ」とつながるわけだ。そこから更に類推し、「天にいますわれらの父」が「久遠実成の本仏」であると洞察し、キリスト教が大乗仏教の分派であると結論づけている。


 依法不依人の件(くだり)は圧巻――


『サムユッタ・ニカーヤ』(47-14「支羅」)によれば、サーリプッタも、モッガラーナも死去した後のガンジス河のほとりでの「布薩」(悔い改めの集会)で、釈迦は次のように言いました。

「修行者たちよ、サーリプッタとモッガラーナが完全な安らぎの境地に入ってから後のこの集会は、わたしにとっては、まるで空虚なものに思われる」。「修行者たちよ、この世のことは、すべて無常なのであるから、生成して消滅しないものは何一つとして存在しない。堅固な大樹がそこにあっても、その枝が先に枯れてしまうこともある。それと同じように、修行者たちよ、この堅固な仏教僧団はあっても、サーリプッタとモッガラーナの二人は、先に、完全な安らぎの境地に入ったのである。修行者たちよ、その故に、自分を頼りとし、自分をよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を頼りとし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしてはならない」。

 更にまた、『サムユッタ・ニカーヤ』(47-9「病気」)によれば、ヴェーサリーで大病にかかった釈迦は、アーナンダに向って次のように言いました。

「アーナンダよ、現在においても、また、わたしが死んだ後においても、自分を頼りとし、自分をよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を頼りとし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしない者は、わたしの弟子たちの中でも最上の修行者となるであろう」。

 釈迦が、このように繰り返し教えていることは、ただ、法(真理)を燈台として、その光に頼り、ただただ、自分自身を清め、自分自身で修行せよということだけであります。

 釈迦は「仏教僧団」(sangha サンガ)に帰依せよとは言っていません。まして、「僧侶」に帰依せよなどとは教えていません。

 また、釈迦は「釈迦牟尼仏」に帰依せよとも、その他の如何なる「仏陀」に帰依せよとも言っていません。

 このようにして、「南無妙僧」でも、「南無妙仏」でもなく、「南無妙法」こそが仏教の真髄を射抜くものであることがわかるのであります。


 側頭部を金属バットで殴られるほどの衝撃。「独創的な研究を、どれほど多くの孤独が支えてきたことか」と思わずにはいられない。「学ぶ」行為は孤独な作業だ。自分の頭で考え抜くことは、自分の限界に挑むことでもあろう。


 絶版になる前に、注文されたし。

仏教とキリスト教 イエスは釈迦である