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2010-03-17

大氣舎


 大氣舎(だいきしゃ)が千葉県市川市の八幡へ引っ越していた。羽深律さんの店。

民放側が本音の議論 バラエティー番組 BPO意見書巡り


 テレビ局側はスポンサー以外に頭を下げるつもりがないのだろう。所詮、政治家や著名人の子弟のサロンと化している企業体だ。彼等はきっと、スポンサーを支えているのが消費者(=視聴者)であることにすら気づいていないのだろう。私は昨年1年間で1時間しかテレビを観ていない。


 テレビのバラエティー番組のあり方を制作者らが議論するシンポジウムが11日、東京都内であった。放送倫理・番組向上機構(BPO)が番組づくりの見直しを求めたのに対する民放側の「回答」の一つだ。一般の視聴者らも交え、議論は3時間以上に及んだ。

 シンポジウムは日本民間放送連盟が「バラエティー向上委員会」と題して開いた。在京民放キー局5社のバラエティー番組の制作者が1社10人ずつ舞台に上がり、BPOの委員や客席の視聴者と意見を交わした。

 議論の出発点は昨年11月にBPOの放送倫理検証委員会がまとめた意見書だ。バラエティー番組に視聴者が不快感を抱いているとして問題点を指摘した。

 シンポジウムでは、制作者側が「現場介入」と身構えている様子が明らかになった。制作者計50人に意見書への評価を問うと「うっとうしい」が22人。BPOに苦情を寄せた視聴者に対しては「もっと勉強してほしい」が37人。「視聴者が正しくないというなら、ほかの世界で番組をつくれば、という話になる」とBPOの委員がたしなめる場面もあった。

 意見交換では現場の本音が相次いだ。「テレビで暴力を流すと(子どもが)暴力をふるうと言われても。そんなバカを育てた親が悪い」(TBS)「クレームを過剰に考えすぎる必要はない」(テレビ東京)

 後半は視聴率について討論。「視聴率を取るため、制作者らの首がどんどん締まっている」(フジテレビ)、「作品としての完成度を考えた時、視聴率が落ちてもそこを我慢するのが必要」(テレビ朝日)、「視聴率がなければ素晴らしい番組ができるか、と問うのは民放にとってナンセンス」(日本テレビ)などと意見が分かれた。

 無理に結論を出さないことが前提とはいえ、シンポジウムでは具体的な改善策は見えてこなかった。冗談半分に「私はまな板の上のコイ」とする制作者からは、本気で番組を見直そうとする意識は感じられなかった。「BPOは、どう変わってほしいと思っているのか」との視聴者の問いに、BPOの委員も明確に答えることはなかった。


独自の検証番組も フジテレビ


 BPOの意見書に対する民放各社の対応をみると、「意見書を重く受け止めた」とするフジテレビの動きが際立っている。

 1日に、新たな制作方針として「愛がなければテレビじゃない!安心できなきゃテレビじゃない!やっぱり楽しくなければテレビじゃない!」とうたった「宣言」を発表。2月27日放送のバラエティー番組「めちゃ×2イケてるッ!」では「いじめや差別につながる」と指摘された演出を再現し、出演者らが議論した。

 今月27日には、是枝裕和監督の演出でバラエティーの歴史や功罪を検証するドキュメンタリー番組を放送する。


asahi.com 2010-03-16

石油を「代替」できるエネルギーなど存在しない


 期待される再生可能エネルギーであるが、残念ながらその数値は概して低い。天野氏の試算によると、水力発電の場合、ダム建設に入力エネルギーの48%、コンクリートなどの素材に26%、運用や補修に23%が使われている。

 地熱発電の場合、素材に必要なエネルギーは全体の20%だが、運用に72%が使われる。風力発電の場合、素材に48%、運用や補修に36%、製造に10%のエネルギーが使われる。太陽光発電でも、パーツの製造に61%、モジュールの組み立てに23%、据え付ける架台に8%のエネルギーが使われる計算だ。

 再生可能エネルギーは、その装置が電力を生み出す姿だけを見れば「クリーン」なイメージがあるかもしれないが、装置自体が「工業製品」であることを忘れてはいけない。原料に希少資源が使われる場合は、現地住民の間に紛争の原因を植え付けることにもなる。


JBpress 2010-03-16

マガーク効果−視覚は聴覚を補っている


 病人や要介護者と話す場合、目を合わせることも大切であるが、それ以上に重要なのは口の形を見せることである。健常者であっても視覚が聴覚を補っていて、実は視覚の方が優先されている。

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脳と心


 脳と心の関係に対する疑問は、たとえば次のように表明されることが多い。

「脳という物質から、なぜ心が発生するのか。脳をバラバラにしていったとする。そのどこに、『心』が含まれていると言うのか。徹頭徹尾物質である脳を分解したところで、そこに心が含まれるわけがない」

 これはよくある型の疑問だが、じつは問題の立て方が誤まっていると思う。誤まった疑問からは、正しい答が出ないのは当然である。次のような例を考えてみればいい。

 循環系の基本をなすのは、心臓である。心臓が動きを止めれば、循環は止まる。では訊くが、心臓血管系を分解していくとする。いったい、そのどこから、「循環」が出てくるというのか。心臓や血管の構成要素のどこにも、循環は入っていない。心臓は解剖できる。循環は解剖できない。循環の解剖とは、要するに比喩にしかならない。なぜなら、心臓は「物」だが、循環は「機能」だからである。


【『唯脳論』養老孟司青土社、1989年/ちくま学芸文庫、1998年)】

唯脳論 (ちくま学芸文庫)