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2009-11-03

働く人、働かざるを得ない人、働かされる人の意味/『地球のハローワーク』フェルディナンド・プロッツマン


 フェルディナンド・プロップマンの文章が余計だ。所詮、デスクの上で写真を眺めながら書いている文章に過ぎない。しかも、彼はそれを書くことで報酬を得ているはずだ。二重に許し難い。


 それでも、いい写真集である。生きる糧(かて)を獲得するための生業(なりわい)はこんなに豊富なのだ。「何をしてでも、食っていけるな」――そんな気にさせられる。


 豪華な休憩室で寛ぐ証券トレーダーがいると思えば、裸のまま物乞いをさせられている赤ん坊もいる。険しい表情でカメラを睨(にら)みつけているのは、1世紀以上も前に紡績工場で働く少女達だ。奴隷のような扱いを受けていたことが一目瞭然である。ルーブル美術館で働く人々の左側に「モナ・リザ」が写っている。ここでは天下の名画も脇役だ。


 迫力に満ちているのは、やはり肉体労働である。真っ黒になった炭鉱労働者の後ろ姿は疲労そのものだ。そして圧巻は金鉱で働く男達の脚がアップになった写真。異様なまでに発達した筋肉が黒光りしている。彼等は食うために働き、金のために働いているのだろう。金鉱を所持する資本家にすれば、彼等は「経費の一部」に過ぎない。資本主義が等価交換で成り立っていると思ったら大間違いだ。必ず資産を持つ人間が有利になるゲームに過ぎない。だからこそ労働者の脚は怒りでパンパンに膨(ふく)れ上がっているのだ。


「写真はとりわけ写実性が強く、ほかの表現形式にはない固有の魅力がある。そのため、一般の人たちはつい、写真が必ず事実を写しとっているものと信じ込んでしまう。もちろん、私たちは写真に対する信頼が、激しく揺らいでいることを承知している。というのは、写真は嘘をつかなくても、嘘つきが写真を撮ることは可能だからだ。だからこそ、私たちは真実を明らかにするうえで、カメラを悪用しないよう責任を持たねばならない」(※写真家ルイス・W・ハインが1909年に語った言葉)


【『地球のハローワーク』フェルディナンド・プロッツマン/関利枝子、伯耆友子、岡田凛、小林洋子訳(日経ナショナルジオグラフィック社、2009年)】


「写真は嘘をつかなくても、嘘つきが写真を撮ることは可能だからだ」――痺れる言葉だ。ということは、100年以上も前から嘘つきがいたことになる。それ以降は増加の一途を辿っている。もはや、嘘つき以外を探すのに苦労するほどだ。


 写真は事実を写し出している。だが、いつシャッターを切るかは撮影者に委ねられている。意図がタイミングを計る。その意図が問題なのだ。今時ときたら、劣悪な表情、邪悪な態度、隠しておきたいプライバシー、物珍しい光景、悲惨な事故現場、戦地の遺体、そして裸の女……そんな写真が求められるようになってしまった。


 大衆は刺激を欲している。なぜか? 日常生活が退屈だからだ。ゆえに、写真や映像に対して非日常・非現実を求めてやまない。


「お前の眼は節穴(ふしあな)なのか?」「その通り」――そして節穴から薄汚れた世界を眺めていたのは「黒い欲望」であった。曇った瞳に真実が映し出されることはない。


地球のハローワーク

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