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2009-08-13

貨幣経済が環境を破壊する/『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳、グループ現代

 お金は不思議な存在だ。お金は本来であれば単なる約束事に過ぎない。ところが等価交換の物差しが、いつしか目的と化してしまっている。「金に物を言わせる」という表現があるように、お金は雄弁だ。そして言葉の如く流通する。


 お金の意味を我々は知っているようで知らない。学校で教わることもなかった。お金に関する何冊かの本を読んできたが、疑問は膨らむ一方だった。しかし、本書を読んで私の蒙(もう)は啓(ひら)かれた。貨幣の欺瞞、信用創造のインチキを本書は十全に暴いている。


 唯一の難点は、ミヒャエル・エンデの言葉にキリスト教的な臭みがあることだ。謙遜が慇懃無礼(いんぎんぶれい)のレベルに達している。ま、死者はいつだって美化されるということか。


 重要な内容を鑑み、何度かに分けて書く予定である。


 まずは、「貨幣経済が環境を破壊する」事実を示す――


「紙幣発行が何をもたらしたのか? 一つの実例が、ビンスヴァンガーの著書に出ています。たしかロシアのバイカル湖だったと思いますが、その湖畔の人々は紙幣がその地方に導入されるまではよい生活を送っていたというのです。日により漁の成果は異なるものの、魚を採り(ママ)自宅や近所の人々の食卓に供していました。毎日売れるだけの量を採っていたのです。それが今日ではバイカル湖の、いわば最後の一匹まで採り尽くされてしまいました。どうしてそうなったかというと、ある日、紙幣が導入されたからです。それといっしょに銀行のローンもやってきて、漁師たちは、むろんローンでもっと大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を採用しました。冷凍倉庫が建てられ、採った魚はもっと遠くまで運搬できるようになりました。そのために対岸の漁師たちも競って、さらに大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を使い、魚を早く、たくさん採ることに努めたのです。ローンを利子つきで返すためだけでも、そうせざるをえませんでした。そのため、今日では湖に魚がいなくなりました。競争に勝つためには、相手より、より早く、より多く魚を採らなくてはなりません。しかし、湖は誰のものでもありませんから、魚が一匹もいなくなっても、誰も責任を感じません。これは一例に過ぎませんが、近代経済、なかでも貨幣経済が自然資源と調和していないことがわかります」


【『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳〈かわむら・あつのり〉、グループ現代(NHK出版、2000年)】


 これは、アーロン・ブラウンの主張と全く同じである。

 ブラウンが結論を人間不信に着地させたのに対し、エンデは環境破壊に結びつけている。


 貨幣経済は、将来の価値を先取りするために現在の環境を踏みにじる。人間は未来に生きる動物といえる。そして「未来=蓄え」を意味する時、人は現在を犠牲にする。


 ここで行われていることは「未来を先取りする競争」である。つまり、貯蓄を可能にした貨幣経済は、「未来を奪い合う」社会を招来する結果となる。しかもこの未来は、人類全体のものではない。ということは、「エゴの競争」である。


 エゴイズムは限りなく肥大する。肥大したエゴイズムを地球環境は支えることができない。「自分さえよければ」という生き方が、湖の魚を獲り尽くしてしまった。人間の未来が魚の未来を奪ったのだ。共存の崩壊。


 お金は未来である。とすると、蓄えられたお金は意志を持つようになる。エゴ未来は人間を、畜生道の下の餓鬼道に引き摺り込む。ここにおいて人間は動物以下の存在と化す。


 お金はエゴイズムに火を点ける。お金を持っている人は確かに幸せだ。だが、お金から離れられる人はもっと幸せではなかろうか。


 欲望は否定されるものではなくして、コントロールされるべきものである。「少欲知足の経済」を実現しなければ、地球の寿命は短くなる一方だ。

エンデの遺言 ―根源からお金を問うこと (講談社プラスアルファ文庫)

『ある神経病者の回想録』ダニエル・パウル・シュレーバー/渡辺哲夫訳(筑摩書房、1990年)


ある神経病者の回想録


 前世紀末の一知識人が書き残した精神病者の内的世界。フロイトが分析し、カネッティが霊感をうけ、ラカンの精神病論の基礎となった古典的ドキュメント。本邦初訳。

ダウド・ハリ、渡辺哲夫


 1冊挫折、1冊読了。


 挫折47『ダルフールの通訳 ジェノサイドの目撃者』ダウド・ハリ/山内あゆ子訳(ランダムハウス講談社、2008年)/スーダンダルフール紛争を私は知らなかった。アフリカ大陸はヨ欧州列強の植民地化によってズタズタにされてきた歴史があるが、これはアラブ系によるアフリカ人虐殺だ。イスラエルの非道ぶりを知ると、私は弱者としてのアラブ側(=パレスチナ)に同情、共感せざるを得ないが、所が変わると我が憎悪はアラブ人に対して向けられることになりそうだ。期待していたのだが50ページで挫ける。文化の違いかもしれないが、ラクダが砂漠を歩き回るように脈絡もなく内容が飛ぶ。この飛躍についてゆけなかった。少年時代の記述も余計である。ソフトカバーで1800円は高すぎる。


 97冊目『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫(筑摩書房、1991年/ちくま学芸文庫、2002年)/これは面白かった。読むにはそこそこの覚悟が必要だ。現実が半音ズレるような感覚に捉われる。著者は真面目で気が弱いタイプと見受けた。6人の重篤な精神分裂病患者が発する言葉を、論理ではなくして情緒で読み解く作業が行われている。渡辺哲夫は最終的に「土着的な言霊信仰」に結びつけているが、宗教的、あるいは哲学的アプローチというよりは、文学的であり歴史的である。社会が拒絶し、隔離された患者を人間的に受け容れようと格闘している。受容という地平の向こう側に、患者達の新しい表情が浮かんでくる。読んでいくうちに、彼等の思考が何となく「失敗した悟り」「神の早過ぎた登場」と思えてくるから不思議だ。しかし渡辺がどんなに頑張ってみせたところで、彼等の世界観が共感を得られることはないだろう。患者等のネオ=ロゴスは下手な実験小説よりもはるかに強烈だ。