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2010-01-23

激写! 議員が国会中にアノ女優と“密会”約束メール

 他人の携帯を覗き込む「薄汚い視線」は全く自覚してないようだ。犯罪性の高いイエロージャーナリズムを憂慮する。読者は覗きに加担することなかれ。

「観察」のヒント/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 3 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

    • 「観察」のヒント

 原書は3冊でそれぞれ1956年、1959年、1961年に刊行されている(日本語版は全4冊)。オルダス・ハクスレーが「なぜあなたは何か書こうとしないのですか?」とクリシュナムルティに言ったのが1942年のこと(メアリー・ルティエンス著『クリシュナムルティ・実践の時代』)。つまり、執筆は第二次世界大戦中に開始されたのだ。


 事実に基づいて書かれており、創作箇所はないようだ。相談者との対話がコンパクトに描かれている。冒頭に配された風景描写が詩的で神々しい。それに対して風景の中以外で描かれる人物には冷徹な眼差しが注がれている。双方が絶妙なアクセントとなって対話に彩りを添えている。


 紹介するのは珍しい描写で、多分講話に向かう途上で擦れ違った人々だと思われる。風景描写で描かれる人物の多くは点景といった感じが多いのだが、距離が近いせいか妙に生々しく描かれている――


 婦人が二人、頭に薪を乗せてその小道を下りてきた。一方は年をとっていたが、他方はごく若かった。そしてかれらが運んでいる荷物は、かなり重そうだった。どちらも、一枚の布で保護された頭の上で、緑色の蔓でくくられた、乾いた枝の長い束の釣り合いを保たせるように、片手できちんと押えていた。かれらの体は、軽い、流れるような足取りで丘を下りながら、自在に揺れた。道はでこぼこしていたが、二人は足に何も着けていなかった。足はそれら自体の道を見出しているようだった。なぜなら二人とも決して下を見ずにいたからである。かれらの頭は垂直に保たれ、目は充血し、そしてよそよそしかった。かれらはとてもやせており、あばら骨が浮き出ていた。そして年とった婦人の方は髪の毛がもじゃもじゃで、洗っていなかった。少女の髪は、かつては櫛ですかれ、油を塗られていたに違いない。なぜならまだきれいな、きらめく房があったからである。しかし彼女もまた疲れきり、疲労感が漂っていた。さほど遠からぬ昔、彼女は他の子供たちと一緒に歌い、遊んでいたに違いないが、しかしそれはすべて終わった。今は、このあたりの丘に入って薪を集めることが彼女の人生だった。そして死ぬまでそうであることだろう。時々子供が生まれることで一休みはするだろうが。


【『生と覚醒のコメンタリー 3 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


 女性二人を「かれら」と翻訳しているのが気になる。クリシュナムルティが描く光景は時間の経過を感じさせない。本当に絵画さながらの静謐(せいひつ)を湛(たた)えている。切り取られた瞬間は、刻々の生=現在を生きている証拠なのだろう。


 見るからに貧しい二人は健康を維持することもかなわず、清潔さを保つこともできなかった。人は運命に支配される。人は社会の枠組みに従う。そして人は生の片隅しか生きられずに死んでゆく。六道輪廻(ろくどうりんね)。


 女性二人の話し声が聞こえるほど近づく。クリシュナムルティの瞳は、常々彼が説く「観察」を示す。世界の内外が瞬時に入れ替わる――


 その小道をわれわれは皆下りていった。小さないなか町は数マイル先だった。そしてそこで二人は、その重荷をはした金で売り、明日また初めから繰り返すことだろう。かれらは、長い沈黙の間を入れながら、おしゃべりしていた。突然、若い方が、母親に、おなかがすいたと言った。すると母親は答えた。自分たちは飢えとともに生まれ、飢えとともに生き、そして飢えとともに死ぬのだ、と。それがかれらの宿命だった。それは、一個の事実の表明だった。彼女の声には、何の非難も、何の怒りも、何の希望も込められていなかった。われわれは、その石の多い小道を下り続けた。かれらの後で聞き、同情し、そして歩いている観察者はいなかった。彼は、愛と同情からかれらの一部だったのではなかった。彼は【即】かれらだった。彼はやみ、そしてかれらだけがいた。かれらは、丘で出会った見知らぬ他人ではなく、かれらは彼のものだった。束を押えていたのは彼の手だった。そして、汗、疲労困憊、におい、飢えは、分かたれ、そして気の毒に思われるべきかれらのものではなかった。時間と空間はやんだ。われわれの頭の中には何の思考も湧かなかった。疲れきって考えられなかった。そしてもしわれわれに考えることがあるとしたら、それは薪を売り、食べ、休息し、そしてまた始めることだけだった。石の多い小道の上の足は、決して痛まなかった。頭上の太陽もまた苦痛ではなかった。その通い慣れた小道を下り、いつものようにわれわれが水を飲む井戸を通り過ぎ、そして以前あった流れの乾いた床の上を渡っていたのは、われわれのうちの二人だけだった。


「観察者」「彼」とはクリシュナムルティ自身のことである。相手の刻々と流れ通う生を観察した途端、観察者と観察されるものの分離は消え去る。クリシュナムルティは観察することで、彼女達と完全に同化したのだ。


 これをスピリチュアル・パワーと受け止めるべきではない。生命の広がりが他者を包み込む要素をスケッチしているのだ。仏教では「感応」(かんのう)とも「同苦」(どうく)とも表現している。


 観る者は観られる対象である。これまた仏教の「境智冥合」(きょうちみょうごう)と全く同じ思想である。境智の二法とは、境は対境で世界を、智は自分の智慧を意味する。境智が冥合するところに妙なる法が貫く寂滅の世界が出現する。広がった生命は包み込み、溶け合う。「我」(が)の大地は叩き破られ、生の流れが噴出する。これこそ諸法無我の境地であろう。


 ここでクリシュナムルティは「私」が「あなた」であることを教えている。世界は「私」と「あなた」の関係性の中にしか存在しないからだ。これまた、完全に縁起の思想となっている。世界の実相は「縁(よ)りて起こる」ところにあるのだ。


 そして「観察」とは、日蓮が説いた「観心」(かんじん)である。


 涅槃経(ねはんぎょう)に云く「一切衆生異の苦を受くるは悉(ことごと)く是如来一人の苦なり」等云云、日蓮云く一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし(「諌暁八幡抄」)


 覚者(かくしゃ)とは一切衆生の苦しみを引き受ける人物であった。そして覚者は終生にわたって対話に徹した人でもあった。悟りに安住する者が真の覚者であった例(ためし)はない。

生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉生と覚醒のコメンタリー〈3〉クリシュナムルティの手帖より生と覚醒のコメンタリー〈4〉クリシュナムルティの手帖より

機動隊員が自殺未遂=上司が暴行、パワハラも−九州管区


 九州管区機動隊の福岡県内にある二つの小隊で昨年、上司の小隊長が隊員に暴行するなどのトラブルがあり、1人が自殺を図っていたことが23日、捜査関係者の話で分かった。同県警は傷害事件やパワーハラスメント(職権を背景とした嫌がらせ)に当たる疑いもあるとみて調べるとともに、関係者の処分を検討している。

 関係者によると、早良小隊の男性隊員は昨年10月、寮の自室で手首を切って倒れているところを発見され、病院で治療を受けた。その前に小隊長から顔を殴られるなどの暴行を受けていたという。

 小倉南小隊でも昨年、別の小隊長が隊員2人を強く叱責(しっせき)するなどし、1人は精神状態が不安定になって通院したという。


時事ドットコム 2010-01-23

ニューエイジ


 ニューエイジ思想というのは「つまみ食い」である。

人間の表出と表現の積畳が歴史


 結局、人間ひとりひとりが生きていくなかでの表出と表現の積畳が歴史です。表出というのは自覚されないまま外側へ出ていくものです。じつはこの部分の方が大きいのです。それから意識的に表現する部分があり、この二つの蓄積が現在の文化的な状況、すなわち歴史をつくっています。

 その人間の表出と表現を生み出すのは、――ここが一番大事なところですが――、人間の意識下の意識、つまり無意識、自覚されない意識です。表現といえども無意識が原動力になっています。怖いのは何かぽろっと漏らした言葉にじつは本心があったり、あるいは自分が自覚しないでついつい反復して使っている言葉にスタイルが宿ることです。頑張って意識的に小説を書いたとか詩を書いたとか、そういうところよりも、むしろ普段何気なくしゃべっているときに、いつもあの人はこういう言葉を使うとか、あるいはこういうふるまいをするというところに本心があって、そういう自分自身すら気づいていないような本心の積み重なりが歴史をつくっています。


【『漢字がつくった東アジア』石川九楊(筑摩書房、2007年)】

漢字がつくった東アジア