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2010-02-21

核兵器開発の総本山ロスアラモス国立研究所での講話/『クリシュナムルティ・開いた扉』メアリー・ルティエンス


 ロスアラモス国立研究所といえばマンハッタン計画である。核兵器の開発はアインシュタインの署名を借りたルーズベルト大統領への信書から始まった(信書を書いたのは亡命ユダヤ人物理学者レオ・シラード)。アメリカの知性が結集され、1945年7月16日にトリニティ実験が成功。21日後の8月6日広島に、そして9日には長崎に投下された。


 クリシュナムルティと親交の深かったデヴィッド・ボームにも声が掛っていた(Wikipedia)。


 それにしても、人類の前に初めて姿を現した火球は、禍々(まがまが)しい何かで膨(ふく)れ上がっている。滑らかに象(かたど)られた半円が、人類を滅亡させる兵器を生み出した頭脳を象徴しているかのようだ。欲望と恐怖が渾然一体となり、政治と科学の利益が一致した瞬間、破壊の衝動が噴(ふ)き出したのだ。


 ジョージ・オーウェルディストピア(ユートピアの反対)小説の時代に選んだ1984年クリシュナムルティはロスアラモス国立研究所のシンポジウムに招かれた。そこにいる科学者は政治の奴隷であった。すなわち、完全に条件づけされた人々といってよい。きっと彼らの報酬も破格であったことだろう。


 クリシュナムルティは平生と何ら変わるところがなかった。


 Kは約700名の収容力がある満員のホールで、朝8時から1時間以上講話をした。講話は一般に公開されたが、聴衆のほとんどは科学者であった。彼の主なテーマは、知識は完全ではないからけっして創造的にはなれないというものだった。彼は訊ねた。


 われわれは人間として、われわれがつくったものとして世界を見ることができますか? いったい自分たちは別々の個人なのかどうかを、自分たち自身に問うてみたらどうかと思うのです。われわれの意識はわれわれの信念、われわれの信条、われわれのもつすべての偏見、数多の意見、恐怖、不安、苦痛、快楽、人間が何千年ものあいだ抱きつづけてきたすべての苦しみ、――そういうものがすべてみなわれわれの意識なのです。われわれの意識とはわれわれのありさまなのです。この混乱、この矛盾の中に創造性はありうるでしょうか? ……そこで、もし思考が創造の地盤でないなら、創造とは何なのでしょう? いつそれが起こるのでしょう? 間違いなく、創造は思考が沈黙しているときに起こることができます。……科学はもっと、もっと、もっとと集積してゆく知識の活動です。「もっと」とは測定であり、思考は物質的過程であるから測定可能です。知識はそれ自身の限界のある洞察、それ自身の限界のある創造をもってはいますが、そのことが紛糾をもたらします。われわれは全的な知覚について説いているので、その中に自我(エゴ)、「私」、個性はまったく入りこんでいません。そのときにだけ、創造性と呼ばれるものがあるのです。そういうことです。


【『クリシュナムルティ・開いた扉』メアリー・ルティエンス/高橋重敏訳(めるくまーる、1990年)以下同】


「合衆国の至宝」と呼ばれる研究機関で、「あなた方は創造的ではない」と宣言している。大量破壊兵器は石やナイフの延長に過ぎず、エネルギー開発は火や太陽の光の延長線上に存在する。そこで求められているものは「効率」だ。クリシュナムルティは科学を「道具の世界」から引き上げようとしたのだろう。


 クリシュナムルティはいつものように質問に応じた──


 最後の質問は「もしあなたが国家防衛の責任がある研究所の指導者だったら、現実の事態を認識した上で、研究所の活動と調査をどのように指導してゆきますか?」というものだった。これに対するKの答の一部は――


 われわれは世界を区分してしまいました。あなたはクリスチャン、私は黒人、あなたは白人、コーカサス人、私は中国人――なんと嫌悪すべきことでしょう。われわれは区別され、時の始まりからお互いに戦ってまいりました。……みなさん、ロスアラモスのあなたがたのようなグループの人たち――が、破壊のために時間を捧げてきたのです。あなたたはためになることも大いにしていますが、他方地球上のあらゆる人間を破壊しています。なぜなら、【私の】国、【私の】責任感、【私の】防衛という認識に立っているからです。そしてロシア人たちは別の一方でまったく同じことを言っているのです。途方もなく貧しいインドも同じことを言っています。軍備を整えているのです。ですから、何が答でしょうか? もしあるグループの人々がいて、その人たちが国家主義や宗教は全部忘れよう、人間としての問題を解決しよう――破壊なしにともに生きるようにしようと言うならば、あるいはわれわれがひとつの目的のためにロスアラモスに集まって、われわれが語ってきたようなことのすべてに関心がある、絶対的に献身的な人々のグループとして、それらすべてのことに時間を割くならば、そのときにはたぶん新しい何かが起こりうるでしょう。……私はあなたがたに何かをしなさいと頼んだりはしません。私は宣伝屋ではありません。しかし世界は今見られるとおりです。誰もそのことを考えようともしません。誰もが全世界的なものの見方をしないのです――お願いですから、全人類のために――【私の】国ではなく――、全世界的な感じ方をしてください。もしあなたがたが、私と同じように、世界中を歩きまわるなら、あなたの人生の残りを泣きあかすでしょう。平和主義は軍国主義に対する反応です。それがすべてです。私は平和主義者ではありません。その代わり、これらすべてのことの原因を探りましょう――われわれが一緒になって原因を追究するなら、ことは解決するのです。しかしどの人も原因についてはちがった意見をもち、自分の意見に固執するのです。自分の以前からの方向づけに固執するのです。そうなのです。

 聴衆の会員●もしそう言ってよいなら、あなたは私たちを納得させました。

 クリシュナムルティ●私は何も納得してもらおうとは思いません。

 聴衆の会員●私が言いたいのは、ひとたびわれわれがこのことを理解して、その方向に向けて何かをしようとすると、何となく必要なエネルギーを欠いているように思われるのです。……われわれをたじろがせるのは何なのでしょう? 家が火事なのを見ることができますが、火を消すための何かをすることができないのです。

 クリシュナムルティ●家は火事です。あちらの家だと思っているのですが、ここなのです。何よりも先に、家に秩序がなくてはなりません。


ただひとりある」者として、クリシュナムルティは科学者の前に立っていた。教化(きょうけ)しようとする姿勢は微塵もない。人々の内なる善性に向かって、太陽の光の如く開花を促している。咲くも咲かぬも、こちら側の問題だ。クリシュナムルティは断固として依存を拒否する。


「家は火事です」──まるで、法華経に説かれている三車火宅の喩えそのままである。世界は核兵器の炎が燃え盛る「火宅」(かたく)といっていいのかもしれない。


 メアリー・ルティエンスによる評伝三部作は本書で幕を閉じる。読み物としては面白いものではない。クリシュナムルティの奇異な体験が際立っていて、神懸かり的な印象が残ってしまう。しかし、そうでありながらもクリシュナムルティの言葉は光を放つ。誰がどう書こうと、彼の教えが色褪せることはない。

クリシュナムルティ・開いた扉 クリシュナムルティの生と死

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