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2010-08-31

森本哲郎、ブレヒト


 1冊挫折、1冊読了。


 挫折66『信仰のかたち』森本哲郎(新潮選書、1982年)/知らない人がいるかもしれないので、念のために書いておくが森本毅郎のお兄さんである。この人の文章はわかりやすいのに奥深い味わいがある。これだって、いい本なんだ。ただ私がわがままなだけ。世界各地の宗教遺跡を巡った紀行文風エッセイだ。チト軽すぎますな。読まなきゃならない本が溜まっていて、こんな本を読んでいる場合じゃないんだよ、ってな印象。


 111冊目『ブレヒトの写針詩』岩淵達治編訳(みすず書房、2002年)/初ブレヒト。みすず書房の本は読みやすい。もう少しフォントが縦長で、等幅にしてくれりゃ完璧なんだが。これはめっけものだった。ブレヒトは東独の作家である。もちろん共産主義者。人間を見つめる視点が確かのは、ブレヒトがシステムではなく「こと」を重んじていたためだろう。硬直した市場原理主義者よりも、柔軟な共産主義者の方が共感できる。真の芸術は政治色を超えるというモデルになっている。写真ではなく写針となっているのは、寸鉄を印象づけようとしたものらしい。名言集の類だが、確かに警句の余韻がある。

辞書サイトのリンク変更


 トップページのリンクだが、辞書をgooからexciteに変更した。goo辞書がテキストにコピーガードをしたため。馬鹿丸出し。便利なサイトの不便な仕掛け。まったくNTTらしいわな。ユーザビリティを阻害するサイトは金輪際使わないよ。

『眼と精神』M・メルロ=ポンティ/滝浦静雄、木田元訳(みすず書房、1966年)


眼と精神


 ……メルロは、ためらって言った、《ぼくは多分、自然について書くことになるだろう》。彼は、私の考えの方向を決めてくれようとして付け加えた。《ぼくはホワイトヘッドの中で、自然はぼろ布の中にあるという、驚くべき文章を読んだのだ》。……私は意味がよくわからずに、彼と別れた。その頃私は《弁証法唯物論》を研究していたから、《自然》という言葉は、私には、われわれの物理・化学的認識の総体を想い起こさせた。……私は、彼の考える自然が、感覚的世界、われわれが物や動物に出会ったり、自分自身の身体や他人の身体に出会ったりする《思いっきり広範な》世界のことだということを忘れていたのだ。それがわかるには、彼の最後の論文『眼と精神』の出版を待たねばならなかった。

イスラム指導者攻撃は違憲と提訴 人権団体が米政府を


 有力人権団体の全米市民自由連合(ACLU)は30日、米軍や米中央情報局(CIA)が国際テロ組織アルカイダを支持するイスラム指導者アンワル・アウラキ師の殺害を狙っていることについて、憲法や国際法に違反するとして米政府を提訴した。

 アウラキ師は米国出身。イエメン潜伏中とされ、昨年12月の米デルタ機爆破未遂事件で起訴された被告に犯行指示を出すなどしている。

 ACLUは、無人攻撃機などで戦場から離れた人物の殺害を図るのが憲法などで許容されるのは「具体的で切迫した脅威があるとき」に限定されると指摘。

 アウラキ師は米政府に訴追されておらず「適切な司法手続きや、公開された基準なしに(軍などに)殺害権限を与えるのは違憲かつ違法で非米国的だ」とした。アウラキ氏の父に代わって提訴したという。

 ロイター通信によると、米司法省は「殺害を伴う作戦を含め、米軍の作戦はすべて法を順守している」と反論した。


47NEWS 2010-08-31

自民党が権力の座を維持してこられた本当の理由


 自民党が権力の座を維持してこられた本当の理由は、ゲリマンダー、すなわち自党に有利な選挙区の改変・維持にある。自民党に必要な全投票数の約48パーセントを確保するために金をばらまき、そして、農村地域の基盤(インフラストラクチャー)整備をすすめるには自民党の候補者を選ぶしかないという口上を、地元の有権者にくり返したたき込む作戦である。自民党によって作り出された今の地方の状況からいうと、実に的を射たくどき文句である。制度的に地方自治体は、中央官僚によって割り当てられる一連の補助金に大きく依存している。この補助金制度は、公平な規則によって運用されているわけではない。割り当てる側の中央省庁の役人との間をとりもってもらうのに、政治家が必要になる。そして、自民党の政治家が、唯一ではないまでも、いちばんのコネを持っている。そこで、自民党の政治家は、地元有権者の欲する公共事業に必要な予算を割り当てる官庁担当者とつながりがあることを、選挙運動の目玉として強調する。不正な選挙運動に手をかすのは、中立がたてまえの農協、おびただしい数の建設会社、そして自社の施設を事実上の選挙事務所に提供するその下請け企業である。


【『日本/権力構造の謎』カレル・ヴァン・ウォルフレン/篠原勝訳(早川書房、1990年/ハヤカワ文庫、1994年)】

日本 権力構造の謎〈上〉 (ハヤカワ文庫NF) 日本 権力構造の謎〈下〉 (ハヤカワ文庫NF)

アンベードカル「私には宗教が必要だ。しかし宗教の名に隠された偽善はごめんだ」


「私の内の良きもの、社会に役立っている私の教育の全ての根本には、宗教的感情が横たわっている。私には宗教が必要だ。しかし宗教の名に隠された偽善はごめんだ」


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール山際素男訳(三一書房、1983年/光文社新書、2005年)】

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

野茂英雄が生まれた日


 今日は野茂英雄が生まれた日(1968年)。日本人二人目のメジャーリーガー。渡米する際はマスコミ各社、球団関係者から罵詈雑言を浴びた。年俸は1.4億円から980万円になるも新人王・奪三振王を獲得。熱狂的なファンを生み、ストライキで失われかけた大リーグ人気を取り戻す救世主となった。

僕のトルネード戦記 (集英社文庫) 完全保存版野茂英雄1990-2008


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2010-08-30

川はどこにあるのか?


 川を見る。次から次へと流れ去る水を見つめる。川はどこにあるのだろう? 川を自宅に持ち帰ることはできない。とすると川に実体はないのだろう。水が干上がれば、それは川ではない。つまり川が流れているのではなく、流れそのものが川なのだ。私の目の前にあるのは「川という現象」だ。


 打ち上げ花火を見る。一筋の光が天を目指し、爆発する。地面を揺るがす音と共に七色の炎が放射状に広がる。光の雫は重力に抗えず、垂れかかった涙のように闇の中へ消えてゆく。夜空に花火の残像が浮かぶ。花火もまた現象である。


 花を見る。やがて花は枯れる。遂に跡形もなくなる。花という現象。人を見る。人の一生を見る。やがて人は死ぬ。骨も消え去る。人という現象。私も川も現象である。実体はない。あるのは流動性だけ。変化こそ本質である。これを諸行無常という。

タレーラン「愛国心は悪人の最後の逃げ場」


 謀略外交で有名な19世紀フランスの外交官タレーランは、「愛国心は悪人の最後の逃げ場」と述べたというが、それは現代にも当てはまる。


【『北方領土 特命交渉』鈴木宗男佐藤優(講談社、2006年/講談社+α文庫、2007年)】


 元々はサミュエル・ジョンソンの言葉かもしれない。

北方領土「特命交渉」 北方領土 特命交渉 (講談社+α文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

天極


 いくら目隠しをされても己は向く方へ向く。

 いくら廻されても針は天極をさす。(「詩人」)


【『高村光太郎詩集』高村光太郎(岩波文庫、1981年)】

高村光太郎詩集 (岩波文庫)

林則徐が生まれた日


 今日は林則徐が生まれた日(1785年)。清国はアヘンにまみれていた。腐敗しきった官僚は商人からアヘンの一部をせしめていた。林則徐がこれを一掃。イギリス商人のアヘンを没収し1400トンを焼却処分。林則徐からの貿易拒否によって英国は阿片戦争を起こす。この時、英議会で反対したのはグラッドストンだった。

林則徐―清末の官僚とアヘン戦争 (中公文庫) 林則徐

2010-08-29

患者支援団体の多くが製薬業界から資金提供を受けている

 製薬会社が向精神薬の市場を拡大させるためにとる方策の一つに、さまざまな患者支援団体を支援して、患者に薬物療法を勧めるやり方がある。全米精神障害患者連合、全米精神障害者連合、全米うつ病躁うつ病協会、全米うつ病財団、全米精神保健協会、神経症を治す会、強迫性障害財団、米国恐怖症協会、米国統合失調症協会、注意欠陥障害の大人と子どもの会等、たくさんの団体がある。こうした患者支援団体は、その影響力で製薬会社の宣伝資料を引き立てる役割を果たしている。

 患者支援団体の多くが、製薬業界から資金提供を受けている。こうした団体はその資金を利用して新聞や雑誌に広告を出したり、その他の手段により情報提供を行うことが可能になっている。通常、患者支援団体の資料は薬物療法に好意的であり、人々に薬の使用を薦めている。その際、薬の有効性やその科学的基礎が誇張されることも往々にしてある。


【『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン/功刀浩〈くぬぎ・ひろし〉監修、中塚公子訳(みすず書房、2008年)】

精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構

第二次世界大戦の命運を分けた人脈−チャーチル、イントレピッド、ルーズベルト/『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』菅原出

 人が歴史を動かすのか、あるいは歴史が人を育むのか。いずれにしても歴史の先頭に立つ人物が必ずいるものだ。時代の寵児(ちょうじ)、歴史の申し子、世界地図を塗り替えた男達が……。


 第二次世界大戦の命運を分けたのはイギリスのウィンストン・チャーチルだった。


 まずドイツを取り巻く米英の人物相関図を見てみよう──


 このW・A・ハリマン商会で活発にドイツ債を商ったのが、ジョージ・W・ブッシュ現アメリカ大統領の祖父プレスコット・ブッシュであった。プレスコットはローランド・ハリマンのエール大学時代の学友で、1926年5月にW・A・ハリマンの副社長として迎え入れられた。プレスコット・ブッシュはブラウン・ブラザース・ハリマン商会では執行役員になり、同社の経営に大きな影響力を持つようになった。

 こうしたウォール街の超エリートたちは、ドイツ・ビジネスを通じて政財界に広範な人脈を築き、こうしたネットワークを通じて膨大な知識と情報(インテリジェンス)をもって、以降数十年間にわたり、アメリカ政府の対独政策に大きな影響を与えていくのである。


【『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』菅原出〈すがわら・いずる〉(草思社、2002年)以下同】


 パパ・ブッシュではなくグランド・パパ・ブッシュ(笑)。で、アメリカってえのあ、元々移民の国なわけで、そのルーツはヨーロッパにある。ブッシュ家は折り紙つきの名家らしい。血統書つきのヒトってわけだよ。

 チャーチルと縁戚関係に当たるという指摘もあるが、ブッシュ爺さんはドイツにテコ入れしていた。


 この流れ(イギリスのドイツに対する宥和政策)が180度変わるのは、ウィンストン・チャーチルが首相の座に就いてからのことである。この反ナチス強硬派の政治家が政権を奪取するまでには、イギリス政界内ですさまじい権力闘争が繰り広げられ、チャーチルはやっとの思いで1940年5月10日に首相の座にたどり着く。そしてこの日が、英独全面対決のはじまりの日となったのである。

 政権を握ったチャーチルは、まずイギリス国内の宥和派、親ナチス派を、あらゆる手段で徹底的に攻撃し、対独全面戦争に向けてイギリス国内をまとめあげていくのである。


 ポイントその一──反ナチスの言い出しっぺがチャーチルであるという事実。イギリスは決して一枚岩ではなかったのだ。


 アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディの父親ジョセフ・P・ケネディは、長い間ウィンストン・チャーチルにとって目の上の瘤(こぶ)であった。ケネディはヒトラーの大ファンになり、イギリスやアメリカに根を張る親ナチス派の間に広範なネットワークを築いていたからである。


 ポイントその二──アメリカのエスタブリッシュメントの多くがヒトラー率いるナチスドイツを経済的に支援していたという事実。政治的道義は問われていなかった。


 さらに驚くことに、数多くの反戦・平和団体までがナチスや親ナチス派企業によって密かに支援を受けていた。その代表的なものが、ニューヨークのワールド・ピースウェイズだ。この団体は戦争反対のスローガンを高々と掲げて市民運動を展開し、女性や子供が戦争によって無惨にも被害にあう様子を写真入りのパンフレットで掲載し、戦争の悲惨さと参戦への反対を強く訴えていた。同団体が配付したパンフレットには、「私を戦争に送るのかどうかについて、もう少し慎重になってほしい。私だったらあなたのことを戦場に送ったり、死なせたりするのはまっぴらだし、それに、後でまた間違いを犯してしまったということで後悔したくないから……」というメッセージが記載されていた。

 こうした平和のメッセージを大量生産したワールド・ピースウェイズの運動員の多くは、戦争を心から憎む誠実な市民だったにちがいない。しかし彼らの活動資金は、「ヒトラーのもっとも重要な財産」であるIGファルベン社から出ていた。


 この手口は現在、製薬メーカーが引き継いでいる。

 ま、マーケティングの走りなのだろう。その根っこはプラグマティズムにある。風が吹けば桶屋が儲かるという図式だ。米国内で反戦運動の機運が高まればアメリカは参戦せず、というわけ。


 ここでチャーチルは一人のスパイに命運を託す──


 第一次世界大戦後、イギリスはウィリアム・ワイズマン卿というスパイをアメリカに送り、アメリカを戦争に引き込むためのプロパガンダ、情報活動を行なわせたが、チャーチル首相はこの先達(せんだつ)の例にならい、ウイリアム・S・スティーブンソン、暗号名で「イントレピッド」と呼ばれたカナダ生まれの紳士を、アメリカ合衆国に送り込んだ。

「イントレピッド」は当時44歳の実業家で、1930年代までに数多くの事業で成功を収めた億万長者であった。彼はしかしたんなるビジネスマンではなかった。商用でヨーロッパ中を飛び回っては、現地でせっせと情報収集をし、イギリスの情報機関に情報を提供する役割も果たしていたのである。


「イントレピッド」は「アメリカを参戦させる」という究極の目的のために、スパイを送り込み、郵便物を操作し、電話を盗聴し、プロパガンダ活動を行ない、敵の集会を妨害し、密かに新聞、ラジオやさまざまな組織に資金を投入して情報を操作し、偽造文書を捏造する等々、ありとあらゆる活動を展開していくわけだが、その活動を全面的にサポートしてくれるアメリカ人に恵まれた。他ならぬルーズベルト大統領である。ルーズベルト大統領は強硬な反ナチス思想の持ち主で、「イギリスを助けるためにできるかぎりの援助をしたい」と考えていた。そこで大統領は、「イントレピッド」の活動をサポートするために惜しみない援助の手を差し伸べたのである。


「イントレピッド」はまた、ボストンに拠点を置く短波ラジオの放送局WRULにも資金援助を行なった。このラジオ局は、協力な5万ワットの短波送信機を持ち、世界中に多くのリスナーを抱えていた。「イントレピッド」は密かに毎月WRULに資金援助をし、この放送局をイギリスのプロパガンダの道具に変身させた。そして『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙等の大新聞と同様、このラジオ放送局も反ナチスのプロパガンダ放送を大量に流すようになった。


 いわゆるやらせ写真がSOE(※イギリス特殊作戦部)によって大量生産され、それがアメリカの「イントレピッド」のもとに送られ、「ナチスの残虐行為」として全米のメディアに配信されたのである。


 つまり、イントレピッドがアメリカを第二次世界大戦に巻き込んだのだ。実質的には一人のスパイが連合国の勝利を決定づけたことになる。信じ難い話ではあるが。


 政治が経済を押し切った格好となった。当時のデータを見ると一目瞭然だが、イギリスよりもドイツの方が優勢であった。国力ではイギリスに勝ち目がなかった。チャーチルは何が何でもアメリカを戦争に引きずり込む必要があった。


 更に日本軍の真珠湾攻撃をいち早く知ったチャーチルが、ルーズベルトに情報提供した可能性もあるという。


 脚本:チャーチル、主役:イントレピッド、脇役筆頭:ルーズベルト、ってわけだ。


 しかしこの関係はルーズベルトの死によって終わりを告げる。第二次大戦はチャーチルの思惑通りに運んだが、ドイツの戦後処理についてはアメリカの親ドイツ派エリートが牛耳った。資本主義においては「儲ける」ことが正義なのだ。


 驚くなかれ。戦争に勝利したアメリカはドイツから技術や人を盗み取って、戦後の発展を遂げたという。技術者の戦争犯罪は不問に付した。


 世界の歴史は複雑そうに見えて、実は単純な原理で動いているのかもしれない。

文庫 アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか (草思社文庫)

沖縄県立西原高校マーチングバンド


 いやはや、こりゃ凄い。感度した! 一度だけマーチングバンドのコンサートに行ったことがあるが、桁外れの空気振動にビビった覚えがある。一糸乱れぬ点ではシンクロといい勝負だ。


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無関心な態度が凶暴な行為を支える


 そして、感じるべきは同情だけではない。感じるべきはそれだけではなく、もっと大きいものだ。それは、同罪であることだ。なぜなら、ドイツ人は、おのれの無関心な態度により、この凶悪な人間どもがあのような行為を行なうことを可能にしたのだから。(※白バラのビラII)


【『「白バラ」尋問調書 『白バラの祈り』資料集』フレート・ブライナースドルファー編/石田勇治、田中美由紀訳(未來社、2007年)】

「白バラ」尋問調書―『白バラの祈り』資料集

富の再分配と貧困の再分配


 日本企業が一斉に売り出した開発物件の中から、不当に低評価を与えられたものを、こまめに爪で拾うようにして買い漁ったのが、香港、マレーシア、シンガポール系の資本であった。ひどい例だと、開発費用の20分の1程度の値段で買い取られたものもあった。「富の再分配」である。いいことだ。「富の再分配」が「貧困の再分配」(これをわたしは「貧困の近代化」と呼んでいる)に結びつかない限りにおいては、まことに恭賀の至り。


【『無境界の人』森巣博〈もりす・ひろし〉(小学館、1998年/集英社文庫、2002年)】

無境界の人 (集英社文庫)

ジョン・ロックが生まれた日


 今日はジョン・ロックが生まれた日(1632年)。イギリス経験論の父。人間は観念を生まれつき持っているという生得説を批判して観念は経験を通して得られると主張し、いわば人間は生まれた時は「タブラ・ラサ」(白紙)であり、経験によって知識が書き込まれるという有名な説を主張した。

統治論 (中公クラシックス)

2010-08-28

だまし絵から探る視点と正義


「婦人と老婆」と題した有名な錯視画像がある。ザ・だまし絵ともいうべきもので、初めて見た時は腰を抜かしそうになった。もう20年以上前のこと。


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 画面中央の右上部分を「耳」と見れば後ろ向きの乙女で、「目」と見ればうつむき加減の老婆に見える。これぞパラダイムシフト。


 最近、ツイッターで「正義」についてやり取りしているのだが、この錯視画像を通して考えてみたい。


右翼「お前な、この絵はどう見たって老婆だよ。現実から目を逸らすな」

左翼「いや君は間違っている。これは断じて乙女の絵だね。労働者の勝利を見つめている」


 双方主張を譲らず。何と言っても恐ろしいのは、相手に見えているものが自分には見えていないという現実だ。それどころか視点を動かそうともしない。これを固定観念という。


 と、そこへ次々と色々な人がやってくる──


心理学者「これは“だまし絵”といって、視点をずらすことで老婆にも乙女にも見える仕掛けがあるのですぞ」

科学者「冗談言っちゃいけません。紙も絵の具も元をただせば原子です。そして色というのは光の反射です。視覚と脳あるいは物質と光など、テーマによって問題の本質が異なる」

プログラマー「そうは言っても所詮デジタル画像ですから“点の集まり”に過ぎませんよ。コンピュータが電気信号を二進法で演算処理しているだけのこと」

哲学者「そもそも“存在”をどのように捉えるかが問われているのですよ」

宗教者「ただ祈りなさい。あなたに祝福が訪れますように」


 話はまとまらない。皆が皆、「正しいのは自分だ!」と口角泡を飛ばして、今にも胸ぐらをつかまえようとする勢いだ。そこへ少年が通りかかった──


小学生「ヘエー、面白いな! 老婆にも乙女にも見える絵だなんて」


 一枚の絵を巡る争い。我々人類は一枚の絵を皆で楽しむことすらできない。まして、国家や民族、神や仏が絡んでくれば闘争の度合いは深刻さを増す。


 正義は自分の視点に固執することなのだろう。だとすれば、正義を主張するよりも我々は瞑目すべきなのだ。そして静かに相手の話に耳を傾けることができれば、今まで見えなかったものが、きっと見えるようになるはずだ。


 クリシュナムルティは「比較があるとき、善は消えるのです」(『あなたは世界だ』)と語っている。そして次のようにも言っている──


 知性は不正行為、殺害、戦争を合理化します。それは善を、悪の正反対のものとして定義します。しかし善には、反対のものはありません。もし善が悪に関係しているのなら、善はそのなかに悪の種子を有していることになるでしょう。そうなると、それは善ではなくなります。しかし知性は、それ自体の分裂させる能力のために、善の豊かさを理解することはできません。


【『学校への手紙』J・クリシュナムルティ/古庄高〈ふるしょう・たかし〉訳(UNIO、1997年)】


 正義=善ではない。正義は敵対関係の中で反転する。我々の正義は敵からすれば不正義となる。泥棒にとっては盗むことが正義である。それはそのまま市民にとって不正義となる。


 正義は対立概念である。「善に対立するものはない」というクリシュナムルティの指摘はあまりにも重い。そして善は固定観念ではなく、生の中で脈々と流れる営みなのだろう。独りだけの善もあり得ない。善は関係性の中で発揮されるからだ。


学校への手紙


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「Rising」吉田兄弟


 三味線の可能性を広げたという一点でこの曲は評価できる。ま、邪道すれすれではあるが(笑)。


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Rising

栄誉を退ける知性−福澤諭吉


 細川のいうに「ドウしても政府においてただ捨てて置くという理屈はないのだから、政府から君が国家に尽した功労を誉めるようにしなければならぬ」と言うから、私は自分の説を主張して「誉めるの誉められぬのと全体ソリャ何のことだ、人間が当り前の仕事をしているに何も不思議はない、車屋は車を挽(ひ)き豆腐屋は豆腐を拵(こしら)えて書生は書を読むというのは人間当り前の仕事をしているのだ、その仕事をしているのを政府が誉めるというなら、まず隣の豆腐屋から誉めて貰わなければならぬ、ソンナことは一切止(よ)しなさい」と言って断ったことがある。


【『新訂 福翁自伝』福沢諭吉/富田正文校訂(岩波文庫、1978年)】

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

天才とは集中力の達人


 天才の心の中にひそむ、炎のような情熱と創造への意志は、それ自体ひとつの謎であり驚異でもあるが、これを現実の偉大なる業績に結びつけたものは、彼らの精神が持つ、極度の集中力であった事は間違いない。いわば“天才”とは、集中力の達人と言い換えてもよい。


【『集中力がつく本』多湖輝〈たご・あきら〉(ゴマブックス、1981年)】

集中力がつく本

ゲーテが生まれた日


 今日はゲーテが生まれた日(1749年)。1808年にナポレオンと歴史的対面を果たしている。『若きウェルテルの悩み』の愛読者であったナポレオンはゲーテを見るなり「ここに人有り!(Voila um homme!)」と叫んで感動を表した。知能指数210の天才だった。

ファウスト 第一部 新訳決定版 (集英社文庫ヘリテージシリーズ) ファウスト 第二部 新訳決定版 (集英社文庫ヘリテージシリーズ) ゲーテ格言集 (新潮文庫)

2010-08-27

だまし絵の不思議


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  • 騙される快感/『錯視芸術の巨匠たち 世界のだまし絵作家20人の傑作集』アル・セッケル

赤ちゃんからの働きかけによって芽生える母性本能


(メスチンパンジーの)アイもクロエもパンも、出産しただけでは「母」にはなれなかったのである。赤ん坊の側から「しがみつく」「吸いつく」というはたらきかけと人間の介助があって、初めて「母性」が芽生えたのだ。

 松沢(哲郎)は、「子育ては種族繁栄の基本的な行為なのに、本能に組み込まれていない。それは、子育ては子どもの個性に対応してやる必要があるから、あらかじめ決められた一つの方法ではかえって不都合が生じるからかもしれない」と考えている。


【『子供の「脳」は肌にある』山口創〈やまぐち・はじめ〉(光文社新書、2004年)】

子供の「脳」は肌にある (光文社新書)

聖書の解釈権はローマ法王にしか存在しなかった


 かつてキリスト教における聖書の解釈権は、ローマ法王にしか存在しなかった。プロテスタンティズムは、この解釈権を個人が自由に持つための運動だった。アメリカでは、かつての聖書の解釈権を独占した法王のように、アメリカ民主主義の解釈権をアメリカ大統領が独占しているという構図になっている。聖書の解釈権さえ、大統領が持っているのではないかと感じさせたのがイラク戦争だった。本来、イスラム教やキリスト教は平和な宗教である。それがテロを起こしたり、戦争を起こしたりするのは、十字軍の時代からプリンシプルを具象へ適用する解釈権が、政治権力に集中してきたからである。少なくとも民主主義のもとでは、特定の権力にプリンシプルの解釈権が集中するのは、国民の大半が支持するからである。怖いのは、国民の大半の支持が何らかの洗脳的手法により、その解釈が正しいと思わされている場合である。


【『洗脳護身術 日常からの覚醒、二十一世紀のサトリ修行と自己解放』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(三才ブックス、2003年)】

洗脳護身術―日常からの覚醒、二十一世紀のサトリ修行と自己解放

ヘーゲルが生まれた日


 今日はヘーゲルが生まれた日(1770年)。彼の講座は絶大な人気を誇るようになり、同じ時間にショーペンハウアーが講座を開いたが、一人の出席者もないほどであった。ナポレオンがイェーナに入城し、それをヘーゲルは見た。ヘーゲルはこの時のことを「世界精神が馬に乗って通る」と表現している。

精神現象学 (上) (平凡社ライブラリー (200)) 精神現象学〈下〉 (平凡社ライブラリー) 歴史哲学講義 (上) (岩波文庫) 歴史哲学講義〈下〉 (岩波文庫)

宮沢賢治が生まれた日


 今日は宮沢賢治が生まれた日(1896年)。尋常小学校時代、罰として水を満杯にした湯呑を持って立たされていた生徒を見かねた賢治は、辛かろうと言ってその場で水を飲み干してしまった。賢治の作品はいったん完成した後でも徹底して手を加えて他の作品に改作することが珍しくなかった。

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新編 風の又三郎 (新潮文庫) 新編銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

2010-08-26

河合隼雄と村上春樹の対談に感じる違和感/『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』河合隼雄、村上春樹


 ここのところ、ツイッターにて「ヘタレ神学研究者」を名乗る氏家法雄〈うじけ・のりお〉さんと意見交換をしている。氏家さんは大学の非常勤講師をされていて、非常勤の意味はアウトロー、渡世人といった感じだ(笑)。更に肝臓を痛めつけることを日課にしている(笑)。


 知的スリリングに溢れたツイートを連発して、私の小さな脳味噌はドラム型洗濯機に入れられた状態と化す。


 昨日のことだが氏家さんがブログで紹介した河合隼雄×村上春樹の対談に、私は猛烈な違和感を覚えた。我が思考は解答を出していないものの、「待て」と黄色信号が点灯した。


 何なんだろう? 私が感じるモヤモヤ、嘘の臭いは何に由来しているのだろう? ちょっとつかみどころがないので、書きながら考えることにしよう。

 で、断っておくが私は古本屋でありながら村上春樹を読んだことがない。河合隼雄は何冊か読んでいる。先に白状しておくと、私は村上の卵みたいな顔と河合の草履みたいな顔が好きじゃない。これから書くことは好き嫌いの感情に捉われている可能性がある。


 以下、引用は全て氏家ブログによる。


村上春樹●ぼくは昔から、あらゆる風俗は善であると思っているんです。いや、善というのではなく、ナチュラルというのかな、すべて起こるべくして起こるのであって、いい悪いの問題ではないと思っているのです。たとえばいまの若い人がぜんぜん根性がないといって怒る人がいるけれども、もしそうだとしても、それはいい悪いの問題ではなく、そうならざるをえなかったからなっているんだと思うんです。


【『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』河合隼雄、村上春樹(岩波書店、1996年/新潮文庫、1998年)】


 村上は進化論的適応を善悪で語ってしまっている。淘汰圧という前提を不問に付している。こんな論理がまかり通るなら、魔女狩りも正当化できてしまう。更にはあろうことか「善である」とした後で、「いい悪いの問題ではない」と引っくり返している。


 例えば「根性」を「大胆」に置き換えると、以下のテキストが参考になる――


 グッピーを、コクチバスと出会わせたときの反応によって、すぐ隠れる個体を「臆病」、泳いで去る個体を「普通」、やってきた相手を見つめる個体を「大胆」と、三つのグループに分ける。それぞれのグループのグッピーたちをバスと一緒に水槽に入れて放置しておく。60時間ののち、「臆病」なグッピーたちの40パーセントと「普通」なグッピーたちの15パーセントは生存していたが、「大胆」なグッピーは1匹も残っていなかった。


【『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ/長谷川眞理子、長谷川寿一、青木千里訳(新曜社、2001年)】


 つまり、戦時においては大胆な人ほど死んでしまう可能性が高いのだ。だから進化的優位性を保ちたいのであれば、「戦時は臆病」「平時は大胆」というのが正しい生き方となる(笑)。じゃあ現代はどうなのか? やっぱり戦時でしょう。戦争こそしていないものの、いじめ、幼児虐待、振り込め詐欺、パワハラ、セクハラなど、小さな戦争があちこちで繰り広げられている。戦争状態が希釈され透明化しているのだ。


村上●ぼくが日本社会を見て思うのは、痛みというか、苦痛のない正しさは意味のない正しさだということです。たとえば、フランスの核実験にみんな反対する。たしかに言っていることは正しいのですが、誰も痛みをひきうけていないですね。


 じゃあ、痛みを引き受ければいいと言うのか? 村上よ、本気でそう言っているのか? 私から質問させてもらおう。ルワンダツチ族が叫んだ声はなぜ届かなかったんだ?

村上●僕は村上龍というには非常鋭い感覚を持った作家だと思っているのです。彼は最初から暴力というものを、はっきりと予見的に書いている。


 村上はアラブ文学を読むべきだ。暴力の文学性は中東に極まるのだ。

  • 暴力が破壊するもの 1/「黒い警官」ユースフ・イドリース(『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20 中国・アジア・アフリカ』所収)
  • 暴力が破壊するもの 2/「黒い警官」ユースフ・イドリース(『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20 中国・アジア・アフリカ』所収)
  • 暴力が破壊するもの 3/「黒い警官」ユースフ・イドリース(『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20 中国・アジア・アフリカ』所収)
  • パレスチナ人の叫び声が轟き渡る/『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー

 氏家さんはこう締めくくっている――


 痛みをひきうけつつ、人間の匂いを払拭した形ではないところからしか、本当の意味での非暴力は立ち上がらない……そんなことを思案した次第です。


 だが非暴力という思想は、暴力と相対する位置にしか存在しない。非暴力は暴力に依存している。

 では、どうすればいいのか? 氏家テキストにもある通り、「痛みをひきうけつつ」痛みの中で生きるしか道はないだろう。


 戦争や暴力性をつきつめていけば、マネーや集団といったものが実は暴力であることに気づく。そして暴力を完全に否定する生き方は、「出家」というスタイルでしか表明することができない。出家とは世俗の欲望から去る行為であるが、欲望が尖鋭化するところに暴力が立ち現れるのだ。


 更に、出家しつつ単独であらねばならない。

 何だか全然まとまらないが、ま、そういうことなんだ(笑)。チト面倒だが、無痛文明論でも読むとするか。


村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫) 無痛文明論

『奇跡の夢ノート』石黒由美子(NHK出版、2010年)


奇跡の夢ノート


「シンクロでオリンピックに出る!」――交通事故で瀕死の重傷を負ったベッドで、少女は「夢ノート」に綴る。眼球打撲による網膜剥離、失明の危機、三半規管にも障害が残りまっすぐに泳げない。ましてや水中での回転や倒立は到底不可能。顔には傷跡が残り友達から「フランケン」と呼ばれた。しかし、日々の目標を「夢ノート」に記し、ひとつひとつ達成していった彼女に、17年後ついに奇跡が……。


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史実にこだわると人物像が痩せ細ってしまう


 そこでふつうは、まず、その人物について言及している資料から、さまざまな傍証を考慮しながら史実を抽出することになる。これはまことにその通りでなければならないわけで、後世の熱烈な信奉者の手になる捏造(ねつぞう)や神話化を、そのまま鵜呑(うの)みにしているようでは、もちろん話にならない。

 しかし、ここには一つの大きな落とし穴がある。それは、その人物が古い時代の人であればあるほど、また、世俗的な権力の中枢から遠い所に位置する人であればあるほど、確かな証拠に乏しくなり、厳密な史実というものにあまりにこだわりすぎりると、その人物像は見る影もなく痩(や)せ細ってしまうということである。また、それほどでなくとも、その人物の魅力が大幅に失われてしまうことは間違いない。


【『日本奇僧伝』宮元啓一(東京書籍、1985年/ちくま学芸文庫、1998年)】

日本奇僧伝 (ちくま学芸文庫)

ルワンダは腐臭に覆われた


 二人の姉妹は、南への道で、あまりにたくさんの死体が道路に転がっていたので、それが死体だったと気づくまでに時間がかかったほどだと言いました。

「ものすごくたくさん。それがうずたかく積み重なっているので、私たち、はじめは何かぼろきれの山かゴミだと思ったんです。でも近づいて、窓を開けてみた時、何だかわかりました。車のエンジンの音よりもハエがブンブン言う音の方が大きかったのです。

 そして、何百という犬が死体を食べていたんです。争いながら。気持ちが悪くなりました。国じゅうが腐った肉の匂いでいっぱいなんです」


【『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン/堤江実訳(PHP研究所、2006年/PHP文庫、2009年)】

生かされて。 生かされて。 (PHP文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

マザー・テレサが生まれた日


 今日はマザー・テレサが生まれた日(1910年)。生誕100周年。カトリックの修道女で「神の愛の宣教者会」の創立者。「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことを目的とした。

マザー・テレサ語る マザー・テレサ 愛と祈りのことば (PHP文庫) マザーテレサ あふれる愛 (講談社文庫)


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2010-08-25

『もっと!らくらく動作介助マニュアル 寝返りからトランスファーまで』中村恵子監修、山本康稔、佐々木良(医学書院、2005年)


 これはオススメ。岡田慎一郎著『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』よりもはるかにいい。身体障害者体位変換および移動に関して私はプロ級の腕前だが(ナース、ヘルパーで私より上手い人を見たことがない。また実際に大学病院のナースに移動法を教えることが度々ある)、80点をつけられる内容だ。


 素人であれば掲載されている写真をを見ただけではわかりにくいと思うが(付属のDVDがあるので安心されよ)、非常に重要な動作を数多く紹介している。介護現場に携わるヘルパーや家族の大半は往々にして腰痛に悩まされる羽目となる。これは移動方法を知らないためだ。力任せに扱えば、要介護者にも負担がかかる。


 日本は既に超高齢社会(総人口に占める65歳以上人口が21%超)となった(2007年)。親や伴侶をいつ介護する立場になるかわからない。その意味でも一家に一冊は用意すべき書籍であると思う。


 介護が必要になってからやるのではなく、健康な夫婦であっても移動法は身につけておいた方がよい。これが本当の「転ばぬ先の杖」である。特に要介護者が太っていると、家族の身体的負担は極めて大きい。


 なかんずく老々介護ともなれば、無理な体勢から転倒してしまい骨折するケースも十分考えられる。寝たきりになる最大の要因は骨折なのだ。特に婦人の場合、尻もちをついただけで背骨を圧迫骨折することが多い。


「賢い介護」ができるかどうかで、家族の幸不幸が左右されるといっても過言ではない。ほんの少しの知識によってお互いの負担を減らすことができるのだ。


 残りの20点は、まだ他の移動法があること、更にトイレや風呂への介助法が紹介されていないことなど。

  • 頑張らない介護/『カイゴッチ 38の心得 燃え尽きない介護生活のために』藤野ともね

もっと!らくらく動作介助マニュアル―寝返りからトランスファーまで

精神科医を診断する自閉症患者


 どうしてもわからないのは、彼らのほうがどこまで理解していないかだ。正常者(ノーマル)たちが。本物たちが。学位を持ち、デスクの前のかけ心地のよい椅子にすわっているひとたちが。

 彼女(※精神科医)がなにを知らないか私はすこしは知っている。私が文字を読めることを彼女は知らない。私の症状が、ただ言葉を機械的にくり返しているハイパーレクシアであると思っている。彼女が機械的な言葉のくり返しと名づけていることと、彼女が本を読むときの機械的な言葉のくり返しとのあいだにどんなちがいがあるのか私にはよくわからない。私が豊富な語彙を持っていることを彼女は知らない。あなたの仕事はなんですかと彼女が尋ね、まだ製薬会社に勤めていますと私が答えるたびに、製薬という言葉の意味を知っていますかと彼女は訊く。私が機械的に言葉をくり返しているのだと彼女は思いこんでいる。彼女が言葉の機械的なくり返しと名づけているものと、私がたくさんの言葉を使うことと、どうちがいがあるのか私にはよくわからない。彼女はほかの医者や看護婦や技師たちと話すときはたくさんの言葉を使って、もっと簡単に言えるようなことをながながと話している。彼女は、私がコンピュータの仕事をしていることを知っている。私が学校に通ったことも知っている。それなのに、私がほとんど読み書きができず、かろうじて言葉を発することができるにすぎないと彼女が信じていることと、それは矛盾するということが彼女にはわかっていない。


【『くらやみの速さはどれくらい』エリザベス・ムーン/小尾芙佐〈おび・ふさ〉訳(早川書房、2004年/ハヤカワ文庫、2008年)】

くらやみの速さはどれくらい (海外SFノヴェルズ) くらやみの速さはどれくらい (ハヤカワ文庫 SF ム 3-4) (ハヤカワ文庫SF)

(※左が単行本、右が文庫本)

本村洋の覚悟


(※第一審)判決言い渡しの後、近くで記者会見が場が設けられました。そこで本村洋さんはこのように述べました。

「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します」


【『裁判官が見た光市母子殺害事件 天網恢恢 疎にして逃さず』井上薫文藝春秋、2009年)】

裁判官が見た光市母子殺害事件―天網恢恢 疎にして逃さず

チキンラーメン誕生の日


 今日はチキンラーメン誕生の日(1958年)。インスタントラーメンの元祖。これ以降、中華そばをラーメンと呼ぶようになる。日清食品創業者の安藤百福〈あんどう・ももふく〉が妻の作る天ぷらをヒントに瞬間油熱乾燥法を編み出した。2009年の即席麺消費量は915億食。

魔法のラーメン発明物語―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)

2010-08-24

ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治


 1冊読了。


 110冊目『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治(NHK出版、2007年)/地獄を知る二人が対談した番組を書籍化したもの。実に素晴らしい内容だ。非常に高度で実践的な平和論が語られている。伊勢崎は聞き役に回っているが鋭い質問を突きつけている。ダレールはルワンダからカナダへ戻った後で自殺未遂をしていた。現在は上院議員を務める。国家主権を超える「保護する責任」という概念を初めて知った。既に国連世界サミットで採択されている。カナダはPKO発祥の国だそうだ。唯一の瑕疵は90ページあまりしかないのに980円は高い。ムックの体裁にすべきだ。

ボードリヤールの真情


 世界は錯乱的な状況にむかっているのだから、われわれも錯乱的なものの見かたにむかわなくてはならない。


 極限で苦しむより、極端なことをして滅びたほうがよい。


【『透きとおった悪ジャン・ボードリヤール塚原史〈つかはら・ふみ〉訳(紀伊國屋書店、1991年)】

透きとおった悪

不明確な文章は不明確な思考から生まれる


 えせプロである確かなしるしのひとつは、文章が不明確でわかりにくいことだ。不明確な文章は不明確な思考から生まれる。ほんもののプロなら、込み入ったアイデアを明確にわかりやすく説明することができるはずだ。

 えせプロによく見られるもう一つの特徴は、複雑なプロセスとテクニックの適用法を知り、習熟もしているが、その限界を理解していないこと。


【『伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術』カーティス・フェイス/飯尾博信、常盤洋二監修、楡井浩一訳(徳間書店、2007年)】

伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術

若山牧水が生まれた日


  今日は若山牧水が生まれた日(1895年)。大の酒好きで一日一升程度の酒を呑み、肝硬変で死亡。夏の暑い盛りに死亡したにもかかわらず、死後しばらく経っても遺体から腐臭がしなかったため、「生きたままアルコール漬けになったのでは」と医師を驚嘆させた逸話がある。

若山牧水歌集 (岩波文庫) 新編みなかみ紀行 (岩波文庫) 若山牧水随筆集 (講談社文芸文庫)

ホルヘ・ルイス・ボルヘスが生まれた日


 今日はホルヘ・ルイス・ボルヘスが生まれた日(1899年)。父の豊富な蔵書に親しみ、幼い頃から執筆を行っていた。1909年にワイルドの『幸福な王子』をスペイン語に訳して新聞に発表。あまりに見事な訳だったため誰もが9歳の少年の仕事とは思わず、同名の父による訳文と誤信した。


伝奇集 (岩波文庫) 創造者 (岩波文庫) アトラス―迷宮のボルヘス (^Etre・エートル叢書)

2010-08-23

あるダイバーの最期


 有名なダイバーだったユーリ・リプスキー氏の最期を捕えた映像。エジプトのブルーホールというダイブスポットで、ユーリ氏は突然海底へと沈み始めます。彼が持っていたビデオカメラが、すべてを記録していました。しかし、奈落の底へ落ちた理由は、未だに謎のままです。このビデオでは、ユーリの知人達が彼の死の理由について思いを巡らせています。


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クリシュナムルティ「その怒りに終止符を打ちなさい」/『クリシュナムルティ 人と教え』クリシュナムルティ・センター編


 高橋重敏が中心になって作成した文集のようなもの。出来は悪い。物凄く。かような本を出版することができたのもビジネスパーソンとしての高橋の力量か。驚いたことに、中村元〈なかむら・はじめ〉が「刊行に寄せて」という一文を書いている。


 それでも私は読む。読まざるを得ないのだ。クリシュナムルティの足跡を辿るために。彼が人々に与えた影響を知るために。


 殆どが日本人による作文なのだが、インド人でクリシュナムルティと直に接した方の貴重な証言もある――


 私はクリシュナジに私的に会い、雑談を楽しんだあと、私の心境を彼に打ち明けました。私が話している間(1時間は越していたと思います)彼は無言で耳を傾けていました。非常に深く非常な充実感で聞いて頂けたので、私自身も以前には味わったこともないほど澄み切った自分を見ていました。一点の汚れもない多次元の鏡の中の私自身を眺めているようでした。私の話を何の反響もなく、評価もせず、ゆがみもなく、解釈もせずに聞いてくれたのです。話が終わるとクリシュナジは大へん簡単にこう言いました。「あなたは父親によって深く傷ついています。その他のさまざまな感じはすべてそこから生まれています。」私の心の奥底を切り裂き、それにはっきりと深い愛情でふれてくれたのです。

 その翌年の大部分、私はひきつづき私自身の内部を眺めつづけました。あたかも心の中に植えられた種子が何度も何度も殻をむかれているようでした。内省する度に種から花が開いてくるようでした。

 1年たって彼がマドラスをまた訪れたとき、私は再度彼に会いました。そして私の味わってきたことを細かく彼に打ち明けました。私は父親と袂を分かってからずっと会っていませんでした。父と母もまた別れてしまっていました。父は私たちを更に傷つけ生活を困らせようと積極的に動いていました。クリシュナジはもう一度私の苦情を聞いてくれ、こう言いました。「あなたの傷は終わったが、それを怒りに変えたままにしている。それが心を鈍くするでしょう。出かけていって父に会い、その怒りに終止符をうちなさい。」(「クリシュナジの思い出」ラグ・アナンサナラヤナン〈インド、経営コンサルタント〉)


【『クリシュナムルティ 人と教え』クリシュナムルティ・センター編(めるくまーる、1992年)】


 父親から相当酷い目に遭わされたことが窺える。嘆き節になっていないのは、既に彼が苦悩から離れているためだろう。ここが重要だ。打破ではなく「執着から離れる」ということ。


 怒りはまだ浅い次元の執着といえる。問題は「悲しみ」だ。悲嘆は心に長期的ダメージを与える。怒りよりも悲しみの方が深い痕跡を記憶にとどめる。それは樹木についた傷のように時と共に大きくなってゆく。


 悲しみは遅れてやってくる。苦しみの後で。考えるほどに不条理が深まる。運命の残酷さ、宿命の厳しさが不意に訪れる。一寸先は闇だ。あの角を曲がったところに不条理が転がっているかもしれない。


 仏典には「常懐悲感(じょうえひかん) 心遂醒悟(しんずいしょうご)」と説かれている。毒を服して道理のわからなくなった子供達の目を醒まさせたのは、「父の死」という方便であった。


 とすると、悲哀を乗り越えるためには、悲哀の底に沈潜するしかない。時の経過で誤魔化すのではなくして悲しみと共に生きる。否、悲しみを生きるのだ。悲しみの底に新しい生の扉がある。悲哀に終止符が打たれるのはそこだ。

クリシュナムルティ 人と教え

常懐悲感 心遂醒悟


 常懐悲感(じょうえひかん) 心遂醒悟(しんずいしょうご)と読む。『法華経』の「如来寿量品第十六」の文(もん)。「常に悲観を懐(いだ)いて、心遂(つい)に醒悟(しょうご)し」と読み下す。良医病子(ろういびょうし)の譬えの件(くだり)に出てくる。深い悲しみによって迷妄から醒めたという意味である。

ジャーナリストが政治のプレイヤーになってしまう


 ならば、政治記者は一体、何をしているのだろう。政治部記者の中には「派閥記者」と呼ばれ、事実上、政治のプレイヤーになってしまっている者がいる。最近は少なくなったが、かつては並の政治家よりも実力のある記者が存在し、彼らは、自らの所属するメディアを利用して政局をつくるようなことを平気で行っていた。

 政治家同士を繋ぐために極秘の会合をアレンジしたり、一部の政治家の側について政敵を追い落とすためにネガティブ情報を流したり、そういったフィクサーまがいの行いを繰り返す記者が後を絶たなかった。一方で、彼らの応援する政治家のネガティブ情報が出ることはまずない。あたかも、そした政治記者たちは、担当した政治家を出世させ、永田町の権力闘争に勝たせるために存在しているかのようだ。なぜなら、彼らの出世もまた、担当した政治家の動向に大きく影響されることが多いからだ。

 たとえば、自民党のある政治家が派閥の中で力をつけて、総理総裁のポストを窺(うかが)う位置に就いたとしよう。仮に、その後、見事に首相の座を射止めたら、その担当記者も同時に政治部内で出世する。逆に、その政治家が失脚してしまえば、記者も会社での地位を失うことになる。


【『ジャーナリズム崩壊』上杉隆(幻冬舎新書、2008年)以下同】


 つまり、オブザーバーではなく、政治に寄り添うプレイヤーになっていくのである。

 電話一本で、時の首相や官房長官までを動かし、NHK人事に介入することが可能だった島桂次記者(のちに会長)や、田中派全盛期に同派を担当した海老沢勝二(えびさわ・かつじ)記者(同じくのちに会長)などがまさしくその典型である。そうした状況は現在でもあまり変わっていない。

 安倍政権崩壊時に、そのブログで自身の失意を綴(つづ)った阿比留瑠比(あびる・るい)記者や、内閣退陣で涙を流した元共同通信青山繁晴氏などは、政治権力との距離感を忘れた派閥記者といえる。

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

ブラフマンとバラモン


 ヴェーダ文献において「ブラフマン」という語は、呪力のあることばあるいはその力そのものを意味した。祭式において、呪文としてヴェーダのことばを唱えることにより神々をも動かす力が生まれているという意味で、ヴェーダの讃歌、祝詞等も「ブラフマン」と呼ばれた。儀礼中心主義をとるヴェーダの密教では、神々にも命令を下すことのできる呪力あることばは、宇宙の原理と考えられることになった。ヴェーダの祭式において祭式を司った祭司は、「ブラーフマナ」(ブラフマンを有するもの)と呼ばれた。彼らは、呪文を専有する者であり、バラモン僧、階層としてのバラモンの祖である。


【『はじめてのインド哲学立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社現代新書、1992年)】

はじめてのインド哲学 (講談社現代新書)

サッコとバンゼッティの日


 今日はサッコとバンゼッティの日。サッコ・バンゼッティ事件の容疑者とされた二人の死刑が執行された日(1927年)。有罪判決に対する抗議行動をアナトール・フランスアインシュタインデューイなどが支援。人種的偏見、思想的偏見による冤罪といわれる。映画『死刑台のメロディ』。


死刑台のメロディ [DVD]


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2010-08-22

永田諒一、宮元啓一


 2冊読了。


 108冊目『宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史』永田諒一(講談社現代新書、2004年)/今月後半の課題図書。完全な選択ミス。やっぱり読んでない本はダメだね。なぜ、プロテスタントが魔女狩りに遭わなかったかを知りたかったのだが、全く触れていなかった。タイトルに難あり。「カトリックとプロテスタントの風俗史」とすべきだ。資料的な価値はあるのだが、新書特有のわかりやすさが手抜きにつながっているような印象を受けた。


 109冊目『仏教の謎を解く』宮元啓一(鈴木出版、2005年)/初心者向き。何冊か読んでいるが、この人の文章は面白くない。その上何の進歩も見られない。狭い世界でぬくぬくしているような印象を受ける。インドが肉食を脱した経緯を知りたくて読んだのだが及第点以下。

瞑想の世界を見ることができる情報機器/『ひとりっ子』グレッグ・イーガン


 SFの醍醐味は、科学技術が発達してもなお避けることのできない人間の苦悩を描き出すところにある。未来という舞台設定に映し出されているのは、現代社会が抱える人間の業(ごう)といっていいだろう。


 グレッグ・イーガンを初めて読んだ。短篇集である。文章がこなれているにもかかわらず、スッと物語に入ってゆけない何かがある。また「ルミナス」は数学的要素が濃厚で、知識がないと太刀打ちできそうにない。


「決断者」が断トツで面白かった。まるでクリシュナムルティの世界だ。バッチ(眼帯)という情報機器を着用すると瞑想の世界が見えるのだ。


 主人公は路上で見知らぬ男に銃をつきつけ、金目のものがないと見るやバッチを奪った。そのバッチには非合法のソフト「百鬼夜行」がインストールされていた。男は自宅へ戻るとバッチを着用した――


 そしておれは、なにが起きているかを理解した。〔【理解】のパターンがいくつも発火し、【パターン】のパターンがいくつも発火し、【混乱】、【圧倒】、【狂気】のパターンがいくつも発火し……〕

 発火プロセスの勢いがわずかばかり弱まった〔ここに含まれる概念すべてのパターンが発火する〕。(おれはこの状況を冷静に把握できる、おれはそれをやりこなせる)〔パターンが発火〕。おれはすわったまま頭を膝につけて〔パターンが発火〕思考を集中させ、じっさいには見えていない左目を通してパッチがおれに見せつづけている共鳴と関係性〔パターンが発火〕のすべてに対処しようとした。


【『ひとりっ子』グレッグ・イーガン/山岸真編・訳(ハヤカワ文庫、2006年)以下同】


 心=脳内のシナプス発火が映像として見えているのだ。思考よりも深い位置にある情動(古い皮質)まで捉えている。思考はコントロール可能だが、本能をコントロールすることはできない。太陽の光も届かぬ深海に自我は根を下ろしている。


 そしてついにおれは見た、鏡に映ったおれの顔の上に重ねあわされているそれを。海底の発光生物のような、いりくんだ星形のパターンが、繊細な繰り糸を送りだして一万の単語やシンボルに触れていて――思考の全機構を意のままに動かしている。その存在に気づいたおれは、既視感を感じて驚いた。おれはこのパターンを過去数日間“見ていた”。自分自身を思考の対象者として、行為者として考えるたびに。意志の力について考えるたびに。もう少しで銃の引き金を引くところだった。あの瞬間を思いかえすたびに……。

 これが探していたものであることに、おれは疑いをもたなかった。【選択する自己】。【自由である自己】。


 視線が遂に自我の基底部を捉えた。「自由意志」を司っている部分だ。


 男はバッチを着けて、いつものように金品を強奪すべく街へ出る。拳銃を取り出し照準を見つめた時、「自由意志」が存在しない事実を発見した。【選択する自己】【自由である自己】は始めからいなかったのだ。


 これが「洞察による理解」であった。バッチは内なる世界を知覚させた。混乱や狂気を支えているはずの「私」は幻想にすぎなかった。


 おれは洞察が訪れる瞬間を、完璧な理解の瞬間を、世界の流れの外に足を踏みだし、ひとりで責任を引きうける瞬間を、待った。


 いやあ、まったくお見事。デネット著『解明される意識』とミンスキー著『心の社会』にインスパイアされたと書かれているが、クリシュナムルティの世界にも肉薄していると思う。


 視覚は外に向かっている。しかし我々は無限に膨張する宇宙を捉えきることはできない。それでも人間が知覚する情報は視覚が圧倒的な量を占めている(知覚の83%は視覚という説もある)。ヒトは第三次視覚野が発達しており、サルと比べると複雑な情報処理を行っているものと考えられる。我々はモノを見ると同時に、モノに付与された意味をも見つめている。つまり、概念操作が行われているのだ。

 視覚を司っているのが視覚野であれば、たとえ目が不自由であったとしても聴覚や触覚で「見る」ことは多分可能だ。そもそも我々は目を閉じて眠っている最中に夢を「見る」ことができるのだ。


 瞑想は集中ではなく注意である。日常生活だと集中が目で注意は耳である。五感をフルに働かせながら、五感の内側に深く沈む作業が瞑想である。クリシュナムルティは「思考を観察せよ」と教えた。

ひとりっ子 (ハヤカワ文庫SF)

ダイノジ大谷「中居正広最強論」


 大谷ノブ彦の語り口には独特のリズムと味わいがある。プレゼンテーション能力が高い。加藤浩次と似た声質だが、大谷のロジックは加藤を軽く凌駕している。


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世界で一番、税金が高い国

 実質税金である健康保険や年金、失業保険などによる還元、食料品を始めとする非課税分野など複雑な要素を加味すると、日本はスウェーデンよりも高い税金を支払っていることになる。

リーマン破綻の影響、与謝野氏「ハチが刺した程度」


 自民党総裁選に立候補している5人の候補者は17日午前、島根県出雲市で街頭演説した。与謝野馨経済財政担当相は米証券大手リーマン・ブラザーズの経営破綻に関して「日本にももちろん影響はあるが、ハチが刺した程度。これで日本の金融機関が痛むことは絶対にない。沈着冷静な行動が求められる」と述べ、日本経済への影響は限定的との見方を示した。


【nikkei.net 2008-09-17】


ハチ発言を修正=与謝野氏


 与謝野馨財務・金融・経済財政相は26日、衆院財務金融委員会で昨年秋の米リーマン・ブラザーズの経営破綻(はたん)の影響について、「世界全体の不安の連鎖の広がりが私の想像以上だったことは素直に認める」と述べた。これまで、「ハチが刺した程度」としてきた認識を修正したもの。鈴木克昌氏(民主)への答弁。


時事ドットコム 2009-02-26】

麻薬で殺人に駆り立てられる少年兵


 二人と話をしているうちに、わたしはあることに気がつきました。

 二人の体に、ミミズ腫(ば)れのような大きな引っかき傷があるのです。

 最初は(ジャングルややぶの中でくらしていたのだから、木の枝とかで引っかいた時の傷なのかな?)と思っていました。でも、それらは自然にけがをしてついた傷ではありませんでした。

 ムリアの左まぶたのすぐ下に、三日月の形をした傷がありました。気になったわたしは、たずねてみました。

「その傷はどうしたの?」

「カミソリで切ったんだ」

「えっ、自分で? どうして?」

「カミソリで切って、そこに麻薬をうめこむんだ。うめこんでぬい合わせる。

 麻薬を入れられると、とても正気じゃいられない。殺したいと思った相手をすべて撃ち殺してしまうんだ。」

 子ども兵士たちが、麻薬を飲んだり、鉄砲の弾につめられた火薬を飲んでいるという話は聞いたことがありました。

 でも、まさか体に傷をつけてうめこんでいるなんて話は今まで聞いたことがありませんでした。

「だれにやられたんだい?」

「最初は戦いに行く前に大人の兵士にやられたんだ。

 使うのは細かい粉にした麻薬だよ。ここでは麻薬はどこででも手に入るし、お酒よりも安いからみんな使っていた。」(中略)

「麻薬をうめこまれると、もう頭の中がグルグルになって何がなんだかわからなくなる。

 そしてものすごく人を殺したくなる。だれを殺すのも怖くなかったし、自分が死ぬことも怖くなかった。なんの感情もなく、急にただ殺したいって思うようになるんだ。」


【『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二(汐文社、2005年)】

ダイヤモンドより平和がほしい―子ども兵士・ムリアの告白

ダウ理論

 ダウは、トレンドを大きく3種、すなわち主要トレンド、二次的トレンドと小トレンドに分類した。彼の主たる関心事は、主要トレンドであり、これは通常1年以上、ときには数年間継続する。ほとんどの株式投資家にとって最も重要なのはマーケットの主要な方向性であるというのが彼の信条であり、彼は三つのトレンドをそれぞれ海の潮、波、波紋になぞらえている。

 主要トレンドは、潮に対する。二次的トレンドは潮によって作られた波にたとえられ、小トレンドは、波の波紋のようなものである。断続的に打ち寄せる波の最高到達点を杭で測定することで、潮の方向の測定が可能となる。仮に寄せる各波が、前の波よりさらに岸まで寄せるようであれば、依然として満潮である。波が退き始めて初めて、干潮に変わったことを知ることとなる。

 二次的トレンドは主要トレンドの調整局面とみなされ、通常3週間から3カ月間継続する。調整は、通常前段階のトレンドの1/3から2/3の戻しとなり、しばしば、半分つまり50%に及ぶ。

 小トレンドは、継続期間3週間未満で、2次トレンドの短期的な調整とみなされる。


【『先物市場のテクニカル分析』ジョン・J・マーフィー/日本興業銀行国際資金部訳(金融財政事情研究会、1990年)】

先物市場のテクニカル分析 (ニューファイナンシャルシリーズ)

ナット・ターナーが反乱を起こした日


 今日はアメリカの奴隷ナット・ターナーが反乱を起こした日(1831年)。ヴァージニア州ののサザンプトン郡で白人約60人を殺害した。ナットは若い頃から読み書きができ、信仰心も篤かった。白人によって母親、姉妹をレイプされ、親兄弟がリンチされていた。啓示を受けて蜂起。31歳で縛り首に。

ナット・ターナーの告白


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2010-08-21

勝海舟


氷川清話 (講談社学術文庫)


 完全校訂版江藤淳・松浦玲編、未収録談を大量増補。海舟が自在に語る談話の数々。幕藩体制瓦解の中、勝海舟は数々の難局に手腕を発揮、江戸城を無血開城に導いて次代を拓いた。晩年、海舟が赤坂氷川の自邸で、歯に衣着せず語った辛辣な人物評、痛烈な時局批判の数々は、彼の人間臭さや豪快さに溢れ、今なお興味が尽きない。本書は、従来の流布本を徹底的に検討し直し、疑問点を正し、未収録談を拾い上げ再編集した決定版。


海舟語録 (講談社学術文庫)


 奔放自在、縦横無尽! 幕末・維新を語り、明治の政局を評する海舟の炯眼と叡智。官を辞してなお、陰に陽に政治に関わった勝海舟。彼は晩年、ジャーナリスト巌本善治を相手に、幕末明治の政情や人物等について奔放に語った。本書では、『海舟餘波』『海舟座談』等として知られるそれらの談話を詳細に検討、日付順に再構成し、海舟の人柄や、その炯眼、叡智を偲ばせる肉声の復元を試みた。『氷川清話』の姉妹編をなす貴重な歴史的証言集。

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世界大恐慌は石油を大量に使い始めたアレルギーショックだった


 それに、石油こそが、20世紀を創り、そのすべてを動かしているのだ。

 マクロ的あるいは、アバウト思考からいって、1929年の大恐慌は、人類が石油を大量に使い始めたアレルギー・ショックだったと考えている。そして今や、世界経済は、石油の使い過ぎによる中毒現象に見舞われようとしているのだ。


【『「1929年大恐慌」の謎 経済学の大家たちは、なぜ解明できなかったのか』関岡正弘(PHP研究所、2009年/ダイヤモンド社、1989年『大恐慌の謎の経済学 カジノ社会が崩壊する日』改題)】

「1929年大恐慌」の謎

自閉症は「間(あいだ)の病」


 私たちが、人と人との問題を考える時、実は「間(あいだ)」を重視しています。私は、自閉症のような精神の病とは、「間(あいだ)の病」でもあると考えています。ですから、病的事態を単に個人の内部に生じた病変としてだけ見る立場からは、自閉症児の問題は充分に把握しつくせないのではないかと思います。


【『自閉症の子どもたち 心は本当に閉ざされているのか』酒木保〈さかき・たもつ〉(PHP新書、2001年)】

自閉症の子どもたち―心は本当に閉ざされているのか (PHP新書)

ジュール・ミシュレが生まれた日


 今日はフランスの歴史家ジュール・ミシュレが生まれた日(1798年)。「この歴史には、第一ページから最終ページまで、一人の英雄しかいない。すなわち民衆である」 (『フランス革命史』)。「書物は大事だ。しかし書物に書かれているのは、最小の真実だ。おそらく一番、書くに値しない部分なのだ。書かれていない、ものごとの生きた世界がある。学生よ、それを民衆に学べ!」(『学生よ 一八四八年革命前夜の講義録』)。

フランス革命史〈上〉 (中公文庫) フランス革命史〈下〉 (中公文庫) ミシュレ

2010-08-20

無為徒食


 わたしは急に深い悲しみでいっぱいになった。自分はなんの価値もない、つまらない人間だ――生まれて初めて、そんな気持ちになったのだ。虚しく世界のあちこちを旅して歩き、自分と同じように価値のない他の人間を相手に無意味な取引をし、その目的といえば、ただ死ぬまで気持ちよく食し、服を着、住まうことなのだ。


【『鳥 デュ・モーリア傑作選』ダフネ・デュ・モーリア/務台夏子〈むたい・なつこ〉(創元推理文庫、2000年)】

鳥―デュ・モーリア傑作集 (創元推理文庫)

戦争


 男が言うには、戦争に行って生きて帰ってきた人間の魂は皆死んでしまっており、その魂の死を断固として拒んだ勇敢な人間たちは皆肉体が死んでしまったのだそうだ。つまり戦争というものは行けば誰一人として生きて帰らないのであり、男もまたフィリピンの密林の中で魂を失った、人間の抜け殻なのだと言う。


【『増大派に告ぐ』小田雅久仁〈おだ・まさくに〉(2009年)】

増大派に告ぐ

陸奥宗光が生まれた日


 今日は陸奥宗光(むつ・むねみつ)が生まれた日。坂本龍馬をして「(刀を)二本差さなくても食っていけるのは、俺と陸奥だけだ」と言わしめた人物。外相時代には15ヶ国との不平等条約改正を成し遂げ、「カミソリ大臣」とあだ名された。政治嫌いの福澤諭吉が最も期待した政治家としても知られる。

[新装版]陸奥宗光とその時代

2010-08-19

石井光太、斎藤貴男


 1冊挫折、1冊読了。


 挫折65『物乞う仏陀』石井光太(文藝春秋、2005年/文春文庫、2008年)/文章はいいのだが姿勢が悪い。まだ若いせいなのかもしれない。貧しいアジア諸国の身体障害者を傍観しているだけのレベルにとどまっている。足が20cmしかない美しい顔立ちの女性と性行為を試みて失敗した件(くだり)でやめた。彼女の心を蔑ろにしているように感じたからだ。何でも書けばいいというものではない。お前さんのキンタマを細かく描写したところで鑑賞には値しないよ。


 107冊目『消費税のカラクリ』斎藤貴男(講談社現代新書、2010年)/決定版と自画自賛している割にはわかりにくい。プレゼンテーションに問題あり。消費税に対する怒りだけは伝わってくるのだが、説明がすっきりしない。要は、仕入れ時にも消費税が発生するため、実体価格を値引きせざるを得ない中小小売業者が多いということのようだ。消費税が単純な仕組みでないことだけは理解できた。

東京ガス豊洲工場跡地の市場移転


 江東区の豊洲が東京ガスの跡地とは知らなかった。東京ガスは責任を問われないのか?


 東京ガスの豊洲工場跡地に築地市場を移転する計画において、土壌中に環境基準を超えるベンゼン・シアン・鉛・ヒ素・六価クロム・水銀等の有害物質が残存していることが問題となった。生活用の燃料ガス(一般に都市ガスと呼ばれることが多い)製造工場跡地では、天然ガス(LNG)へ移行する以前は石炭からの蒸留によりガスを製造しており、この際の廃棄物であるタールに含まれるベンゼンや重金属類、製造工程にて用いられる化学物質による土壌や地下水汚染が発生していることが各地で公開されている。東京の築地市場の移転計画においては、生鮮食品を扱う施設の土壌としての浄化を目標として敷地の土壌・地下水汚染浄化を行っていないことや、土壌汚染対策法で定められた有害物質以外にも健康に有害な物質があることが指摘されている。ここでは従来の土壌汚染対策では議論されていなかった、食品を扱う施設の地盤からの汚染物質の拡散や、施設内で扱う食品としての安全・安心の確保を求める消費者、それぞれのリスクが課題となっている。


Wikipedia

ジャイナ教の非暴力


 一般的にジャイナ教徒は農業を営まない。ジャイナ教徒は農業がジャイナ教の中心的原理である非暴力の実践に反すると考えている。彼らにとって、耕作のためとはいえ動物を使うことは暴力の一種である。土地を耕すときに昆虫を傷つける可能性もある。ジャイナ教徒は、蜂(はち)から食べ物を奪うという理由で蜂蜜(はちみつ)を用いるのも避ける。また、絹や皮の使用も生き物への暴力を伴うので望ましくない。


【『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール/尾関修、尾関沢人〈おぜき・さわと〉(講談社学術文庫、2005年)】

君あり、故に我あり―依存の宣言 (講談社学術文庫)

普段通りの暮らしを続けることが人々のインティファーダだった


 パレスチナといえば、私たちはたいてい、過激派による自爆テロを思い浮かべます。そしてインディファーダといえば、自爆テロか投石による抵抗運動のことだと思っています。

 でも、私が見たインティファーダは違いました。

 侵攻を受けて家を壊され、家族を殺されても、花を植え、パンの宅配を続ける町の人たち。冗談を飛ばし、大声で笑い、旅人をもてなす家族。

 爆撃を受けて壁に大きな穴が開き、外から丸見えの部屋で、人々はコーヒーを飲みながら家族や友人たちと過ごす穏かな時間を楽しんで、私と目が合うと「ウェルカム!」とミントティーを差し出したり、笑いかけたりしていました。ふだん通りの暮らしを続けること、それこそが人々のインティファーダ、抵抗運動でした。


【『「パレスチナが見たい」』森沢典子〈もりさわ・のりこ〉(TBSブリタニカ、2002年)】

パレスチナが見たい

生き延びるための併せ読み


生き残る判断 生き残れない行動


 9.11テロ事件、ハリケーン・カトリーナポトマック川旅客機墜落、スマトラ沖地震……。私たちの記憶に深く刻み込まれた大事件・大惨事。本書はこれらの事件現場で、紙一重で生死の境目をかいくぐり、無事に生還した人々の生の証言である。一人一人が語る物語は詳細を極め、手に汗握る臨場感と迫力あるリアリティで事件や事故の様子が再現される。その主観的証言を裏付ける心理学・生理学などの関連研究結果やデータも豊富に提示し、緊急時の人間の判断力、災害への準備や対策、対処法など、有益な提言が盛り込まれている。


サバイバーズ・クラブ


 思いがけない災難に巻きこまれたとき、冷静に行動して生き延びる人がいる一方、不幸にも命を落としてしまう人がいるのはなぜか? 生死を分かつものとは、果たして偶然や「運」だけなのか? どんな事故でも、助かったはずなのに命を落としてしまう人がいるかと思うと、生存が絶望視される状況にあっても生還する人がいる。そんな生還者たちの共通点を見いだすべく、飛行機事故やフェリー沈没事故で九死に一生を得た人、事故で心停止に陥りながら奇跡的に回復した人など、実際に起きた事故の当事者を丹念に取材し、「サバイバーたちの秘密」を探っていく。だれもが「サバイバー」になれる……。一人ひとりが「生き延びる確率」を高めるため、今日から実行できる知恵も満載した、迫真のドキュメンタリー。

ココ・シャネルが生まれた日


 今日はココ・シャネルが生まれた日(1883年)。ドイツ軍による軍事占領に抵抗した結果、捕えられた末に拷問されたり戦闘によって命を落としたフランス人たちがいた一方で、シャネルはドイツの親衛隊少将と愛人関係を結び、自堕落な生活を送った。「ナチスに魂を売った売国奴」として嫌うフランス人がいる。

ココ・シャネルという生き方 (新人物文庫)


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ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールがダゲレオタイプを発表した日


 今日はフランスの画家ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが世界初の実用的写真技法となるダゲレオタイプ(銀板写真)を発表した日(1839年)。フランス学士院にて。写真は時空を超えた視覚である。人類は写真という千里眼を手に入れた。シャッターが切り取った瞬間を我々の眼は旅する。

写真のはじまり物語―ダゲレオ・アンブロ・ティンタイプ

2010-08-18

柳田謙十郎


 1冊読了。


 106冊目『宗教批判 宗教とは何か』柳田謙十郎〈やなぎだ・けんじゅうろう〉(創文社、1956年)/昨日読了。初版が昭和31年である。敗戦から10年を経て、知識人達がマルクス主義にかぶれるのは自然な流れだったのかもしれない。宗教の起源に始まり、キリスト教、仏教を俯瞰して、最後にマルクス主義の立場から鉄槌を下している。私が考えている方向性と正反対だ。柳田はオーウェルの『一九八四年』や『動物農場』をどのように読んだのか? 社会主義国が自国民を殺戮している事実を知っていたのだろうか? あるいは密告主義をどのように考えたのか? 集団はヒエラルキーを生み、必ず政治化してゆく。そして政治は戦争に行き着く。この情況を脱するためには、社会を宗教化するしかないというのが私の考えだ。もちろんそれは特定の宗教を意味するわけではなく、宗教的価値観の復興ということだ。

人生の明暗を分ける出来事


 だが、彼は過去をまだ手放すことができなかった。すっかり伸びきてしまったゴムバンドを握りしめるように、彼は必至に過去にしがみついて生きていた。あのころはなにも説明の必要がなかった。時が過ぎるのは自然なことで、決して恐ろしいことではなかった。あのころはまだ、彼は希望をもっていた。


“あのとき以前”と“あの時以後”。


 カレンダーがあれば、彼は【あのとき】の具体的な日付を指さすことができた。だが、彼の中ではその境目はもっとあいまいなもので、長期間にわたっていた。それは勇気がゆっくりと、毎日少しずつ彼から消えてゆき、すべては失敗だという確信に取って代わった長い期間だった。なにごとも彼にとって重要ではなく、自分の宿命を引き受ける用意をしなければならないと悟った時間。もう間に合わないから闘ってもむだだと悟った時間。


【『罪』カーリン・アルヴテーゲン/柳沢由美子訳(小学館文庫、2005年)】

罪 (小学館文庫)

最澄〜大乗戒壇建立は具足戒の否定


 晩年の最澄には、しのこしたことがあった。大乗の戒壇院の設立である。806年(大同元)には百余名に大乗の戒をさずけている。これは唐において天台宗の道邃(どうずい)からさずけられたものであり、それを最澄は弟子たちにさずけていたわけであるが、この大乗戒は正式な比丘・比丘尼となるための具足戒とは本質的に異なっていた。具足戒を受けた場合、比丘は250戒、比丘尼は384戒を守らねばならないが、大乗の梵網戒の場合はむしろ心がまえをすればそれでよかった。大乗戒は在家・出家の区別なくさずけることができ、比丘・比丘尼・沙弥(しゃみ/僧になる前の修行者)・一般信者などの区別はなくなる。

 ようするに、大乗戒なるものは戒の放棄である。僧(比丘)と俗人(在家)との違いは、戒を守っているか否かにある。戒を保たない者はすなわち僧ではない。南都六宗の僧たちはそのように考えていたであろう。最澄は伝統的な「小乗の戒」つまり具足戒は、少なくとも日本の当時の仏教徒にとって不必要だと主張したのだ。

 日本では753年、鑑真が14名の弟子の僧を連れて来日し、東大寺に仮に設けられた戒壇で授戒がおこなわれて以来、授戒の制度が受け継がれていた。当時は中央(奈良)の東大寺、東国の下野(しもつけ)薬師寺、西国の筑紫(つくし)観世音寺の3ヵ所に戒壇院が設立されているのみであり、他の場所では具足戒を与えることはできなかった。最澄は比叡山に新しい戒壇院を建て、しかもそこでは僧たちに具足戒をさずけず、大乗戒をさずけたいと提唱した。

 最澄は生涯を通じて常に人々、それも時の権威や実験者たちを驚かした。一つの新しいことをすばやくあざやかにやってみせ、人々が彼の意図を理解した頃には、彼は次の新しいことを持ち出していたのである。

 817年(弘仁8)、徳一への反論を公表した最澄は、翌年818年、「今より以後、声聞の利益を受けず(中略)みずから誓願して250戒を棄捨す」(叡山学院『伝教大師全集』世界聖典刊行協会、新版5巻、1989年、附33および、田村晃祐『最澄』、192頁)と宣言した。19歳の時東大寺で受けた具足戒を、その時52歳の最澄は捨てたのである。周囲は驚き、かつ困惑したにちがいない。一宗の責任者が「自分は僧であることをやめる」と言い出したからだ。

 最澄個人が具足戒を捨てたといっても、奈良仏教は表面だった反応をしたわけではなかった。天台法華宗内部のことであり、最澄個人のことでもあったからだ。しかし、翌819年(弘仁10)、最澄が大乗の戒壇院建立のため申請書、いわゆる「四条式」を朝廷に提出すると、南都の僧たちは猛反発した。南都の僧たちにすれば、最澄の考え方は許すべからざることだった。仏教教団のあり方そのものに関することだったからだ。


【『最澄と空海 日本仏教思想の誕生』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社選書メチエ、1998年)】

最澄と空海―日本仏教思想の誕生 (講談社選書メチエ)

最澄が生まれた日


 今日は最澄伝教大師)が生まれた日(767年旧暦)。日本天台宗の祖。法華経を宣揚。大乗戒壇として比叡山延暦寺を開く。後に総合大学の観を呈し、鎌倉仏教揺籃の地となった。律令体制が崩壊する中で最澄と空海大乗仏教を日本へ導入した。「一隅を照らすこれ則ち国宝なり」(山家学生式)。

雲と風と―伝教大師最澄の生涯 (中公文庫)

2010-08-17

一部週刊誌に抗議の手記/北谷町米兵暴行事件


 強姦救援センター・沖縄(REICO)は24日、北谷町で発生した米軍曹による女性暴行事件の被害女性からREICOに対し「一部週刊誌の報道や取材におびえる生活を強いられ、精神的にもどん底の状態にある」とする訴えがあったと発表、マスコミや社会に対し被害者の視点で事件を認識するよう求めた。また同日、県内の女性議員44人は「被害者の心身ケアが十分保障される具体的施策を講ずること」など四項目を求める連名アピールを発表した。女性議員によるこうした連帯声明は初めて。

 REICOの広報を担当する高里鈴代さんは「被害者に落ち度があったかのような一部報道やプライバシーを考えない取材があり、どこに主眼を置いて取材するかの姿勢が問われている。二次、三次の人権侵害が起こっていることを認識し、被害者の声を受け止めてほしい」と話している。

 REICOは、被害女性をサポートする立場から今月4日付の本紙を通じ、同事件の被害者に対し「性犯罪で悪いのは百パーセント加害者で、被害者に落ち度はない」とするメッセージを発表。これを受け、被害者から現在の状況に関する訴えが寄せられた。

 被害者の女性は手記の中で「事件をおもいだすのもつらい。プライバシーも考えずに一部週刊誌が私をおとしめるような事実でもないことを書き立てていることに憤りを感じます」と抗議。

 週刊誌の女性記者が職場に偽名で電話をかけ、「夜中にちゃらちゃらする女が問題」「お金が目当てでしょう」「テレビ局が来てモザイクで放映されるという話がある」などと言われたことなどを記し、「ちょっとしたことで事件を思い出しパニックになる。裁判も控え、大きな不安と恐怖が襲ってくる。これ以上騒がないで下さい」と訴えている。

 高里さんは「性被害の被害者が声を上げにくいのは、声を上げた後に先々で周囲の攻撃を受けることがあるから。被害者の声を聞くと人権侵害が起きていることが分かるし、こうした状況に耐えていくのは大変な負担。途中でめげてしまう状況も生まれかねない」と話し、マスコミや周辺社会に対し、被害者のプライバシー保護と、被害者の視点で問題を認識することを求めている。


琉球新報 2001-07-25

自転車の出張修理−八王子市、日野市


 出張料金なしで修理してくれる。22:00まで営業。値段も良心的。ただ、この修理屋さん、中々口が喧しい(笑)。自転車を粗末に扱うと叱られるので注意されよ。早めに電話をすれば、その日に来てくれる。電話受付は年中無休、水曜日と悪天候の日が休日。


 090-2901-4766 坂本さん

バックパック


 信じられないほど安い。55Lのものを購入した。ヤフーオークションは廉価でも送料が異様に高い出品者がいるので要注意。

国債とCDSの仕組み/『恐慌第2幕 世界は悪性インフレの地獄に堕ちる』朝倉慶


 経済や金融に関する本は圧倒的に悲観論が多い。ま、パスカルの賭けみたいなもので、外れたとしても損をする人はあまりいないところがミソ。しかしながら、子羊のような一般投資家はこの手の情報に翻弄され、マーケットの需給を支える羽目となる(笑)。


 やや粗製乱造気味の朝倉慶ではあるが、まだ一読の価値は残している。


 まずは各国の内需拡大政策から見てみよう――


 中国では、車やパソコンを買ってくれたら買い付け金の13%の補助金を出してくれるということです。ドイツでは車を買い替えた人には33万円近い補助が出ます。アメリカでは、消費者ローンや教育ローンを含むあらゆる資産担保保証券をFRBが買ってきています。日本政府もドイツや中国の政策が効果を出しているのをみて、これを真似する様です。中古車から省エネカーへの買い替えに最大25万、省エネ家電の購入に、「エコポイント」として買付代金の5〜10%を還元するという事です。要するに世界中で、何がなんでも消費しろ、というように常識外の政策を取っているのです。

 いわば、かつてのマクドナルドの半額セールみたいなものです。売れ行きを何とか伸ばそうとして、安売りを強行しているのです。これは単に需要の先取りにしかすぎず、永遠に続けられる政策ではありません。やがて、化けの皮が剥がれて大赤字になったマクドナルドのように、世界の消費はつるべ落としになっていくに違いありません。


【『恐慌第2幕 世界は悪性インフレの地獄に堕ちる』朝倉慶〈あさくら・けい〉(ゴマブックス、2009年)以下同】


「何がなんでも消費しろ」――ああ、そうだったのか。こうなるとまるで賭場の胴元みたいだな。政府って胴元だったのね。これぞ「ネズミ車式資本主義」。我々は死ぬまで走らされる。消費という大車輪の中で。


 そう考えると、昨今の消費税増税というテーマは、「お前ら国民に代わって、俺達胴元が金を使ってやるよ」という意味なのかもしれぬ。


 いずれにせよ、資本主義はそのギャンブル性によって行き詰まりを露呈しつつある。


 次に国債の説明――


 債権というものを少し簡単に説明してみます。債権は10年なら10年、金利が固定されるものです。たとえば、その時に発行される、10年もの国債の金利が2.5%であれば、その国債は10年にわたって2.5%の金利が取れることを保証しています。となると、その後に金利が3%のものが発行されたらどうなるか? それは2.5%を10年間続くのと違って3%という金利が高いものが10年保証されるわけですから、当然、金利の高い設定のほうが、価値が上がるわけです。そしてこれが、前に発行された10年もの債権(金利2.5%)の価値を減価させ、値段の急落となります。金利上昇による債権価格低下のメカニズムです。

 これがインフレ気味、ないしは国債の大量発行の供給に耐えきれず、仮に10%の国債が発行されるようになったらどうなるか? 新しい国債は10年間10%の金利が保証されるわけですから、だれも10年変わらず2.5%の金利などという債権は買わなくなってしまいます。これが2.5%の金利の国債価格の暴落を引き起こすわけです。そのような金利上昇が続いて起きていくと人々が予想するようになったらどうなるか? 誰も怖くて債権は買えなくなってしまい、国債は売れず、従来発行された国債は価格の暴落から、「がれきの山」になってしまいます。今発行されている国債など2ケタのインフレが起きれば、あっという間に半値以下、20%のインフレになれば、4分の1になってしまいます。


 これ、ちょっとわかりにくい。急落した国債はどこで売買されるんだ? 銀行間なのだろうか? それとも金利マーケットということか? 実際に現物を解約した場合、どの程度の手数料が発生するのかね?


 現在、国および地方の長期債務残高は835兆円となっている(リアルタイム財政赤字カウンター 10)。ここに異変が起これば、取り返しがつかなくなることは誰にでも理解できよう。壊れた一軒家は修復のしようもあるが、破壊した都市を直す手立てはない。


 続いてCDSの話――


 実はこれはCDSそのものが、商品として売買されたからなのです。たとえば自動車保険であれば、保険金を払う人と、保険を受ける保険会社だけの関係ですから、1億円の保険契約を、ある人がしたとすれば、その1億円だけが、動く金額です。ところがCDSの場合はこれを、相場として売買し始めたのです。

 ある人の保険会社の1億円の保険を例にとれば、その1億円の保証に対して、50万円だ100万だ、300万だ、という相場が限りなく形成されることによって、実際の保険金である1億円を通りこして、数10億円(ママ)の保険取引が行われたと考えればいいと思います。そうなると、実際の保険取引などとは関係なく、相場の勝ち負けが焦点となってくるわけです。


 資本主義のギャンブル性は金利とレバレッジにある。マネーは移動するだけで増殖を繰り返すのだ。金融マーケットは合法的なカジノと化している。胴元の連中は必死だ。世界中の大衆を巻き込むべく新たな商品開発に余念がない。ETFCFDがそれだ。


 一般投資家は長期投資でなければ勝ち目がないのだが、少々儲けるとレバレッジに目が眩(くら)んでしまう。気づいた時は丸裸ってわけだよ。


 経済はよく川の流れに例えられる。ダムが放水すれば、自ずから下流の水嵩は増す。つまり本来であれば金融政策で経済は活性化できるはずなのだ。そうなっていないということは、下流にダムがたくさんあるか、あるいは「放水は許さんぞ」という大国の意志が働いているとしか考えようがない。

恐慌第2幕

日本仏教の黎明を告げた鎌倉仏教


まえがき


 鎌倉時代には、世界の宗教史上にもまったく例をみないほど、すぐれた人材が相前後して輩出して、新しい仏教を展開した。この史上の景観は、偶然に展開したのではない。武士と呼ばれる新しい階級が、これまでの貴族の権力を押しのけて台頭し、貴族と結ぶ南都北嶺の仏教をささえてきた律令体制にかわる封建体制を建設した必然の結果として、新仏教の誕生を促したからである。古い仏教では、新しい時代の要求にはこたえられない。新しい時代は、また新しい宗教を要求するのである。

 律令体制から封建体制への変革期を迎え、武士階級がさっそうと歴史の舞台に登場しても、民衆の生活が目にみえて幸福になったわけではない。かえって、変革期に特有の新旧権力の相剋は、乱世を招き、惰眠をむさぼりつづけてきた王朝時代よりも、いっそう苛酷な境遇のなかへ、民衆をまきこんだ。加えて、続発する天災地変と飢饉疫癘(ききんえきれい)は、新しい時代の到来とはおよそうらはらに、多くの貧しい民衆を不幸のどん底へ突き落していった。当時の民衆にとって、生きるということは、どうすれば死なないですむか、ということにひとしかった。このような、限界状況へ追いつめられた人びとに、希望をあたえうるものがあるとすれば、仏教をおいてほかになかった。希望をあの世にかけるにせよ、この世につなぎとめるにせよ、民衆は、宗教なしに暗い絶望を明るい希望へ転ずることはできなかった。しかし宗教といっても、南都北嶺の古代仏教には、中世の人びとの肉体と魂の苦悩を解決する力は、もはやほとんどうせていたのである。

 このようなときに、土くさい坂東武者が台頭したことは、庶民のなかのエリートたちに大きな刺激と勇気をあたえ、世俗の権力を欲しないもの、あるいは昇進コースから疎外された失意のものは進んで仏門に殺到した。仏門は、そいう人たちの欲求不満に、ある程度こたえてくれる世界でもあった。こうして仏教界には、錚々たる人材が集まったのである。

 鎌倉仏教のなかで後世に大きな影響をおよぼした人として、親鸞道元日蓮の3人をあげることは、こんにち学界の定説となっている。もっとも、鎌倉時代にまでさかのぼってみると、法然や一遍は親鸞より著名であったし、道元は栄西の名声のかげに隠れていた、といえる。日蓮になると、親鸞の場合もそうであるように、当時の史書には全然その名さえ記されていない無名の凡僧にすぎなかった。ところが、いったん鎌倉時代が経過してみると、親鸞の念仏は漸次、法然や一遍のそれを追いこし、道元の曹洞宗は栄西の臨済禅をしのぎ、日蓮の法華もせりあがって、比叡山の法灯をゆるがすようになる。

 開祖滅後の歴史的地位のこのような変動は、いうまでもなく、彼らを開祖とあおぐ教団勢力と布教活動の結果である。これを、後世に影響をおよぼした歴史的事実として重視するならば、親鸞、道元、日蓮の3人を鎌倉仏教の代表者とする理由は、じゅうぶんなりたつように思われる。しかし、理由はただそれだけではない。彼ら3人の信仰と思想の体系にふくまれた豊かな価値は、さまざまな制約と限界をもちながらも、現代の時点からも、客観的な評価にたえられるからである。これは、他の鎌倉時代の新旧仏教者の残した遺産にはみられない現象だといってよい。親鸞の抒情的な人間性と愛欲との葛藤、日本人には珍しい道元の深い論理の思索、そして日蓮の苛酷な受難の生涯における自己形成へのひたむきな奮闘は、ただこのことだけをとりあげても、数世紀の時間の距離をこえて現代に訴える。親鸞、道元、日蓮の3人によって鎌倉仏教は思想の豊かさを増し、これまでの庶民不在の日本仏教に、はじめて庶民が救いの正客として招かれた。

 無から有は生じない。日本仏教の黎明を告げた鎌倉仏教も、実は南都北嶺の冥闇のなかからぬけだしてきたのである。とくに北嶺と呼ばれた日本天台宗の総本山比叡山は、新仏教の母胎となった。また天台・真言の二つの仏教の背景となった平安時代のふところのなかで、鎌倉時代をまっていっせいに開花する新仏教の芽が、徐々にはぐくまれてきたのである。

 本書は、新仏教におよぼした旧仏教の影響をとくに重視している。新仏教の栄光は開祖一代でつき果て、その滅後は、各教団がそれぞれ外郭的な発展をとげたにもかかわらず、その発展に見合うような思想と信仰の遺産は発展させられなかったという観点を強調した。このことは、門下の力量不足や南北朝以降の時代の貴族的反動化のせいばかりではなく、さかのぼって探究すると、新仏教の開祖の思想と信仰の泉にも、神祇崇拝や王仏冥合の教説や密教的呪術との妥協が深く沈澱していたからである。

 私は本書をつうじ、彼らの仏教における新しさと同時に古さを摘出し、仏教に関心を有する人たちに、鎌倉仏教の遺産を前向きに継承する仕方を考えてもらいたいと思っている。戦前と戦後の断想を無視する明治100年の掛け声におどらされて、当然、払拭されるべきはずの歴史の垢までが墨光を放って、人びとをふたたび悪しく魅了することのないよう、私はここで、鎌倉仏教の栄光と同時に、挫折の悲惨に眼をそらさなかったつもりである。もとよりその意図は、鎌倉仏教を戦後の日本に正しく寄与させたい、ということ以外にない。本書を、鎌倉仏教の批判的な概論書、または入門書として読んでいただければまことに幸いである。

 なお本書では、原典からの引用は便宜上、新仮名づかいに改め、漢文や和漢混淆文は和文にかえ、必要に応じて意訳した場合も多い。

 最後に、本書の執筆をおすすめいただいた東京教育大学教授家永三郎氏に対して、心からお礼を申しあげたい。


 1967年3月下旬

  著者


【『鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮』戸頃重基〈ところ・しげもと〉(中公新書、1967年)】

鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮

ピエール・ド・フェルマーが生まれた日


 今日は仏の数学者ピエール・ド・フェルマーが生まれた日(1601年/諸説あり)。本業は弁護士。パスカルと共同で確率論の基礎を作り、デカルトと文通を交わしながらデカルトとは独立に解析幾何学を発明。『算術』の余白に48の書き込みを。その一つがフェルマーの最終定理。解けたのは360年後。

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)


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2010-08-16

池谷孝司


 1冊挫折。


 挫折64『死刑でいいです 孤立が生んだ二つの殺人』池谷孝司〈いけたに・たかし〉編著(共同通信社、2009年)/ワードのような活字に驚かされる。共同通信社の本でもこの体たらく。特異な殺人事件を追ったルポ。どう考えても意味のある仕事とは思えない。猟奇的な犯罪はいつの時代もある。多分、遺伝子の異常に起因しているのだ。私はむしろ、このような本を著そうとした著者の動機に問題があると考える。興味は関心を刺激されることで湧くものだ。猟奇性、残虐性を社会にばらまくような行為になってやしないだろうか? 20ページで読むのを中止する。発達障害と犯罪に関するものであれば、佐藤幹夫著『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』がオススメ。

理性は対立的


岡●理性というのは、対立的、機械的に働かすことしかできませんし、知っているものから順々に知らぬものに及ぶという働き方しかできません。本当の心が理性を道具として使えば、正しい使い方だと思います。われわれの目で見ては、自他の対立が順々にしかわからない。ところが知らないものを知るには、飛躍的にしかわからない。ですから知るためには捨てよというのはまことに正しい言い方です。理性は捨てることを肯(がえん)じない。理性はまったく純粋な意味で知らないものを知ることはできない。つまり理性のなかを泳いでいる魚は、自分が泳いでいるということがわからない。


【『小林秀雄全作品 25 人間の建設』小林秀雄(新潮社、2004年)】

小林秀雄全作品〈25〉人間の建設 人間の建設 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

祈りとしての文学


わたしを離さないで』は、アウシュヴィッツへの応答であると同時に、サルトルの問いに対する、作家イシグロの実践的応答として読むことができるだろう。彼らは人間らしくその生をまっとうすることはできないのだと、世界から当然のように見なされ、その生もその死も、世界に記憶されることのないこれら小さき者たちの尊厳を、小説こそが描きうるのだという応答である。それはまた今日の世界におけるパレスチナ的現実への応答であり、これら祈ることしかできない小さき人々に捧げられた祈りでもある。祈りとしての文学――。

 文学は祈ることができる。あるいは、祈ることしかできないのだ、と言うべきなのだろうか。だが、祈りとは何なのか。「解放の神学」の神父たちが銃をとったのは、祈りを無力と考えたからだ。人間が人間となった太古(いにしえ)から連綿とあったこの営みは、銃によって、あるいはダイナマイトによって、否定されねばならないのだろうか。


【『アラブ、祈りとしての文学』岡真理(みすず書房、2008年)】

アラブ、祈りとしての文学

しょう地三郎が生まれた日


 今日は日本の教育者・しょう地三郎(しょうち・さぶろう)が生まれた日(1906年)。教育学・心理学・精神医学のエキスパート。養護学校の先駆けとして「しいのみ学園」を創設。95歳で中国の障害児教育支援をし、数えで100歳になってからは世界一周講演旅行を毎年行う。生涯青春の気概は衰えず。

しいのみ学園

2010-08-15

ホワイト


 1冊読了。


 105冊目『科学と宗教との闘争』ホワイト/森島恒雄訳(岩波新書、1939年)/面白かった。これで岩波新書の森島三部作(『魔女狩り』『思想の自由の歴史』)は読み終えた。西洋の科学史は教会との闘争の物語であった。元々は神の存在を証明するための学問が、神の領域を超えてしまうことで異端視される。葬られた科学者は数知れず。聖書の言葉は文字通り鎖と化した。それだけの力が聖書にはあるのだろう。だが、その一方で神という中心軸があったからこそ西洋の科学は総合性を持ち得たのだ。原書は1876年と1896年に発行されており、「むすび」のへなちょこぶりが著者の敬虔さを示している。

戒律


 戒律の問題はその是非にあるのではない。それは形式と内実、行為と悟り、手段と目的、組織と人間、個人と社会、法律(公共性)と権利(自由)といったテーマに帰着する。最終的には言葉が秘めている束縛性と(コミュニケーションを可能にする)自由性の問題だ。

陽子

 とにかくちっぽけで、体積なんかあるかなし。あまりに小さすぎて、とうてい実感できないのが、陽子だ。

 陽子は原子を構成する微細な要素のひとつだ。そして、その原子からして実体がないに等しい意サイズときている。陽子がどれくらい小さいかというと、例えば印字「i」の「・」に当たる部分の微量なインクには、約500,000,000,000個の陽子が含まれている。50万年を分で勘定した数字を上回る個数、と言い換えてもいい。つまり陽子は、どう控えめに表現しても、きわめて微視的な存在だ。


【『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン/楡井浩一〈にれい・こういち〉訳(NHK出版、2006年)】

人類が知っていることすべての短い歴史(上) (新潮文庫) 人類が知っていることすべての短い歴史(下) (新潮文庫)

無神論者とは


 さて、よく「俺は無神論者だ」などという人がいます。

「無神論」という言葉が、例えばヨーロッパではどのような戦いの中で、勝ち取られてきた言葉か――自称「無神論者」の人たちは理解しているでしょうか。「神」の権威を振りかざす王や権力者との間で行われた戦いの熾烈さを、想起しているのでしょうか。少なくとも、「真の無神論者」は、真剣に信仰に生きている人をバカにしたりはしません。おそらく「真の無神論者」がもっとも嫌悪するのが、年中行事として形骸化した葬式でしょう。それこそが、権力者が作り上げた「虚構の共同体の維持装置」なのですから。

 しかし、日本の自称「無神論者」はしっかり、初詣には行くのです。神殿の前でしっかり、「本年一年無病息災、商売繁盛」と祈るのです。言葉の厳密な意味で「無神論者」が最も批判するのは、日本的な「仮称無神論者」かもしれません。

「初詣は宗教じゃない。みんなやっている習慣なんだ」。しっかり神だのみをしている事実を覆い隠すように「仮称無神論者」は言います。この「習慣」というのが曲者(くせもの)なのです。「習慣」とは、権力者が作り上げた「虚構の共同体の維持装置」なのです。ミシェル・フーコーが「権力のまなざし」として感じ、ヴァルター・ベンヤミンが「勝者の歴史」と見抜いたものに通じるのです。そして、まさに仏教が疑問を投げかけた、サンカーラそのものなのです。


【『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥〈ともおか・まさや〉(第三文明社、2000年)】

ブッダは歩むブッダは語る―ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う

ナポレオン・ボナパルトが生まれた日


 今日はナポレオン・ボナパルトが生まれた日(1767年)。教皇からではなく自ら戴冠し、千年の歴史をもつ神聖ローマ帝国を滅ぼした男。「世界を引っぱってゆく秘訣はただ一つしかない。それは強くあるということである。なぜなら力には誤謬もなく、錯覚もないからである。力は裸にされた真実である」(『ナポレオン言行録』オクターブ・オブリ編)。

ナポレオン(上) (講談社学術文庫) ナポレオン(下) (講談社学術文庫) ナポレオン自伝

2010-08-14

色々あって姪っ子7歳引き取ることになった


◇◇チラシの裏 126枚目◇◇


1 :名無しの心子知らず:2010/07/28(水) 14:59:01 ID:DSEyeGdQ

ここは チラシの裏 に独り語りする場所です。

育児に関係ない呟きは板違いです。

書き込みに対するお説教はご遠慮下さい。

※>>980踏んだ人は次スレ立てて下さい。

立てられなかった場合は報告&他の人に依頼して下さい。

前スレ

◇◇チラシの裏 125枚目◇◇

http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/baby/1278413684/


798 :1/2:2010/08/13(金) 10:40:31 ID:nE2jxtd8

色々あって姪っ子7歳引き取ることになった。

結婚するあてもないし。まだ24歳だが人と出会う仕事でもないし、そんなバイタリティ

もないから現実的に言って無理だし、面倒臭いのもあるからもう良いや、と。

兄夫婦が離婚して元義姉に引き取られていき、元義姉は再婚。

再婚した相手が最低で酷い虐待。

元義姉は「しょうがない、我慢しなさい」と言い続けたらしい。兄は事故で他界だしで。

たまたま仕事の関係で関東に行って姪っ子の小学校の近く(昔私が通った小学校だった)

に来たから、学校の前を通りながら眺めようとしたら、丁度休み時間だったらしく校舎から出てきた

姪っ子とバッチリ目があって、遠めでも私だと解ったらしく泣きながら抱きついてきた。

そのまま職員室で夕方まで面談(私+姪っ子+姪っ子母方祖父母+校長)。

元義姉側の親はその事実を知らなかったらしい。母親は面倒くさいとの理由で来ず。

自分は引きこもるタイプの自営業だから問題無いなぁ、と思い、「私の娘にならない?」

と言ったら「なりたい!お母さん嫌い!」と抱きついて離さない。

もうこの親子駄目なんだなぁ、と思った瞬間。

気にはなってたけど、会うこともせず3年ぶりの再会だったのに覚えてくれていたのにも驚きだった。

養子になるまでのやり取りがまた最低だった。


799 :2/2:2010/08/13(金) 10:47:31 ID:nE2jxtd8

元義姉「子供手当てが目当てだろ!」 再婚相手「今までの養育費払うっつーなら良いけどよ」

子供の前で orz

お前らそんなに卑しい真似してまで金が欲しいのかよ、と。いつまでもごねられそうだったので

現金一括でくれてやった。可哀想だと思ったけど、寝てる間に証拠写真撮ったり、アホな元義姉

の前に現金チラつかせて念書書かせたりと養子にするまで半年以上掛かった。

もう関わるのも嫌だったので、ダミーの住所も作って転居。実家はもう未練も無かったので売った。

昨日で親子になって丁度一年経って、それを祝うのも変なのでただ単に食べたくなったと言って

ケーキを買って二人で食べてたら娘(元姪)から「お母さんがやっぱりお母さんだったんだ」と

言われた。その時は意味が解らず「母さんが母さんって当たり前じゃん?」と応えたが寝てる時に

理解して、泣きそうになった。

仕事柄とは言え家で電話やメールのやり取り以外、下手したら生協宅配だけで平気で数ヶ月も

外に一歩も出ず生きてきた自分が人並みに2、3日に一回は買い物して、掃除して、町内会の

当番やら学校のPTA役員やら色々やって、娘の友達が来れば冷凍生地のクッキー焼いて

良い母を演じつつ友達が帰った後「今日私格好良くなかった!?」「良い感じだった!」と

馬鹿話しつつ肩揉みしてもらったり足踏んでもらったりするようになるとは思わなかった。

これからも色々あるだろうけど、まあ何とかなる気がしてきてる。

長文失礼しました。


800 :+1:2010/08/13(金) 10:55:29 ID:nE2jxtd8

追記。母親になってから、友人からの私の渾名がマリアになってしまい、

その意味を娘が理解するのはいつだろう、と今から憂鬱ではあります。

若泉敬


「核密約」遺書でわびる 密使として関与の故・若泉敬氏


 著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の中で沖縄返還交渉において、自らが佐藤栄作首相=当時=の密使として核持ち込み密約にかかわったことを告白した元京都産業大学教授・若泉敬氏(1996年死去=享年66歳)の遺書の写しがこのほど、関係者の手により明らかになった。遺書は1994年6月23日の日付で、県民と、当時の大田昌秀県知事(現参院議員)あて。この中では、核持ち込み密約にかかわった自らの責任を悔い「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取り、国立戦没者墓苑において自裁(自決)します」と記されている。

 慰霊の日のこの日、若泉氏は同墓苑に喪服姿で参拝に訪れている。これまでも自決するために沖縄を訪問したといわれており、遺書の内容はこれを裏付けるものとなった。

 遺書は「嘆願状」の題目で10行の便せん5枚。自らの著書により県民に「新たな不安、心痛、憤怒を惹(ひ)き起こした」と述懐。沖縄返還交渉で緊急時の核の再持ち込みの「密約」が交わされたとされる1969年の日米首脳会談以来、密使としてかかわった自らの責任の重さを記している。

 墓苑での自決を思いとどまった若泉氏は、著書の英訳出版など日米関係の実態をさらに広めようとしたが、96年7月27日、すい臓がんのため死去した。

 若泉氏の同墓苑参拝に立ち会うなど、92年から亡くなる直前まで取材した琉球朝日放送(QAB)報道制作局長の具志堅勝也さん(50)がこのほど、同氏の弁護士から遺書の写しを入手した。具志堅さんは「いつも沖縄のことを気に掛けている人だった。本土復帰は良かったのかと質問を受けたこともある。密約は県民にとってありがたい話ではないが、歴史の裏に隠された真実を知ってほしい」と話した。


琉球新報 2005-05-14


 なお極秘交渉の経緯を記した著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋、1994年)において、核持ち込みと繊維問題について作成した日米秘密合意議事録の存在について触れている。同書によれば、佐藤とニクソンは、大統領執務室隣の小部屋で、二人きりになって署名したという。

 同書の上梓後、1994年6月23日付で大田昌秀沖縄県知事宛に「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取り、国立戦没者墓苑において自裁(自殺)します」とする遺書を送り、同日国立戦没者墓苑に喪服姿で参拝したが自殺は思いとどまった。

 その後、『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』英語版の編集に着手。完成稿を翻訳協力者に渡した1996年7月27日、福井県鯖江市の自宅にて逝去(享年67)。公式には癌性腹膜炎ということになっているが、実際には青酸カリでの服毒自殺だった。なお、2002年には、英語版がハワイ大学出版局から公刊された。また『正論』2006年9月号に、英語版序文の原稿が掲載されている。

 若泉の自殺の報を聞いた大田は「核密約を結んだことは評価できないが、若泉さんは交渉過程を公表し、沖縄県民に謝罪し、『結果責任』を果たした。人間としては信頼できます」とコメントしている。


Wikipedia


他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス 〈新装版〉 「沖縄核密約」を背負って 若泉敬の生涯

仏教と菜食主義


 最近ごく一部で例外的なことは見られますが、伝統的に、インド人は牛は神聖だから食べないとされてきました。そして、とくにカースト制度(法律では禁止されていますが、実際には厳然とあります)という身分制度の頂点に立つバラモンたちは、菜食主義で不殺生(生き物を殺さない)の誓いを完全に守っていることに由来する最高の浄性こそが、みずからが社会の最上位にいる根拠だと主張します。

 ところが、じつは、昔々、バラモンたちは、牛でも羊でも、動物の肉を食べていたのです。バラモンたちが主宰する古いヴェーダの宗教は、家畜を解体して祭火に捧げるという犠牲祭を中心とした宗教でした。祭祀を司るバラモンたちは、そうやって犠牲にされて焼かれた家畜の肉を、日本の神道における直会〈なおらい〉のように食べたのでした。

 ところが、西暦紀元前6〜5世紀に興った新しい反(非)バラモン主義的な宗教、とりわけ仏教とジャイナ教は、不殺生を戒(シーラ、心がけ)あるいは誓戒(ヴラタ、絶対に守り抜くとの誓い)の最重要項目として掲げました。そして、家畜を殺してその肉を食らうということが不浄の行いであると厳しく批判し、みずからは菜食主義を採用しました。

 菜食主義は、ジャイナ教の場合は徹底したものでしたが、仏教の場合はそれほどでもありませんでした。在家信者は肉食〈にくじき〉を禁ぜられることはありませんでしたし、出家も、在家がわざわざ自分のために家畜を殺して料理したということが明らかな場合を除いて、托鉢〈たくはつ〉で在家から受けた食に肉が混ざっていても、食べて一向にかまわないとされました。

 一方、仏教やジャイナ教などの新しい宗教に見る見る大量の信者を奪われていったヴェーダの宗教を主宰するバラモンたちは、みずからの宗教を改革し、救済主義色の濃厚な民衆宗教としてのヒンドゥー教を創り出しました。

 そのさいバラモンたちは、ふたたび自分たちの思い通りになる状況になるように、みずからの生活信条を根本的に変えました。そしてジャイナ教流の厳格な不殺生と菜食主義とを取り入れ、まことに図々しいことに、自分たちだけが、古来この浄らかな宗教的生活信条を守り抜いてきたのだと宣言しました。バラモンたちの変わり身の早さには驚かされます。

 さて翻って、救済主義色の濃厚な民衆宗教として成功の道を着実にたどっているヒンドゥー教を身近に見ていた在家の仏教信者たちは、仏教の出家たちが、出家至上主義的な態度を取り、在家の面倒をあまり見ないことに不満を抱き、新しい民衆仏教運動を展開しました。こうして西暦紀元前後に生まれたのが大乗仏教です。

 大乗仏教は、ヒンドゥー教がジャイナ教から取り入れた誓戒を波羅蜜(はらみつ、パーラミター)や誓願(プラニダーナ)ということばで置き換え、在家中心の菩薩行〈ぼさつぎょう〉を宣揚しました。そして同時に、やはりヒンドゥー教がジャイナ教から取り入れた厳格な不殺生と菜食主義を取り入れました。旧来の仏教では、出家は、条件さえ整っていれば肉を平気で食べていたのですが、大乗仏教では肉食を完全に排除しました。明治時代以降、あっという間にこの点で日本仏教は大きく変質しましたが、日本仏教を含め、中国、朝鮮半島、ヴェトナムに広まったのは大乗仏教で、その出家たちは肉食を厳しく避けるのが原則でした。(例外というものは色々あるのですが、例外はあくまで例外です。)


【『仏教の謎を解く』宮元啓一(鈴木出版、2005年)】

人工知能がトップダウン方式であるのに対し、動物の神経回路はボトムアップ方式

 基本的に、動物が長生きできるかどうかは、環境と相互作用する能力の高さ、つまり、餌や配偶者を発見する確率が最大になり、崖から落ちたり、腹をすかせた捕食者に遭遇したりする確率が最小になるように立ち回る能力によって決まってくる。ドアに×印がついているだけで混乱するロボットのような動物がいたら、すぐに捕食されてしまうだろう。サルでもウサギでもネズミでも、運動能力をもつ動物は昔、めまぐるしく変化する外界の危機や好機を迅速に察知し、状況に見合った反応ができるものほど長生きする。

 動物の神経回路は、人口知能システムとはまったく違った方法で設計されている。すなわち、人口知能システムが上位の機能から下位の機能へと論理的・階層的に設計されるのに対して(トップダウン方式)、動物の神経回路は、個体の生死にかかわる具体的な問題に遭遇するたびに、神経細胞どうしが有機的な結びつきを形成してこれに対処するという方法で進化してきたのだ(ボトムアップ方式)。感覚入力の処理に関して最先端のコンピュータをはるかに凌ぐ能力を示す、複雑で優美な神経回路網は、無数の世代の動物たちの体内で繰り返された試行錯誤と遺伝的微調整の成果なのだ。


【『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース/茂木健一郎監訳、木村俊雄訳(PHP研究所、2003年)】

脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス

螺旋蒐集家


 わたしは螺旋蒐集家(らせんしゅうしゅうか)である。

 だが、そう言っても普通の人々には何のことかわかるまい。世の中には様々な蒐集家(コレクター)がいるが、螺旋を集めるのが生甲斐(いきがい)という人間など、そうはいないだろうからだ。

 螺旋とは何か。

 螺旋とは渦(うず)のことである。

 小さなものでは原子核の周囲を運動する電子の回転(スピン)、または田螺(たにし)のような巻貝から、大きなものでは、最大直径16万光年にもおよぶ我々の属する銀河系のようなひとつの渦状星雲に至るまで、あらゆるものが渦を巻いている。

 それを捜し、集めるのがわたしの趣味なのだ。


【『上弦の月を喰べる獅子』夢枕獏(早川書房、1989年/ハヤカワ文庫、1995年)】

上弦の月を喰べる獅子〈上〉 (ハヤカワ文庫JA) 上弦の月を喰べる獅子〈下〉 (ハヤカワ文庫JA)

札幌農学校が開校した日


 今日は札幌農学校が開校した日(1876年/明治9年)。北大農学部の前身。初代教頭にクラーク博士が招かれる。札幌農学校の校則について「この学校に規則はいらない。Be gentleman(紳士であれ)で十分である」と黒田清隆に進言。わずか8ヶ月の滞在で次代を担う青年を育てた。

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2010-08-13

中東が砂漠になった理由/紀元前5世紀に肉食をやめたインド

石●結局イスラムは、ブタを捨ててヤギとヒツジに頼ったわけです。ヤギとヒツジは、ある意味でいちばん自然を破壊する家畜ですよ。イスラム文化の支配したところが砂漠化していったのは理解できます。アラビア半島から始まってインド亜大陸、中央アジア北アフリカ、スペイン南部まで、イスラムの支配した地域はほとんど砂漠です。ヤギとヒツジのせいだといってもいい。


湯浅●根まで食べちゃうわけですからね。


安田●インドがなぜ肉食をやめたのかということは、いずれにしても21世紀の大きなテーマになる。いずれ人類はそんなに肉を食えない時代を迎えるはずです。インドの紀元前5世紀における肉食の放棄は、結局、放棄するしかなかったということかもしれません。


【『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之〈いし・ひろゆき〉、安田喜憲〈やすだ・よしのり〉、湯浅赳男〈ゆあさ・たけお〉(洋泉社新書y、2001年)】

環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)

欧州物理学チーム、特殊相対性理論の「E=mc²」をついに証明


 理論物理学者アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)が1905年に発表した特殊相対性理論の有名な関係式「E=mc²」が、1世紀余りの後、フランス、ドイツ、ハンガリーの物理学者のチームが行ったコンピューターによる演算の結果、ついに証明された。

 仏理論物理学センター(Centre for Theoretical Physics)のLaurent Lellouch氏率いる物理学の合同チームは、世界最高性能のスーパーコンピューター数台を使って、原子核を構成する陽子と中性子の質量を算出した。

 素粒子物理学では一般的に、陽子と中性子は、クォークと呼ばれるより小さな粒子で構成されていると考えられている。さらに、クォークはグルーオンと呼ばれる粒子で結びつけられている。

 不思議なのは、グルーオンの質量はゼロ、クオークの質量は全体の5%しかなく、残りの95%はどこにあるのかということだ。

 21日の米科学誌「サイエンス(Science)」で発表された研究結果によると、その答えは、クォークとグルーオンの動きや相互作用によって発生するエネルギーにあるという。つまり、特殊相対性理論でアインシュタインが提唱したとおり、エネルギーと質量は等しいということになる。

 関係式「E=mc²」は、質量がエネルギーに、エネルギーが質量に変わることを示すもので、一定の質量がエネルギーに変わる際に放出されるエネルギー量を割り出すために、これまでに何度も利用されてきた。最も有名なのは、核兵開発のヒントとなる基本的な考え方となったことだ。

 しかし、量子色力学の理論を用いて素粒子レベルで「E=mc²」を解くのは、非常に難しいとされてきた。

 フランス国立科学研究センター(National Centre for Scientific Research、CNRS)はプレスリリースで、「この関係式はこれまでは仮説だったが、今回、世界で初めて実証された」と自信を持って発表した。


AFP 2008-11-23

ユースフ・イドリース「私は跳躍し、奔走し、憤激し、思索し、挫折し、狂喜し、活動し、旅し、人に出会い、彷徨する」


 ナセルがスエズ運河近くに軍事拠点を設置することに同意を与えると、イドリースはこれは英国の即時撤退を不徹底にするものとして、ナセルの施政を痛烈に攻撃し、そのためイドリースは逮捕投獄された。その後、イドリースは戯曲『アル・ファラーフィール』を書き、「なに故に一人の人間が他者を専横的な支配の下に置かなければならないのか?」というテーマを生気ある諧謔(かいぎゃく)で作品化し、それが上演されると熱狂的な大衆の支持によって迎えられた。その後もイドリースは、作品によるナセル批判の追撃の手を緩めなかった。

 このように、イドリースはエジプト社会に非妥協の姿勢で関(かか)わり、一貫して反骨を貫く作家であった。彼は作家としての自分を次のように語っている。

「私は茶屋の椅子(いす)にステッキと数珠を手にして座しているような作家とは異なる。私は跳躍し、奔走し、憤激し、思索し、挫折(ざせつ)し、狂喜し、活動し、旅し、人に出会い、彷徨(ほうこう)する」

 彼の経歴から、アンガージュマンの作家であることは自明だが、さらに彼の言葉を借りてみよう。「私は社会の中の生きた道具だ。社会が気を失ったら私が社会に囁(ささや)きかけ、鼓吹し、抗争に引き出し、時には自分のペンで突き刺して、蘇生(そせい)させてやるのだ」この点は「私の関心は書くことによって惹起(じゃっき)される影響にある」という彼の発言とも通ずるところがある。(「解説」より)


【『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20』朝鮮短編集、魯迅、巴金、茅盾、クッツェー、ナーラーヤン、イドリース、マハフーズ(集英社、1991年)】

中国・アジア・アフリカ/集英社ギャラリー「世界の文学」〈20〉

人間を拒む場所には神がいる


 したがって、高山病は何世紀も前から知られていた。昔の人にとっては謎の病気であり、神の住む場所だから人間は気が狂うのだとか、山の植物が毒を発散しているせいだとか考えられていた。


【『人間はどこまで耐えられるのか』フランセス・アッシュクロフト/矢羽野薫訳(河出書房新社、2002年/河出文庫、2008年)以下同】


 古代ギリシャ人も、オリュンポス山の山頂(標高約2900メートル)では息苦しくなることから、山頂は神々が住むところで人間が足を踏み入れることは許されないのだと信じていた。

人間はどこまで耐えられるのか 人間はどこまで耐えられるのか (河出文庫 ア 6-1)

(※左が単行本、右が文庫本)

緒方洪庵が生まれた日


 今日は緒方洪庵が生まれた日(1810年)。28歳で適塾を開く。門下生には福澤諭吉橋本左内大村益次郎など。日本初の病理学書も著す。「人の為に生活して己のため生活せざるを医業の本髄とす 安逸を思はず名利を顧みず唯己をすてて人を救はん事を希ふべし」(緒方洪庵抄訳「扶氏医戒」)。

緒方洪庵―幕末の医と教え

2010-08-12

『歴史の不測 付論 自由と命令・超越と高さ』エマニュエル・レヴィナス/合田正人、谷口博史訳(法政大学出版局、1997年)

歴史の不測―付論 自由と命令・超越と高さ (叢書・ウニベルシタス)


 タルムード研究に取り組む一方、ハイデガー哲学との対決を通して独自の哲学を展開してきたレヴィナス。彼の1929〜92年にかけての論文をまとめ、その思考の多様な展開を証示する。

野口健は日本航空を利用しない


御巣鷹の日航機事故から今日で25年。数年前の出来事。当時の日航経営陣の一人が私に「野口さん我々も山の清掃していますよ」と。そして「ええ、御巣鷹でね。あっ、あれはゴミじゃなかった。アハハ」と確かに彼は笑いながそう言った。私はそれ以来、可能な限り日航機には乗らないようにしているless than a minute ago via モバツイ / www.movatwi.jp Favorite Retweet Reply

文字を読む脳


(スタニスラス・)デハーネ(※フランスの神経科学者)の見解をあえて膨らませてみると、文字を読む脳はどうも、本来、視覚専用としてではなく、視覚を概念形成機能および言語機能と結びつけるために設計された、古いニューロン経路を活用しているように思われる。ここで言う、視覚と概念形成機能や言語機能との接続は、たとえば、地面に残された足跡の形状を素早く認識して、これは危険を知らせるものだと即座に推論したり、認識した道具や捕食動物、敵を、それを表す単語の検索と結びつけたりすることである。したがって、読み書きや計算などの機能の発明という作業に取り組むことになった時、私たちの脳は、独創的な三つの設計原理、つまり、古くからある構造物間に新たな接続を形成する能力、情報のパターン認識を行うために精巧に特殊化された脳領域を形成する能力、そして、それらの脳領域から得られた情報を自動的に採用して関連づける能力を、意のままに使いこなした。読字の進化、発達および障害のいずれの根本にも、この三つの脳構造の原理が何らかの形で働いている。


【『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ/小松淳子訳(インターシフト、2008年)】

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

時間と空間に関する覚え書き


◎では、宇宙図を見て閃いた悟りを開陳しよう(笑)。視覚が捉えている世界は「光の反射」である。光には速度がある(秒速30万km)。つまり我々に見えているのは「過去の世界」であって「現在という瞬間」を見ることはできない。


◎更に人間の知覚は0.5秒遅れる。つまり「光の速度+0.5秒」前の世界を我々は認識しているわけだ。

◎例えば北極星。地球上から見える北極星の光は431光年を経たものである。仮に北極星でサッカーの試合をしたとしよう。コイントスが終わっていよいよゲームが始まる。この場合、431年前のゲームを我々が見ていることになる。


諸行無常とは存在の本質を示した言葉であろう。「とどまることを知らない変化」こそが存在の存在たる所以であり、それが生命現象である。しかしながら我々の視覚に映じているのは過去の世界であるがゆえに、「存在の影(あるいは迹〈かげ〉)」しか認識できない。


◎「神」という視点は光に支えられた座標なのだろう。それは「見える世界」に限定される。そうでありながら光の源である太陽を人間は直視することができない。「見えるもの」には名が付与される。言葉は名詞から発生したと考えられている。神は光であるがゆえに「初めに言葉ありき」という構図ができる。


相対性理論は空間と時間が絶対ではないことを明かした。例えば光のスピードで走る車をあなたが道路で眺めたとしよう。車内の人達は全く動いておらず、彼らの周囲にある物は全て縮んで見える。車の中では普通に時間が進行しているにもかかわらずだ。


◎車を運転していたのは浦島太郎だった。首都「光速」道路で竜宮城へ行き、3年後に自宅へ帰ったところ、何と300年が経過していた。これを「ウラシマ効果」という。


◎実は我々の生活にもウラシマ効果は存在する。

◎神が光であると仮定すれば、神的世界は光の届く範囲に限定される。そして光は必ず影をつくり出す。なぜなら物体が光をさえぎるからだ。こうして光は「表と裏」という世界を形成する。地球が太陽に照らされる時、光と同じ速度で地球の影は宇宙に伸びる。その先にも闇は広がっている。


◎宇宙全体に光が及ぶことはない。なぜなら宇宙は光速度を上回るスピードで膨張しているからだ。

◎光に支配されたキリスト教的時間観は直線的とならざるを得ない。生→死→復活→永遠、というのがそれだ。これでは系(システム)として閉じていないので必ず矛盾が生じる。

◎仏教は現在性を追求している。仏典においては「将来」ではなく「未来」という言葉が使われる。「将(まさ)に来たらん」とする時間ではなく、「未(いま)だ来たらざる」時間として捉える。厳密にいえば仏教は未来を認めていないのだ。


◎ブッダが説いた原始の教えはプラグマティズムと受け止められがちだが、むしろ現在性を重んじた智慧であったと考えるべきだろう。カースト制度を支える輪廻という物語を解体するには、前世・来世を一掃する必要があった。悟りとは修行の果てに得られるものではなく、ありのままの現在性を捉えることだ。


◎光の速度を超えると虚数の世界が現れる。2乗してマイナスとなるのが虚数だ。量子力学電磁気学では実際に使われている。膨張する宇宙の果てが虚数の世界であれば、そこはネガとポジが反転する世界だ。生老病死も反転し、光速度を超えた時点で過去へと向かい、久遠元初に辿り着くかもしれない。


◎実際は光速度に近づくほど質量は無限に重量を増す。これがE=mc²。質量が無限大の世界といえばブラックホールだ。地球を2cmに圧縮すればブラックホールが出来上がる。そしてブラックホールを取り巻く空間は激しく歪む


◎物理世界における光速度を超えるのは、無意識の直観であり、これこそが悟りなのだろう。

日中平和友好条約調印の日


 今日は日中平和友好条約調印の日(1978年)。浅沼稲次郎は国交回復を唱えて刺殺された。佐藤栄作首相は対米追随、社会党は立場を明らかにせず、共産党は毛沢東と大喧嘩をした。69年にニクソンが誕生し、72年キッシンジャーが中国を電撃訪問。対中関係を巡る権謀術数は熾烈の極みに達していた。

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浅沼稲次郎暗殺事件 1960年】

2010-08-11

宇宙図

 このページを見て私は悟りを得てしまった(笑)。いやホントの話。悟りとは何も大袈裟なものではない。新しい発見によって世界の見方が変化することだ。私は年に数十回は悟っているよ。去年、親父が倒れた時なんぞは1時間単位で次々と悟り続けた。具体的には脳神経に新しい回路が形成されるといってよい。詳細は明日ツイッターで。ただし、アニメーションを何十回となく見ても、まだピンとこないものがある。

人間には長期のストレスに反応して退行する傾向がある


 長期間――たとえば1週間程度――苦痛や不快な状況に置かれたことのある人ならば、このときの私の経験したことが思いあたるはずである。不快な状況に長期間置かれている人間は、当然のことながら、ほぼ不可避的に退行を示すのである。心理的成長が逆行し、成熟性が放棄されるのである。急激に幼児化し、より未開の状態に逆もどりする。不快感というのはストレスである。ここで私が言わんとしているのは、人間という有機体組織は長期のストレスに反応して退行する傾向があるということである。


【『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』M・スコット・ペック/森英明訳(草思社、1996年)】

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

内気な人々が圧制を永続させる


 圧制を永続させるのは、自分の信念を行動に移せない内気な人々である。


【『服従の心理』スタンレー・ミルグラム山形浩生〈やまがた・ひろお〉訳(河出書房新社、2008年/同社岸田秀訳、1975年)】

服従の心理

吉川英治が生まれた日


 今日は吉川英治が生まれた日(1892年)。「どの青年もおしなべて情熱との戦いを繰り返しながら成長して行くのに、君は不幸だ。早くから美しいものを見すぎ、美味しいものを食べすぎているということは、こんな不幸はない。喜びを喜びとして感じる感受性が薄れていくということは、青年として気の毒なことだ」(『吉川英治とわたし 復刻版吉川英治全集月報』講談社編、1992年)。

吉川英治とわたし―復刻版吉川英治全集月報

2010-08-10

強靭なロジック/『ジャパン・レボリューション 「日本再生」への処方箋』正慶孝、藤原肇


 ツイッターが面白くて、書評を書く意欲が失せている今日この頃である。そして季節は夏だ。夏に本は似合わない。ジリジリと焼きつけるような太陽の下で本を読んでいるのは、ま、私くらいなものだろう。


 この本は、藤原肇の公式サイトで知った次第。

 入手が困難かと思われたがネットで直ぐに見つけた。


 100ページくらいで挫けそうになった。藤原の老人っぷりに辟易(へきえき)させらたからだ。老いが頑迷固陋(ころう)へと傾き、自分の知識にしがみつく老醜をさらしている。なかんずくインターネットに関する無知は目を覆いたくなるほど。


 それでも、この二人のロジックから学ぶことは多い。歴史の流れを鋭く捉え、政治・経済・思想にわたる議論が展開されている。しかもその読み解き方が数学的視点に支えられているから説得力が倍増する。


「理」は「筋が通っていること」で「正しさ」や「誠実さ」を表わし、古来の徳目である「義」や「誠」に通じており、利益を意味する「利」よりも格が上である。

 しかし、戦後の日本では「利が理に優先」していて、価値観が逆転してしまったために、拝金主義に毒されたカネの亡者が横行し、情けないことに亡国の淵に立たされている。(藤原肇


【『ジャパン・レボリューション 「日本再生」への処方箋』正慶孝〈しょうけい・たかし〉、藤原肇(清流出版、2003年)以下同】


 これは西洋の理論と東洋の道理の違いを示している。西洋はどうしても神という真理に向かって理論が構築される。これに対して東洋の場合、天地自然の理(ことわり)に則(のっと)る意味合いが強く、具体的には「歩むべき道」として説かれる。藤原が言いたいのは「ロジック+仁」ということか。ロ仁ク(笑)。


 その(景気対策によって需給ギャップが埋まらない)最大の原因の一つは、地下経済が増殖していることである。今日本のGDP国内総生産)は約480兆円だが、そのうち5%ぐらいが毎年アングラ化していると見られる。だから経済政策がうまく作動しないのである。

 なぜ地下経済が増殖するのかと言えば、コンフィデンスすなわち信頼が損なわれているからである。政府と国民との間の信頼、経営者と労働者との間の信頼、先生と生徒との間の信頼、親と子との間の信頼など、さまざまな分野でのコンフィデンスの崩壊が進んでいる。政府と国民との間にコンフィデンスが成り立っていれば、経済はアングラ化しない。しかし、政治や政策に対する信頼が失われているために、経済はアングラ化し、政策はうまく作用しない。(正慶孝)


 この指摘も鋭い。信用(与信)で動いているはずの経済から信頼が失われているというのだ。脱税、資産隠し、100歳過ぎると行方不明、ってわけだよ。その原因が人間関係の崩壊にあると。


 とすると、やはり政治不信の影響は大きい。信頼は必ず大きなものから失われてゆくのだ。主義ではなく枠組みとしての国家がデタラメになれば、社会の共通価値も解体されてゆく。まして日本の場合、国家の上に位置する宗教的価値観を欠いているのだ。人々は流されるか、引きこもるしかなくなる。

 この二人は思想・哲学にも造詣が深く、縦横自在に文明論を戦わせる。


藤原●デカルトは中世のカトリックの世界に対して、サイエンスの側からの反発という形で登場しています。ところが、デカルトの前にガリレイがそれに挫折しており、デカルトはバチカンが怖くて仕方がなかった。『方法序説』はフランス語で書かれているが、「われ思う、ゆにわれ在り」の部分だけは「コギト・エルゴ・スム」とラテン語で書かれています。これは、私は精神世界と結びついていますよ、という法王庁の支配体制への一種の免罪符であり、本心は自分はサイエンスの側に立つということでした。


正慶●そこがデカルトの謎ですね。1968年にフランスの学生たちが反体制運動(五月事件)に立ち上がったとき、スローガンの一つに「デカルトを殺せ」という言葉がありました。これはデカルトに始まる近代を克服しろという意味でした。


藤原●そうです。近代を乗り越えてメタの世界に行かなければ、新しい社会は構築できないということです。


 藤原がいう「メタ」とは脱構築デコンストラクション)のニュアンスが強い。私はヘーゲルからマルクスに至る文脈をよく知らないのだが、どうもポストモダンという時代認識に違和感を覚えてならない。大体、中世と較べてもタイプスケールがあまりにも短すぎると思う。数世紀以内に人類が滅ぶのであれば話は別だが。


 では何をもってメタ(超越)してゆくのか? それは神に変わる基準を示す以外にない。「神は死んだ」とニーチェは叫んだが、その後新しい子供の生まれた形跡がない。で、もちろん神になった人間もいない。


「神は死んだ」とするのであれば、それまで「神は生きていた」ことになる。でも本当はいないよ(笑)。最初っからいなかったのだ。神が自分に似せて人間を造ったのではなく、人間が自分に似せて神を作り上げたのだ。だから、神は人間の姿をしているではないか。


 それゆえ歴史を超克してゆくためには、神の精算が不可欠なのだ。あいつは人間に「罪」という借金を背負わせただけの存在だ。

ジャパン・レボリューション―「日本再生」への処方箋


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【フランス パリ 五月革命 1968年】

見当識障害


 見当識障害についても同様である。見当識の原語はオリエンテーションであり、オリエンテーリングも同じ語源である。痴呆の見当識障害は、時間、空間、人物の順に障害が進行するのが原則である。つまり、まず今がどのような季節であり、時間であり、曜日であるのかがわからなくなる。次いで、自分のいる場所がわからなくなる。さらに痴呆が深まると、身近な人さえだれであるかわからなくなる。


【『痴呆を生きるということ』小澤勲岩波新書、2003年)】

痴呆を生きるということ (岩波新書)

組織のあるところには、必ず「無責任の構造」がひそんでいる


 組織のあるところには、必ず「無責任の構造」がひそんでいる。この問題は人間社会の永遠普遍の悩みであり、課題である。しかし、現在の日本の産業界を見ると、バブル経済の時代にそれが深刻化して今日の大きなツケになっている観が強い。

 一連の証券会社の不祥事は、特定の顧客にだけ損失補填をしていたという「無責任の構造」を抱えていた。銀行の不祥事は、融資審査で本来はとおしてはいけない案件をとおし、不良債権化する可能性の高い融資案件は自社系のノンバンクに押しつけていたという問題に代表される。乳製品会社の不祥事は、品質管理に関わる管理基準を守らないことが日常化していたところに端を発する。自動車メーカーはリコール隠しをし、老舗百貨店の倒産は、無理な経営展開を大規模にしすぎ、ワンマン体制のため、それにノーを唱える人がいなかったという構造の結果である。

 民間企業だけではない。警察までもが、刑事事件の被害者家族からの操作依頼に対応せず、しかも被害届の改ざんまでしていたという。さらに、医療の現場も、投薬ミスで患者を死亡させるという、恐るべき「無責任の構造」を呈している。私が事故調査委員として関わりをもったJCOの臨界事故(1999年)もじつは、この種の一つにすぎない。

 これらも、まだまだ氷山の一角にすぎないだろう。

 このような事例は、外形的には「不正な状況判断」と「倫理規範違反」という形をとっているが、実際には、盲目的な同調や服従が心理的な規範となり、良心的に問題を感じる人たちの声を圧殺し、声をあげる人たちを排除していく構造をもつ。

 これを本書では「無責任の構造」と呼ぶ。

「無責任の構造」は、人間社会が古くからもつ病巣の一つである。

 一つ一つの社会的無責任には、その無責任に内部で声をあげようとして、さまざまな形で圧殺されてきた多くの声なき声がある。良心の喘(あえ)ぎがある。

「無責任の構造」は、その構造を容認する人を飼い慣らす。飼い慣らされることを拒否した人は、自己の良心を鈍麻(どんま)させて沈黙したり、あるいは、職場を去ることを余儀なくされたりして、システムから除外されていく。そのような形で、「無責任の構造」は静かに増殖し巨大化するのである。


【『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』岡本浩一〈おかもと・こういち〉(PHP新書、2001年)】

無責任の構造―モラル・ハザードへの知的戦略 (PHP新書 (141))

ジャン=フランソワ・リオタールが生まれた日


 今日はフランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタールが生まれた日(1924年)。近代の啓蒙思想合理主義による「大きな物語は終焉した」と告げた。ポストモダンの歴史は「小さな物語」で綴られると。解放の原理は失墜。幸せのカタチや因果関係は解体され、個々人が「正解」を見出す時代へ。


ポスト・モダンの条件 知・社会・言語ゲーム

2010-08-09

サイモン・クーパー、ステファン・シマンスキー、苫米地英人


 1冊挫折、1冊読了。


 挫折63『「ジャパン」はなぜ負けるのか 経済学が解明するサッカーの不条理』サイモン・クーパー、ステファン・シマンスキー/森田浩之訳(NHK出版、2010年)/面白い。しかし残念ながら私はサッカーファンではなかった。だから130ページで読むのをやめた。行動経済学的アプローチでサッカーを読み解いている。ハードカバー、380ページで2000円は安い。


 104冊目『苫米地英人、宇宙を語る苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(角川春樹事務所、2009年)/経典本。こりゃ凄いよ。胡散臭い人物なのは確かだが、知的レベルの高さは群を抜いている。苫米地の進化の到達点といえるだろう。宇宙と自我を数学的アプローチで明かしている。日本の仏教団体でこの領域に辿り着いているところは一つもないと思われる。それくらい凄い。

女子割礼

「どうしてあんなことをしたの?」ときおり意識が戻ると、わたしは母さんを責めた。「母さんは嘘をついたのよ。だいじょうぶだって、痛くないって言ったじゃない。母さんの嘘つき」

「でもね、割礼をすると、健康になれるのよ。きれいな体になれるの。割礼のおかげで、これから先、純潔を守ることができるのよ」母さんはそう繰り返した。でも、母さんがほんとうにそう信じているとは思えなかった。


【『メンデ』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス/真喜志順子〈まきし・よりこ〉訳(ソニー・マガジンズ、2004年/ヴィレッジブックス、2006年)以下同】


 村では、何人かの少女が割礼後の感染症で亡くなった。出産のときに命を落とす女性はさらに多い。ヴァギナの穴が狭すぎて母体に負担がかかるからだ。だが、同じ理由で、生まれた直後に死ぬ赤ん坊の数はもっと多かった。

メンデ―奴隷にされた少女 (ヴィレッジブックス N ナ 1-1)


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思想的な筋肉


 たとえその頃岩田靖夫の懇切な文章があって、読むことができたとしても、さまざまな人間的・社会的な関係の渦のなかに放りこまれて生きることがなければ、とうていそこに書かれていることは理解の外だったと思います。

 おそらく年をとるうち、つまりは関係性のなかで生きるうちに、はじめてついてくる筋肉というものがある。思想的な筋肉です。


【『〈〉が選んだ入門書』山村修(ちくま新書、2006年)】

“狐”が選んだ入門書 (ちくま新書)

長崎原爆忌


 今日は長崎原爆忌(1945年)。広島型の1.5倍の破壊力を持つファットマンが午前11時2分に投下された。当初は京都が候補地だった。7万4千人が死亡(県民の30%)。米国は第三の原爆を準備していた。地元カトリック信者は「神の摂理」と。原爆死者の累計は39万6132人(2007年現在)。

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2010-08-08

独裁制、貴族制、民主制の違い


哲学史家●ジョークを思い出しました。「独裁政治では、一人が決める。貴族政治では、数名が決める。民主政治では、誰も決められない!」


【『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(講談社現代新書、2008年)】

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

歩かないと背骨が弱まる


 そこで、背骨の骨が歩く歩かないによって、これほど影響されるのはなぜかということになるが、廃用性骨萎縮に関するいろいろな基礎研究からわかってきたのは、次のようなことである。

 骨には「物理的なストレス」、つまり骨に体重が加わる、筋肉でグッと引っ張られるという本来の意味のストレスであるが、そのような物理的なストレスが一定量加わっているのが正常な状態で、それによって骨のカルシウム代謝が正常に保たれている。ところがストレスがなくなると、骨はどんどん破骨細胞によって壊されていくのである。

 しかし、車イスに座っていても背骨には上半身の体重、つまりストレスがかかってくる。歩くのと座っているのとどこが違うのかと私たちも不思議に思って考えた。すると、両者は同じではない。歩くということは一歩ごとに、床にドン、ドンと体重が落ちる。それに対して「床反力(ゆかはんりょく)」という、床からの物理的な半力が起こる。体のほうから見れば、その床反力が足から骨盤、背骨を経て頭蓋骨にまで伝わっている。この衝撃こそ骨へのストレスにほかならない。


【『リハビリテーション 新しい生き方を創る医学』上田敏(講談社ブルーバックス、1996年)】

リハビリテーション―新しい生き方を創る医学 (ブルーバックス)

平和記念像が完成した日


 今日は平和記念像画像)が完成した日(1955年)。長崎の平和公園に設置。北村西望(きたむら・せいぼう)制作。垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は原爆の恐怖を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。

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2010-08-07

高3母、殺人容疑で立件へ 神戸の乳児死体遺棄事件


 神戸市北区の市道側溝で乳児の遺体が見つかった事件で、死体遺棄容疑で逮捕された私立高校3年の女子生徒(18)=同市北区=が、兵庫県警の調べに対し「産声を上げたが、しばらくすると動かなくなった」と供述していることが7日、捜査関係者への取材で分かった。県警は、乳児は生後数時間生きており、放置すれば死亡することを生徒が認識していたとみて、殺人容疑で立件する方針。

 捜査関係者によると、乳児は身長約46センチ、体重約2000グラムの男児。生徒は同市北区の量販店のトイレで7月13日に出産し、へその緒は手でちぎったとみられる。その後、ひざ掛けで乳児をくるみ自宅へ連れ帰り、数日後に遺棄した。

 遺体は7月26日に発見され、司法解剖の結果、死因は不明だった。

 生徒は「家族や学校に相談できず処置に困った。子どもを育てる自信はなかった」とも供述。取り調べには素直に応じているという。


47NWES 2010-08-07

「AURORA」CUSCO


 1982年の曲。当時は、FM放送からカセットテープに録音することをエアチェックと称していた。NHKFMの「軽音楽をあなたに」「サウンド・オブ・ポップス」「クロスオーバー・イレブン」が洋楽へと誘(いざな)ってくれた。クスコ姫神せんせいしょんと同じ頃に登場。ドイツ人シンセバンドでありながら、CDは日本でしか発売されなかったと記憶している。ま、涼んでくれたまえ。


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Cool Island

万能細胞の「死の舞」発見 再生医療に貢献、理研


 細胞死が起きるため培養が難しいヒトの胚性幹細胞(ES細胞)や人工多能性幹細胞iPS細胞)が、死ぬ前に「死の舞」という独特の激しい動きを示すことを理化学研究所(神戸市)のチームが発見、その仕組みを明らかにし、6日付の米科学誌セル・ステム・セルに発表した。

 理研の笹井芳樹グループディレクターは「死の舞が起きないようにすれば培養効率を上げられ、神経や網膜の細胞を再生させる医療への応用に貢献できる。安全性向上にも役立つ」としている。

 あらゆる組織の細胞になることができるヒトのES細胞やiPS細胞などの万能細胞はストレスに弱く、1細胞ずつばらばらに培養すると99%の細胞が死に、臨床応用への障壁になっている。

 チームは万能細胞が死ぬ前に、数時間にわたって水ぶくれのような構造ができたり消えたりした後に破裂する死の舞を発見。マウスの万能細胞ではこれが起こらず、霊長類に特有の動きだった。

 死の舞の際、細胞の運動や形を調節するミオシンというタンパク質が過剰に働いていた。ミオシンを抑える薬剤を加えて培養すると、死の舞が起こらなかった。


47NEWS 2010-08-07

サラエボの生活


「大きな砲弾が落ちてきて……。砲弾が落ちるっていうことがどういうことなのか、話を聞いただけではわからないと思うわ。あなたにもわからないと思う。……バラバラにされた人体。ほんとうに凄惨だった。自分の目が信じられないくらい。戦争中に気が狂ってしまった人もいるわ。

 最初の冬が一番苦しかった。マイナス17度にもなったのに、薪もなければ、ストーブもなかったのよ。部屋の中でもコップの水が凍ってしまって飲めないの。私は一か月の間、手も顔も洗うことができなかった……」


【『失われた思春期 祖国を追われた子どもたち』堅達京子〈げんだつ・きょうこ〉(径書房、1994年)】

失われた思春期 祖国を追われた子どもたち

あなたの価値


 世の中には、病気や過労や生活苦やイジメで自殺に追い込まれる人もいれば、自分の存在が何なのかわからなくなって自ら命を絶つ人もいる。自分がこの社会でどこに位置づけられているのか? 自分にはどんな価値があるのか? そんなことで生きる意味がわからなくなっている人に教えよう。あなたの価値は、「葬儀費用+慰謝料+逸失利益〔(自殺前1年間の年収)×(1−生活費控除率)×(67歳−現在の年齢に対応する中間控除率)〕+弁護士費用−過失相殺額」だ。


【『自殺のコスト雨宮処凛〈あまみや・かりん〉(太田出版、2002年)】

自殺のコスト

エチオピアのマラソン選手アベベが生まれた日


 今日はエチオピアのマラソン選手アベベ・ビキラが生まれた日(1932年)。ローマ五輪(1960年)、東京五輪(1964年)で金メダル。ローマ大会は何と裸足で走り切った。エチオピアはムッソリーニに侵略された歴史を持つ。ある新聞は「エチオピアはその一兵士によって、ローマに雪辱した」と報じた。

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アベベを覚えてますか

2010-08-06

学問とは


 学問とは、読んで字のごとく、問うことを学ぶことである。


【『生き方の研究』森本哲郎〈もりもと・てつろう〉(新潮選書、1987年)】

生き方の研究

不完全性定理に関するアンドレ・ヴェイユの言葉


 フランスの数学者アンドレ・ヴェイユ――ゲーデルと同様、餓死を選んだ特異な思想家シモーヌ・ヴェイユの実兄――が、不完全性定理に関連して、こう述べたと伝えられています。

「神は存在する。なぜなら、算術は無矛盾であるからだ。

 悪魔は存在する。なぜなら、われわれは算術の無矛盾性を証明できないから」。


【『ゲーデル・不完全性定理 “理性の限界”の発見』吉永良正(講談社ブルーバックス、1992年)】

ゲーデル・不完全性定理―

広島原爆忌


 今日は広島原爆忌(1945年)。B-29エノラ・ゲイ号が8時15分17秒、「リトルボーイ」と名づけた原子爆弾を自動投下。高度約600メートルの上空で核分裂爆発を起こした。広島市民の40%が死亡。黒い雨によって二次被爆が拡大した。戦争という経験から人類は何を学んだのか?

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黒い雨 (新潮文庫) 原爆災害―ヒロシマ・ナガサキ (岩波現代文庫―学術) なみだのファインダー―広島原爆被災カメラマン松重美人の1945.8.6の記録

2010-08-05

官房機密費問題−青山繁晴のいう評論家とは山崎行太郎か?


 山崎行太郎のブログから該当記事は既に削除されていたが、阿修羅に保存されていた(笑)。


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 他にもこんなページを発見。なんと山崎行太郎は2ちゃんねるを荒らしていた。

 更に池田信夫からは「イナゴ以下」と断じられている。

クリシュナムルティ


 1冊読了。


 103冊目『自己の変容 クリシュナムルティ対話録』クリシュナムルティ/松本恵一訳(めるくまーる、1992年)/これは旧訳である。amazonには新訳しかない。クリシュナムルティアラン・ノーデの対話が収められている。実に率直な質問がぶつけられ、クリシュナムルティは時に辛辣な指摘を交えながら応じている。我々が普段「対話」だと思っているものが、実は対話ではないことがよくわかる。アラン・ノーデはフランス系南アフリカ人で、ピアニストと大学講師をしていた人物。クリシュナムルティ本はこれで40冊目。

“まごころ”が老人の反発を招く


 私はこの過程を見ていて思った。まごころ、なんてものは通じない、と。いや、正確にはこういうべきかもしれない。本当のまごころが相手に通じるということは、とてもきれいごとじゃないんだ、と。

 自分の“まごころ”で相手を変えてやろうという、その“意図”そのものが、老人の反発を呼ぶのである。そこには、今あるがままのあなたは、本来の人間の姿ではないから早く人間らしい人間になりなさいよ、という、自分の人間観、老人観へ相手を誘導し閉じこめようとする気持ちが無意識のうちにあり、それが老人の心を開かせないのだ。


【『老人介護 じいさん・ばあさんの愛しかた』三好春樹(法研、1998年、『じいさん・ばあさんの愛しかた “介護の職人”があかす老いを輝かせる生活術』改題/新潮文庫、2007年)】

じいさん・ばあさんの愛しかた―“介護の職人”があかす老いを輝かせる生活術 老人介護じいさん・ばあさんの愛しかた (新潮文庫 み 37-2)

(※左が単行本、右が文庫本)

翻訳語「恋愛」以前に恋愛はなかった


「恋愛」とは何か。「恋愛」とは、男と女がたがいに愛しあうことである、とか、その他いろいろの定義、説明があるであろうが、私はここで、「恋愛」とは舶来の概念である、ということを語りたい。そういう側面から「恋愛」について考えてみる必要があると思うのである。

 なぜか。「恋愛」もまた、「美」や「近代」などと同じように翻訳語だからである。この翻訳語「恋愛」によって、私たちはかつて、1世紀ほど前に、「恋愛」というものを知った。つまり、それまでの日本には、「恋愛」というものはなかったのである。

 しかし、男と女というものはあり、たがいに恋しあうということはあったではないか。万葉の歌にも、それは多く語られている。そういう反論が当然予想されよう。その通りであって、それはかつて私たちの国では、「恋」とか「愛」とか、あるいは「情」とか「色」とかいったことばで語られたのである。が、「恋愛」ではなかった。


【『翻訳語成立事情』柳父章〈やなぶ・あきら〉(岩波新書、1982年)】

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

ネルソン・マンデラが逮捕された日


 今日はネルソン・マンデラが当局に逮捕された日(1962年)。27年半、1万日に及ぶ投獄。44歳から71歳までを獄中で。人権の岩窟王。「黒人は白人よりも劣っている」という常識を覆した闘士。「私は刑期が終わっても、もう一度同じことをするでしょう」(『ネルソン・マンデラ 闘いはわが人生』)。1990年に釈放され1994年大統領に就任。

インビクタス〜負けざる者たち 映像が語る20世紀 Vol.19 ~苦悩する勝者~ [DVD] WTC-019

2010-08-04

「夕立」井上陽水


 私は『氷の世界』より『二色の独楽』を好む。井上陽水の閉鎖性は引きこもりの先駆けと思えてならない。醒めた狂気を尖(とが)った声で歌い上げる。まるで高度成長を嘲笑っているかのようだ。動画が秀逸で見事。

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二色の独楽

東浩紀、白戸圭一、グレッグ・ルッカ


 2冊挫折、1冊読了。


 挫折61『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会東浩紀〈あずま・ひろき〉(講談社現代新書、2001年)/哲学ではなくオタク系文化の評論だった。タイトルに難あり。私は東浩紀の言動に魅了されている一人であるが、著書は一冊も読んだことがない(笑)。


 挫折62『ルポ資源大陸アフリカ 暴力が結ぶ貧困と繁栄』白戸圭一〈しらと・けいいち〉(東洋経済新報社、2009年)/前評判が高く、amazonの評価も高いので期待していたが40ページで挫ける。文章のスタイルが確立されていないため非常に読みにくい。また、日記みたいな個人的所感も目立つ。内容と文体は必ず一致するものだ。


 102冊目『守護者(キーパー)』グレッグ・ルッカ/古沢嘉通〈ふるさわ・よしみち〉訳(講談社文庫、1999年)/面白かった。文句なし。500ページ一気読み。アメリカにおける妊娠中絶反対派の原理主義ぶりや暴力性が描かれている。主人公アティカスは28歳のボディガード。アティカスは恋人と二人で堕胎するためにクリニックを訪れる。ひょんなことで女性医師ロメロから警護を依頼される。途中からアティカスの落ちつき払った振る舞いが28歳とは思えなくなってくる。が、解説を読んでびっくりたまげた(漢字だと「魂消た」)。グレッグ・ルッカは本書を26歳で書いたというのだ! いやあ凄いもんだね。トム・ロブ・スミスにも驚かされたが、アメリカにもこんな書き手がいたとは。“アティカス・コディアック”シリーズは既に6作が発表されているようだ。

ペンは剣よりも強し


 The pen is mighter the sword (ペンは剣よりも強し)――言論は、武力では押さえ込めないものだ、という主旨のこの有名な成句は、イギリスの政治家で、小説家、劇作家でもあったジョージ・ブルワー・リットンが、その戯曲「リシュリュー」のなかで用いてから、たちまち広まった。


【『嘘つきアーニャの真っ赤な真実米原万里〈よねはら・まり〉(角川書店、2001年/角川文庫、2004年)】

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (文芸シリーズ) 嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

中国人が肉を食べ始めた


 この(ハイエク新自由主義)モデルには大きな前提があるんです。それは経済が持続的にどんどん、どんどん成長していくっていうことなんです。これは結論から言うと無理です。とくに非常に深刻な問題は、中国人が肉を食べ始めたからです。どういうことか言いますと、不思議な法則があって、肉を食べることを覚えると、人間は絶対にその味を捨てることができないんです。人口13億の中国人が肉を食べ始めるようになったということは世界のエネルギーの消費量が今後ぐんぐん、ぐんぐん上がっていくことを意味するんです。これは産業社会じゃないとできない。産業社会というのは資本がどんどん、どんどん膨れ上がっていく傾向がある。これが続くと成長の限界に突き当たり、そこで無理をすると人類が本当に食べていけない時代が来てしまいます。持続的成長は無理だという大前提からスタートしなくてはならない。


【『国家の自縛』佐藤優〈さとう・まさる〉(産経新聞出版、2005年/扶桑社文庫、2010年)】

国家の自縛 国家の自縛 (扶桑社文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

スウェーデンの外交官ラウル・ワレンバーグが生まれた日


 今日はスウェーデンの外交官ラウル・ワレンバーグが生まれた日(1912年)。第二次世界大戦末期のハンガリーで、迫害されていたユダヤ人の救出に尽力。外交官の立場を最大限に活用して10万人にも及ぶユダヤ人を救い出すことに成功した。ドイツ撤退後、ソ連軍に拉致されて行方不明となる。

ユダヤ人を救った外交官 ラウル・ワレンバーグ

2010-08-03

幼児放置死、食べ物探し回る? 冷蔵庫開き、壁に手の跡


 大阪市西区のマンションから幼児2人の遺体が見つかった事件で、現場の部屋にあった冷蔵庫は扉が開いたままで、壁には2人が汚れた手で触ったとみられる跡が多数残っていたことが3日、捜査関係者への取材で分かった。

 死体遺棄容疑で逮捕された母親で風俗店従業員下村早苗容疑者(23)が置き去りにして部屋を出た後、長女桜子ちゃん(3)と長男楓ちゃん(1)は食べ物などを探し回っていた可能性があるとみて、捜査1課が育児放棄の実態解明を進めている。

 捜査1課などによると、2人の遺体が発見された際、部屋の電気は消え、ベランダ側の窓は数センチのすきまがあったが部屋はほぼ閉めきりだった。エアコンは稼働しておらず、冷蔵庫は空だった。

 室内は高温になっていたとみられ、2人はほぼ裸だったほか、死亡前の数日間は何も食べていなかったとみられている。


47NEWS 2010-08-03

中国の言論事情−7.28南京爆発事件


【新唐人2010年7月30日付ニュース】7月28日午前10時、江蘇省の南京で爆音がとどろきました。プラスチック工場の移転工事の際、誤ってガス管を切断したためガスが漏れ、爆発を招いたのです。すでに12人が亡くなったと報道されていますが、実際はもっと多いといわれます。

 7月28日、突如起こった爆発は、南京の町を恐怖と混乱に陥れました。最終的な犠牲者の数は、まだ分かりません。

 現場の様子は、凄惨を極めます。丸焦げの死体に血だらけのけが人。燃え上がる炎に立ち上る煙。ショックで目がうつろな民衆など、まるで戦場のようです。

 しかし、もっとショッキングなことがありました。

 地元の江蘇テレビ局が事故の実況中継をしていると、ある官僚が走り寄って来ました。


 官僚:君はどこの局だ?

 記者:中継しているんです

 官僚:君はどこの局だ?

 記者:江蘇テレビ局です

 官僚:江蘇テレビ局か

 官僚:電話番号は? 誰が中継を許した?

 記者:取材しているんです

 官僚:誰が中継を許した?

 記者:中継をやめます


 結局、現場からの中継は中断されたものの、この光景は地元に放送されました。

 この映像がネットで広まると、官僚の言葉「誰が中継を許した?」は流行語になりました。

 例えば、それをアレンジした言葉……「誰が悲しむのを許した?」「誰が書き込みを許した?」「誰が発表を許した?」「誰が評論を許した?」

 官僚に対する答えも出てきました。「人民が中継を許した」

「中国での自由な報道がどれほど困難か、今回の件は如実に表した」との声も出ました。

 しかし30分ほどすると、この動画は多くのサイトから削除されます。南京市のテレビ局は午後、すべて放送内容をCMやドラマに変えました。

 今回の爆発は地元に衝撃を与えました。市民は何よりも正確でタイムリーな情報を望んでいるに違いありません。だからこそ、地元のテレビ局も現場に急行しましたが、官僚のわずかな一言で実況中継が中断されました。


「誰が報道を許した?」。ネットには、この言葉の分析が載りました。これはつまり、メディアの知る権利・取材の権利・発表する権利を奪うもので、結果的に人々と情報とを隔絶するものだ、というのです。

 またこの後、あの官僚の名前や官職名など、個人情報がネットで暴露されました。

新唐人記者がお送りしました。


D

トヨタ車の大量リコール問題 やっぱり米国政府の陰謀だった!!


 この幹部は米運輸省の高速道路交通安全局(NHTSA)で、トヨタ車の調査にあたっていた。調査結果は「トヨタ車の急加速の原因はトヨタ車の欠陥ではなく、いずれも運転ミス」というものだったが、運輸長官らが公表しないよう指示。運転ミスは闇に葬られるところだったのだ。

「以前から、トヨタの大量リコール問題では米国側の陰謀説がくすぶっていましたが、今回の報道で証明された格好です。経営難に陥ったGMを救済するにはトヨタを追い落とすのが一番という分かりやすい構図です。オバマ大統領も大票田の米自動車業界を味方にしたい思惑で容認したのでしょう」(ゲンダイネット 2010-08-02)

医師は専門分野に精通するほど人間を軽んじる

 医師は自分の専門分野に集中すればするほど、からだの特定の部位や器官についての理解は深まるが、その部分なり器官を持つ人間そのものについての理解を軽視するようになる傾向がある。


【『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ/伊藤はるみ訳(日本教文社、2005年)】

身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価

マッチポンプ


「彼らは自分の家へ勝手に火をつけておいて、こんどは、それに水をぶっかけて消そうとしたんです。そして、消しそこねると、その責任を火に負わせたんです」


【『スカラムーシュラファエル・サバチニ/大久保康雄訳(創元推理文庫、1971年)】

スカラムーシュ (創元推理文庫 513-1)

カレーの市民の日


 今日はカレーの市民の日(1347年)。百年戦争フランスの港湾都市カレーを包囲し開城させたエドワード3世は、無帽、裸足で首に処刑のためのロープをまいて6人の市民を差し出すよう命じた。王妃の嘆願で助命。後に、死を覚悟して集った6人の市民をロダンが彫り、ゲオルク・カイザーが戯曲化。

2010-08-02

夢枕獏、J・B・ビュァリ


 1冊挫折、1冊読了。


 挫折60『上弦の月を喰べる獅子(上)』夢枕獏(早川書房、1989年/ハヤカワ文庫、1995年)/螺旋(らせん)の物語である。日本SF大賞を受賞している。そこそこ期待していたのだが、どうもこの人の変態的な展開についてゆけない。東京駅に向かう電車で半分ほど読んで挫ける。もう数週間前のこと。


 101冊目『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ/森島恒雄訳(岩波新書、1951年)/『魔女狩り』の「あとがき」で紹介されていた一冊。文章の行方がわかりにくいところもあるがこれは立派な教科書本だ。『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』といい勝負だ。キリスト教が西洋を抑圧してきた歴史が綴られている。「近代」の意味がよく理解できる。何と20世紀初頭まで教会は「思想の自由」を妨げていた。つまり、「自由」とは教会からの自由であり、神からの自由を意味していた。そしてキリスト教というソフトは、今尚インストールされているのが世界の現状だ。

あなたが相手を観察するのと同じように、相手もあなたを観察している


 尋問者と被尋問者は、互いに同じように好奇心を抱くものだ(尋問セミナーの講師に招かれると、ダンスは受講者にかならずこう注意を促す。「あなたが相手を観察するのと同じように、相手もあなたを観察しています。それどころか、あなたのほうがよほど綿密に観察されていると覚悟してください。あなたより彼らのほうが失うものがはるかに大きいからです」)。


【『スリーピング・ドール』ジェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳(文藝春秋、2008年/文春文庫、2011年)】

スリーピング・ドール〈上〉 (文春文庫) スリーピング・ドール〈下〉 (文春文庫)

筋肉がゆるむ必要−リハビリ


 心もまた同様であろう。


 ここで重要なことは、正確にある運動を起こすためには、その筋肉が縮むだけではなく、同時に他の筋肉がゆるむ必要がある点です。たとえば指を曲げて何かをつかむためには、指を曲げる筋肉が収縮すると同時に、指を伸ばす筋肉がゆるむ必要があります。またこのとき、腕や胴体はその運動を支えるために安定していることが大切です。


【『脳から見たリハビリ治療 脳卒中の麻痺を治す新しいリハビリの考え方』久保田競〈くぼた・きそう〉、宮井一郎編著(講談社ブルーバックス、2005年)】

脳から見たリハビリ治療―脳卒中の麻痺を治す新しいリハビリの考え方 (ブルーバックス)

三浦梅園が生まれた日


 今日は三浦梅園(1723〜1789年)が生まれた日。梅園は医を家業としながら、67年の生涯を天地と人間の条理の解明に捧げた。偉大な哲学者でありながら、優れた科学者でもあり、その才能は天文学から生物学、医学、政治経済学、文学にまで及んだ。他との比較を許さぬ傑出した思想家。

三浦梅園自然哲学論集 (岩波文庫)

2010-08-01

丹羽春喜


 昨日、1冊読了。


 100冊目『政府貨幣特権を発動せよ。 救国の秘策の提言』丹羽春喜〈にわ・はるき〉(紫翠会出版、2009年)/これはツイッターで知った本だと記憶している。凄い提言だ。ビックリした。『エンデの遺言』でマイナス金利、スタンプ紙幣、地域通貨を知ったが、もっと手っ取り早い政策があった。それが政府紙幣(政府貨幣)だ。丹羽の提言は、印刷コストを省くために、割り引いて日銀に売ることを勧めている。その額、実に600兆円! これによってデフレギャップを埋め、毎年失われているGDP=400兆円を取り戻すことができるとしている。法的根拠も示されていて説得力は十分だ。ただ、本のつくりが酷い。新書サイズの冊子といった体裁で、活字が大きく行間が狭い。編集の手も入っていないような感じで、長い論文といった印象を受けた。丹羽の主張が政治的に受け入れられないとすれば、日本に不況を命じるアメリカの意図があるとしか考えようがない。

カルロス・ゴーン


 つまり、チルチルとミチルがお家の中で遊んでいると、ふらんすからごーんという名前のおじさんがやってきて、青い鳥を焼き鳥にして食ってしまうのである。

 この場合、青い鳥は何の象徴だろう?

 ブルーバード?

 ははは。違うね。

 ブルーカラーに決まってるだろ。


【『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆(BNN、2003年)】

かくかく私価時価―無資本主義商品論1997‐2003

感覚と判断


 感覚は欺(あざむ)かない。判断が欺くのだ。(「格言と反省」から)


【『ゲーテ格言集』ゲーテ/高橋健二編訳(新潮文庫、1952年)】

ゲーテ格言集 (新潮文庫)

アンネ・フランクが最後の日記を綴った日


 今日はアンネ・フランクが最後の日記を綴った日。1942年6月12日から始まり1944年8月1日で終わっている。8月4日に逮捕され、8日には収容所へ。翌年の2月か3月に病死。享年15歳。『アンネの日記』は55言語に翻訳され、出版部数は2500万部を超える。少女の声は世界に届いた。


アンネの日記 (文春文庫)