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2010-09-07

父の権威、主人の権威、指導者の権威、裁判官の権威/『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ


 学問の本質は「謎を解く」ことにある。「なぜ世界はこうなっているのか?」という疑問に対し、より多くの人々が納得のゆく“新しい物語”を示すことこそ学問の王道であろう。もっと具体的にいえば、脳内の情報空間がすっきりと整理され、より合理的になることを意味する。


 ロジックの力業(ちからわざ)が凄い。「権威という犯人を追いつめる本格推理小説」として読むことも可能だ。


 スタンレー・ミルグラムの『服従の心理』を読んだ人は必読である。本書は政治哲学なので、より抽象度が高い。一読しただけで自分が天才になったかのような錯覚を与えてくれる(笑)。


 フランソワ・レテの緒言が長文で、尚かつ本文中に山ほど脚注があるが、いずれも功を奏していて、思索のアクセントになっている。


 権威は必ず服従を伴い、つねに服従を要求する。にもかかわらず、それは強制や説得とは相容れない。なぜなら、強制と説得はともに権威を無用にするからである。世界史におけるこの特異な時代状況のもとで、権威は他と明確に区別された独自のものとなる。(「緒言」フランソワ・レテ)


【『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ/今村真介訳(法政大学出版局、2010年)以下同】


 ポイントその一──権威(オーソリティ)は権力(パワー)ではない。相手が自発的に従うのが権威である。


 本書は1942年にドイツ占領下で書き上げられたという。コジェーヴはロシアで生まれ、ドイツ、フランスへと移住している。一方、ミルグラムアイヒマン実験を行ったのは1963年で、『服従の心理』を著したのが1974年のこと。


 奇妙なことだが、権威の問題と概念はこまでほとんど研究されてこなかった。権威の移転や権威の生成に関する諸問題ばかりが人々の関心を集めてきたが、この現象の本質自体が関心を引くことは稀であった。にもかかわらず、権威としての権威が何であるかを知ることなしに政治権力や国家の構造そのものを論じることは明らかに不可能である。したがって、暫定的にではあれ権威の概念の研究は不可欠であり、この研究は国家の問題の研究全体に先行しなくてはならない。


 ミルグラムは人間心理に光を当てたが、コジェーヴが見つめていたのは国家であった。要は国家というシステムがどのようにプログラミングされているかを明らかにしようと試みたのだ。そのアルゴリズムとして権威が生成されているのだろう。


 まるで詰め将棋のようなスリルに満ちているのだが、やはり白眉は権威を四つのタイプに腑分けした箇所だ──


 さて、我々は権威の【四つのタイプ】(単純で、純粋または要素的なタイプ)を区別することができる。

 α.子供に対する父(または両親一般)の権威。(【ヴァリアント】――年齢の大きい隔たりから生まれる権威――青年に対する老人の権威。伝統と伝統を保持する者たちの権威。死者の権威――遺言。自分の作品に対する「著者」の権威。等々)。


 死者の権威に関する注記。一般に、人間は生前よりも死後においてより多くの権威をもつ。遺言は、まだ存命中の人間が与える命令よりも大きい権威をもっている。約束は、それを交わした相手の死後にいっそう拘束力を発揮する。死んだ父の命令は、父が生前に与えた命令よりもずっとよく尊重される。等々。その理由は、死者に対しては【対抗する】ことが実質的に不可能だからである。したがって、それは定義からして権威をもつ。だが、対抗行為の【不可能性】は、死者の権威に【神的な】(聖なる)正確を与える。死者による権威の行使は、死者にとってはいかなる【危険】もない。ここに、この権威の強みと弱みがある。要するに、それは【神的】権威の特殊なケースである。


 β.奴隷に対する主人の権威。(【ヴァリアント】――平民に対する貴族の権威。民間人に対する軍人の権威。女性に対する男性の権威。敗者に対する勝者の権威。等々。)


 勝者の権威に関する注記。勝者の権威が存在するためには、勝者がまさに勝者であることが敗者によって「承認」されなくてはならない。すなわち、敗者が自分の敗北を「認め」なくてはならない。これは自明である。たとえば、「【戦場では負けなかった】」というドイツのスローガンを見よ。このスローガンによって、1918年の勝者たちの権威はまだ生まれかけのときに破壊されてしまった。この勝者たちは、その勝利をドイツに「承認」させることに失敗したので、いかなる権威ももたなかったのである。したがって、彼らは実力行使に訴えざるをえなかった――その結果は周知の通りである。


 γ.同輩たちに対する指導者(原語略)の権威。(【ヴァリアント】――下級者――従業員、兵士、等々――に対する上級者――現場責任者、将校、等々――の権威。生徒に対する教師の権威。学者、技術者、等々の権威。占い師、預言者、等々の権威。)


 将校の権威に関する注記。この権威は、【混合的】権威の好例である。将校は、兵士に対して行使する【指揮官】の特殊な権威に加えて、およそ軍人が民間人に対してもつ【主人】の権威をも帯びる。また、兵士に対しては、将校は一般に【父】の権威ももっている。最後に、将校は【裁判官】の権威をも体現する。これについてはすぐ次に挙げられている。


 δ.裁判官の権威。(【ヴァリアント】――調停者の権威。監督官、検閲官、等々の権威。聴罪司祭の権威。正義の人または誠実な人の権威。等々。)


 聴罪司祭の権威に関する注記。これまた、【混合的】権威の好例である。聴罪司祭は、【裁判官】の権威に加えて、【父】の権威はもとより、「良心の導き手」の資格において【指導者】の権威も帯びる。だが、彼には【主人】の権威が欠けている。

 正義の人に関する注記。実をいえば、これは裁判官の権威の最も純粋なケースである。なぜなら、厳密な意味での裁判官は、裁判官としての権威――自然発生的な権威――に加えて、役人としての権威――派生的な権威――をも備えているからである。


 そしてここからコジェーヴは「ありうべき全ての権威タイプの完全一覧表」64パターンを示している。燃えたぎる知性は、誰人も知らぬ山頂を目指して突き進む。


 これを権力とは別の意味での「階級圧力」と考えれば、社会のパターンとして当てはめることも可能かもしれない。家族的関係、社会的関係、労働的関係・コミュニティ的関係など。裁判官の権威は神に由来していると思われるが、その断罪的行為は最も強靭な権威といってよいだろう。人々が村八分に従うのも、この権威の強大さを物語っている。主人の権威を欠いていながら、人々をかしずかせるところに裁判官の権威がもつ断罪の力が窺えよう。損得を超越しているのだ。


 権威が現に存在するのは、それが「承認」されているかぎりにおいてのみである。つまり、「承認」されているかぎり、権威は【現に存在する】。


 人々の「承認」が権威を存在させるとすれば、時代によって権威は移り変わるものと考えられる。一人ひとりが賢明になった暁には、より純粋な権威が確立されることだろう。それが望ましい国家像なのか、あるいは恐怖社会の到来なのかは今のところ判断がつかない。


 人間が社会化せざるを得ない以上、権威を中心にヒエラルキーが構築されることが大前提となる。だが、閉ざされた専門性の世界における権威は、そのまま権力化することだろう。とすると、異種格闘技的な色彩を帯びた権威が望ましいように思う。例えば政治的見識の優れた宗教家や、社会問題を鋭く論じる科学者など。いま流行りの言葉でいえば「越境的」ということになろうか。

権威の概念 (叢書・ウニベルシタス)

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