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2009-09-30

姦通罪に石打ち刑、スマトラ島で条例可決


ジャカルタ】インドネシア・スマトラ島のナングロアチェ・ダルサラム州で、既婚者が配偶者以外と性交渉を持つ姦通(かんつう)罪の罰則に、死ぬまで石を投げつける「石打ち刑」を適用する条例案が可決された。

 条例は14日に州議会を通過し30日以内に施行される予定だが、人権団体などは、刑は非人道的と強く非難している。

 敬虔(けいけん)なイスラム教徒が多い同州では、2002年施行の特別自治法でイスラム法(シャリーア)が導入された。その後は、女性が頭を覆うことや断食、礼拝などが義務づけられたほか、賭博などの行為に対するむち打ち刑も実施されている。

 州議会は今回、浮気に対する石打ち刑のほか、未婚者が性交渉を持った場合に「むち打ち100回」の刑を科すなど、性行為に関する罰則を新たに定めた。

 独立監視機関「国家人権委員会」のアルミウラン報道官は、「拷問を禁じた憲法にも抵触する重大な人権侵害だ」と述べ、中央政府に条例施行阻止に向けた介入を求める方針を示した。


【読売新聞 2009-09-17】

表現欲求/『相談しがいのある人になる 1時間で相手を勇気づける方法』下園壮太


陸上自衛隊初の心理幹部」という肩書が気になって読んでみた。なるほど、実践に強そうな人だ。カウンセリングは一歩間違うと、理論の迷宮に入り込んでどんどんクライアントから離れてゆく傾向がある。


 ハウツーものっぽい内容だが決して侮れない。私はどちらかというと、相談を持ち掛けられることが多く、カウンセラー的資質のある方だが、頷かされるところが多かった。


 人はなぜ相談するのか。苦しいと声を上げるのはどうしてか――


 さてそんな原始人の一人が、あるピンチに陥ったとしましょう。怪我をしたか、お腹が痛くなったか、ヘビに噛まれたか、熊に襲われそうになったか……。そんなとき、仲間に助けを求めます。おそらく、大きい声で叫んだり、泣いてみたりしたでしょう。声も出ないときは、絵を描いて苦しさを伝えたかもしれません。いずれにしても自分の苦しさを表現できれば、仲間から助けてもらえるチャンスがあるのです。

 つまり、人にはピンチになったら自分の苦しさを表現したいという欲求が組み込まれているのです。これを私は「表現欲求」と呼んでいます。


【『相談しがいのある人になる 1時間で相手を勇気づける方法』下園壮太〈しもぞの・そうた〉(講談社、2008年)】


 学術的な根拠は示されていないが、鋭い想像力を窺わせる。悩みを打ち明けたくなるのは「表現欲求」の表れだった。


 文化の継承が口伝えで行われていた時代――つまり本のない時代だ――は、古老などの中心人物に相談していたのだろう。何といっても人生の経験が豊富だ。で、極端に敏感な女性が呪術の道を切り拓いたのだろう。卑弥呼よ、お前もか――。


 表現欲求は、それを正しく受け止めてくれる人がいなければ満たされない。傾聴的態度が求められる。カウンセリング理論の大半は「聴く技術」ともいえる。


 本書で紹介されている技術は簡単なものである。しかしながら簡単だから身につくかといえば、そうは問屋が卸さない。強い自覚を持って、日常生活のやり取りの中でロールプレイングを繰り返す作業が必要だ。


 相談が寄せられる人に求められる資質は、「共感力」とでもいうべき感受性に尽きる。言葉による情報から、相手の苦悩をそのまま自分の心で感じ取る営みを仏教では「同苦」と呼ぶ。

相談しがいのある人になる 1時間で相手を勇気づける方法 (こころライブラリー)

2009-09-29

「MY自転車」松山千春


 自転車に乗っていると、必ず口を衝いて出てくる歌。


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松山千春 スーパー・ベスト・コレクション

教会は女を恐れた/『性愛術の本 房中術と秘密のヨーガ』


 たまにはこんな本を読むのもいい。いつも同じ思考回路を使っていると、脳味噌が凝り固まってしまう。興味本位で気ままにページをめくれば、脳のリラクゼーションにもなるというものだ。


 性愛術というと、エッチな妄想を逞しくする男性諸君が多いことと思う。だが、そんな低いレベルの世界ではない。身体性や皮膚感覚、呼吸法からエネルギー循環までカバーされた奥深い世界なのだよ。そして、性愛術の歴史は人類の別な顔に光を当てる。


 性の反対に位置するものは信仰であろう。キリスト教を中心とする宗教は、性を抑圧してきた歴史を持っている――


 魔女狩り当時の西欧には「女は信仰も、法も、恐れも持たない、節操のない不完全な動物」という諺(ことわざ)があった。文化史家のパウル・フリッシャウアーは、「女も人間なのか?」という問いが、中世のキリスト教世界における宗論のテーマのひとつだったといい、「女性は、『呪われた性』で、その『不埒(ふらち)な使命』は人間を堕落させることだ、と考えられていた」と指摘している(『世界風俗史』)。

 アダムをそそのかし人類を堕落させたイブの子孫は、教会にとっては古代から一貫して「呪われた存在」だった。しかし、教会が女を呪ったほんとうの理由は、神話にあったのではない。新たな生命を生み出すという“魔術的な力”は、女という性以外は所持していなかった。そこで、はるか古代の母権制の時代には、宗教も魔術も女が担(にな)った。

 この“母の宗教”を滅ぼし、反自然的な“父の宗教”を確立するために、教会は女を否定し、セックスを否定し、母権制時代から続くカニバリズム――先にも述べたように、食われた者は女を通して再生する――を否定した。要するに、女にまつわるいっさいを不浄(ふじょう)なもの、罪深いものとして、封印しようとしたのである。


【『性愛術の本 房中術と秘密のヨーガ』(学研ブックス・エストリカ、2006年)】


「女は不浄だ」――この考えは男の弱さを露呈したものだ。女性を貶(おとし)めることで男性の優位を示したのだろう。南の島々に多分こうした考え方は存在しないことと思う。寒いヨーロッパの湿気(しけ)た考え方だわな。イエスはこんなことは説かなかったはずだ。


 マリアの処女性というのも根は同じだ。ヨーロッパの連中って、よっぽど神経質なんだろうね。あと100年くらい経ったら、「卵子も穢(けが)れている」と言い出しかねない。


 違いを強調し、拡大し、固定化させる論理は、おしなべて差別主義的な匂いがする。こうした考え方が文化となって継承され、歴史が育まれてゆく。


「男女は平等であるべきだ」と考えている私ですら、「女子供は引っ込んでろ」とか「ったく女ってえのあ、どうしようもないな」と日常的に言っているのだ。正確に言うならば、私は良識的なマチズモに該当する。「男は度胸、女は愛嬌」という言葉は真理であると思う。

性愛術の本―房中術と秘密のヨーガ (NEW SIGHT MOOK―Books Esoterica)

2009-09-28

ヒトラーに抗議したドイツの学生達/『「白バラ」尋問調書 『白バラの祈り』資料集』フレート・ブライナースドルファー編


 映画『白バラの祈り』の資料集。映画のためのタイアップ作品ではなくして、映画制作の過程で調査された内容を元にして新たな解釈を試みる労作である。白バラ入門としては相応しいものではない。それにしても、未來社の活字は読みにくい。講談社文庫よりもダメだな。


 ゲーテはドイツ人をユダヤ人やギリシャ人と同様に悲劇の民と呼んでいるが、今やドイツ人はあたかも浅薄で意思を持たない追従者の群れのようだ。内面の奥底から骨の髄まで吸い取られ、自分自身の核となるものを奪われて、甘んじて破滅へと追い立てられゆく群れだ。見かけはそうだが、実は違う。実は、偽りの姿をとってゆっくりと忍び寄る組織的な暴力に無理強いされ、一人一人が精神の独房に閉じ込められてしまった。そして、そこに縛り上げられて横たわった時初めて、おのれの身の破滅に気づいたのだ。(※白バラのビラI)


【『「白バラ」尋問調書 『白バラの祈り』資料集』フレート・ブライナースドルファー編/石田勇治、田中美由紀訳(未來社、2007年)】


 ショル兄妹は若かった。若いがゆえに清らかであった。若いがゆえに拙かった。彼等はきっと焦ったのだろう。逮捕された経緯や、自宅に証拠物件を残していた事実から、そう思わざるを得ない。


 白バラのメンバーはギロチンの露と消えた。ドイツには白バラがいた。戦時中、我が国の学生はどのように振る舞ったのであろうか。青年はいつの時代も抵抗の象徴ではあるが、時代が悪に加担する時、激烈の度を増す。


 彼等はヒトラーに抗議した。そして、ヒトラーを支持する国民をも弾劾した。彼等の英知は「偽りの姿をとってゆっくりと忍び寄る組織的な暴力」を見抜いていた。


 暴走する国家にブレーキを掛けようと試みた学生達の姿は、ドイツの底力を示してあまりある。

「白バラ」尋問調書―『白バラの祈り』資料集

2009-09-27

『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』長倉洋海(徳間書店、1998年)


鳥のように、川のように―森の哲人アユトンとの旅


 アユトンの体には美しき森の記憶がある。長倉洋海がそれを「詩」として「知」として見事に結像させた。二人の旅は、いわば、人の記憶の宝さがし。かけがえのない言葉と風景に、魂が洗われた。静かに、深く得心した。

本地垂迹説/『鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮』戸頃重基


 仏教の伝来に対する、氏神信仰からの激しい抵抗の結果、仏教の側では、一種の妥協と譲歩を余儀なくされた。インドの仏が、衆生(しゅじょう)を済度するために、神の姿でわが国に現れたとする本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)こそ、仏教の神道に対する妥協の産物、つまり神仏習合思想の現われにほかならなかった。鎌倉時代になってからも、氏神信仰はさかんであり、ことに宮中では、神事が仏事に優先していた。


【『鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮』戸頃重基〈ところ・しげもと〉(中公新書、1967年)】


 ブッダが三世にわたる因果を説いたのも「妥協の産物」といえよう。では、何のための妥協であったのか? それは理論的なものではなくして、リアリズムに立脚した衆生済度(しゅじょうさいど)のためであった、と私は考える。戸頃の見方はやや政治的視点に傾きすぎている。

鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮

「治療不可」レインボー


 私が18歳の時に出たアルバム。シングルカットされた「アイ・サレンダー」が大ヒット。驚くべきことに、私はこの曲で初めて第九の「歓喜の歌」を知った。プログレッシブ・ロックの余韻はこの辺りまでか。動画はブルージーなアレンジとなっている。今観ると、リッチー・ブラックモアも若いねえ。気が短い人は4分過ぎから視聴するといい。


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アイ・サレンダー

2009-09-26

「Tomorrow」Annie The Musical


 初めて聴いたのは私が19歳の頃。初演から30年以上も経っている。


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Annie (Original 1982 Motion Picture Soundtrack) アニー オリジナル・ブロードウェイ・キャスト

(※左は輸入盤)

2009-09-25

波紋呼ぶ中国製タイヤ輸入制限


 オバマ米大統領による中国製タイヤに対する特別セーフガード(緊急輸入制限)の発動が波紋を広げている。ピッツバーグ24、25の両日開かれる主要20カ国・地域(G20)サミット(首脳会議)では、経済危機の脱却に不可欠な世界貿易の促進が協議される。その直前に、中国との通商摩擦を激化させ、世界の保護主義的な空気をあおりかねないリスクをあえて冒す形になった。

 中国製の安価なタイヤの輸入急増が国内の雇用に打撃を与えているとして、すべての中国製タイヤを対象にオバマ大統領が3年間で最大35%の上乗せ関税の実施を発表したのは、今月11日夜。中国側は世界貿易機関(WTO)提訴や米国製自動車部品などへの報復措置を検討すると表明した。

 オバマ大統領は14日の演説で「米国は自滅的な保護主義に進むつもりはない」と説明。この対中セーフガードは、中国のWTO加盟承認をめぐる米中交渉の結果、中国以外の加盟国に認められた条項だ。

 中国製タイヤの米市場のシェアは04年の5%から昨年17%に上昇。主に60ドル前後の低価格で量販店などで売られている。

 タイヤメーカーの労組が加盟する全米鉄鋼労働組合(USW)が今年4月、特別セーフガードの発動を求め、米国際貿易委員会(ITC)に提訴。ただ、当のタイヤ産業は発動に反対してきた。米紙ウォールストリート・ジャーナルによると、グッドイヤータイヤなど国内主要メーカーは、中国で生産したタイヤを米国で販売。上乗せ関税の実施で値上がりは必至だが、国内では中国製に価格で対抗できるタイヤの生産は無理だ。ブラジルなど他の新興国からの輸入にシフトし、新たな国内雇用を生み出す可能性は少ない。

 それでも、大統領が踏み切ったのは「支持基盤でもある労組への政治的な配慮」とアナリストは指摘している。大統領は、発動から4日後の15日、鉄鋼労組が加盟する米労働総同盟・産業別組合会議(AFL−CIO)の年次大会で演説し、改革断行の決意を訴えている。

 リスクは未知数だ。「米中摩擦がエスカレートするという認識が広がるのは避けられない。しかも、(G20の直前という)都合の悪い時期に発動された」と国際経済研究所(IIE)のサブラマニアン上級研究員は批判。米国は財政資金の調達を中国に依存しており、債券市場では、中国が米国債購入を控えるという懸念まで一時広がった。

 対中セーフガードは「オバマ氏の自由貿易への約束に重大な疑いを引き起こしている」(英誌エコノミスト)のは確かだ。

 全米鉄鋼労組の本拠地でもあるピッツバーグのG20で、世界経済の持続的な回復に欠かせない貿易促進は重要なテーマ。ブッシュ前大統領のサミット個人代表(シェルパ)を務めたダニエル・プライス氏は「議長としてオバマ氏は自由貿易をめぐる自らの行動に説明責任がある」と語る。


産経ニュース 2009年9月18日

中国国有企業はデリバティブ契約の一方的破棄可能と報道、外銀間に動揺


 中国国有企業が外資系金融機関との商品関連デリバティブ契約の一方的な破棄を容認される可能性があるとの報道を受け、金融機関に憤慨と動揺が広がっている。

 中国誌の財経が29日、業界関係筋の話として報じたところによると、国有企業を規制する国務院国有資産監督管理委員会(SASAC)が外資系金融機関6社に対し、国有企業はデリバティブ契約のデフォルトの権利を留保している、と伝えた。SASACの広報担当官は、「関連当局」による公式コメントを待っているところだ、と述べた。

 今回の事態は、中国での一層多くのデリバティブ・ヘッジの取引を望む投資銀行に打撃となる。シンガポールにある外資系金融機関シンガポールのマーケティング担当幹部は「もし、われわれが書簡を受け取った銀行であれば、ひどく憤慨しているであろう。今、重要なのは、いかなる組織が書簡を送ったのか、いかなる理由のデフォルトなのか詳細を知ることだ」とし、「政府が発行した書簡であれば、非常にネガティブな影響をもたらすだろう」と語った。

 JPモルガン・チェース(JPM.N: 株価, 企業情報, レポート)やモルガン・スタンレー(MS.N: 株価, 企業情報, レポート)の商品関連デリバティブ・マーケティングの関係者はコメントを拒否した。

 シンガポールの関係筋によると、少なくとも中国国際航空(601111.SS: 株価, 企業情報, レポート)(0753.HK: 株価, 企業情報, レポート)、中国東方航空(600115.SS: 株価, 企業情報, レポート)、中国遠洋(チャイナCOSCO)(1919.HK: 株価, 企業情報, レポート)(601919.SS: 株価, 企業情報, レポート)の3社が銀行に書簡を送っている。これらは昨年末以降にデリバティブで巨額の損失を被った中国国有企業の一角。関係筋は、各社の書簡はすべて同一の形式と聞いている、と述べた。

 別の銀行筋は「当局により再交渉を奨励されているのは一握りの企業だ。非常識だが中国のことであり、誰もが慎重に取り扱っている」と語った。

 財経は特定の銀行に言及していない。SASACの報道官も、銀行の特定を拒否した。


ロイター 2009年8月31日

2009-09-24

池上彰、大谷彰


 2冊挫折。


 挫折74『そうだったのか! 現代史池上彰〈いけがみ・あきら〉(ホーム社、2000年)/30ページあまりで中止。これは改訂された集英社文庫版を読むべきだと気づいた。パート2も既に文庫化されている。


 挫折75『カウンセリングテクニック入門』大谷彰(二瓶社、2004年)/パラパラとめくって断念した。横書きで教科書的な内容である。150ページ余りでこの値段は高い。無味乾燥な文章で興味が掻き立てられなかった。

2009-09-23

アメリカの反テロ戦争が金融崩壊を招いた/『ドンと来い! 大恐慌』藤井厳喜


 まるで「売れない演歌歌手」といったところだ。表紙も著者名も。若者相手の講義といった体裁をとっているため、言い回しが馴れ馴れしくなっている。「――なんだよな」みたいな。読みやすさを考えた戦略なんだろうが裏目に出ている。話し言葉と書き言葉の違いはそんな簡単なものではない。


 信じられないほど誤字が目立つが、国際経済を知る上で見事な教科書たり得る一冊となっている。意図的に保守を気取っているため、「シナ」という表記もあるが無視して宜しい。保守派というのはおしなべてデリカシーに欠けているものだ。そうでなければ保守など務まらない。


 藤井厳喜は、増田俊男と同じく力学的に経済を捉えている。これが実にわかりやすい。例えば、サブプライムショックに端を発した昨今の世界的な不況について、次のように指摘している――


 第四の要点。これは、他のどの恐慌本にも書いていないポイントだと思うけど、金融バブルの崩壊を起こした「引き金」は、実はアメリカの反テロ戦争だったということ。

 アメリカのブッシュ政権は、国際テロリズムの資金源を根絶やしにするために、国際的なアングラ・マネー(地価資金=違法資金)の撲滅を企てた。

 特にオフショア(海外)のタックス・ヘイヴン(※租税回避地)には大量の違法資金が集まって、これがニューヨークの金融市場に流入して、アメリカの金融バブルを支えているという側面があったんだね。

 ブッシュ政権としては、各国の協力を求めて、テロの資金源を断つためにやったことだったんだけど、これが思った以上に大きいマイナスのショックをアメリカ経済に与えてしまったというわけだ。

 違法資金というのは、麻薬や武器密輸や脱税で儲けたカネのこと。違法なカネを表に出して使えるようにするのを、マネー・ロンダリング資金洗浄)というが、通称このマネロンのために利用されるのが、オフショアのマネー・センター、その代表格がイギリス領のケイマン諸島で、ケイマンからニューヨークに流入していた資金は、約1.9兆ドル(1ドル90円として171兆円)の巨額に及んでいた。


【『ドンと来い! 大恐慌』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(ジョルダンブックス、2009年)】


 この大前提として、印刷し過ぎたドルを回収する目的でニューヨークの金融マーケットを高値に誘導したと分析。それにしても、よもやアングラ・マネーとはね。ま、政治家と暴力団に共通するのは「力の論理」が支配することか。


 マーケットの値段を決めるのはマネーの量である。資金量が増えれば値段は上がるし、減れば下がるというだけの話だ。「買える金」があれば、いくらでも相場は上がってゆく。


 藤井の指摘が正しければ、武器・弾薬、重火器、麻薬、覚醒剤、買春、児童売買、臓器売買、みかじめ料に至るまでドルで支払われていることになる。悪い奴等がドルを手にしていれば、相対的にドルの価値は下落する。あるいはドルの余剰。


 それにしても不思議なことだが、ダブついたマネーはどこに消えたのだろうか? 信用創造とレバレッジで膨らむだけ膨らませたお金はどこへ行ったのだ? マーケットは常にゼロサムゲームだ。誰かの儲けは、誰かの損失である。途中で消え失せることはあり得ない。とすると、儲けている連中はどこかにいるはずだ。あなたや私でないことだけはハッキリしている(笑)。


 もう一つ。アングラ・マネーが台頭しているということは、アングラな連中に対する需要が伸びている事実を示している。世界は無法化しつつある。でもまあ、無法者の代表選手がアメリカだからねえ。

ドンと来い!大恐慌 (ジョルダンブックス)

A・M・クラズナー


 1冊挫折。ここのところ選球眼が悪くなっている。


 挫折74『クラズナー博士のあなたにもできるヒプノセラピー 人生を「成功」に導くための「暗示」の作り方』A・M・クラズナー/小林加奈子訳(VOICE、1995年)/135ページで挫ける。専門性の高い技術的な内容になったので、これ以上は読む必要なしと判断した。半分だけでも読む価値あり。ヒプノセラピーとは催眠療法のこと。クラズナー博士は全米催眠療法学院を設立し、大学院レベルの資格取得にしたと紹介されている。カウンセリングの本にしても同様だが、この手の技術は読んで納得すれば身につくといったものではなく、ロールプレイングなどで繰り返し練習する必要があろう。具体的に有効なのは、「肯定的なメッセージの発信法」だ。それでも高度なことには違いがない。

才能と性格


 才能は静けさの中で作られ、

 性格は激流の中で作られる。(「タッソー」304-5行)


【『ゲーテ格言集』ゲーテ/高橋健二編訳(新潮文庫、1952年)】

ゲーテ格言集 (新潮文庫)

2009-09-22

川田隆一、秋山駿、出口光


 3冊挫折。


 挫折71『怒りの川田さん 全盲だから見えた日本のリアル』川田隆一〈かわだ・りゅういち〉(オクムラ出版、2006年)/いい本だとは思う。全盲の障害者が恐れることなく文句をぶちまけている。ところが不完全燃焼となっているのだ。多分、川田は心底怒っているのだろう。だが、それを赤裸々に綴ることは控えたに違いない。怒りが胸の内に蓄えられたため言葉が失速しているのだ。こうした葛藤によって結果的に「文句」で終わってしまっている。読んでいて気が滅入る。些末ではあるが救い難い差別意識がこの国には蔓延している。「善意のファシズム」と言い換えてもよかろう。敢えて書くが「弱者に対する態度」にその人の本質が現れるのだろう。それでも本書は、半分だけでも読む価値はある。160ページほどで挫ける。


 挫折72『内部の人間の犯罪 秋山駿評論集秋山駿〈あきやま・しゅん〉(講談社文芸文庫、2007年)/ちょっと歯が立たない。小松川女子学生殺人事件のところでギブアップ。45ページで挫ける。これはいつか再読する予定。


 挫折73『人の心が手に取るように見えてくる出口光〈でぐち・ひかる〉(中経出版、2007年)/著者は出口王仁三郎のひ孫に当たる人物。哲学博士だそうだ。amazonで評価が高かったので読んでみたが、単なる人間分類法に思えた。誠実そうな人柄だが、文章にキレがない。30ページで挫ける。特に抜き書きしたくなるような箇所もなかった。

2009-09-21

下園壮太


 1冊挫折。


 挫折60『目からウロコのカウンセリング革命 メッセージコントロールという発想』下園壮太〈しもぞの・そうた〉(日本評論社、2008年)/『相談しがいのある人になる 1時間で相手を勇気づける方法』よりもテクニカル面が強い。各章ごとで「つぼみたちへ」と題して、現役カウンセラーにアドバイスを施している。何という趣味の悪いタイトルだろう。下園は現場主義で理論よりも実践を重んじる傾向があるため、理論的な展開が拙い。やや、「結果オーライ」的な姿勢を感じてしまう。「本物の人物は必ず理論を生み出す」というのが私の持論だ。

2009-09-20

2009-09-19

「Let It Be」Carol Woods and Timothy T. Mitchum


 ミュージカル『アクロス・ザ・ユニバース』のサウンドトラック。黒いジャケットの方は1枚ものなので要注意。白い方が2枚組みだ。ゴスペル風のアレンジが素晴らしい。


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Across the Universe

2009-09-18

西水美恵子


 1冊読了。


 113冊目『国をつくるという仕事』西水美恵子〈にしみず・みえこ〉(英治出版、2009年)/これは凄いよ。世界銀行の副総裁を務めたオバサンによる手記。顔も性格もサザエさんにそっくりだ。だが、ただのオバサンではない。同行するスティグリッツをファーストネームで呼んでいる。政治家は本書を手に取って「権力の正しい使い方」を学ぶべきだ。西水の立派なところは、常に現地の貧しい家にホームステイをして、庶民の喘ぎ声に耳を傾けていることだ。中々できるものではない。民主党の新内閣に起用すればよかったのに。唯一の瑕疵(かし)は田坂広志による「解説」で、やたらと改行を多用したスピリチュアル系テキストにしか見えない。はっきり言って薄気味悪い。西水と山口絵理子が対談すれば面白いだろうな。

2009-09-17

羽田内閣を潰した小沢一郎

 なぜなら、現在の党リーダーである小沢氏と鳩山氏には、過去の政界編成時に少数政党との対応で誤りを犯した経験があるからである。とくに深刻だったのは小沢氏の場合で、1994年の院内会派更新時に日本社会党を排除したことによって、同党を羽田政権連立から離脱させてしまった。このため、自民党はその排除された社会党を抱き込み、村山首班の連立政権を作り出した。小沢氏は羽田内閣をみすみす潰す結果に導いたのである。


【「連立政権が意味するもの 民主党は少数党尊重の政治革新を」武藤功】

ロバート・B・パーカー


 1冊読了。


 112冊目『レイチェル・ウォレスを捜せロバート・B・パーカー菊池光〈きくち・みつ〉訳(ハヤカワ・ノヴェルズ、1981年/ハヤカワ文庫、1988年)/記憶力の衰えに感謝した。読むのは四度目だが何ひとつ覚えていなかった。それにしても、こんなに面白かったとは。ホークが登場しないことも全く覚えていなかった。レイチェル・ウォレスとホークの会話を聞いてみたいものだ。マチズモを体現するスペンサーがフェミニスト(レイチェル)の護衛を依頼される。この二人は主義主張が正反対であるにもかかわらず、似た者同士だ。ただ、レイチェルが理論武装しているのに対し、スペンサーは毒の強いウィットと皮肉で応戦する。若くて小生意気な警官フォリイが実にいい味を出している。

2009-09-16

虫けらみたいに殺されるパレスチナの人々/『「パレスチナが見たい」』森沢典子


 幼稚園の先生がパレスチナへ行った。彼女は9.11テロを見て、パレスチナ行きを決意する。というよりは、彼女の内部で何かが弾けて、そうせざるを得なくなった。運命か、宿命か、はたまた使命か。


 普通の人の普通の視線で普通に書かれている。読みやすい。その読みやすさがかえって読者に戦慄を覚えさせる。


 森沢はパレスチナへ入るや否や、あまりにも苛酷な現実を知る――


 その時には、戦車はすでに村の全域を占拠していました。イスラエル兵士はモスクに入り、スピーカーを使って、アラビア語で外に出てくるように叫びました。我々は武器や銃は使わないとも言いました。

 人々は外へ出ました。東から37台の戦車、10台の装甲車、3台のバスが入ってきているのが見えました。

 次の瞬間、そのすべてが砲撃を始めました。女、子ども、犬も山羊も撃たれました。

 息子のハリードは足を撃たれました。まだ生きていたので、私は助けにいこうとしました。

 けれども私の目の前で、戦車が彼を轢いていきました。頭や顔や胸はすべて潰れ、道には跡形も残りませんでした。彼を助けようとして出て行った者は、容赦なく撃たれていきました。


 私は泣き叫びました。それを止めようとして走ってきた親戚も、撃たれて死んでしまいました。


 ムハマードは20発も撃たれましたが、まだ息はありました。けれども誰一人、彼を助けることも病院に連れて行くこともできませんでした。村の入り口はイスラエル兵によって完全に封鎖され、救急車だろうと何であろうと入れなかったからです。

 たくさんの人がケガをしましたが、輸血のための血液が足りなかったので、みんな死んでしまいました。


 ただ殺されたのです。私たちは兵士でもなんでもありません。

 ただ来て殺したのです。殺して出ていったのです。捜査などありません。


 ガザ南部から来ていたパレスチナ警察の幹部もその夜殺されました。彼はここで何がおきたのか見に来ていたのです。そして足を撃たれ、やはり病院に運べずに死にました。救急活動ができないので、足を撃つだけでも十分殺すことができるのです。


【『「パレスチナが見たい」』森沢典子〈もりさわ・のりこ〉(TBSブリタニカ、2002年)】


 これは本書のクライマックスではなくイントロダクションである。そこには、「ただ殺される人々」を目の当たりにし、「ただ殺す人々」を黙って見つめる自分がいた。自我が崩壊する音が聞こえてくる。


 イスラエル兵がやっているのは「パレスチナ人の存在否定」だ。パレスチナ人は「最初からいなかった」ことにするのが彼等の至上命題だ。約束の地はユダヤ人のものだ。彼等こそは「神に選ばれた民」なのだ。ヤーウェ(=エホバ)はモーゼに応えて、「私は在りて在るものである」と語った。

 神は存在した。神の僕(しもべ)も存在した。その他大勢は虫けらみたいなものだ。神は天上に君臨し、地上のヒエラルキーを構成した。神との距離が善悪の物差しとなった。


「宗教は戦争の原因となる」――これは、ユダヤ教から派生したキリスト教とイスラム教に共通する土壌である。


 平和な世界を実現するには、「神を否定する」哲学が必要だ。「神は死んだ」というのであれば、それ以前は生きていたことになる。神は端(はな)っからいない。いるのであれば、連れてきなよ。伝えないといけないことが山ほどあるからさ。

パレスチナが見たい

「涙のバースデイ」ハウンドドッグ


 カラオケでよく歌うナンバー。ま、カラオケには10年くらい行ってないけどさ。


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ROCKS TO ROLL〜SPIRITUAL STORY OF HOUND DOG

2009-09-15

文字改革=情報空間の隠蔽


 どういうことかと言うと、中華人民共和国になってから略字を大幅にとり入れる文字改革が断行されましたよね。どの国でも文字改革というのは、前の歴史との連続性を切断するために行うんです。ですから、中華人民共和国で標準的な教育を受けている人間は、戦前の文献、古代の文献が読めないんですよ。

 ナチスのヒトラーも1930年代に文字改革してヒゲ文字のドイツ語をやめてしまった。これは19世紀と20世紀のドイツの高度な哲学的、思想的な遺産を労働者から切り離してしまうのが目的でした。同じように、ボルシェビキ以降のソ連・ロシアもやはり文字改革をして帝政時代の文字を読めなくしてしまった。新しい文字によって情報空間を隠蔽してしまうんですよ。これに逆らった者はみんな強制収容所に送られました。


【『国家の自縛』佐藤優産経新聞出版、2005年/扶桑社文庫、2010年)】

国家の自縛 国家の自縛 (扶桑社文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

日米経済摩擦に突入する危機:トヨタ


 米国は米国民の税金を使って広く世界中の国の自動車産業に貢献したものの、日本は自国の自動車だけに恩恵を与えているのは不公平貿易にあたるとして米国内で問題になりつつあり、今、米国は中国との貿易摩擦がぼっ発していますが、これが日本との貿易摩擦に発展するのは時間の問題かも知れません。

 特に、【トヨタ】は来年3月でGMとの合弁会社である《NUMMI》を清算するとしており、これは今米国内で「トヨタの勝ち逃げはさせない」としてUAWと議会の一部で日本攻撃の格好の材料になる可能性があります。


Nevada(金融危機特集) 2009-09-14

2009-09-14

「存在」という訳語/『翻訳語成立事情』柳父章


 この手の本はもっと軽い内容で書いてもらいたい、というのが私からのお願いだ。簡潔な文章だと尚いい。本書は言葉の文化的背景に迫っているため、やや重厚な雰囲気が漂い、読者を選ぶ格好になってしまっている。


 こうして考えると、私たちが西欧哲学の翻訳を、「存在」のような漢字二字の表現を中心に行なってきたのには、まことにもっともなわけがあった、と言わなければならない。

 この翻訳用日本語は、確かに便利であった。が、それを十分認めたうえで、この利点の反面を見逃してはならない、と私は考えるのである。つまり、翻訳に適した漢字中心の表現は、他方、学問・思想などの分野で、翻訳に適さないやまとことば伝来の日常語表現を置き去りにし、切り捨ててきた、ということである。そのために、たとえば日本の哲学は、私たちの日常に生きている意味を置き去りにし、切り捨ててきた。日常ふつうに生きている意味から、哲学などの学問を組み立ててこなかった、ということである。それは、まさしく、今から350年ほど前、ラテン語ではなくあえてフランス語で『方法序説』を書いたデカルトの試みの基本的態度と相反するのであり、さらに言えば、ソクラテス以来の西欧哲学の基本的態度と相反するのである。


【『翻訳語成立事情』柳父章〈やなぶ・あきら〉(岩波新書、1982年)】


 この辺りについては、石川九楊著『二重言語国家・日本』(NHKブックス、1999年)が詳しい。


 ここで柳父章は、「やまとことばを切り捨ててきたこと」と「西洋哲学の姿勢と相反すること」の是非は述べていない。ま、後から述べているかも知れないが、私はもう覚えていないのだ(笑)。


 漢語はまず表意文字であり、部首からもイメージを引き出す。このような派生的なイメージの喚起力によって、つかみどころを失ってしまう。意味が拡散するのだ。つまり、全体像の雰囲気をつかむのには適しているが、言葉に核がないわけである。


 西洋における「存在」とは、まず第一に「神の存在」が問われたことだろう。ニーチェが「死んだ」というまでは、きっと生きていたはずである。で、いるのかいないのかわからない神の存在を固く信じることによって、自分の存在があやふやになってしまうわけだ。ここにおいて、「いないはずの神」と「存在する自分」とが反転するのだ。


 神様なんかいないよ。もし、いたとしてもほとんど留守にしている。かつてルワンダシエラレオネにはいなかった。アフガニスタンにもいなかったし、もちろんパレスチナにもいない。神は不在だ。それとも、居留守だったとでもいうのか? あるいは長期出張、はたまた逃避行……。


 日本人にとって「存在」は自明のことだった。日本人が思い描く神は森羅万象に宿っていた。そう、アニミズム(精霊信仰)だ。つまり、「存在」するもの全てに神が宿り、神と存在とは一体化していたのだ。我々にとって「存在」とは「ただ在る」ことであって、思索の対象とはなり得ない。原始仏教においてもテーマとなっていたのは、「どう在るべきか」「いかに在るべきか」といった人生の振る舞いについてであった。


 ラテン語のアニマには「気息」という意味がある。多分、「生きる」とは「息する」が変化した語彙なのだろう。現在でも「生息」という言葉がある。


 結論――「存在」は息に現れる。今時と来たら、大きなため息や青息吐息ってのが多いね。

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

2009-09-13

『テレビは見てはいけない』苫米地英人(PHP新書、2009年9月16日)


テレビは見てはいけない (PHP新書)


 画期的な自己実現法で話題の希代の脳機能学者が初の新書を刊行! あなたの脳は知らぬ間に毒されている! 洗脳のプロフェッショナルが教える「だまされない生き方」とは? 日本人はなぜテレビに洗脳されるのか。CMに映し出される魅力的な商品、芸能人が着ている華麗なファッション、著名人が住んでいる高級マンション、有名店の豪勢な料理……それらはホントにあなたが欲しいモノですか? 幸福な生き方ですか? 「空気を読め」と画一的な価値観を強制してくる最強の洗脳装置を前に、知らぬ間に自分の心が書き換えられる原理とは。だれもが放送局になれる「キーホールTV」の開発・運営にも携わる著者が、日本のマスメディアの危険性と裏事情に鋭く斬り込む。奴隷解放の人生指南。

苫米地英人著『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』が文庫化


心の操縦術 (PHP文庫)


 真実のリーダーは、ビジネスやスポーツなどの分野を問わず、周りの人よりも高い視点から“情報空間”にアクセスしている――。これは言い換えると、優秀なリーダーとなるためには、その決定権に応じた広さの“情報空間”にアクセスできる能力を身につけなければならない、ということ。


 本書は、世界を股にかけて活躍する脳機能学の第一人者が、自らの脳と心を自在にコントロールし、他者を圧倒的な心理力で率いるための理論とトレーニング法を分かりやすく解説。


「リーダーが持つべき視点」「知識は必要です」「見ているのに見えないもの」「体で感じる情報空間」「『脳の入出力』増強法」「脳と言葉は進化する」「全員がリーダーとなる組織」など、長年の研究成果に裏打ちされた秘密のテクニックが明らかに!

アフガンの英雄アフマド・シャー・マスード/『マスードの戦い』長倉洋海


 この男の風貌は強い何かを私に訴えかけてくる。どうしようもなく惹きつけられる風情を湛(たた)えている。憂愁と知性とが均衡した表情でありながらもエレガントだ。旧ソ連軍が侵攻してきた時、この男は徹底抗戦し幾度となくソ連軍を退けてきた。「パンジシールの獅子」と呼ばれたこの男が、アフマド・シャー・マスードだ。


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 本書は、長年にわたってマスードと行動を共にしてきたカメラマンの長倉洋海が綴った評伝である。時々おかしな文章に出くわすが、マスードの人となりは十分伝わってくる。


 チェ・ゲバラは理想家だった。カストロは政治家だった。マスードは指導者だった。そしてアフガン北部同盟の英雄は、9.11テロ(2001年)の2日前に暗殺された。


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 マスードは民衆から愛されていた――


「マスードは政治的な能力をもっていて、すべてを良く知っている。そして人をいろいろ使い、統率力もある。わしはマスードが好きだ。国民の99パーセントもマスードが好きに違いない。よく働き、よく指揮をとり、寝ません。よく働く人はいるだろうけど、彼ほど頭を使う人はいないよ」(マスードのジープの運転手、ココ)

「8年前の最初の戦いで、山中をさ迷った時、私が病気になった。毛布もなくガタガタ震えている私を、マスードは両腕でかかえこみ、抱くようにして一晩中、看病してくれた。彼の素晴らしい個性――勇気、知力、謙譲心、統率力、やさしさ――は、神からの授かり物としか考えられない」(パンシール・スポークスマンのエンジニア・イサク)

「ソ連軍の攻撃下で、食物がなくラワシイ(ワラビに似た植物)や草を食べていた。エネルギーが尽きかけていた時、マスードが、5〜6人の戦士とやってきた。我々に食物がないのを知ると、彼の持っていた食物をすべて置いていった。それで我々は力を得て、また戦った。私は知っている。彼が勇敢で偉大な人であるということを。彼のような人は、アフガンの歴史の中でもう生まれないだろう。彼の能力が全アフガニスタンに広がればよいと思う」(マラスパの地区司令官、モスリム)

 町で会った人、村の兵士、老人、みながマスードを尊敬し愛しているようだ。


【『マスードの戦い』長倉洋海〈ながくら・ひろみ〉(河出文庫、1992年/『峡谷の獅子 司令官マスードとアフガンの戦士たち』朝日新聞社、1984年に一部加筆)以下同】


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 一読して直ぐに気づくことだが彼は実務家である。仕事が速い。相談に訪れる多くの人々に対しても、素早く的確にアドバイスをする。そして読書家でもあった。


 マスードは一方的に取材を受けるだけの人物ではなかった。長倉に対して次々と質問を浴びせる。好奇心というよりは、情報収集能力が高いのだろう。


 アンダローブでの仕事をみな終えて、気が楽になったのか、マスードの質問がまた始まる。

「東京の大きさは、人口は」

「都市の労働者の勤務時間は」

「税制は、遺産の相続は」

「どんな政党があるのか」

「日本のタンカーは大きいと聞いたが」

 と次から次へと彼の興味は尽きない。


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 時代が人を生むのか。あるいは人々の心が時代を動かすのか。これほどの人物が現れる背景を思わざるを得ない。


 マスードを失ったアフガンは今も尚、混迷の度合いを深めている。マスードの遺志を継承する者はいるだろう。だが果たして、マスードの思想を体現する人物がいるだろうか。


 偉大な人物は人類の教師である。しかしながら、その偉大さはキャラクターに負うところが大きい。そして、資質というものは学び得るものではない。だが、たとえ現実はそうであったとしても、時を経てマスードの生命と感応する青年が登場することだろう。

マスードの戦い (河出文庫)

2009-09-12

ジョージ・オーウェル


 1冊読了。


 111冊目『一九八四年ジョージ・オーウェル/高橋和久訳(ハヤカワ epi 文庫、2009年)/絶版となっていたが、村上某の新作に釣られて新訳で復刊。訳が違うと、こんなにもスラスラ読めるものかと驚く。あまりの面白さに舌なめずりしなが読んだ。トマス・ピンチョンの解説を読むまで、オーウェルの遺作だとは知らなかった。ウィンストン・スミスが象徴しているのは、青年が大人へと変貌する様にも思える。社会に組み込まれた途端、通らぬ正義の数が増える。賃金のため犠牲にするものが多くなる。喧嘩をしたところで、かなわない相手だらけだ。その意味で本書は、我々の日常をデフォルメした作品ともいえよう。暴力と自由の意味を改めて考えさせられる。政治とは暴力の亜種なのかもしれない。ビッグ・ブラザーは権力者か、はたまた神か。

アメロ=NAFTA(北米自由貿易圏=アメリカ・カナダ・メキシコ)共通通貨


 アメロが導入されるという事はどういう事か。アメロはNAFTA(北米自由貿易圏=アメリカ・カナダ・メキシコ)の共通通貨として誕生する。という事は、アメリカ・カナダ・メキシコという国家は経済的には消滅し、そこにEUに習った(ママ) Union of North America 北米連合国が誕生する事でもある。経済統合の後を追って、政治的統合も進んでいくであろう。北米連合が誕生する事により、旧ドルは廃棄され、借金大国アメリカも消滅する事になる。


【『ドンと来い! 大恐慌藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(ジョルダンブックス、2009年)】

ドンと来い!大恐慌 (ジョルダンブックス)

国連:新たな世界準備通貨の創設提言−為替相場管理で安定必要


 国連は7日発表した報告書で、新たな世界準備通貨を創設し、国際貿易でのドルの役割を軽減することで、新興国市場を金融の思惑的な「信頼感競争」から保護する必要があると提言した。

 ジュネーブに本部を置く国連貿易開発会議(UNCTAD)は報告書で、国連加盟国は新たに世界準備通貨銀行を創設し、同銀が通貨発行および加盟国が保有する通貨の為替水準を監視することに合意する必要があると呼び掛けた。

 米住宅ローン市場の崩壊をきっかけに金融危機が発生したことを受け、中国やインド、ブラジル、ロシアは今年、ドルに替わる主要準備通貨が必要だと訴えた。世界最大規模のドル準備を有する中国は、国際通貨基金IMF)のSDR(特別引き出し権)など超国家通貨が安定強化につながるだろうと主張している。

 報告書の共同執筆者で、UNCTADのディレクターであるハイナー・フラスベック氏は、ジュネーブからインタビューに応じ、「為替相場管理のための多国間合意に基づく枠組みで、より安定した為替水準を達成できる確率はかなり高い」との見方を示し、「ブレトン・ウッズ体制や欧州通貨制度(EMS)に相当する取り組みが必要だ」と述べた。


ブルームバーグ 2009-09-07

 世界の仕組みが変わりそうな予感を覚える。こういうニュースは「前振り」だ。

2009-09-11

固定相場制以前、固定相場制時代、変動相場制時代の主な出来事


固定相場制以前、固定相場制時代の主な出来事


【注】○=日本(円)、★=世界、※=欧州、△アジア


1800年代★1816年、英国で「金本位制度」が開始、1800年代を通じて世界各国で徐々に浸透
 ○1871年(明治4年)、1ドル=1円(純金1.5g)でスタート
 ※1873年(明治6年)、1ドル=4.20マルクでスタート
 ○1897年(明治30年)、円は2分の1に切り下げられ、1ドル=2円
1910年代★1914年の第1次世界大戦開始を機に、各国が「金本位制度」を停止(1917〜1925年)
1920年代○1923年(大正12年)、関東大震災による超インフレから1ドル=2.6円まで円安が進行
 ★ドイツでも超インフレから1ドル=4.2兆マルクまでマルク安が進行→その後1兆分の1のデノミを行い1ドル=4.2マルクとなった。
 ★「金本位制度」が一時的に復帰(1925〜1931年)
1930年代★NY株式大暴落(1929年)を機に各国が金本位制から管理相場制へ移行(1931年)
 ○満州事変(1931年)や第2次世界大戦勃発(1939年)等から1ドル=4.25円までの円安
1940年代★太平洋戦争勃発(1941年)以降、ほとんどの通貨で「無為替状態に
 ★1944年、ブレトンウッズ(米)において「ブレトンウッズ協定」を締結。◎米ドル・英ポンドをリザーブ通貨とする、◎為替安定のため各通貨を対ドルで±1%(対ドル以外は相互に±2%以内)に固定、◎金の価値を対ドルで1オンス=35ドルに固定、◎国際通貨基金IMF)、世界銀行を創設
 ★その後も無為替状態が続く(軍用交換相場が中心)
 1949年(昭和24年)、1ドル=360円(1ドル=4.20マルク)の固定相場制が開始、その後、約20年にわたって固定相場が維持された
1950年代※1957年(昭和32年)、ローマ条約が批准され、ECのもととなるEEC(1958年)が発足
1960年代★1960年代後半以降、米貿易赤字の拡大をはじめとした、米経済ファンダメンタルズの悪化を背景に、米ドルが対円、対独マルクで大きく下落
 ※1967年(昭和42年)、EC(欧州共同体)発足
1970年代★1971年(昭和46年)、日独通貨当局の介入にもかかわらずドルは続落
 ニクソン大統領が、ドルと金の交換禁止を含んだドル防衛策(「ニクソン・ショック(1971年8月)」)を発表したが、ドルは1ドル=347円まで下落
 ★「スミソニアン合意(1971年12月)」による各通貨の許容範囲は対ドルで±1%から、±2.25%に拡大し、ドルは実質切下げ(金1オンス=35ドル→38ドル、1ドル=360円→308円)
 ※欧州各国が互いの為替レートを±1.125%以内の変動に抑える「欧州通貨へび」と、対ドルレートを±2.25%以内の変動に抑える「トンネルの中のへび」から構成される「スネーク制(1972年)」が開始
 ※対ドルでの制限はブレトンウッズ崩壊(1973年)とともに消滅し、スネーク制自体もその後崩壊(1976年)、EMS創設(1979年)にその役割を譲る


変動相場制時代の主な出来事


【注】○=日本(円)、★=世界、※=欧州、△アジア


1970年代★円相場が「変動相場制度(1973年2月)」に移行
 ○ドルは250円台にまで下落し、ブレトンウッズ体制が崩壊
 ○第1次石油ショック(1973年10月〜1974年)により、日本の経常収支が赤字化、インフレが進行、これによりドルは一時的に307円まで反発(1975年12月)
 △日本の貿易黒字拡大(1976年〜)、第1次・第2次短資流入規制(1977・1978年)等により、ドルは175.50円近辺(1978年10月)まで反落
 ○米カーター大統領のドル防衛策(1978年11月)、第2次石油危機(1978年12月)等から、ドルは260円近辺まで急反発(1980年3月)
 ※EMS(欧州通貨制度)が発足(1979年3月)、ERM(為替相場メカニズム)を採用(対ECUで±2.25%以内、イタリアと英は再調整で±6%に拡大)
1980年代米金利低下、円防衛策(1980年3月)等によりドルは199円台まで下落
 レーガノミクス等の影響で、ドルは278円台(1982年11月)に反落
 △アジアの多くの国で「通貨パスケット制度」を採用し、準固定相場制度が普及
 ★対独ドル売り協調介入により、240円台までドル安が進行
 ★さらに「プラザ合意(1985年9月)」により、ドルは240円台から200円割れへ急落
 ルーブル合意(1987年2月)」で一時的にドル下落は止まるが、「ブラックマンデー(1987年12月)」にて再下落
 「クリスマス合意(1987年12月)」を受け、120.45円(1988年1月)でドルが反発
1990年代前半東西ドイツが統合(1990年10月)
 ○米インフレ懸念等からドルは、160.35円(1990年4月2日)まで上昇
 ○G7(1990年4月)での円安是正等から、ドルは123.65円まで反落(1990年10月)
 ○湾岸戦争などから、ドルは142.15円まで上昇(1991年6月12日)
 ○米金利低下から122.70円(1992年1月)に下落後、135.00円(1992年4月)に反発
 ※「欧州通貨危機(1992年9月)」で英・伊がERMを離脱、ドルは118.60円まで下落(1992年9月30日)
 ○ドルは、126.21円(1993年1月)まで上昇後、100.40円まで反落(1993年8月)
 ※「2度目の欧州通貨危機(1993年8月)」勃発、ERM変動幅が±15%に拡大
 マーストリヒト条約が発効(1993年11月)、EU(欧州連合)が発足
 米政府筋の円高誘導コメントなどから、ドルは113.60円から100円割れ(1994年6月)、さらに「ドルの戦後最安値79.75円(1995年4月17日)まで下落
1990年代後半〜アジア通貨危機により、多くの通貨が変動相場制に移行
 ○日本の株・債券・円がトリプル安となり、ドルは147.62円(1998年8月11日)へ
 ※欧州統合通貨「ユーロ」が誕生(1999年1月:11カ国)
 ※ギリシャが「ユーロ」に参加(2001年)
 ○日銀の円買い介入や投機筋のドル売りによって、ドルは101.30円(1999年11月26日)まで下落後、135円台まで反発(2002年1月)、その後ドルは反落し、2004年3月末時点で105円近辺での推移となっている


【『為替オーバーレイ入門 戦略的為替リスク・マネジメント』中窪文男(東洋経済新報社、2004年)】

為替オーバーレイ入門―戦略的為替リスク・マネジメント

2009-09-10

入不二基義、中窪文男


 2冊挫折。


 挫折58『足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想』入不二基義〈いりふじ・もとよし〉(朝日出版社、2009年)/気取った「あとがき」にうんざり。文章も妙にこねくり回した感がある。飛ばし読みすら不可能だった。


 挫折59『為替オーバーレイ入門 戦略的為替リスク・マネジメント』中窪文男(東洋経済新報社、2004年)/著者の肩書は「ニッセイ基礎研究所チーフ・インベストメント・アドバイザー」となっている。ま、機関投資家にアドバイスするような立場なのだろう。まるで、学校の教科書といった趣だ。業として行っている連中は、本当にこんなアプローチをしているのだろうか。コンテクストがあまりにも違いすぎる。40ページほどで挫ける。

柳田國男著『山の人生』について/『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』

 本書の白眉は、柳田國男著『山の人生』を評している件(くだり)である。人間の歴史にはかくの如き事実が在った。なぜ、こんなことが在り得たのか。あるいは起こり得たのか。


 当初私は戦慄した。嘘か作り話であって欲しいと願った。「そんな馬鹿な」という陳腐な感情でいっぱいになった。相前後して私の父が亡くなった。病没であれば人は納得がゆく。物語の結末として相応(ふさわ)しいものと考える。一方、事故死や自殺は、その不条理さでもって我々の「生」を揺るがし、有意味と無意味の反転を企てる。


 小林の講演CDを聴いた。文士とは思えぬ名調子だった。江戸っ子特有のべらんめえ調には逆らい難い響きがあった。そして、いつだって小林は決めつけ、断定し、断言してみせるのだ。


 本テキストは「hengsu殿御返事」第二弾である。この一言が私の胸にくすぶる何かに火を点けた。自分より偉い人は尊敬されてしかるべきであるが、「嫌い」という感情には“直観的な根拠”があるはずだ。言い方を換えれば、「我が遺伝子が危険を報(しら)せている状態」であると私は認識する。


 以下が、小林秀雄の文章である――


「斯(かか)る話を聞き斯る処を見て来て後之(これ)を人に語りたがらざる者果してありや。其様な沈黙にして且つ慎み深き人は少なくも自分の友人の中にはある事なし」と言う。明らかに問題は、話の真偽にではなく、その齎(もたら)す感動にある。伝説の豊かな表現力が、人の心を根柢(こんてい)から動かすところに、語られる内容の鮮やかな像が、目前に描き出される。柳田(※國男)さんが言いたいのは、そういう意味合の事なのです。

 さて、炭焼きの話(※『山の人生』『故郷七十年』で紹介されたエピソード)だが、柳田さんが深く心を動かされたのは、子供等の行為に違いあるまいが、この行為は、一体何を語っているのだろう。こんなにひもじいなら、いっその事死んでしまえというような簡単な事ではあるまい。彼等は、父親の苦労を日頃痛感していた筈である。自分達が死ねば、阿爺(おとう)もきっと楽になるだろう。それにしても、そういう烈しい感情が、どうして何の無理もなく、全く平静で慎重に、斧を磨(と)ぐという行為となって現れたのか。しかし、そういう事をいくら言ってみても仕方がないのである。何故かというと、ここには、仔細(しさい)らしい心理的説明などを、一切拒絶している何かがあるからです。柳田さんは、それをよく感じている。先きに引用した文でおわかりのように、柳田さんは、余計な口は、一と言も利(き)いていない。

 この「山の人生」の話は、「故郷七十年」で、又繰返されているが、その思い切って簡潔な表現は、少しも変っていないのです。「小屋の口いっぱいに夕日がさしていた。秋の末のことであったという」という全く同じ文句が繰返されている。読んでいると、何度くり返しても、その味わいを尽す事は出来ない、と言われているような感じがして来ます。夕日は、斧を磨ぐ子供等のうちに入り込み、確かに彼等の心と融(と)け合っている。そういう心の持ち方しか出来なかった、遠い昔の人の心から、感動は伝わって来るようだ。それを私達が感受し、これに心を動かされているなら、私達は、それと気附かないが、心の奥底に、古人の心を、現に持っているという事にならないか。そうとしか考えようがないのではなかろうか。先ず、そういう心に動かされて、これを信じなければ、柳田さんの学問は出発出来なかった。これは確かな事です。民俗学の、柳田さん自身もうまく行かなかった定義など、少くともここでは、どうでもよろしいのです。

 炭焼きの子供等の行為は、確信に満ちた、断乎(だんこ)たるものであって、子供染(じ)みた気紛(きまぐ)れなど何処にも現れてはいない。それでいて、緊張した風もなければ、気負った様子も見せてはいない。純真に、率直に、われ知らず行っているような、その趣が、私達を驚かす。機械的な行為と発作的な感情との分裂の意識などに悩んでいるような現代の「平地人」を、もし彼等が我れに還るなら、「戦慄せしめる」に足るものが、話の背後に覗(のぞ)いている。子供等は、みんなと一緒に生活して行く為には、先ず俺達が死ぬのが自然であろうと思っている。自然人の共同生活のうちで、幾万年の間磨かれて本能化したそのような智慧(ちえ)がなければ、人類はどうなったろう。生き永らえて来られただろうか。そんな事まで感じられると言ったら、誇張になるだろうか。


【『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』(新潮社、2004年)】


 何と講演CDから起こした記事があった。こちらも読まれよ――

 どう? 凄い文章でしょ?(笑)


 子供達の不意打ちを食らわすような極大の不条理を、小林は「古人の心」に結びつけることで、あたかも「人類の智慧」が発揮されたような瞬間を捉えている。


 この鮮烈な悲劇に対する小林の解釈が気に入らないのは、子供達の死と、それに伴う父親の行為が正当化されてしまうためだ。人間の力ではどうしようもない運命の働きに振り回されることを美化するような節(ふし)すら窺える。


 確かに小林のアプローチは凄い。しかしながら、その結論を歴史という「過去の営み」に結びつければ、物語は完結してしまう。しかし、そこから次なる新しい物語へとつながらなくなる。


 柳田の文章を読む限りだと子供達の行動は「自ら悟った」としか言いようがない。だが、本当にそうだったのか? 例えば、他にも自ら進んで親に殺された子供がいて、そうした情報が子供達の耳に届いていたかもしれない。「学ぶ」とは、情報が思考の枠組みを形成することだ。そして人は思想に束縛される動物である。だからこそ、人は「思想に生きる」のだ。


 つまり柳田の文章には、トール・ノーレットランダーシュが言うところの「外情報」が多すぎるのだ。氾濫した外情報は、読み手の想像力を過剰なまでに刺激してやまない。


 結局のところ、小林の断定は独断であり、傲慢なまでの自信が異様な説得力となって聴衆に襲い掛かるのだ。反論するには、小林以上に豊富な言葉を網羅する必要が生じる。その反撃の労を忌避するために、賢(さか)しらな人々は感動してみせるのだ。


 小林の対談を読むとよくわかるが、とにかく自己主張が勝ちすぎていて、合唱が織りなすハーモニーのような醍醐味に乏しい。知性が個を際立たせるあまり、妥協を徹底的に嫌う。小林は多分、対立から生じるスパークを求めていたのだろう。党派性を嫌悪した小林は、誰かと肩を組み同じ方向に顔を向けることがなかった。そして小林の評論は、情緒でもって論理をうっちゃるのだ。


 検索していたところ、2ちゃんねるに同じ意見を見つけた――


4 名前: 吾輩は名無しである 投稿日: 01/09/04 10:25 ID:/69lD/wY

 小林秀雄。読んでも構はないけれど、読むのなら大正から昭和初めの文壇と思潮に通じ、ドストエフスキーマルクスは一通り読み、古典にも一定の読解力をつけた上で読まないとタブラカサレル。手始めに読むと化かされるから読んぢや駄目。


5 名前: 吾輩は名無しである 投稿日: 01/09/04 10:34 ID:33kBESiM

 古典というと古事記とか史記ですか?


6 名前: 吾輩は名無しである 投稿日: 01/09/04 12:32 ID:/69lD/wY

 さう、和漢の古典。たとへば小林が徒然草論語を引合ひに出してタンカを切つてゐるのを読むと、なんだか分かつたやうな気になるでせう。しかし自分が直に読んでゐないものを論じられては、その批評も原典もどつちも解らない筈です。でも小林秀雄は「解つたかゴルァ」の名人なので……あ、「ひとり2ちやんねる」と思つて読めばいいのか。


【「読むべき本、読んではいけない本はなんですか?」】


 そして、こんな情報もあった――

 私としては、貧苦が生んだ父親の突発的行動であったと思いたい。そうでないと、私が形成してきた「物語性」が無効となってしまうからだ。

小林秀雄全作品〈26〉信ずることと知ること 信ずることと考えること―講義・質疑応答 (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 2巻)

(※左が書籍、右が講演CD)

「Rock & Roll Night」佐野元春


 まるで、スプリングスティーンのコピー。それでも懐かしい。私がまだ10代の頃に出たアルバムだ。


D


SOMEDAY

2009-09-09

『爆問学問』伊勢崎賢治


 太田光は「何かのために考える」のではなくして、「考えるために何かを利用する」姿勢が濃厚だ。つまり観念を弄(もてあそ)んでいるだけであり、思想の自慰行為といえる。やや種類は異なるが小林秀雄と似ている。伊勢崎賢治がプラグマティストであるため、より一層際立っている。太田はとにかく礼儀知らずだ。周囲にたしなめる人物がいないのだろう。

D


D


D

神の語源


 カミの語源が「隠れ身」であるように、ほんとうに大切な崇(あが)めるべき存在は、隠されたものの中にある。


【『性愛術の本 房中術と秘密のヨーガ』(学研ブックス・エストリカ、2006年)】

性愛術の本―房中術と秘密のヨーガ (NEW SIGHT MOOK―Books Esoterica)

2009-09-08

カーティス・フェイス


 1冊読了。


 110冊目『伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術』カーティス・フェイス/飯尾博信、常盤洋二監修、楡井浩一訳(徳間書店、2007年)/黙して語らず。いくら何でも、これだけの内容で1785円は安すぎる。初版発行が2007年10月31日となっている。サブプライム爆弾によってマーケットが下落し始めたのが7月23日のことだ。この週、日経平均は17995円から17283円まで下げた。その意味では出るべくして出た一書といえる。

「平成」の他に二つの案があった


 出典は『史記』五帝本紀の〈内平外成(内平らかに外成る)〉、『書経』大禹謨の〈地平天成(地平らかに天成る)〉。政府は「国の内外にも天地にも平和が達成される」との願いを込めたと説明した。

 元号は、戦後に旧皇室典範が廃止されたため、法的根拠のないまま「慣習」として使われていたが、昭和54年、元号法が制定されて「昭和」は政令で定められた。このときからひそかに陽明学安岡正篤、中国哲学者宇野精一、漢学者諸橋轍次らに「次の元号」候補の選考が依頼されたとされる。

 昭和天皇の吐血を受けて、政府は学者、報道機関代表らに委嘱して「元号に関する有識者懇談会」を設置。天皇死去後直ちに召集された懇談会で(1)平成、(2)修文、(3)正化、の三つの案が審議され、最終的には同日午後2時過ぎの閣議で、元号を平成に改める政令が正式に決定、公布され、翌8日から施行された。


『週刊昭和』第40号

警察OBと国政


 では事件の本質とは何か。それは警察組織そのものと関連している。単なる警察官の非行問題ではすまされないのではないか。国政の場で審議するなら、中曽根内閣には3人の警察官出身者が閣僚にいる。後藤田官房長官は警察庁長官、秦野法務大臣は警視総監、山本自治大臣は大阪府警本部長。警察OBが国政にたずさわることが悪いとはいえない。だが政治的中立を標榜しつづける警察官が、辞めると同時に旗色を鮮明にし、政治の中央に座る。その結果、必然的に警察は政治腐敗にアンタッチャブルにならざるを得ない。


【『警官汚職』読売新聞大阪社会部(角川書店、1984年)】

警官汚職

2009-09-07

『柳田国男の民俗学』谷川健一(岩波新書、2001年)


柳田国男の民俗学 (岩波新書)


『山の人生』に描かれた貧しい山民や漂泊民サンカ。『遠野物語』の伝承や『海南小記』の漂海民たち。『海上の道』に登場する黒潮にのって稲作文化ともに北上した人々。さらに古琉球の民俗、常世の国考……。巨人・柳田の学問を丹念にあとづけながら、著者自らの長年の踏査と論考をまじえ、柳田民俗学の鋭さと広がりを新たな切り口から捉え直す。

子殺し


一 山に埋もれたる人生あること


 今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃(みの)の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)で斫(き)り殺したことがあった。

 女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ年くらいの小娘を貰(もら)ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里(さと)へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手(からて)で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。

 眼がさめて見ると、小屋の口いっぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、頻(しき)りに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧(おの)を磨(と)いでいた。阿爺(おとう)、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕えられて牢(ろう)に入れられた。

 この親爺(おやじ)がもう六十近くなってから、特赦を受けて世の中へ出てきたのである。そうしてそれからどうなったか、すぐにまた分からなくなってしまった。私は仔細(しさい)あってただ一度、この一件書類を読んで見たことがあるが、今はすでにあの偉大なる人間苦の記録も、どこかの長持(ながもち)の底で蝕(むしば)み朽ちつつあるであろう。(中略)

 我々が空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遙かに物深い。また我々をして考えしめる。これは今自分の説こうとする問題と直接の関係はないのだが、こんな機会でないと思い出すこともなく、また何ぴとも耳を貸そうとはしまいから、序文の代りに書き残して置くのである。(『山の人生』)


【『遠野物語・山の人生』柳田國男岩波文庫、1976年/『遠野物語』聚精堂、明治43年/『山の人生』郷土研究社、大正15年)】

遠野物語・山の人生 (ワイド版岩波文庫) 遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

(※左がワイド版、右が文庫本)

2009-09-06

笑い


 米国メリーランド大学の心理学教授ロバート・プロヴァインは、笑いを真剣にとらえる数少ない学者のひとりだ。彼は、笑いが社会的信号の古い形態であり、ヒトの音声言語より動物の発声や鳥のさえずりに近いと考えている。笑いには伝染性があるが――テレビのプロデューサーは効果音として笑い声をかぶせる形でこれを大いに利用している――これは笑いが社会のきずなを強める手段であることを示している。


【『歌うネアンデルタール 音楽と言語から見るヒトの進化』スティーヴン・ミズン/熊谷淳子訳(早川書房、2006年)】

歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化

柳田國男、藤巻健史、J・ウエルズ・ワイルダー・ジュニア


 1冊挫折、2冊読了。


 挫折57『遠野物語・山の人生』柳田國男(岩波文庫、1976年)/『遠野物語』の初版は明治43年、聚精堂で、『山の人生』は大正15年、郷土研究社となっている。本書を開いた目的は、『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』(新潮社、2004年)で引用された箇所を確認することだった。『山の人生』の冒頭にあった。ほんの2ページほどの文章だった。30ページで挫ける。お化けにはあまり興味がないので。『山の人生』はいつか再読したい。


 108冊目『藤巻健史の実践・金融マーケット集中講義』藤巻健史(光文社新書、2003年)/3時間×6日間の講義を編んだ作品。マーケットの仕組みがよく理解できる。モルガンを退職後、ジョージ・ソロスのアドバイザーを務めたというのだから凄い。ただし、その手法は裁定取引であるため、実際の売買には役に立たず。50ページほどまでは読みにくいが、その後はすんなり読める。金融の概念を知るための良書である。


 109冊目『ワイルダーのアダムセオリー 未来の値動きがわかる究極の再帰理論』J・ウエルズ・ワイルダー・ジュニア/長尾慎太郎訳(パンローリング、2003年)/読むのは二度目。前よりは少し理解が深まった。本物の理論は単純であるがゆえに信じ難い。あと5回ほど読んだら、売る予定(笑)。

2009-09-05

『マネーを生みだす怪物 連邦準備制度という壮大な詐欺システム』エドワード・グリフィン/吉田利子訳(草思社、2005年)


マネーを生みだす怪物 ―連邦準備制度という壮大な詐欺システム


 中央銀行システムがバブル、不況、インフレを引き起こし、戦争を恒常化する! 歴史の裏でマネーがいかに世界を動かしてきたかを明かす、衝撃のノンフィクション。

決済用普通預金


 資産が1000万円以上ある人は、普通預金よりこちらの方が安全だ。


 無利息特約付きの普通預金。預入した金融機関が経営破綻した場合も、当座預金同様に全額保護される。その他の商品性は一般の普通預金と同様である。

フィリップ・ヤンシー、フレート・ブライナースドルファー


 1冊挫折、1冊読了。


 挫折56『祈り どんな意味があるのか』フィリップ・ヤンシー/山下章子訳(いのちのことば社、2007年)/単なるキリスト教の本だった。出版社名で気づくべきだったな。20ページほどで中止。


 107冊目『「白バラ」尋問調書 『白バラの祈り』資料集』フレート・ブライナースドルファー編/石田勇治、田中美由紀訳(未來社、2007年)/資料なので読み物として面白くないのは我慢しよう。ただ、3200円という値段は我慢がならない。2005年に公開された映画『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』の制作記録であるらしいが、資料としてはそこそこ価値があると思われる。ナチスの横暴に「ノー!」と叫んだ彼等は清らかで気高い魂の持ち主だった。そうであるがゆえに脇が甘かった。ショル兄妹が逮捕されたのは油断としか言いようがない。ドイツでは「白バラ」の学生が立ち上がった。日本人は全員が伏せたままだった。彼我の相違は何によるものか。それにしても、未來社の活字は太くて読みにくい。講談社文庫よりも酷い。読了に時間がかかったのもそのためだ。

軍事にかかわる真実は封印される


 はっきりしているのは、公人が政府見解と異なる発言したとき、『軍事』にからむ場合は、真実か否かは封印され、無条件に非難されることである。具体的には、太平洋戦争、日中戦争、現代の自衛隊である。そこには、個々の感情や利害、他国への気兼ねはあっても、真実と正義は希薄だ。日本人にとって、太平洋戦争、日中戦争、自衛隊はトラウマなのである。


【「田母神論文 日中戦争は侵略戦争か」週刊スモールトーク】

2009-09-04

「理想的年代記」は物語を紡げない/『物語の哲学 柳田國男と歴史の発見』野家啓一


 今年、最大の収穫。脳内のシナプスがバチバチと火花を散らしながら、次々と新しい回路を形成した。


 私は20年ほど前から大乗仏教の成立について様々な疑問を抱いていた。最大の疑問は膨大な経典のいずれもが「無署名」であることだった。しかも、それらが「ブッダの説いた教え」として3000年にわたって伝えられてきているのだ。私の眼には、署名を残した龍樹や世親の方が小さく映る。


 法華経見宝塔品第十一の「令法久住」(法をして久しく住せしめん)という言葉には、いかなる歴史の変化にも耐え得る「強靭な物語性」を垣間見ることができる。未来永劫にわたって衆生を救うことがブッダの決意であるならば、ブッダが説く法は「永遠の物語」でなければならなかった。人格神を設定する宗教はおしなべて「神への隷属」を説く。それに対してブッダの教えは「生きる規範」であった。もしも全知全能の神が存在するなら、人間は脇役としての物語しか紡ぎ出せない。翻って仏教は自分が主役となって「新たな物語」を築く方向へ誘(いざな)う。「法に則(のっと)る」とはかような意味合いであろう。


 野家啓一はまず、「歴史という物語」に切り込む。歴史とは人類を縦に貫く糸のことだ。ちなみに、経典の「経」も同様の意味である(現在でも経緯とは縦横の意)。


(アーサー・)ダントの言う「理想的年代記」とは、時間的に継起する出来事を、すべてそれが起こった瞬間に書き記しておく膨大な歴史年表のようなものである。それゆえ、理想的な年代記作者は、他人の心の中までも含めてあらゆる出来事を瞬時に把握し、それを筆者する超人的能力を備えているものと仮定されている。いわば、ラプラスのデーモンの歴史学者版である。しかし、この作者が書き留めることができるのは、歴史の材料であって、歴史ではない。というのも、彼は単独の出来事を記述できるだけであり、複数の出来事を関連づける「物語文」を書くことができないからである。

「神の視点」から見下した歴史とは、おそらくこのようなものであろう。そこには複数の出来事を結び合わせる「人間的コンテクスト」が欠けているのである。


【『物語の哲学』野家啓一〈のえ・けいいち〉(岩波現代文庫、2005年/岩波書店、1996年『物語の哲学 柳田國男と歴史の発見』改題)】


「理想的年代記」は飽くまでも理論的概念ではあるが、仏教の業(ごう)思想と軌を一にしている。身口意(しんくい)の三業(さんごう)はバラバラに為されながらも、「現在の自分」という一点に集積されている。幸不幸の物語は、プラスとマイナスの業によるバランスシートもさることながら、情緒的な衝撃の度合いによって全体の布置結構が決まる。


 つまり、「物語」とは「因果」のことなのだ。もちろん、因果という思想それ自体は仏教以前から存在した。因縁果報という言葉があるせいか、仏教独自の教えと思われているが実は違う。因果という縦軸から、縁起という横軸を広げたところに仏典の独創性があったのだ。


 報恩を説いた「心地観経」(しんぢかんぎょう)という密教経典には次の言葉がある――


 過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ。


 幸不幸の因果があり、善人となり悪人となる因果がある。過去を離れて現在はなく、現在を離れた未来もあり得ない。


 人間が未来に向かって生きている以上、因果という志向――および思考――から逃げられない。「努力は報われる」「頑張れば何とかなる」「明日は明日の風が吹く」といった言葉がそれを象徴している。


 確かにそうだ。野球の練習をすれば、それなりに上達する。だが、我々は決してイチローのようにはなれない。「死ぬ気になったつもりでやれば、何とかなるんじゃねえの?」と考えるのは、その辺の酔っ払いだけだ。絶対になれない。たとえ、人生が300年あったとしても無理だ。


 結論――我々はイチローにはなれないが、イチローに近づくことはできる。イチローとの距離を縮めるトライアル&エラー(試行錯誤)の中にこそ、物語は存在するのだ。そして実は技術の獲得を目指しているにもかかわらず、我々は心技体(まるで身口意と一緒だ)にわたってイチローを目指そうとする。なぜなら、最終的に目指しているものはイチローの技術ではなくして、技術を獲得したイチローが発する「言葉」であるからだ。つまり、我々の人生の目的は「新しい言葉」で自分の物語を紡ぎ出すことってわけだよ。

物語の哲学 (岩波現代文庫)

ファミリーレストラン


 ドライブインレストランは国道沿いのセイタカアワダチソウの原っぱの中に突然に現れることになっている。実際セイタカアワダチソウとドライブインレストランの間には何か黙約のようなものがあると思えるほど両者の関係は密接だ。

 まずはじめに、セイタカアワダチソウが尖兵となってオオバコやススキやナズナを駆逐する。湿地にはアメリカザリガニを派遣して土着の淡水海老を根だやしにする。小川にはグッピー、湖にはブラックバス、水田には牛がえる、森林には白樺を繁殖させる。元来脆弱な山紫水明の自然は、こういう大陸の大自然の中で鍛え上げられた生き物の前にはひとたまりもない。

 こうしてわらぶき屋根や木造建築の似合わない気持ちの悪い景観が出来上がったところに、満を持してデニーズが登場するのである。

「ようこそデニーズへ」


【『我が心はICにあらず』小田嶋隆(BNN、1988年/光文社文庫、1989年)】

我が心はICにあらず(単行本)


我が心はICにあらず(文庫本)

2009-09-03

アメリカ黒人の祖先


 どんなアメリカ黒人の祖先も、たどれば1枚の売札にいきつき、それ以上はさかのぼれない。多くの場合、それさえ不可能である。


【『奴隷とは』ジュリアス・レスター/木島始、黄寅秀〈ファンインスウ〉訳(岩波新書、1970年)】

奴隷とは

2009-09-02

明治維新は外資によって成し遂げられた/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人


 では、明治維新のおさらいをしておこう。

 意図的に阿片戦争を入れたわけだが、こうして俯瞰すると欧米列強が東アジアに接近を図ったことが理解できる。

 結局は、産業革命の波が押し寄せたってな話だったわけだ。マーケットの拡大、流通の確保、資本の収奪――植民地政策の動機はこんなところにあったのだろう。


 岸田秀はペリー来航を「強姦」であったと分析している。それ以降、日本は精神分裂病統合失調症)となった。


 日本が近代国家となったきっかけが黒船来航にあったことは疑問の余地がない。では開国後、どのような状況が訪れたのか――


公武合体策と尊王攘夷派の擡頭(1860年〜1863年)


 開国・貿易開始以降、内外の金銀比価が違ったために発生した金貨が大量に流出。その対策として発行された万延小判の品位の低さなどにより諸物価が高騰、開国策・不平等条約への批判が噴出し、外国人排斥の攘夷思想が次第に隆盛し、各地で異人斬りが横行する。また、国学思想から来る尊王思想と結びついて「尊王攘夷」運動として幕府批判へつながっていった。


Wikipedia


「強姦」の反動が国内で頻発したということなのだろう。注目すべきは、経済の混乱が思想の母胎となっている点である。行き詰まった社会は、「新しい物語」を求める。そして、「新しい物語」が社会の枠組みを打ち破る。


 そして、アメリカで南北戦争(1861-1865)が勃発した。日本にかまっていられる状況ではなくなった。


 そうすると、明治維新は日本における自律運動であったのだろうか? そんなわけないよ。油断も隙もないのが国際社会だ。今度はヨーロッパの出番だ――


 話は飛びますが、明治維新のときの日本を想像してください。

 明治政府になって、その後、日本の資本主義は急速に発展を遂げていきます。資本主義が発展するためには、まず資本がなくてはならないはずですが、その資本はどこからやってきたのでしょうか。工業や重工業の発展に連なる経済の基礎は、誰がどのようにして築いたのでしょうか。

 カネの存在を抜きにして、歴史を変えることはできません。大政奉還から明治維新、そして明治新政府が成立する歴史の転回点で、日本に巨額のファイナンスを行った勢力がいたわけです。戊辰(ぼしん)戦争の戦費に使われたカネにしても、同様のことがいえます。倒幕軍の戦費は、薩摩と長州が自分たちの金蔵から出してきたものではありません。幕府軍の戦費にしても、徳川家が全額まかなったものではないでしょう。現代の国際紛争モデル、あるいは内戦モデルから類推すれば、戊辰戦争が外国の二大勢力による代理戦争という性格を色濃く持っていたことは容易に想像がつきます。

 実際、政権交代を目指す薩長勢力にはイギリスが、政権維持を目論む幕府勢力にはフランスが、潤沢な資金を供給していました。もっとはっきりいえば、当時の財政破綻状態のイギリスやフランスの事実上のオーナーともいえたイギリスのロスチャイルド家とフランスのロスチャイルド家が、日本に隠然たる影響力を行使するため、薩長勢力と徳川幕府の双方へ資金を供給したと見るべきなのです。


【『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人(ビジネス社、2008年)以下同】


 陰謀論としては秀逸すぎる。ロスチャイルド家は初代マイヤー・アムシェルが5人の息子を欧州各地に派遣し、巨額の財を成した。その中でも、“イギリス・ロスチャイルドの祖”である三男のネイサンワーテルローの戦い(1815年)で、莫大な富を手中にした。ロスチャイルド家は資産を増やしながら戦争にコミットし、戦争にコミットすることで更に資産を増やしていった。


 ここに「世界」という名の駄菓子屋があったとしよう。店主は「神」を名乗っている。近所に住む子供達は200人ほどいるが、その殆どは貧しいため何一つ買うことができない。駄菓子を買いにくる子供は8人ほど(G8)。ところが最近、見たことのない女の子がやって来て、「オジサン、お店にある半分の駄菓子をちょーだい」と言い出した。続けて、「でも、私一人じゃ食べ切れないから、ここで商売を始めてもいいかしら?」と言うではないか。店主は「ま、店を取られるわけじゃないんだから構わないだろう」と応じることにした。そして今では、店内の99%の駄菓子を買い占められ、仕入れまでコントロールされるに至った。女の子は名前を「ロス子」といった。ロスチャイルド……(笑)。


 本当にそんな真似が可能なのか? 駄菓子屋で可能ならば、世界でだって可能だろうよ。金は人を動かし物を動かすのだ。ロスチャイルド家が天才的なのは、どちらが勝っても自分達に利益が入ってくる仕組みを考えていることだ。


 苫米地英人は維新後の状況についても、こう記している――


 ところで、徳川幕府に取って代わった明治維新の新勢力は、結局どのような人物たちでしょうか。

 もちろん、薩摩と長州の武士たちです。

 脈々と現代に生き続ける、日本の「勝ち組」の正体は、じつはこの薩摩と長州を中心とする勢力だということができます。

 明治維新以来、昭和21年に日本国憲法が施行されるまでの間に任ぜられたのべ45人の内閣総理大臣のうち、薩摩出身者はのべ5人、長州出身者はのべ11人に上っています。倒幕に参加した土佐藩からはのべ1人、肥前藩からはのべ2人、占有率はじつに42パーセントを超えてしまいます。大蔵大臣、外務大臣などの主要ポストも薩長閥がほとんどです。

 中央省庁のなかでも、とくに警察庁と防衛省は、薩長の牙城です。鹿児島県、山口県の出身者が多く、事情を知る関係者の間には「鹿児島県、山口県の出身者でなければ出世できない」という暗黙の了解があるほどです。最後まで新政府軍と戦った会津藩の福島県には、昭和になってからようやく国立大学が創られたというのも有名な話です。


 つまり、薩長はロス子の飼い犬となったということか。


 産業革命は文字通り革命であった。物資は世界を駆け巡り、情報がフィードバックされた。これぞ、グローバリゼーションの走りといってよい。交通・通信の発達によって世界は小さくなった。既に駄菓子屋ほどの大きさだ。


 果たしてロスチャイルドはビッグ・ブラザーを目指しているのだろうか。それとも神となることを目論んでいるのだろうか。我々は知らないうちにロスチャイルド教の信者になっているのかも知れない。

洗脳支配ー日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて

2009-09-01

下園壮太


 1冊読了。


 106冊目『相談しがいのある人になる 1時間で相手を勇気づける方法』下園壮太〈しもぞの・そうた〉(講談社、2008年)/ハウツー本を読むのは久し振りのこと。ちょっと恥ずかしい(笑)。著者が、陸上自衛隊初の「心理幹部」ということで興味が湧いた。この人には、カウンセリングの現場で培った足腰の強さがある。事例を示す会話も巧みだ。同じ記述が繰り返されているのは、実践が困難なためだ。「話を聴く」という簡単なことすら我々はできなくなりつつある。内容はいいのだが、1400円は高い。

遺伝子工学の世界的権威が書いたスピリチュアル本/『人は何のために「祈る」のか 生命の遺伝子はその声を聴いている』村上和雄、棚次正和


 微妙な本である。正確に表現すれば、「科学者の人生観を記したエッセイ」といったところ。何が微妙かというと、著者が科学を体現していながら内容が文芸に属するところだ。


 狙いはいい。確かに「祈る」という宗教的感情は人類に共通するものであろう。一寸先は闇だ。そうであるにもかかわらず、人は未来を信じなければ生きてゆけない。祈りは、不確定な未来を照らす一条の光といえるだろう。


 問題は、祈りを遺伝子の変化に結びつけておきながら、科学的態度を放棄している点である。ロデオの馬さながらに論理が飛躍しているのだ。多分、この人は議論を経ずに、講演慣れしてしまったのだろう。ここにあるのは科学者の姿ではない。まるで、説法の巧みな坊さんだ。


 この10年ほどの間に盛んになった祈りの研究から見えてきたのは、「祈りには好ましい遺伝子をオンにし、好ましくない遺伝子をオフにする効果がありそうだ」ということなのです。


【『人は何のために「祈る」のか 生命の遺伝子はその声を聴いている』村上和雄、棚次正和〈たなつぐ・まさかず〉(祥伝社、2008年)以下同】


 これは、よしとしておこう。ただ、アメリカで行われている研究のディテールが示されていない。ネット上で「船井系」と批判される所以(ゆえん)である。


 じゃあ、これはどうだ――


 遺伝子がいかに命を守る方向へ働くか、驚くべき実例があります。それはジャック・マイヨールという人が、素潜りの超人的な記録を作ったときに起きました。人間は素潜りで海中をどこまで潜れるか。医学的に計算すると、40メートルが限界といわれてきました。

 ところがマイヨールは、なんと150メートルも潜ってしまったのです。かかった時間は5分。水棲(すいせい)動物でもない人間が5分間も息をしないで潜っていることなどできません。ベテランの海女さんだって絶対に無理です。では、マイヨールにはなぜそれができたのでしょうか。

 実は最初、マイヨールの快挙を誰も信じようとはしませんでした。それはまるで人が単身空を飛んだのと変わらない出来事だったからです。そこで彼は次に潜るとき、潜水具をつけた医者を何人か海中に配置して、自分が潜る様子を目撃させました。それだけでなく、潜っているときの自分の脈拍や血流もチェックさせたのです。

 そうしたら恐るべきことがわかりました。平常時は70くらいの脈拍が、なんと20くらいまで落ちたのです。これだと酸素の消費量がすごく少なくてもすむ。マイヨールが超人的に深く潜れた秘密はこれでした。

 ただ、そこまで脈拍が落ちると、普通、人間は生きていられません。にもかかわらず、マイヨールはピンピンしていた。その理由は、海中で命の危険にさらされたとき、彼の遺伝子が心臓以外の酸素消費量を極限まで減らすことで彼の命を守ったとしか考えられません。いざとなると、遺伝子はこんなすごい働きもするのです。

 しかし、こういうことがマイヨールにはできて、私たち普通の人間にできないのはなぜか。ここから祈りの問題が出てきます。

 マイヨールという人は、ちょっと変わった感性の持ち主で、水族館に勤めていたとき、雌のイルカに恋をしました。本気で恋をして「イルカになりたい」と心から願っていたといいます。そして、「自分はイルカだ」と念じてから潜ったのです。

 つまり、彼は自分がいるかになることを願っていた。祈りは願望でもありますから、彼の強い願望によって祈りの効果が現れ、普段働いていなかった遺伝子がオンになったとしか考えられません。


 ね、凄い話でしょ。ところが致命的な誤りがある。ジャック・マイヨールの潜水記録は「105メートル」なのだ。ことごとく、こんな調子だから信用ならない。短い文章の中で二度にわたって「としか考えられません」と書かれている。典型的なミスリードといってよい。村上の論法でゆけば、人類の新記録はおしなべて「遺伝子のスイッチオン」で片が付いてしまう。


 致命的なのは、ジャック・マイヨールの潜水記録を我が田へ水を引くように引用しておきながら、彼の死については全く触れていないことだ。マイヨールは首吊り自殺をしたのだ。村上は、「遺伝子がオフになった」とでも考えているのであろうか。


 本書の有害さを一言で示せば、「いかなる教団にも利用される可能性がある」ことに尽きる。村上和雄はユダヤ教やキリスト教に潜んでいる差別意識を知らないのだろう。その上、村上が説く「サムシング・グレート」(偉大なる何か)が「天理教の親神様」を指していることまで白状している。


 祈りが人類に継承された智慧であることは私も認めよう。しかし世界は平和になっていない。日本人よりもはるかに祈りを捧げている、キリスト教文明やイスラム教地域で紛争が絶えないのも事実である。村上は道徳と科学を融合させようと試みて、見事に失敗している。その意味で、議論するにはもってこいの一冊である。

人は何のために「祈る」のか 人は何のために「祈る」のか 生命の遺伝子はその声を聴いている (祥伝社黄金文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

合理的なリスク判断


「合理的な投資・リスク判断」とは、目先の相場変動が上がるのか下がるのかを予想できるようになることではない。合理的な判断とは、不必要なリスクを採らず、採るに値するリスクを選ぶ目を持つことである。


【『マネーの動きで読み解く外国為替の実際』国際通貨研究所編(PHP研究所、2007年)】

マネーの動きで読み解く外国為替の実際

8月のアクセスランキング


順位記事タイトル
1位日本は「最悪の借金を持つ国」であり、「世界で一番の大金持ちの国」/『国債を刷れ! 「国の借金は税金で返せ」のウソ』廣宮孝信
2位ジニ係数から見えてくる日本社会の格差/『貧乏人のデイトレ 金持ちのインベストメント ノーベル賞学者とスイス人富豪に学ぶ智恵』北村慶
3位アインシュタインを超える天才ラマヌジャン/『無限の天才 夭逝の数学者・ラマヌジャン』ロバート・カニーゲル
4位経頭蓋磁気刺激法(TMS)/『脳から見たリハビリ治療 脳卒中の麻痺を治す新しいリハビリの考え方』久保田競、宮井一郎編著
5位最高裁は酒井法子主演、故・原田昌樹監督の裁判員制度広報用映画『審理』の配信及び公共施設での貸し出し、および上映活動の中止を決定した
6位少年兵は流れ作業のように手足を切り落とした/『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二
7位巧みな介護の技/『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎
8位火星に人類以外による人工物、アポロ11号の宇宙飛行士がTVで暴露
9位昭和の脱獄王・白鳥由栄/『破獄』吉村昭
10位そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』ウィリアム・ノースダーフ