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2010-04-04

一条真也、池上彰


 1冊挫折、1冊読了。


 挫折24面白いぞ人間学 人生の糧になる101冊の本』一条真也(致知出版社、2007年)/致知出版社の礼賛本。安岡正篤〈やすおか・まさひろ〉、渡部昇一の作品がずらりと並んでいる。これだけで手垢(てあか)にまみれた保守系道徳の香りが漂ってくる。殆ど読まずに閉じる。


 49冊目『そうだったのか! 現代史 パート2池上彰ホーム社、2003年/集英社文庫、2008年)/中東、チェチェン、北朝鮮、インドvsパキスタン、スーチー女史、チェルノブイリなど。このシリーズはもっと続けて欲しいもんですな。アメリカの核開発に関する記述で、「アインシュタインが手紙を送った」とあるがこれは間違いで、実際は署名をしただけである。

すべての戦争に対する責任は、われわれ一人一人が負わなければならない/『自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法』クリシュナムーティ

    • すべての戦争に対する責任は、われわれ一人一人が負わなければならない

 2年前、レヴェリアン・ルラングァの『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』を読んだ。ページを繰りながら身体中の血管を怒りという怒りが駆け巡った。


 隣人のフツ族に略奪され、レイプされ、多数の釘が打ち込まれた棍棒で殴られ、幼い子供は手足を切り取られたまま放置された。少しでもツチ族が長く苦しむようにとマチェーテ(山刀)で切り刻まれた。3ヶ月間で殺された数は100万人に及んだ。


 ルワンダはイギリスとフランスに蹂躙(じゅうりん)されていた。大虐殺が始まってからもフランスはフツ族に加担した。国連は無視した。そしてアメリカがルワンダ救援を阻止した。


 アフリカ大陸は憎悪に包まれている。先祖は奴隷にされ、今もなお貧困に喘いでいる。資源という資源はヨーロッパに奪い尽くされ、あとは野となれ山となれってわけだ。ゴミステーション以下の扱いといっていいだろう。


 人間は憎悪に駆り立てられると、いくらでも残虐な真似ができる。ルワンダがそれを教えてくれた。


 大虐殺に至る憎悪は、情報によって操作されているのが常だ。それは親から子へ、教師から生徒へ、老人から若者へと伝えられる。しかも客観的な事実ではなく切り取られた感情が増幅して伝えられる。不慮のアクシデントに見舞われれば、全部「あいつらのせい」となる。憎しみの種は、芽を出し、やがて太い幹へと成長する。


 傷つけられたプライド、へし折られた鼻はいつだって報復の機会を窺っている。それが100年前の話だろうとも。


 こうやって人間は互いに殺戮(さつりく)を重ねてきた。世界は混乱したままだ。何ひとつ変わっていない。忘れた頃に再び殺し合いが始まることだろう。


 この悪しき連鎖に終止符を打つことは可能なのか? 世界を変えることはできるのか?


 外部の社会構造は内部の心理的構造の生みだした結果である。というのは、個人そのものが人間の経験と知識ならびに行為の全体を集約したものの結果だからである。われわれ一人一人がすべての過去を貯蔵した倉庫である。個人は、その一人一人がみな人類の一員たる人間なのである。人間の歴史のすべてがわれわれ自身の中に記録されているのである。


【『自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法』クリシュナムーティ著、メリー・ルーチェンス編/十菱珠樹〈じゅうびし・たまき〉訳(霞ケ関書房、1970年)以下同】


 確かにルワンダ大虐殺は私の心に記録された。刻み込まれて消えることはない。胸の中にはフツ族への憎悪が脈打っている。そしてイギリス、フランス、アメリカ、国連に対しても。


 だがそれでは、結局同じことの繰り返しにしかならない。私がフツ族を殺し、フツ族の家族が私の家族を殺し、暴力の輪は無限に拡散してゆく。


 すべての戦争に対する責任は、われわれ一人一人が負わなければならない。それは、われわれの内部にある攻撃性、国家主義、利己主義、もろもろの神々、偏見そして理想が、多くの分裂の原因となっているからである。われわれは日常生活の中で世界各地で起こっている悲惨な事件に関与しており、戦争や分裂、そしてまた、醜悪さと残虐性と貪欲にみちみちたこの恐ろしい社会の一部を形づくる存在であり、それゆえにこそあなたと私が現代のさまざまな混沌のすべてに対する責任を有することを知的にではなく、われわれが空腹や苦痛に対して抱くのとまったく同じ現実感をもって理解するときにはじめてわれわれは行動を起すのである。


 日常に潜む私の小さな蔑(さげす)み、嘲笑、無責任、嘘、インチキ、デタラメ、不親切、心ない言葉……これがルワンダにまでつながっていたのだ。もちろん、パレスチナにも通じている。


 つまり、私と私の周囲にしか世界は存在しないのだ。六次の隔たりがそれを証明している。世界の実態はスモールワールドなのだ。


 争いの絶えない世界で、平和に生きることは実に困難だ。それは意志でもなく、声高な主張でもない。自らの内部に完全な静謐(せいひつ)を湛(たた)えることだ。クリシュナムルティが示したように。私が変われば、即座に世界も変わるのだ。

自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法

大激怒&ブチギレ動画集 教師編


 韓国は儒教文化に支配されているため、生徒は逃げることも反撃することもできない。


D

人生はロールプレイングゲームだ


 こうして見ると、パソコンのRPGは、研修のロールプレイング(「ロープレ」と言ったりする)とはまるで違うもののように見える。が、実際のところ、「疑似体験」という点で、両者は共通している。架空の企業の社長になって采配を振るうのであれ、勇者バルモアとなって地下帝国を探検するのであれ、「ふだんは経験できないことを疑似体験する」という意味では同じことなのだ。

 いや、むしろここはひとつ、

「人生は、ロールプレイングなのだ」

 と極論した方がいっそ正解かもしれない。

 なぜって、仮に、ある人間が誰かの息子であり、ある会社の営業係長であり、同時に、誰かの夫であり、なおかつある人間の父親であるのだとしても、それらの立場のひとつひとつは、結局のところ、役割に過ぎないからだ。

 そう。現実の世の中では、課長は、常に課長らしく振る舞わなければならない。同じように男は男らしく、女は女らしく、中学生は中学生らしく振る舞うことを常に強要される。しかも、それらの「らしさ」は、すべて不特定多数の他人が決めることになっていて、だれもそれらに逆らうことはできないのだ。

 きっと、そうだからこそ、我々はRPGに熱中するのだ。我々は、自分の現実の中で実行できないことを、もっぱら想像の世界や、ゲームのディスプレイの中で実現しようとしているわけなのだ。


【『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆朝日新聞社、1992年/朝日文庫、1995年)】

パソコンゲーマーは眠らない(単行本)


パソコンゲーマーは眠らない(文庫本)