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2010-01-20

twitter開始


 個人情報保護法案以降、閉塞しつつあるネット状況を打開するため、本日twitterデビュー。

J・クリシュナムルティ、グレッグ・イーガン


 2冊読了。


 9冊目『生と覚醒のコメンタリー 3 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)/日本語版は全4冊となっているが、原書は3冊で1956年、1959年、1961年に刊行されている。とても半世紀前の本とは思えない。相談者とのやり取りも古めかしさを感じるところがない。つまり、真の対話は人間の本質を見据えているということなのだろう。それにしても、このシリーズはクリシュナムルティが描く風景が秀逸で中毒性を覚えるほど。そして洞察のヒントが隠されている。風景描写によって読者はクリシュナムルティの「眼」を体験できるのだ。クリシュナムルティ関連はこれで14冊目の読了。いくら読んでも学び尽くすことはないだろう。


 10冊目『ひとりっ子』グレッグ・イーガン/山岸真編・訳(ハヤカワ文庫、2006年)/久々の本格SF。文章がいい。短篇集なので、イーガンのSF的概念をつかむのに手間取る。7篇のうち半分ほどが数学SFといった趣向。ラストの「ひとりっ子」はストーリーがもたついているが、他は面白かった。なかんずく「決断者」が凄い。ダニエル・C・デネット著『解明される意識』と、マーヴィン・ミンスキー著『心の社会』からヒントを得た作品である旨が付記されている。着用することで「空観」状態が現れるという代物が登場する。グレッグ・イーガンならクリシュナムルティの世界を描けそうな予感がした。

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コミュニケーションの本質は「理解」にある/『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ

 原書は1954年に発行されている。ってことは昭和29年だ。「もはや戦後ではない」と経済白書の結びに書かれたのが1956年のこと。朝鮮特需が1950-1953年だから、日本では少し明るい兆しが出始めた頃であろう。


 神秘時代を除けば、本書がクリシュナムルティにとって2冊目の著作となる。1冊目は『道徳教育を越えて 教育と人生の意味』(霞ケ関書房)で原書は1953年刊。つまり講話録としては1冊目と考えていいだろう。系統立てられた構成となっていて、クリシュナムルティ思想の全体性をつかみやすい。原書タイトルは「The First and Last Freedom」(最初と最後の自由)となっており、オルダス・ハックスレーが長い序文を寄せている(『生と覚醒のコメンタリー 3 クリシュナムルティの手帖より』に収録)。


 戦争が始まり、クリシュナムルティは1940年から4年間にわたって講話を中断した。

『実践の時代』には次のように書かれている――「戦時中の沈黙の数年は何をもたらしたのだろうか? 明らかにKは瞑想時には自分自身の中に深く入りこんでいた。なぜなら1944、45、46年の講話は、主に自己を知ることに関連しているからである」。とすると本書は、戦後の講話を編んだものと考えて構わないだろう。クリシュナムルティは40代から50代を迎えていた。


 彼は一貫して戦争に反対した。戦争は人々の日常に起因しており、「戦争は、われわれの日常行為の劇的な評価なのです」と書いている(エミリー夫人宛ての手紙、1941年4月14日)。つまり葛藤によって分裂している自我が、そのまま世界の分断として現れているのだ。戦争は誤った指導者が引き起こしたものではなく、人間という人間の葛藤が噴出した結果であった。それは戦い合う国家の国民だけではない。戦争を傍観する人々や、戦争を知らない人々までが含まれる。


 戦時中、クリシュナムルティの話に本気で耳を傾ける人は少なかった。政府のプロパガンダに汚染されていた人々の心は、「正しい言葉」を「正しく受け止める」ことができなくなっていた。クリシュナムルティは戦時中の沈黙の季節を深い瞑想の中で過ごした。深海の底を辿るように彼は静謐(せいひつ)の中に沈潜した。


 講話に参集したのは戦争を支持した人々であり、あるいはそれすら忘れている人々であった。分裂した心に向かって、クリシュナムルティは慎重に言葉を紡ぎ出した――


 私たちがお互いに考えていることを相手に伝達することは、相手のことを非常に良く知っている場合でも、きわめて難しいことです。同じ言葉でも、「私」と「あなた」は違った意味で使っているかもしれません。理解というものは、私たち、つまり私とあなたが、同時に、同じレベルで出会うときに生まれてきます。しかもそれは人と人との間に、夫と妻の間に、また親しい友人同士の間に真の愛情があるときにしか生まれません。これが真の人間的共感――親交です。このように即時(そくじ)の理解――直覚は、私たちが、【同時に】、【同じレベルで】出会うときに初めて生じるものなのです。


【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ/根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)以下同】


 言葉はシンボルであり記号である。私が「犬」と言った時、あなたの描くイメージが私と一致することは、まずない。また、あなたが「犬を欲しい」と思っているのであれば、私からプレゼントしよう。「犬」――はい、持って行っていいよ。ささ、遠慮せずに。ま、こんな具合だ。言葉に実体はない。


 他人と何か交換することをコミュニケーションと考えれば、その最たるものは「言葉」と「お金」であろう。しかし我々は、それらを量でしか考えていない。質や意味、機能、働き、作用、目的と現状については一顧だにしない。「あるから使ってんだよ」というレベルに堕している。


「俺の言葉が信用できないのか?」――ウン。お前は前にも嘘をついたことがあるからな。時にコミュニケーションは成立したり、不成立に終わったりする。これをクリシュナムルティは「【同時に】、【同じレベルで】出会うときに」理解が生まれ、コミュニケーションが成り立つと言っているのだ。完全な一致。同じ周波数。


 性格的に合う合わないといったレベルの話ではない。相手の瞳に映る自分を見つめるような感覚だ。向かい合う二人が互いの目を見つめた時、合わせ鏡のように無限の瞳が続いているのだ。もちろん物理的なことを言っているのではない。心理的に相手と向き合っているかどうかである。


 私は、私たちの日常生活で使っているごく簡単な言葉で、より一層深い意味を伝えてみたいのです。しかしもしあなたが、「聞き方」を知らなければ、それはとても困難なことになります。

「聞く技術」というものがあります。本当に相手の言葉を聞くためには、あらゆる偏見や、前もって公式化されたものや、日常の生活の問題などを捨ててしまうか、脇へ片づけておかなければなりません。心が何でも受け入れられる状態にあるときには、物事はたやすく理解できるものです。あなたの本当の注意力が【何かに】向けられているとき、あなたは【聞いて】います。しかし残念なことに、たいてい私たちは抵抗というスクリーンを通して【聞いて】いるのです。つまり私たちは、宗教的なあるいは精神的な偏見や、心理学的あるいは科学的先入観のほかに、日常の心配事、欲望、恐怖というようなスクリーンに遮(さえぎ)られています。このようにいろいろなものをスクリーンにして、私たちは【聞いて】いるのです。ということは、話されていることを聞いているのではなくて、実際は、自分自身の心の中で立てている騒音や雑音を聞いていることになります。今まで受けてきた教育、偏見、性癖、抵抗などを捨て、言葉上の表現を超え、その奥底にあるものを即時に理解するように【聞くこと】は、とても困難なことです。これこそまさに、現在私たちが直面する困難な問題の一つなのです。


 傾聴とは心を開くことである。開いた心は言葉に託された何かをキャッチすることができる。

 言葉にならない思いをも汲み取ることができる。目と目が合うだけで微笑む関係性が成立する。

 スクリーンとは色眼鏡のことだ。我々は見知らぬ人に対しては、人相風体や髪型、着ている服、声の調子、腕時計や靴などを見て勝手な判断を下す(※腕時計と靴を見るのは銀座のホステス。客の懐具合がわかるらしい)。知人や友人に対しては過去のイメージをそのまま当てはめてしまう。つまり我々は「人間が変化する」ことを心のどこかで認めていないのだ。


 更に我々は自分よりも目上の人の話には耳を傾けるが、立場の低い者に対しては生返事をする。社長は社員の話に耳を貸さないし、先生は生徒の声を平気で無視する。耳は開いたり閉じたりしているのだ。


「実際は、自分自身の心の中で立てている騒音や雑音を聞いている」――何と重い言葉か。我々は自分に都合のいい言葉は受け入れるが、耳に逆らう忠言は拒否する。読むのも一緒である。自分の信条や思想のために利用できるものだけを我々は取り入れるのだ。


 つまり、こうだ。その人の一部分を都合よく利用することで、我々は世界の分断化に加担している。相互に利用し合う関係性の軸はどこにあるのか? それはエゴであろう。すなわちエゴとは自我の別名である。


 自我を終焉(しゅうえん)させるために、真の自由を獲得するためにクリシュナムルティが冒頭で説いたのは傾聴であった。

自我の終焉―絶対自由への道 自我の終焉 絶対自由への道

(※どちらも同じ作品)


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