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2010-03-09

リチャード・パワーズ、山口仲美、佐木隆三


 2冊挫折、1冊読了。


 挫折18『舞踏会へ向かう三人の農夫』リチャード・パワーズ/柴田元幸訳(みすず書房、2000年)/コストに配慮したと思われるがページの余白が殆どない。そのためページ数と章のタイトルが上下二段の真ん中に配されている。これが気になって仕方がなかった。30ページほどで挫ける。チンプンカンプンだ。


 挫折19『犬は「びよ」と鳴いていた 日本語は擬音語・擬態語が面白い』山口仲美〈やまぐち・なかみ〉(光文社新書、2002年)/惜しむらくは単調。ま、擬音語・擬態語だから仕方がないかもね。著者というよりは編集者の責任だろう。構成に工夫があれば、もっと面白い読み物になったはずだ。100ページで挫ける。


 36冊目『日本の名随筆 別巻91/裁判』佐木隆三〈さき・りゅうぞう〉編(作品社、1998年)/山口二郎の座右の銘を知り、慌てて本書を取り寄せた。徳冨蘆花〈とくとみ・ろか〉の「新しいものはつねに謀反である」という言葉をこの眼で読みたかった。「謀叛論(草稿)」だけでもこの本は読む価値があるといえる。全体的には序盤が面白いのだが、中盤の作家が巻き込まれた裁判からつまらなくなり、終盤の裁判所関係者のエッセイは読む価値もない代物だ。私は裁判なんぞ、これっぽっちも信用していない。

驚天動地、波乱万丈の人生/『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール

 凄まじい人生である。ティム・ゲナールは1958年生まれだから今年で52歳になる。彼の思春期までをスケッチしてみよう。


 3歳の時、母親に捨てられる。電信柱に縛りつけて、振り返ることもなく母親は去って行った。4歳になり、元米軍特殊部隊にいた父親と継母(ままはは)から日常的な虐待を受ける。最後は両足を粉砕骨折し、2年間の入院を余儀なくされる。8歳で精神病院に入れられる。9歳で養子になるが、ここでも酷(ひど)い仕打ちを受ける。二度にわたって自殺未遂。11歳で少年院に入り、暴力に目覚める。その後、脱走。12歳の時、初老の紳士にレイプされる。13歳でギャングの仲間入りをする。14歳で男娼(だんしょう)に。15歳で再びホームレス。16歳になり石材加工職人の職業適性証を取得。フランスで最年少の資格取得者となる。この年にボクシングを始め、国内チャンピオンの座を射止めた。


 単なるサクセスストーリーではない。生まれてから一度も愛されることのなかった少年が、もがきにもがきながら遂に人間を信じられるようになるまでが綴られている。陰惨極まりない人生でありながらも、それを笑い飛ばすようなユーモアがそこここに顔を覗(のぞ)かせている。


 ティム・ゲナールが3歳の時に継母と継子(ままこ)が新しい家族となる。彼はただ父親に抱いてもらうことを夢見ていたが、父親は虐待をもって応えた。継母までがこれに加勢した──


 それから、父はぼくの服をつかんで袋みたいに背負い上げ、地下室の入り口まで運んでいき、ドアを開けてそこから下へ放り投げた。

「このガキ、首の骨でも折っちまえ! でなきゃ……」

 最後までは聞き取れなかった。ぼくは暗闇めがけて飛行機みたいに空中を飛び、ぐしゃりと着地した。


 数秒後、いや数分後だろうか? ぼんやりした頭の中に継母のどなり声がこだまして、ぼくは無の世界から引き戻された。

「上がってくるんだよ! ほら、早く!」

 そんなこと言われたって無理だ。動けないんだから……。落ちたときに顎と鼻を砕いていたし、足はこん棒で殴られたときにもう折れていた。すると継母が下りてきて、父に代わってベルトの鞭でぼくを叩いた。ピシッ、ピシッ!

「ほら、動け! 上がりな! 上がるんだよ!」

 ぼくは力を振り絞り、階段を一段ずつナメクジみたいに這い上がった。背中にはなおもピシッ、ピシッとベルトの鞭が飛んでくる。足にはまったく感覚がなかった。

 朦朧としながらやっと階段の上まで這い上がると、父が仁王立ちで待っていて、また嵐のように襲いかかってきた。これでもか、これでもかとぼくを殴る。右側からの一発で目から火が出た。次いで内出血で膨れ上がっていた左側にも一発。さらにまた右から強烈な一撃が来て、耳がガリッと音を立ててつぶれた。目の前が真っ暗になった。

 あとは何も覚えていない。


 その日はぼくの誕生日だった。ぼくは五つになったのだ。


【『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール/橘明美訳(ソフトバンク クリエイティブ、2005年)以下同】


 ティム・ゲナールは鼻の骨を27回折っているが、23回はボクシングで、4回は父親にやられたものだった。多分、まだ幼くて骨が軟らかかったから死なずに済んだのだろう。父親はその後、我が子の手を焼き、額にナイフを突き立てた。ティムが歩けるようになるまで2年を要した。


 我々が生きる世界は暴力に覆われている。立場の弱い者には威張り散らし、車に乗ればけたたましいクラクションを鳴らし、自衛目的の軍隊を黙認し、アメリカの軍事行動に税金が使われても平然としている。我々は確実に暴力を容認している。その容認された暴力が圧縮されて、世界のあちこちで噴火しているのだ。


 彼の父親を殺したところで我々の世界は変わらない。とは思うものの、私の心の中に殺意の嵐が駆け巡る。


 ティム・ゲナールは10代で既にチンピラグループのボスになっていた。そして18歳の時に障害児と共同生活をするキリスト教ボランティアと巡り合う。こうして彼の人生に初めてうっすらと光が射(さ)し込んだ。トマ神父、そして子供達との出会いが彼を変えたのだ。


 ある晩のこと、みんなのトイレのために何度も起こされて、ぼくは頭にきた。

〈もしまた誰か起こしやがったら、階段の上から放り投げてやるから!〉

 はいそうですか、とばかりに声がかかった。

 ぼくは起き上がり、ぼくを呼んだ女の子のベッドへ行き、腕に抱えた。投げようと思ったから、いつもよりしっかり抱えた。女の子は不思議そうな顔をした。階段のところまで行って、さあ投げてやろうとしたら、その子が不自由な腕でぼくのくびにぎゅっとしがみついてきた。

 ぼくははっとした。父も母もぼくを抱きしめてくれなかったのに、この子はぼくを抱きしめてくれているのだと!

 ぼくは我に返り、その子をトイレに連れていった。自分のベッドに戻ったときには頭が割れるように痛かった。ぼくは怒りが溜まるとそれを暴力として吐き出さずにはいられない。その怒りが頭からあふれ出さんばかりになっていた。本当に危なかった。でも、ぎりぎりのところであの子が助けてくれたのだ。


 本書で描かれているのは24歳までである。このまま映画化できそうなほどの破天荒な人生だ。結婚前に世界各地を旅して回っている。ティム・ゲナールはローマの駅で立ちすくんでいる老婦人に声を掛け、案内を申し出る。この老婦人が何とマザー・テレサその人であった。あちこちに同行した彼はマザー・テレサを知らなかった(笑)。


 不信に取りつかれた少年が、信仰と障害児によって生の喜びを知った。愛情を知った彼は、自分の両親を赦(ゆる)した。ティム・ゲナールは本物の自由を手に入れたのだ。

3歳で、ぼくは路上に捨てられた

黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった

石●石炭ガスが登場する以前、大都市の街頭の燃料にクジラの油を使っていて、1740年代のロンドンでは5000もの街灯が鯨油でともされていたそうです。これでは、いくら捕鯨をやっても足りないですよ。欧米で捕鯨の圧力が少し下がるのは、19世紀に入って石炭ガスが普及してきてからです。


(中略)


石●アメリカの捕鯨産業は1650年頃東海外で始まり、1700年頃にはそこも捕り尽くして北極海に出ていく。それも、湯浅さんがいわれたとおり、1830年頃には資源は枯渇して太平洋に進出を余儀なくされる。19世紀半ばには、もう太平洋の東ではクジラが壊滅し、さらに西へ西へと進出したわけです。しかし、捕鯨船への燃料や水の補給ができなくなり、そこで強面のペリー提督を日本に送り込んで、捕鯨船への補給のために開国の圧力をかけることになる。


【『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之〈いし・ひろゆき〉、安田喜憲〈やすだ・よしのり〉、湯浅赳男〈ゆあさ・たけお〉(洋泉社新書y、2001年)】

環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)

アインシュタインは実験をしなかった


 アインシュタイン自身はけっして実験をしなかった。彼は自らの相対性理論を用いて、世界についての新しい見方を思い描いた。それを解く鍵は、何年も失敗を続けたあと、ある朝目覚めてベッドに座っていたとき思いがけない形でやってきた。鍵は合うか合わないかのどちらかだ。アインシュタインは、その鍵がぴったりあ(ママ)うことをただちに理解した。


【『内なる目 意識の進化論』ニコラス・ハンフリー/垂水雄二〈たるみ・ゆうじ〉訳(紀伊國屋書店、1993年)】

内なる目 意識の進化論

民族という概念は18世紀に発明された


 民族という概念そのものは18世紀の西欧の発明であり、これは「血と土」を意味するドイツ語のBlud und Borden(ブルート・ウント・ボーデン)およびVolk(フォルク)「民」からきている。これを明治前期に民族と造語した。現代中国語の民族(ミンズー)は、明治中期に日本から輸出された熟字である。それ以前の中国語にはなかった。昔から日本は原料加工製品輸出がうまかったのである。

 こうして幻の「日本民族」はできた。さて植民地ができると、そこに住む新日本人たちは、一体何になるのか? これにかかわり、「国体の本義」を考える人たちは悩んだ。研究者たちも迷った。喜田定吉(きた・さだきち)の著作を読むと、当時の知識人の困惑が掌にとるようだ。結局、ラ・フランス・メトロポリテーヌ(内地フランス)とラ・フランス・ドウトル・メール(外地フランス)というフランス型の植民地支配方式でごかました。ドイツ語の「血」の語源をここで落としたのであった。

単一民族」幻想は成立したのだが、実は「血」を語ると、それ以前から不都合な部分があったからである。沖縄の人たちと、北海道のアイヌなどの先住民たち、あるいは小笠原の人々の存在だった。

 フランス型植民地支配方式とは、つまり「内地日本(人)」が、「外地日本(人)」(この場合は、朝鮮半島、台湾、樺太(現サハリン))を統治指導する、という考え方である。昭和になって、ついでに中国もまとめて指導してやろうじゃないか、というのが、いわゆる「大東亜共栄圏」論、「八紘一宇」論だ。この「八紘一宇」論が、実はそのまま現在の「大東亜戦争=アジア解放戦争」論に繋がっている。

「八紘一宇」論とは、つまり、わたしの言う「日本型中華思想」である。中華が蕃(蛮)を救済し、指導してやる、と言うのである。


【『無境界の人』森巣博〈もりす・ひろし〉(小学館、1998年/集英社文庫、2002年)】

無境界の人 (集英社文庫)