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2009-09-01

遺伝子工学の世界的権威が書いたスピリチュアル本/『人は何のために「祈る」のか 生命の遺伝子はその声を聴いている』村上和雄、棚次正和


 微妙な本である。正確に表現すれば、「科学者の人生観を記したエッセイ」といったところ。何が微妙かというと、著者が科学を体現していながら内容が文芸に属するところだ。


 狙いはいい。確かに「祈る」という宗教的感情は人類に共通するものであろう。一寸先は闇だ。そうであるにもかかわらず、人は未来を信じなければ生きてゆけない。祈りは、不確定な未来を照らす一条の光といえるだろう。


 問題は、祈りを遺伝子の変化に結びつけておきながら、科学的態度を放棄している点である。ロデオの馬さながらに論理が飛躍しているのだ。多分、この人は議論を経ずに、講演慣れしてしまったのだろう。ここにあるのは科学者の姿ではない。まるで、説法の巧みな坊さんだ。


 この10年ほどの間に盛んになった祈りの研究から見えてきたのは、「祈りには好ましい遺伝子をオンにし、好ましくない遺伝子をオフにする効果がありそうだ」ということなのです。


【『人は何のために「祈る」のか 生命の遺伝子はその声を聴いている』村上和雄、棚次正和〈たなつぐ・まさかず〉(祥伝社、2008年)以下同】


 これは、よしとしておこう。ただ、アメリカで行われている研究のディテールが示されていない。ネット上で「船井系」と批判される所以(ゆえん)である。


 じゃあ、これはどうだ――


 遺伝子がいかに命を守る方向へ働くか、驚くべき実例があります。それはジャック・マイヨールという人が、素潜りの超人的な記録を作ったときに起きました。人間は素潜りで海中をどこまで潜れるか。医学的に計算すると、40メートルが限界といわれてきました。

 ところがマイヨールは、なんと150メートルも潜ってしまったのです。かかった時間は5分。水棲(すいせい)動物でもない人間が5分間も息をしないで潜っていることなどできません。ベテランの海女さんだって絶対に無理です。では、マイヨールにはなぜそれができたのでしょうか。

 実は最初、マイヨールの快挙を誰も信じようとはしませんでした。それはまるで人が単身空を飛んだのと変わらない出来事だったからです。そこで彼は次に潜るとき、潜水具をつけた医者を何人か海中に配置して、自分が潜る様子を目撃させました。それだけでなく、潜っているときの自分の脈拍や血流もチェックさせたのです。

 そうしたら恐るべきことがわかりました。平常時は70くらいの脈拍が、なんと20くらいまで落ちたのです。これだと酸素の消費量がすごく少なくてもすむ。マイヨールが超人的に深く潜れた秘密はこれでした。

 ただ、そこまで脈拍が落ちると、普通、人間は生きていられません。にもかかわらず、マイヨールはピンピンしていた。その理由は、海中で命の危険にさらされたとき、彼の遺伝子が心臓以外の酸素消費量を極限まで減らすことで彼の命を守ったとしか考えられません。いざとなると、遺伝子はこんなすごい働きもするのです。

 しかし、こういうことがマイヨールにはできて、私たち普通の人間にできないのはなぜか。ここから祈りの問題が出てきます。

 マイヨールという人は、ちょっと変わった感性の持ち主で、水族館に勤めていたとき、雌のイルカに恋をしました。本気で恋をして「イルカになりたい」と心から願っていたといいます。そして、「自分はイルカだ」と念じてから潜ったのです。

 つまり、彼は自分がいるかになることを願っていた。祈りは願望でもありますから、彼の強い願望によって祈りの効果が現れ、普段働いていなかった遺伝子がオンになったとしか考えられません。


 ね、凄い話でしょ。ところが致命的な誤りがある。ジャック・マイヨールの潜水記録は「105メートル」なのだ。ことごとく、こんな調子だから信用ならない。短い文章の中で二度にわたって「としか考えられません」と書かれている。典型的なミスリードといってよい。村上の論法でゆけば、人類の新記録はおしなべて「遺伝子のスイッチオン」で片が付いてしまう。


 致命的なのは、ジャック・マイヨールの潜水記録を我が田へ水を引くように引用しておきながら、彼の死については全く触れていないことだ。マイヨールは首吊り自殺をしたのだ。村上は、「遺伝子がオフになった」とでも考えているのであろうか。


 本書の有害さを一言で示せば、「いかなる教団にも利用される可能性がある」ことに尽きる。村上和雄はユダヤ教やキリスト教に潜んでいる差別意識を知らないのだろう。その上、村上が説く「サムシング・グレート」(偉大なる何か)が「天理教の親神様」を指していることまで白状している。


 祈りが人類に継承された智慧であることは私も認めよう。しかし世界は平和になっていない。日本人よりもはるかに祈りを捧げている、キリスト教文明やイスラム教地域で紛争が絶えないのも事実である。村上は道徳と科学を融合させようと試みて、見事に失敗している。その意味で、議論するにはもってこいの一冊である。

人は何のために「祈る」のか 人は何のために「祈る」のか 生命の遺伝子はその声を聴いている (祥伝社黄金文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

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