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2009-07-26

暴力が破壊するもの 1/「黒い警官」ユースフ・イドリース(『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20 中国・アジア・アフリカ』所収)


 暴力を振るう側と振るわれる側との関係、暴力の様相、暴力の意味、暴力の影響、そして暴力の成れの果て……。この小説の主人公は暴力である。


 広河隆一著『パレスチナ 新版』(岩波新書、2002年)で、ガッサーン・カナファーニー岡真理を知った。そして、岡真理からユースフ・イドリース(エジプト)に辿り着いた。


 中東は暴力にさらされている。まず西側諸国からの暴力、次に軍隊や警察からの暴力、そして性差という暴力。圧力が掛かるほど反発する力は強くなる。抑えても抑えきれない何かが弾けた時、暴力の大地から文学という間欠泉が噴き出した。


 この小説の主要人物は3人である。語り手であり観察者でもある「私」と、「私」の同僚シャウキー、そして病人のアッバースだ。まずはシャウキーから紹介しよう――


 そうだ! 私はシャウキーに注意を向け始めたのだ。最初に気付いたのは、彼の眼差(まなざ)しには以前にはなかったものが備わっているという点だった。かつて、彼の目には常に輝きがあり、彼の相貌(そうぼう)には独特の魅力があった。自ずと光を放つに至る真実を信奉する者の魅力が。彼の相貌は内的な光によって、辺りを照らすという風情だった。彼の目にはしっかり焦点を結んだ光があり、周囲の世界に、何かを信じきった者の心を映し出していた。その輝きが今は失せてしまっていた。それはあたかも、根絶させられてしまったかのようであった。生きているものすべてにとってその証(あかし)となる目の光さえも、彼の目には残っていなかった。私は彼の目を覗(のぞ)き込むたびに、自分にはそれが何であるのか理解し得ず、不安に投げ込まれるある奇妙な感情に襲われるのだった。そしてついに、その感情が何であるのかを私が知ることができるのは、何年も後の、しかも予想だにし得ない、ある時と場所においてのみ可能になることを知るに至ったのだ。


【「黒い警官」ユースフ・イドリース/奴田原睦明〈ぬたはら・のぶあき〉訳(『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20 中国・アジア・アフリカ』1991年、所収)以下同】


 シャウキーは変わった。変わり果てていた。素行にも問題があった。シャウキーが出入りした部屋からは必ず何かが無くなっていた。シャウキーは文字通り生ける屍(しかばね)のようであった。同僚の多くが彼を疎(うと)んでいたにもかかわらず、「私」はシャウキーを観察し続ける。シャウキーが変貌せざるを得なくなった“秘密”を知るために。


 だが、現実は由々しく重大な何かが生起したことを私に確信させた。私はシャウキーを見、彼と彼の性向に目を凝らした。すると私は彼が傷を負っていることを感じ取った。胸や頭に受けた小さな傷ではない。それは彼の性向の頭の天辺から足の爪(つめ)の先にまで至る傷なのだ。私の前にいるのはシャウキーではない。それはその傷を受けた後にとり残された大きな傷痕(きずあと)なのだ。


「傷痕」とは「裂け目」である。それはかつて「穴」として存在したものだ。穴は消失したものの、裂け目は決して一つに戻っていない状態が「傷痕」である。シャウキーは「引き裂かれた状態」にあった。


 物語の後半で「私」の疑問は一気に解消する。シャウキーは「黒い警官」から拷問されていたのだ。「黒い警官」はサディストだった。殴打は朝から夕方まで続いた。拳(こぶし)で、鞭で、棍棒で……。殴り返す自由を奪われた人間が、ひたすら殴打にさらされた時、人間は部分的に死んでゆく。それも確実に。


 この作品は実話に基づいている。暴力が破壊するものは一体何か。そして、暴力という作用が振るう者と振るわれる者との間で、時を経ながらどのように反響してゆくのか。人間が人間らしさを放棄した後に何が残るのか。こうしたことを劇的に描き出している。


 過去40年間にわたって様々な小説を読んできたが、文句なしの最高傑作だ。

中国・アジア・アフリカ/集英社ギャラリー「世界の文学」〈20〉

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