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2010-07-08

クリシュナムルティにひれ伏す男/『リシバレーの日々 葛藤を超えた生活を求めて』菅野恭子


 菅野恭子はギーブル恭子という名前で『ザーネンのクリシュナムルティ』を翻訳した人物だ。クリシュナムルティの解説本の類いは、まず当たりがないと思っていい。読むに値するのはススナガ・ウェーラペルマくらいだ。


 菅野はクリシュナムルティの教えに触れて小賢しくなってしまった人物の典型で、明らかに境界性人格障害の傾向が見られる。単なる悪口と受け止められるといけないので、きちんと説明しよう。


 本書は、クリシュナムルティが創立したインドのリシバレー校に滞在した手記である。クリシュナムルティの没後であるため、いわば学校体験記といった内容だ。


 この時ばかりは、早朝からわざわざ私たちのためにお弁当をつくってくれた村人たちのことが思い出されただけでなく、貴重なチーズを無駄にする気持ちには到底なれなかったため、我慢して食べることにしました。


【『リシバレーの日々 葛藤を超えた生活を求めて』菅野恭子〈かんの・きょうこ〉(文芸社、2003年)以下同】


 現地の人々の善意に対して「我慢」という言葉を吐く神経が尋常ではない。菅野は村人の善意と自分の好き嫌いを同列に論じている。そもそも本に書くようなことではないだろう。自我の境界が崩れている証拠である。


 ダダ氏は講和をするだけあって、確かに彼なりに何かを掴んでいるとは思います。しかし、いわば悟りの深さにおいて、そしてそれを言語表現する的確さにおいて、クリシュナムルティほどではないように思いました。


 じゃあ、あんたはどうなんだ? あんたはクリシュナムルティと同等なのか? それともクリシュナムルティを上回っているとでも?


 挙げ句の果てには文豪まで非難する始末だ――


 この詩は「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」という言葉で表現されているように、賢治の理想像を描いたものだと思いますが、理想の持つ危険性に彼は気づいていなかった、と言ってよいかもしれません。


「知に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかくこの世は住みにくい」と、明治の文豪夏目漱石は小説『草枕』の冒頭の部分で書きました。が、それに対してあえて私は、「そのようにして人生をとらえるのは、自我というものについての追及が浅かったのでは」、という疑問を呈示したいと思います。(「あとがき」)


 まるで幼児が覚え立ての言葉で誰かの悪口を言っているような代物である。自分を高みに置いて、軽々しい言葉を並べ立てているだけの話だ。かような人物がクリシュナムルティを理解できるわけがない。


 境界性人格障害は罪悪感を覚えないところに特徴がある。善悪の概念が理解できないのだ。このため、言っていいことと悪いことの区別がつかず、人を傷つけても悪びれるところがない。


 私がクリシュナムルティの解説本を読むのは、何かを教えてもらうためではなく、断片的な情報でも構わないからクリシュナムルティへの手掛かりを見出すことが目的だ。そして本書にも、確かな光彩を放つ証言があった――


 転校して2年目に、またクリシュナムルティがリシバレーを訪れました。そしてある時、彼の講話を聞いていた最中に、彼の中に見たものによって、私の人生は完全に変わってしまいました。

 彼は、全校生徒と教師と訪問者に向かって講話をしていました。講話が終わった後、壇上から降りると、中年の男性が彼のそばに歩み寄り、足元に完全にひれ伏したのです。クリシュナムルティは彼の体を起こして、

「なぜそうするのですか」

 と聞きました。すると、その中年男性は、

「あなたは神です」

 と言い出しました。クリシュナムルティはそれに対し、

「あなたが私に見出したのは、そのことなのですか」

 と問い、彼自身もその中年男性の前でひれ伏したのです。中年男性はびっくり仰天しました。

 私は英語がまだよくわからず、クリシュナムルティの話していることを理解できませんでした。にもかかわらず、彼の取ったたった一つの行為が、たぶんその時、彼がたまたま話していたかもしれないことの全てをわからせてくれたように思いました。人々の誰もが、クリシュナムルティは偉大な人物だと言いますが、クリシュナムルティは、そんなことには頓着せず、見知らぬ人の前でひれ伏したのです。そこにはエゴのかけらもありませんでした。私は自分が目撃していたことを信じることができませんでした。私の目は涙で潤みました。

 それからというもの、私の人生は変わりました。それまでとは違った人間になりました。(マヘッシュ・パンデ)


 まるで不軽菩薩(ふきょうぼさつ)そのものではないか。クリシュナムルティの場合は、相手を礼拝(らいはい/※仏教の場合は「らいはい」で、キリスト教やイスラム教の場合は「れいはい」と読む)するというよりは、むしろ「同じ人間ではないか」という平等性を示そうとしたのだろう。


「そんな真似をしてはいけませんよ」と諭(さと)すよりも、同じ振る舞いをすることで「神に額(ぬか)づく」愚かさを相手に知らしめているのが凄い。やろうと思って、できるような行動ではない。まさに「即座の智慧」が光り輝いている。


 権力者は他人に頭を下げさせることで快感を覚える。人々がかしずくのは気分がいいものだ。学者はその道の権威を目指し、芸能人は有名を極めようと目論む。作家は賞の獲得に余念がなく、スポーツ選手は金メダルを欲する。


 クリシュナムルティはそんなものとは無縁だった。彼はただ世界の人々と膝を交えて、生の全体性を語りに語った。

リシバレーの日々―葛藤を超えた生活を求めて

ゆうパック遅配「一過性だと」 混乱拡大、やっと会見


 日本郵便は「ペリカン便」との統合にあたり、4月から実地研修を積み重ねて万全の準備をしてきたと説明する。だが、システム統合は先送りし、お中元で荷物量が増える繁忙期の統合に突き進んだ。

 集配の現場ではこうした対応に批判が出ている。神奈川県内の郵便局で仕分け業務を担当する50歳代の男性職員は「事前にわずかな説明しかないまま突然、普段の3倍もの荷物が届いた。さばけるわけがない」と憤る。

 男性職員によると、統合後の業務の説明があったのは6月20日ごろ。A4判で数十ページのマニュアル2冊を渡され、端末の操作やペリカン便の伝票の説明を受けたが、時間は1時間で、端末の使い方を試す機会もなかった。


asahi.com 2010-07-05

電車内で化粧をする行為の矛盾


 電車の中で化粧をしている若い女性が目立つようになってから10年以上は経つだろう。彼女たちは、一見すると、誰の視線も気にしていないようだが、実は親しい友達や恋人からは少しでも綺麗に見られたいと思って化粧をしているわけだ。ここでも親しい相手に対してと見知らぬ他人に対してとで、行動をはっきりと二分させていることがわかる。


【『子供の「脳」は肌にある』山口創〈やまぐち・はじめ〉(光文社新書、2004年)】

子供の「脳」は肌にある (光文社新書)

国家を蝕む汚職


 インドと聞いただけで嫌な顔をする側近をしり目に、シン氏のことをもう少し教えてくれと身を乗り出してきた将軍。彼の真剣な眼差しは、私の脳裏にいまだに鮮明に焼き付いている。

 シン氏もムシャラフ将軍も、常に草の根の国民の視点から国家の百年先を見つめ、政策を考えていた。そして、国民の過半数が声なき民である事実を熟知していた。国民とは、貧困に苦しむ人々であり、女性であり、身体障害者であり、子供たちであり、さまざまな少数部族であり、インドでは階級制度のどん底にある「アンタッチャブル」である、という事実を念頭に置いていた。

 両氏ともに自分を飾らない気さくな人柄である。草の根を自分の足で歩き、権力者を恐れる人々の心を開き、自分の目と耳と肌で彼らの夢と苦しみを学ぶ。それが自然にできる人であり、また、そうする時間を多忙なスケジュールから練り出す努力を惜しまない人だ。

 インドもパキスタンも長年の政治家と官僚の汚職腐敗が国家財政を悪化させ、生産性を抑え、貧困解消を妨げてきた。権力者が甘い汁を吸い続ける有り様を前にし、親も子も、またその親も子も、何世代にもわたって社会のどん底に行き続けてきた人々。彼らが日常持つ挫折感は想像を絶する。同情や施し物はいらない。希望がほしい、せめて我が子には教育を、と望む人々を裏切り、公共教育制度の内部までも蝕む汚職は、子供の人口密度を無視して学校を建て、建築費をピンハネし、教師資格のない人間を賄賂と票集めに雇い、教科書の配布制度をも腐らせる。


【『国をつくるという仕事』西水美恵子〈にしみず・みえこ〉(英治出版、2009年)】

国をつくるという仕事

『村西とおるの閻魔帳 「人生は喜ばせごっこ」でございます。』村西とおる(コスモの本、2010年)


村西とおるの閻魔帳 ―「人生は喜ばせごっこ」でございます。


 誰も書けなかった禁断のアノこと、コノことを全て語りつくす! 過激で、心から笑えて、エロくて、たまらなく切ない人間模様。波乱万丈の人生を生き続ける男が紡ぐ強くて優しい言葉たち。驚異のアクセス数を誇る「村西ブログ」ついに書籍化。