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2010-03-30

「THE WAY HOPE GOES」Tha Blue Herb


 Tha Blue Herbにはまっている。病みつき。削ぎ落とされたサウンドが呪文の領域にまで達している。クールを通り越してコールドって感じだな(笑)。それでいいんだ。札幌なんだから。


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THE WAY HOPE GOES

英国がイスラエル外交官を国外追放、ハマス幹部暗殺事件で


 ホロコーストの反動によって作られた人工国家イスラエルは、過去の恨みを晴らすためにナチス化せざるを得ない。


 アラブ首長国連邦(UAE)ドバイのホテルでパレスチナのイスラム原理主義組織ハマス幹部が暗殺された事件で、ミリバンド英外相は23日、容疑者グループが所持していた英国パスポートの偽造に関与したとして、イスラエル外交官1人の国外追放を発表した。

 外相は議会で、イスラエルが関与したと考えざるを得ない「有力な理由」があるとし、イスラエル側に再発防止を保証するよう求めたと述べた。

 ドバイ当局は、事件がイスラエルの情報機関モサドの諜報員による犯行とみており、これまでに容疑者27人の氏名を公表。容疑者らは、英国のほか、アイルランド、フランス、ドイツ、オーストラリアの偽造パスポートを使ってドバイに入国していたという。

 今回の国外追放を受けて、イスラエルのリーバーマン外相は、声明で「事件へのイスラエルの関与を示す証拠は何も受け取っていない」などとコメント。同国はこれまで、事件への関与について否定も肯定もしていない。


ロイター 2010-03-23

「謀叛論」徳冨蘆花/『日本の名随筆 別巻91 裁判』佐木隆三


 2週間ほど前になるが、次々とリンクを辿っていたところ山口二郎のブログに辿りついた。何の気なしに「プロフィール」のページを開くと、そこに座右の銘が記されていた。「新しいものはつねに謀反である(徳富蘆花)」と。


 山口二郎といえば東大法学部の俊逸にして、その後首都東京に背を向け、北海道札幌の地から政治的メッセージを発信し続けている人物である。私は不明にして徳冨蘆花の言葉を知らなかった。


「謀叛論(草稿)」は幸徳秋水大逆事件に関する所感を述べたものである。24人に死刑判決が下され、12人に執行、5人が獄死という無残なものであった。その後の調査によって大半の人物が冤罪であったことが判明している。


「謀叛論」は1911年(明治44年)2月1日に旧制第一高等学校で行われた講演の草稿である。大正デモクラシーの真っ只中である。それは第一次世界大戦の前夜でもあった。民主と自由の風は暴力のマントを翻(ひるがえ)した。幸徳事件もその一つであった。


 国家が戦争に向かって進むと、高まる緊張感は厳しい取り締まりとなって現れる。そして戦争に至るまでには必ず国民の合意が形成されており、多くの人々の主張は右側に傾斜する。勇ましくて威勢のいい言論が人々に好まれるようになる。リベラルな連中は腰抜け扱いされる。


 幸徳秋水らが自由に酔い痴れいていたかどうかは私にはわからない。だが、脇の甘さがあったことは確かだろう。


 徳冨蘆花は実兄の蘇峰(そほう)を通じて桂太郎首相へ嘆願しようとするが間に合わなかった。その直後に一高からの講演依頼があった。蘆花は悲憤慷慨(ひふんこうがい)の胸の内を吐露し、次のように結んだ──


 諸君、幸徳君らは時の政府に謀叛人と看做されて殺された。諸君、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。「身を殺して魂(たましい)を殺す能わざる者を恐るるなかれ」。肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂の死である。人が教えられたる信条のままに執着し、言わせらるるごとく言い、させらるるごとくふるまい、型から鋳出した人形のごとく形式的に生活の安を偸(ぬす)んで、一切の自立自信、自化自発を失う時、すなわちこれ霊魂の死である。我らは生きねばならぬ。生きるために謀叛しなければならぬ。古人はいうた、いかなる真理にも停滞するな、停滞すれば墓となると。人生は解脱の連続である。いかに愛着するところのものではも脱(ぬ)ぎ棄てなければならぬ時がある。それは形式残って生命去った時である。「死にし者は死にし者に葬らせ」墓は常に後にしなければならぬ。幸徳らは政治上に謀叛して死んだ。死んでもはや復活した。墓は空虚だ。いつまでも墓に縋(すが)りついてはならない。「もし爾(なんじ)の右目爾を礙(つまず)かさば抽出(ぬきだ)してこれをすてよ」。愛別、離苦、打克たねばならぬ。我らは苦痛を忍んで解脱せねばならぬ。繰り返して曰(い)う。諸君、我々は生きねばならぬ、生きるために常に謀叛しなければならぬ、自己に対して、また周囲に対して。


【「謀叛論(草稿)」徳冨蘆花〈とくとみ・ろか〉/『日本の名随筆 別巻91 裁判』佐木隆三〈さき・りゅうぞう〉編(作品社、1998年)】


 烈々たる叫びである。100年前に放たれた言葉が轟くような反響とともに、現在に至るまで深い余韻を残している。そしてクリシュナムルティの反逆の精神と完全に一致している。真の英知は時代の束縛を軽々と超越する。


 古いやり方を踏襲(とうしゅう)しているだけでは新しい時代を開くことはできない。国家や社会を牛耳っているのはいつの時代も老人達だ。彼等は「決して悪いようにはしない」と言いながら、自分達の利益しか考えていない。


 謀叛とは反逆であり裏切りである。では何を裏切るのか? 「古い常識」を裏切るのだ。「あり得ない」「考えられない」「やってはいけない」ことを為すことでしか、時代を変えることはできないのだ。


 漫然と過去の哲学、古い教義に縛られた人々は、必ず落伍してゆくことだろう。


 万人が異議申し立てをし、心の奥底で思っていることを披歴(ひれき)すれば、それだけで社会が一変することだろう。若者よ、社会の奴隷となることなかれ。

裁判 (日本の名随筆)

正しい多数決原理とは


 多数決原理は、通常理解されるごとく、「多数と少数の関係」を規律する慣行であるというよりも、むしろ「多数と全体との関係」を調整補完する機能を有していると考えてよかろう。(中略)万人がなっとくできる正確な理論と根拠が今日存在しない以上、国民意思の最大公約数を発見するには、どうしても、多数と少数との交流が不可欠の条件となる。「議席の多数」と「国民の総意」との間に生まれる空白地帯を埋める働きこそ、正しい多数決原理の解釈に俟(ま)たねばならぬのである。


【『政治を考える指標』辻清明(岩波新書、1960年)以下同】


 たとえ自党の多数派が、衆をたのんで強行しようする法案であろうとも、それが少数意思を無視する悪法ならば、これに盲従しないのみか、かえって野党議員とともに、これを葬り去るだけの知性と勇気を議員が備えていることを前提とした上で、はじめて多数決原理は成り立つのである。もしこのような前提を欠いた議会で、多数決原理を用いるならば、それは「多数の暴政」を招きやすいのみならず、代表の原理を正当化することすら困難となる。

政治を考える指標