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2009-06-26

「お年寄り」という言葉の欺瞞/『我が心はICにあらず』小田嶋隆

 小田嶋隆のデビュー作にして最高傑作。オダジマンの若さが、ストレートな毒となって疾走している。世の中を斜めに見上げる視線が冷ややかさを湛(たた)えて、反骨の域に達している。そして時折、街の光景をハードボイルドのように描いてみせる。駄洒落や下ネタは、江戸っ子特有の照れ隠しであることが察せられる。


 小田嶋は「お年寄り」という言い回しに隠された欺瞞を暴く――


「田中さんのご長男は弁護士になったんですって」

「田中さんのご長男は大学教授になったんですって」

「田中さんのご長男は八百屋さんになったんですって」

「田中さんのご長男は大工さんになったんですって」

 ここで「さん」のついている職業と、ついていない職業を比べてみるとそのあたりの事情が良く分かる。我々は時々、軽蔑していることを隠すために丁寧語を用いるのである。

「お年寄り」という言い方にも私はひっかかる。ニュースのアナウンサーは「学生」を「学生さま」と呼んだり「子供」を「お子様」と呼んだりしないのに、ことさらに年寄りだけを「お年寄り」と呼ぶ。たぶん心のどこかに「老いぼれ」「くたばりぞこない」「よいよい」「人間の残骸」といった気持ちがあるから、尊敬語を使ってバランスを取らなければならないのだ。

 最近では「老人」を「老人」と呼ばずにすますために「熟年」とか「実年」とかいった言葉が発明されている。が、実際に使ってみるとますます皮肉に響いてしまうだけだ。早い話が「うんこ」を「うんこちゃん」と呼んでみてもうんこはうんこだし臭いものは臭いのである。


【『我が心はICにあらず』小田嶋隆(BNN、1988年/光文社文庫、1989年)】


 そして中年期になった今でも尚、少年の心を失っていない私のような読者が痺れるのは、うんこネタとゲロネタである(笑)。少年は汚いものを愛する。なぜなら、心の奥底でうんことゲロが最終兵器であると固く信じているからだ。もしも、放射能とうんこを並べられたら、私は間違いなくうんこを怖れることだろう(←ウソ)。


 で、お年寄りだ。昨今の年寄りは若くなった。ジイサンもバアサンもファッショナブルである。特に女性の場合、たとえ結婚をしたとしても30代、40代からシミ・そばかす対策に身をやつし、理想的な体重を維持し、颯爽と流行の髪形をあしらっている人が多い。そして、いよいよ50代に突入すると、「アンチエイジング」と来たもんだ。「抗老化」「抗加齢」だってさ。ケッ。


 自分の年齢が戦うべき対象であるならば、小学生は老成を目指すべきなのだろう。目尻には墨でシワを描き、額には梅干しをセロテープで貼り付け、背中を丸めてゴホゴホと咳込み、カァーーーッ、ペッと痰を吐くのがアンチエイジングといえる。ま、女子高生の化粧や茶髪なんぞはそれに近いのかもね。若さの否定は実に滑稽だ。じっとしていたって大人になれるんだけどね。


 かように自分の年齢と戦うことは愚かだ。死という人生の最終章から目を背け、若く「見せる」ことにいかほどの意味があるというのだろうか。ないね。これっぽっちも意味はない。そんなに見栄えをよくしたいのであれば、着ぐるみでも被(かぶ)ればいいのだ。


「若々しい」のと「若く見せる」のとは違う。大体だな、外見ばっかり気にするのは中身がない証拠なんだよ。真のアンチエイジングは、躍動する精神と柔軟な思考に宿るのだ。昨日の自分よりも今日の自分を新しく変革する努力の中に存在するものだ。更に、貫禄と気品が備われば言うことなしだ。


 年を取っているだけの、古いうんこみたいな年寄りにだけはなりたくないものだ。

我が心はICにあらず(単行本)


我が心はICにあらず(文庫本)

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