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2009-07-08

個性が普遍に通ずる/『小林秀雄全作品 25 人間の建設』小林秀雄

    • 個性が普遍に通ずる

 世界的な数学者・岡潔との対談『人間の建設』が収められている。初めての対談でありながら、肝胆相照らす趣あり。小林は例の如くずけずけとものを言っているが、岡潔も黙って聞いちゃいない。互いの個性が真っ正面からぶつかり合う対談となっている。酒席で行われているため、ややまとまりに欠けるきらいはあるが、格式張るよりも談論風発を意図したものと思われる。


 小林秀雄が質問する。「数学に個性があるのか?」と。これに対して岡潔は「個性しかない」と断言する――


小林●そうすると、やはり個性というものがあるのですか。


岡●個性しかないでしょうね。


小林●岡さんがどういう数学を研究していらっしゃるか、私はわかりませんが、岡さんの数学の世界というものがありましょう。それは岡さん独特の世界で、真似することはできないのですか。


岡●私の数学の世界ですね。結局それしかないのです。数学の世界で書かれた他人の論文に共感することはできます。しかし、各人各様の個性のもとに書いてある。一人一人みな別だと思います。ですから、ほんとうの意味の個人とは何かというのが、不思議になるのです。ほんとうの詩の世界は、個性の発揮以外にございませんでしょう。各人一人一人、個性はみな違います。それでいて、いいものには普遍的に共感する。それが個人の本質だと思いますが、そういう不思議な事実は厳然としてある。それがほんとうの意味の個人の尊厳と思うのですけれども、個人のものを正しく出そうと思ったら、そっくりそのままでないと、出しようがないと思います。一人一人みな違うから、不思議だと思います。漱石は何を読んでも漱石の個になる。芥川の書く人間は、やはり芥川の個をはなれていない。それがいわゆる個性というもので、全く似たところがない。そういういろいろな個性に共感がもてるというのは、不思議ですが、そうなっていると思います。個性的なものを出してくればくるほど、共感がもちやすいのです。


【『小林秀雄全作品 25 人間の建設』小林秀雄(新潮社、2004年)】


 以下、Wikipediaより引用――。岡潔は「多変数解析函数論において大きな業績を残した」。「そこでは幾何、代数、解析が三位一体となった美しい理論が展開される」。「多変数複素関数論には一変数の時にはなかったような本質的な困難がともなう。これらの困難を一人で乗り越えて荒野を開拓した人物こそ岡潔である」。


 その強烈な異彩を放つ業績から、西欧の数学界ではそれがたった一人の数学者によるものとは当初信じられず、「岡潔」というのはニコラ・ブルバキのような数学者集団によるペンネームであろうと思われていたこともあるという。


数学者としての挑戦:Wikipedia】


 数学の内容に関してはチンプンカンプンだが、エピソードからは偉大な仕事の片鱗が窺える。


 その岡潔が「数学の世界といえども、結局個性しかない」と断言しているのだ。これは凄い。岡潔は数学という広野(こうや)を自分らしく歩いたということではなく、我が個性を数学的という言語によって表現したという話になる。つまり、初めに個性ありきなのだ。


 岡潔がいう個性とは、「足下を掘れ、そこに泉あり」という意味合いであろう。自身の根源を深く掘り下げてゆけば、万人に共通する基盤を発見することができる。内なる宇宙への探究が、外部世界に共感を及ぼす。小我(しょうが)を叩き破って現れた大我(たいが)は、見紛(まが)うことなき個性であり、人類の可能性を開発した姿となるのだ。


 エベレストへの初登頂、100メートル走の世界新記録、アポロ11号の月面着陸などが我々に深い感動を与えるのは、それらが個人に帰すべき功績ではなく、人類の可能性を示した偉業となっているからであろう。


 その意味から言えば、岡潔もまた人類未踏の大地に立ったのだ。個性が普遍に到達すると、一人は人類と化すのだ。無限は天文学的数字の彼方にもあるが、0と1の間にも存在する(0.1、0.01、0.001……)。


 更に、個性を「正しく出す」という表現も、岡潔の哲学を示している。


 社会というものは、「皆と同じである」ことを強要する。だから、出る杭は打たれ、村の掟に逆らう者は村八分となる。こうして、「寄らば大樹の陰」「長い物には巻かれろ」といった処世術が身についてしまうのだ。


 個性は自由から生まれる。帰属意識に束縛された思考に個性は存在しない。そこで私から新しい格言を進呈しよう――


「さらば大樹の陰」


「長い物を巻き返せ」


「出過ぎた杭は打ちようがない」


 以上(笑)。

小林秀雄全作品〈25〉人間の建設 人間の建設 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

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