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2010-07-09

「FOREVER」Monkey Majik


 歌うことで世界は平和になるかもしれないと思わせるPV。ここには争いも競争もない。皆が笑顔、皆が幸福。見ているだけで涙が出てくる。


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MONKEY MAJIK BEST ~10 Years & Forever~(DVD付)

鎌倉権五郎景政


 私が住んでいる館町(たてまち)という住所は、鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)の館(やかた)があったことに因(ちな)む。


 この景政にはすごい逸話があります。敵の矢で右目を射られた景政は、その敵を逆に射殺して自陣に戻ります。苦しむ景政を見て、仲間の三浦平太郎為次が駈け寄り、景政の顔を足で踏みつけて矢を抜こうとしました。すると景政は激しく怒って刀を抜き、「矢が刺さり死ぬのは武士の本望だが、足で顔を踏まれるのは恥だから、お前を殺して自分も死ぬ」と言ったそうです。そこで為次は謝って丁重に矢を抜いたという話が、1347年に書かれた『奥州後三年記』という古い戦記に記されています。弱冠16歳の若武者は、この胆力で死後神として祀られました。


門松と鎌倉権五郎景政と『港北百話』


 疵をかう[B イ無]ぶるものはなはだし。相模の国の住人鎌倉の権五郎景正といふ者あり。先祖より聞えたかきつはものなり。年わづかに十六歳にして大軍の前にありて命をすてゝたゝかふ間に、征矢にて右の目を射させつ。首を射つらぬきてかぶとの鉢付の板に射付られぬ。矢をおりかけて当の矢を射て敵を射とりつ。さてのちしりぞき帰りてかぶとをぬぎて、景正手負O[BH にイ]たりとてのけざまにふしぬ。同国のつはもの三浦の平太郎為次といふものあり。これも聞えたかき者なり。つらぬきをはきながら景正が顔をふまへて矢をぬかんとす。景正ふしながら刀をぬきて、為次がくさずりをとらへてあげざまにつかんとす。為次おどろきて、こはいかに、などかくはするぞといふ。景正が[B イ無]いふやう、弓箭にあたりて死す[B イ無]るはつはものののぞむところなり。いかでか生ながら

 足にてつらをふまるゝ事O[BH にイ]あらん。しかじ汝をかたきとしてわれ爰にて死なんといふ。為次舌をまきていふ事なし。膝をかゞめ顔ををさへて矢をぬきつ。おほくの人是を見聞、景正がかうみやういよいよ(<)ならびなし。


【『奥州後三年記 群書類従本』】

次の戦死者を準備する思想


 死んでいく者には生きるための打算はなく、限界状況における生と死の意味付けに真直ぐ向かっている。だが、生き残った者には戦死者の霊さえ世俗的に利用しようとする打算が隠されている。その打算が、次の戦死者を準備する思想となる。


【『戦争と罪責』野田正彰岩波書店、1998年)】

戦争と罪責

ピタゴラスの証明は二重の意味で重要だった

 ピュタゴラスの証明には反駁(はんばく)の余地がない。彼の定理はこの世のすべての直角三角形において成り立つのである。この発見の重大性にかんがみ、神々への感謝のしるしとして100頭の牡牛が犠牲に供されたといわれている。この発見は数学における一つの里程標であり、文明史的に見ても最大級の快挙といえるだろう。それは二重の意味で重要だった。第一に、これによって証明という概念が生み出されたこと。証明された数学的結論は、論理を一歩一歩積み上げることで得られるという意味において、ほかのいかなる真理よりも真である。哲学者タレスはすでに素朴な幾何学的証明をいくつか作り出していたが、ピュタゴラスは証明という概念をさらに推し進めることによって、はるかに独創的な命題を証明してみせたのだった。ピュタゴラスの定理がもつ第二の重要性は、抽象的な数学の方法を具体的なものと結びつけたことにある。ピュタゴラスは、数学的真理が科学の世界にも応用できることを示し、科学に論理的な基礎を与えたのである。数学は、厳密な出発点を科学に与えてくれ、科学者はこの堅固な基礎の上に、厳密にはなりえない測定と、完璧ではありえない観察とを付け加えてゆくのである。


【『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』サイモン・シン青木薫訳(新潮社、2000年/新潮文庫、2006年)】

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)