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2010-03-14

エスピオナージュに見せかけた「神の物語」/『木曜の男』G・K・チェスタトン

    • エスピオナージュに見せかけた「神の物語」

 私には魂胆があった。ある時代の風俗を知りたければその時代のミステリを読むのが一番だといわれる。世界を支配する力は富ではなく情報である。これは今も昔も変わらない。ある時代は巫女(みこ)や霊媒師が、またある時代は王や貴族が、そしてまたある時代は軍や政治家が情報を牛耳ってきた。現代ではメディアが一手に支配している。


 例えば近年最も衝撃を受けた作品の一つに、アメリカのテレビドラマ『24 TWENTY FOUR』がある。個人的にはこのドラマの捜査手法はかなり信憑性が高いと思っている。つまりこうだ。CIAやFBIの手の内を敢えてさらけ出すことで、視聴者に「ドラマ」として印象づける意図があるように感ずる。で、我々は「いやあ凄いもんだなー。でも、あれってドラマの中の話だよな」と結論を出してしまうのだ。


「民主主義の時代にあって、よもや暗殺とはね……」などと思っているあなたは甘い。世界はいまだに暗殺で動いている。西側諸国の敵、あるいは国家の裏側を暴露するジャーナリストなど、今この瞬間も殺されている人々が多数存在する。

 アメリカのメディアを支配しているのはユダヤ資本である。日本のメディアも許認可事業であり、戦後のGHQ統制下でスタートしている歴史を併せて考えると、権力の支配下にあることは言うまでもない。


 そこで私は、宗教者を主人公にしたブラウン神父シリーズか、ハリイ・ケメルマンのラビ・シリーズを読んで秘密を探ろうとしたのだ。色々と物色した結果、本書を読むことにした。これが、ドンピシャリだった。原書は1908年刊。まだラジオも出回ってない時代である。とすると、メディア(媒体)としては紙(=印刷物)がメインであったことだろう。


 一人の男が無政府主義者と出会うところから物語は幕を開ける──


「芸術家は無政府主義者と同じものなのだ」と彼はいった。「この二つは、いつだって入れ替えられるもので、無政府主義者は芸術家なのだ。爆弾を投げる男は、ある偉大な瞬間を他のどんなことよりも好むから芸術家で、その男は稲妻が一度まぶしくひらめくこと、雷が一度、完全に鳴り響くことのほうが、何人かのかっこうが悪い巡査のありふれたからだよりも、ずっと貴重なのだということを知っている。そして芸術家はすべての政府を無視して、いっさいの因襲を破棄する。詩人は秩序をきらって、もしそうでなければ、世の中でいちばん、詩的なものは地下鉄だっていうことになる」


【『木曜の男』G・K・チェスタトン/吉田健一訳(創元推理文庫、1960年)以下同】


 詩人のグレゴリーは無政府主義の秘密結社に所属するメンバーの一人だった。ヨーロッパの歴史を知るには秘密結社とキリスト教を理解する必要がある。更に日本人が想像する以上の階級社会となっている。


 グレゴリーと巡り合ったサイムは秘密結社の会合に同行する。七人の主要メンバーは七曜で呼ばれていた。ここで「木曜の男」が選出されることになった。グレゴリーの選出が決まりかけた時、何とサイムが異議を唱えた。彼もまた詩人であった。そしてあらん限りの表現力を尽くして、サイムが「木曜」として承認された。彼は潜入捜査をしている刑事だった。


「無政府主義中央会議には議員が7人いて、その一人一人を曜日の名で呼ぶことになっているんです。それで議長が日曜で、議長の崇拝者の中には、血の日曜と呼ぶものもあります」


 日曜の男が秘密結社のリーダーであった。日曜は圧倒的な存在感で傲然と構えていた。サイムが初めて参加した会合で裏切り者が発覚する。ここから物語は加速度を増す。


「刑事というのは相対的な名称ともいえるんで、進化論の観点からすれば、猿が刑事になるまでの過程には断続というものがないもんですから、私にはどこでそうなるかがわからないんです。猿は刑事にいずれなるもんなんです」


 こんな文章がたくさん出てくる。古典はやはり侮れない。


 最後は日曜を追い詰める展開になるのだが、その前に不条理の波がサイムに襲い掛かる。日曜こそは逮捕するべき犯人であるのだが、全編の通奏低音として日曜の巨大な影が、ある恐怖感を伴って支配している。


 アッと驚くラストシーンによって、我々は「日曜」が神を象徴していることに気づく。サイムは神の掌(てのひら)の上にあるも同然だった。日曜は安息日だ。人間の所業は「終わることなき騙し合い」であった。現代の諜報戦においても同様であろう。二重スパイ、三重スパイが存在することで、誰が敵で味方かもわからなくなる。悪魔と思われていた日曜が実は神だったのだ。


 アダムとイブは智慧の実を食べた後で神に嘘をついた。

 そして神はあろうことか、製造者としての責任を反省することなく呆れ果てたのだった。もしも神が人間を創造したのだとすれば、間違いなく神も愚かなはずだ。


 本書には多分、濃厚なキリスト教的世界が描かれている。

木曜の男 (創元推理文庫 101-6) 木曜日だった男 一つの悪夢 (光文社古典新訳文庫)

(※左が旧訳、右が新訳)

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