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2009-04-04

死の瞬間に脳は永遠を体験する/『スピリチュアリズム』苫米地英人


「死んだ後はどうなるのか?」――古(いにしえ)より議論されている大きなテーマである。果たして死後の生命はあるのかないのか。あるとすれば形状が問われ、ないとすれば倫理が崩壊する。


 ところが、だ。苫米地英人は「死ぬ瞬間」に着目する。これは斬新な視点だ――


 二つのことを事実として説明すればわかりやすいと思いますが、まずひとつはドーパミンをはじめとするありとあらゆる脳内伝達物質が、脳が壊れるときに大量に放出されます。ですからまず、気持ちが良い。脳幹の中心の中脳のところ、VTA領域からいくつかの経路が伸びていて、脳幹の中のドーパミン細胞からドーパミンが大量に出ます。要するに、臨死体験のときは超大量の脳内伝達物質が出て、凄く気持ちが良い体感をする。同時にありとあらゆる幻視・幻聴・幻覚が起こります。

 もうひとつは、時間が無限に長くなっていきます。時間感覚が変わっていくわけです。たとえば走馬灯のように自分の人生の歴史を見るとか言いますが、それはあたりまえのことで、脳内の神経細胞が壊れるにあたってとてつもない脳内伝達物質が放出されますから、最後の最後に脳が超活性化されるのではないかと思います。線香花火の最後の一瞬のようなものです。すると、たくさんの記憶を同時に見る。脳は元々超並列的な計算機なのです。我々の脳はふだん生きているときは凄くシリアルに(ひとつずつ順を追って)認識しますが、つまり、ひとつのことを認識しているときは他を認識できません。それが臨死体験のときは、同時に全部認識するわけです。走馬灯のように一生を経験するというのは、一生をシリアルに経験しているのではなく、短い間に一生の体験を全部同時に認識するわけです。内省的には一生を全部ゆっくり体験したかのように感じています。時間の感覚がどんどん変わっていくからです。生という状態から限りなく死に近づいていく、死という接点に向かって永遠に近づき続ける接線のようなものです。死んでいく人にとって、体感としての時間はとてつもなく長くなっていきますから、もしかすると死は永遠にやってきてないかもしれません。


【『スピリチュアリズム』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(にんげん出版、2007年)】


 つまり、大量のドーパミンによって極限まで活性化された脳が、コンピュータのように超並列で動き出すということ。ご存じのように、パソコンというのは複数のアプリケーションやシステムが同時に目まぐるしく動いている。これと同じ働きが脳で起こるというのだ。


 脳内ではニューロンが猛烈なスピードで信号を放つ。そして、思考(無意識も含めて)のスピードは光速に等しくなる(アダム・ファウアー著『数学的にありえない文藝春秋、2006年)。


 この時、観測者(=遺族)から見れば、死者の動きは完全に止まって見える。なぜなら、「光は年をとらない」からだ(ブライアン・グリーン著『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する草思社、2001年)。


「もしかすると死は永遠にやってきてないかもしれません」――これは、人が死ぬ瞬間に光と化すことを示している。


 この指摘は凄い。時間と永遠というテーマは、宇宙の起源や宗教と密接に関わっている。そして歴史の奥底を貫く概念でもある。死の瞬間に向かって永遠(無限)が立ち現れるという発想は、ちゃぶ台を引っ繰り返すほどのパラダイムシフトと言ってよい。

スピリチュアリズム

kassihinikassihini 2009/04/06 01:35 この記事を読んで目から鱗が出ました。
コンピュータの並列処理は、その仕組みを人の脳に近づけようとする過程で生まれました。もともとコンピュータができる処理は1つだけ、今はデュアルコア、論理的に複数あるように認識される技術の発達でようやく並列処理が可能になった経緯があります。
死によって、驚異的な脳の活性化が起こるということに驚きを覚えました。
この本は、立ち読みしかしていませんので、余裕ができたら、速攻で読みたいと思います。ありがとうございました。

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