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2009-05-07

奥野修司著『心にナイフをしのばせて』が文庫化


心にナイフをしのばせて (文春文庫)


「あいつをめちゃめちゃにしてやりたい」――。40年近くの年月を経ても、被害者はあの事件を引きずっていた。歳月は遺族たちを癒さない。そのことを私たちは肝に銘じておくべきだと思う。『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した著者の、司法を大きく変えた執念のルポルタージュ。

茂木健一郎


 1冊読了。


 61冊目『脳と仮想茂木健一郎(新潮社、2004年/新潮文庫、2007年)/茂木健一郎をまともに読んだのが実は初めてのこと。全体を通して、小林秀雄講演「信ずることと考えること」が基調となっている。とにかく驚くほど文章がいい。話題も豊富で、芸術全般からゲームにまで及んでいる。小林秀雄に対する敬愛の念と、脳科学者という立場からの対抗心が窺えて興味が尽きない。惜しむらくは、最後まで随想風の内容となっていて科学的な見解を示していないため、読後に物足りなさが残る。だがこれは、茂木健一郎の罪ではなくして、タイトルの問題なのかも知れない。エッセイであるなら、エッセイとわかる題名にすべきだ。これは是非とも続編を望みたい。トール・ノーレットランダーシュ著『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』(紀伊國屋書店、2002年)とは一味違うものを期待する。

視聴率に代わるテレビ番組評価 優良放送番組推進会議が発足


 地上波放送の質向上を目指し、トヨタ自動車三井物産など国内大手26社が、テレビ番組を評価する「優良放送番組推進会議」(有馬朗人委員長)を立ち上げた。評価結果はネットで公表。今後も参加企業を募り、将来的には、一般市民の声も反映させる仕組みづくりを目指すという。

 同推進会議は、視聴率至上主義に陥った番組制作に一石を投じることを目的に発足。会員各社が年間20万円を出し合い運営に当たる。顧問には塩川正十郎・元財務大臣が就任した。

 調査方法はアンケート形式で、会員企業の社員らは毎回示されるリストから、興味を持った番組を視聴。「とても興味深く推薦したい」3点「興味深く推薦したい」2点「普通」1点「特に感想がない」0点、マイナスの5段階で評価する。

 月尾嘉男事務局長は「悪い番組をあげつらうのは表現の自由から難しいが、いい番組を推挙して多くの方に関心を持ってもらうことで、良貨が悪貨を駆逐する方向に持っていきたい」と意気込む。番組ごとの合計点、平均点、順位はホームページで公表。男女別、年代別の分析も掲載する。

 第1回(4月1〜7日)のサンプル数は430人で回答数5291件。ニュース番組をテーマに調査が行われた。第1位は企業団体らしく、テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」だった。

 単なる人気投票に終わる可能性も指摘されるが、月尾事務局長は「今まではビデオリサーチの視聴率が圧倒的に評価の基準だった。だが、社会の中にはいろいろな評価が出てくるべき。経済界の評価があってもいい」と説明。「『よりいい番組にお金を出していきたい』と何社かから意見も出ている」として、資金も出すが注文もつける“もの言う企業”の足がかりとすることも示した。


【産経新聞 2009-05-05】


 妙な動きだ。

世界的な株高、年内に反転する公算大=ルービニNY大教授


【シンガポール】米ニューヨーク大学のヌリエル・ルービニ教授は6日、世界的な株高傾向は弱い企業決算や経済ニュースを受けて年内に反転する公算が大きいと述べた。

 今回の金融危機を予測したことで知られる同教授は、当地で開催された金融セミナーで「今はまだ弱気相場の一時的反発だ」と語った。

 投資家が慎重姿勢を維持すべき理由を3点挙げ、マクロ経済の予想以上の悪化、予想を下回る決算、銀行セクターや新興市場の危機をめぐる一段の悪材料が見込まれることを指摘した。

「まもなく多くの金融ショックが出現する」とし「金融市場が回復する一方、われわれは向こう数四半期にマイナスのサプライズに直面する。市場は先走り過ぎている」と述べた。


【ロイター 2009-05-07

「空耳アビィロード」桑田佳祐


 これは多分、作家が書いたものだろう。桑田の作詞であれば、桑田への評価を上方修正する必要がある。小田嶋隆より凄いよ。この言葉のセンスは。


【追記 2009-05-08】「る」さんからのコメントで、全曲桑田佳祐の作詞であることが判明した。ってことで、桑田佳祐を大幅に上方修正する。桑田は音楽のリズム感だけではなく、言葉のリズム感においても天才であることが証明された。


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男は再び走り出した/『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一

 ボクサーの再起を描いた傑作。飯嶋和一が書いた唯一の現代小説。私はなぜか読むのを躊躇してきた。心のどこかで期待が外れることを恐れていたのだろう。杞憂に過ぎなかった。それどころか、荒削りな筆致が猛々しい勢いで読み手の感情に爪を立てる。ボクシングには、男の孤独な魂が仮託されている。


 何がこれほど心を震わせるのか。主人公の新田駿一は順調にランキングを駆け上がっていた。ところが、いつしかアルコールに溺れるようになってしまった。新田は「修理工場」と呼ばれるリハビリ施設に送られる。奈落の底の近くで彼を引き止めたのは、生まれ故郷の島の記憶だった。


 白濁した意識の中で幼馴染みの記憶が蘇る――「彦兄(に)ィ!」。これだけで怒涛の感動が押し寄せる。『始祖鳥記』(小学館、2000年)で弥作が幸吉に対して言う「ああやん」(※兄ちゃんの意)という声と全く同じ響きだ。


 耳を弄するほどの都会の喧騒は、地方から上京した青年を孤独へと追いやった。彼は心を閉ざした。そしてアルコールにのめり込んだ。リハビリを終えた新田が、意を決して島へ帰る。自分という存在を形成した原点の地へ。そして、彦兄ィに会うために。


 人生の座標軸に回帰した新田は、再びリングを目指す――


 アダンの林が途切れ、白い道は松の防風林に入った。おれはとうとうそこで立ち止まった。しゃがみこんで、深いワークブーツの紐(ひも)を解き、最初から通した。足首をすっかり覆う一番上の穴まで靴紐を通し、きつく締めて足首を固定しようとしていた。もう歩くだけではどうにもならなかった。靴紐を結びながら、不意に耳元まで「戦いたい」という思いがこみあげ、紐を握った指が震えた。革ジャケットのファスナーも喉元まで上げた。歩は次第に早まり、奥歯に力がこもった。久しぶりに顔の筋肉がこわばっていく緊張を覚え、首の付け根のあたりから鳥肌が沸き立つのを感じた。おれの足が走り出そうとしていた。

「走るな」そう声にして自分へ言った。一度走り出してしまえば、どこへその道が通じているのかはわかりきっていた。ただつらいばかりで、報われることの少ないあの道へ、また戻るハメになる。古い血のシミが斑点(はんてん)の模様を創ったキャンバスと、逃げ場をさえぎるロープと、それ以外に何もない、ただ殺風景なあの場所へ戻ることになる。

 とうとう足は地面を蹴(け)りはじめた。すぐ息が上がった。水ぶくれのおれの体から汗が噴き出した。額から頬をつたってアゴの下へ汗がたまった。肺は水が詰まったように重かった。ただ走ることだけが、おれの唯一の避難所へ通じる道のようだった。激しく体を消耗させることだけが、この信じられないことだらけの、ひどい夢のような現在(いま)を消すたった一つの方法のようだった。走れば走るほど時間が逆に流れ、4年位昔の、会長も彦兄(に)ィも元気でいた頃へ、おれのなかの映画のスクリーンのようなピンとこない風景が、まだ生き生きとした輪郭や輝きを備えていた頃へ、突然戻ってくれるような気さえした。長すぎる黒い夢が覚めるとしたらこの道を行くしかないようだった。


【『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(河出書房新社、1989年/リバイバル版 小学館、2000年/小学館文庫、2003年)】


 嗚呼(ああ)――。私はこの箇所を読んで悟った。読者はいつだって、言葉にならない感動を求めて、ただ「嗚呼」と言いたがっていることを。打ちのめされるような思いで、私は何度も読み返した。


 飯嶋作品はいずれも、自立した魂のふれあいを描いている。それは、甘え、寄り掛かり、もたれ合うベタベタした関係ではない。人生という直線が交錯する時に放つ火花を見事に描き出している。独特のタッチを感じるのは、日本人にありがちなジメジメした湿気がないためだろう。


 失って減ってゆく何かがある。失ってもなくならない何かがある。目をつぶらないと見えないものがある。暗闇の中でも消えない光の記憶――飯嶋が紡ぎ出したのは、そういう世界だ。

汝ふたたび故郷へ帰れず リバイバル版 汝ふたたび故郷へ帰れず (小学館文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)