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2010-07-28

カール・ポパーが生まれた日


 今日はカール・ポパーが生まれた日(1902年)。論理実証主義を批判し、反証可能性を基軸とする科学的方法を提唱した。真理は反証できない。それゆえポパーは「真理発見者」を激しく批判した。方法における科学と非科学の間に太い線を引き、マルクスフロイトを「知的信仰である」と斥けた。


よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

森島恒雄


 1冊読了。


 99冊目『魔女狩り森島恒雄岩波新書、1970年)/8月前半の課題図書。これぞ「ザ・新書」。20年ぶりに読んだが、興奮のあまり「ツイッターで全部つぶやいてやろうかな」と思ったほどだ。抑圧されたものは決して消滅しないとフロイトは説いた。魔女狩りはキリスト教1000年の抑圧がもたらしたものであろう。思うこと多し。魔女狩りの熱狂が起こった13世紀、インドでは仏教が滅び、日本では日蓮が生まれた。魔女狩りは15世紀以降にピークを迎えるが、ルネサンスと軌を一にしていた。日本は戦国時代へ突入。中世暗黒時代は実に18世紀まで続いた。

児童虐待死 6人増え67人に


 児童虐待の増加に伴って、昨年度、虐待を受けて死亡した子どもは64件で67人に上り、前の年度より6人多くなりました。

 厚生労働省の専門委員会が詳しく調べたところ、このうち、0歳の子どもは39人で、全体のおよそ58%を占めています。中でも、生まれたその日に死亡した子どもは16人に上っていました。1歳から6歳までは33%に当たる22人、7歳から12歳までが6%に当たる4人、13歳以上が1人などとなっています。また、母親から虐待を受けた子どもが全体の半数以上の36人と最も多く、次いで父親からの虐待が10人などとなっています。虐待の形態では、暴力を振るわれるなど身体的虐待を受けていた子どもが最も多い44人で、親が育児を放棄するネグレクトだったのが12人でした。子どもが死亡する前に児童相談所や自治体などとまったく接点がなかったケースは、64件のうち14件でした。一方、児童相談所との接点はなかったものの、事前に自治体や医療機関などと接点があったケースは、全体のおよそ44%に当たる28件に上りました。これについて、厚生労働省は「接点があっても虐待を認識できなかったケースが多いので、虐待の兆候をいち早く把握できるよう指導するとともに、児童相談所との連携を強化するよう求めていきたい」と話しています。


NHKニュース 2010-07-28

運とは「間に合う」こと


「間に合う」から外れると、間が抜けて、「間抜け」になります。「間抜け」な状態は運を落とします。間に合っていれば運がいいのです。間に合うには、いつも我が身を「間の中」に入れておくようにすることです。

 勝負事で言うと、「間に合う」とはいわゆる間合いのことになります。間合いとはバランスであり、的を射んとする瞬間のことです。


【『運に選ばれる人 選ばれない人』桜井章一(東洋経済新報社、2004年/講談社+α文庫、2007年)】

運に選ばれる人 選ばれない人 運に選ばれる人  選ばれない人 (講談社+α文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

日蓮宗不受不施派と日奥


日蓮不受不施派」とは、京都の日蓮宗寺院である妙覚寺の19世仏性院日奥(1565-1630)を派祖とする日蓮系の一派をいう。もともとは、不受不施の教えを主張する日奥に共鳴した僧俗のグループで、不受不施派という日蓮宗のなかの一つの派であった。

 しかし江戸時代になると、幕府はこの不受不施派の活動を警戒し、その布教活動を禁止するようになる。そのため、「かくれキリシタン」と同じように地下に潜って秘密教団を形成するようになっていった。ふたたび地上に姿を現して公(おおやけ)に布教活動を行うようになるのは、明治になってからのことである。

 明治9年(1876)、明治政府によって宗名の公称を許されると、岡山県御津(みつ)町の金川(かながわ)に祖山妙覚寺を創立して、「日蓮不受不施派」を公称するとともに、独立した宗派として教団の再興をはかった。これが、今日の日蓮不受不施派である。


【『反骨の導師 日親・日奥』寺尾英智〈てらお・えいち〉、北村行遠〈きたむら・ぎょうえん〉(吉川弘文館、2004年)】

反骨の導師 日親・日奥 (日本の名僧)