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2009-10-31

フェルディナンド・プロッツマン、ジャック・D・シュワッガー


 2冊読了。


 122冊目『地球のハローワーク』フェルディナンド・プロッツマン/関利枝子、伯耆友子、岡田凛、小林洋子訳(日経ナショナルジオグラフィック社、2009年)/「働く」ことをテーマにした写真集。いずれも、『ナショナル ジオグラフィック』誌に掲載されたもので、100年以上前の作品もある。日本の写真も2枚ある。300ページ以上の写真集で1900円に抑えたのは立派だ。ただし、文章が足を引っ張っている。長めのキャプションをつけるべきだった。働く姿は世界各国で千差万別の表情を現わす。搾取される人々の諸相を切り取った写真集といえよう。


 123冊目『マーケットの魔術師 米トップトレーダーが語る成功の秘訣ジャック・D・シュワッガー/横山直樹監訳(パンローリング、2001年)/読むのは二度目。多分、あと10回くらいは読むことだろう。投資家にとっては、教師ともいうべき一冊だ。シュワッガーの鋭い質問が、十数人のトップトレーダーの実像を巧みに引き出している。

異なる信念が理解し合う瞬間/『レイチェル・ウォレスを捜せ』ロバート・B・パーカー

 もう三度か四度読んでいる。それでも、「こんなに面白かったのか!」というほど堪能した。スペンサーの機知とユーモア、皮肉と諧謔(かいぎゃく)はシリーズ中ぴか一と思われる。


 護衛を依頼してきたレイチェル・ウォレスは著名なフェミニストだった。対するスペンサーは騎士道精神を体現したマチズモである。これだけで既に何かが起こりそうな予感がする。ただし、レイチェルは女性の権利を守ろうとして常に社会と対立する位置に身を置いているが、スペンサーは自分の信念に照らして行動している。つまり、レイチェルはフェミニストという立場に生きていたが、スペンサーは常に自分自身であろうと努めた。それ以外はあまりにもよく似た二人だ。


「で、きみはいつも自分の好きなことをする」

「ほとんどの場合。できないことも時にはある」


【『レイチェル・ウォレスを捜せ』ロバート・B・パーカー/菊池光〈きくち・みつ〉訳(ハヤカワ・ノヴェルズ、1981年/ハヤカワ文庫、1988年)以下同】


「おまえたち、だと?」私が言った。「おれたち? おれは、おれとおまえのことについて話してるんだ。おれたちやおまえたちについて話そうとしているんじゃない」


 スペンサーは自分に依って立っている。自分自身だけに帰属している。組織とは無縁だ。彼は、「寄らば大樹の陰」という生き方を嘲笑する存在だ。


「彼女(※スーザン)は連れ歩くような人間じゃない。同席を承知してくれたら、あんたにとっては幸運だ」

「今の口調は気にいらないな」レイチェル・ウォレスが言った。「そのレイディ・フレンドのために、わたしたちが給料を払ってる仕事からあなたの注意がそれというのは、わたしとしては当然の関心事だわ。危険が生じたら、まず彼女を守るの、それともわたしを守るの?」

「彼女だ」


 価値観とは優先順位を明らかにするものである。仕事は人生の一部に過ぎない。それが単なる労働であれば順位は更に低くなる。


「なぜボクシングをやめたの?」

「能力の限界に達したんだ」

「優秀なボクサーじゃなかったの?」

「優秀だった。偉大ではなかった。優秀では生きていけない。充実した人生を送れるのは偉大な連中だけだ。それに、あまりきれいな世界じゃない」


 客観的な自己評価が、自分にできることとできないことを判断する基準となる。スペンサーは大言壮語とは無縁だ。どこまでも、ありのままの自分に忠実であろうとしている。


 異なる信念を持つ二人の人生が交錯し、互いの主張を受け容れることもなかったが、スペンサーがレイチェルを救出したことで二人は深く理解し合う。レイチェルを救い出したスペンサーは声を上げて泣く。その夜、レイチェルは自分の弱さをさらし出す。互いを人間として見つめることができた瞬間に二人の心はつながった。

レイチェル・ウォレスを捜せ (ハヤカワ・ミステリ文庫―スペンサー・シリーズ)

機械には時間がない


 機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることができ、完成した後からでも部品を抜き取ったり、交換することができる。そこには二度とやり直すことのできない一回性というものがない。機械の内部には、折りたたまれて開くことのできない時間というものがない。

 生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる。


【『生物と無生物のあいだ』福岡伸一講談社現代新書、2007年)】

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)

2009-10-30

ススナガ・ウェーラペルマ


 1冊読了。


 121冊目『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ/大野純一訳(めるくまーる、1993年)/クリシュナムルティにはまっている。これで2冊目。思考の束縛を解き放ち、答えを自分自身の中に見出す思想だ。クリシュナムルティの対話はブッダやソクラテスを彷彿(ほうふつ)とさせる。神や教団など、人間が寄り掛かろうとする一切のものを否定している。徹底した否定の後に果たして何が現れるのか。彼の圧倒的な静謐(せいひつ)は驚くべき説得力に溢れている。本書はクリシュナムルティの短い言葉から、思索の形跡を綴ったものだが、潜水艦のように人間の深層を探っており、逆らい難い普遍性に富んでいる。聞き慣れない名前だが、著者はスリランカ出身。

言語概念連合野と宗教体験

 側頭葉、頭頂葉後頭葉の接合点に位置する言語概念連合野は、主に、抽象概念を生み出したり、こうした概念を言語と結びつけたりする役割を負っている。複数の概念を営むことの領域は、言語の利用と理解に必要な認知作用のほとんどすべてを担っているということができ、意識の発生と、意識の言語的表現にとって必要不可欠な領域になっている。

 当然、言語概念連合野が精神機能一般に果たす役割も大きく、宗教体験に関与していたとしても何ら不思議はない。ほとんどすべての宗教体験には認知的・概念的要素があって、それについて考えたり、理解したりできるからである。カリフォルニア大学ロサンゼルス分校のV・S・ラマチャンドランは、側頭葉てんかん患者が、宗教用語や、宗教的な事柄を連想させる言葉などに強く反応すると報告している。この発見は、宗教的な神秘体験の際に、側頭葉が非常に重要な役割を果たしていることを示唆している。さらに、この領域には、因果的思考などの重要な機能も備わっている。因果的思考とは、われわれが神話を作ったり、儀式の中で神話を表現したりするのに欠かせない機能であり、この点については後の章で詳しく議論することになる。


【『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース/茂木健一郎監訳、木村俊雄訳(PHP研究所、2003年)】

脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス

2009-10-29

森山大道


 1冊挫折。


 挫折87『森山大道、写真を語る』森山大道〈もりやま・だいどう〉(青弓社、2009年)/森山大道のインタビュー集成。写真も豊富。好きな人には堪(たま)らない内容なんだろうな。森山のスタイルは「断片的な記憶」というべきもので、普通の視線を意図的に回避しているように見える。写真を見るたびに、こちらの立ち位置がわからなくなってしまう。傾斜した座標軸が世界を不安定にしているのだ。面白い写真なんだが、部屋に飾りたくなるようなのはないね。

2009-10-28

三木清


 1冊読了。


 120冊目『人生論ノート三木清(新潮文庫、1954年)/20代で一度読んでいるが、全く異なる感銘を受けた。自分の精神的な変化を思い知らされたような気がする。短文であれば、何か普遍的なことを書いているように思いがちだが、本書には思想的格闘を経た強靭な下半身の力が窺える。これと、正反対の位置にあるのが武者小路実篤の色紙であろう。「仲良きことは美しきかな」――ハイ、ご苦労さん。ひとたびは、マルクス主義者として転向を余儀なくされた三木は、戦時中に治安維持法違反の廉(かど)で逮捕され、終戦直後に獄死している。その意味で彼は、人間の弱さと強さとを誰よりも知悉(ちしつ)していた。そんなふうに思えてならない。

安静看護という発想が病人をベッドに縛りつけた


 ではなぜ従来の専門性が、高齢社会と呼ばれる現代の人々のニーズに対応できなくなり、逆に寝たきりや呆けを作り出すに至って結果的に介護の台頭を許すことになってしまったのか。

 その最大の原因は皮肉なことに近代医療の発達なのである。病院の始まりは、野戦病院である。そこは死を待つ場所であった。抗生物質のない時代に、病人とケガ人は、感染の予防も治療もできず、死に至った。医師にできることはわずかの治療、それも現在の知識レベルでは効果があるとは思えないような薬が与えられていただけであった。しかし看護には有効な方法があった。安静を保ち、栄養を補給することである。安静と栄養と“治療”を受けたという暗示によって、回復力のある運のいい若い患者は治癒することができた。

 当時の看護師は、安静の技術を持っていればよかった。栄養を補給することを考えればよかった。だから、いまだに老人に鼻からチューブで栄養を摂(と)らせようとし、そのチューブを老人が嫌がって抜いてしまうから、と、手を縛って安静を強制してしまうのである。それが老人を寝たきりと呆けに追いやってきた。そういった方法論だけではなく、問題となるのが、医療者、看護職の頭の中で「安静を必要とする病人」というイメージが固定化されてしまったことにある。


【『老人介護 常識の誤り』三好春樹(新潮社、2000年/新潮文庫、2006年)】

老人介護 常識の誤り 老人介護 常識の誤り (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-10-27

人の心


 人の心は変わる。良くも悪くも。そこに人生の変化がある。

ガンジーはナショナリスト(民族主義)指導者だった


 南アフリカ滞在の初期に、ガンジーはすでにナショナリスト(民族主義)指導者であった。ガンジーの最初の変身である。彼は生涯を通してナショナリストであったから、これを認識することは重要である。彼のヒューマニスム(ママ)は、インドおよびインド人への深い愛着から離れることがなかった。


【『ガンジーの実像』ロベール・ドリエージュ/今枝由郎訳(白水社文庫クセジュ、2002年)】

ガンジーの実像 (文庫クセジュ)

理性の開花が人間を神に近づけた/『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志

 西洋史における中世魔女狩り(15-17世紀/及び異端審問、12世紀-)という狂気で終焉を告げる。近代への扉を開けたのは、イタリア・ルネサンス(14-16世紀)と宗教改革(16世紀)であった。ただし注意が必要で、魔女狩りに関してはルター派の方が熱を上げていた。


 教会の権威が肥大化を極め、神の名の下で罪なき人々が火あぶりにされる中で(魔女は生木でゆっくりと焼かれた/『魔女狩り』森島恒雄)、科学・数学の大輪の花が次々と咲いた。まさに百花繚乱といったところ。この頃、グーテンベルクが活版技術を完成(1445年頃)させたが、印刷は宗教書に限られていた。


 つまり中世まで、学問・芸術は教会の管理下に置かれていたということだ。このため、学問をするためには教会関係者になる必要があった。中世の科学者のほぼ全員が神学を収めているのはこうした時代背景による。ただし、当時の科学者の殆どは魔女の存在を信じて疑わなかった。人間は時代の支配から免れない、ということだ。


 ただし、17世紀において、世界に冠する科学的な認識は、キリスト教的な枠組の外へ出ることはなかった。そこでは、神が支配する世界における人間の位置づけが変わっただけである。すなわち、神のみが全てを知るのではなく、人間もまた、理性によって、世界に関する知識を持ち得ると考えられるようになったのである。しかし、世界を知り得るようになっただけで、世界を創り、それを支配するのは神であるという前提は変わらなかった。実際、万有引力の法則で有名なニュートンにしても、科学者であったと同時に、熱心な聖書研究者でもあった。当時、世界を知るためには、神の教えを知らねばならないと考えられていたからである。


【『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志〈やくしいん・ひとし〉(PHP研究所、2008年)】

 神は全知全能だ。そこには人間の理想が込められていた。古代の人々はきっと「無知の知」を自覚していたのだろう。知の発見と遭遇するたびに、人間は世界の広さを知り、その調和に驚くあまり「創造者」を思い描いたとしても不思議ではない。


 フン、笑わせるじゃないか。全知全能だと? じゃあ私が昨日の夜食べたものを当ててみせろよ。アン? 数年前に買ったばかりの自転車で私が激しく転倒した場所を言ってみろよ。大体だな、あんたが本当に存在するなら、一度でも下界に降臨して姿を見せたらどうなんだ?


 西洋で総合的な学問が実ったのは他でもない。この世界が「神によって創られたこと」を証明するためだった。中世に至るまで教会はアリストテレスにしがみ続けた(チャールズ・サイフェ『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』)。


 理性の開花が人間を神に近づけた。ゲーデルの不完全性定理は、神の姿を蜃気楼のように淡いものとしてしまった。しかしながら、西洋において神の影が薄くなった形跡はない。結局、理性と感情とは別物なのだ。


 アメリカ大統領は就任する際、聖書に手を置いて宣誓する。完全な政教一致だ。キリスト教が世界で幅を利かせている間は、十字軍や魔女狩りがなくなることはない。

民主主義という錯覚

2009-10-26

枢軸時代の変化

 ソクラテス孔子、イエス、仏陀は、同じような時期に出生している。これは宗教史にとって重要な出来事である。ドイツの哲学者カール・ヤスパース(1883-1969)は、この4人が出た時代を「軸の時代」と名付けた。彼らの思想に共通していることは、個々の人間つまり自己を問題にすることだ。「軸の時代」までは、王が国を守るための儀式であるとか、人々がその社会を守るための律法であるとかが宗教の名において求められてきた。今のわれわれならば自己を問題にすることは当然ではないかと思う。しかし歴史の中においては、個人の精神の問題が考えられるのはそれほど古いことではない。古代エジプトの宗教、セム系ユダヤ人の宗教、古代日本における豪族たちの宗教などにあっては、王あるいは皇帝の死後の世界をどのように考えるかが主要問題となることはあっても、一般の人間が個体として浮かび上がることはなかった。


【『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵(講談社学術文庫、2003年)】

空の思想史―原始仏教から日本近代へ (講談社学術文庫)

2009-10-25

デイビッド・J・リンデン、ジャコモ・リゾラッティ、コラド・シニガリア、湯浅治久


 2冊挫折、1冊読了。


 挫折85『つぎはぎだらけの脳と心 脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?』デイビッド・J・リンデン/夏目大〈なつめ・だい〉訳(インターシフト、2009年)/24ページで挫ける。テンポが悪い。


 挫折86『ミラーニューロン』ジャコモ・リゾラッティ、コラド・シニガリア/柴田裕之訳、茂木健一郎監修(紀伊國屋書店、2009年)/22ページで挫けた。ちょっと難し過ぎる。こりゃ学術書だな。


 119冊目『戦国仏教 中世社会と日蓮宗』湯浅治久(中公文庫、2009年)/歴史的事実の記述に傾き過ぎだと思う。著者なりの絵が描けていない。特に後半の失速が目立つ。中山門流の話題が中心となっている。「戦国時代の日蓮宗」といった内容で「戦国仏教」というキーワードが説明不足だ。この時代は寺請制度前夜に当たるので、鎌倉時代との相違を俯瞰することが求められる。

米銀行破綻100件超す 昨年の4倍超 17年ぶり高水準


 米連邦預金保険公社(FDIC)は23日、2009年の銀行の破綻(はたん)件数が100件を突破したことを明らかにした。100行を超えるのは、貯蓄貸付組合(S&L)の破綻連鎖から金融危機が起きた1992年(181行)以来、17年ぶりの高水準。2008年(25行)の4倍超になった。

 23日に破綻したのは、フロリダ州のパートナーズ・バンクやジョージア州のアメリカン・ユナイテッド・バンクなど地域銀行7行。破綻銀行は106行になった。

 銀行破綻の増加は、景気低迷と失業率の上昇による住宅ローンや消費者ローンの焦げ付きによる不良債権に加え、商業用不動産や金融商品の評価損の拡大が原因。一部大手金融機関は投資銀行部門が損失を補い業績回復が進んでいるが、規模が小さい地域金融機関は厳しい状況が続いている。

 FDICは6月末時点で経営が不安視される「問題銀行」が416行あると指摘。ベアー総裁は「銀行の破綻はさらに増えるだろう」との見通しを示している。


東京新聞 2009年10月24日 夕刊

米兵は拷問、惨殺、虐殺の限りを尽くした/『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン


 ベトナムにおける米軍の残虐非道ぶりが、米兵の口から証言されている。かすかに残っていた良心が罪の意識を呼び覚ましたのだろう。だが、どれほど真摯に語ったところで、犯罪をおかした側の言葉は羽根のように軽い。これは、野田正彰著『戦争と罪責』(岩波書店、1998年)でも同様だ。同じ目に遭わずして、彼等の犯した罪が帳消しになることはないだろう。


 軍事行動の要は効率である。少し前までは市民であった人々を短期間で殺人マシーンに仕立てなくてはならない。ひとたび命令が下れば水火も辞せず進軍し、躊躇(ためら)うことなく銃を撃ち、ナイフを突き立てる兵士が求められる。


 そして戦争には捕虜がつきものだ。当然ではあるが、兵士は尋問テクニックを学ぶ。尋問の目的が情報収集にある以上、ありとあらゆる手段を講じて捕虜の口を割らせることになる。人間と人間とが殺し合う戦場において、国際人道法ジュネーヴ条約などがブレーキになることはあり得ない。


 アメリカ軍による尋問は凄惨を極めた――


リチャード・ダウ


問 尋問を見たことがあるか?


答 見た。私がつかまえて、連行した何人かの捕虜について行なわれたものだ。おそらく25回ないし30回の尋問を目撃している。


問 その模様を話してもらえるか?


答 そう、私は少年をつかまえた――17歳ぐらいだったろう。私はその子の脚を射ち、相手は倒れた。彼は武装していた。私は武器を取りあげ、応急手当をして看護用ヘリコプターを呼び、中隊の司令部に連行した。彼に手当てを施すと、われわれは尋問した。


問 尋問に立ち会ったのか?


答 立ち会った。ずっと見ていた。ベトナム人の尋問官が話しはじめた。少年は腿に傷を受けていて、その部分を縫合され、輸血されていた。尋問の途中で、私は尋問官が手をのばして相手の脚の包帯をはぎとり、銃床でそこをなぐり、また血をふき出させるのを見た。少年は多量に出血した。すると、しゃべればまた包帯を巻いてやると言われた。少年はしゃべろうとしなかった。そこで尋問官は銃剣を取り、銃弾がつくった足(ママ)の傷を切りひらいて大きくした。それでもまだお手やわらかな方だった。彼らはさらに相手を責めつけて、ついに殺してしまった。


問 どんなふうに殺したのか?


答 拷問して。


問 どんなふうに拷問したのか?


答 指を切り取ったのだ――一度に関節ひとつずつだ。さらに相手にナイフを突き立て、血を吹き出させた。


問 どこに?


答 相手の顔、腹、手、脚、胸に突き刺して血だらけにした。


問 どのくらいそれはつづいたのか?


答 約3時間。最後に少年は気を失った。意識を取り戻させることはできなかった。尋問官はピストルを引き抜き、彼の顔を射った。彼が死ぬと、連中はその鼠蹊部を切り取った――つまり去勢したのだ――そしてその部分を口に縫いあわせた。そのあと死体をその村の真中に立てて、掲示をぶら下げた。だれでも手を触れる者はこれと同じ扱いを受ける、と。だれも触ろうとはしなかった。女にもまったく同じやり方をするんだ。


問 それを目撃したことはあるか?


答 ある。われわれはサイゴンへ出かけていってビールを飲んでいた。仲間の一人はバーの上の部屋に売春婦をつれこんだ。するとその男が悲鳴をあげた。彼はその小娘から剃刀の刃で切りつけられたのだ。われわれは憲兵を呼んで、彼を病院に運んだ。女はその場から手近の軍事施設に連行した。女をつれていくと、そこで彼女は縛りあげられ、股からのどまで真一文字に切り裂かれた。連中は女をたちまち殺してしまった。


問 きみはそれを見たのか?


答 この目で見た。


問 そのほかに婦人を虐待した例を見たか?


答 そう、見た――だが、話して良い気持のものではな。できれば話したくないのだが、それに、こういうことことはご婦人の前で口にするわけにはいかない。


問 あなたがたお二人はこの場をはずして、しばらくわれわれ二人だけにしておいてくれないだろうか?

 で、どんなことを見たのか?


答 一人の若い娘がつかまったのを見た。彼女はベトコンのシンパだと言われていた。その娘をつかまえて連行したのは韓国軍だった。尋問しても、彼女は口を割らなかった。すると連中は娘の衣服をすべてはぎ取り、きつく縛りあげた。そして、その大隊の全員がかわるがわる彼女を犯した。やがて娘は、もうがまんできないからしゃべると言った。すると連中は彼女の性器を、その辺にあった針金で縫いあわせた。さらに鉄の鉤を頭に突き刺して、宙づりにした。そして、その一団の指揮官の中尉が、長いサーベルをふるって頭と胴体を切り離した。ほかに、一人の女が赤熱した銃剣を性器にぐさりと深く突き立てられるのも見た。


問 だれがそれをやったのか?


答 われわれがやった。


問 アメリカ兵が?


答 そうだ。


問 何人ぐらいのアメリカ兵がそれに加わったのか?


答 7人。


問 その娘は何者だったのか?


答 ベトナム人の村長の娘で、ベトコンのシンパだった。われわれが彼女を裸にし、縛りあげ、銃剣を火で熱して、その乳房を刺し、陰部にも突き立てたのだ。


問 彼女は死んだか?


答 すぐには死ななかった。われわれの中の一人が、自分の長靴から革の靴ひもをとり、それを水で濡らすと、彼女の首のまわりにまきつけた。そして娘をつるして太陽にさらした。生皮は乾くにつれて収縮する。それで彼女は徐々にくびれて死んだ。


【『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン/鈴木主税〈すずき・ちから〉訳(合同出版、1971年)】


 国家が意図的に殺人マシーンを作り上げてしまったのだから、アメリカ国内で猟奇殺人があるのも致し方ないだろう。殺し屋達が帰国後、まともな人生を歩めるはずもない。


 まして、軍によって精神までコントロールされてしまった彼等に対して、米国民は冷ややかな態度で応じた。ベトナム戦争をテーマにした映画作品も多いが、単なるガス抜きに終わってしまっているような印象も受ける。


 ベトナムの地において米兵の多くは既に人間ではなくなっていた。彼等は権力者の意思によって動かされる手足と化していた。命令系統が「殺せ」と指示すれば、彼等はゲームを楽しむように殺戮に興じた。


 兵士が語る過去には自戒が込められていた。反省と懺悔もあった。だが、そのアメリカが今もなお戦争を推進している。イラクを攻める際には「大量破壊兵器を保有している可能性がある」ことを口実にしたが、実際には存在しなかった。そもそも、大量破壊兵器を保有しているのはアメリカに他ならない。アメリカよ、自分を攻撃したらどうなんだ?

人間の崩壊―ベトナム米兵の証言 (1971年)

2009-10-24

文庫化『露の身ながら 往復書簡 いのちへの対話』多田富雄、柳澤桂子(集英社文庫、2008年)


露の身ながら―往復書簡 いのちへの対話 (集英社文庫)


 突然の脳梗塞で、声を失い右半身不随となった免疫学者・多田富雄と、原因不明の難病の末、安楽死を考えた遺伝学者・柳澤桂子。二人の生命科学者が闘病の中、科学の枠を越えて語り合う珠玉の書簡集。いのち・老い・病・家族・愛・科学・戦争・遺伝子・芸術・宗教・平和とは何なのか……。

『イエスは仏教徒だった? 大いなる仮説とその検証』エルマー・R・グルーバー、ホルガー・ケルステン/市川裕、小堀馨子監修・解説、岩坂彰訳


イエスは仏教徒だった?―大いなる仮説とその検証


 イエスは本来仏教徒であった。この大胆な仮説を、文献や考古学上の成果を駆使し、東西文化交流の長い歴史に遡って論証する試み。研究者7名による解説「イエス=仏教徒説を検証する」を収録。

『私とマリオ・ジャコメッリ 「生」と「死」のあわいを見つめて』辺見庸


私とマリオ・ジャコメッリ―「生」と「死」のあわいを見つめて


 孤高の写真家をめぐり静かに深まりゆく作家の言葉−断想。NHK新日曜日美術館「私の愛する写真家」(08年5月25日放送)をもとにした詩的映像論。生と死の思索。マリオ・ジャコメッリの代表作の他、辺見庸未発表詩篇も収載。


主な目次

第一章 白は虚無、黒は傷跡

  スカンノの少年

  心と躰に刺青を彫りこまれる

 「想像への入口」としてのモノクローム

  あらかじめ詩人である男が見る異界

       

第二章 「時間」との永遠の戦い

 「時間の強制」からの離脱

  識閾から見る風景

  世界はそこに実在するのか

          

第三章 生に依存した死、死に依存した生

  死にゆく者の側から撮られた風景

 「死」とむきあう空間のにおい

 〈見ること〉と〈見られること〉

 「死ぬのもむずかしいのよ」


第四章 資本、メディア、そして意識

 「無意識」に入りこむ資本

  映像と資本の腐れ縁

  資本はジャコメッリさえもとりこむ

  倒錯した状況のなかで


第五章 解かれなければならない「謎」、解いてはならない「謎」 

  謎と自由

  表現者はいかにして資本と権力から自由でありえるか

  ジャコメッリという人間の手ごたえ

  帰結のむこうにはじまりがある

2009-10-23

ラメズ・ナム、平野秀典


 1冊挫折、1冊読了。


 挫折84『超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会』ラメズ・ナム/西尾香苗訳(インターシフト、2006年)/最新の遺伝子治療から、近い未来に可能となりそうな夢の如き治療法が列挙されている。時間がないため、日を改めて読む予定。


 118冊目『世界に一つだけのギフト 人生に幸運と奇跡を呼ぶ15の感動エピソード』平野秀典(実業之日本社、2009年)/20分くらいで読了。泣ける。というよりは、「泣かせようとする意図」にしてやられるのだ。私も泣いた。泣きながらもそんな自分が許せなくなる、という股裂き状態に陥る。道徳本の胡散臭さと同じ匂いがプンプンするよ。結局、泣けるだけで後には何も残らない。

オクタウィウス


「オクタヴィウス」よりも、「オクタウィウス」の方が検索ヒットが多い。「美しさとは調和である」ことを示した名文である。


 海を見よ。海岸の法則によってさえぎられている。どんな木であろうと見るがよい。いかに大地の内側から生気を与えられていることか。大洋を見よ。定期的な潮によって満ちたり引いたりしている。泉を見よ。絶えることのない水脈によって安定している。川に注目してみよ。常に活発な流れで動いている。では、山々のきっちりした配置、丘のうねり、平野の広がりについてどう言うべきか。動物たちが互いに対して身を守るためのさまざまな防具の一つ一つについてはどう言おうか。あるものは角で武装し、あるものは歯で身を守り、あるものは蹄の上に立つ。あるいは刺を持ち、あるいは足の速さや翼で飛んで逃げ出す。しかし何よりも、まさに我々人間の形の美しさが制作者である神をあかししている。まっすぐな姿勢、立った顔、目は見張台の上みたいに身体の最上部に位置し、他の器官もすべて砦の中のようにうまく配置されている。(『オクタヴィウス』ミヌキウス・フェリクス)


 この人、テルトゥリアヌスと並んで、いわゆるラテン護教家の代表的人物の一人である。護教家というと聞こえが悪いかもしれないが、歴史的概念としての護教家と現代の護教家はまったく関係がない。現代の護教家というのはいわば悪口のレッテルで、古くさい(ないし一見古いように見える)教義や伝統に固執し、ないし実際には自分たちの単なる精神的保守主義が知的怠慢を保持するために名目上古い教義や伝統に託してしがみつき、なりふりかまわず、あらゆる屁理屈を弄して、ないし理屈も言わずにひたすら頑固に、宗教的に見える思い込みを言い張る人たちのことであるが、歴史的な意味での護教家はそういうのとは関係がない。古代キリスト教史の一時代を画し、重要な貢献をなした人々のことである。


【『キリスト教思想への招待』田川建三勁草書房、2004年)】

キリスト教思想への招待

「君は薔薇より美しい」布施明


 今聴いても名曲だ。ブギーっぽいフォーンセクションと、軽快な歌声のマッチングがお見事。


D


エッセンシャル・ベスト布施明

2009-10-22

鍋かむり日親/『反骨の導師 日親・日奥』寺尾英智、北村行遠


 日蓮は国家権力と真っ向から対峙した人物だった。門下も好戦的で強烈なキャラクターの持ち主が多い。分裂を繰り返す日蓮系教団の中にあって、最も勇名を轟かせているのが日親(1407-1488年)である。足利幕府に捕えられた日親は、熱した鍋を頭にかぶせられても、尚唱題(※南無妙法蓮華経と唱えること)をやめることがなかった。その不屈の闘志を称えて、後世の人々は「鍋かむり日親」と呼んだ。


 日親が押し込められた獄舎の状態は、誠にひどいものであった。『埴谷抄』に記されたその様子は、

 四畳敷に卅六人入れられたるつめ籠(ろう)に入れさせ給き。余りに不便なりとて、翌日彼の越前守(えちぜんのかみ)余の者を廿八人出して六角の大籠に移し、八人ばかり留め置かれたりき。籠の高は四尺五寸(約136センチ)、上より打たるる釘はさきを返さず中に流すなり。

 というもので、立つこともままならず、横になって体を休めることもできないようなありさまであった。それは「洛中(らくちゅう)においてその隠れ有るべからず」と述べられているように、万人の知るところであった。

 こうして日親は一年半を獄舎につながれ、さまざまな法難を受けた。江戸時代に本法寺日匠が著した『日親上人徳行記』には、次のように列挙している。

(一)炎天に日親を獄庭に引き出し、薪(まき)を積んで火を付け、これに向かわせて、苦悩耐えがたければ念仏を唱えよと強要した。(二)凍りつくような寒夜に獄庭に引き出し、裸のまま梅の木に縛り付け、夜通し笞(むち)打った。(三)日親を浴室に入れて戸を閉じて、三時ばかり火をたき続けた。(四)梯子(はしご)に日親を縛りつけ、堤子(ひさげ)に水を汲んで口から流し込んだ。三六杯に至るまではこれを数えたが、その後いくらになったか数えきれないほどであった。(五)竹串をもって日親の陰茎(いんけい)を突き刺し、あるいは焼鍬(やきくわ)を両脇の間にはさませたりして苦しめた。(六)まっかに焼いた鍋を日親の頭の上にかぶせた。髪は燃え肉も焼けただれたが、大きな苦悩もなく、しばらくの後本復した。(七)将軍が獄吏(ごくり)に命じて日親の舌を抜かせようとした。ところが獄吏はこれを憐れんで舌頭を少し切り取った。

「火あぶり」や「なべかむり」の刑は、死刑といってもよいものであったから、日匠が記すような法難が、果して実際に行われたものであるのかどうかは、疑問の余地もある。しかし、『埴谷抄』に「水火の責」「禁獄強(拷)問の責め」と記されるように、相当に重い肉刑を加えられたことは事実であろう。このような法難にも屈せず、法華経信仰を貫き通したところに、後世「なべかむり日親」の姿が形作られ、人々に広まっていったものであろう。


【『反骨の導師 日親・日奥』寺尾英智〈てらお・えいち〉、北村行遠〈きたむら・ぎょうえん〉(吉川弘文館、2004年)】


 日親は日蓮に倣(なら)って足利義教に対して諌暁(かんぎょう)した。現在の言葉でいえば「宗旨替えを迫った」ということになるが、当時の感覚は異なっていたことだろう。多分、政治と宗教の距離もそれほど離れていなかったはずだ。


 仏教は元々輸入された時点から「鎮護国家」を目的としていた。というよりは、むしろ国家という枠組みを作り上げるための思想をこの国が求めていたのだ。つまり、仏教は政治目的で日本に導入されたといってよい。


 日本古来の神道は宗教というよりは習俗に過ぎなかった。それに対して仏教は、紛れもなく世界に通用する思想であった。そして思想は人間を変える。仏教は政治という枠に収めきれる代物ではなかった。


 ブッダとは「覚者(かくしゃ)」の謂いである。目覚めた人物の偉大な思想に触れた人々は、自らも目覚めることで権力者を恐れなくなる。都合が悪くなった権力者は好きなだけ迫害を加えた。


 こう書いていると、当時の仏教と現在の民主主義が非常に似た性質であることに気づく。権力者は統制するために思想を利用し、広まった思想が今度は権力者に立ち向かうのだ。まるで、ゴムひものように。真の思想が示しているのは、こうした弾力性に他ならない。

反骨の導師 日親・日奥 (日本の名僧)

パーソナルシュレッダー


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シンボルとしてのマンダラ


 タントリズムにあっては、すべてがシンボルに置きかえられる。世界も仏もシンボルとなる。シンボルあるいは記号の集積の中で、タントリズムの儀礼あるいは実践が行われるのである。後ほど考察するマンダラも、シンボルあるいは記号の統合された集積にほかならない。かたちのあるもろもろのもの(諸法)が、かたちあるままで「熱せられて線香花火の火の玉のように震えながら」シンボルとなるのである。


【『はじめてのインド哲学立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社現代新書、1992年)】

はじめてのインド哲学 (講談社現代新書)

2009-10-21

J.クリシュナムルティ


 1冊読了。


 117冊目『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J.クリシュナムルティ/大野純一編訳(コスモス・ライブラリー、2000年)/『ツァイトガイスト』を観て、直ちに取り寄せた。静けさの中にも銅鑼(どら)のような響きを湛(たた)えた不思議な声。誰にでもわかるやさしい言葉で、人々の常識を打ち砕いている。クリシュナムルティの名前は知っていたが、まさかこれほどとは思わなかった。まあ、ぶったまげたよ。宗教でもなく哲学でもない。そして思想ですらないのかもしれない。「思念」というのが相応しいと思う。ブッダの対機説法を彷彿(ほうふつ)とさせる当意即妙の対話だ。クリシュムナルティは、思考を解体して自分自身の中に存在する真理を見よと教えている。「ただ、見よ」と。これこそ観心か。教義を否定し、グル(指導者)を否定し、組織を否定しながらも、彼の言葉は仏教そのものと感じてならなかった。衝撃の一冊である。尚、訳者による「あとがき」は、クリシュナムルティをニューエイジのレベルに貶(おとし)めるもので、噴飯物という他ない。

世界銀行とIMFの手口


 スティグリッツ氏自身の経験によれば、エチオピアで初の民主的選挙で大統領が選ばれた際、世界銀行とIMFは新大統領と経済政策について協議した。その時、世界銀行とIMFは「海外からの援助金をアメリカ財務省の特別口座に預け入れるように」と命令したという。そうすれば4%の利息が支払われるとの提案だった。

 しかし、エチオピアがアメリカの民間の金融機関から援助の一環として受けることになったドル融資には、12%の金利が付けられていたのである。世界銀行とIMFの言うことを聞けば、差し引き8%の金利となり、エチオピアの財政は新政権の発足から大赤字になることは明々白々であった。

 当然のことながら、エチオピアの大統領は「国民の生活を改善するために融資を使いたいのでアメリカの財務省に預けることは勘弁してほしい」と懇願した。しかし、その願いは受け入れられず、アメリカの銀行から融資されたドルはそのままワシントンの財務省の口座に移し換えられたのである。

 これが事実とすれば、「世界銀行やIMFはアメリカ帝国主義の手先だ」とするデモ隊の批判も一理あるといえよう。ちなみに、この衝撃的な内部告発をしたスティグリッツ氏は2001年のノーベル経済学賞の受賞者であり、決して根拠のない問題提起をしているとは思えない。


【『通貨バトルロワイアル浜田和幸(集英社、2003年)】

通貨バトルロワイアル

2009-10-20

サントリー、「青いバラ」を11月に発売


 サントリーホールディングスは20日、青色のバラを11月3日に発売すると発表した。価格はオープンだが1本2000〜3000円を想定しており、首都圏や関西、愛知の花店などで売り出す。花びらに青色の色素をほぼ100%含むバラは世界で初めてという。結婚記念日や誕生日などの贈り物としての購入を見込んでおり、2011年に20万本の販売を目指す。

 青いバラは「ブルーローズ アプローズ」。パンジーが持つ青色遺伝子を使って花びらを淡い紫色に近い青色にした。着想から約20年、開発費約30億かけ「不可能の代名詞」ともいわれる青いバラの市販にこぎ着けた。値段は一般的なバラの10倍前後と高価だが、生産量を増やして徐々に価格を引き下げていく。


日経ネット 2009-10-20

東京五輪招致、随意契約が突出 都側が電通に53億円発注


 2016年夏季五輪の開催を目指した東京都と招致委員会(会長、石原慎太郎知事)が、150億円の招致活動費の3分の1を超える約53億円について電通と委託契約を結び、その1000%近くが入札なしの随意契約だったことが19日、都議会決算特別委員会で明らかになった。

 都が区や市町村と連携して実施した招致機運盛り上げのPR事業も、大半が随意契約で業者に発注していた。民主党伊藤悠都議の質問に、招致本部が答弁した。

 電通とは、五輪開催計画を説明した立候補ファイル作成などのため、招致本部が32億800万円、招致委が21億3400万円の委託契約をしていたが、招致本部は99.6%、招致委は100%随意契約だった。

 また都は区や市町村に上限1000万円の委託事業費を出し、オリンピック選手を招いたスポーツ教室などの事業を展開。08年度の事業99件のうち入札は7件で、残りは随意契約だった。99件のうち37件は、都が各自治体に紹介した3業者が受注していた。

 伊藤都議は「他社でも委託可能だったのに、特定の業者と随意契約しており、適切ではない」と追及。招致本部は「入札になじまない事業もあった」などと釈明した。


共同通信 2009-10-19

全てのゲームは単純な行為の繰り返しである


「全てのゲームは単純な行為の繰り返しである」と言ったら意外に思う人も多いだろう。だが、一定のルールに従ってプレーしなければならないゲームそのものは、本当は極めて単純な行為の反復なのだ。(中略)それではなぜ、ゲームがドラマチックな場面を展開し、我を忘れて熱中でき、精神の集中を伴うのだろうか。それは、プレーヤーが目的に向かって勝ち負けを競い合い、互いの心理的駆け引きが大きなウェイトを占めているからだ。


【『集中力がつく本』多湖輝〈たご・あきら〉(ゴマブックス、1981年)】

集中力がつく本

2009-10-19

アイヒマン


 アイヒマンはアウシュヴィッツとマイダネック強制収容所を視察した結果、そこでの抹殺工程を考え出した人物でもあった。ただし、彼は他人が苦しむのを見て快楽を覚えるサディストではなかった。アイヒマンはほとんど事務所の中で自らの仕事に専念し、結果として数百万の人間を死に追いやったのである。一官僚として、彼は死に追いやられる人間の苦痛に対し、何の感情も想像力も有してはいなかった。彼の尋問に当たったイスラエル警察のレスから、自分の父親もまた大量殺戮の犠牲者の一人だったことを聞いて、アイヒマンは「驚愕」する。しかし、そのことに対しても、彼は部分的な責任しか認めようとはしなかった。彼自身は、レスの父親を含む数百万の人間の死に直接関与したわけではなく、単に移送したに過ぎない。それも命令によって。彼は再三にわたって、自分の責任と権限が強制収容所の入口の手前だけに限られていたことを主張した。強制労働も殺人も遺体の焼却も、彼の権限外であった。


【『アイヒマン調書 イスラエル警察尋問録音記録』ヨッヘン・フォン・ラング編/小俣和一郎〈おまた・わいちろう〉訳(岩波書店、2009年)】

アイヒマン調書―イスラエル警察尋問録音記録

2009-10-18

林達夫、ヨッヘン・フォン・ラング、チェーホフ、池谷裕二


 3冊挫折、1冊読了。


 挫折81『林達夫評論集』(岩波文庫、1982年)/調べものがあって開いたのだが私の見当違いだった。冒頭のエッセイが面白い。


 挫折82『アイヒマン調書 イスラエル警察尋問録音記録』ヨッヘン・フォン・ラング編/小俣和一郎〈おまた・わいちろう〉訳(岩波書店、2009年)/20ページほどでやめた。私はハンナ・アーレントを読んでいないので、予備知識にと思ったがこれが間違いだった。重厚な資料。


 挫折83『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集 1』アントン・パーヴロヴィッチ・チェーホフ/松下裕〈まつした・ゆたか〉訳(新潮社、2006年/新潮文庫、2008年)/ユースフ・イドリースがチェーホフの影響を受けているというので読んでみた。面白いのだが、どうも文体がしっくり来ない。90ページで挫ける。チェーホフは警句の才能が凄いね。


 116冊目『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?池谷裕二〈いけがや・ゆうじ〉(祥伝社、2006年)/雑誌『VISA』に連載されたエッセイに解説を追加した作品。最新の脳科学トピックスが満載。この人はバランス感覚に優れたところがあるので安心して読める。

FRB(米連邦準備制度)は民間銀行


 FRBはアメリカの中央銀行である。


 ここで、アメリカの経済について、若干の説明が必要だと思います。

 アメリカという国は、乱暴な言い方をすればヨーロッパの属国です。政治的には大英帝国の植民地から独立しましたが、経済の核心部分ではヨーロッパの支配階級がオーナーを務めている国ということです。

 一番の証拠は、FRBの主要株主がヨーロッパの個人銀行主である点です。FRBは、金融政策を決定する最高意志決定機関であり、準備制度における中央銀行であるアメリカの連邦準備銀行のことですが、連邦準備銀行そのものは民間銀行であり、その株主はロンドン銀行をはじめとする、主にイギリスを中心としたヨーロッパ系なのです。またFRBには、1913年12月23日のクリスマス休暇中に、ヨーロッパ名家や、ロックフェラー家やモルガン家をはじめとするアメリカの名家の息のかかった議員だけが突然集められ、成立したFRS(Federal Reserve System' 連邦準備制度)法案により成立されたという驚くべき経緯があります。


【『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(ビジネス社、2008年)】

洗脳支配ー日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて

ジドゥ・クリシュナムルティ著作リスト/Jiddu Krishnamurti

回想のクリシュナムルティ〈第1部〉最初の一歩… 新しい精神世界を求めて―ドペシュワルカールの「クリシュナムルティ論」を読む 英和対訳 変化への挑戦―クリシュナムルティの生涯と教え 仏教のまなざし―仏教から見た生死の問題 智恵からの創造―条件付けの教育を超えて (クリシュナムルティ著述集) クリシュナムルティの生と死 既知からの自由 いかにして神と出会うか クリシュナムルティの教育原論―心の砂漠化を防ぐために 生と出会う―社会から退却せずに、あなたの道を見つけるための教え しなやかに生きるために―若い女性への手紙 人生をどう生きますか? 未来を開く教育者たち―シュタイナー・クリシュナムルティ・モンテッソーリ… 花のように生きる―生の完全性 (クリシュナムルティ著述集) クリシュナムルティとは誰だったのか―その内面のミステリー 生と覚醒のコメンタリー〈4〉クリシュナムルティの手帖より 生と覚醒のコメンタリー〈3〉クリシュナムルティの手帖より 生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉 生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉 片隅からの自由―クリシュナムルティに学ぶ 自由と反逆―クリシュナムルティ・トーク集 知恵のめざめ―悲しみが花開いて終わるとき 白い炎―クリシュナムルティ初期トーク集 あしどり―クリシュナムルティを糧とする友へ クリシュナムルティの教育・人生論―心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性 私は何も信じない―クリシュナムルティ対談集 自己の変容 新装版 自我の終焉―絶対自由への道 クリシュナムルティの瞑想録―自由への飛翔 (mind books) キッチン日記 J・クリシュナムルティとの1001回のランチ クリシュナムルティ・水晶の革命家 あなたは世界だ クリシュナムルティの瞑想録―自由への飛翔 (サンマーク文庫) 瞑想 学校への手紙 クリシュナムルティの世界 恐怖なしに生きる 私は何も信じない クリシュナムルティ対談集 クリシュナムルティ・開いた扉 自由とは何か ザーネンのクリシュナムルティ クリシュナムルティの神秘体験 大師のみ足のもとに 瞑想と自然 生の全変容 クリシュナムルティ人と教え 最後の日記 子供たちとの対話―考えてごらん (mind books) 学びと英知の始まり 未来の生 クリシュナムルティ・目覚めの時代 英知の教育 生の全体性 クリシュナムルティの神秘体験 生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1 生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2 生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 3 生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4 真理の種子 クリシュナムルティ対話集 クリシュナムルティの日記 クリシュナムルティの瞑想録 自由への飛翔 自由への道 空かける鳳のように 自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法 道徳教育を超えて 教育と人生の意味

『Zeitgeist/ツァイトガイスト(時代精神)』『Zeitgeist Addendum/ツァイトガイスト・アデンダム』日本語字幕


 陰謀論は不信をばらまき、憎悪を煽る。それに対して真実は、人々を目覚めさせる。この映画を陰謀論と考えるか、真実と受け止めるかは観る人の自由だ。自分の内部で何かが覚醒したと感じる人は、直ちにアクションを起こすべきだ。どんなことでも構わない。生活の中で小さな革命を起こすことが大事だ。


※連続再生はこちら


『Zeitgeist/ツァイトガイスト(時代精神)』

















『Zeitgeist Addendum/ツァイトガイスト・アデンダム』


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http://video.google.com/videoplay?docid=-3788207618449105637#

2009-10-17

提婆達多(だいばだった)/調達(ちょうだつ)


 通説によれば、釈迦を殺そうとした悪人デーヴァダッタは、最後には、生きながら火焔に包まれて、「無間地獄」へ落ちて行ったとされていますが、釈迦の没後900年頃、経典を求めてインドにおもむいた法顕(340?-420?)が、その見聞録(『法顕伝』)の中で、調達(デーヴァダッタ)派の仏教僧団がネパール地方にあったと述べており、また、玄奘(600-664)も、その著『大唐西域記』の中で、ベンガル地方に提婆達多派の仏教僧団があったと述べていますから、釈迦の没後の後継者争いに敗れたデーヴァダッタが、彼の僧団をひきいて辺境の地に逃れ、バラモン階級出身者の手にその主導権がにぎられた中央の『正統派仏教僧団』からの激しい迫害と常に闘いながら、かなり長年月の間、生きながらえて、強烈な感化を及ぼしたことも、充分に考えられるのであります。そして、この釈迦の正統な後継者と称する中央の仏教僧団への反抗が、釈迦への反感や軽侮を産み出したようであり、大乗仏教で、釈迦の在世中に直接釈迦から説教を聞いた弟子たちが「声聞」(sravaka シュラヴァカ)――釈迦の声を聞いた者――と軽侮されて、最下位に置かれ、誰の声も聞かずに、独自の方法でさとった者たちが「独覚」(pratyekabuddha プライエティカブッダ)と呼ばれて、その上に位置し、更に、その上に、仏陀の声を聞いてさとりを求める者としての「菩薩」が置かれているのもそのためであると推定されます。


【『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士〈ほり・けんじ〉(第三文明レグルス文庫、1973年)】

仏教とキリスト教 イエスは釈迦である

自覚のない障害者差別/『怒りの川田さん 全盲だから見えた日本のリアル』川田隆一


 身体障害者が本音をぶちまけた内容。“差別される側”からの悲鳴に近い意見の数々が記されている。バリアフリーという言葉だけがフワフワと浮遊しているが、日本の現実社会は「段差」だらけであることを思い知らされる。健康で何不自由なく育った若者は、こういう本を読んで新たな視点を身につけることが望ましい。人は、それぞれが異なる世界で生きているのだ。


 目の不自由な川田が一歩外へ出た途端、数々の心ない言葉を浴びせられる。そのいずれもが咄嗟(とっさ)に出たもので、深層心理の黒々とした部分を窺わせる。


 遠足の子供たちが、お行儀よく整列していることなど、まずありません。駅の通路に広がって、駅構内をを我が物顔で占領しているので、白い杖を持った僕は、子供たちの中に入り込んでしまうことがよくあります。

 子供たちはといえば、突然自分たちの領土に侵入してきた僕のことをものともしないのですが、さすがに引率の先生が注意をします。普通の先生は、「はーい、みんな右に寄りなさい」と通路を空けるように促してくれるのですが、5人に1人は、堂々とこう付け加えるのです。

「みんな何してるの! その人をじろじろ見てはいけません。じろじろ見てはいけません」

 あれほど悲しい瞬間はありません。僕は目が見えないだけで、耳はちゃんと聞こえているのです。僕は汚いものなのでしょうか。目を背けなければならない対象だとでもいうのでしょうか。


 障害のある子供とそうでない子供が別々に教育されている今の日本では、遠足でたまたま目が見えない人と遭遇したことは、障害者を理解するための教育の、またとないチャンスだといえるでしょう。

 世の中にはいろいろな人が共に生きている、中には目が見えない人もいること、そして街で目が不自由な人を見かけたらどんなふうに接したらよいかということを、身をもって教えるための恰好(かっこう)の経験です。

「はーい、みんなよく見て覚えてくださいね。もしも街で目が見えない人が困っていたら、こうやって肘(ひじ)に触ってもらって誘導してあげましょう」

 と、先生自らが率先してお手本を示すことだってできるのです。僕は、そのためなら喜んで実験台になります。


【『怒りの川田さん 全盲だから見えた日本のリアル』川田隆一〈かわだ・りゅういち〉(オクムラ書店、2006年)以下同】


 多分、教員に悪意はないのだろう。ただ、障害者が見えていないだけなのだ。経験したことのない事態に遭遇すると、多くの人は動揺を隠せない。そして、隠せない動揺を隠そうと偽る時、必ず失敗をしでかすものだ。かような発言をする教員は、目の前にいる障害者を傷つけた事実にすら気づいていないことだろう。


 果たして我々は、自分が生きている社会に障害者が存在することをどれほど感じているだろうか。身内に障害者がいるとかいないといった次元の話をしているわけではない。医師や看護師、はたまたヘルパーであっても「障害者と共に生きている」人は少ないと思う。


 例えば、こんな件(くだり)があった――


 しかし、銀行に行けばお金を下ろせるというのは、目が見える人にとっての常識ではあっても、視覚障害者の場合は必ずしもそうではありません。なぜなら僕たちは、つるつるの画面しかないタッチパネル式のATMではお金を下ろすことができないからです。

 凹凸のあるボタンなら、最初の1回だけ目が見える人に教えてもらって位置を覚えておけば、次からは自力で何とか操作ができます。でも、タッチパネル式の場合には、画面が平らで手で触って分かる手掛かりがないため、全盲の僕にはお手上げなのです。また、弱視の人が、一生懸命に表示を見ようと顔を近付けすぎて鼻が当たってしまい、「画面に物を置かないでください」と、ATMの音声アナウンスに怒られたという話は有名です。


 私は頭をガンと殴られた思いがした。なぜなら、一度もそうしたことを考えたことがなかったからだ。どんな形であれ、この世に目の不自由な方がいる事実を知っていれば想像力を働かせて然(しか)るべきだった。ユニバーサルデザインに携わっていなくとも、社会全体が想像力を豊かに発揮する必要がある。


 色々な人がいる。色々な人がいていい。だから、多くの人々を心に抱きながら生きてゆける人は、社会のバリアを敏感に察知できることだろう。


 川田は、やや力み過ぎているように感じた。もっとリラックスした文章でないと、読者が疲労困憊(ひろうこんぱい)してしまう。あるいは、もっとストレートに政治活動や街宣活動をするべきだと思う。

怒りの川田さん―全盲だから見えた日本のリアル

2009-10-16

『裸でも生きる2 Keep Walking 私は歩き続ける』山口絵理子(講談社、2009年)


 日本中を感動の渦に巻き込んだ感動のベストセラー『裸でも生きる』のシリーズ第二弾!!


 小学校で壮絶なイジメにあい、中学校で非行に走り、強くなりたいと男子だけの柔道部へ入部、そして偏差値40の高校から3ヵ月で慶應大学合格。インターンで訪れた国際機関で国際援助の矛盾を感じ、自ら現場を知って途上国の貧困を救おうと、単身バングラデシュに渡り起業。


 第二弾はバングラデシュで生産したバッグを販売する日本初の直営店オープン当日からスタートする。順風満帆かと思いきや、たくさんのメディアに注目されて孤独を感じる日々、信じていた現地スタッフの裏切りなど、流した涙は人一倍、しかし決して歩みを止めず、前に進むことをあきらめない。


 そして、エリコの次の挑戦は、美しいエベレストの麓でマオイストのテロに怯え、混迷する経済と戦い、ゴミ漁りをしてでも必死に生きようとする人たちがいる国、ネパールへ旅立つ。そして、地元の資源で世界に通用するブランドを作り上げるまでの、涙と感動の実話。


 あきらめなければ「不可能は可能になる」ことを教えてくれる、生きる勇気が湧いてくる一冊。


タイトルの『裸でも生きる』とは……


(プロローグより抜粋)「バングラデシュの人たちが自分に問いかけているような気がした。「君はなんでそんなに幸せな環境にいるのに、やりたいことをやらないんだ?」と。他人にどう言われようが、他人にどう見られ評価されようが、たとえ裸になってでも自分が信じた道を歩く。それが、バングラデシュのみんなが教えてくれたことに対する私なりの答えだった」

2009-10-15

メアリアン・ウルフ


 1冊挫折。


 挫折80『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ/小松淳子訳(インターシフト、2008年)/150ページまで読んだのだが、残りは後回し。少々難解。著者の独創的なアプローチは、マンダラを読み解くような面白さがある。なるべく早目に再読する予定。

2009-10-14

佐藤優


 1冊読了。


 115冊目『インテリジェンス人生相談 社会編佐藤優〈さとう・まさる〉(扶桑社、2009年)/第1章が「貧困」というテーマになっていて、薄給のヘルパー、派遣社員の契約解除、抜け出せないネットカフェ生活などの相談が寄せられている。新自由主義に加担した自公政権の罪を目の当たりにした思いがする。佐藤は人生に行き詰まっている彼等に寄り添う。編集部の知らないところで佐藤は、貧しい学生に資金援助をしたこともあったという。真の知性とは、熱い心に支えられているものであることを知る。本来であれば政治家や僧侶(あるいは牧師)、教師などがやるべき仕事を、佐藤は勇んで行っている。

2009-10-13

佐藤優


 1冊読了。この間、11冊も挫折している。


 114冊目『インテリジェンス人生相談 個人編佐藤優〈さとう・まさる〉(扶桑社、2009年)/いやはや驚いた。佐藤優は真剣勝負で他人の人生相談に応じている。どのくらい真剣かというと、「恋愛」ではなく「性愛」という項目があり、「チンポ、マンコ」のオンパレードである。これを浅はかに「下品」としか感じ取れない人は本書を読む資格がない。ありきたりな悩みから特殊な事情に至るまで、佐藤はグローバルスタンダードという視点から斬り込み、実に具体的なアドバイスをしている。実務家としての本領発揮がお見事。更に、一つ一つの相談に対して読むべき書籍を挙げているのも、読者としては嬉しい限りだ。引き続き、『社会編』も読む予定。

「ヘルプ!」ティナ・ターナー


 初めてFM放送から流れてきた時のことを今でも覚えている。人生の辛酸を舐め続けてきたティナ・ターナーならではの熱唱だ。サックスが完全に負けてしまっている。原曲はビートルズ


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Private Dancer: Centenary

社会的評価


 社会的評価は計量できるものに限られる。賞状は相手を称賛することが目的ではなく、発行する側の権威を保つために手渡される。人柄や人間性は社会的評価の対象とはなり得ない。なぜなら計量できないからだ。社会的評価とは、勲章の個数や賞状の枚数を意味する。

親鸞の妻帯


 親鸞がはじめて公然と妻帯したことは有名であるが、その決心もまた(聖徳)太子のお告げによるものと考えられている。


【『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』末木文美士〈すえき・ふみひこ〉(新潮文庫、1996年)】

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

2009-10-12

交通違反パトカー! 住民に指摘されトホホな反則切符


 島根県警松江署の署員がパトカーで巡回中に通行禁止区域を走行し、交通違反の反則切符を切られていたことが11日、松江署への取材で分かった。この道路では昨年も同署の別の署員が同様の違反をして、反則切符を切られていた。

 松江署によると、地域課の男性警部補が10日午前7時35分ごろ、松江市内をパトカーで巡回中に、同市山代町の市道から交差点を左折し別の市道に進入。曲がった先の市道は午前7時から同8時半までの時間規制で通行禁止となっていたが、そのまま走行した。

 通り掛かった付近の男性がパトカーを呼び止めて違反を指摘。警部補は、交差点付近に設置されていた通行禁止の標識を確認すると違反を認めた。間もなく交通課の署員を自ら無線で呼び、その場で交通反則切符を切られた。

 パトカーには警部補のほか、男性巡査も同乗していた。2人とも規制標識を見落としており「標識に気付かなかった」と話しているという。同署は2人を口頭で厳重注意した。

 昨年6月にも同じ場所で別の署員が同様の違反をし、目撃した女性が同署に通報。署員は反則切符を切られている。

 道路交通法では、通行禁止の道路を走行した場合、違反点2点と、反則金7000円(普通車の場合)の罰則が科される。警部補はパトカーで乗務中だったとはいえ、赤色灯などは点滅させていなかったため、一般車両を運転時と同様の反則処分を受けることになる。

 広瀬勉副署長は「標識をきちんと見れば分かること。指導を徹底し再発防止に努める」としている。

 昨年5月には横浜市で空き巣の現場に駆けつけた神奈川県警金沢署員が、法定駐車禁止場所である交差点にパトカーを駐車し、駐停車禁止違反で反則切符を切られている。


スポニチ 2009-10-12

ノーベル文学賞に独作家ミュラー氏


「疎外された人々を描写」


 スウェーデン・アカデミーは8日、2009年のノーベル文学賞をドイツの女性作家ヘルタ・ミュラーさん(56)に授与すると発表した。

「濃密な詩と、散文の率直さにより、疎外された人々を描写した」ことが授賞理由となった。賞金は1000万クローナ(約1億3000万円)。授賞式は12月10日に行われる。

 ミュラーさんは1953年、ルーマニア西部バナート地方でドイツ系家庭に生まれた。父親は第2次大戦中、ナチス武装親衛隊で兵役を務め、母親は45年にソ連の収容所に連行された。ティミショアラ大学でドイツとルーマニアの文学を学ぶ間、チャウシェスク大統領の独裁に反発し、言論の自由を求める運動に参加。工場の翻訳者となったが、秘密警察への情報提供を拒んで解雇され、失職。こうした体験を作品に投影した。

 ルーマニアの小さなドイツ系社会における腐敗や不寛容、抑圧などを題材にした短編集「泥沼の世界」を82年に発表。ルーマニアでは検閲対象となったが、検閲前の版がドイツ語圏で高く評価された。84年には作風を危険視した当局がミュラーさんの国内での出版活動を禁止。このため、87年に夫と西独へ移住した。その後も「緑の梅の土地」(94年)などで独裁下の民衆の窮状を描いた作品を発表。ヨーロッパ文学賞など多くの文学賞を受賞した。日本では「狙われたキツネ」(92年)が翻訳されている。


読売新聞 2009-10-09

世界のアート


 画像をクリックすると、次の写真にジャンプできる。

戦略と戦術


 戦略の誤りは戦術では補えないといいます。


【『目からウロコのカウンセリング革命 メッセージコントロールという発想』下園壮太〈しもぞの・そうた〉(日本評論社、2008年)】

目からウロコのカウンセリング革命―メッセージコントロールという発想

2009-10-11

ハヤカワepiブック・プラネット


 早川書房の新しいシリーズのようだ。

 私の食指が動いたのは以下――


テロル (ハヤカワepiブック・プラネット) カブールの燕たち (ハヤカワepi ブック・プラネット) 哀れなるものたち (ハヤカワepiブック・プラネット)


血液と石鹸 (ハヤカワepiブック・プラネット) 観光 (ハヤカワepiブック・プラネット) 千の輝く太陽 (ハヤカワepiブック・プラネット)

メルヴィン・グッデイル、デイヴィッド・ミルナー


 1冊挫折。


 挫折79『もうひとつの視覚 〈見えない視覚〉はどのように発見されたか』メルヴィン・グッデイル、デイヴィッド・ミルナー/鈴木光太郎、工藤信雄訳(新曜社、2008年)/いい本だ。ただ、私に堪え性がないだけだ。学術的なんでメリハリに欠ける。抑揚に乏しい。そして今、時間がないんだ。余裕がある時にでも再読するつもりだ。75ページで挫ける。どうやら、脳には複数の視覚モジュール(独立した機能)があるようだ。つまり、視覚の目的は「見るため」だけではないってこと。

亀井発言でこんなに株価下落


 亀井さんにいたってはまだ日本の金融機関は資本も万全で強者に見えるのだろうが、メガバンクでも世界の金融界の中ではその資本力はいまや大きく見劣りしているし、そのためには増資によって資本の増強が焦眉の急となっているのだが、亀井暴落でこんなに株価が下がってしまっては増資なんてできはしまい。

 それにもかかわらず「株価の下落は経営に問題がある」として突き放しているのだから、ことの深刻さを理解しているとはとても思えない。


三原淳雄の辛口経済コラム 2009-10-11

レオンハルト・オイラー


 スイスに生まれたオイラーは、ベルリンとサンクトペテルブルグで研究を行い、数学、物理学、工学のあらゆる領域に絶大な影響を及ぼした。オイラーの仕事は、内容の重要性もさることながら、分量もまた途方もなく多い。今日なお未完の『オイラー全集』は、1巻が600ページからなり、これまでに73巻が刊行されている。サンクトペテルブルグに戻ってから76歳で世を去るまでの17年間は、彼にとっては文字通り嵐のような年月だった。しかし、私的な悲劇に幾度となく見舞われながらも、彼の仕事の半分はこの時期に行われている。そのなかには、月の運動に関する775ページに及ぶ論考や、多大な影響力をもつことになる代数の教科書、3巻からなる積分論などがある。かれはこれらの仕事を、週に1篇のペースで数学の論文をサンクトペテルブルグのアカデミー紀要に投稿するかたわらやり遂げたのだ。しかし何より驚かされるのは、彼がこの時期、一行も本を読まず、一行も文章を書かなかったことだろう。1766年、サンクトペテルブルグに戻ってまもなく視力を半ば失ったオイラーは、1771年、白内障の手術に失敗してからはまったく目が見えなかったのだ。何千ページに及ぶ定理は、すべて記憶の中から引き出されて口述されたものなのである。


【『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート=ラズロ・バラバシ(NHK出版、2002年)】

新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く

2009-10-10

世界銀行の副総裁を務めた日本人女性/『国をつくるという仕事』西水美恵子


 面白かった。国際社会が政治力学のみで動いているわけではないことがわかる。西水美恵子はサザエさんそっくりだ。性格はもとより顔つきまで似ている。ただし、この人は良家の出。これが読み始めた際の印象を悪くした。途中で一度挫けそうになったことを白状しておこう。本書のタイトルも同様で、「フン、金貸し風情が随分と大きく出たもんだ」と思わざるを得ない。


 ただ、こうした違和感は上流階級の文化に基くものであり、所詮は庶民のひがみなのだろう。鼻につく表現が時折見られるが、それは西水が育ってきた環境を形成している文化であって、私は彼女の人間性を批判するつもりはない。


 西水はイギリス人男性と結婚。夫はIMF国際通貨基金)に勤務し、本人はプリンストン大学の助教授をしていた。


 チェネリー副総裁は、そんな不真面目な私を笑いながら、契約にひとつの条件を出した。

「一国でもいい。発展途上国の民の貧しさを、自分の目で見てくるように……」

 プリンストンの修士課程を終えて世銀で活躍していた教え子が、それならエジプトがいいと誘ってくれた。彼が率いる開発5カ年計画調査団に同行して、首都カイロへ飛んだ。

 週末のある日、ふと思いついて、カイロ郊外にある「死人の町」に足を運んだ。邸宅を模す大理石造りの霊廟がずらりと並ぶイスラムの墓地に、行きどころのない人々が住み着いた貧民街だった。

 その街の路地で、ひとりの病む幼女に出会った。ナディアという名のその子を、看護に疲れきった母親から抱きとったとたん、羽毛のような軽さにどきっとした。緊急手配をした医者は間にあわず、ナディアは、私に抱かれたまま、静かに息をひきとった。

 ナディアの病気は、下痢からくる脱水症状だった。安全な飲み水の供給と衛生教育さえしっかりしていれば、防げる下痢……。糖分と塩分を溶かすだけの誰でも簡単に作れる飲料水で、応急手当ができる脱水症状……。

 誰の神様でもいいから、ぶん殴りたかった。天を仰いで、まわりを見回した途端、ナディアを殺した化け物を見た。きらびやかな都会がそこにある。最先端をいく技術と、優秀な才能と、膨大な富が溢れる都会がある。でも私の腕には、命尽きたナディアが眠る。悪統治。民の苦しみなど気にもかけない為政者の仕業と、直感した。

 脊髄に火がついたような気がした。


【『国をつくるという仕事』西水美恵子〈にしみず・みえこ〉(英治出版、2009年)】


 ナディアの死が西水の人生を変えた。不正が罪なき人を殺す現場に遭遇した瞬間、それまでは自分のものであった人生を、彼女は貧しい人々に捧げることを決意した。


 本をどう読むかは、「人をどう見るか」、「人生をどう生きるか」といった次元に連なっている。そこに如何なる価値を見出し、反価値(マイナス価値)を見定めるか――物語を読み解く営みの本質はこの一点にある。手放しの称賛は目を曇らせる。頭ごなしの批判は目を閉じさせる。仏像が半眼(はんがん)であるのは、あの世とこの世を見つめているとされているが、結局のところは“正視眼”(せいしがん)の肝要さを示しているのだろう。


 本書は西水の経験に即して書かれており、世界銀行という存在の正当性については全く触れられていない。例えば、ブッシュ政権で国防副長官を務めたポール・ウォルフォウィッツが、その後世界銀行の総裁に就任している。彼は「米国で最も強硬なタカ派政治家」だよ。タカ派というのは、舌禍(ぜっか)でもって世論に波風を立て、センセーショナルな言動をぶちまけて世論を誘導しようと目論む。石原慎太郎のように。エゴが国家の名をまとうと、何となく説得力を持ってしまう。さしたる考えもなしで、「やっぱり、俺も日本人だからなあ」と頷いてしまう。ここが恐ろしい。

 チト、余談が過ぎた。ま、そんなわけで物足りなさを感じはするものの、西水というサザエさんは本気で仕事をした。副総裁となった彼女が接する相手は国家元首クラスの連中だ。彼等の前で常識を説くことが、どれほど勇気を要することか。だが、胸にナディアを抱く西水は、真っ直ぐな言葉を浴びせる。


 決して一筋縄ではいかない国際舞台で、一人の日本人女性が必死で貧しい人々の側に立って、与えられたポジションを最大限に利用し、奮闘した足跡が綴られている。悪しき権力者に対して、西水の筆鋒は鋭さを増す。遠慮するところが全くない。その意味で本書は、「権力の正しい使い方」を描いた作品といってよい。


 民主党政権は西水を閣僚に起用すべきだった。


 尚、余談となるが田坂広志の「解説」が薄気味悪い。まるで新興宗教の教祖みたいだ。

国をつくるという仕事

2009-10-09

バッハは倹約家だった


 そんなバッハの倹約ぶりを目のあたりにうかがわせる資料が、彼の手書き楽譜である。バッハの自筆楽譜は幾何学的ともいえる美しさをもっているが、そこでの用紙の節約ぶりは、徹底したものであった。なにしろ紙は、当時の貴重品である。その紙を有効に使うために、バッハは、いろいろな手を使う。

 たとえば、曲の終わりで少々スペースが足りないことがわかると、次のページに持ち越さず、余白にぎっしりと詰めて書き込む。音符を書くことが無理ならば、タブラチュアというという文字譜に切り換えてしのぐ。また、オーケストラ曲の総譜に余白ができると、そこに別の曲を書き込むこともある。(中略)

 さらに興味深いのは、オルガン用のトリオ・ソナタ全6曲の自筆譜である。バッハは、得意の縮小書きを駆使して全体を54ページにまとめているが、その自筆譜から別の紙に筆写譜を作成した妻のアンナ・マクダレーナは、同じ6曲に、6割も多い86ページを費やしている。また、弟子による二種の筆写譜も、それぞれ、65ページと95ページかかっている。楽譜を詰めて書く技術においては、誰もバッハにかなわないのである。こうして仕上げられた整然たる自筆譜を眺めていると、節約と凝縮の徹底した姿勢に、バッハの音楽作りの本質をみるような思いがする。


【『J・S・バッハ』礒山雅〈いそやま・ただし〉(講談社現代新書、1990年)】

J・S・バッハ (講談社現代新書)

2009-10-08

「やさしく 愛して…」BORO


 BOROのレコードを買っていたのはこの曲が出た頃まで。昔からのファンとしては物足りない。やや、流行に迎合した印象を受けた。でも、やはりサビの部分はいいね。


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ゴールデン☆ベスト

ウィニー開発者に逆転無罪 大阪高裁、著作権侵害ほう助認めず


 ファイル交換ソフト「ウィニー」を開発し、ゲームや映画ソフトの違法コピーを容易にしたとして、著作権法違反ほう助罪に問われた元東大助手、金子勇被告(39)の控訴審判決が8日、大阪高裁であった。小倉正三裁判長は「著作権を侵害する用途に利用される可能性を認識していただけでは、ほう助犯は成立しない」として罰金150万円とした一審・京都地裁判決を破棄し、逆転無罪を言い渡した。

 判決は、ソフトの利用者が著作物を違法にコピーした場合に、ソフト開発者を罪に問えるとした一審の判断を覆した。一審で懲役1年を求刑した検察側と、無罪を主張する弁護側の双方が控訴していた。


日本経済新聞 2009-10-08

記憶とは何か


 失われた時を求めて、というのではない。僕はそのかぎりにおいて、池田の町にいささかの感傷の覚えもなければ望郷の念もないのだ。照合すべき過去が見えないとき、幻想に心情を寄せることは詮ないし、幻影に向けてシャッターを切ることもできない。さらに、過去を現在に、現在を過去に重ね合わせて見ることが記憶を検証することではない。もとより記憶とは、自身の内部(なか)に懐かしく立ち現れる、かく在りきイメージの再現行為などではなく、現在(いま)を分水嶺として、はるか前後へと連なっていく大いなる時間に向けて、したたかにかかわっていく心の領域のことだと思うからである。


【『犬の記憶』森山大道〈もりやま・だいどう〉(朝日新聞社、1984年/河出文庫、2001年)】

犬の記憶 (河出文庫)

2009-10-07

アメリカにおける選挙民の実状


 アメリカ人の約半数は、各州に上院議員が二人いることを知らず、4分の3はその任期を知らない。どちらの政党が下院を支配しているか答えられるのは約70%、どちらの政党が上院を支配しているかを知っている人は60%だけである。半数以上の人が自分たちの州の下院議員の名前を挙げることができず、40%は二人の上院議員の一方すら挙げることができない。彼らを代表する人がどの政党に属しているかを知っている人は、それよりさらに若干低い割合である。こうした知識レベルの低さは、選挙が始まって以来、変わっていない。そして国際比較によれば、アメリカ人の全体的な政治知識は、これで平均をわずかに下回る程度である。


【『選挙の経済学 投票者はなぜ愚策を選ぶのか』ブライアン・カプラン/長峯純一、奥井克美監訳(日経BP社、2009年)】

選挙の経済学 投票者はなぜ愚策を選ぶのか

2009-10-06

理由なき殺人


 われわれは、理由なき殺人というような言葉が口に合う、その行為があるものとして考えられもすれば、いかにもしっくり感覚される、そういう空気のなかにいる。もはや、単なる殺人には情熱も昂奮も感じないが、理由のない殺人となれば刺戟され、内心の情緒まで攪拌されるような感覚を味わう、そういう状態のなかにいるのだ。


【『内部の人間の犯罪 秋山駿評論集』秋山駿〈あきやま・しゅん〉(講談社文芸文庫、2007年)】

内部の人間の犯罪 秋山駿評論集 (講談社文芸文庫)

格差を縮めたブラジルのチカラ


金融危機で打撃を受ける途上国が多いなか、積極的な貧困対策で貧富の差を改善して飛躍に弾み


 世界的な金融危機の中で明るいニュースを探すためには、顕微鏡でも使わなければ無理だろう。しかし意外な場所で、小さな光が輝きを放っていることが分かった。

 経済の低迷が社会の最も弱い存在である貧困層を直撃することは、開発学の常識だ。世界経済が傾けばなおさらだろう。実際、金融危機後の数カ月で貧しい国の貯蓄は失われ、雇用は崩壊し、貧困解消の流れは逆行した。ところが貧しいはずのブラジルが、その通説を覆すかもしれない。

 途上国でも特に社会格差が激しいとされるこの国で、貧富の差の拡大に歯止めがかかった。楽観的観測では縮小している可能性もある。最近の経済統計を見ると、底堅い国内市場と政府の積極的刺激策のおかげで、貧困層の苦境は他国よりも軽度で済んでいる。

 応用経済研究所(IPEA)の最新調査によれば、所得格差の程度を示すジニ係数(数字が大きいほど不平等)が世界経済の不調をよそに改善したという。


ジニ係数が史上最小に


 大都市圏のジニ係数は金融危機直前の昨年6月に0.544だったが、現在は0.526。わずかな下げ幅とはいえ、貧困地区が富裕層の豪邸に隣接するこの国では大した成果だ。

 ブラジル政府によれば積極的な刺激策、特に貧困層向けの減税や政府系金融による貸し付け拡大、現金給付などが危機を救ったという。地道な経済改革で確立した金融システムやインフレ抑制策などのおかげで、多くの新興国よりもはるかに良好な状態で金融危機を迎えることもできた。貸出金利を大幅に下げることが可能だったのはそのためだ。

「ブラジルには体脂肪を燃やす余裕があった」と、ジェトゥリオ・バルガス財団のエコノミスト、マルセロ・ネリは言う。

 ネリによれば、ブラジルは貧困解消において目覚ましい成果を挙げている。実際に90年代半ばから急速に格差は縮小したという。ハイパーインフレ(貧困層にとっては最悪の「課税」だ)が終息し、外国との貿易のためにブラジル経済の門戸が開かれた。

 不振から脱却したブラジル経済の昨年の成長率は5.1%。GDP国内総生産)は1兆5000億ドルを超え、03年から09年6月の間に800万人の雇用が創出されている。過去10年間続けてきた貧困層への現金給付も、安上がりで効果的だった。GDPの0.5%未満の金額で1億9000万の人口の4分の1が救われた。

 ジニ係数の推移を見ると、アフリカに近い水準だった80年代から縮小し続け、08年7月に0.561の史上最小水準を記録(アメリカは約0.380)。その後金融危機で社会の歯車が狂い、今年1月には0.577に跳ね上がった。2年かかってたどり着いた成果が帳消しにされたことになる。


富裕層の経済力低下も


 しかし幸いなのは貧困層が取り残されていないことだ。この点でブラジル政府とネリの意見は一致する。「不平等は拡大していない」とネリは言う。「世界的な景気下降局面では素晴らしい結果だ」

 控えめな褒め言葉に聞こえるが、ブラジル人にとっては大きな賛辞だ。潜在的な国力を持ちながら飛躍できないブラジルは、20世紀の大半を通じて世界有数の不平等社会と評されていた。繁栄する小国ベルギーと人口が多く貧しいインドが混じり合ったような国だ、と。89年にはジニ係数0.625を記録し、世界に恥をさらした。

 それがこの10年で約2700万人が貧困層から中流層へ脱し、貧困ライン以下の人口の割合は02年の約30%から約19%へ激減した。

 だからといってシャンパンで乾杯できるわけではない。格差縮小には富裕層の零落という要因もある。賃上げや社会給付、減税などの景気刺激策は財政赤字の海へと急展開する危険をはらんでもいる。それでも、ブラジルが今のところジニ係数という魔物を抑え込んでいることは確かだ。


【『ニューズウィーク日本版』2009-10-05】

2009-10-05

「Mountain Dance」Dave Grusin


 デイヴ・グルーシンにはまったのは、高校3年の頃か。雪解け水を思わせる叙情的なピアノで日本人好み。


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Mountain Dance

2009-10-04

『戦場のメリークリスマス』ラストシーン


 大した作品だとは思わなかったが、ラストシーンは見事だった。


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戦場のメリー・クリスマス

國分康孝、森山大道、ブライアン・カプラン


 3冊挫折。


 挫折76『カウンセリングの技法』國分康孝〈こくぶ・やすたか〉(誠信書房、1979年)/こんな傑作だとは思わなかったので、余裕がある時に読み直すことにする。


 挫折77『犬の記憶』森山大道〈もりやま・だいどう〉(河出文庫、2001年)/いい本なんだ。ただ、私には時間がない。叙情派フォークっぽい文章で、妙な味わいがある。写真はモノクロで不思議な作品が多い。焦点が定まっておらず、見る者の遠近感が狂わされる。濃い影と粗い肌理(きめ)が、空間を強く意識させる。「撮影意図を放棄した後に見えてくる光景」といった印象を受けた。また、読むかもね。30ページまで。


 挫折78『選挙の経済学 投票者はなぜ愚策を選ぶのか』ブライアン・カプラン/長峯純一、奥井克美監訳(日経BP社、2009年)/監訳者が2人、翻訳者が4人名を連ねている。それでも翻訳は難航したそうだ。つまり、読むのも難航するわけだよ。もっと軽い内容にすれば、それなりに売れると思う。26ページで挫ける。

現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル

 ディストピア小説の傑作が新訳で蘇った。信じ難いほど読みやすくなっている。高橋和久が救世主に思えるほどだ。世界を読み解く上で不可欠の一書である。舞台設定を未来にすることで、権力の本質が管理・監視・暴力にあることを描き切っている。一見、戯画化しているように思われるが、むしろ細密なデフォルメというべき作品だ。


 それにしてもこんなに面白かったとは! 私は舌なめずりしながらページをめくった。権力は、それを受け容れる人々を無気力にし、自由を求める者には容赦なく暴力を振るう。暴力を振るわなければ維持できない性質が権力にはある。


 優れた小説は人間精神の深奥に迫る。そして精神の力は、肉体に加えられる暴力によって試される。アラブ小説が凄いのは、「想像力としての暴力」ではなく、「現実の暴力」に立脚しているためだ。


 もう一つの太いテーマは、「歴史と記憶」である。権力者は歴史を修正し改竄(かいざん)する。なぜなら、権力の正当性は常に過去に存在するからだ。過去は現在という一点に凝縮され、その現在は未来をも包摂している。つまり、過去と未来は現在を通してつながっているのだ。このため、過去に異なる情報が上書きされると、現在の意味が変質し、未来までもが権力者にとって都合のいいように書き換えることが可能となる――


 党は、オセアニアは過去一度としてユーラシアと同盟を結んでいないと言っている。しかし彼、ウィンストン・スミスは知っている、オセアニアはわずか4年前にはユーラシアと同盟関係にあったのだ。だが、その知識はどこに存在するというのか。彼の意識の中にだけ存在するのであって、それもじきに抹消されてしまうに違いない。そして他の誰もが党の押し付ける嘘を受け入れることになれば――すべての記録が同じ作り話を記すことになれば――その嘘は歴史へと移行し、真実になってしまう。党のスローガンは言う、“過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする”と。それなのに、過去は、変更可能な性質を帯びているにもかかわらず、これまで変更されたことなどない、というわけだ。現在真実であるものは永遠の昔から真実である、というわけだ。実に単純なこと。必要なのは自分の記憶を打ち負かし、その勝利を際限(さいげん)なく続けることだ。それが〈現実コントロール〉と呼ばれているものであり、ニュースピークで言う〈二重思考〉なのだ。


【『一九八四年』ジョージ・オーウェル/高橋和久訳(ハヤカワ文庫、2009年)】


 恐ろしいことに記憶よりも記録が歴史を司る。そして、記録が抹消されれば過去の改竄はたやすく行われる。移ろいやすく変質しやすい記憶は、記録によって塗り替えられる。


「過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする」という党のスローガンはこの上なく正しい。民衆をコントロールできる権力者は、歴史をもコントロールできるのだ。


 仏教では権力者の本質を「他化自在天」(たけじざいてん)と説いた。「他を化(け)すること自在」というのだ。しかも、人界の上の天界が住処となっているから、上層で君臨している。本書に照らせば、「他」というのは「他人の記憶」までもが含まれることになる。


 二重思考(ダブルシンク)は人間の業(ごう)ともいうべき性質である。例えば理性と感情、分析と直観、意識と無意識など我々はいつでもどこでも二重性に取り憑かれている。なぜなら、人間の脳が二つ(右脳と左脳)に分かれているからだ。そう考えると、人間は元々分裂した状態にあると考えることも可能だ。


 そして権力者は人々を分断する。自他の間に懸隔をつくり出す。悪の本質はデバイド(割り→分断)にある。


 オーウェルが象徴的に描き出したビッグ・ブラザーは社会のそこここに存在する。それにしてもオーウェルはとんでもない宿題を残してくれたもんだ。


【問い】ビッグ・ブラザーのような権力者とあなたはどのように戦えるかを答えなさい。制限時間は死ぬまで。

人間と経済の漂白/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

2009-10-03

年金問題は絶対に解決しない=中原圭介


 この問題はコンピューターの入力データを訂正すればいいというレベルの話ではないのです。

 なぜなら、これまで確認作業をやってこなかったという社会保険庁の伝統は、データのオンライン化前から脈々と受け継がれてきたものだからです。紙台帳の記載内容もコンピューターの内容と同じくらい当てにならないのです。

 メディアがこの点を指摘していないのは不思議でなりません。


サーチナ 2009-08-22

ビッグマック指数の嘘/『藤巻健史の実践・金融マーケット集中講義』藤巻健史


 藤巻健史はジョージ・ソロスのアドバイザーを務めた人物。まず、そんな日本人がいたことに驚いた。知らなかったよ。


 セミナーの内容を編んだものだが、話し言葉でありながら妙にわかりづらい。これは思考の明晰に問題があるわけではなく、ただ単に表現力や言葉の取捨選択の問題だと思われる。そのため、内容はいいのだが肚にストンと落ちる言葉が少ない。


 一方、投資という角度から見れば、為替オーバーレイなどの機関投資家にありがちな金融工学的志向は少なく、一般投資家にもわかりやすい内容となっている。ただし、金融マーケットをマクロな視点から分析しており、安易な「儲かる手法」は皆無である。この手の本が珍しいのは、マーケットに対する価値観、考え、戦略などが、他人の金を運用する機関投資家と、自分の金で勝負している一般投資家とではあまりにも懸け離れているためだ。


 ビッグマック指数とは、イギリスの経済誌『エコノミスト』が発表した購買力平価のこと。これを藤巻は次のように指摘する――


 このマクドナルド平価ですけど、私に言わせるといろんな問題があります。一つの反論としては例えばビッグマックというのは、私は今、52歳ですけれども、52歳のアメリカ人の中年が毎日食べても別に問題ないのでしょう。しかし、私は、ビッグマックを毎日食べたらゲップが出てやっていられない。52歳のアメリカ人にとってのビッグマックと52歳の日本人にとってのビッグマックを比べるのはりんごとオレンジを比べているようなものだ、と私は思うのです。もし比べるんだったら、アメリカ人のビッグマックと私のざるそば2杯と比べろと私は言いたいですね。ざるそば2杯対ビッグマックだったら700円対2ドルでドル/円は350円のはずだ。105円とは全然違うじゃないのというのが一つの反論です。

 もう一つの反論はアメリカのビッグマックと日本のビッグマックとは根本的に商品が違うということです。アメリカのビッグマックというのはアメリカの肉を使って、アメリカのレタスを使って、アメリカの小麦粉を使って、作っているわけです。一方、日本のビッグマックというのは、小麦粉もレタスも肉も全部輸入もので作っていますよね。円が強過ぎるがゆえにこれらの原材料を非常に安く輸入できて、それだからこそ日本のビッグマックは安いんだと私は思うんですね。


【『藤巻健史の実践・金融マーケット集中講義』藤巻健史〈ふじまき・たけし〉(光文社新書、2003年)】


 大体、マクドナルドを持ち出すのはアメリカの思惑を代弁している場合が多い。そういや、トーマス・フリードマンも「マクドナルドがある国同士は過去に戦争をしたことがない」なあんて書いていたっけ。これはマクドナルドが平和の象徴であることを示したものではなく、アメリカの手先となった国々に与えられる勲章がマクドナルドであるという意味に他ならない。


 また、マクドナルド社が成功を収めてきたのは、ハンバーガーを売ったからではなくして、世界各都市の一等地の角地を買い占めてきたからだという指摘もある。つまり、ハンバーガー屋の看板を掲げた不動産戦略だったというわけ。まったく頭がいいよね。


 経済の尺度や指標には必ず何らかの意図や思惑が隠されている。指標に至っては、検証することすら事実上不可能だ。発表された数字を受け入れるしかない。翌月に修正されたとしても、マーケットは既に動いた後である。


 資本主義経済の恐ろしいところは、嘘に乗じた人々が金儲けをできる仕組みになっている点である。果たして株式や為替が、サンマや大根のように価格の比較判断が可能だろうか? 中々そうは思えませんな。そう考えると、やはり素人がのこのこと入っていける世界ではないだろう。

藤巻健史の実践・金融マーケット集中講義 (光文社新書)

2009-10-02

「お世話になりました」井上順


 私が小学2年の時にヒットした曲。従姉の家でレコードを聴いて知った。バックコーラスが当時の雰囲気をよく伝えている。名曲だが、「忘られない」という歌詞は頂けない。


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ゴールデン☆ベスト

2009-10-01

Firefoxで表示されなくなったタブ


 変なタイトルですまん。数日前からFirefoxのタブをクリックすると表示されないページが出てきた。それどころか、検索結果をクリックしても表示されないページが出始めた。最初は特定の画像が表示できないだけだった。表示されないページは再読み込みをすれば現れるのだが、画像はいくらやってもダメ。そこでタブブラウザ推薦委員会を参照したところ、Sleipnirのニューバージョンが出ていることを知った。早速インストールし、いつも閲覧するページだけ「お気に入り」を登録した。そして今、初めて記事を書いているわけだが、この文字の表示フォントが小さくなってしまっている。嗚呼(ああ)……。インターネットを利用していると、結構ブラウザに振り回されることが多い。便利さを享受すると、時に思わぬ不便さに遭遇する羽目となる。

2009年9月のランキング

順位記事タイトル
1位ジニ係数から見えてくる日本社会の格差/『貧乏人のデイトレ 金持ちのインベストメント ノーベル賞学者とスイス人富豪に学ぶ智恵』北村慶
2位アフガンの英雄アフマド・シャー・マスード/『マスードの戦い』長倉洋海
3位アインシュタインを超える天才ラマヌジャン/『無限の天才 夭逝の数学者・ラマヌジャン』ロバート・カニーゲル
4位83日間 被曝治療の記録 東海村臨界事故
5位少年兵は流れ作業のように手足を切り落とした/『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二
6位そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』ウィリアム・ノースダーフ
7位日本は「最悪の借金を持つ国」であり、「世界で一番の大金持ちの国」/『国債を刷れ! 「国の借金は税金で返せ」のウソ』廣宮孝信
8位経頭蓋磁気刺激法(TMS)/『脳から見たリハビリ治療 脳卒中の麻痺を治す新しいリハビリの考え方』久保田競、宮井一郎編著
9位ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記レヴェリアン・ルラングァ
10位巧みな介護の技/『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎