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2009-02-25

不可触民=アウトカースト/『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール


 いつの時代も歴史は勝者によって綴られる「後出しじゃんけん」だ。負けた人々は「ずるいよ」と言うことも許されない。勝てば官軍、負ければ賊軍だ。


 インドといえばガンディーである。インド独立の父と呼ばれ、マハトマ(偉大な魂)と称えられた。私も「何となく」尊敬していた。さしたる理由もなく凄い人物だと思い込んでいた。遠くの山河が美しく見えるように、遠い過去の歴史もまた美しい。距離は汚穢(おわい)を隠す。50メートル離れれば、あなたも美人に見えるはずだ。きっと。


 マハトマ・ガンディーは不可触民制廃止のために戦った。しかし彼は、一度としてカースト制度を否定したことはなかった。ガンディーが目指したのは、不可触民(アウトカースト)をカースト内の最下層に収めることだった。カースト万歳。ガンディーはバラモン階級出身だ。(※ヴァイシャ出身とのこと)

 不可触民の権利のために立ち上がったのはアンベードカルであった。インドにこれほどの巨人がいたことを私は知らなかった。それは恥ずべきことであった。“虐げられた人々”は“人類の苦悩”を体現する人々だ。であるが故に、人間扱いされない人々のために戦う勇者は、人類の苦悩を救う菩薩に等しい。アンベードカルは生涯にわたって、不可触民として生き抜いた。


 アンベードカルは、貧しい不可触民の家に生まれた。

 不可触民というのは、ヒンズー社会の最下層階級であり、太古の昔からカーストヒンズー(不可触民以外のヒンズー教徒)によって“触れるべからざるもの”として忌避されてきた。

 1950年、インド新憲法がこの不可触民制を廃止するまで、不可触民階層は“触れるべからざるもの”“近寄るべからざるもの”“視るべからざるもの”という三つのクラスに区分され、徹底的に差別されてきた。その数約6000万。3億のヒンズー教徒の20パーセント、5人に1人が不可触民であった。


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール:山際素男〈やまぎわ・もとお〉訳(三一書房、1983年/光文社新書、2005年)以下同】


 ビーム(※アンベードカル)兄弟はいつも教室の隅っこに、家から持ってきたズック袋を床に敷いて座らせられた。それが不可触民の子弟への当然の扱いであった。多くの教師は面と向かって教えることも、質問することすら避けた。言葉をかけるだけで“穢れる”からだ。兄弟はのどが乾くと、誰かが水をのどに流しこんでくれるのを待つしかなかった。飲水に手を触れることは絶対許してもらえなかったからだ。


「穢(けが)れ」だとさ。罪もない人々を差別する自分達の薄汚い精神構造を不問に付して、よくもそんなことが言えたものだ。アーリア人のインド支配から生まれたカースト制度は、2500年もの間にわたってインドをがんじがらめにしてきた。これに勝る緊縛プレイはない。究極のSM思想――それがバラモン教でありヒンドゥー教の正体だ。あのガンディーですら差別思想から解放されることはなかった。

 赤道の直ぐ上に位置するインドで、飲み水を制限されることは文字通り死活問題となる。金がないことよりも切実だ。特定の人々をばい菌扱いするような思想は、今尚インドを支配している。

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

熊さん熊さん 2011/11/01 22:43 基本的な間違い。
ガンディーは「ヴァイシャ」であり、「バラモン」ではありません」。よく自伝を読んでください。

sessendosessendo 2011/11/02 00:36 ご指摘に感謝。

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