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2010-04-14

言葉の重み/『小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争』小野田寛郎


 本書がルバング島から帰還して、最初に発表された手記である。簡潔にしてハードボイルドのような文体、的確な状況掌握、作戦を遂行するための強靭な意志──発見直後の写真と同じ小野田の鋭い視線が読者に注がれ、行間からは歯ぎしりする音が聞こえてくる。


 小野田は少年時代から負けん気が強かった。当然ではあるが、そんな性質も陸軍中野学校入りした要因であったのだろう。そうでありながらも彼は極めて理知的だった──


 5年生の冬──中学最後の寒稽古のとき、私は古梅(こばい)に言った。

「このまま、お前に負けっぱなしで卒業したんじゃ、俺の立つ瀬がない。すまんが、もう一度、立ち合ってくれ」

「よし、なんべんでも相手になってやるぞ」

 防具をしっかりつけ直して、二人は対峙(じ)した。剣道部の全員がかたずをのんで私たちの決戦を見守った。きょうばかりは断じて負けられなかった。古梅が面をとりにきた一瞬、私はななめ右前へ飛んだ。古梅の胴が鳴り、確かな手ごたえが竹刀の先から伝わった。

「小野田、すごい抜き胴だったぞ」

 あとで古梅が恬淡(てんたん)と言った。それを聞いたとたん、私は全身が赧(あか)くなった。技の優劣にこだわっていた自分が、たまらなくはずかしかった。


【『小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争』小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(講談社、1974年/日本図書センター、1999年)以下同】


 まるで山本周五郎の『一人ならじ』の世界そのままである。


 諜報戦に求められるのはスーパーマン的な能力ではなく、やはりバランス感覚であろう。小野田には少年時代からそのような性質が顕著であった。


 盟友の小塚とはルバング島で四半世紀以上も一緒に過ごした。男二人となれば、ぶつかり合わないわけがない。まして情況が過酷になればなるほど気も荒くなる。空腹や疲労は人をして畜生道に追い込む。


 ある日のこと、小塚がいきり立った──


「バカ野郎とは何だ、俺の言うことがきけない奴は、もはや味方じゃねえ、敵だ、日本人じゃねえ、殺してやるッ」

「殺す!? よし、殺したいなら殺してみろ。だが、その前にひとこと、言うことがある。それを聞いてから、それでも殺したかったら殺せ」

 私は再び荷物を置き、小塚の目をにらみながら言った。

「俺は命令とはいえ、きさまと長い年月、国のため、民族のために何とかお役に立ちたいと努力してきた。俺は同志であるきさまを、自分の感情だけで傷つけないよう、ずいぶん心をくだいてきたつもりだ。それなのにきさまは、俺の指導がよくないから、多数の投降者を出し、赤津を裏切らせ、島田を殺すはめになったと、これまでに何度も同じことを言った。

 だが、お前がそういうことを言いだすときはきまっている。敵の勢力が強いとき、天候が悪いとき、計画どおりにことが運ばず、心身ともに疲れているとき、食事の時間が遅れて空腹になったとき──きさまはこの四つのうち、何か一つにぶつかると必ず俺を批判し、怒りっぽくなる。きょうの場合は三番目だ。なぜ、もっと冷静になれないんだ。俺たちは二人だけなんだぞ」

「うるせえッ、いまさら、説教なんてたくさんだ」

「そうか、これだけ言ってもきさまは、同志の俺を殺さなければ気がすまないのか。よし、命をくれてやる。俺を殺して、あとはきさま一人で生きぬけ。そして、俺のぶんも戦え!!」

 すぐ眼下には荒波が打ち寄せていたが、私の耳には何も聞こえなかった。小塚も聞こえなかったろう。二人を包むいっさいの物音が絶え、静寂の中で私たちは対峙した。

 何十秒か過ぎた。

「隊長どの」

 目をそらした小塚が言った。

「先に歩いてくれ」

 そのひとことが、私たちを前よりも強い同志にした。

 私は黙ってうなずき、陽に灼(や)けた海岸の小石を踏んで歩きだした。


 小野田は何があろうとも残置諜者(ざんちちょうじゃ)の任務を優先した。祖国から見捨てられた30年もの間、小野田は日本を見捨てなかったのだ。彼は天皇のためではなく日本民族のために戦っていた。


 フィリピン軍は幾度となく討伐隊を派遣するが、ことごとく蹴散らされた。島民は二人を「山の王」「山の鬼」と呼んで恐れた。


 ここにも実は小野田の深慮遠謀があった。完全に隠れてしまっては、日本軍が再びやってきた時に自分達の存在を伝えられなくなってしまう。だから時々姿を現しては住民を威嚇(いかく)し、自分達のテリトリーを知らしめることを意図していたのだ。


 帰国後、マスコミは砂糖に群がる蟻のように小野田を追い回した。高度経済成長に酔い痴れた日本人は、勝手な憶測で面白おかしく小野田を論じた。戦争はルバング島で終わらなかった。


 まるで浦島太郎だった。日本民族のために必死の思いで生きてきたにもかかわらず、玉手箱を開けた途端、「軍人精神の権化」「軍国主義の亡霊」と罵られた。元将校という人物からは「自決すべし」という手紙が寄せられた。小野田は些細なことで父親とぶつかった時、その場で割腹(かっぷく)しようとしたこともあった。


 軍国主義に諸手(もろて)を上げて賛成した人々が、今度はその手で小野田を指差した。何という身勝手であろうか。自分自身の空虚さに耐えられない連中は、いつだって好き勝手な放言を吐くものだ。小野田にケチをつける輩(やから)はルバング島へ島流しにするべきだ。


 小野田はその後、折に触れて保守系論壇に利用されたこともあった。戦前の教育を一身に受け、戦後30年近くにわたって時計が止まっていたのだから致し方ない側面もある。それでも小野田の言葉は清らかで重い。

小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争 (人間の記録 (109))

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