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2009-05-30

視覚は高尚な感覚/『ゲーテ格言集』ゲーテ


 5月11日に父が倒れた。そして、22日に逝ってしまった。短気な性分だったので長く入院することを嫌ったのかもしれない。


 父が倒れたのは脳幹出血によるもので、直後に意識不明となった。数日後、左手・両足などに不随意運動が見られたが、意識が戻ることはなかった。不思議なことに、亡くなる前日突然目が開いた。多分、後頭部にある視覚野が機能し始めたのだろう。家族も皆、手を叩いて喜んたのも束の間、翌日旅立った。


 それにしても何だったのだろう? 意識がないままだったので、通常の認識はできていないと思われる。きっと最後の力を振り絞って、光を求めたのだろう。


 視覚は最も高尚な感覚である。他の四つの感覚は接触の器官を通じてのみわれわれに教える。即ちわれわれは接触によって聞き、味わい、かぎ、触れるのである。視覚はしかし無限に高い位置にあり、物質以上に純化され、精神の能力に近づいている。(「格言と反省」から)


【『ゲーテ格言集』ゲーテ/高橋健二編訳(新潮文庫、1952年)】


 視覚については以前まとめて紹介した――

 目は“むき出しになった脳”であるゆえに、同時並列で情報を処理する。視覚は水平方向を指向する。そして、自分の位置から距離を測る。我々が実感できる世界は、“目で見える範囲”に限られている。古来、旅とは自分の世界を広げる営みであったのだろう。


 目は不思議だ。立派な体格であっても、顔つきに生きざまが現れ、目には心が映し出されている。目のメカニズムよりも、嘘のない目を大切にしたいものだ。


 人生とは、何を見つめるかで決まってしまう側面がある。視点が低ければ障害物だらけになってしまう。高い視点を持てば、いかなる苦難をも悠々と見下ろしてゆくことが可能だ。


 亡くなった父の顔は微笑んでいた。火葬場に着くと、更に口が開いていた。死後3日を経過していたが最後まで柔らかいままだった。「何を見つめて生きれば、こんな風に死ねるのだろう」――私の瞳に父の顔が焼きつけられた。

ゲーテ格言集 (新潮文庫)

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