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2010-01-11

比較が分断を生む/『学校への手紙』J・クリシュナムルティ


人間は人間を利用し食いものにしてきた」の続き――


 この手紙でクリシュナムルティは、分断された人間関係の様相を照射する――


 私たちは人間関係をバラバラに解体してしまっているので、人間関係は、ある特定の人物に対する関係、ある特定のグループに対する関係、国家に対する関係、ある概念に対する関係などになってしまっています。分断されたものは、責任の全体性を包むことはできません。私たちはいつも、小さいものによって、大きいものをつかもうとします。〈もっとよいもの〉は〈よいもの〉ではありません。ところが私たちの思考はすべて〈もっとよい〉〈もっと多く〉――もっとよい試験の成績、もっとよい仕事、もっとよい地位、もっとよい神々、もっと高尚な観念など――に基づいています。

〈もっとよい〉というのは、比較の結果です。もっとよい絵、もっとよい技術、もっと偉大な音楽家、もっと才能に恵まれている、もっと美しい、もっと知的であるなどは、この比較によるものです。私たちはまれにしか、絵そのもの、男性あるいは女性のその人自身を見ようとしません。いつも比較への、この生まれつきの資質があるのです。愛は比較でしょうか? あなたは、「自分はあちらよりもこちらの方を愛している」と言えるでしょうか? この比較があるとき、それは愛なのでしょうか? 〈もっと多く〉という感じがあるとき、それは測定であり、思考が働いています。愛は思考の働きではありません。この測定は比較です。私たちは生涯を通じて、比較するように勧められます。あなたの学校で、BをAと比較するなら、その両者をだめにしてしまいます。

 したがって、いかなる意味においても比較することなく、教育ができるでしょうか? なぜ、私たちは比較するのでしょうか? 私たちが比較をするのは、「測定が思考の方法であり、生の方法である」という単純な理由からです。私たちはこの腐敗のなかで教育されています。〈もっとよい〉はいつも〈ありのまま〉〈現実に起きていること〉よりも高尚だとされています。しかし、比較も測定もない〈ありのままの観察〉こそが、〈ありのまま〉を超えて行くのです。(15th May 1979)


【『学校への手紙』J・クリシュナムルティ/古庄高〈ふるしょう・たかし〉訳(UNIO、1997年)】


 所属は帰属意識を形成する。何かに所属した途端、何らかの忠誠心が芽生える。自我は所属する団体や組織と一体化を目指す。


 ここからクリシュナムルティは「分断されたものは、責任の全体性を包むことはできません。私たちはいつも、小さいものによって、大きいものをつかもうとします」という一行で、比較へと展開している。これがクリシュナムルティ・マジックだ。極端な省略が見て取れる。


 我々が生きる世界は、組織化という形で分断された世界なのだ。社会というものは概念であって実体はない。我々が「社会」と言う時、それは職場の同僚や家族、隣近所、友人、同じ電車に乗っている人、街で擦れ違う人、親戚、故郷にいる同級生、昔別れた彼女といった狭い範囲の人間関係を意味している。社会全体を実感できる場はどこにも存在しない。にもかかわらず、世論や投票率や地方自治体の人口の中に我々は社会を見出すのだ。


 組織や団体には必ず目的がある。目的があればこそ組織されたのだ。そして、目的のあるところには必ず競争がある。他の組織と比較し、昨年と今年を比較し、あの地域とこの地域とを比較してやまない。


「もっとよい」ものを目指すのは普通なら「欲望」であると考えられがちだが、クリシュナムルティは意図的に「測定=思考」としている。そしてこの変化球は揺れながら最後にストンと落ちるのだ。「比較のない教育は可能だろうか?」という具合に。


 生徒を比較するのは、生徒を測定することである。この時、教育は生徒を測る物差しと化す。測られる生徒は物差しに合わせた生き方を強いられる。こうして彼等が大人になれば、そこには新たな物差しが出来上がっているわけだ。計測スパイラル。


「両者をだめにする」とはどういう意味か? 優れた者は優越感を覚え、劣ったもは劣等感に苛まれる。この正負の感情によって彼等は物差しの奴隷にされてしまうのだ。絵に描いたような条件づけが施され、学校は腐敗してゆく。


 比較がプラスとマイナスを判断するのだから、比較は賞罰といえるかもしれない。賞罰を与えるのは権力者である。つまり、教師と生徒は比較する者と比較される者とに分断されてしまう。完全な分断といってよい。教師は絶対者として君臨し、生徒は罰せられるのを待つ僕(しもべ)となる。


 ここからクリシュナムルティは生徒の「ありのまま」を尊ぶ教育を主張する。


→「相対性からの脱却」に続く

学校への手紙


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