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2010-01-24

宗教は人間のためにあるのであって、人間が宗教のためにあるのではない


「私はきっぱりとヒンズー教と縁を切る決心をした。(中略)

 宗教は人間のためにあるのであって、人間が宗教のためにあるのではないのだ。諸君を人間として認めず、飲水もあたえず、寺にも入れてくれない宗教は、宗教という名に値しない」


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール山際素男訳(三一書房、1983年/光文社新書、2005年)】

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

頼住光子、村田喜代子


 2冊挫折。


 挫折5『道元 自己・時間・世界はどのように成立するのか』頼住光子〈よりずみ・みつこ〉(NHK出版、2005年)/道元の文章がどうも肌に合わない。20ページほどで挫ける。


 挫折6『あなたと共に逝きましょう』村田喜代子(朝日新聞出版、2009年)/活字が太くて読みにくい。村田喜代子を初めて読んだが、文章に独特の臭味がある。「夜、風呂上がりの義雄が私のところへやってきた」――この書き出しが最悪。義雄と語り手の関係性が書かれていないため、「私のところ」が住まいを指すのか、位置を意味するのかがわからない。夫婦が温泉旅行に行く件(くだり)で筋運びがもたついている。面倒になって読むのをやめた。これまた20ページほど。

説得5時間、「ごめんなさい」と男性投身自殺


 19日午後3時5分頃、静岡県西伊豆町安良里の黄金崎公園展望台近くで、海に面した斜面の手すりの外側に60〜70歳くらいとみられる男性がしゃがみ込んでいるのを観光客が見つけた。

 通報で駆けつけた松崎署員や町役場職員らに対し、男性は「がんの痛みが続いて耐えられない。死にたい」などと自殺をほのめかしたため、同署員ら約30人がかりで説得。

「生きていればいいことがある」などと言葉をかけ続けたが、男性は午後8時10分頃、「ごめんなさい」と言い残して約30メートル下のがけ下に身を投げた。

 漁船が出て、約1時間半後に岩場で倒れていた男性を収容したが、全身を強く打ってすでに死亡していた。

 男性は、身長約1メートル70。中肉で、黒色のナップサックを持っていた。同署で身元を調べている。


読売新聞 2010-01-20

日垣隆が文雅新泉堂をこき下ろしていた


 作家の日垣隆が文雅新泉堂を貶(けな)している記事を数日前に見つけた――

 日垣は何の根拠も示さずに「99.9%」の客は支払うはずだ、としている。この前提で相談者に対して「0.1%のために99.9%に不利益を転じる愚は何としても避けていただきたい」と助言している。


 日垣は、万引きの多発によって潰れる書店があることを知らないのだろうか? 少数の悪質な客への対応策を取ることで、多数の客に不利益を与えてはならないという主張は全く馬鹿げたものだ。


 この後で、日垣が文雅新泉堂から本を購入したところ、メールマガジンが配信されるようになった。で、文雅新泉堂のサイトを見たところ、「悪質な代金不払い者」の個人情報がアップされていた。ここから文雅新泉堂への攻撃はトーンが激越な調子となる。


 何らかの事実に対して意見を述べるのは自由だ。それを否定するつもりはない。私もその件については知っている。しかし日垣は意図的な印象操作を加え、情緒的な文言を羅列する――


「『駈け出しネット古書店日記』(晶文社)というイライラする本」、「行動半径がすこぶる狭い人」、「このたぐいの自己チュー男」、「彼にはそのような柔軟性や堪え性(こらえしょう)が微塵もない」、「やはり責任を相手に押しつけたいだけ」、「この自己中心的ネット古書店主」


 このように悪し様の罵った挙げ句、見知らぬ人物に対して「お前」呼ばわりをしている。しかも、ご丁寧に文雅新泉堂の師匠に当たる北尾トロの著作まで引用して攻撃を加える。


 これらの根拠となっているのは、自分(日垣)のサイトの集金だけである。そして、記事の一部は雑誌に掲載したもののようだ。


 どんな商売であれ、それなりの苦労があるものだ。オンライン古書店の多くが電話注文を受けないのは、あまりにもわけのわからない電話が多いためだ。しかも、ただ本を探しているだけで、購入に結びつかないケースも多い。単なる言い間違え、聞き間違えというレベルではなく、発送した後で送り返されることもある。相手にしていると、結局こちらが検索までして別の古書店を紹介する羽目となる。こうしたことは、レアケースではないのだ。


 目に余る文章から、日垣の性根を垣間見ることができよう。日垣は中学3年の時に弟を殺されている。犯人が弟と同じ13歳ということで事故扱いされたようだ。つまり、彼の著作の多くは意趣返しなのではないだろうか? 精神障害者による犯行や少年犯罪を執拗(しつよう)に追い掛けているのは、そうでもしないと自我を保つことができないからではないのか?


 日垣隆が行っていることは暴力である。彼の著作には厖大なデータから取捨選択された情報が盛り込まれているが、彼が振るう暴力のための武器と化している。日垣は「自分が正しい」と思い込んでやまない。そしてその正義に溺れた時、日垣の暴力性はわかりやすい形となって、チンピラまがいの言葉を放つのだ。


 作家が、しがないオンライン古書店を雑誌で攻撃する。日垣は自分の力を理解した上でハンマーを振るっている。ここにおいて日垣の心理は、弟を殺害した犯人と同一化している。


 日垣隆が自分の暴力性を自覚し、そこから脱却できない限り、弟さんが浮かばれることはないだろう。

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