アンベードカルは不可触民の権利を守るために、なんとヒンズー教をも攻撃した――
“犬およびインド人立入るべからず”といっているヨーロッパ人クラブに入れてくれとヒンズー教徒が懇願しないのと同様、不可触民以外の全てのヒンズー、犬すら立入りを許可する寺院に入れてくれとは、われわれ不可触民はもはや頼みはしない。
寺院を開放するかしないかは、カーストヒンズーが考えることで、私がとやかくいうことはない、と述べた。
また、不可触民は、社会的不平等を擁護するような宗教にはもはや我慢できない。ヒンズー教が宗教だというのなら、社会的平等をもった宗教でなくてはならない。もしそのような宗教であろうとするなら、寺院立入りだけでは不十分である。四姓制度そのものからその不平等性を放逐しなくてはならない。これこそ全ての不平等の根元であり、カースト制度、不可触民制度の生みの親であるからだ。そうでない限り、われわれ不可触民は寺院立入りは愚か(ママ)、ヒンズー信仰そのものに反対するだろう。
アンベードカルはヒンズー教徒であった。だが彼は信仰よりも、虐げられている多くの人々を重んじた。ここにアンベードカルの強さと独創性があった。
差別を助長させる思想が、世界を分断する。結合は善で、分断は悪――これが善悪の本質だ。
アンベードカルは、差別まみれとなったインド社会を不可触民と結合させようとしたのだ。アンベードカルが目指したものが善である以上、彼に反対し、邪魔をし続けたガンディーは悪の存在となる。