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2010-07-31

「木馬」Viento


 これほど小さいオカリナは見たことがない。吉川万里はタンギングを入れたり抜いたりしながら自在な調べを奏でている。スタジオジブリはVientoを採用すべきだ。九州で活動するローカルユニット。CDの購入は公式サイトから。


古書玉椿


 北欧関連、国内外の絵本、趣味の洋書を取り扱う。8月下旬には多摩市に出店予定。応援してね。

性の情報化


 ヒトは前戯という性行動をする点で、事実上唯一の種である。

 人間にあって、性行為は自然に発生するのではなく、文化的に伝播されるものである。文化的に受容された人間の性の思想・神話・思考のすべてが集積されて性衝動(セクシャリティ)と呼ばれるものになる。そして、性という肉体的現実が、人間の性衝動と無縁に存在しているためしはない。人間の文化には、性的広告、叙情的な歌、小説、映画、果てもなく勢揃いした性の手引書が一杯つまってはいるが、性そのものはどこまでもとらえどころのないものであるかに見える。人が性衝動を生み出せば生み出すほど、つまり性について語り、書き、読み、考えることを重ねれば重ねるほど、かえって性はいまだあばかれていない秘密の部分をひそめている具合なのである。その秘密の最新の解明がどこかの研究所でなされ、性の手引書として刊行され、マスコミのワイドショウで紹介され、共通理解として認知されたときのみ、つまりその秘密が性衝動になるときのみ、その秘密は、人が寝室で行う性というものに翻案されることになる。


【『エロスと精気(エネルギー) 性愛術指南』ジェイムズ・M・パウエル/浅野敏夫訳(法政大学出版局、1994年)】

エロスと精気(エネルギー)―性愛術指南

ブッダは十二縁起を悟ったのではない


 しかも仮にこれに拠るとしても、釈尊は十二縁起を悟ったのではなく、覚ってから十二縁起を観察したのである。


【『仏教は本当に意味があるのか』竹村牧男(大東出版社、1997年)】

仏教は本当に意味があるのか

米ソ冷戦が終焉した日


 今日は米ソ冷戦が終焉した日。ブッシュ米大統領ゴルバチョフ・ソ連大統領第一次戦略兵器削減条約(START I)に調印(1991年)。核軍縮への大いなる一歩を踏み出した。この条約は後に失効するも、本年4月8日に第四次戦略兵器削減条約が結ばれた。

2010-07-30

大人数のケチャ


 計算された混沌が生み出す呪術の極みがケチャだ。聴いているだけでトランス状態になりそうだ。動画の詳細は不明。


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知覚の先入観


「人間はものごとを理解する際、実際以上に秩序や等質性があるように考えがちである。自然界の多くの事物は特殊で不規則であるにもかかわらず、人は何もないところに平行性や対称性や関係性を与えてしまうのである。」

 ――フランシス・ベーコン『ノブム=オルガヌム


【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ/守一雄、守秀子訳(新曜社、1993年)】

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

真理


 私が真理を発見したのではない。真理が長い間の隠蔽(いんぺい)に耐えかねて、私に語りかけてきたのである。


【『隠された十字架 法隆寺論』梅原猛(新潮社、1972年/新潮文庫、1981年)】

隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

人類が初めて月に立った日


 今日は人類が初めて月に立った日。1971年7月26日に地球を出発したアポロ15号が月面に着陸。3日間滞在。アポロ計画ジョン・F・ケネディの政治公約からスタート(1961年)。米ソの宇宙開発競争に拍車がかかった。残念ながら、餅をついているウサギとかぐや姫は確認されず。

2010-07-29

東浩紀「『レッテル張り』で政治を語るのは簡単ですけど、僕はやりません」


東●この人は保守だけど、この人は革新だ、なんていうレッテル貼りをすると、すごく論壇時評って書きやすいんですよ。


佐々木●なるほど。


東●その書きやすさは、結局、古いイデオロギー対立で作られていた文法に、新しい現実を強引に押し込めているんだと僕は思っている。


佐々木俊尚ブレイクスルーな人たち」以下同】


東●一般的にナマナマしいリアルの話だと思われているものの多くは、単純なレッテル貼りで作られている。政治について語っているって人は本当はレッテルについて語っているんですよね(笑)。


東●「政治的」ということを、具体的な現実とどう関係するかっていうことではなく、敵か味方か鮮明にすることだって思っている人は多いですよね。

ユダヤ人追放


 ユダヤ人は、1000年にわたって、ヨーロッパで生活し、ロシア、ポーランド、ギリシャ、イタリア、フランス、イギリスなどに分散していた。彼らが唯一保存していたのはその宗教であり、「選ばれた民」という考えだった。……(中略)

 特にローマ教会がキリストはユダヤ人に殺されたと宣言して以来……

 このために

 1290年にイギリスから、1306年にフランスから、1492年にスペインから、1550年にドイツから追放されることになった。


【『リウスのパレスチナ問題入門 さまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』エドワルド・デル・リウス/山崎カヲル訳(第三書館、2001年/旧版、1983年)】

新版 リウスのパレスチナ問題入門

介護職の低賃金構造


 介護の仕事は、社会的に価値がある「魂の労働」なので、低給与でも名誉が得られるというイメージを先行させて、低賃金労働を末端のヘルパーの人たちに押しつけているという構造的問題があります。この構造を個人の力で変えることはできません。


【『インテリジェンス人生相談 社会編』佐藤優〈さとう・まさる〉(扶桑社、2009年)】

インテリジェンス人生相談 [個人編] インテリジェンス人生相談 [社会編]

ジャン・ボードリヤールが生まれた日


 今日はジャン・ボードリヤールが生まれた日(1929年)。ポストモダンを牽引したフランスの思想家。大量消費時代は「モノの価値」が労働価値・使用価値を失い、記号として立ち現れることを説いた。記号の差異を消費することで人間もまた記号化してゆく。消費マンダラ。映画『マトリックス』に影響を与えた。

消費社会の神話と構造 普及版

2010-07-28

カール・ポパーが生まれた日


 今日はカール・ポパーが生まれた日(1902年)。論理実証主義を批判し、反証可能性を基軸とする科学的方法を提唱した。真理は反証できない。それゆえポパーは「真理発見者」を激しく批判した。方法における科学と非科学の間に太い線を引き、マルクスフロイトを「知的信仰である」と斥けた。


よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

森島恒雄


 1冊読了。


 99冊目『魔女狩り森島恒雄岩波新書、1970年)/8月前半の課題図書。これぞ「ザ・新書」。20年ぶりに読んだが、興奮のあまり「ツイッターで全部つぶやいてやろうかな」と思ったほどだ。抑圧されたものは決して消滅しないとフロイトは説いた。魔女狩りはキリスト教1000年の抑圧がもたらしたものであろう。思うこと多し。魔女狩りの熱狂が起こった13世紀、インドでは仏教が滅び、日本では日蓮が生まれた。魔女狩りは15世紀以降にピークを迎えるが、ルネサンスと軌を一にしていた。日本は戦国時代へ突入。中世暗黒時代は実に18世紀まで続いた。

児童虐待死 6人増え67人に


 児童虐待の増加に伴って、昨年度、虐待を受けて死亡した子どもは64件で67人に上り、前の年度より6人多くなりました。

 厚生労働省の専門委員会が詳しく調べたところ、このうち、0歳の子どもは39人で、全体のおよそ58%を占めています。中でも、生まれたその日に死亡した子どもは16人に上っていました。1歳から6歳までは33%に当たる22人、7歳から12歳までが6%に当たる4人、13歳以上が1人などとなっています。また、母親から虐待を受けた子どもが全体の半数以上の36人と最も多く、次いで父親からの虐待が10人などとなっています。虐待の形態では、暴力を振るわれるなど身体的虐待を受けていた子どもが最も多い44人で、親が育児を放棄するネグレクトだったのが12人でした。子どもが死亡する前に児童相談所や自治体などとまったく接点がなかったケースは、64件のうち14件でした。一方、児童相談所との接点はなかったものの、事前に自治体や医療機関などと接点があったケースは、全体のおよそ44%に当たる28件に上りました。これについて、厚生労働省は「接点があっても虐待を認識できなかったケースが多いので、虐待の兆候をいち早く把握できるよう指導するとともに、児童相談所との連携を強化するよう求めていきたい」と話しています。


NHKニュース 2010-07-28

運とは「間に合う」こと


「間に合う」から外れると、間が抜けて、「間抜け」になります。「間抜け」な状態は運を落とします。間に合っていれば運がいいのです。間に合うには、いつも我が身を「間の中」に入れておくようにすることです。

 勝負事で言うと、「間に合う」とはいわゆる間合いのことになります。間合いとはバランスであり、的を射んとする瞬間のことです。


【『運に選ばれる人 選ばれない人』桜井章一(東洋経済新報社、2004年/講談社+α文庫、2007年)】

運に選ばれる人 選ばれない人 運に選ばれる人  選ばれない人 (講談社+α文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

日蓮宗不受不施派と日奥


日蓮不受不施派」とは、京都の日蓮宗寺院である妙覚寺の19世仏性院日奥(1565-1630)を派祖とする日蓮系の一派をいう。もともとは、不受不施の教えを主張する日奥に共鳴した僧俗のグループで、不受不施派という日蓮宗のなかの一つの派であった。

 しかし江戸時代になると、幕府はこの不受不施派の活動を警戒し、その布教活動を禁止するようになる。そのため、「かくれキリシタン」と同じように地下に潜って秘密教団を形成するようになっていった。ふたたび地上に姿を現して公(おおやけ)に布教活動を行うようになるのは、明治になってからのことである。

 明治9年(1876)、明治政府によって宗名の公称を許されると、岡山県御津(みつ)町の金川(かながわ)に祖山妙覚寺を創立して、「日蓮不受不施派」を公称するとともに、独立した宗派として教団の再興をはかった。これが、今日の日蓮不受不施派である。


【『反骨の導師 日親・日奥』寺尾英智〈てらお・えいち〉、北村行遠〈きたむら・ぎょうえん〉(吉川弘文館、2004年)】

反骨の導師 日親・日奥 (日本の名僧)

2010-07-27

ヴェーバーが読み解くトルストイ思想/『職業としての学問』マックス・ウェーバー


 あまり面白くなかった。多分、ゆっくりと時間が流れる時代だったのだろう。薄っぺらいから読めたようなものだ。


 一番興味深かったのは、トルストイに触れた部分である――


 トルストイは、かれ独特のやり方でこの問題に到達している。かれの頭を悩ました全問題は、結局、死とは意味ある現象であるかないかという問いに帰着する。かれはこれに答えて、文明人にとっては――いなである、という。なぜかといえば、無限の「進歩」の一段階をかたちづくるにすぎない文明人の生活は、その本質上、終りというものをもちえないからである。つまり、文明人のばあいには、なんぴとの前途にもつねにさらなる進歩への段階が横たわっているからである。


【『職業としての学問』マックス・ウェーバー/尾高邦雄訳(岩波書店、1936年/岩波文庫、1980年)】


 フム、するってえとトルストイ(1828-1910年)の旦那は進歩主義に頭を痛めていたってわけだな。凄いもんだね。トルストイが亡くなったのは明治43年だよ。日本人はといえば、ちょんまげを切って、どっぷりと進歩の湯船に浸(つ)かっていた頃だ。


 ちなみにマックス・ヴェーバー(1864-1920年)はトルストイより36歳若い。


 私の勝手な思いつきだが、中世に止(とど)めを刺したのは、やはり産業革命であったと思う。ヨーロッパを席巻した魔女狩りの終焉と産業革命の始まりが共に18世紀である、というのが最大の理由だ。


 文明の進歩は技術の発達となって大衆消費社会に向かって歩(ほ)を進めた。多分、魔女狩りという血のカーニバルから目を覚ましたことで、教会と科学の距離を保つことができるようになったことだろう。中世の科学者は一様に魔女の存在を信じていた。そして、いかなる科学的事実の発見も魔女狩りの熱狂を冷ますことはできなかった。


 トルストイは明らかに人類の未来を見据えていた。進歩の行き着く先を見極めようとしていた。進歩がはらんでいる無限性は、実は六道輪廻を意味しているのだ。大衆消費社会の到来は人々の欲望を解放したが、物が豊かになればなるほど我々の幸福は貧しくなってゆく。


 進歩は欲望とセットになっている。人生は有限だが、進歩と欲望は無限だ。つまり、満たすことのできない欲望を抱えてしまったがために、我々は幸福になれなくなったのだ。人生の意味は進歩と相対化して卑小な部分とならざるを得ない。


 しかるに、文明の絶えまない進歩のうちにある文明人は、その思想において、その知識において、またその問題において複雑かつ豊富となればなるほど、「生きるを厭(いと)う」ことはできても「生きるに飽く」ことはできなくなるのである。なぜなら、かれらは文明の生活がつぎつぎに生みだすもののごく小部分をのみ――しかもそれも根本的なものではなく、たんに一時的なものをのみ――そのつど素早くとらえているにすぎず、したがってかれらにとっては、死はまったく無意味な出来事でしかないからである。そして、それが無意味な出来事でしかないからして、その無意味な「進歩性」のゆえに死をも無意味ならしめている文明の生活そのものも、無意味とならざるをえないのである。――こうした思想は、トルストイの作品の基調をなすものとしてかれの後期の小説にはいたるところにみいだされる。


「生きるに飽く」とは、生の泉を飲み干すことである。「厭うことはできても、飽くことはできない」という指摘は重要だ。つまり、部分化された生はその内部においても相対化されるという二重の相対性を示している。


 生は流動化し気化する。生は溶解し無化する。当然のように死も軽くなる。生と死は消費の海に埋没する。これは何も大袈裟なことを言っているわけではない。例えば小泉改革のもとでオリックスの宮内義彦が労働者派遣法改正(2004年)を推進したが、これは労働力を市場原理に委(ゆだ)ねたも同然で、労働者の奴隷化といっても過言ではない。ま、元々労働というのは人類に与えられた神の罰なのだよ。


 有意味と無意味の間で生と死が揺れている。トルストイは作家であったから、やはり物語性の呪縛から自由になれなかったのかもしれない。意味という言葉は大体において「社会に対して有用」と使われる。これ自体が産業構造を利する考え方だ。


 我々現代人は、南の島で裸で過ごしている人々や、アメリカ先住民の智慧などから学ぶ必要があると思えてならない。生というのは本来、もっと単純なものだろう。進歩に毒されていない彼等は笑みを湛(えみ)えつつも、ニヒリズムの匂いを放っている。彼等は生きる意味を問わない。なぜなら彼等は現実に生きているからだ。生の泉を飲み干した彼等は、大自然の生と完全に連なっている。

職業としての学問 (岩波文庫) [現代訳]職業としての学問

(※左が尾高邦雄訳、右が三浦展訳)

アフガン軍事作戦 公表以上の苦境が浮き彫り 米機密文書9万点ネット流出


 一連の経緯については、gloomynews氏がツイッターで情報発信している。


 アフガニスタン駐留米軍や米国の諜報(ちょうほう)機関の活動内容が示された9万点以上の機密文書が25日、民間の内部告発サイト「ウィキリークス」に公表された。イスラム原理主義勢力、タリバンをパキスタン情報当局が水面下で支援していることや、米軍などの攻撃による住民の犠牲が過小報告されていたことをうかがわせる内容で、アフガン軍事作戦が政権側の公表以上に、厳しい状況に直面していることが浮き彫りになった。

 ウィキリークスは、政府や企業関係者から内部告発された情報などを公開するサイト。流出した文書は、2004年1月〜09年12月までに米軍や米中央情報局(CIA)などが現地で得た情報を報告書にまとめたもので、流出源は明らかではない。伝聞情報も少なくなく情報の精度は不明。

 米紙ニューヨーク・タイムズや英紙ガーディアン、独誌シュピーゲルがウィキリークスから機密文書の事前提供を受け、文書の信憑(しんぴょう)性に関する検証などを行い、同時に報道した。

 ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)などが機密文書の内容として報じたところによると、パキスタンの三軍統合情報部(ISI)がタリバンと接触し、アフガンのカルザイ大統領の暗殺を計画したり、テロ行為をアフガン国内に限定するよう求めたりしたという。

 また、米軍主導の北大西洋条約機構NATO)加盟国軍の攻撃で、数百人の民間人が犠牲になり、これまでに公表されていない事例も含まれているという。


米「安保への脅威」

 ジョーンズ米大統領補佐官(国家安全保障担当)は25日、「米国や同盟国を危険にさらし、国家の安全保障を脅かす機密文書の公表を強く非難する」との声明を発表し、アフガンやパキスタンとの関係に「影響はない」と強調した。

 一方、ウィキリークスの創設者、ジュリアン・アサーンジ氏は26日、ロンドン市内で記者会見し、「9万点の機密文書に記された一つ一つの死がアフガンで進行する戦争の真実を物語っている」「オバマ政権は民間人の犠牲を回避する戦略に切り替えたが、何も変わっていない」などと語った。

 オーストラリア出身の同氏は元ハッカーとしても知られ、4年前にウィキリークスを創設。米国防総省は今年に入り漏出した機密文書の公表を阻止するため、行方を追っていた。

 同氏は、機密文書を公表した経緯について「ガーディアン紙の記者を通じてニューヨーク・タイムズ紙、シュピーゲル誌と協力して文書を分析し解禁日を決めて報道した」と説明した。


新たな火種の危険性

 機密文書公開の反響は米国内で広がっている。米上院外交委員会のケリー委員長(民主)は25日、機密文書の内容について「不法な手段で明らかになったとしても、米国の政策の真実性に重大な懸念を抱かせる」との声明を発表し、政策の修正が必要な可能性もあるとの見解を示した。

 膨大な文書の分析次第では今後、アフガン軍事作戦をめぐり新たな火種になる危険性もはらんでいる。


機密文書の骨子/「パキスタンがタリバン支援」

一、パキスタンの三軍統合情報部(ISI)がイスラム原理主義勢力タリバンを水面下で支援している

一、タリバンが航空機の撃墜に携帯用の熱線追尾ミサイルを使用している

一、オバマ政権下で米軍の秘密部隊が、テロ組織上層部の拘束、殺害を目的にした作戦を強化しており、一部の作戦では民間人の犠牲が出ている

一、米軍が使用する無人偵察・攻撃機の効果は公表されているほどではなく、墜落・衝突した同機体の回収で米兵は危険な任務を余儀なくされている(ニューヨーク・タイムズ紙の報道から)


産経ニュース 2010-07-27

テロリスト志望者へのアドバイス


 社会がどうなるかなどと考えるのは本物のテロリストではありません。ただ破壊だけに専心し、後のことは考えないというのが真正テロリストです。本格的なテロ組織者は、特殊な能力(カリスマ)を身につけなければなりません。


【『インテリジェンス人生相談 個人編』佐藤優〈さとう・まさる〉(扶桑社、2009年)以下同】


 ちなみに、私はテロには反対です。なぜなら、テロ行為によってその対象になる悪党に不必要な同情が集まるからです。だから腐敗外務官僚に対して、テロではなく言論戦で闘っているのです。

インテリジェンス人生相談 [個人編] インテリジェンス人生相談 [社会編]

テレビにおける沈黙


 ということは、番組は、コメントを逃げたのだろうか? そうとも言える。が、むしろ彼らは、「沈黙」という最も重いコメントを残したのだ。テレビの偉大さは、実に、ここにある。つまり、テレビの画面の中では、放置こそが、最も苛烈な批判になるのである。活字では、こうはいかない。活字の沈黙は、行間に過ぎない。行間で語るのが一流の文章ということになってはいるが、その実、行間が語るのは余韻とか余情といった程度の、シケたノイズに過ぎない。いずれにしても、たいした情報は発信できない。ラジオの沈黙も、無音以上のものではない。サウンドオブサイレンス。蛙飛び込む水の音。


【『テレビ標本箱』小田嶋隆中公新書ラクレ、2006年)】

テレビ標本箱 (中公新書ラクレ (231))

フランス7月革命の日


 今日はフランス7月革命の日(1830年)。ナポレオンワーテルローの戦い(1815年)で敗れ、フランスは王政復古へ。ルイ18世は貴族や聖職者を優遇。後を継いだシャルル10世言論弾圧。民衆は三色旗を翻してパリ街頭に躍り出た。ブルボン朝は7月革命によって消滅した。『赤と黒』の時代。


赤と黒 (上) (新潮文庫) 赤と黒 (下巻) (新潮文庫)

2010-07-26

ライオンvsハイエナ、ライオンvsシマウマ、ライオンvsバッファロー


 一番下の動画が強烈。残酷さに目をつぶることなく、最後までご覧いただきたい。


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 ライオンは百獣の王ではない。それは水流の動きの内で、比較的弱小な他の波たちを打ち倒すより高い波にしか過ぎない。


【『宗教の理論』ジョルジュ・バタイユ湯浅博雄訳(人文書院、1985年/ちくま学芸文庫、2002年)】

宗教の理論 (ちくま学芸文庫)

南米は左派政権だらけ


 15年くらい前まで、南米は「IMFを通してアメリカ合衆国に併合されるかも」と冗談で言われていた。だが、ここ数年の流れであっという間に南米中で左派政権(IMF・世界銀行に反対=反市場原理主義を掲げる立場)が登場するに至り、(中道左派も含めると)コロンビアとパラグアイを除く全ての国で左派政党が与党になっている。(電波受信記録)


 南米に左翼政権が登場した理由は、1982年の債務危機に根源がある。当時南米諸国は政治的には、それまでの長い軍事政権の抑圧から解放されつつあったが、債務危機からの“救済”をテコにして国際通貨基金(IMF)や世界銀行の構造調整プログラムという経済的桎梏のもとに置かれたのであった。(世界の底流)


 ラテンアメリカで左傾化現象が止まらない。背景にあるのは絶望的な貧富の格差だ。人々は右派勢力の口先だけの公約にそっぽを向き、貧困脱出の希望を左派勢力に託し始めた。そのため、左派政権にとって貧困解決が政治的地歩を固める試金石であるとともに、追いつめられた右派勢力にとっても貧困対策への取り組みが早急の課題となっている。(酔っ払いのうわごと)

石原吉郎


 1冊読了。


 98冊目『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)/今月の課題図書。やはりこれは、V・E・フランクルとセットで読むべきだろう。ナチス・ドイツの強制収容所とシベリア抑留の類似と相違。石原は凡人であった。だが彼は鹿野武一〈かの・ぶいち〉の行為を見つめる眼をもっていた。鹿野への共感と憧れによって、石原は精確で透明な言葉を手に入れた。それでも石原は鹿野になれなかった。40代で記したノートは煩悶と懊悩で埋められている。短篇小説「棒をのんだ話」の何と味わい深いことよ。

視覚全体は閉回路


 言い換えればこうなる。私たちに物が見えるのは、そもそも網膜からのメッセージ(これからしてすでに、たんに網膜が感知した光以上のもの)を受け取ったからではない。外界からのデータを内的活動と内部モデルに結びつけるための、広範囲にわたる内的処理の結果だ。しかし、こう要約すると、二人の主張が正しく伝わらない。実際には、マトゥラーナヴァレーラは、外界から何かが入ってくることをいっさい認めていない。全体が閉回路だと二人は言う。神経系は環境から情報を収集しない。神経系は自己調節機能の持つ一つの完結したまとまりであって、そこには内側も外側もなく、ただ生存を確実にするために、印象と表出――つまり感覚と行動――との間の整合性の保持が図られているだけ、というわけだ。これはかなり過激な認識論だ。おまけに二人は、この見解自体を閉鎖系と位置づけている。とくにマトゥラーナは、認識論に見られる数千年の思想の系譜と自説の関連について議論するのを、断固拒絶することでよく知られている。完璧な理論に行き着いたのだがから、問答は無用という理屈だ。


【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ/柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2002年)】

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

最も多い自殺原因は「経済生活問題」

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 また、原因別に見てみると、病苦等11499人、経済生活問題6058人と続く。実は、この数字にはトリックがあり、自殺そのものには犯罪性がないために警察の念入りな捜査による真相究明ができず、家族などの「そういえば病気を苦にしていた」といった曖昧証言がそのまま自殺原因とされるケースがほとんどだ。この問題については、後ほどあらためて詳しく取り上げたいが、そんなことを割り引いて考えれば、実質的には、経済生活問題が一番の原因となる。

 昔から、自殺者数の推移は、世の中の状況と密接にかかわってきた。不景気になると自殺者が増え、景気がよくなると自殺者が減るという繰り返しで、まれに見る激増を示した平成10年のデータも、なかなか出口が見えない。長引く平成不況の影響なしには語ることはできまい。


【『自殺死体の叫び』上野正彦(ぶんか社、1999年/角川文庫、2003年)】

自殺死体の叫び (角川文庫)

ジョージ・バーナード・ショーが生まれた日


 今日はジョージ・バーナード・ショー(劇作家)が生まれた日(1856年)。「われわれの人類に対する最大の罪は、彼らを憎むことではなく、無関心であることだ。それは非人間性の精髄だ」「嘘つきの受ける罰は、人が信じてくれないというだけのことではなく、ほかの誰をも信じられなくなる、ということである」(バーナード・ショー名言集)。

2010-07-25

リュトリ演説の日


 今日はリュトリ演説の日(1940年)。スイス軍最高司令官のアンリ・ギザンが建国の地リュトリの丘に全将校を集め、先人が守り抜いた独立と中立を維持することを演説し、全軍の結束を呼びかけた。違反者には死刑を含む厳罰をもって臨み、中立を堅持した。

吉本隆明と柄谷行人


 日本の思想界ってえのあ、所詮こんなレベルなのかね? 批判に耳を傾ける度量はこれっぽっちも持ち合わせていないようだ。神経症的とも思える対応が、人間としての本性を浮かび上がらせている。狭い世界でおだてられているから、こんなことになるのだろう。幸か不幸か私は吉本も柄谷も読んだことがない。ま、今後もないだろう。しっかし、ケツの穴の小せえ野郎だね。


 吉本隆明は、1980年代〜90年代、自分を批判した浅田彰柄谷行人蓮實重彦に対して、他者や外部としての「大衆」をもたず、知の頂を登りっぱなしで降りてこられない(親鸞でいうところの「還相」の過程がない)「知の密教主義者」として、「知的スノッブの三バカ」「知的スターリニスト」と激烈に応答した(『「情況への発言」全集成 3(洋泉社、2008年)』p200p278p338)柄谷行人に関しては、1989年時点で、「せっかくブント体験をもってるのに」「最低のブント崩れ」とも評している(『「情況への発言」全集成 3(洋泉社、2008年)』p226参照)。


Wikipedia


 東浩紀鎌田哲哉大杉重男千葉一幹らが私を批判しているから、それに対して応答したらどうかといわれた。しかし、こんな連中の低レベルな批判にまともに応答する理由はない。

 この連中は、批評空間や群像新人賞から出てきた。世の中では、私が評価したと思っているかもしれない。もちろん、相対的に評価したのは事実である。しかし、その後の仕事については、また別である。私の評価はそのつど変わる。ただし、それをいちいち言うべきではないと思い、長い目で見ようとしてきた。しかし、彼らが錯覚し思い上がって騒々しく噛みついてくるとなったら、一言いっておかねばならない。

 こういう連中は、全面的に私の言説の中で育ってきて、一人前になるために、そこから出ようとして、まず私にからみ攻撃する。しかし、それでは私に対する従属をますます認めることにしかならない。(何にしろ私はこんなストーカーどもにつきまとわれたくない。)そもそも、このような心理はあまりに単純であって、それを自覚できないということだけからみても、この連中には見込みがない。彼らには『トランスクリティーク』を論評することなどできない。端的にいって、理論的能力が欠けている。それでも、勉強しようとする知的な関心や倫理的な衝迫があればいいが、それもない。たんに、何か派手に有名になりたいという根性があるだけだ。


【「子犬たちへの応答」柄谷行人】

「死んじゃう」空腹耐えかね男児万引き 父らに傷害容疑


 小学5年生の男児(11)に殴るけるの暴行を加えたとして、神奈川県警戸塚署は23日夜、横浜市戸塚区原宿1丁目の佐々木加奈江(36)と、男児の父親の大塚明(34)の両容疑者を傷害の疑いで逮捕し、発表した。2人は「しつけのつもり。警察が騒ぐことじゃない」と容疑を否認しているという。

 発表によると、2人は2年前から同居しており、男児は大塚容疑者の長男。

 両容疑者は、22日午後9時ごろから23日午前6時ごろにかけ、自宅で男児を台所に正座させ、全身を木刀で殴ったり、首を絞めたりした疑いが持たれている。

 同署は主に佐々木容疑者が暴力を振るっていたとみている。

 男児は「このままでは死んでしまう」と23日朝に家を抜け出し、コンビニエンスストアでおにぎり2個とパンを万引き。通報で駆けつけた警察官が男児の体のあざを見て不審に思い、事情を聴いたところ暴行が明らかになった。男児は18日から何も食べ物を与えられていなかったと話しているという。

 両容疑者はそれぞれに子どもがおり、子ども5人と計7人で生活していた。


asahi.com 2010-07-24


 同署によると、男児は冷蔵庫内の空揚げを勝手に食べたという理由で、罰として5日前から食事を与えられていなかった。23日朝、自宅から逃げ出し、近くのコンビニでおにぎりとパンを万引き。同店トイレで男児が食べているのを発見した店長が不審に思い警察に通報した。


時事ドットコム 2010-07-24

ビールに適量はない


 ビールの問題は、「きりがない」ことだ。ビールは確かにウイスキーや日本酒に比べればアルコール度数の低い酒だが、逆にいえば、この酒は浴びるほど飲むことによってはじめて酒たり得る酒だ。頭が痛くならないと飲んだような気がしないのだ。ビールに適量はない。飲み足りないか、飲み過ぎるかのどちらかなのだ。


【『安全太郎の夜』小田嶋隆河出書房新社、1991年)】

安全太郎の夜

マンダラとは


 マンダラは、インド大乗仏教の最終ランナーだった密教が、絶対の真理と信じるところを、言葉ではなく、視覚をとおして、象徴的に表現しようと開発した図像である。心身の相関や極微と極大の相関を説く密教の立場からすれば、心の構造図とも、宇宙の構造図ともいえる。


【『マンダラとは何か』正木晃(NHKブックス、2007年)】

マンダラとは何か (NHKブックス 1090)

2010-07-24

シモン・ボリバルが生まれた日


 今日は南米5ヶ国を独立に導いた英雄シモン・ボリバルが生まれた日(1783-1830)。位と志が一致したノブレス・オブリージュの人だった。「歴史上最大の馬鹿者三人は、イエス・キリストドン・キホーテと私だ」。

モノとサービスの違い


 ところでモノとサービスと言いますが、モノとサービスの違いはなにか? 税関を通るか、通らないかだけの差なんですよね。モノは税関を通るがサービスというのは税関を通らない。サービスの典型なのは旅行とか、貨物、輸送とか、そういうものです。日本人の悪いところは昔からサービスを蔑視しちゃうのですよね(ママ)。さんまの値段と床屋の値段というのはまったく違わないはずなのに、日本人ってモノの動きばかり気にする。貿易黒字ってこれはモノだけなのです。さんまの収支ばかり気にしていて床屋などのサービスはタダかタダに近いと思ってしまう。日本人の悪いところです。


【『藤巻健史の実践・金融マーケット集中講義』藤巻健史〈ふじまき・たけし〉(光文社新書、2003年)】

藤巻健史の実践・金融マーケット集中講義 (光文社新書)

駐独アメリカ大使「アメリカ企業が戦争の危険を増大させている」と第二次大戦直前に指摘


 アドルフ・ヒトラーが政権の座に就いてからすでに3年半という歳月が過ぎた1936年10月19日、当時中独アメリカ大使を務めていたウィリアム・ドットからルーズベルト大統領に宛てて、一通の書簡が送られている。

「現在100社を超えるアメリカ企業がここに子会社を構え、ドイツと友好的な関係を築いています。デュポン社はドイツに3社の提携企業がありますが、この3社はいずれもドイツの兵器ビジネスに携わっています。その筆頭はIG(イーゲー)ファルベン社で、このドイツ政府の一端を担う企業は、年間20万マルクもの資金を、アメリカの世論を操作するためのプロパガンダ会社に注ぎ込んでいます……。スタンダード石油(ニューヨーク)は1933年12月に200万ドルをドイツに送金し、ドイツが戦争のために必要とするガス生産のために年間50万ドルの支援をしています……。インターナショナル・ハーベスター社の社長は私に彼らの売上が年間に33パーセントも上昇している、と、語りましたが、私はそれが兵器生産によるものだと信じております……。ゼネラル・モーターズ社とフォード社はドイツ子会社を通じて莫大な事業を展開しています……。私がこれらの事実について触れているのは、これらのアメリカ企業が事を複雑にし、戦争の危険を増大させていると考えるからであります」

 実際ドット対しのこの懸念は数年後に現実のものとなり、世界は大戦争の波に飲み込まれた。この第二次世界大戦の関しては、これまで膨大な量の論文や本が出版され、ドキュメンタリーや映画が製作されてきた。が、ドット大使(※駐独アメリカ大使)がこの書簡で伝えたエッセンス、「アメリカ企業が戦争の危険を増大させている」という指摘は、十分に検証されることなく今日にいたっている。この戦争の責任はもっぱらヒトラーやナチス指導部にのみ帰せられ、「ドイツの兵器ビジネスに携わり」、「戦争の危険を増大」させたアメリカ企業の実態について、包括的な研究がなされることはなかった。


【『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』菅原出〈すがわら・いずる〉(草思社、2002年)】

アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか

「グアム移転先送り」は妙なニュースだ


沖縄海兵隊、2014年までのグアム移転断念


 沖縄に駐留する米海兵隊約8000人のグアム移転について、日米両政府が「2014年」で合意した移転完了期限について、米政府が達成を事実上断念したことが22日、明らかになった。

 米領グアム政府に22日(現地時間)に説明し、日本政府にもすでに伝達した。海兵隊のグアム移転は、沖縄の米軍普天間飛行場移設と並び、日米が06年5月に合意した「再編実施のための日米ロードマップ(行程表)」の柱の一つで、「普天間移設の実現とセット」(米国防総省)と位置づけられている。計画遅延により、普天間が現在の沖縄県宜野湾市に固定化する恐れが一段と強まりそうだ。


YOMIURI ONLINE 2010-07-23


米軍再編に「負の連鎖」危惧…グアム移転先送り


 米政府が沖縄に駐留する米海兵隊約8000人のグアム移転の2014年の達成を事実上断念したことは、グアムの軍事施設と民間インフラ整備の財政支出が事前の予想を上回るうえ、整備の長期化が避けられないとの見通しになったことが背景にある。

 米議会では、長引くアフガニスタン戦争と景気低迷で、国防予算の削減を求める声が強まっている。移転の遅延は沖縄の基地負担軽減にかかわる米政府の西太平洋地域の米軍再編全体にも影を落とすことが予想される。

 グアム移転先送りの発端は、グアム政府の強い反発だった。米国防総省は昨年11月、環境影響評価の素案を発表したが、これに対しグアム政府のカマチョ知事らが民間インフラ整備の計画を強く求めた。

 整備には一定期間が必要なうえ、予算がふくらむのは確実で、米政府や議会内では、現状ではグアム移転の見通しが立たないとの見方が強まったという。これにより、11会計年度の予算法案では、軍事施設建設に関するグアム移転費が大幅削減される結果となった。米議会では「議員たちが予算の削減対象を血眼で探している状態」で、グアム移転の予算にその矛先が向けられたともいえる。

 日米関係筋は、こうした動きを、「普天間移設とともに『負の連鎖』が続き、米軍再編全体が縮小均衡に陥る可能性がある」と強い危惧(きぐ)を示した。


YOMIURI ONLINE 2010-07-23


「グアムでの駐留がアジア太平洋における抑止力を強化すると両政府は認識」(2006年「在沖縄海兵隊に係る協定」)→4月30日に北マリアナ連邦議会は全会一致で普天間飛行場誘致を決議している。【幻のグアム案

 で、紛らわしいのはグアムは米国の自治領で、北マリアナ諸島は米国の保護領となっている。


海兵グアム移転、14年期限を延長=インフラ不足で「困難」−米国防総省


 米国防総省は22日、在沖縄海兵隊グアム移転に関する環境影響評価の最終報告書概要を地元グアム側に提示した。人口増に伴うインフラ不足が予想されるため、2014年の移転完了期限を守るのは困難として、延長する方針を示した。

 グアム移転の期限をめぐっては、インフラ整備の遅れや環境への影響を懸念し、地元知事や有力上院議員らが米政府に再考を促してきた経緯がある。06年の日米合意でセットとされた米軍普天間飛行場移設も14年の代替施設建設完了が困難視されており、両政府は今後、新たな対応を求められることになりそうだ。 

 報告書概要は、海兵隊員8000人以上とその家族、基地建設労働者ら大量の流入により、電力や水道、道路・港湾の容量が足りなくなるとの地元の懸念に言及。グアムの現状では「14年(の移転完了)という急速なペースで基地建設するのは難しい」との認識を示した。

 その上で、地元住民の生活に影響を及ぼさないよう軍、政府、グアム当局が建設のスピードと手順を調整する方針を表明。これにより「期限は延長され、より管理可能なものになる」と結論付けた。

 生活インフラの整備は日本が負担する7億4000万ドル(約645億円)を使うと説明した。


時事ドットコム 2010-07-23


 元々は鳩山前首相もグアム移転を望んでいた。


「ま、最終的に辺野古に戻ってしまったと。で、あのー、総理は、最後までですね、えー、直前まで私、話しておりましたけれども、やはり県外、国外を目指したいというお気持は強かった、ですね。1ヶ月前ぐらいにも、『総理は本当は、どこにしたいの、ホントーはどこにしたいの』って、お聞きすると、『グアム』とか、ちっちゃい声でおっしゃったりするわけですよ」(辻元清美


 野中広務の爆弾発言が真実味を帯びてきた。

2010-07-23

大暑


 今日は二十四節気の大暑(たいしょ)。快晴が続き、気温が上がり続ける頃。暦便覧には「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と。お年寄りは小まめに水分補給を。高齢になると喉の渇きを感じる機能が低下するので、水分補給が遅れがちになる。

「Boogie Woogie Dream」Albert Ammons & Pete Johnson


 アルバート・アモンズはブギウギ・ピアノの開祖。1949年、42歳の若さで死去。


D

Boogie Woogie Stomp

ジェノサイドによる死体は鳥たちへの贈り物だった


 マナセはルワンダで殺されたのが「わずか100万人」だと聞いて驚いたという。「ここだけで何人が殺されたか、何人が鳥に食われたか」実際、ジェノサイドによる死体は鳥たちへの贈り物だった。だが、鳥たちは生存者たちを助けてもくれた。山火事から逃げ出した動物たちをあさる猛禽類とハゲタカが火事の最前線を空に作るように、絶滅作戦のあいだのルワンダでは、虐殺現場の上空で沸騰するノスリ、トビ、カラスの群は空に描いた地図となって、森に逃げて生きのびたサミュエルやマナセらに「立入禁止」区域を告げてくれたのだ。


【『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ柳下毅一郎〈やなした・きいちろう〉訳(WAVE出版、2003年)】

ジェノサイドの丘〈新装版〉―ルワンダ虐殺の隠された真実

ストックばかりが増えてフローが増えない


 ストックばかりが増えてフローが増えない。

 金持ちなのに豊かでない。

 仮に1兆円の資産をもつような大金持ちでも、1日100円しか使えなければ、極貧生活を送る羽目になる。極端に言えば日本の現状はそのような状態なのである。


【『国債を刷れ! 「国の借金は税金で返せ」のウソ』廣宮孝信〈ひろみや・たかのぶ〉(彩図社、2009年)】

国債を刷れ!「国の借金は税金で返せ」のウソ

2010-07-22

斎藤美奈子


 1冊読了。


 97冊目『たまには、時事ネタ斎藤美奈子中央公論新社、2007年)/昨日読了。ツイッターで「ハサミの値札の法則」が紹介されていたのが、読むきっけかになった。これは「ハサミに付いている値札の糸を切るには別のハサミがいる」という矛盾を衝いたもの。報道機関は自社の報道はできない。相変わらず説明能力が高い。一読すると行間から斎藤の社会主義的体臭が漂ってくる。この人の短所は、軽やかさが卑近に傾くところだ。結果的に揶揄が軽薄な調子になっている。文章は巧みなんだが、どうしても好きになれない。

日蓮宗不受不施派


 寺請制度はキリスト教禁制を目的にしたものと一般的には理解されているが、日蓮不受不施派も対象であった。


身池〈しんち〉対論を経た後の)寛文9年(1669)には不受不施派の寺請が禁止された。こうして不受不施派は寺院から追い出され、地下に潜ることを余儀なくされることになった。


【『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』末木文美士〈すえき・ふみひこ〉(新潮文庫、1996年)以下同】


 ふたたび不受不施派が公認され、再興するのは明治9年(1876)のことであった。

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

創造主の出番のない宇宙


 これはまた、神についての書物でもある――ひょっとすると、神の不在についての本かもしれないが。いたるところに神ということばが現われる。宇宙を創造するとき、神にはどんな選択の幅があったのか、というアインシュタインの有名な問いに答えるべく、ホーキングは探究の旅に出た。彼自身、明確に述べているように、彼は神の心を理解しようとくわだてたのである。この努力から導かれた結論は少なくともこれまでのところ、まったく予想外のものだった――空間的に果てがなく、時間的にはじまりも終わりもなく、創造主の出番のない宇宙。(「序」カール・セーガン


【『ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで』スティーヴン・W・ホーキング/林一〈はやし・はじめ〉訳(早川書房、1989年/ハヤカワ文庫、1995年)】

ホーキング、宇宙を語る―ビッグバンからブラックホールまで ホーキング、宇宙を語る―ビッグバンからブラックホールまで (ハヤカワ文庫NF)

(※左が単行本、右が文庫本)

2010-07-21

「私たちは二人の友だちです」/『知恵のめざめ 悲しみが花開いて終わるとき』J・クリシュナムルティ


 クリシュナムルティの「言葉の揺れ」を正確に翻訳した労作で、原書のみならず録音テープの内容で補完している。つまり、声の響きを除けば我々は聴衆と全く同じ位置に置かれるというわけ。


 ただし既に書いた通り、小早川&藤仲コンビの姿勢は評価できるが、それをもって他人を批判するとなれば、翻訳と通訳を履き違えていると言わざるを得ない。言葉は「当のもの」ではない。自分達の「労」を「功」に結びつけようとする浅ましさが窺える。「訳者あとがき」は非常に見苦しいもので、「上品な中傷」といった具合だ。


 収められているのは1982年10月から1983年の1月にかけてインド各地で行われた講話である。ワンクールの講義と考えれば読む側の理解も深まりそうなものだが、そうは問屋が卸(おろ)さない。言葉の揺らぎに翻弄される。クリシュナムルティの言葉はまるで1/2スピンをもつ素粒子さながらだ。《※不思議なことに、完全に一回転させても同じに見えない粒子が存在するのである。なんと、二回転させないと同じには見えないのだ! このような粒子は、1/2のスピンをもつと言われている。『ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで』スティーヴン・W・ホーキング/林一〈はやし・はじめ〉訳(早川書房、1989年/ハヤカワ文庫、1995年)》


 クリシュナムルティの言葉がなぜわかりにくいのか? それは正真正銘の対話であるからだ。彼は聴衆に向かって語っているのであって、見えない読者に話しかけているわけではない。だから、聴衆の心の揺れに我々は寄り添う必要がある。


 クリシュナムルティは講話に先駆けて、必ず互いの位置や関係性を明確にする――


 指摘してもよければ、これは普通に理解されているような講義や、指導をともなった特定の主題についての講話ではありません。これは講義ではなく、むしろ二人──あなたと語り手の会話です。特定の主題について指導したり、案内したり、あなたの思考や見解を形づくるのではありません。私たちは公園のベンチに坐り、自分たちの問題をともに話し合っている二人の友だちです。それでどうか、話の間中、明日と次の週末、二人の友だち、ということを心得てください。あなたと語り手は世界で起こっていること、自分たちの混乱、混沌、世界中に存在するほとんど無政府状態に、深く関心をもっているのです。そして、私たちはともに、世界のこの地域に起こっているを話し合っています。(1982年10月30日 ニューデリー1日目)


【『知恵のめざめ 悲しみが花開いて終わるとき』J・クリシュナムルティ/小早川詔〈こばやかわ・あきら〉、藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(UNIO、2003年)以下同】


 功なり名を遂げた人物には必ず傲岸不遜(ごうがんふそん)な気配が漂っている。地位、名誉、財産という所有物によって自我が肥大しているためだ。「社会からの承認」は他人に対してプレッシャーとなって作用する。


 まして悟りを得たとか開いた人物ともなれば、「ひれ伏すのが当然だ」と言わんばかりの態度となる。彼等は「祝福を与える側」の人間なのだ。


「私たちは二人の友だちです」――これが話の結論であれば、偽善の匂いが漂うことだろう。クリシュナムルティは完全に平等な立場で、真の理解を求めているのだ。彼はこうも言っている――「理解というものは、私たち、つまり私とあなたが、同時に、同じレベルで出会うときに生まれてきます」(『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ)。


 あなたには、自分の感情や自分の概念に、観念と幻滅などをさらけだして話をする友だちがいるのかどうか、と私は思うのです。そういう友だちがいるなら──いてほしいと思います──議論し、ともに話し合っているそういう友だちがいるなら、どちらもが相手を説得し、案内しようとするのでも、特定の思考を形づくるのでもないのです。それで、あなたにその気があるのなら、私たちはともにそのように話し合おうとしているのです。けっして他の人が言うことを受け入れるのではなく、けっして自分の頑なな見解を表現するのではなく、むしろどんな偏見もなく、大いなる友情のなか探検し探究しようとしているのです。それ〔大いなる友情〕は、大いなる慈しみをもって、どんな遠慮もなく、すなわち、ある種の隠された思考や隠された動機をもつことなく、互いに尊重しあう、という意味です。


 おわかりになるだろうか? 尊重とは自由を意味しているのだ。それは、自分が思い込んでいる善悪や正義から離れる自由であり、「こうあるべきだ」「こうあらねばならない」という常識から離れる自由である。


 クリシュナムルティが言う「友だち」とは、決して心情的な次元に寄りかかったものではなく、完全に同じ高さのテーブルにつくよう促しているのだ。「私の話を聞くように」というスタンスは微塵もない。形式は講話であるが、彼はいつも聴衆に完全な対話を求めた。


 それで、今夕私たちはともに、主張するのではなく、探究しようとしているのです。なぜなら、この探究には権威はないからです。語り手は権威をもっていません。彼はあなたの導師ではありません──ありがたいことです! 彼は一定の観点を主張したり、または新しい種類の哲学や観念を紹介する講師ではありません。彼は権威ではないし、むしろ私たちはともにこの国に起こっていることを探究しようとしていることが、完全に明らかにされなければなりません。すなわち、外的に、政治や経済や事業や環境の世界で起こっていることだけではなく、私たちはともに、二人の友だちとして自分たちの内的な生──混乱や悲惨や苦しみなども──話し合おうとしているのです。それでどうか、私たち──あなたと語り手はどちらも、対応能力があるのです。語り手はあなたに講義したり、何をすべきか、何を考えるべきかを話したり、または新しい体系やイデオロギーの一式などを提案しているのではないのです。二人の友だちとして私たちのどちらもが平等ですし、どちらもが自分たちの生と他の人たちの生に関心をもっているのです。


 権威の放棄――ここにクリシュナムルティの磁力がある。彼は称賛を欲しなかった。それほどまでに彼は自由であったのだ。平和や福祉を公言しながらも腹黒い人は数多(あまた)存在する。平和を食い物にしている連中だ。


 クリシュナムルティはここで自分のことを指して「彼は」と称している。何と、自分からも離れているのだ。つまり、彼の講話において意図や誘導、人材育成、智慧を授けるといった思惑などが完全にないことを意味する。


 偉大な人物は、その謙虚さでもって更に偉大となる。それにしても何という巨人だろう!

知恵のめざめ―悲しみが花開いて終わるとき

イタリア・アマルフィーの郵便配達員


 労働の豊かさを感じる。スピードと効率が労働を貧しい行為にしてしまった。


D

認識したものだけが世界である


リアルな現実世界を完全に認識することはできない


「認識したものだけが世界である」という考え方は夢を実現させるときにとても大事なものです。これはつまり「認識が変われば世界が変わる」ということを意味するからです。

 多くの人が考えている「リアルな現実世界(物理的現実世界)というものは実際には認識不可能です。そして、認識不可能なものとは、存在しないのと同じことです。あるのは一人ひとりの脳の中にある認識した世界だけです。

 この認識こそが世界だとすると、脳が認識するのは情報なので、世界とは情報であると言うことができます。

 こんなふうに考えてみましょう。

 私たちはリアルな物理的現実世界(「R」と呼びます)を見たり聞いたり触ったりしていると思っているかもしれません。しかし、実際にはRのほんの一部分しか認識していませんし、そもそも認識したものですらRとは違ったものです。

 たとえば、走っている車が見えたとします。あなたが見た車はあなたが認識したときにはもうそこにはありません。すでに数ミリか数センチかはわかりませんが、あなたが見た位置からは前進しています。

 車の位置からあなたの目に光が届くまでの時間のタイムラグと、神経内を情報が通って車と認識するまでのタイムラグがあり、そのあいだも車は動いているので、Rの車とあなたが認識した車とはほんのわずかながらずれがあるわけです。

 ということは、Rとあなたが認識している世界ととはどうしてもずれが生じてしまうことになります。このあなたが認識している世界をRと区別して、R'と呼ぶことにします。

 このR'は情報ですから、書き換えが可能です。洗脳や催眠は手法は異なりますが、このR'を書き換えることが目的です。

 R'が書き換え可能ということは、世界の認識や捉え方、世界観を変えるだけで現実世界を変えるのと同じ効果が生まれるということになります。


【『夢をかなえる洗脳力』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(アスコム、2007年)】

夢をかなえる洗脳力

フロイトの生涯


 日本の性科学者・高橋鐵(てつ)は、「書いた、恋した、生きた」と墓銘(ぼめい)に刻まれた作家スタンダールになぞらえて、フロイトの生涯をこう評している。「悩んだ、思索した、闘った」


【『性愛術の本 房中術と秘密のヨーガ』(学研ブックス・エストリカ、2006年)】

性愛術の本―房中術と秘密のヨーガ (NEW SIGHT MOOK―Books Esoterica)

2010-07-20

日本を半世紀にわたって支配してきた「自民党」はCIAのエイジェントによって作られたCIAのために働く党だった


 拙訳「かつてアメリカがリクルートした二人の一番影響力のあるエイジェントがCIAの日本政府を支配する任務を遂行するのを助けた」

 で、其の二人の男とは、岸信介児玉誉士夫である。


雁屋哲の美味しんぼ日記(以下同)】


 ワイナー(※ニューヨーク・タイムズの記者ティム・ワイナー)の記述は、まだまだ続く。分かりやすいようにまとめよう。(念のために断っておくが、ワイナーが言明しているように、以下に書くことは真実である。すべて、文書や記録が残っている。)


1.岸信介と児玉誉士夫は、CIAのエイジェントとなった。

2.CIAの助けによって、岸信介は自民党の党首となり、首相となった。

3.児玉誉士夫は暴力団のナンバーワンとなり、CIAに協力した。

4.岸信介と、児玉誉士夫が、戦後の日本の政治の形を作った。

5.岸信介は、児玉誉士夫の金を使って選挙に勝った。代議士になると、岸信介はその後50年に渡って日本を支配する自民党を作り上げた。

6.岸信介の作った「自由民主党」は自由主義的でもなければ民主主義的でもなく、戦争で亡びたはずの日本帝国の灰の中から起き上がってきた右翼的で封建的な指導者たちのクラブだった。

7.CIAと自民党との相互の間で一番重要だったのは、金と情報の交換だった。その金で党を支援し、内部情報提供者をリクルートした。

8.アメリカは、一世代後に、代議士になったり、大臣になったり、党の長老になったりすることが見込める若い人間たちとの間に金銭による関係を作り上げた。

9.岸信介は党の指導者として、CIAが自分の配下の議員たち一人一人をリクルートして支配するのを許した。


CIA秘録上 CIA秘録 下

個人の思想というものはありえない


 個人の思想というものはありえないし、思想の実践的営為は個人的なパースペクティヴを否定すること以外の出口を持つこともありえない。哲学というイデーそのものに、ある一つの原初的な問いが、すなわちいかにして人間的な情況から外へ出るのかという問いが結ばれている。いかにして必要性による行動に服従し、有用な区切りを立てるよう定められている反省的思考から、自己意識へと、すなわち本質なき――が、意識的な――存在の意識へと横滑りしていくのか、という問いが結ばれているのである。


【『宗教の理論』ジョルジュ・バタイユ湯浅博雄訳(人文書院、1985年/ちくま学芸文庫、2002年)】

宗教の理論 (ちくま学芸文庫)

呉子「戦場とは屍(しかばね)をさらすところだ」


 呉子曰く、「凡そ兵戦(へいせん)の場は、屍(しかばね)を止むるの地、死を必(ひつ)とすればすなわち生き、生を幸(さいわい)とすれば則ち死す。

 其の善く将たる者、漏船(ろうせん)の中(うち)に坐(ざ)し、焼屋(しょうおく)の下(もと)に伏するが如く、智者をして謀(はか)るに及ばず、勇者をして怒(いか)るに及ばざらしむれば、敵を受けて可なり。

 故に曰く、『兵を用うるの害は猶予最も大なり。三軍の災は疑より生ず』」と。


 呉子はいわれた。

「戦場とは屍(しかばね)をさらすところだ。死を覚悟すれば、生きのびることもできるが、生きながらえようと望んでいると、逆に死をまねくことになる。

 良き指揮官は、穴のあいた船に乗り、燃えている家の中で寝ているように、必死の心構えでいるものだ。そうなればたとえどんな智者がはかりごとをめぐらそうと、勇者がたけりくるってかかってこようと、どんな敵をも相手にすることができるのだ。

 だからこそ軍隊を動かすにあたって、『優柔不断を避けるべきであり、全軍の禍いは、懐疑と逡巡から生まれる』といわれるのだ」


【『呉子』尾崎秀樹〈おざき・ほつき〉訳(教育社、1987年/中公文庫、2005年)】

呉子 (中公文庫BIBLIO)

2010-07-19

『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ/森島恒雄訳(岩波新書、1983年)


思想の自由の歴史


 今日、私たちは学問・信仰の自由など思想の自由を当然のことと考えている。だが、この市民的権利は長い歴史の中でごく最近になって獲得されたものであり、そのために数多くの血が流されてきている。本書は、近代民主主義社会を支える思想の自由がどのようにして闘いとられてきたかを、各時代の具体的な事例に即して明らかにした名著。

『科学と宗教との闘争』A・D・ホワイト/森島恒雄訳(岩波新書、1968年)


科学と宗教との闘争


 近世の初頭、自然科学の勃興に対して加えられた迫害の歴史は、今では遠い昔語りとなり、今日のめざましい科学の進歩が、宗教的権威や根強い偏見との果敢な闘争をとおして獲得された事実も、いつとはなく忘れ去られようとしている。本書は、これらの闘争の意味と科学の進歩に捧げられた先人たちの努力を現代に甦らせる。

峰島旭雄、和田靜香、苫米地英人、J・クリシュナムルティ


 2冊挫折、2冊読了。1週間以上前のこと。


 挫折58『西洋は仏教をどうとらえるか 比較思想の視座』峰島旭雄〈みねしま・ひでお〉(東京書籍、1987年)/全く歯が立たず。20ページほど読んで、後はパラパラとめくってみただけ。比較思想は結構なんだが、「比較の基準」が曖昧すぎるように感じた。テーマがいいだけに惜しまれる。


 挫折59『でたらめな病人×つかえない医者 明るい患者になるための11の処方箋』和田靜香(剛★出版、2001年/文春文庫『ワガママな病人VSつかえない医者』改題、2007年)/全編ゴシック体が馴染めず、放り出してしまった。和田さんとは一度会ったことがある。おばさんキャラが魅力的な人物。そこそこ健康そうに見えたんだがなあ(笑)。文庫本を入手して読んでみようかしら。


 95冊目『なぜ、脳は神を創ったのか?苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(フォレスト2345新書、2010年)/これは当たりだった。私が読んできた苫米地作品の中では最高峰に位置する。映像で見る苫米地は、言葉づかいも知らない大増上慢野郎だが、本書では全く別の顔を見せている。21世紀前後から科学の進展に宗教が後(おく)れを取る状況が露呈した。ただ惜しむらくは、仏教の知識が付け焼刃であるために中途半端な宗教否定論に堕してしまっている。活字には現れていないが、一度でも苫米地の話を聞くと、「オレ」の連発が耳に障(さわ)る。これほど我執の強い人物が宗教の何たるかを理解しているとは到底思えない。知的アプローチが素晴らしいだけであって、中身は幼稚な人物だと思うよ。


 96冊目『学びと英知の始まり』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1991年)/これはよかった。イギリス、ブロックウッドのクリシュナムルティ・スクールでの討論が収められている。相手は生徒と教職員だ。クリシュナムルティの深い問いかけによって、眠っていた智慧が輝き出す。中には悪ふざけする生徒もいて、結構生々しい。教師と親に対する講話で締め括られている。脳味噌が激しく揺さぶられるのだが、それが実に心地いい。クリシュナムルティ本はこれで39冊目。

「Hallelujah!」A Soulful Celebration


 20歳前後で買ったレコードの一枚。この頃はお金がなかったので輸入盤ばかり買い漁っていた。ヘンデルの「ハレルヤ・コーラス」である。私が通っていた札幌の中学では、卒業生がこの曲をドイツ語で歌うのが恒例となっていた。これがまた信じられないくらい上手いんだ。

D


Handel’s Messiah: Soulful Celebration

法律など蜘蛛の巣のようなものだ


「法律など蜘蛛の巣のようなものだ――弱者は搦(から)め取られるが、強者は引っかからない」


【『メービウスの環』ロバート・ラドラム/山本光伸訳(新潮文庫、2004年)】

メービウスの環〈上〉 (新潮文庫) メービウスの環〈下〉 (新潮文庫)

気候の変動はゆっくりと穏やかに起こるわけではない


 われわれは小氷河期から二重の教訓を学ぶことができる。ひとつは、気候の変動はゆっくりと穏やかに起こるわけではないということだ。ある時代から別の時代に突如として変化する。その原因は不明であり、人間にはその進路を変えることはとうていできない。ふたつ目は、気候は人類の歴史を左右するということである。その影響力は大きく、ときにはそれが決定的な要因になることもある。


【『歴史を変えた気候大変動』ブライアン・フェイガン/東郷えりか、桃井緑美子〈ももい・るみこ〉訳(河出書房新社、2001年/河出文庫、2009年)】

歴史を変えた気候大変動 (河出文庫)

2010-07-18

重力に抗うストイシズム/『重力と恩寵 シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄』シモーヌ・ヴェイユ


 私はどうしてもこの女性が好きになれない。シモーヌ・ヴェイユはあまりにも清らかで純粋だ。彼女は生き急ぎ、死に急いでいた。常人の数倍ものスピードで生きた彼女は34歳で死んだ。


「カイエ」とは「ノート」のことで、ヴェイユのノートを箴言集風に編んだ作品である。一つひとつの文章は短い。にもかかわらず私は100ページほどでギブアップした。短文が私の関節を完全に捉え、ギシギシと骨を軋(きし)ませた。読み終えたら、間違いなく骨折していたことだろう。かようにヴェイユの攻撃は激しいのだ。


 読むきっかけとなったのは、アンドレ・コント=スポンヴィルの『資本主義に徳はあるか』だった。シモーヌ・ヴェイユが説く「重力」が、諸行無常や六道輪廻と関連性があるかどうかを確かめたかった。結論からいうと「なかった」。ないどころの騒ぎじゃない。重力とは天を目指す者が感じる負荷であった。つまり、ここにあるのは天国と地獄との間を上昇し下降する世界だ。完全なキリスト教的世界観といってよい。


 たましいの【自然な】動きはすべて、物質における重力の法則と類似の法則に支配されている。恩寵だけが、そこから除外される。


【『重力と恩寵 シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄』シモーヌ・ヴェイユ/田辺保訳(講談社、1974年/ちくま学芸文庫、1995年)以下同】


 すると、恩寵は浮力ということになる。だが待てよ。彼女達の世界観では万物を創造したのは神様である。本来であれば神が支配する世界であるにもかかわらず、なぜ我々は重力に支配されるのだろうか? そもそも重力を創ったのも神なのだ。それとも、最初の失敗作(アダムとイヴね)がリンゴを食べたというだけで、人類全員が生まれながらにして罪を負っているとでもいうのだろうか?


 ふたつの力が宇宙に君臨している、――光と重力と。


 その「ふたつ」を生んだのも神だ。どうやら、クリスチャンは天に憧れすぎて「上下志向」に束縛されているようだ。


【重力】――一般的に言って、わたしたちが他人に期待するものは、わたしたちの中に働く重力の作用によって決められる。また、わたしたちが他人から受けるものは、他人の中に働く重力の作用によって決められる。ときには、これが(偶然に)一致することがあるが、多くの場合一致しない。


 しかしだ、ヴェイユちゃんよ(←私より年下だからね)、重力がなければ我々は宇宙に放り出されてしまうのだぞ。その事実を踏まえると、重力こそが大宇宙の慈悲と考えるべきではなかろうか。


 この文章にはトラップが仕掛けられている。物理的な重力と社会的な重力――及び心理的重力――を混同している。これは全く別次元の問題だ。


『リア王』、重力の悲劇。「低さ」と名づけられているものはすべて、重力による現象だ。何より、「低さ」という語がそれをよく示している。


 低いものと浅いものとは、同一のレベルにある。「かれは愛している、激しく、しかし低級に」という言い方は可能だ。「かれは愛している。深く、しかし低級に」という言い方は不可能だ。


 低い浅いは、高い深いに対応している。そして、これらは「計量できる」世界を意味する。「より高く」を続けることで、果たして「神の高さ」に辿り着けるのだろうか? 神が絶対であれば、その距離も絶対的なものだろう。計量できる高さは相対性の範疇(はんちゅう)にとどまる。


 意図的に反論を試みたが、私の言葉が彼女に届くことはないだろう。今、目の前にいたとしても、彼女は黙って静かに微笑んでいるに違いない。


 シモーヌ・ヴェイユは労働者の不幸を知るために勇んで工場や農場で働いた。そしてレジスタンス運動にも身を投じた。彼女は天を目指した短距離ランナーだった。


 真理を愛することは、真空を持ち堪えること、その結果として死を受け入れることを意味する。真理は、死の側にある。


 死は不変の真理だ。しかし、そうであるならば智慧という光は生を照らすはずだ。死は、目撃者の瞳の中にしか存在しない(我々が睡眠を自覚できない事実を思え)。そして、他者の死を見つめた瞳は、自分の生を見失うのだ。


 生と死は分離したものではない。それは不可分であり表裏一体を成している。動植物の死が我々の生を支え、身体の細胞は目まぐるしく生死を繰り返しているのだ。


 清められるための一つの方法。神に祈ること。それも人に知られぬようにひそかに祈るというだけでなく、神は存在しないのだと考えて祈ること。


 これも額面通りに受け止めてはならない言葉だ。ヴェイユは「神の否定」を通して、「絶対的な神の肯定」を目論んでいる。神に依存してしまえば、それ自体が重力と化してしまうからだ。


 彼女は神を凝視するあまり、人間に背を向けてしまったのだ。これこそが、彼女を好きになれない最大の理由である。


 重力に抗う彼女のストイシズムは、激しさを増すほどに「心理的な重力」と化したことだろう。禁欲は欲望の裏返しである。欲望を自覚すればこそ禁ずるのだから。その矛盾と葛藤を強引に行為で乗り越えようとした時、彼女の身体のバランスは崩壊したのだろう。


 シモーヌ・ヴェイユに重力を感じさせたのは、他ならぬ神の存在であった。すなわち、神こそが人間にとって最大の重力なのだ。

重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫) 重力と恩寵

(※左が田辺保訳、右が渡辺義愛訳)

社民切りが「小沢氏の許容範囲超えた」…検証2


 鳩山が福島罷免に踏み切る前日の5月27日夜。民主党小沢一郎幹事長はひそかに首相公邸に入り、鳩山と向き合った。

 小沢は大詰めを迎えていた沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題で「沖縄県内移設」に反対する福島に配慮するよう、「円満解決」を求めた。「福島は続投。社民党も連立政権に残る」という小沢の主張に、鳩山は反論しなかった。

 ところが鳩山は翌28日朝にオバマ米大統領と電話で会談したことを境に、豹変(ひょうへん)する。移設先を「同県名護市辺野古」と明記した対処方針に踏み切り、福島を閣議での署名拒否に追い込み、罷免した。鳩山から小沢への事前の連絡はなかった。

「どうして鳩山が変わったのか。分からない」

 小沢は衝撃を受けた。

 小沢が「政府の仕事」として介入を避けてきた普天間問題に口を出したのは、社民党との連立瓦解は、小沢の参院選戦略や国会運営を根幹から揺るがすと分かっていたからだ。小沢周辺は「鳩山は自覚もないままに、小沢の許容範囲を超えてしまった」と振り返る。

「鳩山降ろし」のシナリオが一気に描かれた。「6月2日か3日に鳩山が退陣を表明。その週末には代表選挙で後継を選出」というものだった。一気呵成(かせい)に事を運べば、「新首相」への“ご祝儀”もあって、参院選に多少でもプラスになるとの読みもあった。小沢の信頼が厚い中堅議員は「鳩山で選挙に臨めば民主党は30議席を割る。鳩山以外なら、誰が首相でも30議席は確保できる」と解説する。

 小沢と民主党の輿石東参院議員会長は5月31日、鳩山と国会内で会談した。わずか5分。小沢が切り上げた。直後の鳩山と中国の温家宝首相との夕食会に小沢が配慮したと言われる。鳩山はこの短時間に「辞意を伝えた」と主張する。小沢周辺は「鳩山は続投に意欲を示した」と反論する。参院幹部は「鳩山は『辞める』とは言ったが、いつ、どういう形で辞めるかはっきり言わず、条件さえつけた」と、鳩山の言い方を巡る双方の受け止め方が違ったことを示唆する。

 翌1日の2度目の鳩山、小沢、輿石の3者会談で、鳩山は「幹事長にも身をひいていただきたい」と「道連れ」を迫ったとしているが、小沢は「互いに期することで一致したということだ」と言うばかりだ。

「小沢は自身の資金管理団体陸山会』の事件で、検察審査会の2度目の議決をにらみ、ここで身をひいた方が得策と考えた」との見方もある。「道連れ」ではなく、小沢が自発的に辞任を決意したというのだ。

 小沢側近は「首相がああいう説明をしている以上、そうだというしかない。小沢さんは鳩山さんのメンツをたてた」と語る。一方、鳩山側近は「首相が辞めた最大の理由は自身と小沢の『政治とカネ』の問題だ。2人がひくことで少しでも参院選でいい結果が出るようにと、ずっと思っていた」と、鳩山が早くから辞意を胸に秘めていたと証言する。(敬称略、肩書は当時)


【YOMIURI ONLINE 2010-06-03】

映画『Cat Shit One -THE ANIMATED SERIES-』


 私はアニメの類いを全く観ないので、細密なCG画に驚かされた。よく出来た作品なんだが、描写が「行き過ぎたリアリズム」を志向していて、逆にアニメーションの可能性を閉ざしているような印象を受けた。更に敵であるラクダ部隊が明らかに中東国を連想させ、イスラム圏=悪というステレオタイプも気になる。


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明治19年までは役人は1日3時間しか働いていなかった


 アメリカの白人は、低賃金労働力を確保するために、アフリカから黒人を連れてきて奴隷として働かせるという荒技を考えました。しかし残念ながら明治時代、すでにアメリカでも奴隷は解放されていました。がっかりした明治政府は、日本人を奴隷化することにしたのです。それがつまり、教育です。こどもの頃から、勤勉さこそが美徳であると、叩きこむようになったのです。

 これはわりと簡単なことでした。すでに日本人には、金に執着しないのが美徳だ、との考えが浸透していました。なにしろ「宵越しの金は持たねえ」が江戸っ子の心意気だったのですから。あとは、労働の素晴らしささえ刷り子こめば、低賃金労働を尊ぶ理想的単純労働者の出来上がりです。

 もともとが素直な日本の民衆は、すっかりのせられてしまいました。明治19年までは役人は1日3時間しか働いていなかったのに、工場労働者は1日10時間働いていました。そして、はた、と気づくのです。おや? 江戸時代よりいっぱい働いて収入も増えたのに、なぜ前より生活が苦しくなったんだ?


 はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢっと手を見る


 萩原朔太郎と同時代の歌人、石川啄木の歌です。江戸時代には、こんな内容の詩や歌はほとんどなかったはずです。富国強兵策は、文字通り国だけが富んで国民にはなにも恩恵をもたらさなかったのです。

 ただし、ここで念のためにいっておかねばならないことがあります。石川啄木はずいぶん悲壮感漂うことをいっとりますが、彼自身が貧乏だった理由は、芸者遊びが大好きだったせいなのです。啄木は友人から借金してまで、芸者遊びのどんちゃん騒ぎに明け暮れていたとのことで、いいかげん野郎どもの旗頭みたいな男です。同情や尊敬は不要です。むしろ、日本ダメ男列伝に列せられるべき人物なのです


【『反社会学講座パオロ・マッツァリーノイースト・プレス、2004年/ちくま文庫、2007年)】

反社会学講座反社会学講座 (ちくま文庫 ま 33-1)

(※左が単行本、右が文庫本)

人間の心は究極的にはわからない


 臨床心理士は「人間の心は究極的にはわからない」ことをよく知っている人なのです。

 だからこそ、プロの聞き手なのです。


【『プロカウンセラーの聞く技術』東山紘久〈ひがしやま・ひろひさ〉(創元社、2000年)】

プロカウンセラーの聞く技術

2010-07-17

『超帝国主義国家アメリカの内幕』マイケル・ハドソン/広津倫子訳


超帝国主義国家アメリカの内幕


 日本のバブルとその崩壊も起こるべくして起こった。アメリカの金融帝国主義を知らずに日本経済は理解できない。IMFと世銀を利用して、アメリカはどのように世界経済を操ったのか? アメリカに富を集中させる驚異の経済戦略の全貌がいま明らかに。米国の圧力で翻訳が中断された幻の名著、20年の歳月を経て待望の翻訳。

「枝野氏が革マル幹部と覚書」月刊誌報じる


 民主党枝野幸男幹事長が平成8年の衆院選に立候補した際、警察当局が左翼過激派の革マル派幹部と判断している人物との間で、「推薦に関する覚書」を交わしていたと、17日発売の月刊誌『新潮45』が報じた。

 枝野氏が覚書を交わしたのは、JR東労組大宮支部の執行委員長で、警視庁公安部が革マル派のJR内秘密組織の幹部と判断している人物としている。枝野氏は覚書で「私はJR総連及びJR東労組の掲げる綱領(活動方針)を理解し、連帯して活動します」などとしている。


産経ニュース 2010-07-17

新潮45 2010年 08月号 [雑誌]

道徳と政治を混同してはならない/『資本主義に徳はあるか』アンドレ・コント=スポンヴィル


「政治とカネ」の問題がかまびすしい。電波利権に浴する人々が口角泡を飛ばして政治家を糾弾している。去る参院選では「クリーンな政治」を掲げた政党もあった。ひょっとして政治家はクリーニング屋になろうとしているのだろうか?


 ちょっと考えてみよう。クリーンな政治は必ず企業や国民に対してもクリーンさを求めることだろう。果たして我々はピューリタンのように清らかで厳格な社会を望んでいるのだろうか? 振り返るとピューリタン革命(清教徒革命)も社会の歪(ゆが)みに端を発していた。現代同様、17世紀のイギリスも貧富の差が拡大していたのだ。で、イングランドといえば結局、王政復古になってしまった。


 1620年、メイフラワー号は新天地アメリカを目指して出発した。船に乗っていた3分の1はピューリタンであった。

 そうすると、クリーンな政治というのはアメリカの陰謀なのか? そうかもしれない。アメリカは厳格なまでに清らかだ。堕胎は聖書に反するということで毎年キリスト教原理主義者の手で医師が殺されている。悪党を見つければ、たとえ他国であろうとやっつける。仮に戦闘の根拠がデタラメであったとしてもだ。世界中の国々に民主主義の風をなびかせ、自国の経済システムに組み込むことがアメリカの至上命題である。

  • 経済侵略の尖兵/『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 だが待てよ。この論理は内側では通用するが外側からは理解されない。「所詮、民主主義の押し売り、武器のマルチ商法だろ?」と言われればそれまでだ。


 アンドレ・コント=スポンヴィルは政治と道徳が別次元であることを明快に説いている。


 なぜなら、第一に、道徳的な問い(「私はなにをすべきか?」)は、どんな職業についているひとであれ、たとえば株主であれ企業主であれ、あらゆる人に提起されるものだからです。もちろん、経済的な問いと呼べるもの(「私はなにを所有することができるか?」)にかんしても事情は同様です。私たちのうちどれほど豊かな人であれ、どれほど貧しい人であれ、道徳とも資本主義とも無縁ではいられません。はたらくことや貯蓄することや消費することは、なされて当然のいとなみですが、そのどれもが自身が望むと臨まざるとにかかわらずこの資本主義というシステムに参与することです。だからこそ、そのシステムの道徳について問いかけるのは意味あることなのです。


【『資本主義に徳はあるか』アンドレ・コント=スポンヴィル/小須田健〈こすだ・けん〉、C・カンタン訳(紀伊國屋書店、2006年)以下同】


 例えば「政治とカネ」を糾弾する人々が官房機密費問題には口を噤(つぐ)んでいる。完全黙秘、完璧な静寂。針の落ちる音が轟くほどの静けさだ。新聞記者やジャーナリストの面々は、長らく与党であった自民党から酒食を振る舞われ、女をあてがわれ、現金を手渡された。「政治とカネ」を問題視する彼等は、「メディアとカネ」を不問に付そうとしているのだ。


 要するに道徳と政治を混同してはならないのです。道徳は個人的なものです。あらゆる政治は集団的なものです。道徳はその原理からして利害とは無縁です。どんな政治もそうではありません。道徳は普遍的なものであり、あるいはそうなろうとめざすものです。あらゆる政治は特殊的です。道徳は目標を固定するものだとすれば、政治はとりわけ手段に関心をはらうものです。だからこそ、私たちにはどちらもが必要なのであり、両者のちがいもまた必要なのです。道徳家の説く純粋主義に欺かれてはなりません。ほかの人びとが利害を問題にしているときに道徳しか問題にしないのは、人非人の思う壷にはまることです!


 この指摘には目から鱗(うろこ)が落ちた。政治とは利益の調整である。つまり、恩恵に浴することができなかった人々からは、いつだって批判され得るのだ。「バラマキだ」と。政治が損得という原理で動いている以上、そこには腐敗がつきまとう。票とカネのパワーゲームが政治であるならば、いたずらに道徳性を求めるよりもゲームのルールを誰の目にも明らかにした方がいい。


 本来であれば国政は政治家と国民の綱引きであるべきだが、官僚の存在がややこしくさせている。この国では政治家が政治家として機能していないがゆえに、官僚が一切を仕切っている。法律は霞が関文学によって書かれており、「てにをは」や句点一つで意味を変える。国民はもとより政治家ですら違いが理解できない始末だ。


「全ての官僚が悪いとは言えない」なあんて枕詞(まくらことば)が流通しているが、一部の悪人を支えているのは多くの真面目な官僚なのだ。いっそのこと、全員を取り換えた方がよい。


 私たちの個人的な欲望は私たちを対立させます(ほとんどのばあい私たちの欲望するものが同じであるだけになおさらです)。万人に共通する理性にのみ、私たちを結びあわせることができるのです。ですが、この力は、すべての力がそうであるように、もし私たちがそれにすっかり身をゆだねてしまったなら、危険なものともなります。疲れているときや、習慣に身をまかせているとき、数にのみこまれてしまうとき、私たちはそうした危険へと押しやられることになります。集団においては、そしてそれを構成している人数がおおくなればますます、愛は道徳へと、そしてばあいによっては道徳主義にまで低下していく傾向を帯びます。道徳は政治へと、つまりは権力関係へと低下していく傾向を帯び、政治は技術や経済や管理へと低下していく傾向を帯びるのです。

 この【重力】は、考察の対象になる集団に応じて(企業と政党とでは同じではありません)、そしてとりわけ集団の規模に応じてさまざまに変化します。


「重力」とはシモーヌ・ヴェイユが『重力と恩寵』で説いた作用で、「人々を下降させる一切の力」を意味する。


 道徳はわかりやすい。わかりやすいからこそ攻撃の武器となる。そして道徳による攻撃は大衆の感情を煽り立てる。で、扇動された大衆はファシズムに向かって暴走を始めるのだ。


 菅直人首相が誕生しただけで、低迷していた支持率がいきなり反発した。世論の振幅の激しさが全体主義傾向を雄弁に物語っている。人々がストレスにさらされ不平不満が溜まると、破壊への衝動が膨らむ。そして、群衆の中から石を投げるようなタイプが増えるのだ。


 道徳で政治を語る人物を信用してはならない。

資本主義に徳はあるか

真の投機家


 だいたい、バブル紳士などと言われるようでは最初からなっていない。本当の投機家は、投機のジャングルに出かけるときには緑の保護色をまとい、そうでないときは普通の社会人としての保護色をまとっている。普段はベーシックな業務に精を出し、腹七分目でサッサとカジノを去っていく。そして何年間でも次の機会を待って読書三昧に夜を過ごし、バブル紳士の没落のプロセスなどを醒めた眼で観察しているものだ。


【『投機学入門 不滅の相場常勝哲学』山崎和邦(『投機学入門 市場経済の「偶然」と「必然」を計算する』ダイヤモンド社、2000年/講談社+α文庫、2007年)】

投機学入門―市場経済の「偶然」と「必然」を計算する 投機学入門――不滅の相場常勝哲学 (講談社プラスアルファ文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

人間のもっとも原初的な社会は母子社会


 人間は、孤独では生きていけない動物だといわれる。人間は集団のなかで生まれ、集団のなかで死んでいくのである。人間のもっとも原初的な社会は、母とその子どもからなる母子社会であり、母子関係を中心として家族・親族・氏族のような血縁関係がつくられた。数百万年は続いたと思われる人類の狩猟・採集時代は、血縁の原理がもっとも優越していた時代であったろう。(中略)

 血縁と地縁は、人間を結びつけるもっとも古い二代紐帯原理であるが、これら血縁・地縁に劣らず古くから存在する紐帯原理は、共通の利害や感心に基づく「約束」の原理であった。このような一定の「約束」のもとにつくられる集団は、利益集団ないしは結社(association)と呼ばれた。結社は人類史上新石器時代、あるいは原始農耕の出現と相前後してあらわれたものといわれており、一般の予想よりかなり古い歴史をもっている。(「刊行にあたって」綾部恒雄)


【『結社のイギリス史 クラブから帝国まで』綾部恒雄〈あやべ・つねお〉監修、川北稔編(山川出版社、2005年)】

結社のイギリス史―クラブから帝国まで (結社の世界史)

2010-07-16

「母親なしで生きられぬ」双子死傷の母猶予判決


 岡山県津山市の自宅で、生後約1か月の双子を殴り死傷させたとして、傷害致死罪などに問われた母親の無職小林真実被告(29)の裁判員裁判の判決が16日、岡山地裁であった。

 高山光明裁判長は「更生に向けての周囲の協力が整っている」などとして懲役3年、保護観察付き執行猶予5年(求刑・懲役5年)の有罪判決を言い渡した。

 判決によると、小林被告は昨年8月21日、自宅で長男の建太ちゃんの頭を平手で数回殴って脳内出血などで死亡させ、さらに同月17〜21日、次男の頭も複数回殴り、重傷を負わせた。

 閉廷後の記者会見で、70歳代の裁判員経験者の男性が、小林被告にはほかに長女、次女もいることから「最初は厳罰と思ったが、公判を通じ母親なしで子どもは生きていけないと思った」と話した。


YOMIURI ONLINE 2010-07-16

インドに歴史文化がない理由

 インド文明には都市があり、王権があり、文字があったのだから、歴史も成立してよさそうなものである。それなのに、歴史という文化がインドについに生まれなかったのはなぜか。この謎を解く鍵は、インド人の宗教にある。

 イスラム教が入って来る前からのインドの宗教では、仏教でも、ジャイナ教でも、ヒンドゥ教でも、輪廻(サンサーラ)の思想が特徴である。六道の衆生(天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄の6種類の生物)は、それぞれの寿命が終わると、生前に積んだ業(カルマ)の力によって、あるいは上等、あるいは下等の生物の形を取って生まれ変わり、一生を再び最初から最後まで経験する。この過程は、繰り返し繰り返し、永遠に続くのである。この考え方で行くと、本来ならば歴史の対象になる人間界の出来事は、人間界の中だけで原因と結果が完結するのではなくて、神や、鬼や、幽霊や、ほかの動物や、死者たちの、人間には知り得ない世界での出来事と関連して起こることになる。これでは歴史のまとまりようがない。その上、この考え方では、時間の一貫した流れの全体は問題にならなくて、そのどの部分もそれぞれ独立の、ばらばらの小さなサイクルになってしまう。つまり、初めも終わりも、前も後もないことになって、ますます歴史など、成立するはずがない。

 もう一つ、インド文明に歴史がない原因として考えられるのは、カースト制度の存在である。カースト制度の社会の生活の実感では、自分と違うカーストに属する人間は、同じ人類ではなく、異種類の生物である。しかもそのカーストは際限なく細分化して、ほとんど無数にあるものなので、カーストの壁を越えた人間の大きな集団を扱うのが性質の歴史は、こういう社会ではまとまるはずがない。カーストを認めないイスラム教が入って来て、初めてインドで歴史が可能になったのは、その証拠である。


【『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘(ちくまライブラリー、1992年/ちくま文庫、1998年)】

世界史の誕生 (ちくま文庫)

黒澤明の口癖


「眼から血を吹くような思いをしたか!」

 黒沢明の仕事の時の口癖だという。


【『タレントその世界』永六輔文藝春秋、1973年/文春文庫、1977年)】

タレントその世界

2010-07-15

自由のない国と信頼のない家族/『グラーグ57』トム・ロブ・スミス


 チト苦しい。ストーリーが破天荒すぎて、あちこちに無理がある。「初めに事件ありき」といった印象を受けた。


チャイルド44』の続編である。それだけで期待は膨らむ。異様なまでに。過度な期待はおのずから厳しい眼差しとなる。傑作の後の駄作を許さないのは当然だ。


 それでも「読ませる」のだから、トム・ロブ・スミスの筆力は凄い。


 自殺も自殺未遂も鬱病(うつびょう)も――人生を終わらせたいと口に出すことさえ――国家に対する誹謗(ひぼう)中傷と見なされる。より高度に発達した社会には自殺もまた存在しえないものなのだ。殺人同様。


【『グラーグ57』トム・ロブ・スミス/田口俊樹訳(新潮文庫、2009年)以下同】


 ソ連は何も変わっていなかった。理想と現実とは懸け離れ、その距離を嘘で埋めていた。社会主義国はバラ色でなくてはならない。たとえ現実が灰色であったとしても、人々は「バラ色です」と答えることを強いられた。


 前作同様、家族がモチーフになっている。レオ・デミドフは二人姉妹の子を養子に迎えたが、姉のゾーヤはレオを憎んでいた。


 ゾーヤはいまだにレオを保護者と認めていなかった。両親を死に追いやったレオを今でも赦(ゆる)していなかった。レオのほうも自分を父と呼ぶことはなかった。


 レオがゾーヤの両親を殺したわけではなかったが、幼子の目にはそのように映った。自由のない国と信頼のない家族。二重の苦しみをレオはどう克服するのかが読みどころだ。


 突然ソ連に変化が生じた。フルシチョフスターリンを批判したのだ。


 彼らが今耳にしているのは国家を批判することばだった。スターリンを批判することばだった。ラーザリはいまだかつてこのような形でこのようなことばが語られるのを聞いたことがなかった。恋人同士のあいだでさえ囁かれることのないことばだった。寝棚の囚人同士が囁き合うことさえ。そんなことばが彼らの指導者の口から語られたのだ。それも党大会で報告されたのだ。それらは書き取られ、印刷され、装丁され、こうしてこの国のさいはての地にまでたどり着いた。


 この収容所が「グラーグ57」だった。ここから荒唐無稽な筋運びとなる。既に家出をしたゾーヤは悪党の一味に加わり、ハンガリー動乱の扇動を行うといったもの。


 レオは前作と比べると明らかに老いが目立っている。本書ではレオという主人公の人物造形が凡人と超人の間で揺れており、それが物語を中途半端なものにしている。ゾーヤの落ちぶれようも救いがなく、全体のトーンが暗く明暗のアクセントを欠いている。


 このシリーズは三部作で完結する予定らしいが、次の作品はじっくりと時間をかけて再び傑作をものにして欲しい。

グラーグ57〈上〉 (新潮文庫) グラーグ57〈下〉 (新潮文庫)

飯島和一作品の外情報

 これがトール・ノーレットランダーシュの言う「外情報」だ。極端な省略、割愛によって読者の想像力が拡がる。行間の豊かさ。


「お名前ぐらい、教えていただけませんか」

『前にも言ったろう。俺はただの修理工』

 バッグを手渡しながら彼は笑ってそう言った。車が動き出す時、彼は窓越しにおれを見つめた。

『新田って言ったな』

「はい」

 彼は小さくひとつ頷くと車を出し、そしてそのまま視界から消えていった。


【『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(河出書房新社、1989年/リバイバル版 小学館、2000年/小学館文庫、2003年)以下同】


 頭を下げドアを開けて出ようとした時だった。

『新田』いきなり彼が背後から呼んだ。

「はい。なにか……」

『……よく来た』

 まだおれに伝えることがあったようだったが、急に言うのをやめたらしかった。


汝ふたたび故郷へ帰れず リバイバル版 汝ふたたび故郷へ帰れず (小学館文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

フランスはカルト判断基準を単純化した


 ある宗教団体をカルトと考えるか否かの判断基準は、ひとことで言うと、社会がすでに持ってる価値観からどこまで乖離しているかということです。フランス政府では判断基準を単純化して、その団体が地域社会、信者自身、信者の家族とトラブルを起こしているかどうかによってカルト認定の判断を行ないます。しかし、私の実感としてはそのような基準を当てはめてカルトの本質的な適宜とすることには違和感があります。なぜならその基準でいくと宗教でないどんな団体でもカルトとして認定できることになるからです。


【『スピリチュアリズム苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(にんげん出版、2007年)】

スピリチュアリズム

2010-07-14

反捕鯨キャンペーンは日本人へのレイシズムの現れ

 反捕鯨キャンペーンは日本人へのレイシズムの現れ、と指摘する人は少なくない。アメリカのジャーナリスト、ポール・ジェイコブは76年11月9日付けの「デトロイト・フリー・プレス」紙に次のような署名記事を寄せている。

「クジラを救おうというキャンペーンの提唱者たちは、アメリカ人に内在する日本人への偏見を刺激している。第二次大戦中の日系米人の強制収容と現在の反捕鯨キャンペーンとの間には、同じ東洋人を対象にしている点で類似性がある。日本が獲っている鯨種の資源状態は減少に向かっていないのに、アメリカが過去に乱獲した鯨種のことには目をつぶっている。また、日本製品ボイコット運動は、他の白人捕鯨国に対しては向けられていない。アメリカ社会には人種に対するぬぐい切れない偏見がある」


【『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人〈うめざき・よしと〉(成山堂書店、1999年)】

動物保護運動の虚像―その源流と真の狙い

情報への飢え


 われわれは、食べ物が与えられないと、食物への飢えが生ずる。そして食べられる物でありさえすれば、なんでもよいから食べたいと思う。それとまったく同じことが、環境中の情報に対してもおこるのではないか。単調な環境は「情報への飢え」を生じさせる。感覚遮断実験の被験者たちは、まさに「情報に飢えて」しまったのだ。だからこそ、通常は見むきもしない情報にも接しようとするのだろう。くだらない情報でもないよりはましだ。幻覚だって、一種の「内的」な情報のあらわれと解釈できよう。人間においては、「情報への飢え」は、まさに食物へのそれに匹敵するといえそうだ。人間は退屈を嫌い、知的好奇心をみたすべく常に情報を求めている存在なのである。


【『知的好奇心』波多野誼余夫〈はたの・ぎよお〉、稲垣佳世子中公新書、1973年)】

知的好奇心 (中公新書 (318))

2010-07-13

『昭和 闇の支配者』(全6冊)大下英治(だいわ文庫、2006年)


黒幕―昭和闇の支配者〈1巻〉 (だいわ文庫) 政商―昭和闇の支配者〈2巻〉 (だいわ文庫) 首領(ドン)―昭和闇の支配者〈3巻〉 (だいわ文庫)


錬金術師―昭和闇の支配者〈4巻〉 (だいわ文庫) 経済マフィア―昭和闇の支配者〈5巻〉 (だいわ文庫) 謀略―昭和闇の支配者〈6巻〉 (だいわ文庫)


 日本の政財界に暴力とカネで君臨した右翼・児玉誉士夫。戦中、中国で“児玉機関”を設立し莫大な資産を形成。戦後はそのカネで鳩山一郎をバックアップ、保守政党に絶大な影響力をもつ。左翼に対抗すべく全国のヤクザの糾合をはかる一方、フィクサーとしても暗躍。その最たるものが「ロッキード事件」である。「事件の陰に児玉あり」と語られた戦後最大の黒幕が操った昭和裏面史。


 田中角栄の“刎頚の友”であり「昭和の政商」と呼ばれた小佐野賢治。極貧の育ちから徹底した拝金主義者となり、一代で国際興業グループを築く。横井英樹、児玉誉士夫ら大物フィクサーと三つ巴の乗っ取り劇を多数繰り広げ、その個人資産は前例のない巨額に。「ロッキード事件」で撃沈されるも、最後は帝国ホテル会長就任の悲願を達成した。政治家を食いつくした男のあくなき成功欲と支配欲。


 巨大組織「稲川会」を一代で築いた稲川聖城。19歳で任侠界に入り、戦後の混乱期、外国人の暴力で無法地帯と化した街を救う一方、愚連隊を次々と傘下に収め、組を急成長させる。関東進出を狙う山口組、右翼・児玉誉士夫の野望、警察庁の暴力団頂上作戦―血の抗争と制圧! 日本の深部を牛耳った男の激動の秘録。


 老舗デパート「白木屋」騒動で乗っ取り屋元祖となった横井英樹。赤貧の生い立ちからカネと栄誉を求め、東急グループ五島慶太と組んで乗っ取りに次ぐ乗っ取りで大旋風を巻き起こす。安藤組の襲撃にもその猛進は止まらず、ついに「ホテルニュージャパン火災」で有罪に。企業を喰い荒らした欲望の虚業家の、悪の錬金術と執念。


 株主総会を舞台に、人事とスキャンダルで合法的に荒稼ぎをした総会屋。大企業に深く食い込み、裏支配する日本独特の存在である。広島県出身者の武闘派集団「広島グループ」を率いた小川薫。第一勧銀と四大証券から巨額の利益供与を受けた小池隆一。日本最大の「論談同友会」を組織した正木龍樹。大物総会屋がとりしきった闇経済の構図。


 田中金脈、日本船舶振興会疑惑、三越乱脈経営、リクルート…大手マスコミに先駆けて闇情報とスキャンダルを嗅ぎつける“ブラックジャーナリスト界の帝王”五味武。蛇の目ミシン株仕手戦で小佐野賢治に打ち勝ち、稲川会と組んで企業を喰い荒らす小谷光浩。政財界謀略事件史の中枢を占める大事件を操る者は誰か。

時計のウンチクが満載/『ウォッチメイカー』ジェフリー・ディーヴァー


 リンカーン・ライム・シリーズの第7作。手に汗握り、悶絶のラストへ突入する様はジェットコースターそのものだ。富士急ハイランドFUJIYAMAええじゃないかを足したようなものと考えてもらえばよい。


 ディーヴァー作品の正しい読み方を教えて進ぜよう。ストーリーは必ず3分の2ほどでひと区切りつくので、それ以降はどんでん返しがあるたびに本を閉じ、翌日まで読むのを我慢するのだ。こうすれば多分、通常のミステリの5倍は楽しめるはずだ。


 シリーズものはサザエさん化を免れることができない。ディーヴァーファンの中には「食傷気味だ」なんて生意気を言っている連中もいるが、これは文章の細部に目が届いていない証拠だ。


 ウォッチメイカーとは時計師のことである。彼が創作するのは、もちろんクォーツを使わない機械時計だ。

 その昔、時計を持つ者は「時を司る者」だった。人の一生は時に支配されている――


 私の姿は目に見えない。

 だが、私はつねにいる。

 力のかぎり走るといい。

 私から逃れられるものはない。

 力のかぎり闘うといい。

 私を打ち負かせる者はない。

 私は私の論理で人を殺す。

 法のもとで罰を受けることはない。

 さあ、私は誰だ?


“時”(とき)さ。


【『ウォッチメイカー』ジェフリー・ディーヴァー/池田真紀子訳(文藝春秋、2007年)以下同】


 その時計師を名乗る犯人が次々と事件を起こす。時計好きの方であれば、読み終えるまで陶酔に身を浸(ひた)すことができる。ウォッチメイカーは時間に関することなら何でも知っていた――


「時間? 時間についてどんなことを話すの?」

「ありとあらゆることについてだよ。時間の歴史とか、時計の仕組みとか、暦(こよみ)のこととか、そのときの状況によって時間の進みかたが違って感じられるとか。たとえばさ、“スピードアップ”って言葉は振り子時計から来てるとかって話をする。振り子の重りを上(アップ)にずらすと、時計の進み方が速くなるだろう。反対に“スローダウン”は――重りを下(ダウン)にずらす……ふつうならさ、退屈な話だよな。だけどダンカンが同じ話をすると、つい聴き入っちまう」


 ディーヴァーは犯人の人物像を実に瑞々しい色合いで描き出す――


 ――知ってたか、ヴィンセント。“几帳面”(メティキュラス)って言葉は、“おびえる”という意味のラテン語“メティキュロサス”から来てるんだ。

 正確でないもの、秩序立ってないものを目にすると、頭をかきむしりたくなる。平行でない線路とか、少しだけ曲がった自転車のタイヤのスポークとかいったささいな欠陥であってもだ。何かが予定どおりに運ばないと、黒板を爪でひっかく音を聞いたときのように、神経が逆立った。


 人生は時間であり、歴史もまた時間である。時間は過去、現在、未来と流れ、我々は現在を生きている。にもかかわらず、時間は有限性を強烈に意識させ、我々はいたずらに過去に捉われたり未来を夢見たりしている。


 時間はどこに存在するのか? そもそも時間とは何なのか? 既に量子力学で明らかになっているが実は時間は連続して流れているわけではない。時間は過去と現在、現在と未来の比較の中に存在する。つまり時間とは概念なのだ。


 脳のシステムは概念を構築する。例えば神や幽霊というのも概念に過ぎない。要は概念としては存在するが、実体は存在しない。


【ビフォア・アンド・アフター】。

 人は前進を続ける。

 理由はどうあれ、人は前進を続け、ビフォアはアフターになる。


 現在は、過去と未来の分水嶺である。未来は存在しないが過去は存在すると我々は思い込んでいる。だが実際は過去も存在しない。過去は記憶の中にのみ存在しており、例えば記憶障害や認知症になれば消え失せてしまう。過去は淡い。その淡い過去が自我を形成している。


 光に時間は存在しない。世界が存在するのは光が世界を照らしているからだ。目に見える事物を仏典では「色法」(しきほう)と呼ぶが、色は光の反射である。世界には有無が混在している。有無という見(けん)から離れるところに「空」(くう)が現れる。


 色々な意味で時間を考えさせてくれる一冊だ。

ウォッチメイカー〈上〉 (文春文庫) ウォッチメイカー〈下〉 (文春文庫)

自宅で死ぬと苦しまずに済む


「昔、家で看(み)取っていたときには苦しまないですんだんだ。弱ってくると人間は生理的脱水になる。つまり体中の水分が少なくなる。すると痛みや苦しみを感じなくなって、少しずつ、ちょうど飛行機が着陸するみたいに息を引き取った。ところが病院では脱水にしないために点滴を絶やさない。すると痛みを感じたまま、飛行機が墜落するように死ななきゃいけなくなった」

 これはある年老いた開業医の溜め息まじりの言葉である。先生はこう続ける。

「そうした死にかたよりももっと残念なのは、家族や本人がそれを望んでいることだよ。死に対して近代科学で抵抗しようとするんだなあ。気持ちは判るけど結局無駄な抵抗で、本人が苦しむだけなんだが。死に対してちゃんとふつうにつき合うということができなくなってるんだなあ」


【『老人介護 常識の誤り』三好春樹(新潮社、2000年/新潮文庫、2006年)】


 その上、何らかの形で「死のサイン」を発することが多いので、家族の心構えがしっかりしてくる。

老人介護 常識の誤り 老人介護 常識の誤り (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

戦前の預金部が戦後の財政投融資制度に


 日本の戦争遂行を考えるときに、預金部という制度を抜きにしては語れない。もし、郵貯、簡保、年金という預金部資金に頼らず、日清・日露戦争からアジア太平洋戦争に至る戦費をすべて税金で徴収したら、いくら戦前の日本でも厭戦(えんせん)気分が蔓延(まんえん)していたであろう。

 ところが、この預金部制度が戦後にほぼ無傷で生き残ってしまう。1954(昭和26)年9月8日、わが国はサンフランシスコにおいて連合諸国との間で講和条約に調印し、翌年4月28日からの発効によって独立を回復することになる。その直前の50年度に政府は「資金運用部資金法」および「資金運用部特別会計法」を制定、51年度の当初から預金部に代わり「資金運用部」を発足させていた。戦後の財政投融資制度の構築である。

 ここでの最大の問題は、創設以来の悪しき本質が、まったく修正されることなく戦後に引き継がれたことにあった。

 郵貯、簡保、年金は、預ける側の国民にとっては大切な個人資産である。しかし、預かる側の政府にとっては税外の国庫収入という程度の認識でしかない。返済することにいっさい頓着(とんちゃく)することなく、あたかも税金と同じような感覚でこの「裏収入」を使い切ってしまうという悪弊が、そっくりそのまま戦後に残されてしまったのである。しかも、本来は政府の暴走を抑制すべき議会までもが、「族議員」に代表されるように、官僚と結託して、後先を考えない使い切り方式に積極的に加担してしまう。


【『「お金」崩壊』青木秀和(集英社新書、2008年)】

「お金」崩壊 (集英社新書 437A)

2010-07-12

「ネルソン・マンデラ」スペシャルAKA


「スペシャル・エーケーエー」と読む。ザ・スペシャルズから派生したバンド。私はこの曲で初めてネルソン・マンデラを知った。1984年のことだ。生まれて初めて買った輸入盤かもしれない。

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In the Studio

番組の途中でチャンネルを変える


 捏造をののしるだけではダメです。情報の受け手が単純さを求めるのをやめ、メディア・バイアスを意識して、溢れる情報に疑問を持ち、質(たち)の悪いものについては「番組の途中でチャンネルを変える」「週刊誌を買わない」などと行動しないと、メディアは何も変わりません。


【『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学松永和紀〈まつなが・わき〉(光文社新書、2007年)】

メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書)

人類史の研究を助けるシラミ


 やっかいなシラミなのだが、人類史を研究するうえでありがたい特徴も持っている。それぞれのシラミの種が、ほぼ決まった寄生先を持つことだ。例えば、人類に寄生するシラミはチンパンジーなどほかの動物には寄生せず、逆に、ほかの動物の寄生するシラミは人類に寄生していないらしい。

 人類とチンパンジーが枝分かれする前、共通の祖先として暮らしていた時代、ある一種類のシラミがこの共通祖先に寄生していた。人類とチンパンジーがそれぞれに枝分かれして独自の道を歩み始めると、それに歩調を合わせるように、シラミも人類にだけ寄生するものと、チンパンジーにだけ寄生するものに分かれたようだ。


【『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠(講談社現代新書、2005年)】

人類進化の700万年―書き換えられる「ヒトの起源」 (講談社現代新書)

2010-07-11

与謝野馨「民主党は比例区に革マル派を立候補させている」


 6分あたりから。「JR東労組は革マルの牙城なんです。その革マルの親分の松崎さんの一の子分が民主党の全国比例で出てくるんです」。


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観客民主主義

 さて、これ(=リップマンの理論)で民主主義社会には二つの「機能」があることになった。責任をもつ特別階級は、実行者としての機能を果たす。公益ということを理解し、じっくり考えて計画するのだ。その一方に、とまどえる群れがいるわけだが、彼らも民主主義社会の一機能を担っている。

 民主主義社会における彼らの役割は、リップマンの言葉を借りれば「観客」になることであって、行動に参加することではない。しかし、彼らの役割をそれだけにかぎるわけにもいかない。何しろ、ここは民主主義社会なのだ。そこでときどき、彼らは特別階級の誰かに支持を表明することを許される。「私たちはこの人をリーダーにしたい」、「あの人をリーダーにしたい」というような発言をする機会も与えられるのだ。何しろここは民主主義社会で、全体主義国家ではないからだ。これを選挙という。

 だが、いったん特別階級の誰かに支持を表明したら、あとはまた観客に戻って彼らの行動を傍観する。「とまどえる群れ」は参加者とは見なされていない。これこそ正しく機能している民主主義社会の姿なのである。


【『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー/鈴木主税〈すずき・ちから〉訳(集英社新書、2003年)】

メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)

他人に奪われた時間

 どんな人でも自分の地所をとられて黙っている者はないし、また領地の境界について、たとえ小さなもめ事が生じても直ちに投石や武器に訴える。だが、自己の生活のなかに他人が進入することは許している。いや、それどころか、今に自分の生活を乗っ取るような者でさえも引き入れる。自分の銭を分けてやりたがる者は見当たらないが、生活となると誰も彼もが、なんと多くの人々に分け与えていることか。財を守ることには吝嗇(けち)であっても、時間を投げ捨てる段になると、貪欲であることが唯一の美徳である場合なのに、たちまちにして、最大の浪費家と変わる。そこで、沢山の老人のなかの誰かひとりをつかまえて、こう言ってみたい。「あなたはすでに人間の最高の年齢に達しているように見受けられます。あなたには100年目の年が、いやそれ以上の年が迫っています。そこで、あなたの生涯を呼び戻して総決算をしてみませんか。勘定(かんじょう)してください。あなたの生涯のどれだけの時間を債権者が持ち去ったか、またどれだけを愛人が、どれだけを主君が、どれだけを子分が、またどれだけを夫婦喧嘩(げんか)で、どれだけを奴隷の処罰で、どれだけを公用で都じゅうを走り廻って。これらに病気をも加えてください、私たちが自らの手で招いた病気を。また使わぬままに投げ出した時間をも加えてください。するとお気付きになるでしょうが、あなたが持つ年月は、あなたが数える年月よりも、もっと少ないでしょう。記憶をたどりながら、ご自身のことを再び思い出してください。いつあなたは自分の計画に自信をもったか。自分が決めたように運んだ日はいかに少なかったか。いつ自分を自由に使うことができたか。いつ顔付きが平然として動じなかったか。いつ心が泰然自若としていたか。あなたがこんな長い生涯の間に行なった仕事は一体何であるか。いかに多くの人々があなたから生活を奪い去ったことか――失ったものにあなたが気付かないうちに。いかに沢山のものが無益な悲しみや、愚かな喜びや、飽くことのない欲望や、こびへつらいの付き合いによって持ち去られたことか。あなた自身のものが、いかに僅かしかご自身に残っていないか。そのうちお分かりのことと思うが、あなたはまだ未熟のうちに亡くなることになるでしょう。」では以上の原因は何であろう。諸君は永久に生きられるかのように生きている。諸君の弱さが諸君の念頭に浮ぶことは決してない。すでにどれほどの時間が過ぎ去っているかに諸君は注意しない。満ち溢れる湯水でも使うように諸君は時間を浪費している。ところがその間に、諸君が誰かか何かに与えている一日は、諸君の最後の日になるかもしれないのだ。諸君は今にも死ぬかのようにすべてを恐怖するが、いつまでも死なないかのようにすべてを熱望する。


【『人生の短さについて』セネカ/茂手木元蔵〈もてぎ・もとぞう〉訳(岩波文庫、1980年/大西英文訳、2010年)】

人生の短さについて 他二篇 (ワイド版 岩波文庫) 生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

(※左が茂手木元蔵訳、右が大西英文訳)

2010-07-10

正木晃、川北稔、菅原出


 3冊挫折。


 挫折55『マンダラとは何か』正木晃(NHKブックス、2007年)/第一章は面白かったのだが、二章以降はあまり必要のない内容だった。マンダラは瞑想や呪術と密接な関係にあるが、瞑想と呪術を知る人は少ない。マンダラ研究本が退屈なのはここを理屈で寄り切ろうとするためだ。図像としてのマンダラがあり、もう一方の極には瞑想がある。その距離の広大と密接を描くことは至難だ。


 挫折56『結社のイギリス史 クラブから帝国まで』綾部恒雄〈あやべ・つねお〉監修、川北稔編(山川出版社、2005年)/シリーズ「結社の世界史」の第4巻。各章の執筆者が違うため読みにくく、字数制限があるため底が浅くなってしまっているように感じられた。ヨーロッパの歴史はキリスト教と結社の歴史といっても過言ではないが、意外なほど研究されていない。貴重な文献なので目を通す必要がある。


 挫折57『日本人が知らない「ホワイトハウスの内戦」』菅原出〈すがわら・いずる〉(ビジネス社、2003年)/ハードカバーで出すような代物ではない。NHKブックス的な内容だ。狙いは悪くないのだが、読み物としては面白くない。タイトルに難あり。アメリカのシンクタンクを概観した内容だ。この新興国ではハード面においてもソフト面においても競争原理が上手く機能している。もう少しで読み終えるところだったが、時間がもったいないのでやめる。

アフガニスタンの実録映画『Restrepo』


 アメリカで上映中だが、日本では公開予定がない。アフガニスタン戦争の実写フィルム。

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自然淘汰によって作り上げられた適応


 ネコとネズミの闘争で、あなたは、ネズミの側についていたとしよう。ネズミは、ネコの匂いが大嫌いだという。ネコの匂いは、ネズミを神経過敏にさせ、大切なこと、たとえば、食べ物や、求愛行動や、生まれたての子ネズミに集中できなくなる。あなたは、匂いの感覚を鈍らせてもネズミがネコの匂いにこれ以上悩まされないようにする薬を知っているとしよう。あなたは、この薬を処方するだろうか。たぶんしないだろう。どんなにネコの匂いが不快なものであっても、ネコの匂いに気づく能力は、ネズミにとっては貴重な財産である。ネコの匂いがすれば、ネコの爪と歯がすぐに近づいてくることの合図だろうから、これらを避けることは、不快な匂いによるストレスよりもずっと大切である。


【『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ/長谷川眞理子、長谷川寿一、青木千里訳(新曜社、2001年)以下同】


 ネコの匂いと同様に、発熱は不快だが役に立つ。発熱は、とくに感染と闘うために自然淘汰によって作り上げられた適応なのである。

病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解

木の芽


 一雫(ひとしずく)こぼして延びる木の芽かな  有井諸九(ありい・しょきゅう)


『諸九尼句集』所収。有名な加賀の千代所女とほぼ同時代に生きた筑後(福岡)出身の女性俳人。「行春や海を見て居る鴉の子」のような、切れ味のいいせいせいとした句を作った。右の句も彼女の鋭い感覚と的確な表現力がみごとにあらわれている句である。しだいにふくらみはじめた木の芽に、春雨がやわらかくかかる。一滴たれるたびに、芽も一緒にひき延ばされていく感じ。実際そのようにして木の芽は育つ。


【『折々のうた 第十』大岡信〈おおおか・まこと〉編(岩波新書、1992年)】

折々のうた〈第10〉 (岩波新書) 近世俳句俳文集 (新編日本古典文学全集)

2010-07-09

「FOREVER」Monkey Majik


 歌うことで世界は平和になるかもしれないと思わせるPV。ここには争いも競争もない。皆が笑顔、皆が幸福。見ているだけで涙が出てくる。


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MONKEY MAJIK BEST ~10 Years & Forever~(DVD付)

鎌倉権五郎景政


 私が住んでいる館町(たてまち)という住所は、鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)の館(やかた)があったことに因(ちな)む。


 この景政にはすごい逸話があります。敵の矢で右目を射られた景政は、その敵を逆に射殺して自陣に戻ります。苦しむ景政を見て、仲間の三浦平太郎為次が駈け寄り、景政の顔を足で踏みつけて矢を抜こうとしました。すると景政は激しく怒って刀を抜き、「矢が刺さり死ぬのは武士の本望だが、足で顔を踏まれるのは恥だから、お前を殺して自分も死ぬ」と言ったそうです。そこで為次は謝って丁重に矢を抜いたという話が、1347年に書かれた『奥州後三年記』という古い戦記に記されています。弱冠16歳の若武者は、この胆力で死後神として祀られました。


門松と鎌倉権五郎景政と『港北百話』


 疵をかう[B イ無]ぶるものはなはだし。相模の国の住人鎌倉の権五郎景正といふ者あり。先祖より聞えたかきつはものなり。年わづかに十六歳にして大軍の前にありて命をすてゝたゝかふ間に、征矢にて右の目を射させつ。首を射つらぬきてかぶとの鉢付の板に射付られぬ。矢をおりかけて当の矢を射て敵を射とりつ。さてのちしりぞき帰りてかぶとをぬぎて、景正手負O[BH にイ]たりとてのけざまにふしぬ。同国のつはもの三浦の平太郎為次といふものあり。これも聞えたかき者なり。つらぬきをはきながら景正が顔をふまへて矢をぬかんとす。景正ふしながら刀をぬきて、為次がくさずりをとらへてあげざまにつかんとす。為次おどろきて、こはいかに、などかくはするぞといふ。景正が[B イ無]いふやう、弓箭にあたりて死す[B イ無]るはつはものののぞむところなり。いかでか生ながら

 足にてつらをふまるゝ事O[BH にイ]あらん。しかじ汝をかたきとしてわれ爰にて死なんといふ。為次舌をまきていふ事なし。膝をかゞめ顔ををさへて矢をぬきつ。おほくの人是を見聞、景正がかうみやういよいよ(<)ならびなし。


【『奥州後三年記 群書類従本』】

次の戦死者を準備する思想


 死んでいく者には生きるための打算はなく、限界状況における生と死の意味付けに真直ぐ向かっている。だが、生き残った者には戦死者の霊さえ世俗的に利用しようとする打算が隠されている。その打算が、次の戦死者を準備する思想となる。


【『戦争と罪責』野田正彰岩波書店、1998年)】

戦争と罪責

ピタゴラスの証明は二重の意味で重要だった

 ピュタゴラスの証明には反駁(はんばく)の余地がない。彼の定理はこの世のすべての直角三角形において成り立つのである。この発見の重大性にかんがみ、神々への感謝のしるしとして100頭の牡牛が犠牲に供されたといわれている。この発見は数学における一つの里程標であり、文明史的に見ても最大級の快挙といえるだろう。それは二重の意味で重要だった。第一に、これによって証明という概念が生み出されたこと。証明された数学的結論は、論理を一歩一歩積み上げることで得られるという意味において、ほかのいかなる真理よりも真である。哲学者タレスはすでに素朴な幾何学的証明をいくつか作り出していたが、ピュタゴラスは証明という概念をさらに推し進めることによって、はるかに独創的な命題を証明してみせたのだった。ピュタゴラスの定理がもつ第二の重要性は、抽象的な数学の方法を具体的なものと結びつけたことにある。ピュタゴラスは、数学的真理が科学の世界にも応用できることを示し、科学に論理的な基礎を与えたのである。数学は、厳密な出発点を科学に与えてくれ、科学者はこの堅固な基礎の上に、厳密にはなりえない測定と、完璧ではありえない観察とを付け加えてゆくのである。


【『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』サイモン・シン青木薫訳(新潮社、2000年/新潮文庫、2006年)】

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2010-07-08

クリシュナムルティにひれ伏す男/『リシバレーの日々 葛藤を超えた生活を求めて』菅野恭子


 菅野恭子はギーブル恭子という名前で『ザーネンのクリシュナムルティ』を翻訳した人物だ。クリシュナムルティの解説本の類いは、まず当たりがないと思っていい。読むに値するのはススナガ・ウェーラペルマくらいだ。


 菅野はクリシュナムルティの教えに触れて小賢しくなってしまった人物の典型で、明らかに境界性人格障害の傾向が見られる。単なる悪口と受け止められるといけないので、きちんと説明しよう。


 本書は、クリシュナムルティが創立したインドのリシバレー校に滞在した手記である。クリシュナムルティの没後であるため、いわば学校体験記といった内容だ。


 この時ばかりは、早朝からわざわざ私たちのためにお弁当をつくってくれた村人たちのことが思い出されただけでなく、貴重なチーズを無駄にする気持ちには到底なれなかったため、我慢して食べることにしました。


【『リシバレーの日々 葛藤を超えた生活を求めて』菅野恭子〈かんの・きょうこ〉(文芸社、2003年)以下同】


 現地の人々の善意に対して「我慢」という言葉を吐く神経が尋常ではない。菅野は村人の善意と自分の好き嫌いを同列に論じている。そもそも本に書くようなことではないだろう。自我の境界が崩れている証拠である。


 ダダ氏は講和をするだけあって、確かに彼なりに何かを掴んでいるとは思います。しかし、いわば悟りの深さにおいて、そしてそれを言語表現する的確さにおいて、クリシュナムルティほどではないように思いました。


 じゃあ、あんたはどうなんだ? あんたはクリシュナムルティと同等なのか? それともクリシュナムルティを上回っているとでも?


 挙げ句の果てには文豪まで非難する始末だ――


 この詩は「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」という言葉で表現されているように、賢治の理想像を描いたものだと思いますが、理想の持つ危険性に彼は気づいていなかった、と言ってよいかもしれません。


「知に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかくこの世は住みにくい」と、明治の文豪夏目漱石は小説『草枕』の冒頭の部分で書きました。が、それに対してあえて私は、「そのようにして人生をとらえるのは、自我というものについての追及が浅かったのでは」、という疑問を呈示したいと思います。(「あとがき」)


 まるで幼児が覚え立ての言葉で誰かの悪口を言っているような代物である。自分を高みに置いて、軽々しい言葉を並べ立てているだけの話だ。かような人物がクリシュナムルティを理解できるわけがない。


 境界性人格障害は罪悪感を覚えないところに特徴がある。善悪の概念が理解できないのだ。このため、言っていいことと悪いことの区別がつかず、人を傷つけても悪びれるところがない。


 私がクリシュナムルティの解説本を読むのは、何かを教えてもらうためではなく、断片的な情報でも構わないからクリシュナムルティへの手掛かりを見出すことが目的だ。そして本書にも、確かな光彩を放つ証言があった――


 転校して2年目に、またクリシュナムルティがリシバレーを訪れました。そしてある時、彼の講話を聞いていた最中に、彼の中に見たものによって、私の人生は完全に変わってしまいました。

 彼は、全校生徒と教師と訪問者に向かって講話をしていました。講話が終わった後、壇上から降りると、中年の男性が彼のそばに歩み寄り、足元に完全にひれ伏したのです。クリシュナムルティは彼の体を起こして、

「なぜそうするのですか」

 と聞きました。すると、その中年男性は、

「あなたは神です」

 と言い出しました。クリシュナムルティはそれに対し、

「あなたが私に見出したのは、そのことなのですか」

 と問い、彼自身もその中年男性の前でひれ伏したのです。中年男性はびっくり仰天しました。

 私は英語がまだよくわからず、クリシュナムルティの話していることを理解できませんでした。にもかかわらず、彼の取ったたった一つの行為が、たぶんその時、彼がたまたま話していたかもしれないことの全てをわからせてくれたように思いました。人々の誰もが、クリシュナムルティは偉大な人物だと言いますが、クリシュナムルティは、そんなことには頓着せず、見知らぬ人の前でひれ伏したのです。そこにはエゴのかけらもありませんでした。私は自分が目撃していたことを信じることができませんでした。私の目は涙で潤みました。

 それからというもの、私の人生は変わりました。それまでとは違った人間になりました。(マヘッシュ・パンデ)


 まるで不軽菩薩(ふきょうぼさつ)そのものではないか。クリシュナムルティの場合は、相手を礼拝(らいはい/※仏教の場合は「らいはい」で、キリスト教やイスラム教の場合は「れいはい」と読む)するというよりは、むしろ「同じ人間ではないか」という平等性を示そうとしたのだろう。


「そんな真似をしてはいけませんよ」と諭(さと)すよりも、同じ振る舞いをすることで「神に額(ぬか)づく」愚かさを相手に知らしめているのが凄い。やろうと思って、できるような行動ではない。まさに「即座の智慧」が光り輝いている。


 権力者は他人に頭を下げさせることで快感を覚える。人々がかしずくのは気分がいいものだ。学者はその道の権威を目指し、芸能人は有名を極めようと目論む。作家は賞の獲得に余念がなく、スポーツ選手は金メダルを欲する。


 クリシュナムルティはそんなものとは無縁だった。彼はただ世界の人々と膝を交えて、生の全体性を語りに語った。

リシバレーの日々―葛藤を超えた生活を求めて

ゆうパック遅配「一過性だと」 混乱拡大、やっと会見


 日本郵便は「ペリカン便」との統合にあたり、4月から実地研修を積み重ねて万全の準備をしてきたと説明する。だが、システム統合は先送りし、お中元で荷物量が増える繁忙期の統合に突き進んだ。

 集配の現場ではこうした対応に批判が出ている。神奈川県内の郵便局で仕分け業務を担当する50歳代の男性職員は「事前にわずかな説明しかないまま突然、普段の3倍もの荷物が届いた。さばけるわけがない」と憤る。

 男性職員によると、統合後の業務の説明があったのは6月20日ごろ。A4判で数十ページのマニュアル2冊を渡され、端末の操作やペリカン便の伝票の説明を受けたが、時間は1時間で、端末の使い方を試す機会もなかった。


asahi.com 2010-07-05

電車内で化粧をする行為の矛盾


 電車の中で化粧をしている若い女性が目立つようになってから10年以上は経つだろう。彼女たちは、一見すると、誰の視線も気にしていないようだが、実は親しい友達や恋人からは少しでも綺麗に見られたいと思って化粧をしているわけだ。ここでも親しい相手に対してと見知らぬ他人に対してとで、行動をはっきりと二分させていることがわかる。


【『子供の「脳」は肌にある』山口創〈やまぐち・はじめ〉(光文社新書、2004年)】

子供の「脳」は肌にある (光文社新書)

国家を蝕む汚職


 インドと聞いただけで嫌な顔をする側近をしり目に、シン氏のことをもう少し教えてくれと身を乗り出してきた将軍。彼の真剣な眼差しは、私の脳裏にいまだに鮮明に焼き付いている。

 シン氏もムシャラフ将軍も、常に草の根の国民の視点から国家の百年先を見つめ、政策を考えていた。そして、国民の過半数が声なき民である事実を熟知していた。国民とは、貧困に苦しむ人々であり、女性であり、身体障害者であり、子供たちであり、さまざまな少数部族であり、インドでは階級制度のどん底にある「アンタッチャブル」である、という事実を念頭に置いていた。

 両氏ともに自分を飾らない気さくな人柄である。草の根を自分の足で歩き、権力者を恐れる人々の心を開き、自分の目と耳と肌で彼らの夢と苦しみを学ぶ。それが自然にできる人であり、また、そうする時間を多忙なスケジュールから練り出す努力を惜しまない人だ。

 インドもパキスタンも長年の政治家と官僚の汚職腐敗が国家財政を悪化させ、生産性を抑え、貧困解消を妨げてきた。権力者が甘い汁を吸い続ける有り様を前にし、親も子も、またその親も子も、何世代にもわたって社会のどん底に行き続けてきた人々。彼らが日常持つ挫折感は想像を絶する。同情や施し物はいらない。希望がほしい、せめて我が子には教育を、と望む人々を裏切り、公共教育制度の内部までも蝕む汚職は、子供の人口密度を無視して学校を建て、建築費をピンハネし、教師資格のない人間を賄賂と票集めに雇い、教科書の配布制度をも腐らせる。


【『国をつくるという仕事』西水美恵子〈にしみず・みえこ〉(英治出版、2009年)】

国をつくるという仕事

『村西とおるの閻魔帳 「人生は喜ばせごっこ」でございます。』村西とおる(コスモの本、2010年)


村西とおるの閻魔帳 ―「人生は喜ばせごっこ」でございます。


 誰も書けなかった禁断のアノこと、コノことを全て語りつくす! 過激で、心から笑えて、エロくて、たまらなく切ない人間模様。波乱万丈の人生を生き続ける男が紡ぐ強くて優しい言葉たち。驚異のアクセス数を誇る「村西ブログ」ついに書籍化。

2010-07-07

高橋源一郎


 1冊読了。


 94冊目『「悪」と戦う』高橋源一郎(河出書房新社、2010年)/『13日間で「名文」を書けるようになる方法』にノックアウトされたら、本書を読まないわけにはいかない。主役の幼い兄弟は高橋の子がモデルになっている。私はポップ文学なるものに全く興味がないので、高橋の小説を読むのは初めてのこと。案の定、肌が合わない。それでも文字が大きく、行間も広いので2時間ほどで読める。兄のランちゃんがパラレルワールドで悪の多様な姿に遭遇する。そしてこれ自体が一種の試験になっており、ランちゃんは弟のキイちゃんと世界を救うべく戦いを挑む。だが、真の善良さは自問自答する中で揺れ惑い、躊躇(ためら)う営みに存在した。善良な心とは、振り子の遠心力に支えられているのかもしれない。本書の中でお父さんの高橋が「私は唯物主義者だ」と言うくだりがある。全編を通じてそれらしい暴力シーンが挿入されている。内容はそこそこ面白かったが、私は高橋が嫌いになった。

ミステリ界に光を放つ超大型新星/『チャイルド44』トム・ロブ・スミス


 老練なプロットと引き締まった文体から、トム・ロブ・スミスが20代の若者であることを想像するのは難しい。作品の舞台となったロシアでは発売禁止になっている。つまり、ロシアの現実が描かれているものと考えてよいだろう。


 一人の男の再生物語であり、男の半生はスターリン体制下のソ連とピッタリ重なっていた。


 主人公のレオ・デミドフは国家保安省(※KGBの前身)の優秀な捜査官だった。それは、彼が「人民の敵」であることを意味していた。逮捕した相手からこんなことを言われたこともあった――


「私はこの国を憎んでなどいないよ。憎んでいるのはむしろきみのほうだ。この国の人々を憎んでいるのは。そうでなければどうしてこんなに多くの人たちを逮捕したりなどできる?」


【『チャイルド44』トム・ロブ・スミス:田口俊樹訳(新潮文庫、2008年)以下同】


 異常な世界で評価されるためにはロボットと化す他なかった。それにしても旧ソ連の実態は酷い。同僚はありとあらゆる手段を駆使して足を引っ張り、賞罰が明らかでなければ怠け放題だ。階級闘争が階級内闘争を生み、無限の連鎖となって社会の至るところにストレスを与えていた。


 ある事件をきっかけにして、レオ・デミドフは体制に疑問を抱くようになる。健全な懐疑は真理の扉を開く。ソ連は寸足らずの衣服を国民に与え、「手足を縮めるよう」命令を下していた。寒い国だから手足を縮めるのはお手の物だ。


 国は詩人を必要とはしていない。哲学者も宗教家も必要としていない。国が必要としているのは、寸法と量が計れる生産性。ストップウォッチで計測できる成功だ。


 有罪となって死ぬことはもう避けられない。この社会のシステムはどんな逸脱も誤謬(ごびゅう)も認めていないからだ。見せかけの効率。それはここでは真実よりはるかに重要なものなのだ。


 唯物論は人間をモノとして扱う。マルクスは国家を暴力的に転覆することを高らかに宣言した。思想はどの思想も正義のマントを羽織っている。思想が暴力を肯定すると、人間の情動にブレーキが掛らなくなる。ソ連では至るところで拷問が行われた。ある時は容疑者に対して、そしてまたある時は罪なき市民に対して。共産主義は国民を恐怖で支配する体制だった。


 レオは同僚の讒言(ざんげん)によって田舎の警察署へ左遷させられる。警察署の上司は彼を煙たがった。長年連れ添った妻との関係も上手くいっていなかった。そんなある日のこと、幼児の虐殺死体が発見される。レオは一人で調査を開始した。同じ手口の犯行が別の場所でも行われていた。間違いなく連続猟奇犯の仕業だった。


 自由のない国で、しかも犯罪の事実を隠蔽(いんぺい)する社会主義国で、どのようにして正義を実現するか――これが本書のモチーフになっている。


 誰かのために立ち上がることは、取りも直さずその誰かの運命の裏地に自分の運命を縫いつけることだ。


 立ち上がれば、もう座り直すことはできなかった。あとは前に進むか、殺されるかという選択肢しか残されていない。レオは立ち上がった。殺された44人の子供達の家族のために。


 冒頭のエピソードがラストで花火のように爆発する。並大抵の衝撃ではない。登場人物は皆が皆、ソ連という政治システムの犠牲者だったのだ。トム・ロブ・スミスはシステム化された暴力を描き出すことで、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』的なミステリを創出している。


 ロバート・ラドラム亡き後のミステリ界を照らす、超大型新星の登場だ。

チャイルド44 上巻 (新潮文庫) チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

聖書はオリジナルも複製も存在しない


 むしろオリジナルどころか、そのオリジナルの直接の複製すら存在しないのである。いやそれどころかオリジナルの複製の複製すら、というかオリジナルの複製の複製の複製ですら存在しないのである。


【『捏造された聖書』バート・D・アーマン/松田和也訳(柏書房、2006年)】

捏造された聖書

世界は外で続いていた


 彼女はたいてい自分の病室で冷たい鉄格子に額をつけて外の世界を見ていた。世界は外で続いていた。彼女なしで。


【『喪失』カーリン・アルヴテーゲン/柳沢由美子訳(小学館文庫、2005年)】

喪失 (小学館文庫)

2010-07-06

学、論、法、術


 学、論、法、と来て、さらにいっそう頭より手の方の比重が大きくなると、何になるか、というと、これが術、なんです。術、というのは、アートです。芸術もアート、でも芸術は昔はファイン・アートとファインがついて、美術でした。アートは、技術。フランス語でアルチザンといえば、職人さん。これは、手の比重の方が頭より大きい。そのことで少し頭を楽にしてあげる領域です。


【『言語表現法講義』加藤典洋岩波書店、1996年)】

言語表現法講義 (岩波テキストブックス)

人間生活は建築と密接につながっている


 公的生活であろうと私生活であろうと、人間生活のさまざまな出来事は、建築とごく密接につながっている。だから、たいていの観察家ならば、公共建造物の残骸にもとづいて国家を、あるいは家庭的遺物の調査によって個人を、ありし姿のままに復元しうるくらいだ。考古学が社会的自然界にたいする関係は、あたかも比較解剖学が有機的自然界にたいする関係のようなものである。魚竜の骨格が一つの世界の全容を無言のまま物語るように、一個のモザイクは一社会の全体をあらわに示す。すべては双方から由来し合い、相連絡する。それぞれの結果から原因にさかのぼることができるように、原因はおのずから結果を推察させる。学者はこうして古い時代を、微に入り細にわたって復活せしめるのである。


【『「絶対」の探求』バルザック/水野亮訳(岩波文庫、1939年)】

「絶対」の探求 (岩波文庫)

2010-07-05

政治の本質


「反アルコール・キャンペーン」を過剰に厳しくしたことによって、どういうことが起こったか。まず、砂糖がなくなるんです。なぜかというと、砂糖水を作って、その中にイースト菌を入れて、少し濃くするとウオッカができる。これをロシア語で「サマゴン」と言います。つまり「自家製蒸留酒」ができるんです。これを作るために砂糖が買い占められて、なくなってしまう。次に何がなくなるかというと、ジャムです。もちろんジャムでウオッカを作るんです。そして、ジャムもなくなってしまうと、次にオーデコロンがなくなるんです。これ、ちょっと危ないんですが、化粧水をそのまま飲むようになるんです。しかし、それも駄目になると今度は靴クリームなんです。靴クリームの中にアルコールが含まれているんですね。そこからどうやってアルコールを取り出すかというと、黒パンの上に靴クリームを山盛りにして、半日ぐらいすると、黒パンの中にアルコールが沁み込んでくるんですよ。そして、上の部分は切って捨てて、アルコールがたっぷり沁みた黒パンを食べるんですね。

 そんなことをするもんですから、年間に数万人も死んでしまったんです。つまり、それまでアルコールの飲み過ぎで死んでいた人間の数とそんなに変わらなくなってしまったわけなんです。これはやり過ぎだということで「反アルコール・キャンペーン」は1988年に止めることになります。

 ゴルバチョフ政権の時にロシア人のインテリからこんなことを聞いたことがあるんです。

「これは政権が危ないぞ」

 どういう理由でそんなことを言うのかと聞きますと、

「ロシアでは手を付けちゃいけないものが四つある」

 と、彼は言うんです。

「『黒パン(白パンはなくても生きていける)』『ジャガイモ』『タバコ』それに『ウオッカ』だよ。この四つのうちの二つが同時に欠乏することになったら、ロシアでは暴動が起こるに決まっているんだ」

 そう彼は私に言いました。


【『国家の崩壊』佐藤優〈さとう・まさる〉、宮崎学(にんげん出版、2006年)】

国家の崩壊

人間の最も根源的な仕事


 ソフトウエアのデザイナーであれ、配送トラックの運転手、経理係、あるいはホテルの客室係であれ、現在の世のなかの仕事で最も重要な側面は、トマス・スチュワートがその著書『Intellectual Capital(知的資産)』で述べているように、「人間の最も根源的な仕事、つまり感じること、判断すること、創造すること、そして人間関係をつくること」ということだ。これは、現在の企業価値の大部分は「その従業員が頭のなかにしまっているノウハウ」にあるという意味だ。


【『まず、ルールを破れ すぐれたマネジャーはここが違う』マーカス・バッキンガム&カート・コフマン/宮本喜一訳(日本経済新聞社、2000年)】

まず、ルールを破れ―すぐれたマネジャーはここが違う

2010-07-04

齊藤誠、ブライアン・フェイガン、ルソー、福永武彦


 3冊挫折、1冊読了。


 挫折52『競争の作法 いかに働き、投資するか』齊藤誠(ちくま新書、2010年)/威勢のよさが裏目に出ている。文章に臭みがあって読みにくい。50ページで挫ける。


 挫折53『歴史を変えた気候大変動』ブライアン・フェイガン/東郷えりか、桃井緑美子〈ももい・るみこ〉訳(河出書房新社、2001年/河出文庫、2009年)/これも読みにくかった。30ページほどで挫ける。『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』の方がはるかに面白かった。


 挫折54『社会契約論』ルソー/桑原武夫、前川貞次郎〈まえかわ・ていじろう〉訳(岩波文庫、1954年)/季節が悪かった。梅雨時には不向きだ。60ページ過ぎで挫ける。これは後で必ず読み直す。


 93冊目『廃市・飛ぶ男』福永武彦(新潮文庫、1971年)/絶品。『鳥 デュ・モーリア傑作集』といい勝負である。日本にこれほどのストーリーテラーが存在した事実に驚く。「未来都市」は完全なSF作品で、「飛ぶ男」も実に斬新な構成である。主役は物語であって、登場人物は全員が黒子と化している。読者の感情移入を拒絶しながら、物語の結構だけで福永は勝負しているように見える。『忘却の河』よりはるかに面白かった。

アメリカ合衆国にはたったひとつの政党しかない


 でも、考えてみれば、アメリカ合衆国にはたったひとつの政党しかないのだということに気づかされます。二大政党とはいえ、じつは共和党が大勢を牛耳っていて、民主党はその支流のひとつにすぎないのだ、と。同じ政党の二つの支流にほかならない。アメリカには常軌を逸した、いや、驚くべきレヴェルのコンセンサスが存在し、肝要な案件の多くが、討議を尽くされないままにまかりとおっています。


【『良心の領界』スーザン・ソンタグ/木幡和枝〈こばた・かずえ〉訳(NTT出版、2004年)】

良心の領界

日本が成立したのは7世紀か


 個人が個人として成立するのは自己と他者を区別したときであるのと同じで、日本という国が国として成立したのは日本と他国を区別したときである。そのような区別が生じたのは他国から圧迫を受けたからであろう。

 すなわち、大陸に隋・唐という強力な帝国が成立して脅威となり、それに対抗するに大化改新(645年)を遂行し、白村江で唐・新羅連合軍に戦いを挑んでみたが惨敗し(663年)、やはり先進文明の模倣をするしかないと壬申の乱(672年)を起こして公地公民、中央集権の律令制を強化し、唐の皇帝のまねをして天皇を絶対君主に仕立てあげたとき、日本が成立したと考えられる。


【『歴史を精神分析する』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(中公文庫、2007年/新書館、1997年『官僚病の起源』を改題)以下同】


 たとえば、天孫降臨の神話は、日本が現実には大陸・半島と深く結びつき、つねにその影響のもとにあったにもかかわらず、その現実を否認して日本は天上から降りてきた神々が創った国、大陸・半島と無関係な独自の国であって、そして日本は大陸・半島の人たちと違って神である天皇の血を受けているという幻想を支えるための神話であった。

 この幻想は合理的に考えればまったく馬鹿げているが、日本人というアイデンティティを獲得するためにはこの幻想が必要だったのである。

官僚病の起源 歴史を精神分析する (中公文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2010-07-03

ご飯と鉄分が日本代表勝利の秘訣 専属シェフが会見


 サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で、日本代表チームの専属シェフとして同行した、サッカートレーニングセンター「Jヴィレッジ」(福島県広野町楢葉町)の総料理長西芳照さん(48)が3日、センターに戻り帰国を報告、記者会見した。

 西さんは空気の薄い高地での試合に備え、鉄分を多く含んだレバーやヒジキを毎食おかずの1品に加えたことや、ご飯を炊くのに圧力鍋を使った工夫などチームの活躍を支えた秘訣を披露した。

 西さんは5月末のスイスの直前合宿から代表チームに同行し約1カ月間、1日3食を提供。「1人も体調を崩す選手を出さず、任務を全うできた」とホッとした表情をみせた。

 食材の多くは日本から持参し、日本の食事と同じものを食べられるように工夫。ラーメンやギョーザ、豚肉料理も好評だったという。

 また高地対策に圧力鍋を持参。「鍋が一番の立役者。選手が予想以上にご飯を食べ、米不足のうれしい悲鳴もあった」と振り返った。現地で中国産米などを急ぎ調達したという。

 初戦のカメルーン戦勝利後に闘莉王選手から「勝てたのは西さんの食事のおかげ」とたたえられたのが、最も記憶に残る一こまとなった。


47NEWS 2010-07-03


 さもありなん――勝てば皆が納得してしまう(笑)。

赤いユニフォームのサッカーチームは強い? 英研究結果


 赤いユニフォームのサッカーチームは、ほかの色のユニフォームのチームより勝率が高い。このような研究結果が今月、英国の研究チームによって発表された。


生物学的な反応に関連


 英ダラム大学(Durham University)と英プリマス大学(University of Plymouth)の専門家からなる研究チームは、赤いユニフォームを着るイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)、リバプール(Liverpool FC)、アーセナル(Arsenal)の3チームが常に順位表の上位を占めているのは偶然ではないと指摘する。

 研究チームによると、赤は自然界で男性的な攻撃性の誇示と関連していることが多く、このような赤という色に深く根ざした生物学的反応により、赤いユニフォームはチームに優位性を与えるのだという。赤い色は(男性ホルモンの1種の)テストステロンが分泌させるきっかけになるため、かつては軍隊の兵士もその効果を利用していたという事実にも言及している。


過去の対戦結果を分析、赤チームが勝つ傾向に


 研究チームは、第2次世界大戦以降のイングランドのサッカーリーグの試合結果を分析した。その結果、赤、白、青、黄、オレンジのユニフォームの色別の勝率は、赤チームが最も高く、黄またはオレンジチームが最も低かったという。

 プリマス大学のロバート・バートン(Robert Barton)教授によると、これには2つの理由が考えられるという。1つ目は、いつの間にかファンが潜在的に赤いユニフォームに魅力を感じている可能性があること。2つ目は、赤を着ることで心理的にポジティブな後押しがあり、それが試合に反映される可能性があることだという。また、赤いユニフォームのチームと戦うと、戦績が悪くなる可能性もあるという。

 なお、分析は第1ユニフォームが着用されるホームでの試合結果を対象に実施した。おもしろいことに色と勝率の間の相関関係は、ホームでの試合のときだけしか当てはまらなかったという。

 また近年、多額の外資がサーカー業界につぎ込まれていることの影響について、ラッセル・ヒル(Russell Hill)博士は次のように述べている。「裕福な外国人オーナーの参入により1部のチームの資金力が高まり、ユニフォームの色にかかわらず勝率が上がることは確かにある。にもかかわらず、力が拮抗(きっこう)しているチーム同士の対戦では、赤いユニフォームのチームが優勢になるとみている」

 プレミアリーグで赤いユニフォームを着るマンチェスター・ユナイテッド、リバプール、アーセナルの3チームは、欧州チャンピオンズリーグのベスト8入りを決めている。(※記事中のユニホームを全てユニフォームに直した)


AFP 2008-03-24

『ヘーゲル読解入門 精神現象学を読む』アレクサンドル・コジェーヴ/上妻精、今野雅方訳(国文社、1987年)


ヘーゲル読解入門―精神現象学を読む


著者プロフィール

 アレクサンドル・コジェーヴ(コジェーヴ、アレクサンドル)


 1902-1968.ロシア(モスクワ)生まれの著名なヘーゲル研究家・哲学者.ロシア革命の際にロシアを離れ,ドイツに亡命する.K.ヤスパースの指導の下で,ロシアの神学者ソロヴィヨフに関する学位論文を書く.1926年にフランスに移住する.同じロシア出身の思想家A.コイレと交流し,彼のヘーゲル研究に大いに影響される.1933年から39年まで,コイレの後継者として,パリの高等研究院でヘーゲル『精神現象学』講義を行う.この講義には,M.メルロ=ポンティ,J.ラカン,R.アロン,G.バタイユ,P.クロソウスキー,R.クノーなど,第二次大戦後のフランスを代表する大知識人が多数出席し,彼らの思想形成に絶大な影響を与えた.この講義はR.クノーにより整理され,1947年に『ヘーゲル読解入門』のタイトルで公刊される(邦訳,国文社).戦後はフランス政府の高級官吏として,フランスの対外経済政策に影響を与え,ヨーロッパ統合のために外交的手腕を発揮する.1968年ブリュッセルで死去.彼は生前著作を公刊しなかったが,その死後,残された原稿のいくつかが編集・出版された.『法の現象学』『概念・時間・言説』(邦訳,法政大学出版局)と同様,本書もその一つである.その他に,『ギリシャ哲学史試論(三巻)』『カント』などがある.


【『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ:今村真介訳(法政大学出版局、2010年)】

コジェーヴ「語られたり書かれたりした記憶なしでは実在的歴史はない」


 それでは、終焉すべきものが終焉した後で、言い換えれば「起源とテロスの不在」のただ中にあって、われわれにとっての「歴史」はいかにして可能なのか。このように問いかけるとき、われわれに一つの示唆を与えてくれるのは、やはり(アレクサンドル・)コジェーヴが先の長大な「注」に続いて付けた2行ばかりの短い「注」である。対応する本文とともに、以下にそれを掲げておこう。


 まず実在する歴史が仕上げられなければならず、次いでこの歴史が人間に物語られねばならない(本文)


 加えて、歴史的想起なしには、すなわち語られ(oral)たり書かれ(ecrit)たりした記憶なしでは実在的歴史はない。(注)


 コジェーヴは前半の本文において、まず実際の歴史的出来事が生起し、さらには完結し、しかる後にその出来事が人間に対して物語られるべきことを説いている。彼によれば、ヘーゲルの『精神現象学』は、実在する歴史的発展が終わった後に、それをアプリオリな形で再構成した一つの物語なのである。しかし、後半の注においては、その時間的順序を逆転させ、「語る」あるいは「書く」という人間的行為によってはじめて実在的歴史が成立することを述べている。その語るという行為を「物語行為(narrative act)」と呼べば、実際に生起した出来事は物語行為を通じて人間的時間の中に組み込まれることによって、歴史的出来事としての意味をもちうるのである。ここでコジェーヴが述べているのは、「歴史」は人間の記憶に依拠して物語られる事柄のうちにしか存在しない、という単純な事実にほかならない。


【『物語の哲学』野家啓一〈のえ・けいいち〉(岩波現代文庫、2005年/岩波書店、1996年『物語の哲学 柳田國男と歴史の発見』改題)】

物語の哲学 (岩波現代文庫)

2010-07-02

ゴールドマンはAIGを破たんの淵に追い詰めた−NYT


 米投資銀行ゴールドマン・サックス・グループが米保険会社アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)に対し、繰り返し強引に現金の支払いを要求したことが、2008年9月にAIGが破たん寸前に追い詰められた要因だった。金融危機調査委員会(FCIC)が公開した文書から分かった。米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT、オンライン版)が報じた。

 FCICのフィル・アンジェリーズ委員長によると、「最初に担保の差し出しを求めてくるのはゴールドマンで、支払い時期と金額について最も強引なのもゴールドマンだった」という。AIGはゴールドマンに、住宅ローン証券を保証する商品を販売していた。証券の価値が下がるに伴い、ゴールドマンはAIGに担保の提供を求めた。

 文書からはまた、ゴールドマンがAIGが破たんした場合に備えてゴールドマンが購入していたヘッジの金額も明らかになった。ゴールドマンがAIGに対して担保を求め始めたのと同時期の07年7月からAIGのデフォルト(債務不履行)に備える保証も購入し始め、当初1億ドルだったその額はその後1年の間に30億ドルに増えていたという。


ブルームバーグ 2010-07-01

マルクス「交換価値は〈価値〉ではない」


「交換価値は価値の現象形態にすぎず、〈価値〉ではない」と、1879年から80年にかけて書かれた「アードルフ・ヴァグナー著『経済学教科書』への傍注」(杉本俊朗訳、『マルクス・エンゲルス全集』第19巻、所収、大月書店)のなかでマルクスははっきりとのべている。


【『貨幣論岩井克人〈いわい・かつひと〉(筑摩書房、1993年/ちくま学芸文庫、1998年)】

貨幣論 (ちくま学芸文庫)

覇権的男性性


 覇権的男性性(hegemonic masculinity)とは、世界有数の男性学者(男性性研究者)であるオーストラリア人の社会学者ボブ・コンネルが主として提唱した概念である。コンネルは、カテゴリーとしての男性と女性の間だけではなく、男性間にも権力関係が存在する以上、男性性は複数形において分析されねばならないとし、「覇権的(hegemonic)/従属的(subordinated)/周縁的(marginarized)」という類型を提唱した〔Connell 1995〕。


【『男らしさという病? ポップ・カルチャーの新・男性学』熊田一雄〈くまた・かずお〉(風媒社、2005年)】

男らしさという病?―ポップ・カルチャーの新・男性学

2010-07-01

オシム・日本代表2010W杯を戦い終えて


 オシムの言葉は高い次元から降り注いでくる。まるで光か雨のように。サッカーと日本チームを愛するレベルが人々と異なっているのだろう。人をして傾聴せざるを得ない響きに満ち、雄弁でありながらも通訳のピッチに配慮を怠らない。彼は生まれながらにして哲学者であり教育者なのだろう。最後の方で思わず通訳が涙ぐんでしまっている


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Flash を捨て HTML5 に移行するポルノ業界

「エロを制する者は世界を制する。ベータがVHSに敗れたのも、エロビデオの種類が少なかったというのが本当の理由だ」と卓見を示した友人がいる。もう15年以上前の話だ。

『トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン』トマス・ピンチョン/柴田元幸訳(新潮社、2010年)


 遂に刊行成る。6月から3ヶ月ごとに順次刊行される予定。


トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(上) (Thomas Pynchon Complete Collection) トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(下) (Thomas Pynchon Complete Collection)


 新大陸に線を引け! ときは独立戦争直前、二人の天文学者によるアメリカ測量珍道中が始まる――。世界文学を牽引する天才作家の代表作を渾身の訳業で。

「おかあさん」森昌子


 私の母は太っているが、それでも感動してしまう(笑)。この曲が発売されたのは森昌子が15歳の時だった。「スター誕生!」の初代グランドチャンピオンで、桜田淳子や山口百恵と同い年だがデビューは一年早かった。


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森昌子 ベスト・コレクション

視覚が進化した理由


 この問いに答えるためには、進化生物学に眼を向け、次のように問う必要がある。「視覚はなんのためにあるのか?」生物学的観点から得られる答えはきわめて明快だ。視覚が進化したのは、それが動物の適応度をとにかく高める――生存し繁殖する能力を高める――からである。自然淘汰(すなわち、集団内でそれぞれの個体がどの程度生き延びられるか)は、究極的には、動物が視覚を用いてなにをするかにかかっており、なにを体験するかにはよらない。したがって視覚は、進化という遠い時間の彼方で、生物の行動を誘導する方法として出現したのに違いない。


【『もうひとつの視覚 〈見えない視覚〉はどのように発見されたか』メルヴィン・グッデイル、デイヴィッド・ミルナー/鈴木光太郎、工藤信雄訳(新曜社、2008年)】

もうひとつの視覚―〈見えない視覚〉はどのように発見されたか

日本人のメンタリティー


 老指揮官はいつになく厳しい口調でこんなことを言った。

「日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。野心に欠ける。これは危険なメンタリティーだ。受身過ぎる。(精神的に)周囲に左右されることが多い。フットボールの世界ではもっと批判に強くならなければ」


【『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦〈きむら・ゆきひこ〉(集英社インターナショナル、2005年/集英社文庫、2008年)】

オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える オシムの言葉 (集英社文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)