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2010-03-22

認知症の生々しい描写/『一条の光・天井から降る哀しい音』耕治人


 昔から記憶喪失や認知症に興味を覚えてならなかった。「自分」という存在の危うさや儚(はかな)さを表出しているように思えた。「私」を形成しているのは、「私」の過去であり、それは記憶である。つまり記憶が失われてしまえば、「私」は「私」でなくなるのだ。「私」の姿形をした別人がそこに現れる。


 動物には「自我」がないとされている。知能が発達しており、政治性の強いチンパンジーやボノボにも、多分自我は存在しないことだろう。なぜなら、言葉がないからだ。「私」という言葉がない以上、自我の概念が形成されることは考えにくい。


 日本の認知症患者数は1990年に100万人を突破している。アルツハイマーだけでも60万人という数になっている。記憶障害だけでも家族にとってはショック極まりないことだが、その上徘徊(はいかい)をするようになると付きっきりで見守る人が必要となる。強烈なボディブローを何発も食らったような情況は避けようがない。


 この短篇小説は私小説なので事実が元になっていると思われる。50年間連れ添った妻が認知症となる。奇妙な行動が徐々に、だが確実にエスカレートしてゆく。まさしく、「壊れてゆく」有り様が静かな筆致で綴られる──


 落ちた家内は、私に背を向けているから、顔の表情はわからない。急いでシャツとズボンに着替え、両脇に手を入れ、起こしにかかった。重くて、抱き上げられない。起きる気持がないのだ。

 二、三度こころみたあと、どうしたらよいか寝間着の裾の方をぼんやり見ていると、静かに流れ出、畳を這い、溜りを作った。

 呆然と見ていたが、これも50年、ひたすら私のため働いた結果だ。そう思うと、小水が清い小川のように映った。

「起きなさい。いま体を拭いてあげるからね」

 気力を奮い立たせ、抱き上げようとしたら、すっぽり抜け、私の脚もとにうずくまった。私の首筋は棒のようで、右にも左にも動かない。肩は石のようになって、力が入らない。起こすのをあきらめ、台所にゆき、湯沸器に点火し、沸くと、ポリ容器に移した。それから家内の体を避け、雑巾で、小水の溜りを拭き出した。すると家内は起上り、ベッドの縁に腰掛けた。

「しめた」と思い、容器の湯を取りかえ、手拭をしぼり、家内の腰から脚の爪先まで拭きはじめた。家内はその私を見ていたが、

「どんなご縁で、あなたにこんなことを」と呟いた。

 私はハッとした。(「どんなご縁で」)


【『一条の光・天井から降る哀しい音』耕治人〈こう・はると〉(講談社学芸文庫、1991年)以下同】


 この時、妻はまだ夫を認識していた。それにしても、妻の言葉が肺腑(はいふ)を衝く。かすかに残る記憶を手繰り寄せた瞬間、天啓のような一言がこぼれた。


 残された夫の記憶と失われてゆく妻の記憶とが交錯する。だが、それすらも木端微塵となる──


 家内はニコニコし、なにか喋っている。入れ歯がないせいもあって、なにを言っているのかわからない。このことは信夫も言っていたし、Yさんも言っていた。

 私は家内の手を握っていたが、冷い。やはり涙はとまらない。鼻みずを拭くため、細長いテーブルにのっていたティッシュペーパーを、箱から引張り出そうとしたら、残り少くなったせいだろう、うまく出てこない。家内がふところに手を入れ、紙をさがしている様子だ。ご婦人が気付いて、立ち上り、家内の袂から、鼻紙を出された。

 そのとき私は引張り出したティッシュペーパーで鼻みずを拭いていたが──。

 このあいだにご婦人が何度か「この人は誰ですか」とか、「このかたがご主人ですよ」

 などと言われたが、返事をしなかった。

 何度目かに「ご主人ですよ」と言われたとき、「そうかもしれない」と低いが、はっきりした声でいった。

 私は打たれたように黙った。(「そうかもしれない」)


 夫婦である記憶が抜け落ちた瞬間に関係性は消失する。後は一方的な働きかけしか残されていない。


 介護を必要とする人がいて、介護をする人がいる。認知症は進行を遅らせることはできても、よくなることは決してない病気だ。それでも、人は何かをしてあげれば「見返り」を求めずにはいられない。感謝の言葉もなく、挙げ句の果てには罵倒されることも珍しくない。そんな情況において「家族だから」という理由だけで、介護を続けられるものではあるまい。


 何にも増して、家族だけでカバーすることは時間的にも不可能だ。当然、ヘルパーや施設の手を借りることとなる。「老いる」とはそういうことなのだ。


 誰もが有終の美を飾ることを望み、豊かな老後に憧れる。夕日が荘厳に沈みゆくような晩年でありたいと希望する。


 そんな幻想を粉砕する力がこの小説にはある。誰が認知症になるのか、それはわからない。親か、妻か、あるいは私か──。こうした覚悟を読者に迫る作品だ。

一条の光・天井から降る哀しい音 (講談社文芸文庫)

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