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2009-11-05

クリシュナムルティとの出会いは衝撃というよりも事故そのもの/『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ


 読み始めたのは10月の19日か20日だった。私はクリシュナムルティの名前は知っていたが、いかなる人物なのか皆目見当もつかなかった。ところが、『Zeitgeist Addendum/ツァイトガイスト・アデンダム』を観て一変した。プロローグとエピローグでクリシュナムルティが登場したのだ。ということは、この映画作品自体がクリシュナムルティからの思想的影響を受けていることになろう。私は居ても立ってもいられなくなった。


 今日、4冊目のクリシュナムルティ作品を読み終えた。クリシュナムルティとの出会いは、「智慧との遭遇」であった。私の人生に及ぼした深度を踏まえると、それは“衝撃”というよりは、“事故”といった方が相応(ふさわ)しい。


 私は6歳から本を読み始めた。今でもありありと覚えているが、二十歳(はたち)くらいの従姉(いとこ)と児童向けの雑誌を読んでいた時、突然文字が読めるようになった。文字を指でなぞり、おもむろに声を上げた――「タンクローリー」と。長い読書遍歴はこうして幕を開けた。


 小学生の時分は図書室の半分以上の本を読んだ。怪盗ルパンシリーズを経て、SFジュブナイルへと進み、中学の教科書で夏目漱石の『坊っちゃん』を知り、生まれて初めて買った文庫本となった。当時、90円だったと記憶している。10代後半から20代は乱読の季節だった。手当たり次第何でも読んだ。やや、ミステリに傾くきらいはあった。この頃からノートに抜き書きをするようになった。


 一昨年から経済・金融関連に手をつけ始め、以前から読んできた仏教書も開くようになった。昨年は科学モノを渉猟し、ゲーデル不完全性定理トール・ノーレットランダーシュ著『ユーザーイリュージョン』が私にとってはエポックメーキングとなった。


 そして今、40年に及ぶ読書遍歴がクリシュナムルティに帰結したと思えてならないのだ。辿り着いたという確かな手応えがある。広々とした世界が見えるのは山頂に達した証拠だ。さて、ここからどうしたものか(笑)。あとは、降りるか飛ぶかしかないわな。


 本書の冒頭に収められているのは、フィラデルフィア・オーケストラの著名な指揮者レオポルド・ストコフスキーとの対談である。この時、クリシュナムルティは33歳。ストコフスキーの戸惑いが随所に見られる。


クリシュナムルティ●ですから質問はこうです。もし個人の目標が自由と幸福なら、集合的な目標は何か? それはまったく同じだ、と私は言います。個々人間を区別するものは何でしょう? 形態です。あなたの形態は私のそれとは違いますが、しかしあなたの奥の生と私の奥のそれは同じです。ですから、生は結合(ユニティ)です。それゆえ、あなたの生と私の生は同様にして、永遠なるもの、自由、幸福であるところのものに極まらねばならないのです。


【『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】


 世界中の人々が自由と幸福を求めているにもかかわらず、人々の集合体としての国家は自由と幸福を奪い侵略する。例えば会社においてもそれは同様だ。社員は皆、「気持ちよく仕事がしたい」と思っているにもかかわらず、会社の利益のために社員は交換可能な部品として扱われる。そして動力を持たない歯車は、回りの動きに支配されてしまう。


 集団には集団の力学が働く。組織は好むと好まざるとにかかわらずヒエラルキーを生み出す。人体という組織は脳が支配しているのだ。どんなに頑張ったところで足の裏はおでこにはなれない。


 時代劇でよく「頭(ず)が高い!」というセリフを耳にする。人体のネットワークが上位に脳を配しているため、社会構造も上意下達(じょういかたつ)型のピラミッド構造とならざるを得ない。このセリフは社会の上下関係を示すとともに、権力者が個人の内部における上下関係をも自在に操れることを意味している。頭が上に付いているのに、「下げろ」って言うんだからね。


 ところがクリシュナムルティは、集団の目的も「同じだ」と断言している。これは、「現在の」ではなく「本来の」といった意味合いなのだろう。そして、世界を覆う差別意識が「形態」に由来していることを示唆している。更に「生の本然」が形態を超えて平等であることを宣言する。凄い……。もうね、グウの音も出ないよ。


「此の十法界(じっぽうかい)は一人の心より出で八万四千の法門と成るなり、一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し」(「三世諸仏総勘文教相廃立」〈さんぜしょぶつそうかんもんきょうそうはいりゅう〉)――日蓮の思想とクリシュナムルティは完全に一致している。


 クリシュナムルティを通して仏教を捉え直すことが、これからの私のライフワークとなりそうだ。

私は何も信じない―クリシュナムルティ対談集

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