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2010-01-01

クリシュナムルティの人間宣言/『クリシュナムルティ・目覚めの時代』メアリー・ルティエンス


クリシュナムルティをニューエイジに貶めるべきではない


 クリシュナムルティの伝記三部作の第一作。翻訳は二作目の『クリシュナムルティ・革命の時代』(高橋重敏訳/めるくまーる、1988年)が先だったようだ。本書は「星の教団編」ともいうべき内容で神秘主義的色彩が濃厚だ。


 星の教団は、神智学協会が「世界教師」であるクリシュナムルティのために用意した教団であった。神智学協会は、ま、そうだな、「お告げ宗教」だ。青森のイタコ、沖縄のユタ卑弥呼エクソシストといった類いのシャーマニズムと変わらない。小学生の時分、コックリさんが流行(はや)ったが、身体が大きかった私は力任せに10円玉を動かしたものだ。


 いつの時代も神秘に憧れを抱く人々が存在する。彼等は幸福の青い鳥を探しているのだろう。では私が現実逃避のカラクリをご説明しよう。


 人間は心が大切だ→心は目に見えない→大事なものは見えない→見えないものが見える場合がある→人間は単なる物質ではない→つまり霊的存在なのだ→心が純粋であれば霊的交信は可能になる


 以上、七手詰めだ。ここに見られるのは、「死ねば終わり」という事実(多分)を拒み、回避しようとする企てである。ムダな抵抗だよ。アンタも私も結局は死ぬんだから。


 私は霊的な存在を一切認めない。もし存在するのであれば、どうして昆虫の霊がいないのか? エ、おかしいだろ? 夏の盛りにあれだけ鳴いていたセミどもは、どうして化けて出てこないんだ? 魚や野菜の幽霊も聞いたことがない。それとも何かい、幽霊ってえのあ、人間や猫に限ったもんなのかい?


 本当のことを書いておくと、個人的には霊にいて欲しいと思っている。何の罪もないのに殺されていった多くの人々が悪党を祟(たた)ってくれたら、世の中は格段によくなることだろう。


 悪しきスピリチュアルに陥る人々には共通点がある。それは、「不思議」と「神秘」を混同していることだ。正真正銘の不思議ってのは、もっと身近にあるものだ。私が幼い頃から今日に至るまで最も不思議だと思うのは「目が見える」ことだ。こんな不思議はないだろう。しかも、目をつぶっていても夢という映像を見ることができるのだ。第2位は、ウンコが出ること。そこ、笑わないよーに。正確に言い直そう。ウンコが出るのはさほど不思議ではないのだが、なぜ、ケツからウンコを入れて口から牛丼を出すことが出来ないのだろう? エネルギーの摂取は一方向に定まっている。私の飲食がどれほど環境に負荷を与えていることか。


 このように考えると、幽霊なんか不思議の内に入らないよ。冬に花開くロウバイが放つ香りの方がはるかに不思議だ。


 ついでに言っておくと、私はニューエイジなるものも好きじゃない。新しくなった三善英史(みよし・えいじ)を連想してしまう。こんなものは一種のオリエンタルブームの延長線上にある文化みたいな代物だろう。ラブ&ピース。私の父はショートピースを嗜(たしな)んでいた。


 この本は読み物としては三流以下だ。しかし、クリシュナムルティの覚醒の意味合いを理解するには欠かすことのできない変化を記録している。ブッダが菩提樹の下で目覚めた瞬間を思わずにはいられなかった。


 ざっと倍速でクリシュナムルティの成長を振り返ってみよう。彼は1895年5月11日にインドで誕生した。少年時代はいつもボーッとしており、勉強もできなかった。このため、廊下に立たされたり、鞭を振るわれた。クリシュナムルティ少年は泣き虫だった。そして彼には妖精が見えた。亡くなった母親を見ることもできた。神智学協会に見出されたクリシュナムルティはイギリスで英才教育を受けたものの、大学受験に失敗した。というよりも、大学側が救世主の入学を拒んだ。霊的能力は神仏との交信をも可能にした。やがて身体的苦痛を伴う「プロセス」が訪れ、クリシュナムルティはブッダと交信する。この件(くだり)は冷静に読むと、明らかに「空観」を悟った様子が理解できる。


 クリシュナムルティは変容を遂げた。彼は神から人間になった。現れたのは、人間の生を誰よりも知る人間であった。生は豊かで限りがなかった。海の水を飲み干すように、クリシュナムルティは生を味わい、堪能した。


 星の教団を解散する時が刻々と迫りつつあった――


 キャンプ中の集会のひとつで、彼はこう述べた。「あなたがたがもはや自分自身をどんなものにも従属させてはならない時が訪れました。……あなたがたが誰の言うことも傾聴せず、自分自身の直観、自分自身の理解にだけ耳を傾け、そしてあなたがたの解釈者になろうとする人々を公然と拒否するようになって欲しいと思います」。解釈者というのは、もちろん神智学協会の指導者たちのことである。彼は聴衆に、彼らが土台から揺さぶられることになる、と警告したのだ。


【『クリシュナムルティ・目覚めの時代』メアリー・ルティエンス/高橋重敏訳(めるくまーる、1988年)以下同】


 信徒達を襲ったのは「否定の衝撃」であった。新しい思想は必ず「時代への反逆」という構図を描く。ブッダも日蓮も同様であった。それまでの常識を覆(くつがえ)そうとする時、恐るべき反発に遭遇する。これを避けることはできない。そして、ここにのみ思想の試金石が存在するのだ。クリシュナムルティは「内なる声に耳を傾けよ」と宣言した。つまり、教祖自らが教祖を否定したことになる。この時34歳。やむにやまれぬ大感情が、恐怖を斥(しりぞ)けた瞬間であった。


 以下は、この講話で信者から発せられた質疑に答えた内容の抄録である――


 もう一度、私は信徒をもたないと言いましょう。もし〈真理〉を理解して、特定の個人に従わないとするなら、あなたがたは皆〈真理〉の信徒なのです。……〈真理〉を獲得する唯一の方法は、媒介者なしに、〈真理〉そのものの信徒となることです。……〈真理〉は希望を与えません。それは理解を与えるのです。……誰かの個性を崇拝しても理解は得られません。……私は、精神的成長にはどんな儀式も不必要であるとの意見を今も保持しています。……もしあなたがたが〈真理〉を求めるのなら、あなたがたは外に出て、人間の思考と心の限界から遠く離れたところで発見しなくてはならないのです――そしてその〈真理〉は、あなたがたご自身の内にあるのです。指導者であり、マスターであり、神である〈生〉そのものを目標にする方が、媒介者や導師をもって結局は間違いなく〈真理〉を格下げし、裏切ることになるよりも、ずっと簡明だとは思いませんか? ……解放は理解する人によって進化のどの段階ででも達成されうるのであって、あなたがたがしているように各段階を尊重するのは本質的なことではない、と私は言います。……後になってから、私の言葉を権威として引用しないでください。あなたがたの松葉杖になりたくはありません。あなたがたの礼拝のために、檻の中へ入れられるつもりはありません。山の新鮮な空気をもってきて小さな部屋に入れると、その空気の新鮮さは消え、よどみとなってしまいます。……私は自由なので、私はこの〈真理〉を見出したので――それは無限で、初めも終わりもないものです――あなたがたに条件づけられたくはありません。……私は一度も、神がいないとは言いませんでした。私は、あなたの中に現われる神のみがあると言ったのです……が、私は〈神〉(ゴッド)という言葉を用いるつもりはありません。……私はそれを〈生〉と呼ぶ方を選びます。……もちろん、善も悪もありません。善とはあなたがたが恐れないもののことであり、悪というのはあなたがたが恐れるもののことです。ですから、もしあなたがたが恐怖を破壊すれば、あなたがたは精神的に成就されるのです。……あなたがたが生を愛し、その愛をあらゆるものの前に据え、あなたがたの恐怖によってではなく、その愛によって判断すれば、あなたがたが道徳と呼ぶこのよどみは消え失せるでしょう。……私は、集団や宗教や教義(ドグマ)ではなく、生に関心があります。私が〈生〉なのですから。……友人たちよ、私が誰であるかということを気にかけないでください。あなたがたにはけっしてわからないでしょう。……もし私が、私はキリストであると言えば、あなたがたは別の権威を創り出すことになります。もし私がそうではないと言っても、あなたがたはやはり別の権威を創り出すのです。あなたがたが私を誰であるかと考えることに、〈真理〉がかかわっているとお思いですか? あなたがたは〈真理〉に関心をもってはおらず、〈真理〉が入っている器に関心があるのです。あなたがたはその水を飲みたがってはおらず、水の入っている器を誰がつくったかを知りたがっているのです。……もしその水が澄んでいるなら、それを飲みなさい。私はあなたがたに、私はその澄んだ水をもっていると言います。清め、大いに癒すあの香油を、私はもっているのです。それなのにあなたがたは私に訊ねます。あなたは誰なのか、と。私は〈生〉であり、それゆえあらゆるものなのです。


 世界大恐慌があった1929年のことである。昭和4年だ。国連が世界人権宣言を採択するのは20年後のことである。そんな時代にあって、34歳の青年がこれほどの高みに登りつめていたのだ。クリシュナムルティは時代の束縛からも完全に解き放たれている。普遍性は、人間を深い次元で見つめるところから生まれる。彼は厚い大地を突き破って、灼熱のマグマをすくい取ったのだろう。生の歓喜に打ち震えた時、新しい言葉が誕生するのだ。


 クリシュナムルティは教団を否定しただけではなかった。一切の集団・組織をも否定したのだ。彼が否定したのは、集団が人間を隷属させてきた人類の歴史であり、隷属を好む人類の業(ごう)であった。


 訳者の「解説」によると、クリシュナムルティは病気を治癒する力を持っていたようだ。だが彼はこうした力について「奇蹟は魅力的な子供の演技です」と答えている。そして、「心を全体化」し、「心を治すこと」の方がはるかに大切なことだ、と。(『クリシュナムルティ・革命の時代』)


「人間の生」――これに優る不思議はないことを彼は人類に教え残した。


 メアリー・ルティエンスは三部作を執筆した後に、総集編として『クリシュナムルティの生と死』(大野純一訳/コスモス・ライブラリー、2007年)を著している。

クリシュナムルティ・目覚めの時代 クリシュナムルティの生と死


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