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2010-06-15

菅原出


 1冊読了。


 88冊目『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか菅原出〈すがわら・いずる〉(草思社、2002年)/今月の課題図書。昨年読んだばかりだが、やはり面白い作品は何度読んでも面白いものだ。第二次世界大戦前後の米国裏面史。菅原は33歳という若さでこの本を著しているのだから凄い。気になったことはただ一つ。「あとがき」で触れている藤井厳喜や産経新聞社といった右寄りの人脈のみ。ナショナリズムというのは空疎な自我と国家を同一化させることで自分を大きく見せようとする思想で、必ず差別主義者になる。

イビチャ・オシム氏がカメルーン戦を回顧


 今日の試合に限って言えば、本田はデリケートな役割を見事にやったし、褒美としてゴールも決めた。しかし、これは彼のキャリアの始まりでしかない。メディアの皆さんも、今日のゴールだけで本田をヒーローだと持ち上げないでほしい。もし明日の一面がすべて本田ということになれば、日本の未来は危ない。ヒーローは1人ではなく全員だ。もし本田がゴールしたことでヒーローになったとするならば、トラップ技術が巧みでGKの上にボールを浮かすキックができればみんながヒーローになれるということだ。しかし、そうではない。ヒーローは自分の一生と自分の命を懸けて何かを守る存在のことだ。


スポーツナビ 2010-06-15

ドメスティックバイオレンスの本質はインサイドバイオレンス


ドメスティック」は「家庭の」という意味であるが、「国内の」という意味もある。ということは、検察の恣意的な捜査などはドメスティックバイオレンスと呼んでもいいことになる。生活保護の申請を拒否する地方自治体もまた同様だ。


 ドメスティックバイオレンスの本質はインサイドバイオレンス(内部暴力)にあると私は考える。「見えない暴力」「隠蔽(いんぺい)された暴力」と言ってもよい。


 戦争や格闘技は「開かれた暴力」である。暴力団や右翼は「公開された暴力」だ。暴力は示威的な意味合いを帯びる。


 これに対して一般的に言われるところのDVは、家庭内で主に男性が女性に振るう暴力を指す。「家庭内」で行われているため外からは見えない。幼児虐待も同じだ。


 1970年代後半に校内暴力が起こり、1980年代になってからいじめを苦にした自殺が現れ始めた。前者は「見える暴力」であるが、後者は「見えない暴力」であろう。ということは、いじめ問題こそインサイドバイオレンスの走りと考えられる。


 いじめはそれまでも存在したが、明らかに1980年代を経てバブル経済が弾けてから尖鋭化(せんえいか)している。もとより学校だけではなく、社会の至るところでいじめは繰り広げられた。


 EU(欧州連合)発足が1993年のことである。世界は緩やかな統合を目指しつつ、領土拡張路線は姿を消して、帝国主義は既に滅んだように見えた。


 ところがインサイドバイオレンスは激化した。イスラエル問題ルワンダ大虐殺がそれを象徴している。


 バブルが弾けた頃、「戦国時代」だとか「サバイバル」といった言葉がもてはやされた。その一方で若者は「息苦しさ」や「生きにくさ」を覚えていた。経済が不安定になると様々なプレッシャーにさらされる。同調圧力の高い日本社会においてプレッシャーは暴力と化す。その暴力性が連鎖となって弱い者へ向けられるのだ。


 暴力のベクトルは内側に向かう。共同体の枠組みは解体し、分断された個人が泡沫(うたかた)のようにウェブの海を漂っている。そこでは現実のつながりよりも、むしろ情報的なつながりが求められている。


 これを単純に「人間関係が稀薄になる問題」として捉えるのは浅はかだ。人々が求める人間関係の「新しい形」と受け止めるべきだろう。


 通信技術の発達は「いながらのコミュニケーション」を可能にした。人類は引きこもる。家族も崩壊して人々は自分だけのカプセルに安住する。暴力を避けるために。


【付記】英語の接頭辞「in」は反意語を表す場合がある。インフォーマルは非公式で、インモラル(英語表記は「im」)は不道徳になる。本来は「中へ」という意味にもかかわらず、頭につくことで反意語となるのが意味深長であると思う。

東浩紀「一般意志2.0」(民主主義2.0)を語る


グーグルとツイッターの出現によって初めて世界はルソー化した


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 以下、「実況ログ」より転載――


東「民主主義2.0ですが、ルソーが書いた社会契約論の中で、一般意思を元に政府を選ぶ。政府が一般意思を代表しているのか。一般意思とガバナンス、政府は違う。全体意志と一般意志は違う」


東「カントやヘーゲルでは、世論の努力目標として一般意思をとらえた。しかしルソーは違う。18世紀の真ん中は数学が発展していなかった時代。一般意思とは、特殊意志、個人の意志ですね、そこから過不足を取り除いた総和を集めたものである。これはすごく変なことを言っている」


東「ルソーの時代には数学が発展していなかった。そのため一般意思を努力目標として捉えていた。しかし今は違う。今我々の努力していることがルソーの一般意思につながる。一般意思があるから統治形態が選ばれる」


東「佐藤さんが言った討議的民主主義は、デリバレイトと訳される。意思決定にはinformation communication deliberate、3つが入ってくる。ルソーのテクストを現代的に読みかえることが重要」


東「ルソーの話。人民は個々に意志があるのだが、一般意思は生成しているように見えるというのがポイント。議論して意見をまとめていこうよというのは駄目。ニコ動やTwitterは議論していように感じられるというフィクション感がルソーの一般意思と近いと思う」


東「Twitterはフィクションとしての議論感が立ち上がってしまう。それが面白いところ。Twitterの何百万のつぶやいているデータベースがある。これが一般意思。各自のTimeLine、これが全体意思。みたいなことをルソーが考えていたんじゃないか」


東「GoogleとTwitterがでてきて、その二つでルソーが出てくる。Twitterが相互承認じゃないというのは大事と思う。コミュニケーションをとらないで、十分にインフォメーションを与えられている一般市民がデリバレイトすると、一般意思が生まれる」


東「140文字についてコメント。よくブログなどでも『文脈おさえろよ』と言われた。でも文脈をおさえると何も書けない。何も動けなくてマヒしていて、誰かが勝手に動かしてるのをじっとみてるしかなかった。それを解除したのがいいこと」


東「一般意思2.0は、ヨーロッパは精神的、哲学的に民主主義が機能しそうな感じがする。アメリカも同じく自己啓発の国だから、テンション高い。日本はテンション低いし、精神的な伝統もない。僕らが使える道具立ての中から原理を考えないといけない」


 http://www.ustream.tv/flash/video/2733140

【※ディスカッションは01:06:30から】


社会契約論 (岩波文庫)


 これはもっとも徹底的な人民主権論を説いた書物である。国家は個々人が互いに結合して、自由と平等を最大限に確保するために契約することによって成立する。ルソー(1712‐78)はこの立場から既成の国家観をくつがえし、革命的な民主主義の思想を提示した。フランス革命の導火線となった近代デモクラシーの先駆的宣言の書。

民主主義は過大評価されている


 一般の人々だけでなく、ほとんどの経済学者も、民主主義を過大評価している。一般の人々は市場がどれだけうまく機能するかを過小評価しているが、経済学者でさえ、民主主義とくらべれば、市場の長所を過小評価しているのである。


【『選挙の経済学』ブライアン・カプラン/長峯純一、奥井克美監訳(日経BP社、2009年)】

選挙の経済学 投票者はなぜ愚策を選ぶのか