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2010-04-09

アフガニスタンの砂漠を緑に変えた男/『医者、用水路を拓く アフガンの大地から世界の虚構に挑む』中村哲

 アフガニスタンの歴史は文字通り戦乱の歴史である。紀元前6世紀にはペルシャ帝国に組み込まれ、紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王に支配された。19世紀には「グレートゲームの舞台」と称されていた。それは血塗られた抵抗の歴史といってもいいだろう。今も尚アフガニスタンの農民は銃を扱っている。


 2001年、アメリカ同時多発テロ事件の首謀者と目されたアル・カイダの引き渡しを拒んだタリバン政権に対し、アメリカの主導で武力を行使した。これがアフガニスタン紛争である。


 中村は医師として1984年からアフガニスタンで働いていた。元々はハンセン病の治療に当たっていた。それが、どうして用水路をつくることになったのか? 戦争の爆撃によってアフガニスタンの大地は砂漠化が進んでいた。当然のように水は乏しくなる。しかもこの国の大半は山岳地帯である。飢えた子供達は、汚水を飲んで赤痢にかかり、脱水症状を起こして次々と死んでいった。十分な食糧と清潔な飲料水さえあれば、多くの病気は防ぐことのできるものであった。


 これは他の国にしても同様で、平均寿命が延びているのは医学の進歩によるものと思い込んでいる人が多いが、実際は衛生面の向上が最大の要因となっている。


 中村は現地の動向を知る人物として国会にも招かれた。この発言から中村の気概が十分伝わってくる──


 私は証人として述べた。

「こうして、不確かな情報に基づいて、軍隊が日本から送られるとなれば、住民は軍服を着た集団を見て異様に感ずるでありましょう」

「よって自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそが最大の問題であります」

 この発言で議場騒然となった。私の真向かいに座っていた鈴木宗男氏らの議員が、野次を飛ばし、嘲笑や罵声をあびせた。司会役をしていた自民党の亀井(善)代議士が、発言の取り消しを要求した。あたかも自衛隊派遣が自明の方針で、「証人喚問」はただの儀式であるかのようであった。(中略)

 つまらない論議だと思った。「デモクラシー」とはこの程度のもので、所詮、コップの中の嵐なのだ。しかし、コップの中の嵐といえども、それが一国民の命運を左右するのであるから、空恐ろしい話だとも思った。百年の大計などないのだ。実のある政治指導者なら、「有害無益」の理由をもっと尋ねるべきであった。

 それに、「証言取消し要求」など、偽証ならともかく、理屈の上でもあり得ないことである。悲憤を抑えて私は述べた。

「自衛隊は(『自衛』のための武装隊ではなく)侵略軍と取られるでしょう」(野次あり)「人の話を静かに聞いていただきたい。どんなに言い張っても、現地の英字紙にはジャパニーズ・アーミーだと書いてある。憲法の枠内だの何だのというのは内輪の論議であって、米国同盟軍としかとられない。罪のない者を巻き添えにして政治目的を達するのがテロリズムと言うならば、報復爆撃も同じレベルの蛮行である」(野次と罵声あり)


【『医者、用水路を拓く アフガンの大地から世界の虚構に挑む』中村哲〈なかむら・てつ〉(石風社、2007年)以下同】


 私が道産子ということもあって鈴木宗男には好意を抱いてきたのだが、大幅な減点をせざるを得ない。この部分だけ読んでも、国会の証人喚問や参考人招致にはさほど意味がないことが理解できよう。所詮、駆け引きの道具でしかないのだ。


 中村は実務家である。伊勢崎賢治と同じ匂いを放っている。自分達にできることとできないことを見極め、やると決めたらどこまでも進んでゆく実行力に満ちている。


 2000年の時点で飲料用井戸は既に1600本も掘っていた。だが今度の計画は上流の川から用水路を引き込み、大地を緑に変えるという壮大な計画であった。長さは何と13kmである。しかも戦乱が続く中でこれをやり遂げようというのだ。2002年1月までに、ペシャワール会の呼び掛けで6億円の寄付金が集まった。


 厚い岩盤が行く手を阻む。部族間の紛争も絶えなかった。罵声を浴び、石を投げられてもあきらめなかった。日本にいる我が子には死が迫っていたが、それでも尚一歩も退かなかった。


 現にアフガン戦争中、前線でわが身をさらして弾除けになり、私を守ろうとした部下たちを知っている。人は犠牲の意義を感ずると、自分の生命さえ捧げることもあるのだ。更に、私の10歳の次男が悪性の脳腫瘍にかかり、死期が近かった。2回の手術に耐え、「あと1年以内」と言われていたのである。左手の麻痺以外は精神的に正常で、少しでも遊びに連れて行き、楽しい思いをさせたかった。だが、この大混乱の中、どうしても時間を割いてやることができない。可愛い盛りである。親の情としては、「代りに命をくれてやっても──」とさえ思う。この思いはアフガニスタンでも米国でも同じはずだ。それは論理を超えた自然の衝動に近いものである。旱魃と空襲で命の危機にさらされる子供たちを思えば、他人事と感ぜられなかった。


 何という男だろう。国会で中村に野次を飛ばした政治家どもとは、明らかに人間としての格が違う。中村の子はその後亡くなる。犠牲にしたものが大きければ大きいほど、アフガニスタンの民に寄せる思いは強靭なものとなった。


 襲い掛かる万難を退けて、大いなる用水路が遂に完成する。それを伝え聞いた人々がこの地に次々と戻ってきた。乾ききった砂漠に緑が戻ってきた──


 これほどの大仕事は、やはり初めてであった。

 雲ひとつない天空から灼熱の太陽が容赦なく照りつけ、辺りは乾ききっていた。そこに激しいせせらぎの音がこだまして、勢いよく水が注ぎ込む。

 これが命の源だ。例によって早くも駆けつけるのは、トンボと子供たちである。水のにおいを本能的にかぎつけるのか、トンボの編隊が出現したかと思うと、子供たちが寄ってきて水溜りを泳ぎ始める。水がめを頭に載せた主婦が立ち止まり、岩陰にかがんで水を汲む。この2年間、水路の先端が延びる度に目にした光景だが、今回は事のほか、強烈な印象を以って胸に迫るものがあった。

 自分の人生が、すべてこのために準備されていたのだ。

 水遊びする群の中に、10歳前後、どこかで見た懐かしい背格好の子がいる。あり得ないとは知りつつも、4年前に夭逝した次男ではないかと、幾度も確かめた。


 夭逝(ようせい)した子供もきっと快哉(かいさい)を叫んだに違いない。偉大な事業というものは、必ず偉大な人物によって成されるのだ。


 本書は用水路が完成したところで終わっている。しかしその後、ペシャワール会伊藤和也が何者かの手によって殺害された。中村は自分以外の日本人スタッフを全員帰国させた。彼は今日も険しい道を一人歩んでいるに違いない。

医者、用水路を拓く―アフガンの大地から世界の虚構に挑む


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