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2009-07-19

今日の夕焼け


 買い物帰りに、車中からかみさんの携帯電話で撮影。


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「日本の“原爆歴史観”を問う」


 出演しているのは宮崎哲哉、大谷昭宏橋下徹の三氏。大谷昭宏が議論をなし崩しにしている。ネット上の掲示板でよく見掛けるタイプだ。“悪しきリベラリズム”を感じてならない。


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『巨匠が解く日本経済の難問』日本経済新聞社編(日経ビジネス人文庫、2003年)


巨匠が解く日本経済の難問 (日経ビジネス人文庫)


 日本が直面する難問と、経済学の流れを創った巨匠が格闘した問題には多くの共通点がある――「需要創造と構造改革」「不況対策と技術革新」「個人の能力と賃金」など今の日本の学者が現状打破のヒントを抜き出し、平易に解説。“喰わず嫌い”にこそ最適な経済学入門書。

『天才スマリヤンのパラドックス人生 ゲーデルもピアノもマジックもチェスもジョークも』レイモンド・スマリヤン/高橋昌一郎訳(講談社、2004年)


天才スマリヤンのパラドックス人生 ゲーデルもピアノもマジックもチェスもジョークも


 哲学者・論理学者・数学者・音楽家・手品師・ユーモア作家 そしてパズル作家の融合した唯一の人物が語る笑える自伝。脳を刺激する論理パズル33問付き。


 男の一人が、私に尋ねた。「あなたの絶対音感の感覚はどのくらい正確なんですか?」。奇妙なことに、なぜか私には彼の質問がよく聞こえなかった。それで、彼は再び少し大きな声で繰り返した。「私は、あなたの絶対音感の感覚が、どのくらい正確なのかを伺ったのですが?」。マーヴィンが振り返って言った。「君たちに言うのを忘れていた。彼は耳は遠いんだよ!」【本書より】

50万ヒット


 本日達成。駄文を読んで下さる物好きな皆さんに感謝(笑)。

オシムが背負う十字架/『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦


 スポーツ選手や職人の言葉が胸を打つのは、思考に身体性が伴っているためであろう。そう。人生とは“行為”なのだ。時に学者の言葉が軽く感じられるのは、私の人生とは無縁な能書きに過ぎないからだ。


 イビツァ・オシム。身長191cmの偉容。猫背なのは知性が重すぎる証拠か。表情にはどこか憂愁がつきまとっている。しかし眼光は鋭い。そして彼が発する言葉には賢者の響きがある。


 オシムユーゴスラビア(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエヴォで生まれた。この国の複雑な歴史と運命が、オシムの人格に深い影響を及ぼしている。サッカーですら政治とは無縁でいられなかった。


 祖国で紛争が起こるサラエヴォは包囲された(1992年)。妻と長女がサラエヴォにいた。オシムと長男は戻れなくなっていた――


 オシムは内戦時に自分がサラエボにいなかったことを、強烈な負い目として感じている。心から愛して止まなかった故郷で人が殺されている時、別の場所にいたことを「一生かかっても消えない自分にとっての障害(ハンディキャップ)だ」とまで言い切る。公務、つまり代表監督として包囲される前にたまたまベオにいたこと、帰ろうにも戻れなかったことは、彼の中では言い訳にならない。死んだのは撃たれた者だけではない。隣人が殺し合う惨い状況に絶望して、自らを手にかけた自殺者の数がいかに多いことか。絶望、そう、皮肉なことに理想郷だったサラエボを知る者だけが、感じられる感情。ベオにいた代表監督も間違いなくその淵をのぞいていた。


【『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦〈きむら・ゆきひこ〉(集英社インターナショナル、2005年/集英社文庫、2008年)】


 ユーゴ代表チームにはセルビア人、クロアチア人、アルバニア人がいた。紛争が始まるや否や、チームメイトは敵国の人間となった。ジャーナリズムは国威発揚を隠そうともせず、好き勝手なサッカー記事を綴った。


 そんな中でオシムはチームを牽引し、国家をも牽引した。サッカーの世界に人種は関係がなかった。


 ユーゴスラビア紛争終結後もわだかまりの残る旧ユーゴスラビア構成諸国家内各民族の間で、今なおどの民族からも尊敬を集め得る人物の一人であるといわれている。これは数々の困難を乗り越えてユーゴスラビア代表に栄光をもたらした功績によるものである。


Wikipedia


 崇高な責任感と高貴な正義感が、オシムに十字架を背負わせた。監督としての務めは果たしていたが、同胞が経験した地獄に居合わせなかった。オシムはサッカーチームの監督である前に一人の民であった。


 ここにおいてオシムの発想が逆転していることに気づくのだ。凡人であれば、サラエヴォから脱出していたことを僥倖(ぎょうこう)と感じたことだろう。もしも、ユーゴスラビアの政治家にオシムほどの責任感があれば、紛争は間違いなく回避できたはずだ。


 サラエヴォは人種と宗教の坩堝(るつぼ)である。オシムは言う――「バルカン半島の人間はアイディアを持ち合わせてないと生きてゆけない。今日は生きれた。でも明日何が起きるかわからない。バルカン半島では、問題解決のためのアイディアがないと生きてゆけないのだ」と(※本書に掲載されているのだが入力していなかったため、「チャンネルアジア」より借用)。


 オシムが語る「アイディア」とは、傷ついた者が生き延びようとする強靭な意志から生まれる智慧なのだ。乾いたユーモア、絶望を達観するニヒリズム、聞き手が考えざるを得ない言葉の数々……。私にはオシムの姿がブッダと重なって見える。

オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える オシムの言葉 (集英社文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)