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2009-12-30

めくるめく“物語の万華鏡”/『鳥 デュ・モーリア傑作集』ダフネ・デュ・モーリア


 これは凄い。“物語の万華鏡”に陶酔させられることを請け合おう。一篇一篇が珠玉そのもの。いやあ溜め息しか出ない(笑)。とにかく楽しんでくれ、としか言いようがないね。


 8篇で537ページから成っている。もうね、一人の作家が書いたとは思えないほどバラエティに富んでいる。それでいて、全作品に漂うサスペンスが堪(たま)らん。まるで禁断の美酒を味わうような至福に包まれる。


「恋人」


 男は映画館の案内嬢に恋をした。うぶで生真面目な男とつかみどころのない女。男は女の帰りを待ち伏せて、一緒にバスに乗って彼女を送り届ける。甘酸っぱい感情が一気に漂う。バスを降り、女が「ここでいい」と言ったのは墓場だった。男は愛を告白し、明くる日にプレゼントを用意する。足早に映画館へと向かうが彼女はいなかった。そして彼が知った事実とは……。


「鳥」


 アルフレッド・ヒッチコック監督が映画化したことで知られる作品。主人公は不条理。文章の切れが素晴らしい。愚かな妻が不条理を盛り立てている。


 ナットは小鳥たちを、そして、海鳥たちを見つめた。彼らは眼下の入り江で、潮流の変化を待っている。海鳥たちは他の連中よりも忍耐強い。水際に見られるミヤコドリやアカアシシギやミビシギ、そして、ダイシャクシギ。寄せては返すゆったりした波が、海草を残し、小石を洗っていく浜を、海鳥たちは駆けめぐる。やがて彼らもあの飛翔への衝動に捉えられ、叫び、鳴き、わめきながら、静かな海をかすめて、海岸をあとにする。急げ、もっと速く、さあ、行け――でもどこへ? なんのために? 秋の狂おしい欲求、満たされることのない悲しい欲求が、彼らに魔法をかけたのだ。彼らは群れを成し、旋回し、叫ばねばならない。冬が来る前に、いらだちを振り払うために。


【『鳥 デュ・モーリア傑作集』ダフネ・デュ・モーリア/務台夏子〈むたい・なつこ〉訳(創元推理文庫、2000年)以下同】


「写真家」


 実はこの作品で完全にはまった。物憂い日常にうんざりしきっている侯爵夫人が、足に障害のある写真家をもてあそぶ。濡れ場はないのだが、完全なサディスティック・ポルノ小説。侯爵夫人の残酷ぶりが憎いほど巧みに描かれている。いつしか海辺で逢瀬(おうせ)を繰り返すようになる二人。写真家の愛が昂(たか)ぶった時、意外な展開が待ち受ける。


 時間はたっぷりある。いや、それどころか、目の前には、長く気だるい一日がだらだらと果てしなく伸びている。


「モンテ・ヴェリタ」


「解説」で千街晶之が「神品」と絶賛している。確かに。主要人物は一組の夫婦と夫の友人の3名。テーマは夫婦の愛情、友情、山登り、そして宗教。SF的な色彩が強いが、結末を冒頭に書くという構成が圧巻。つまり、読者は山頂から下ってゆくという仕掛け。これはもう、デュ・モーリアが手にしたペンが勝手に描いたとしか思えないような絶品だ。しかも、世俗にまみれた「写真家」の後に、かような聖なる物語を配することで趣向の落差にたじろがされる。


 後(のち)に彼らは、なにも見つからなかったとわたしに語った。生きた人間にせよ、死体にせよ、人の痕跡はまるでなかった、と。怒りと、そしておそらく恐怖によって無我夢中となった彼らは、ついに、大昔から恐れられ、避けられてきた禁断の壁を打ち破って侵入し――その結果、静寂に迎えられたのだった。いらだち、とまどい、恐れおののき、空っぽになった部屋部屋とがらんとした中庭を見て怒りに駆られ、谷間の人々は野蛮な手段に訴えた。何世紀にもわたり、無知な農民たちの用いてきた手――放火と破壊とに。


D


「林檎の木」


 妻が死んだ。夫はやっと自由を手に入れた。ところが庭にある林檎の木が妻そっくりの雰囲気をかもし出した。夫は林檎の木が気になって仕方がない。意を決して伐採することにするのだが……。日常で積み重なった憎悪が心で反響する時、人は精神の均衡を失う。


 記憶にあるかぎり生まれて初めて、彼は窓にカーテンを引き、月の光を閉め出した。


D

「番」(つがい)


 最初から最後まで爺さんの独り言。これがまた落語のような味わいのある語り口で絶妙。最後のオチも効いている。のろまな子供が虐待される話。


「裂けた時間」


 女が家に戻ると見知らぬ連中に占拠されていた。直ちに警察を呼んだが、そこは女の家ではないと言われる。一体何がどうなったのか?


「動機」


 妻が拳銃で自殺した。夫婦関係には全く問題がなかった。依頼を受けた私立探偵が調査を開始する。妻には隠された過去があった。これまた構成にとんでもない仕掛けがあって、探偵が黒子となっているのだ。全く個性が感じられない。そうでありながら、探偵に情報提供する人々はいずれも個性を発揮している。探偵は名を「ブラック」という。なるどね。リボルバーの引き金をひいたのは「信じられないような偶然」であった。このまま映画化できそうな作品。

鳥―デュ・モーリア傑作集 (創元推理文庫)

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