2009-06-08
神様やヒーローを待ち望んではいけない/『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
ヒンズー教は差別という制度を宗教化したものだ。アーリア人をバラモン階級に配することで、インド現地住民との混血を避ける目的もあったとされている。つまり、政治の宗教化とも言えよう。
2500年間という長きにわたって、不可触民の祈りをヒンズー教の神様が聞き入れてくれることはなかった。そりゃそうだよ。だって、アーリア人がでっち上げた神様なんだもの。
いかなる宗教であれ、信仰心は尊いものだ。だが、そこに説かれている教義=思想は千差万別であり、おのずと高低浅深がある。そして、思想は人間を縛る。縛られた思考は自由を失う。自由を失った人間は奴隷と化す。ここから明らかになるのは、「人間をどれだけ自由にしたか」という一点に信仰の正当性が存在することだ。
アンベードカルは、不可触民の人々に巣食う依存心を撃つ――
「奴隷制を今こそ廃止せねばならない。しかしその仕事を神やスーパーマンがやってくれると考えてはいけない。諸君の解放には、政治的力によってもたらされるのであり巡礼や断食なぞによって実現するのではない。聖典を幾ら読んだとて諸君は奴隷制、貧困、欠乏から解放されることはないのだ。今も同じぼろをまとっているではないか。父親たちと同じように、投げ捨てられた食物のかけらにすがって生きようとするのか。父親たちのように、スラムや小屋の隅で朽ち果てるのか。家畜が疫病で倒れてゆくようにむざむざと悪疫の犠牲になって死んでゆくのか。諸君の宗教的断食、禁欲、苦行が飢えから諸君を解放してくれはしなかったではないか」
【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール/山際素男訳(三一書房、1983年/光文社新書、2005年)】
国家を変革するには政治にコミットするしかない。護摩を焚(た)き、空念仏を唱えたところで何一つ変わらない。現実逃避の祈りは人間を骨抜きにしてしまう。
アンベードカルは、ヒンズー教に束縛された不可触民の思考を解き放つことから始めなければならなかった。
それにしても、何という雄弁であろうか。差別という重荷で曲がってしまった背骨に、これでもかと強烈な鞭(むち)をくれている。
不可触民は少しずつ目を覚ましていった。既に眠り続けていられる状況ではなかった。何もしないで心を死なせるくらいなら、抗(あらが)って死んだ方がましだ。
アンベードカルから叱責を受けて、不可触民は自分達が人間であることを思い出したのだ。
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