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2010-03-27

擬音語・擬態語 英語は350種類、日本語は1200種類/『犬は「びよ」と鳴いていた 日本語は擬音語・擬態語が面白い』山口仲美


 私は犬を見かけると、ほぼ必ず「バウワウ!」と吠えるようにしている。本当の話だ。何を伝えようとしているのかというと、「俺は外国の犬だぞ!」というメッセージである。もちろん、わかってもらえることは滅多にない。


 果たして日本の犬が「ワンワン」と鳴き、アメリカの犬が「バウワウ」と吠えているのだろうか? 多分それはない。人間が勝手に犬の鳴き声を表現しているだけの話だ。


 耳は奥深い世界である。胎内にいる時から機能し始め、死の直前に視覚は失われるが音は聴こえているいるという。眼は閉じることができるが、耳を閉じることはできない。その意味で耳は常に世界に対して開かれている器官なのだ。


 音は空気の震動である。それは絶えず風や波のように揺れ動く。私の声帯の振動が、あなたの鼓膜を振動させる。そしてこの世界を支える原子や分子も震動している。


 擬音語・擬態語は音や動作を言葉に翻訳したものである。当然そこには文化が反映される。欧米人には虫の声を楽しむ文化がないとも聞く。


 乾亮一さんの調査(『市川三喜博士還暦祝賀論文集』研究者)によりますと、英語では擬音語・擬態語が350種類しかないのに、日本語ではなんと1200種類に及ぶ。3倍以上ですよね。小島義郎さんは、『広辞苑』の収録語彙をもとに同じような調査(『英語辞書学入門』三省堂)をしていますが、彼によると、日本語の擬音語・擬態語の分量は英語の5倍にもなります。擬音語・擬態語は、まさに日本語の特色なのです。


【『犬は「びよ」と鳴いていた 日本語は擬音語・擬態語が面白い』山口仲美〈やまぐち・なかみ〉(光文社新書、2002年)以下同】


 そうすると日本人は「耳がいい」のかもしれない。これは「耳を澄ます」といった次元ではない。錯視同様、錯聴というものも存在する。

 つまり聴こえている聴こえてないではなく捨象されているのだ。斬り捨て御免。


 例えばこんな話もある──


 ある夏の日に、フランス人の女性と和室で会食したときのことです。その部屋には風鈴がかけられ、涼しげな音を奏(かな)でていました。ここで私はそのフランス人の女性に尋ねました。

「あなたはこの装置(風鈴のこと)の存在に、あるいはこの装置が発する音に気付いていましたか?」

 案の定、その人はまったく気付いていませんでした。

「これはいったい何ですか?」

「これは言ってみれば『メンタル・エアー・コンディショナー』です。涼しげな音を出すことで、気持ちから涼しくする装置です」

 そう説明してからは彼女は珍しそうに見入るようになりましたし、音にも注意を払って聞いていました。

 でも、実際には説明する前から風鈴は彼女の視界にあったはずですし、音だって物理的信号としてはちゃんと彼女の鼓膜を振動させていたはずです。にもかかわらず、彼女は風鈴の存在にも音にも気付かなかった。それは彼女が「風鈴」というものを知らなかったからです。人は知らないものは認識できないのです。逆に言えば、認識できる範囲だけがその人にとっての世界ということになります。


【『夢をかなえる洗脳力苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(アスコム、2007年)】


 つまり世界は最初から存在しているわけではなくて、実は「認識すること」によって形成されるということだ。ということは、世界が外に広がっているわけではなくて、脳の中で展開されていることになる。


 擬音語・擬態語は期せずして世界観の違いをも示している。では、昔の犬はどう鳴いていたか?


 私が、一番最初にひっかかったのは、平安時代の『大鏡』(おおかがみ)に出てくる犬の声です。「ひよ」って書いてある。頭注にも、「犬の声か」と記してあるだけなんです。私たちは、犬の声は「わん」だとばかり思っていますから、「ひよ」と書かれていても、にわかには信じられない。なまじ意味なんか分かると思い込んでいる言葉だけに、余計に信じられない。雛じゃあるまいし、「ひよ」なんて犬が鳴くかって思う。でも、気になる。これが、私が擬音語・擬態語に興味をもったきっかけでした。


 古語には濁点がないので、「びよ」と鳴いていたらしい。バ行の音は唇を使うので、いくら何でもそりゃ無理だろう──という問題ではない。「びよ」という音が当時の人々が慣れ親しむ何らかの背景があったのだろう。今だって、ものが伸びる様を「ビヨーン」と形容するではないか。


 鶏の声は、現在は「こけこっこー」ですね。でも、昔の文献を丹念にたどって行きますと、江戸時代は「東天紅(とうてんこう)」と聞いていたことが明らかになってくる。「とっけいこう」「とってこう」なんていう鶏の声もある。


 これは「ブッポウソウ」に近い音となっている。それにしても漢字で洒落(しゃ)てみせるという日本の文化が面白い。私は粋(いき)や風流にとんと関心がないが、こういうのは味わいがあってよろしいですな。


D


「いがいが」は、当時の赤ん坊の泣き声。現在から見ると、にわかに信じがたいかもしれませんが、「いがーいがー」としてみると、今の「おぎゃーおぎゃー」に似ていて納得できます。赤ん坊の泣き声「いがいが」に「五十日五十日(いかいか)」の意味を掛けているんですね。


 言葉の歴史が持つダイナミズム。イガラシ(小学生時代からの友人)よ、お前のことは今度から「おぎゃーらし」と呼ばせてもらおう。


 伸び伸びとした著者の姿勢は素晴らしいのだが、惜しむらくは構成が単調になっていて抑揚に欠けている。腕のいい編集者がつけば、いくらでも面白い内容になることだろう。

犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い (光文社新書)

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