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2010-10-31

魔女狩りの環境要因/『魔女狩り』森島恒雄

 歴史を学ぶことで人は異なる時代を生きることが可能となる。歴史を細かく裁断すれば、一人ひとりの息づかいや足音によって形成されているはずだ。そこに自分の呼吸を重ねる時、時代の息吹きはどこからともなく伝わってくる。


 中世ヨーロッパは王とローマ教皇の権力が真正面からぶつかり合い、ルネサンスの光と異端審問の闇に覆われていた。欧州という一大集団による熱狂とヒステリーの時代。大輪の文化の花を咲かせる一方で、魔女を火あぶりにした。


 では中世のおさらいをしよう。中世はゲルマン民族の大移動(4〜5世紀)に始まる。十字軍の遠征が11〜13世紀。これによって欧州は版図を拡大した。ルネサンスの興隆が14〜16世紀である。


 キリスト教を公認したのはコンスタンティヌス1世(272〜337年)で4世紀には国教とする国も出てきた。つまり、欧州全体にキリスト教が流布した時代が中世であったと考えてよかろう。(→まずかったら教えて)


 異端審問=魔女狩りではないが、異端視するという行為なくして魔女狩りは成立せず、キリスト教コミュニティにおける差別的な視線が温床になったことは確実だと思われる。


 1970年代以降の魔女狩り研究によれば、異端審問が12世紀から急増し、魔女狩りが行われたのは15〜18世紀と考えられている。また欧州全土というよりは小領邦ほど激しい魔女狩りが行われていたとされる。既に勢いに任せて書いてしまった以上、前言はそのままにしておく。(ここまで調べるのに2時間経過)


「近ごろ、北ドイツとライン諸地域で、多くの男女がカトリック信仰から逸脱し(魔女となって)男色魔、女色魔に身をまかせ、もろもろのいまわしい妖術によって田畑の作物や果実を枯らし、胎児や家畜の子を殺し、人畜に苦痛と病気を与え、夫を性的不能、妻を不妊にし、多数の人々の災厄の原因となっていることを、われわれははげしい悲しみと苦しみとをもって聞いている。(中略)

 そこで、われらは、彼ら審問官が自由に、あらゆる方法をもって、なにびとをも矯正し、投獄し、処罰する権限をもつべきことを命ずる。」(ローマ法皇インノケンティウス8世の長文の『法皇教書』1484年12月5日付よりの抜粋。法皇派遣の異端審問官が自由かつ強力に魔女狩りを実行しうるよう、各地の司祭に協力を命じたもの)


【『魔女狩り』森島恒雄岩波新書、1970年)以下同】


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 民衆法定から始まった魔女狩りにカトリック教会が手を貸したのが15世紀のこと。結局、どっちにしても15世紀なんだよな。ああ、うんざり。


 魔女は元々悪魔であった。キリスト教における悪魔がどんなものなのか、私は不勉強にして知らない。神が天地創造したとすれば、悪魔を創造したのも神様じゃないのか? 宗教は制度化されるにつれて脅しが多くなってゆく。罪と罰、業(ごう)と報い。擬人化すれば悪魔と鬼だ。


 信仰は不安に根差している。だから不安を煽ることで信仰の火は燃え盛る。ま、心のスクラップ・アンド・ビルドみたいなもんだろう。


 上記引用文のような価値観が定着するにはどの程度の時間を要するのだろうか? 二世代あれば十分だと思われる。つまり50〜60年だ。日本において天皇を神に祭り上げたのが明治期だから、二世代と考えるのは穏当であろう。


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「のろく燃える(生ま木の)火で焼いても、魔女に対する罰としては十分ではない。地獄で待っている永遠の劫火を思えば、この世の火は、魔女が死ぬまでの、半時間以上は続かないのだから。……魔女を火刑にしない裁判官は、裁判官自身が焼かれるべきである。……魔女は、子供といえども赦してはならぬ。ただし、その幼い年齢を斟酌して、絞殺した上で焼いてもよかろう。……正規の裁判手続きに拘泥してはならぬ。それを厳格に守っていては、10万に1人の魔女も罰することはできない。……」(当時のフランスの一流の進歩的な社会思想家、政治家、経済学者、パリ高等法院の一員、ジャン・ボダンの『悪魔崇拝』1580年、より)


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 環境史から考えると、14世紀半ばから19世紀半ばにかけては小氷期とされているので、魔女狩りの時期はどんぴしゃりである。環境から受けるストレスが充満した時代と見ることもできよう。


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 1600年を中心の1世紀間はまさしく「魔女旋風」の期間であった。この期間をピークとする魔女旋風は13世紀ごろのフランスから吹き始め、やがて全キリスト教国、つまり西ヨーロッパ全土を荒しまわり、17世紀末にその余波を新大陸アメリカに延ばした後急速におさまった。

 こうして数万、数十万の魔女が絞殺され、あるいは絞殺された上で焼かれ、または生きながら焼き殺されていった。ときには何十人もが束になっていちどきに……。「魔女の処刑場は、おびただしく立ちならんでいる処刑柱で、まるで小さな林のようにみえた」と、1590年のドイツを旅した旅行者は書いている。


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 1970年以降の研究だと魔女狩りで処刑された人数は最大で4万人としている。これは多分、文献的な記録に基づいているのだろう。だが文献が全てを網羅しているとは考えにくい。魔女狩りの経済的影響を踏まえれば、4万人は少なすぎる。拷問に至る心理情況を想像してみよう。ただ殺すだけでは飽き足りないから拷問を行うのだ。実際にはありもしない自白を強要することで、殺害は正当化される。こうして正義の名の下で罪悪感を抱くことなく人殺しができるようになる。


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 この迷信と残虐の魔女旋風が、中世前期の暗黒時代においてではなく、合理主義とヒューマニズムの旗色あざやかなルネサンスの最盛期において吹きまくったということ、しかもこの旋風の目の中に立ってこれを煽りたてた人たちが、無知蒙昧な町民百姓ではなく、歴代の法皇、国王、貴族、当代一流の大学者、裁判官、文化人であったということ、そしていまひとつ、魔女は久遠の昔から、どこの世界にもいたにもかかわらず、このように教会や国家その他の公的権威と権力とが全国的に網の目を張りめぐらしこの上なく組織的な魔女裁判によって魔女狩りが行なわれたのはキリスト教国以外にはなく、かつ、この時期(1600年をピークとする前後3〜4世紀)に限られていたということ、――これはきわめて特徴的な事実ではあるまいか。

 魔女裁判の本質は、結局、この「地域」と「時期」との関連の中にある。


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 社会とはヒエラルキーで構成される階層である。それゆえ上層になればなるほど「社会が持つ価値観」の奴隷となる。社会を知っている人ほど社会を重んじる。教師は生徒に社会性を叩き込む。教育とは奴隷が奴隷を製造する作業なのだ。


 そして人間はダブルスタンダードを生きる動物である。脳が左右に分裂しているために理性と感情が同居し、ブレーキとアクセルを同時に踏むことができる。


 チト、検索のしすぎで頭が朦朧としてきた。結論を述べよう。魔女狩りはハーメルンの笛吹き男(1284年)から始まった、というのが私の直観だ。根拠は何ひとつない(笑)。しかし、魔女狩りを超倍速で眺めれば、そこに現れるのはハーメルンの笛吹き男そのものだ。連れ去られた子供たちが魔女であったのだ。


 もしも魔女狩りが奨励される時代に私が生まれたならば、私は勇んで魔女狩りに奔走したことだろう。社会はいつの時代も正しいのだから。社会というのはその時代の多数決みたいなものだ。皆が魔女を信じれば魔女は存在するのだ。だから現代だって、500年後から見れば同様の迷信が必ずあるはずだ。世界も歴史も外側からしか見ることができないのだから。


 中途半端ではあるが、本日はここまで。

魔女狩り (岩波新書)

『不安定からの発想』佐貫亦男(講談社学術文庫)


不安定からの発想 (講談社学術文庫)


 ライト兄弟はどうして大空を飛べたのか。それを可能にしたものは、勇気と主体的な制御思想だった。空が不安定なものであることを受け入れ、過度な安定に身を置かず、自らが操縦桿を握ることで安定を生み出すのだと。それはわれわれの人生に重なる発想ではないか──。現代社会を生きる人々に航空工学の泰斗が贈る不安定な時代を生き抜く逆転の発想。

『量子論の発展史』高林武彦(ちくま学芸文庫、2010年)


量子論の発展史 (ちくま学芸文庫)


 連続量と考えられていたエネルギーにも最小単位があった! プランクは空洞輻射で量子の概念に至り、アインシュタインは光量子、ボーアは水素原子の量子論、ド・ブロイは物質波、ハイゼンベルク行列力学を創出した。先の見えない道を、創造者たちはどのように探りつつ歩いたのだろう。彼らの多くと直接に交流し、その物理的核心を洞察しえた著者ならではの本格的な量子論史。理論形成の過程を唱導した物理的イメージや、他の研究者の成果との意外な関係にも論が及ぶ。学習者には量子論の全体イメージを、研究者には理論探求の醍醐味を生き生きと伝える定評ある名著。

『新版 スピンはめぐる 成熟期の量子力学』朝永振一郎(みすず書房、2008年)


スピンはめぐる―成熟期の量子力学 新版


 朝永振一郎による不朽の名著、待望の新版。あのパウリによって「古典的記述不可能な二価性」とも表現され、マクロな物理現象とのアナロジーを拒んだ“スピン”の真髄に迫ろうとするとき、本書のアプローチに優るものは想像しがたい。スピンの概念は紆余曲折の末に理論的に焦点を結び、相対論化され、量子力学の射程を大きく伸ばした。それは荷電スピンの概念につながり、人知が原子核の内側へ踏み込むことを可能にしたのである。その過程で、「アクロバットのよう」なディラックの思考、つぎつぎと問題の鍵を見いだす「パウリの正攻法」、現象論的な類推から本質に辿り着く「ハイゼンベルク一流の類推法」など、さまざまな個性の頭脳が自然の謎と格闘する。本書はそんな「興奮の時代」と呼ばれた量子力学の成熟過程を、近体験する旅である。その道程の随所に、ディラックらの原論文を読みこんで、自身も歴史的な仕事を遺した朝永ならではの洞察が光っている。学術書でありながら、まさに珠玉と呼ぶにふさわしい。すべての物理学生にとっての必読書である。新版には懇切な注釈が付され、より独習しやすくなった。旧版刊行から30年余を経たため、その間のスピン関連の進歩に関する解説も追加されている。江沢洋・注。

党籍剥奪


 党員だった者は党の名誉を汚(けが)したということで、より重い刑に処され、当然党員資格も剥奪(はくだつ)された。


【『チャイルド44トム・ロブ・スミス田口俊樹訳(新潮文庫、2008年)】

チャイルド44 上巻 (新潮文庫) チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

「薬害エイズ」という言葉はおかしい


 一般に「薬害」と呼ぶのは、サリドマイドやスモンのように、医薬品の有害作用がきわめて強く、反面、医薬品として残すだけの価値の少ないものを指します。つまり「薬」とは名ばかりで、「公害」と同様の「害悪そのもの」との意味合いです。

 これに対して、麻酔薬や輸血などでは、副作用や合併症で重大な被害が起こることが知られていても、これを「薬害」とは言いません。

 血液製剤は人体の血液の一部を抽出したものであり、血液製剤の投与とは、基本的には輸血行為なのです。血液製剤のウイルス感染による副作用は、製剤の一部にウイルス汚染されているものが潜んでいたという問題なのです。そして、血友病治療には血液製剤の投与は必要不可欠であり、エイズウイルスの問題が判明してからも、加熱という工夫を施しながら使い続けてきているのです。

 したがって、「薬害エイズ」という言葉は適切ではありません。「輸血事故エイズ」という言葉の方がふさわしいでしょう。しかし「薬害エイズ」という言葉がすでに広く用いられていることから、この本においては、「薬害」という言葉の意味に注意したがら使用するという意味を込めて、括弧をつけて、“「薬害エイズ」”と呼称することにします。


【『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実 誤った責任追及の構図』武藤春光、弘中惇一郎(現代人文社、2008年)】


安部英医師「薬害エイズ」事件の真実

『シャーロック・ホームズの冒険』が刊行された日、ベイジル・リデル=ハートが生まれた日


 アーサー・コナン・ドイルシャーロック・ホームズシリーズの最初の短編集『シャーロック・ホームズの冒険』が刊行された日(1892年)。イギリスの軍事評論家、軍事史研究者、戦略思想家ベイジル・リデル=ハートが生まれた日(1895年)。


シャーロック・ホームズの冒険 (新潮文庫) リデルハートとリベラルな戦争観

秩父事件が起こった日


 今日は秩父事件が起こった日(1884)。埼玉県秩父郡の農民が政府に対して起こした武装蜂起事件。自由民権運動の影響下に発生した、いわゆる「激化事件」の代表例ともされてきた。松方デフレによって農作物価格の下落が続き、農民は困窮。事件後、約14000名が処罰され首謀者7名には死刑判決。

秩父事件 自由民権期の農民蜂起

フェルメールが生まれた日


 今日はフェルメールが生まれた日(1632年)。17世紀にオランダで活躍した画家。レンブラントと並び17世紀のオランダ美術を代表する画家とされる。静謐で写実的な迫真性のある画面は、綿密な空間構成と巧みな光と質感の表現に支えられている。現存する作品は33〜36点と寡作だった。

フェルメール  ――謎めいた生涯と全作品  Kadokawa Art Selection (角川文庫) 謎解き フェルメール (とんぼの本) フェルメール論―神話解体の試み


西洋絵画の巨匠 (5) フェルメール フェルメール全点踏破の旅 (集英社新書ヴィジュアル版) フェルメールの世界―17世紀オランダ風俗画家の軌跡 (NHKブックス)

マルティン・ルターが、ローマ教会の贖宥状の販売を糾弾する「95ヶ条の論題」を教会の壁に貼り出した日


 今日はマルティン・ルターが、ローマ教会の贖宥状の販売を糾弾する「95ヶ条の論題」を教会の壁に貼り出した日(1517年)。1521年にカトリックを破門。プロテスタントの元祖となる。贖宥状の糾弾については飽くまでも神学上の疑問を呈したものであって、金儲け主義を批判したわけではない。


キリスト者の自由・聖書への序言 (岩波文庫) マルティン・ルター 日々のみことば

2010-10-30

「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


 小説は短篇の方が難しいといわれる。限られた紙数で物語を描くのだから構成や結構で勝負するしかない。石原吉郎は詩人であるが、味わい深い短篇小説も残している。


「気がかりな夢から目を覚ますと男は毒虫になっていた」というカフカ的手法に近い。不条理を戯画化することでシンボリックに描き出している。


 主人公の男は棒をのんでいる。なぜ棒をのまないといけないのかは一切語られない。


 要するにそれは、最小限必要な一種の手続きのようなものであって、「さあ仕度しろ」というほどの意味をもつにすぎない。それから僕の返事も待たずに、ひょいと肩をおさえると、「あーんと口を開けて」というなり、持ってきた棒をまるで銛でも打ちこむように、僕の口の中へ押しこんでしまうのである。その手ぎわのたしかさときたら、まるで僕という存在へ一本の杭を打ちこむようにさえ思える。

 一体人間に棒をのますというようなことができるのかという、当然起りうる疑問に対しては、今のところ沈黙をまもるほかはない。なぜなら、それはすでに起ったことであり、現に今も起りつつあることだからだ。


【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)以下同】


 石原吉郎はシベリア抑留という不条理を生きた。

 敗戦必至という状況下で日本政府は天皇を守るため、ソ連に労働力を提供する申し出をしていた。この取引は実現することはなかったが、酷寒のシベリアに連れ去られた同胞を政府が見捨てたのは事実であった。


 それはまさしく「棒をのまされた」様相を呈していた。


 それにしても僕が、なんの理由で刑罰を受けなければならないかは、やはり不明である。


 僕はその日いちにち、頭があつくなるほど考えてみたが、何がどういうふうにしてはじまったかは、ついにわからずじまいだった。


 こうした何気ない記述の中には石原が死の淵で叫んだであろう人生に対する疑問が込められている。具体的には国家に対する疑問でありながら、理不尽や不条理はやはり神に叩きつけるべき問題だ。


 理由が不明で、いつ始まったかもわからない──こんな恐ろしいことがあるだろうか? 不幸はいつもそんな姿で現れる。


 僕がこころみたおかしな抵抗やいやがらせは、もちろんこれだけではない。だがそれはつまるところ、棒に付随するさまざまな条件に対する抵抗であって、かんじんの棒をどう考えたらいいかという段になると、僕にはまるっきり見当がつかないのである。僕が棒について、つまり最も根源的なあいまいさについて考えはじめるやいなや、それは僕の思考の枠をはみだし、僕の抵抗を絶してしまうのだ。要するに災難なんだ、と言い聞かせておいて、帽子をかぶり直すという寸法なのだ。


 ここだ。巧みな描写で石原は政治と宗教の違いを示している。「棒に付随する条件への抵抗」が政治、「棒の存在そのもの」が宗教的次元となろう。


 棒をのまされたことで、主人公はどうなったか?


 すると、その時までまるで節穴ではないかとしか思えなかった僕の目から、涙が、それこそ一生懸命にながれ出すのである。

 だがそれにしても、奇妙なことがひとつある。というのは、いよいよ涙が、どしゃ降りの雨のように流れ出す段になると、きまってそれが一方の目に集中してしまうのである。だから、僕が片方の目を真赤に泣きはらしているあいだじゅう、僕のもう一方の目は、あっけにとられたように相手を見つめているといったぐあいになるので、僕は泣いているあいだでも、しょっちゅう間のわるい思いをしなければならないのだ。やがて、いままで泣いていた方の目が次第に乾いてきて、さもてれくさそうに、または意地悪そうにじろりと隣の方を見つめると、待っていたといわんばかりに、もう一方の目からしずかに涙がながれ出すというわけである。


 私は震え上がった。不条理は一人の人間の感情をもバラバラにしてしまうのだ。悲哀と重労働、飢えと寒さがせめぎ合い、生きる意志は動物レベルにまで低下する。希望はあっという間に消え失せる。今日一日を、今この瞬間をどう生き抜くかが最大の課題となる。


 帰国後、更なる悲劇が襲った。抑留から帰還した人々をこの国の連中は赤呼ばわりをして、公然とソ連のスパイであるかのように扱ったのだ。菅季治〈かん・すえはる〉は政治家に利用された挙げ句に自殺している(徳田要請問題)。


 石原の心の闇はブラックホールと化して涙を吸い込んでしまった。


「それに場所もなかったよわね。あんなところで問題を持ち出すべきじゃないと思うな。」

「じゃ、どこで持ちだすんだ。」

「そうね、裁判所か……でなかったら教会ね。」

 僕は奮然と立ちあがりかけた。

「よし、あした教会へ行ってやる。」

「そうしなさいよ。」

 彼女は僕の唐突な決心に、不自然なほど気軽に応じた。

「それでなにかが変ることはないにしてもね。」


 裁判所と教会の対比が鮮やか。どちらも「裁きを受ける場所」である。最後の一言が辛辣(しんらつ)を極める。政治でも宗教でも社会を変えることは不可能であり、まして過去を清算することなど絶対にできない。それでも人は生きてゆかねばならない。


 果たして、「棒」は与えられた罪なのだろうか? そうであったとしても、石原は過去を飲み込んだのだろう。鹿野武一〈かの・ぶいち〉や菅季治の死をも飲み込んだに違いない。体内の違和感に突き動かされるようにして、石原は言葉を手繰ったのだろう。

石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)

武藤春光、弘中惇一郎、ジェローム・デュアメル


 1冊挫折。1冊読了。


 挫折77『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実 誤った責任追及の構図』武藤春光、弘中惇一郎(現代人文社、2008年)/検察がどのように事件をでっち上げるかを、裁判の経過と併せて描かれている。安部医師は血友病治療の第一人者というだけで濡れ衣を着せられた。テレビカメラの前で癇癪を起こした映像を覚えている人も多いだろう。私は安部医師が無罪だったことすら知らなかった。やはりテレビは観るべきではない。横書きテキストではあるが、時間のある時に再読する予定。


 126冊目『世界毒舌大辞典』ジェローム・デュアメル/吉田城〈よしだ・じょう〉訳(大修館書店、1988年)/とっくに読了。書くのを忘れていた。原書の編者がフランス人のため、やや理解しにくい部分もある。やたらと「コキュ」なる言葉が出てくるのだが「寝取られ亭主」という意味。古いものも集められているので仕方がないと思うが男尊女卑や下ネタが目立つ。最後の「人物」の章は不要。この手の本はトイレに置いておくに限る。便座で表現力を磨け。

予算委員会の不思議


 予算委員会は予算の審議をするところである。ところが国民は予算委員会で予算の議論を見た事がない。テレビ中継がある時は何を質問しても良い事になっているため、予算委員会では専ら「政治とカネ」の追及が行なわれてきた。何故予算委員会で「政治とカネ」が追及されるのか、誰も不思議に思わないからこの国は不思議である。

「政治とカネ」を追及する分だけ予算の議論を行う時間は削られる。国民から預った税金を何にどう使うかを議論する筈の予算委員会が、スキャンダル追及を優先しているから税金の使い道が分からなくなる。


田中良紹

「Kings of the Wild Frontier」アダム&ジ・アンツ


 ちょうど私が雑誌『ミュージック・マガジン』を読み始めた頃、『アダムの王国』が出た。1980年のこと。海賊ファッションもさることながら、ブラス&ツインドラムの音が衝撃的だった。30年経った今でも時々聴いているよ。ニューロマンティックムーブメントの旗手とされるが、「デュラン・デュランなんぞと一緒にするな!」というのが私の持論だ。アダム・アントは現在、躁鬱病で入院中とのこと。



Kings of the Wild Frontier

神は奇蹟を起こさない


 これは霊感というものに対する私の観念にとっては厄介な問題だった。というのも、もしも神がその気になれば、ちょいちょいと奇蹟のひとつも起こして、聖書の言葉を同一に保つくらい朝飯前であるはずなんだから。


【『捏造された聖書』バート・D・アーマン/松田和也訳(柏書房、2006年)】

捏造された聖書

規則正しい時計


 長針がまた一つ動いた。まるですべてがいつもどおりだというように規則正しく。


【『喪失』カーリン・アルヴテーゲン/柳沢由美子訳(小学館文庫、2005年)】

喪失 (小学館文庫)

アゴタ・クリストフが生まれた日


 今日はアゴタ・クリストフが生まれた日(1935年)。ハンガリー出身の作家。『悪童日記』でデビュー。双子の少年達が戦時下の田舎町で成長し自立していくさまを描き、一人称複数形式(「ぼくら」)を用いて成功した稀有な小説として知られている。亡命の厳しい体験が反映されている。


悪童日記 (ハヤカワepi文庫) ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫) 第三の嘘 (ハヤカワepi文庫) 文盲 アゴタ・クリストフ自伝

ポール・ヴァレリーが生まれた日


 今日はポール・ヴァレリーが生まれた日(1871年)。日本では、アルベルト・アインシュタイン相対性理論をいちはやく理解した詩人として知られるようになった。小林秀雄訳「テスト氏」が早くから読まれ、詩は堀口大學が訳し、ヴァレリー自身と書簡のやり取りもしている。

ヴァレリー・セレクション (上) (平凡社ライブラリー (528)) ヴァレリー・セレクション〈下〉 (平凡社ライブラリー)


ムッシュー・テスト (岩波文庫) エウパリノス・魂と舞踏・樹についての対話 (岩波文庫) ヴァレリー――知性と感性の相剋 (岩波新書)

2010-10-29

『暗黒宇宙の謎』谷口義明(講談社ブルーバックス、2005年)


暗黒宇宙の謎 (ブルーバックス)


 私たちに見えている宇宙の質量は宇宙全体の数パーセントにすぎない。残りは「暗黒物質」、「暗黒エネルギー」と呼ばれる正体不明なもので満ち溢れている。宇宙にはびこるさまざまな「ダーク」暗黒星雲、星間ガス、ブラックホールなどの実体を検証しながら、宇宙の誕生と進化を支配し、宇宙の運命をあやつる黒幕の正体を突きとめる。

術とはアート


 学、論、法、と来て、さらにいっそう頭より手の方の比重が大きくなると、何になるか、というと、これが術、なんです。術、というのは、アートです。芸術もアート、でも芸術は昔はファイン・アートとファインがついて、美術でした。アートは、技術。フランス語でアルチザンといえば、職人さん。これは、手の比重の方が頭より大きい。そのことで少し頭を楽にしてあげる領域です。


【『言語表現法講義』加藤典洋岩波書店、1996年)】

言語表現法講義 (岩波テキストブックス)

過去と未来


 人間にとって過去は、不思議に未来と似ているものである。かつてあったことを物語るのは、ほとんどつねに、これからあるであろうことを物語ることではなかろうか。


【『「絶対」の探求』バルザック/水野亮訳(岩波文庫、1939年)】

「絶対」の探求 (岩波文庫)

フレドリック・ブラウンが生まれた日


 今日はフレドリック・ブラウンが生まれた日(1906年)。SF黄金時代を代表する創作者の一人に数えられている。短編作品において高名であり、ロバート・シェクリイと並び称される。巧妙なプロットと驚くべき結末が特徴。ユーモアやポストモダン的作風は長編でも発揮されている。

発狂した宇宙 (ハヤカワ文庫 SF (222)) 未来世界から来た男 (創元SF文庫 (605-1)) 宇宙をぼくの手の上に (創元推理文庫 605-5) さあ、気ちがいになりなさい (異色作家短編集)

2010-10-28

神秘時代のクリシュナムルティ/『大師のみ足のもとに/道の光』J・クリシュナムルティ、メイベル・コリンズ

 クリシュナムルティが14歳で記した一書。マスター・クートフーミからのお告げとされている。神智学協会の重要なテキスト。


 この本についてはクリシュナムルティ自身も否定的で、後の教えとは無縁なものと考えるべきだ。ニューエイジ志向の連中は高く評価しているようだが、所詮インチキ宗教に拾われた少年が書いたものに過ぎない。萌芽は見受けられるが、拠(よ)って立つ基盤が異なることを弁えるべきであろう。


 というわけで、これからクリシュナムルティを読もうと思っている人は、この本から入ってはいけない。


 この本に書いてあることは私の言葉ではありません。私を教えてくださった大師のお言葉です。(はしがき)


【『大師のみ足のもとに/道の光』J・クリシュナムルティ、メイベル・コリンズ/田中恵美子訳(竜王文庫、1982年)以下同】


 このあたりの件(くだり)については、メアリー・ルティエンスの『クリシュナムルティ・目覚めの時代』が詳しい。要は霊界みたいなところへ意識が飛んで行って、マスターなる神様からのお告げを受けたってな話だ。


 クリシュナムルティが悟りに達したのは1922年8月のことで、神智学協会が彼のために設けた「星の教団」を解散したのが1929年の8月である。この二つの出来事以前については重きを置くべきではないというのが私の考えだ。なぜなら、神秘宗教・オカルティズムを超脱したところにクリシュナムルティの本領があるからだ。


 いみじくも本書には「オカルティズム(密教)」と書かれている。つまり、欧米でスピリチュアリズムと受け止められているのは密教的飛躍であり、密教の影響を色濃く反映している鎌倉仏教はおしなべてスピリチュアリズムの範疇に貶(おとし)められてしまうのだ。


 ここを見誤ると、今度はクリシュナムルティを神に祭り上げてしまうようになる。彼が弟子の存在すら否定したことを軽々しく考えてはいけないだろう。


 それでも十代の少年とは思えぬ言葉で真理を突いている。


 肉体はあなたの動物、あなたが乗る馬です。だから肉体をうまく扱い、よく世話をしなさい。使いすぎてはいけません。清浄な飲食物だけを適切に与えなさい。また、ちょっとした汚れもない様にいつも完全に清潔にしておかねばいけません。


 彼は晩年に至るまで朝の散歩を欠かさず、アルコール類や煙草から食料に至るまで刺激物を避けた。生涯にわたって肉体を調教していた。


 あなたは真実と虚偽を見分けなければいけません。思想、言葉、行為のどれもが真実である様に学ばなければいけません。


 これは後のクリシュナムルティの教えの基本ともなる考えだ。「虚偽を虚偽と見、虚偽の中に真実を見、そして真実を真実と見よ」という言葉は『生と覚醒のコメンタリー』で何度も出てくる。虚偽を虚偽と見抜く中に真実があるのだ。


 クリシュナムルティは完全に現在に生きた。それは同時に過去を死なせることであった。このため彼の記憶は大半が欠落していた。弟ニティヤの死すら曖昧な記憶しかなかった。幾度となくこの本の質問をされているが、彼は「覚えていません」と一蹴するのが常だった。


 本書の後半にはメイベル・コリンズという女性が綴ったものとなっている。これまた神のお告げらしいが、興味深いものを紹介しよう。


(1)野心を殺せ

(2)生命への欲望を殺せ

(3)慰安への欲望を殺せ

(4)野心のある者の如く働け。生命を望む者がなす如く生命を大切にせよ。幸福を求むる者の如く幸福なれ。

(5)あらゆる隔絶感を殺せ。

(6)感覚に対する欲望を殺せ。

(7)成長への渇望を殺せ。

(8)略

(9内なるもののみを望め。

(10)君を越ゆるもののみを望め。

(11)獲得出来ぬもののみを望め。

(12)略

(13)熱烈に力を求めよ。

(14)熱心に平和を望め。

(15)凡てに勝る財産を求めよ。

(16)略

(17)道を探求せよ。

(18)内に退くことにより道を求めよ。

(19)大胆に外に進み出て道を求めよ。

(20)略

(21)嵐のあとの沈黙の中ではじめて咲く花を求めよ。

(句点の有無はママ)


 人間の脳は短文命令形に弱い(笑)。多分、大胆な省略を認めて勝手な連想が働くためだろう。トール・ノーレットランダーシュがいうところの外情報だ。


 いずれにしても懐疑や吟味に耐える言葉であれば、何らかの真理を含んでいると考えてよかろう。大切なのは言葉で示された内容である。

大師のみ足のもとに

ニュートン別冊


 1冊読了。


 125冊目『みるみる理解できる相対性理論 改訂版』ニュートン別冊/佐藤勝彦監修、水谷仁編集(ニュートン プレス、2008年)/内容がイマイチで文章がイマサン。前にも書いた通り、イラストが大きすぎて文字が小さく感じてしまう。バランスの悪さが病的なほど。無駄な判型だ。

『戦争における「人殺し」の心理学』デーヴ・グロスマン/安原和見訳(ちくま学芸文庫、2004年)


戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)


 本来、人間には、同類を殺すことには強烈な抵抗感がある。それを、兵士として、人間を殺す場としての戦場に送りだすとはどういうことなのか。どのように、殺人に慣れされていくことができるのか。そのためにはいかなる心身の訓練が必要になるのか。心理学者にして歴史学者、そして軍人でもあった著者が、戦場というリアルな現場の視線から人間の暗部をえぐり、兵士の立場から答える。米国ウエスト・ポイント陸軍士官学校や同空軍軍士官学校の教科書として使用されている戦慄の研究書。

うつ病:運動療法が効果 薬効きにくい人も改善 再発率低く


 うつ病を運動で治す試みが注目されている。薬の効きにくい人が改善することがあるほか、再発率が低いとの研究成果も出ている。

 首都圏に住む30代の男性会社員は、自宅近くを15分、週4回速歩きをしている。腕を大きく振り、ハアハアと息が弾むほどのスピードを保つ。終わるとじっとり汗をかく。2カ月後、気分が晴れてきたのを実感するようになった。

「うつうつと家に閉じこもっていたが、今は友人とお茶をしたり、人と積極的にかかわれるようになった」と男性は話す。10年以上抗うつ薬を飲んでいるが、これほど変わったのは初めて。両親と電話で話すと「声が明るくなった」と言われた。夜寝て朝起きる規則正しい生活になり、会社への復職を考え始めている。

 男性が通う「青葉こころのクリニック」(東京都豊島区)の鈴木宏医師は「運動すると気分がすっきりして前向きになれる」と話す。大事なのは、一人一人に適した強度と頻度の運動を一定期間続けることだ。クリニックは患者の脈拍や最大酸素摂取量を測り、速度や運動量を指示。患者は週3〜4回、計1時間程度の速歩きをする。

 歩くときは、信州大医学部が開発した計測器を腰につけ運動量を測る。「記録を確認できるので意欲が続きやすい」と鈴木医師。昨年の開院後、延べ約20人が取り組み、続けられた17人のほぼ全員に効果があったという。

 運動療法は、自殺を考えるような重いうつ病患者には勧められないが、軽症から中等症のうつや、自分の好きな仕事や活動の時だけ元気になる新型うつにも効果がみられるという。

 米国デューク大の調査では、薬物療法の後にうつ病を再発した人は38%だったが、運動療法をした人の再発率は8%だった。鈴木医師は「人には自然回復力がある。運動は主体的に取り組むためか、再発しづらい印象がある」と話す。

 専門知識が必要なため、運動療法を行う診療所はほとんどなく、健康保険もきかない。鈴木医師は、信州大運営のNPO法人で1カ月1万2600円で指導している。


 聖路加看護大の小口江美子教授(予防医学)らは08〜10年、薬が効かないうつ病患者4人に運動療法を併用したところ、うつ状態が改善し、日本精神神経学会などで発表した。休職・休学中だった4人は、4カ月〜1年6カ月にわたってウオーキングに取り組み、全員が会社や大学に戻れた。

「朝起きられず午前の活動が苦手なうつ病の人たちに、運動を日課にしてもらうのは大変だった。でも最後には笑顔も見られるようになり、歩く習慣も根付いた」と小口教授。

 うつの程度を測るハミルトンうつ病評価尺度(23以上は重症、7以下は回復)を調べたところ、ある大学生は運動前に22ポイントだったのに終了後は7ポイントに下がっていた。

 なぜ、運動すると気分が安定するのか。

 生物学的には、脳血流や脳内の神経伝達物質が増え、ストレスホルモンが安定するとされている。共同研究した慶大医学部の渡辺衡一郎専任講師(精神神経科学)は「ひきこもりがちの患者さんに日課ができることは大きい。定期的な体力測定で体力増強がわかり、励みになって意欲が増し、うつ症状の改善につながった可能性がある」と話す。

 各国では、運動の効果は認められつつある。渡辺講師によると、英国や米国テキサス州の治療ガイドラインは、軽症うつに運動を勧めている。

 慶大病院では年内にも、軽症者数十人を集め12〜16週間にわたってウオーキングやジョギングの運動療法を試み、効果を確かめる研究を始める。冨田真幸助教(同)は「一人一人の体力にあった運動量をアドバイスする、テーラーメードの治療を行う。将来的には、運動でうつを予防する取り組みにつなげたい」と話している。


【毎日jp 2010-10-22】

予測よりも理解


 肝心なのは、予測することではなく理解することだ。


【『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル/小須田健〈こすだ・けん〉、C・カンタン訳(紀伊國屋書店、2009年)】

精神の自由ということ ― 神なき時代の哲学

オーギュスト・エスコフィエが生まれた日


 今日はオーギュスト・エスコフィエが生まれた日(1846年)。レストラン経営と料理考案・レシピ集の著述を通じて、伝統的なフランス料理の大衆化・革新に貢献した事で知られる。現在にいたるフランス料理発展の重要なリーダーとして、シェフと食通の間で偶像視されている。

エスコフィエ自伝 - フランス料理の完成者 (中公文庫BIBLIO) 味覚の巨匠 エスコフィエ


2010-10-27

人を知る者は智なり 自ら知る者は明なり


 人を知る者は智なり。自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力有り。自ら勝つ者は強し。足ることを知る者は富めり。強いて行う者は志有り。其の所を失わざる者は久し。死して滅びざる者は寿(いのちなが)し。


老子

Sheila Majid - Cinta Jangan Kau Pergi


 シーラ・マジッドはマレーシアを代表する歌手。最近知った。最初、日本語で歌っているのかと思った。アジアに共通する歌謡は、やはり言語に由来しているのか。



Legenda the Concert ワニータ

(※この曲が入っているかどうかは不明)

同時多発テロは「犯罪」であって「戦争」ではなかったはず


 言うまでもなく、ニューヨークやワシントンで起こった同時多発テロは許しがたい犯罪です。しかし、それは「犯罪」であって「戦争」ではなかったはずです。ところが、アメリカ政府は、これはもう戦争である、したがって我々は報復戦争をする、と主張している。「悪の枢軸」をなすイラクやイランや北朝鮮といった国は、テロリストを助け、大量破壊兵器を開発しているという意味において危険きわまりない、我々はそれらをテロリストもろとも敵とみなし、断固として敵対していくのだ、というわけです。


【『良心の領界』スーザン・ソンタグ/木幡和枝〈こばた・かずえ〉訳(NTT出版、2004年)】

良心の領界

敗戦後に闇米を拒否して死んだ裁判官


 多くの悲惨な結果を招いた、日本の官僚は有能で清潔だというこの共同幻想はいつごろ、そしてどのようにして成立したのであろうか。確信はないが、この幻想は、敗戦のすぐあとだったと思うが、ある裁判官が配給以外の米を食べることを拒否して栄養失調で死亡した事件をきっかけとして成立したのではないかと思われる。家族が闇米を手に入れて食べさせようとしても、闇米と知ると彼は手をつけなかったという。

 国民のあいだに大きな衝撃が走ったことをわたしは憶えている。

 たかが司法官僚が一人餓死したぐらいで、この共同幻想が成立したなどとは考えられないかもしれないが、当時の国民が必死にその種の幻想を求めていたという背景があってのことである。この裁判官は神話的人物となった。


【『歴史を精神分析する』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(中公文庫、2007年/新書館、1997年『官僚病の起源』を改題)】

官僚病の起源 歴史を精神分析する (中公文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

ジェームズ・クックが生まれた日


 今日はジェームズ・クックが生まれた日(1728)。キャプテン・クック。庶民からイギリス海軍の大佐に昇りつめ、太平洋に3回の航海を行い、オーストラリア東海岸に到達、ハワイ諸島を発見し、自筆原稿による世界周航の航海日誌を残し、ニューファンドランド島とニュージーランドの海図を作製した。


クック 太平洋探検〈1〉第一回航海〈上〉 (岩波文庫) クック 太平洋探検〈2〉第一回航海〈下〉 (岩波文庫) クック 太平洋探検〈3〉第二回航海〈上〉 (岩波文庫)


クック 太平洋探検〈4〉第二回航海〈下〉 (岩波文庫) クック 太平洋探検〈5〉第三回航海〈上〉 (岩波文庫) クック 太平洋探検〈6〉第三回航海〈下〉 (岩波文庫)

2010-10-26

ハサミの値札の法則〜報道機関は自分が当事者になった事件の報道はしない/『たまには、時事ネタ』斎藤美奈子


 コラムに必要なのは常識である。ステレオタイプ、決まり文句、故事成語、典型を弁えればこそ、そこから距離を取ることができる。であるからして、コラムニストは冷めた傍観者でなければならない。時事問題を鮮やかな手並みで料理し、微妙なスパイスを利かせれば完璧だ。


 古来、我が国では侘びさびを尊び、滑稽を楽しむ文化が形成されてきた。ま、今はどこにもないけどさ。あるいは漂泊、または粋(いき)。俳句や狂言を思わせる飄々としたコラムニストがもっていてしかるべきだ。


 世の中が自粛モードのときにこそ言論人は火中の栗を拾うべきだというのは正論だが、「非国民」の道を選ぶには想像以上の勇気がいる。そして勇気さえあればコラムは成立する、というわけでもないところが難しいのである。


【『たまには、時事ネタ』斎藤美奈子中央公論新社、2007年)以下同】


 上手いよね。言いわけの仕方が(笑)。やはりコラムは少し肩の力を抜いて読めるものがいい。短い文章だから告発するには文字数が少なすぎるだろう。味わい深さや余韻を残すには大胆な省略も求められよう。


 これはツイッターで知った書籍である。140字で「ハサミの法則」なるものが紹介されていた。


 報道機関は自分が当事者になった事件の報道はしない(あるいはできない)。


 ここには普遍的な原理がひそんでいるようにも思う。病気になった外科医は自分で自分の手術はできない。罪を犯した弁護士は自分の弁護はできないし、批評家だって自分の作品の批評はできない。同様に「中立公正」を標榜する報道機関は自社の報道はできない、のだ。

 私はこの現象に名前をつけた。すなわち「ハサミの値札の法則」である。このあいだハサミを買って気がついたんだけど、ハサミって、自分のことは切れないのよね。ハサミについている値札の糸を切るには別のハサミがいるのである。


 お見事。所詮、彼らはサラリーマンなのだ。会社に楯突くことが許されるはずもない。彼らにとっての正義は社会正義ではなく会社の利益である。我々と同様だ。


 この国の不幸は「別のハサミ」がないことに尽きる。大手新聞社やテレビ局が本気で記者クラブ問題を取り上げることはない。官房機密費問題も以下同文。ま、本当のことをいえば、この国ではジャーナリズムは機能していない。


 結局その根っこは敗戦時にあるのだろう。GHQが進駐してきて新聞・テレビ各社は骨抜きにされた。アメリカで捕虜となっていた日本軍スパイが戦後に送り込まれたという話もある。当然、CIAの息がかかっていると考えるべきだろう。


 読売新聞中興の祖と仰がれる正力松太郎はCIAの走狗であった。ポダムというコードネームまで付けられていた。正力は大正13年(1924年)に読売新聞を買収して社長に就任。昭和15年(1940年)には大政翼賛会総務となり、昭和18年(1943年)に内閣情報局参与を務めた。敗戦後はA級戦犯に指定されている。実に怪しい経歴の持ち主だ。


 大体だな、ナベツネあたりがしゃしゃり出て、大連立を持ち掛けるあたりも明らかにおかしな話だ。この国は新聞社の社長が動かせるってのか?


 人間は言葉で思考する動物だ。言葉とは情報である。すなわち情報をコントロールできる立場にある人物こそが権力者なのだ。政治然り、メディアまた然りである。

 国民に全ての情報が与えられることは断じてない。そうであるがゆえに、部分的情報に基づいた民主主義は必然的に衆愚政治となるのだ。選挙が風任せの人気投票と化すのも当然だ。


 斎藤美奈子小田嶋隆には及ばないが、中々健闘している。


 まず「ウルトラマン」。これは怪獣という外敵から地球を守る防衛戦争の物語である。しかし、奇妙な点がひとつある。このシリーズは、どんなに地球防衛軍(科特隊なりウルトラ警備隊なり)が勇敢に戦っても、最後はいつもウルトラマンが「シュワッチ!」と登場し、怪獣を退治してくれるのだ。自力では敵を倒せぬ防衛軍。自らの存在を疑ったりはしないんだろうか……。よくいわれているように、この謎は日米安保のアナロジーで解ける。地球防衛軍はウルトラマンに活動拠点(基地)を提供し、自らは後方支援の役に徹する。つまりウルトラマンとは在日米軍みたいなものなのだ、と。


 揶揄のお手本。全体を通して、やや社会主義的な匂いが強いが、左に揺れながらも何とかバランスを保っている(笑)。


 人気時代劇の水戸黄門や遠山の金さんは権力者だしな。

 そう言われると、ドラえもんも米軍っぽいよね。正義の味方は明らかに異形だ(笑)。つまり白人のメタファーってわけだな。


 いまさらいわずもがなだけれども、「有事」という語は「戦争」という直接的な語を避けたい人たちが編み出した、体のいいまやかしと思ったほうがいい。


 御意。個人的には国益という言葉にも嫌悪感を覚える。「戦争の際には殺戮(さつりく)しまくるよ。少々の犠牲を払おうとも」ってのが本音だろう。


 ま、絶賛するほどでもないが、斎藤の距離感は非常に心地がいい。

たまには、時事ネタ

Kirk Franklin Now Behold The Lamb


 アフリカから奴隷としてアメリカへ連れ去られた人々がゴスペル(黒人霊歌)を生んだ。最も不自由な環境に置かれた彼らの魂の叫びだ。その声は自由自在に響き渡る。霊歌はスピリチュアルともいう。この動画を観ると聴衆の一部がトランス状態となっていることに気づくだろう。歌が経(お経)へと飛翔する瞬間をとくとご覧あれ。昂奮と安らぎとが同居している。



Christmas

小村寿太郎が生まれた日


 今日は小村寿太郎が生まれた日(1855年)。ロシア駐在時、暗い室内で膨大な数の書物を読み込み続けたため医者からは「これ以上目を使い続けると失明する」と忠告されたが学習意欲は衰えず書物を読むことを止めなかった。父親による借財のため、生涯を通じて返済に苦労したと伝わる。

ポーツマスの旗 (新潮文庫) [新装版]小村寿太郎とその時代 [新装版]陸奥宗光とその時代

カール・レオンハルト・ラインホルトが生まれた日


 今日はカール・レオンハルト・ラインホルトが生まれた日(1757年)。啓蒙思想無神論デイヴィッド・ヒューム懐疑論などの影響を受け、伝統的なカトリックからの脱却などを図っていた。カント哲学を体系化し、ドイツ観念論への道筋を与えた。

2010-10-25

人間は不完全な情報システムである/『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人


 既に『月刊苫米地』と化しつつある。それだけアイディアが豊富ということなのか。確かに頭のいい人物である。でも私は信用してないよ(笑)。断じて。書籍を乱発しているのは高額なセミナーへと誘導するためだろう。ま、行きたい人は勝手にしろ。


 ホームページにまで有料コンテンツを設けていて、15000円〜35000円という料金体系となっている。こうした振る舞いから宗教心を見出すことは不可能だ。


 であるがゆえに私は苫米地の本は好んで読むが、人間性を信頼したことはただの一度もないよ。増田俊男と似たようなもので、その知識から学ぶべきことが多いだけの話。動画を観てきた限りでは、明らかに罪悪感の欠如が見受けられ、反社会性人格障害の傾向を感じる。


 前置きが長くなってしまったが、そうであってもこの本は凄い。多くの宗教団体が手をつけていない領域に踏み込んでいる。苫米地は情報をつなぎ合わせる天才といっていいだろう。


 宗教学的な宗教の定義は、実はトートロジーになっています。ここでいうトートロジーとは、同語反復による循環論法です。

 それは、簡単に言えば、このようなことです。

 つまり、宗教とは何かといえば、「それは超越的な存在(神)についての信念などの観念であり、その観念体系にもとづいた教義、儀礼、組織をそなえた社会集団である」と定義します。そのいっぽうで、それでは超越的な存在とは何かと問えば、「宗教がその中心におく観念である」と定義するのです。


【『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(フォレスト2345新書、2010年)以下同】


 これは別段驚くことではない。なぜなら言葉そのものがトートロジー的性質をはらんでいるからだ。文明が進んだ現代社会は言葉を過剰に信頼している節が窺えるが、厳密にいえば言葉は象徴であり、コミュニケーションにおける翻訳的な役割しか果たすことができない。言葉を少し覚えた幼児と話せば直ぐ理解できることだ。共通の世界観がなければ言葉によるコミュニケーションは成り立たない。


 ただ、苫米地がここでいいたいことは、宗教の根幹を成す「神」という存在が、実は説明不能であることを示したものだ。つまり、「わからない対象」「理解不能な相手」を崇(あが)めていることになる。


 人間が信仰心を抱く理由のひとつ目は、自分が不完全な情報システムであるということを、誰もが何かをきっかけにして自覚することでしょう。

 情報システムとしての人間は、部分情報であり、完全情報ではありません。

 部分情報ですから、未来の出来事を知ることもできないし、自分が正しいと思って行った選択行為が、望みどおりの結果をもたらすかどうか知ることもできません。

 そして、たいていの人は人生の何かの場面で「自分はなんとおろかで弱い存在であることか」と深く気づくことになります。


 これはお見事。宗教の数学的解釈といってよい。我々が「一寸先は闇」であることを自覚するのは、周囲で不慮の事故や事件が起こった場合だ。他人の不幸や失敗を通してしか自覚できないわけだから、愚かなことこの上ない。


 思春期にもなれば、自我が揺れるあまり一度や二度は自殺を考えた覚えが誰にでもあるはずだ。親との葛藤、友人との確執によって、自分という存在が全世界から否定されたような気持ちとなる。モヤモヤした思いや、苛立たしい感情を上手く言葉にすることができない。にもかかわらず、母親は「どうしてそんなことをしたのか、ちゃんと説明しなさい」と冷ややかな口調で告げる。まるで首相に説明責任を問う野党のようだ。


 また就職してからも、完全に社会の歯車として扱われるため、どんどん自分自身が卑小な存在となってゆく。ヒエラルキーは三角形構造となっているので全員が勝者になることはあり得ない。


 私は一社員に過ぎず、一消費者に過ぎず、一視聴者に過ぎず、一票に過ぎない。今時、天下を取ろうと本気で考えているのは、暴走族の下っ端連中くらいだろう。人間のアトム(原子)化。


 本気で生きる意味を問えば、闇を見つめざるを得ない。社会でまかり通っているインチキ、不正、裏切り、はたまた世界で横行している暴力や人種差別など。で、自分なんか最初っから信じられないから、何か信じるものが必要になるという寸法だ。宗教は不安に根差している。


 そして見逃せないことは宗教原理であるはずの教義が微妙に修正されているところだ。例えば「エホバの証人の輸血拒否」なんかがそう。昔はオッケーだったらしい。


 あらゆる勝者の歴史がそうであるように、教義の純粋化を進めるプロセスでそのために都合の悪いことは消去されてきたに違いないからです。


 全ての宗教が教団を形成し、歴史を育む以上、スターリニズム的修正が加えられる。あるいは削除。臭いものには蓋(ふた)。ま、昔の便所みたいなものだ。汲み取り式の頃は和式の便器に木の蓋がかぶせてあったのだよ。


 1616年と1633年の二度にわたってガリレオ・ガリレイは有罪判決を下された。この誤りをローマ教皇が認めたのは1992年のことであった。宗教上の断罪は神に否定されたも同然であるから、法律違反よりも罪深いものだ。それが間違ってたんだっていうんだから、堪(たま)ったもんじゃないよ。


 大体さ、キリスト教なんてどれだけの人間を火あぶりにしてきたことか。宣教師を送り込んで他国を宗教的に侵略するのが連中の手なんだよな。そこに覇権の根源があると思うよ。


【釈迦が唱えた無神論も宗教ですし、スピリチュアリズムや毎朝テレビで流される血液型占いや星座占いも宗教といわなくてはなりません】。「それを信じれば、いいことがありますよ」と人々の脳に働きかけ、なんら科学的に根拠のないことを唯一の価値であるかのように受け入れさせてしまうものは、すべて宗教だということです。


 ブッダが無神論っていうのは原始仏教のことね。これまた実に巧みな説明である。だが物事には必ず二面性がある。じゃあ不信に陥ればいいのかといえばそうではない。人間不信の社会で信頼の輪を広げる生き方が正しいことは言うまでもない。


 要は何らかの絶対的な価値観を持ってしまうと、その人の思考回路は閉ざされてしまうということだ。それこそ「教義内での循環論法」となってしまう。


 ブッダは人間の行為を重んじた。それが「業」(ごう)の思想である。


 生れによって〈バラモン〉となるのではない。生れによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである。


【『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳(岩波文庫、1958年)】


 執拗なまでに入会を強要する宗教はインチキであると断言しておこう。本物の宗教は宗教的次元の行為を問うものだ。宗教とは生の本源を意味するもので、些末な教義の論証に明け暮れる姿勢とは異なる。生と死が脈々と流れる大河を悠然と泳ぎ抜く生命力を与えることが宗教の使命であろう。


 以上で前半の書評を終える。後半はまたいつか。

なぜ、脳は神を創ったのか? (フォレスト2545新書) ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

カネゴン


 カネゴンとは、1966年(昭和41年)に放映された、円谷特技プロダクション制作の特撮テレビ番組『ウルトラQ』を始めとするウルトラシリーズに登場した架空の怪獣。別名「コイン怪獣」。お札や硬貨を主食としており、常に食べ続けていないと死んでしまう。


Wikipedia


 大衆消費社会を生きる我々は全員がカネゴンである。


【歌ってみた】「かくれんぼ」puruto&TaMU


 どうやら素人らしい。凄い上手。元歌は知らないけどさ。いやあ、たまげたよ。で、もっと凄いのは二人とも男性と思われるところ。検索しなかったら、完全に女性だと思い込んでいたよ。

『生命のかたち/かたちの生命』木村敏(青土社、2005年)


生命のかたち/かたちの生命


 それ自体は、かたちをもたない生命が、地上に現われたとたんに、かたちをもつということ、それは何を意味するのか──感性による現象学が、分裂病の精神病理学を越えて、“生命”の根拠を問い、新たなる人間学の胎動に耳を澄ます。精神病理学の新しい風景。

『分裂病と他者』木村敏(ちくま学芸文庫、2007年)


分裂病と他者 (ちくま学芸文庫)


 精神病理から人間存在の本質にいたる思索をさらに深め、分裂病者にとっての「他者」の問題を徹底して掘り下げた木村精神病理学の画期をなす論考。ハイデッガー西田幾多郎らに加え、デリダ、ラカン、レヴィナスなどの構造主義と正面からわたり合い、自己と他者との関係のありかたを「あいだ=いま」という本質的な項を媒介として見つめ直す。研ぎ澄まされた治療感覚をもって、患者の生き方を知覚し、治癒をめざして真摯な長い対話を重ねる著者の思策と営為。今、「臨床哲学」の地平が開かれる。

『自己・あいだ・時間 現象学的精神病理学』木村敏(ちくま学芸文庫、2006年)


自己・あいだ・時間―現象学的精神病理学 (ちくま学芸文庫)


 精神の病態を一時的な疾患としてではなく人生全体の示す歴史的な歩みとして位置づけ、独自の思想を重ねてきた著者の代表的論考のかずかず。自己と他者の「あいだ」の病態として捉えられてきた分裂病を、「時間」の病態として、現象学的な思索を展開する。とりわけ鬱病者の“あとのまつり”的体制に対し、分裂病者が“前夜祭”的な時間体制をもつという新しい構図は世界的に大きな波紋を広げた。他者や世界との「あいだ」、自己自身との「あいだ」の歴史性における患者の生のあり方を追究した本書は、精神病理学と哲学を自由に横断する独創的な学問的達成であるといえよう。

『時間と自己』木村敏(中公新書、1982年)


時間と自己 (中公新書 (674))


 時間という現象と、私が私自身であることとは、厳密に一致する。自己や時間を「もの」ではなく「こと」として捉え、西洋的独我論を一気に超えた著者は、時間と個我の同時的誕生を跡づけ、さらに精神病理学的思索を通じて、悲痛は健全な均衡のもとに蔽われている時間の根源的諸様態を、狂気の中に見てとる。前夜祭的時間、あとの祭り的時間、そして永遠の今に生きる祝祭的時間──「生の源泉としての大いなる死」がここに現前する。

『異常の構造』木村敏(講談社現代新書、1973年)


異常の構造 (講談社現代新書 331)


 精神異常の世界では、「正常」な人間が、ごくあたりまえに思っていることが、特別な意味を帯びて立ち現われてくる。そこには、安易なヒューマニズムに基づく「治療」などは寄せつけぬ人間精神の複雑さがある。著者は、道元西田幾多郎の人間観を行きづまった西洋流の精神医学に導入し、異常の世界を真に理解する道を探ってきた。本書は現代人の素朴な合理信仰や常識が、いかに脆い仮構の上に成り立っているかを解明し、生きるということのほんとうの意味を根源から問い直している。


「全」と「一」の弁証法──赤ん坊が徐々に母親を自己ならざる他人として識別し、いろいろな人物や事物を認知し、それにともなって自分自身をも1個の存在として自覚するようになるにつれて、赤ん坊は「全」としての存在から「一」としての存在に移るようになる。幼児における社会性の発達は、「全」と「一」との弁証法的展開として、とらえてもよいのではないかと私は考えている。分裂病とよばれる精神の異常が、このような「一」の不成立、自己が自己であることの不成立にもとづいているのだとすれば、私たちはこのような「異常」な事態がどのようにして生じてきたのかを考えてみなくてはならない。(本書より)

土門拳が生まれた日


 今日は土門拳が生まれた日(1909年)。撮影時における土門の執拗な追求を伝えるエピソードは数多く、1941年に画家の梅原龍三郎を撮影した際は、土門の粘りに梅原が怒って籐椅子を床に叩きつけたが、土門はそれにも動じずその怒った顔を撮ろうとレンズを向け、梅原が根負けしたことがあった

土門拳 腕白小僧がいた (小学館文庫) 古寺を訪ねて―東へ西へ (小学館文庫) 風貌・私の美学 土門拳エッセイ選 酒井忠康編 (講談社文芸文庫) 木村伊兵衛と土門拳 写真とその生涯 (平凡社ライブラリー)


ガロアが生まれた日


 今日はエヴァリスト・ガロアが生まれた日(1811年)。初等幾何学の教科書を読み始めたところ熱中し、2年間の教材を2日間で読み解いてしまった。17歳にして素数次方程式を代数的に解く方法を発見。決闘で死亡。駆けつけた弟に「泣かないでくれ。二十歳で死ぬのには相当の勇気が要るのだから」と告げた。

ガロアの生涯―神々の愛でし人 天才ガロアの発想力 〜対称性と群が明かす方程式の秘密〜 (tanQブックス) ガロアの時代 ガロアの数学〈第1部〉時代篇 (シュプリンガー数学クラブ) ガロアの時代 ガロアの数学〈第2部〉数学篇 (シュプリンガー数学クラブ)


2010-10-24

The Pretenders - I Go to Sleep


 胸が締めつけられるほどの懐かしさ。1981年のセカンドアルバムに収録されている曲で後にシングルカット。クリッシー・ハインドのバラードを聴きながら寝るのが私の日課となっていた。それにしても5枚組CDボックスが2433円というのは価格破壊だわな。



Pretenders  5CD ORIGINAL ALBUM SERIES BOX SET

諦める


「諦める」という言葉は、明らかにする、つまびらかにするとの意。自分の念慮を見極め、そこから離れることを目指したものであろう。いつの間にかギブアップの意味で使われている。断念も同様。環境や情況によって念が断たれるのか、あるいは自ら念を断つのかで180度異なる。明らかに諦めることが大事。


「あきらめる」という日本語のもとの意味は「明らめる」で「明瞭にする」→「正しく理解する、さとる」であり、「ギブアップ」することではありません。「諦」という漢字の字義は「要諦」の語からくみ取れます。「○○とはこういうものだ」と『正しく理解すること、またその理解の内容(=さとり)』(fontomanieさん)


 つまり「諦」の字義は“物事の本質を明らかにする” ≒ “さとる”、“さとり”です。(fontomanieさん)


 四諦とは「四つの聖なる真理」の意である。四つの真理とはそれぞれ、苦諦:苦という真理、集諦:苦の原因という真理、滅諦:苦の滅という真理、道諦:苦の滅を実現する道という真理。(Wikipedia

墜落原因は密輸ワニ? コンゴ、機内パニック


【ナイロビ共同】今年8月にコンゴ(旧ザイール)西部で小型旅客機が墜落したのは、密輸のため機内に持ち込まれたワニが逃げ、乗客らがパニックを起こし機体がバランスを崩したためだったと、英紙デーリー・テレグラフ(電子版)が23日までに伝えた。

 旅客機は8月25日、同国西部のバンドゥンドゥ付近で墜落、20人が死亡した。同紙が入手した生存者の証言を含む調査報告書によると、乗客の1人が大きめのスポーツバッグに隠していたワニが逃亡、客室乗務員や乗客がコックピット側に殺到した。

 旅客機は空港に向けて降下を始めており、パイロットがバランスを立て直そうとしたが、墜落したという。

 ワニは生き残ったが、その後、何者かに刃物で殺されたという。


47NEWS 2010-10-23

正統と異端の関係は客観主義と主観主義の対立


 キリスト教においては、パウロによって、イエスの教えの実践的解釈(全面的総合的合理化)が行なわれることによって、信徒の人間的・社会的な日常生活のすべてを包括することが可能となり、キリスト教が大衆宗教として、ローマ社会に根づくことができた。そこに批判の余地をもつ個々の点が残ることは、後年のルターの場合と同じくやむをえないことである。しかし、与えられた現実にあって、イエスの教えを最大限包括的に生かそうとするものであるかぎり、この実践的解釈には一面的真理の潔癖さには求めえない客観性があるのである。これが正統と異端との関係であり、それを客観主義と主観主義の対立と言いかえることができるのである。


【『正統と異端 ヨーロッパ精神の底流』堀米庸三〈ほりごめ・ようぞう〉(中公新書、1964年)】

正統と異端 ヨーロッパ精神の底流

すでに世界は金融崩壊している


 実はいま、【もうすでに世界は金融崩壊しているのです。現象面だけ追っていても、この1年で世界中の株価の時価総額は3000兆円ほど減少しました。半減です。世界のGDPの6割がなくなってしまったのです。日本のGDPは500兆円ですから、日本の国6つが世界から消えた勘定です】。しかもこれは株式市場だけの話であって、住宅価格や商業用地の激しい下落とそれに伴うローンの毀損(きそん)、その他の経済的な損失は含まれていません。あっと言う間に失った世界の富はとてつもなく膨大な額なのです。借金は山のように膨らみ、その全容は全く見えていません。それが世界同時に発生しているという、まさに人類の歴史上なかったことが発生しているのです。


【『大恐慌入門 何が起こっているか? これからどうなるか? どう対応すべきか?』朝倉慶〈あさくら・けい〉(徳間書店、2008年)】

大恐慌入門 何が起こっているか? これからどうなるか? どう対応すべきか?

松前重義が生まれた日


 今日は松前重義が生まれた日(1901年)。東海大学創立者。内村鑑三に師事し、哲学を学ぶ。時の権力者(例えば東條英機)に対しても強固な意志で立ち向かった。世の中・社会における矛盾を見逃せず、許せない性格であり、その結果として自己に不利益(懲罰召集など)が及ぶこともあった。

獅子奮迅 松前重義物語


D

2010-10-23

5年以上続いた偏頭痛、肩こりが解消した


 大がかりな検査もしないで、その医者はぱっと私の顔を見て、「目が原因ですね」って言ったんだ。最初は「ハ?」って思った。でもよくよく話しを聞いてみると、まぶたの上の筋肉には交感神経っていう神経が通っていて、まぶたが下がっているとその神経が刺激されて、主に目の周辺や肩のまわりの筋肉が緊張してしまうらしい。私の場合はまさにそれが原因で、医者が言うには「簡単な手術で治ります」とのこと。


はてな匿名ダイアリー

日本テレビの木下黄太


 ちなみに盗撮と電話の録音をTVで公開したのは日テレの木下黄太。心配するふりして電話を録音して公開したのはテレビ朝日のH本です。


堀江貴文


 木下は本当の下衆なので同情の余地なしだが、H本は武士の情けだ。


堀江貴文

WILLCOM HYBRID W-ZERO3 がやっと届く


 ウィルコムカウンター八王子店で散々な目に遭ったのでネットから予約注文。今日届いた。HYBRID W-ZERO3はかっこいいねえ。タッチパネルも快適。


 早速、太郎先輩に電話して設定方法を教えてもらった。まず「月額基本料金の1450円には罠がありそうだ。3G通信で課金されないように注意せよ」と。私は携帯からインターネットにアクセスすることはないので、USIMカードを抜けばいいとのこと。直ちに抜いたよ。これで「新ウィルコム定額プランGS」にすれば、PHS同士の通話と全てのメールとインターネット利用を合わせて月額1450円というのだから驚き。(※商品代金は割賦で月額1480円)


 尚「ウィルコムあんしんサポート」は不要だ。学生であれば、新ウィルコム定額プランが月額780円、Sが980円と破格の料金体系。他には、X PLATE(WX130S)だと商品代込みで月額1280円となっている。

JR民営化の目的は労働組合を潰すことだった


「戦後最大の改革」と賞賛され、今も行財政改革のモデルケースとしてたびたび取り上げられる国鉄改革。この改革を最終的に断行した中曽根内閣には「国鉄が抱えていた膨大な借金問題の解消」という最終目標と同時に、もう一つの狙いがあったといわれている。

債務超過と並んで、旧国鉄の抱えていた最大の悩みは『組合問題』でした。中曽根内閣の狙いは、日本最大の労組だった国労潰し、ひいては社会党の力の源泉となっていた総評(日本労働組合総評議会)の解体にあったのです」


【『マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』西岡研介(講談社、2007年)】

マングローブ―テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実

スポーツは無意識で行われている


 はた目には、ラウドルップ(※デンマークのサッカー選手)が頭の中でやっている計算は複雑なものとしか思えない。だが、それが瞬時に行なわれていることもわかる。そこで、「プレー中、選手はゲーム運びを意識できるのだろうか」という疑問が湧く。ラウドルップの答えは、単純明快なノーだった。「プレーあるのみだ、それも、瞬間的な!」

 サッカー選手はプレーしているとき、意識を働かせていない。だが、サッカーという競技に多少なりとも通じている人なら、ラウドルップのような選手が絶妙なパスをするとき、すばらしい独創的な精神作用が頭の中で起きていないなどと言うはずがない。高度な計算がいくつも行なわれるのだが、意識には上らないのだ。

 だが稀に、状況をよく考える時間がある場合がある。そしてそんなとき、失敗が起こるのだ。


【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ/柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2002年)】

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

ペレが生まれた日


 今日はペレが生まれた日(1940年)。20世紀最高のサッカー選手。ブラジル政府が「ペレは輸出対象外の国宝である」と公式に宣言したことも。引退から30年以上を経た今日においても特別な存在で、1999年にはタイム誌の選ぶ「20世紀の最も影響力のある100人」の一人に選ばれた。


ペレ自伝 ペレ [DVD]



2010-10-22

中国はアメリカと同じ位「ならず者」


 さらに中国がルールの中で動いていない「ならず者」大国であると主張すれば、「国際的ルールの多くは中国ではなくアメリカとその同盟国によって作られたもので、アメリカもアメリカ人にとって都合の悪いルールは容赦なく無視してきた」ことに頬かむりすることになる。


スティーブン・ウォルトハーバード大学ケネディ行政大学院教授=国際関係論)】

伊マフィアが密告者に報復、体を酸で溶かす


 イタリアで1年ほど前に行方不明になったマフィアの密告者が、昨年11月24日夜に報復としてほかの構成員から拷問を受け、体を酸で溶かされた後に殺害されていたことが分かった。警察当局が18日に明らかにした。


ロイター 2010-10-19


 ヴァチカンを要するカトリック国では、法律や警察よりもマフィアの掟が相変わらず重んじられているようだ。神の国は暴力の国でもある。これは仏教発祥の地インドにおいても同様である。核兵器を擁し、カースト制度に由来する暴力行為が日常化している。

クリントン政権が核暗証番号を紛失 当時の統参議長が暴露


 クリントン元米大統領が在任中の2000年ごろ、核攻撃を命令する際に必要な暗証番号が記されたカードを紛失していたことをシェルトン元統合参謀本部議長が出版した回顧録で明らかにした。複数の米メディアが伝えた。

 シェルトン元議長は著書で「クリントン政権時代、暗証番号が数カ月も行方不明になった。大きな問題だ。とてつもない問題だ」と当時の様子を暴露した。

 暗証番号はその形状から「ビスケット」と呼ばれるカードに記されており、核攻撃の命令を受けた側が大統領本人の指令であることを確認するために使う。暗証番号は安全上の理由で定期的に更新される。

 シェルトン元議長は紛失の詳細を明らかにしていないが、暗証番号をめぐっては7年前にもパターソン退役空軍中佐が著書の中で、1998年ごろにクリントン氏がカードを紛失していたことを明かしている。

 ABCテレビによると、カーター元大統領もカードをスーツのポケットに入れたままクリーニングに出したことがあったとされるが、真相は明らかになっていない。


産経ニュース 2010-10-22

何を食べるか、何を見るか、何を着るか、どこで働くか、何をやるかは、企業が決めている


 これまでの150年間で、企業は瑣末な存在から、世界中で支配的な経済機関にまで成長した。今日では、企業が私たちの生活を支配している。何を食べるか、何を見るか、何を着るか、どこで働くか、何をやるかは、企業が決めているのだ。私たちは企業の風土、それが生み出す風景やイデオロギーに、否応なく取り囲まれている。


【『ザ・コーポレーション わたしたちの社会は「企業」に支配されている』ジョエル・ベイカン/酒井泰介訳(早川書房、2004年)】

(DVD選書) ザ・コーポレーション (DVD付) (アップリンクDVD選書)

戦争熱狂者たちが互いに滅ぼし合って地球上に平和がもたらされる


 本書の写真を、いまだに戦争をしようと考えているすべての人間に見せよ。見せられてなお大量殺戮行為を良しと信ずる者がいるなら、彼を気狂い病院に繋いでしまおうではないか。私たちは、ペストを避けるように彼を避けようではないか。そうすれば戦争は、国粋主義者、戦争挑発者、国王そして将軍たちだけが他国のそれらを相手に、自らの費用で、自らの責任により行なわれるようになるであろうし、その際何人も、その意志に反して徴兵されることはなくなるであろう。このような戦争なら、すべての平和主義者、すべてのプロレタリアートの歓迎するところであろう。そしていつか、戦争熱狂者たちは勝手に戦争を起こし、互に滅亡し合うことになり、この地球上に平和が、恒久の平和がもたらされることになるであろう。


【『戦争に反対する戦争』エルンスト・フリードリッヒ編/坪井主税、ピーター・バン・デン・ダンジェン訳編(龍渓書舎、1988年)】

戦争に反対する戦争

エドマンド・デュラックが生まれた日


 今日はエドマンド・デュラックが生まれた日(1882年)。いわゆる「挿絵本の黄金時代」(20世紀の第1四半期頃)にイギリスで活動したフランス出身の挿絵画家。

テンペスト 雪の女王 アンデルセン童話集(1) 人魚姫 アンデルセン童話集 (2)



2010-10-21

『心臓は語る』南淵明宏(PHP新書、2003年)


心臓は語る (PHP新書)


 運動後に心臓がバクバク、好きな人の前で胸がドキドキ……そんなことでもないかぎり、ほとんど顧みられない私たちの心臓。まじめで文句も言わず1日10万回、80年間働きつづける心臓も、ときには不満を語り出し、狭心症心筋梗塞、突然死を招く心室細動を起こすことも。うまくつきあわないと、生命の危険にさらされるのだ。「運動や睡眠はほんとうに体にいいのか?」「ストレスは大敵なのか?」といった疑問から、心電図の簡単な見方、医者との賢い接し方まで、第一線の心臓外科医がやさしく解説する入門心臓学。

伊藤雅之


 1冊読了。


 124冊目『現代社会とスピリチュアリティ 現代人の宗教意識の社会学的探究』伊藤雅之(渓水社、2003年)/宗教社会学の教科書的一冊。「愛知学院大学文学会叢書 1」となっている。いやあ数十年ぶりに横書きの本を読んだよ。固い内容で章立てが短ければ何とか我慢できるが、それでもやはり読みにくい。私は「横書き本を嫌悪する会」(仮称)の筆頭なのだ。200ページ足らずのボリュームなので難しいとは思うが、歴史的考察に欠けていると思った。特にキリスト教史。日本の学術本って、意図的に個性を消しているようなところがあって面白くないんだよね。目のつけどころは非常にいいと思う。比較宗教学よりはるかに面白い。私が読んできた限りでは玉野和志よりも伊藤の方が上だ。

レアメタル


 レアメタルの産出地は、中華人民共和国・アフリカ諸国・ロシア・南北アメリカ諸国に偏在している。

 レアメタルの産地に関する特徴として、ほとんどのレアメタルが産出量上位3カ国で50%〜90%の埋蔵量を占めている。例えば希土類元素(レア・アース)やタングステンは中国だけで90%以上の埋蔵量があり、バナジウムは南アフリカ、中国、ロシアの3か国で98%を占める。これらの国の政策、経済情勢、政情不安などによって、将来さらに入手が困難になることが予想されており、安定供給やリサイクル技術の確保が求められている。


Wikipedia

不合理性はいつも同じように起こり、何度も繰り返される

 わたしの考えでは、わたしたちは不合理なだけでなく、「予想どおりに不合理」だ。つまり、不合理性はいつも同じように起こり、何度も繰り返される。消費者であれ、実業家であれ、政策立案者であれ、わたしたちがいかに予想どおりい不合理かを知ることは、よりよい決断をしたり、生活を改善したりするための出発点になる。


【『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー/熊谷淳子訳(早川書房、2008年)】


 経済学の前提は合理性になっている。

予想どおりに不合理[増補版]

身体が憶えた智恵や想像力

 なにか少年や少女の事件が起こるたびに、こころのケアやこころの教育がどうのこうのといった声があがるが、わたしはすぐにはそういう発想がとれない。ちょっと乱暴かもしれないが、お箸をちゃんともてる、肘をついて食べない、顔をまっすぐに見て話す、脱いだ靴を揃えるなどということができていれば、あまり心配ないのではないかと思ってしまう。とりあえず、ごはんはかならずいっしょに食べるようにしたら、と言ってみたくなる。なにか身体が憶えた智恵や想像力、身体で学んだ判断を信じたいと思うのだ。


【『悲鳴をあげる身体』鷲田清一〈わしだ・きよかず〉(PHP新書、1998年)】

悲鳴をあげる身体 (PHP新書)

江戸川乱歩が生まれた日


 今日は江戸川乱歩が生まれた日(1894年)。筆名はアメリカの文豪エドガー・アラン・ポーをもじったもの。大正から昭和にかけて本格推理短編や幻想的な作品を執筆し、これらの作品は日本の推理小説の礎となった。子供向けに書かれた少年探偵団シリーズは累計部数が1500万部を超える。

少年探偵団―少年探偵 (ポプラ文庫クラシック) 怪人二十面相 (少年探偵) 孤島の鬼 (江戸川乱歩文庫)


屋根裏の散歩者 (江戸川乱歩文庫) 江戸川乱歩傑作選 (新潮文庫) 人間椅子 (江戸川乱歩文庫)


2010-10-20

鈴木宗男という人


 このような重大な情報をなぜメディアは報じないのか?


「ヤマリン事件は松岡さんが仕切った。ヤマリンは、自分より先に松岡さんに報告して、了解を得ている。裁判でその資料が出て、検察はあわてて松岡さんに事情聴取した。松岡さんの三回忌も過ぎているので明らかにするが、亡くなる4日前、虎ノ門パストラルで食事をした。松岡さんは、『一切、鈴木先生に押しつけて申し訳ない』と目に涙を浮かべて謝った。ただ、こうも言った。『ほんとうのことを言うと、大臣になれない。私はやっぱり1回大臣やりたかった』」


池田香代子ブログ

自己啓発セミナーの手口を書いていく


 人間は変わることができる。学ぶことによって。あるいはコントロールされることによって。

『努力論』幸田露伴(岩波文庫、2001年)


努力論 (岩波文庫)


「努力している、もしくは努力せんとしている、ということを忘れていて、我がなせることがおのずからなる努力であってほしい」。何かをなそうとしても、ままならぬことの多いこの世の中で、いたずらに悩み苦しまずに、のびのびと勢いよく生きるにはどうすればよいか──達人露伴の説く幸福論。

仙谷氏、電話で『属国化』 本人は『記憶にない』


 18日の参院決算委員会で自民党の丸山和也氏が、中国漁船衝突事件での船長釈放をめぐる仙谷由人官房長官との私的な会話を“暴露”して、政府の姿勢をただす一幕があった。

 仙谷氏は「健忘症なのか分からないが、会話の内容は全く記憶にない」と否定した。

 丸山氏によると、船長釈放後に仙谷氏に電話し「法に基づくなら訴追すべきだった」と批判したのに対し、仙谷氏は「それではAPEC(アジア太平洋経済協力会議)が吹っ飛んでしまう」と反論。丸山氏が「日本が中国の属国になってしまう」と指摘すると、仙谷氏は「属国化はいまに始まったことでない」と述べたという。

 二人とも弁護士出身で旧知の仲。仙谷氏は同日午後の記者会見で「(会話の内容を)国会質問という公的な場で引用されるなら、いくら友人でも電話に出てはならないと肝に銘じた」と不快感を示した。


TOKYO Web 2010-10-19

Star Wars Subway Car



 ツイッターで知った動画。何が面白いかといえば、日常に入り込んだ非日常的な出来事に驚く一般人の表情が主役になっていること。つまりドラマの相対化を図っているわけだ。

ヒューリスティクス


ヒューリスティクス(heuristics)】

 人が意志決定をしたり、判断を下したりするときに、厳密な論理で一歩一歩答えに迫るアルゴリズムとは別に、「直感」ですばやく結論を出す方法をいう。アルキメデスが「アルキメデスの原理」を発見したときに「ヘウレーカ(EYPHKA)」と叫んだことに語源があるとされる。


【『世界は感情で動く 行動経済学からみる脳のトラップ』マッテオ・モッテルリーニ/泉典子訳(紀伊國屋書店、2009年)】

世界は感情で動く (行動経済学からみる脳のトラップ)

昨日はなかった何かを見つけられるとでもいうのか


 外に出るにしても、行くあてもない。すぐそこの通りに出たい気分ではない。昨日はなかった何かを見つけられるとでもいうのか。その気もないのに、過去に親しんだ物事と無理に折りあいをつけようとしても無駄だ。


【『テロル』ヤスミナ・カドラ/藤本優子訳(早川書房、2007年)】

テロル (ハヤカワepiブック・プラネット)

ジョン・デューイが生まれた日


 今日はジョン・デューイが生まれた日(1859年)。パースジェームズと並んでプラグマティズムを代表する思想家である。デューイは科学的方法のみが人間の善をもたらすと考えていた。「神とは、我々を欲望や行為に駆り立てる観念的な目的の統一である」とした。1919年に来日している。


経験と教育 (講談社学術文庫) 学校と社会 (岩波文庫) 哲学の改造 (岩波文庫 青 652-1)


2010-10-19

組織化された殺人が戦争である/『最後の日記』J・クリシュナムルティ

    • 組織化された殺人が戦争である

 クリシュナムルティを初めてひもといたのは、昨年の10月20日のことだった。この1年間で関連書も含めると41冊読んできた。翻訳書はあと10冊前後しかないはずだ。四十半ばを過ぎて、よもやこれほどの衝撃に遭遇するとは思わなかった。


 本書はクリシュナムルティが亡くなる2年前までソニー製のウォークマンで録音されたとのこと。テキストとまったく遜色のない出来映えとなっている。『生と覚醒のコメンタリー』同様、初めに美しい風景描写が配され、個人的な面談の内容を紹介している。


 彼の教えが難解に受け止められるのは、一切の価値観と言葉とを相対化しているためだ。逆もまた真なり、である。理想と現実、建前と本音、理性と感情。言行不一致、二枚舌、ダブルスタンダード。我が子には人の道を説き、会社では同僚を蹴落としているのが我々大人である。「お母さんを大切に」と言って戦地に向かう父親は、敵国の母親を平然と殺戮するのだ。


 河のそばに樹があって、われわれは日が昇るとき、数週間も毎日それを眺めていた。地平線の上に、樹を越えて日がゆっくり昇るにつれて、くだんの樹は突然、金色になる。あらゆる木の葉がいのちで生き生きとし、それを見守っていると、時間が経つにつれて、名称などどうでもよいその樹――大事なのはその美しい樹なのだ――その途方もない本質は、地上いっぱいに河を覆って広がるように見える。日が少し高く昇ると、葉はひらひらと揺れ踊りはじめる。そして1時間ごとにその樹の質は変わってゆくように見える。日の昇る前は、くすんだ感じで、静かで遠く、威厳に満ちている。そして一日がはじまると、木の葉は光を浴びて踊りだし、偉大な美のあの特別な感じを持つのだ。日中までにその影は深まり、そこに坐って、太陽から護られ、決して淋しさを覚えることもなく、その樹を友としていることができる。そこに坐れば、樹だけが知ることのできる、深く根づいた安泰と自由の関係がある。

 夕刻に向けて、西空が沈みゆく日の光を受ける頃、その樹はしだいにくすみはじめ、暗くなり、それ自体の中に閉じこもってしまう。空は赤、黄、緑と変わるが、樹は静まり、隠れ、夜の眠りに入る。

 もしその樹と関係を持てば、人間との関係も持てるだろう。そのとき、その樹に責任を感じ、世界中の樹に責任を感ずるだろう。しかし、もしこの地上の生きものとの関係をもたないなら、人間とのあらゆる関係も失われるだろう。われわれは決して樹の本質を深く掘り下げて見ない。われわれは決してほんとうにそれに触れ、その固さとその荒い樹皮を感じ、樹の一部であるそのひびきを聴かないのである。木の葉を通り抜ける風の音でも、木の葉を揺るがす麻の微風でもなく、それ自体のひびき、樹の幹のひびき、樹の幹の沈黙したひびきである。そのひびきを聴きとるには、途方もなく敏感でなくてはならない。このひびきは、この世の騒音でも、心のざわめきでも、人間の争い、人間の戦いの野卑さでもなく、宇宙の一部としてのひびきである。

 われわれが、自然や、昆虫や、跳びはねる蛙や、友を呼んで岡の間に啼くフクロウなどとの関係をほとんど持たないのは奇妙なことである。地上のあらゆる生物に対し、何らかの感情を持つようには決して見えないのだ。もしわれわれが自然と深く根づいた関係に入ることができるなら、食べるために動物を殺したりは決してしないだろうし、猿や犬やモルモットを自分たちの利益のために損なったり、生体解剖したりは決してしないだろう。われわれの傷や身体を癒す別の方法を見つけるだろう。しかし、心の癒しは何か全く別のものである。もしわれわれが自然とともにいるなら、樹の上のオレンジと、コンクリートを突き抜ける草の葉と、雲に覆われ、隠された丘陵とともにいるなら、その癒しは徐々に起こってくるのである。

 これは感傷でもロマンティックな空想でもなく、地上に生き、動きまわるあらゆるものとの関係の実態である。人間は幾百万の鯨を殺し、いまだに殺しつづけている。それらを殺すことによって得られるあらゆるものは、他の方法でも手に入れられるのだ。しかし、明らかに人間は生きるものを殺すことを、逃げる鹿、素晴らしいカモシカ、巨象を殺すことを好む。お互いを殺すことも好んでいる。他の人間を殺すことは、この地上の人間の生の歴史を通じて止んだことがない。もしわれわれが、自然や現実の樹木や藪や花や草、そして流れる雲と深く長い関係を持つことができるなら、またそうでなくてはならないのだが、どんな理由があろうとも他の人間を殺すことは決してしなくなるだろう。

 組織化された殺人が戦争である。われわれは特殊な戦争、核や何かの戦争のデモはしても、戦争反対のデモは決してしない。われわれは、他の人間を殺すのはこの世界の最大の罪悪だとは決して言ったことがない。〈1983年2月25日(金)〉


【『最後の日記』J・クリシュナムルティ/高橋重敏訳(平河出版社、1992年)】


「樹と関係をもつ」とはどういうことか?

 葉を見つめ、枝を見つめ、幹を見つめ、根を見つめ、木と大地の関係を見つめ、太陽の光と雨を見つめ、空気をも見つめる。そこに初めて「存在としての木」が立ち現れるのだろう。


 眼が剥き出しになった脳である(リチャード・E・シトーウィック)とすれば、全身全霊を傾けた観察は「見る者」と「見られるもの」との差異を消失させ、見る者は即見られるものと化す。これがクリシュナムルティ流の縁起なのだ。


 ここに見られる関係性は、通常の「関わり合い」といった次元ではなく、存在の本質を問うものである。すなわち、太郎から見た花子の関係&花子から見た太郎との関係ではなく、二人が関係性そのものとなることを意味している。引き合う磁石ではなく磁力そのもの。


 果たしてそんなことが実際に可能であろうか? クリシュナムルティは可能だと教えている。「見る」ことによって。


 我々は世界をそのように見ない。だから分断が生まれる。あれとこれ、甲と乙、赤と黒、美と醜。人間が人間を差別するのも分断に原因がある。


 社会は分断された階級構造となっている。貧富の差、社長と平社員、カースト制度。そしてあらゆる集団・組織は命令する者と命令される者とで構成されている。


 組織の理想形は軍隊である。命令一下、戦略は速やかに実行される。疑問を差し挟めば殴られる。暴力装置を支配しているのは暴力なのだ。二等兵が力を合わせて鬼軍曹を袋叩きにすることはない。


「組織化された殺人が戦争である」──とすると我々が生きる社会には、組織化された殺人を志向する暴力性が潜んでいるのだろう。いや蔓延しているのかもしれない。


 年老いた政治家が戦争を決め、罪もない若者たちが戦地へと送り込まれる。国民は戦争という名のゲームにおいては駒(こま)でしかない。オセロの駒は何度でもひっくり返せるが、死地へ追いやられた人々が生き返ることはない。


 版図を拡大するためとあらば少々の犠牲はやむを得ない。これが政治の本質だ。つまり政治は形を変えた暴力なのだ。


 国益という言葉を聞いて何とも思わないようだと危ない。元を質(ただ)せば地域益であり、企業益であり、家族益であり、つまりは個人的利益に基づいているからだ。


 日本人が食えるなら、よその国民が餓死しようと一向に構わない。これが我々の国政である。無残極まりない。

最後の日記


おまけ


 我々がいかにものを見ていないかを証明しよう。マッテオ・モッテルリーニが『世界は感情で動く 行動経済学からみる脳のトラップ』で紹介した注意力の欠如に関する実験だ。


【問題】以下の動画を観て、白チームのパス回数を答えなさい。



【答え】ドラッグして反転させよ→途中でゴリラが登場したことに気づきましたか? 人は注意を払ったものしか見えない。

エリック・ドルフィー「音楽というものは、一度、聞き終わると、空中に消え去り、二度と捕まえることはできない」


 このレコード(『ラスト・デイト』)は、すべての演奏が終わった後、まるでライヴの会場のように、エリック・ドルフィーがマイクに向かって、こう語りかけるところで終わっています。

"When you music, after it's over it's gone in the air, You can never capture it again"

「音楽というものは、一度、聞き終わると、空中に消え去り、二度と捕まえることはできないのです」という意味にでもなるでしょうか。

 ほんとうに、音楽は消え去り、残りません。しかし、そのことを痛切に感じていた演奏者の、奇跡的な演奏が、空中にではなく、レコードとして残り、それから半世紀近くにわたって聴き続けられているのもなんだか不思議な気がしますね。


【『13日間で「名文」を書けるようになる方法』高橋源一郎(朝日新聞出版、2009年)】

13日間で「名文」を書けるようになる方法



ラスト・デイト

思想のパラドックス


 思想は一面で単純化されることを嫌う。思想のいのちは、概念をモザイクのように組み換える点にあるのでなく、思想家が彼の生の中でそれを組み換えることを促された、そのプロセスにあるからだ。しかし、思想はもう一面で、概念的な単純化の作業をこうむらないでは決してひとりひとりの人間に【受け取られない】という性質を持っている。つまり思想は、最終的には一般化(誰にも明敏な意味として受けとられる形をとること)され得ない部分を持つのだが、しかし思想がそういう固有のニュアンスを伝え得るのは、それが一般化されるような場面を【通して】なのである。


【『現代思想の冒険』竹田青嗣〈たけだ・せいじ〉(毎日新聞社、1987年/ちくま学芸文庫、1992年)】


 先日ツイートした以下の内容とダブる──


 先を歩む人が行為→理論という方向性であるのに対し、後に続く人は理論→行為となる。ここに話し手と聞き手の関係性が成り立つ原因がある。送り手と受け手の役割が階級を生む。受け取った情報をどう開き、蘇らせるかが問われる。

現代思想の冒険 (ちくま学芸文庫)

スブラマニアン・チャンドラセカールが生まれた日


 今日はスブラマニアン・チャンドラセカールが生まれた日(1910年)。19歳の時、渡英中の船上にてブラックホールが宇宙に存在し得ることを証明した。理論的にはジョン・ミッチェル(1784年)やラプラス(1796年)の指摘に始まる。ジョン・ホイーラーが命名。観測されたのは1970年代。


ブラックホールを見つけた男 真理と美―科学における美意識と動機 (叢書・ウニベルシタス)

2010-10-18

『自動車の社会的費用』宇沢弘文(岩波新書、1974年)


自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)


 自動車は現代機械文明の輝ける象徴である。しかし、自動車による公害の発生から、また市民の安全な歩行を守るシビル・ミニマムの立場から、その無制限な増大に対する批判が生じてきた。市民の基本的権利獲得を目指す立場から、自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化の方途をさぐり、あるべき都市交通の姿を示唆する。

戦争で殺し、殺されるという状況に、どれだけ鈍感になれるのか?


 戦争を起こす国家は、どんな化粧をして現われるのか?

 戦争に向かう時代は、どんな臭いがするのか?

 そうなるまで、本当に気がつかないものなのか?

 突然、兵隊にされるということを、どう受け入れたのか?

 どうやって兵隊になっていったのか?

 殺し、殺されるという状況に、どれだけ鈍感になれるのか? それには、どれ位の時間があれば充分なのか? そのことに、絶対に抵抗できないものなのか? その時の自分は、一体何者だったのか?


【『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月〈とい・じゅうがつ〉(新潮社、2005年)】

小野田寛郎の終わらない戦い

温浴刺激運動療法で意識回復を図る


 集中治療室から出て8日後、まだ意識も戻らない井上さんを、看護婦さんたちはお風呂に連れて行こうとしていた。井上さんのような意識のない状態の患者さんをお風呂に入れることなど、一般の病院では考えられないことだ。酸素吸入器をつけ、酸素ボンベまでお風呂に持ち込んでの入浴は、十分なケアと看護技術を持つこの病院(札幌麻布〈あざぶ〉脳神経外科病院)では、ごくあたりまえのこととして積極的に行われていることだった。

 この病院では、お風呂での訓練のことを「温浴刺激運動療法」(温浴)とよび、意識のない患者を植物状態にしないためにも、早くからこうした取り組みが重要であると考えられていた。温浴は、患者を清潔にするだけでなく、意識の回復をはかるうえで大きな意味を持っている。


【『紙屋克子 看護の心そして技術/別冊 課外授業 ようこそ先輩』NHK「課外授業 ようこそ先輩」制作グループ、KTC中央出版編(KTC中央出版、2001年)】

紙屋克子 看護の心そして技術―課外授業 ようこそ先輩・別冊 (別冊課外授業ようこそ先輩)

アンリ・ベルクソンが生まれた日


 今日はアンリ・ベルクソンが生まれた日(1859年)。第二の主著『物質と記憶』でベルクソンは、実在を持続の流動とする立場から、心(記憶)と身体(物質)を持続の緊張と弛緩の両極に位置するものとして捉えた。そして、その双方が持続の律動を通じて相互に関わり合うことを立証した。


創造的進化 (ちくま学芸文庫) 精神のエネルギー (レグルス文庫) 笑い (岩波文庫 青 645-3) 思想と動くもの (岩波文庫)


2010-10-17

勝海舟


 1冊挫折。


 挫折77『新編 氷川清話 勝海舟の政治観と幕末維新の裏面史勝海舟/高野澄〈たかの・きよし〉編著(PHP新書、2009年)/底本が吉本襄編だったのでやめた。「まえがき」の2ページしか読まず。

権限逸脱は明白、問われる東京地裁の見識


 分かり易く言うと、「スピード違反」で告発され、審査されたのに、2回目は交通事故を起こしたと言って起訴相当されたということだ。(徳山勝

乳幼児は何でも信じる


 乳幼児には理屈や理論でものごとを考える力がないうえに、判断の参照となる人生体験が少ないので暗示を受けやすい。だから教えられたことはなんでも受け入れ、信じる。子供が5〜6歳になると、理屈づけの能力、つまり判断力が発達してくる。本人の体験と感情とを基準にして、なにを信じるべきか選択するようになる。この判断のフィルターを通過しない情報は潜在意識までとどかない。


【『クラズナー博士のあなたにもできるヒプノセラピー 人生を成功に導くための「暗示」の作り方』A・M・クラズナー/小林加奈子訳(VOICE、1995年)】

クラズナー博士のあなたにもできるヒプノセラピー―催眠療法

ビッグ・ブラザーがあなたを見ている


 階段の踊り場では、エレベーターの向かいの壁から巨大な顔のポスターが見つめている。こちらがどう動いてもずっと目が追いかけてくるように描かれた絵の一つだった。絵の下には“ビッグ・ブラザーがあなたを見ている”というキャプションがついていた。


【『一九八四年』ジョージ・オーウェル/高橋和久訳(ハヤカワ文庫、2009年)】

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

殿山泰司が生まれた日


 今日は殿山泰司が生まれた日(1915年)。終戦後の日本映画界において独特の風貌で名脇役として活躍した。ジャズとミステリーをこよなく愛し、趣味を綴った著書も多数残している。また、破天荒なその人生は映画化もされている。


JAMJAM日記 (ちくま文庫) 三文役者の無責任放言録 (ちくま文庫) 三文役者のニッポンひとり旅 (ちくま文庫) 三文役者の死―正伝殿山泰司 (岩波現代文庫)


2010-10-16

YouTubeの動画を連続再生するサービス「YT Jockey」

 Muziicというソフトを使っていたのだが、登録できない曲が結構あって業を煮やしていた。そんな時に見つけたのがこのサイトだ。


 まずは試しに好きなアーティストの名前で検索してみるといいだろう。検索結果がそのまま連続再生される。YouTubeユーザIDやお気に入りでも可。登録すると50のプレイリストが作成できる。1リストの登録は100曲まで。


 私が作ったリストは以下──

歴史が人を生むのか、人が歴史をつくるのか?/『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン

 歴史とは物語である。より多くの人々に影響を与えた出来事を恣意的につなぎ、現代へと至る道筋を解き明かす記述である。で、誰が書くのか? それが問題だ。


 歴史を綴るのは権力者の役目である。それは権力を正当化する目的で行われる。だから都合の悪い事柄は隠蔽(いんぺい)されてしまう。削除、割愛、塗りつぶし……。歴史は常に修正され、書き換えられる。

 果たして歴史が人を生むのか、それとも人が歴史をつくるのか? このテーマに複雑系をもって立ち向かったのが本書である。


 では第一次世界大戦を見てみよう。


 1914年6月28日午前11時、サラエボ。夏のよく晴れた日だった。二人の乗客を乗せた一台の車の運転手が、間違った角で曲った。車は期せずして大通りを離れ、抜け道のない路地で止まった。混雑した埃(ほこり)まみれの通りを走っているときには、それはよくある間違いだった。しかし、この日この運転手が犯した間違いは、何億という人々の命を奪い、そして世界の歴史を大きく変えることとなる。

 その車は、ボスニアに住む19歳のセルビア人学生、ガブリロ・プリンツィプの真正面で止まった。セルビア人テロリスト集団「ブラック・ハンド」の一員だったプリンツィプは、自分の身に起こった幸運を信じることができなかった。彼は歩を進め、車に近づいた。そしてポケットから小さな拳銃を取り出し、狙いを定めた。そして引き金を二度引いた。それから30分経たないうちに、車に乗っていたオーストリア=ハンガリー帝国の皇子フランツ・フェルディナンドと、その妻ソフィーは死んだ。それから数時間のうちに、ヨーロッパの政治地図は崩壊しはじめた。


【『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン/水谷淳訳(ハヤカワ文庫、2009年/『歴史の方程式 科学は大事件を予知できるか』早川書房、2003年を改題)以下同】


 一つの偶然と別の偶然とが出合って悲劇に至る。こうして第一次世界大戦が勃発する。1発の銃弾が1000万人の戦死者と800万人の行方不明者を生んだ。


 物事の因果関係はいつでも好き勝手に決められている。不幸や不運が続くとその原因を名前の画数や家の方角に求める人もいる。あるいは日頃の行いや何かの祟(たた)り、はたまた天罰・仏罰・神の怒り。

 第一次世界大戦を起こしたのは運転手と考えることも可能だ。あるいは皇子のサラエボ行きを決定した人物や学生テロリストの両親とも考えられるし、サラエボの道路事情によるものだったのかもしれない。


「歴史とは偉人たちの伝記である」と初めて言ったのは、イギリスの有名な歴史学者トーマス・カーライルである。そのように考える歴史学者にとって、第二次世界大戦を引き起こしたのはアドルフ・ヒトラーであり、冷戦を終わらせたのはミハイル・ゴルバチョフであり、インドの独立を勝ち取ったのはマハトマ・ガンジーである。これが、歴史の「偉人理論」だ。この考え方は、特別な人間は歴史の本流の外に位置し、「その偉大さの力で」自分の意志を歴史に刻みこむ、というものである。

 このような歴史解釈の方法は、過去をある意味単純にとらえているために、確かに説得力をもっている。もしヒトラーの邪悪さが第二次世界大戦の根本原因だというなら、我々はなぜそれが起こり、誰に責任を押しつけたらよいかを知ることができる。もし誰かがヒトラーを赤ん坊のうちに絞め殺していたとしたら、戦争は起こらず、数え切れない命が救われていたかもしれない。このような見方を取れば、歴史は単純なものであり、歴史学者は、何人かの主役たちの行動を追いかけ、他のことを無視してしまえばいいことになる。

 しかし多くの歴史学者はそうは考えておらず、このような考え方は歴史の動きを異様な形で模倣(もほう)したにすぎないととらえている。アクトン卿は1863年に次のように記している。「歴史に対する見方のなかで、個人の性格に対する興味以上に、誤りと偏見を生み出すものはない」。カーもまた、歴史の「偉人理論」を、「子供じみたもの」で「歴史に対する施策の初歩的段階」に特徴的なものだとして斥けている。


 共産主義をカール・マルクスの「創作物」と決めつけてしまうのは、その起源と特徴を分析することより安易であり、ボルシェビキ革命の原因をニコライ2世の愚かさやダッチメタルに帰してしまうことは、その深遠な社会的原因を探ることより安易である。そして今世紀の二度の大戦をウィルヘルム2世やヒトラーの個人的邪悪さの結果としてしまうのは、その原因を国際関係システムの根深い崩壊に求めるよりも安易なことである。


 カーは、歴史において真に重要な力は社会的な動きの力であり、たとえそれが個人によって引き起こされたものであっても、それが大勢の人間を巻き込むからこそ重要なのだと考えていた。彼は、「歴史はかなりの程度、数の問題だ」と結論づけている。


 歴史がパーソナルな要素に還元できるとすれば、その他大勢の人類はビリヤードの球である。こうして歴史はビリヤード台の上に収まる──わけがない(笑)。


 1+1は2であるが、3になることだってある。例えば1.4+1.3がそうだ。幸福+不幸=ゼロではないし、太陽+ブラックホール=二つの星とはならない。多分。


 このような事実から歴史学者がどんな教訓を引き出したとしても、その個人にとっての意味はかなりあいまいだ。世界が臨界状態のような形に組織化されているとしたら、どんなに小さな力でも恐ろしい影響を与えられるからだ。我々の社会や文化のネットワークでは、孤立した行為というものは存在しえない。我々の世界は、わずかな行為でさえ大きく増幅され記憶されるような形に、(我々によってではなく)自然の力によって設計されているからだ。すると、個人が力をもったとしても、その力の性質は、個人の力の及ばない現実の状況に左右されることになる。もし個人個人の行動が最終的に大きな結果を及ぼすとしたら、それらの結果はほぼ完全に予測不可能なものとなるはずだ。


 臨界状態とは高圧状態における沸点のことで、ここではエネルギーが貯まってバランスが崩れそうな情況を表している。砂粒を一つひとつ積み上げてゆくと、どこかで雪崩(なだれ)現象が起こる。雪崩が起こる一つ手前が臨界状態だ。この実験についても本書で紹介されている。


 つまりこうだ。多くの人々に蓄えられたエネルギーが、一つの出来事をきっかけにして特定の方向へ社会が傾く。これが歴史の正体だ。山火事は火だけでは起こらない。乾燥した空気と風の為せる業(わざ)でもある。


 熱した天ぷら油は発火する可能性もあるし、冷める可能性もある。次のステップを決めるのは熱量なのだ。


 とすると19歳のテロリストが不在であっても第一次世界大戦は起こっていたであろうし、大量虐殺は一人の首謀者が行ったものではなく、大衆の怒りや暴力性に起因したものと考えられる。


 すべての歴史的事柄に対する「説明」は、必ずそれが起こった【後で】なされるものだということは、心に留めておく必要がある。


 人生における選択行為も全く同様で、トーマス・ギロビッチが心理的メカニズムを解き明かしている。


 宇宙は量子ゆらぎから生まれた。そして自由意志の正体は脳神経の電気信号のゆらぎであるとされている。物理的存在は超ひもの振動=ゆらぎによる現象なのだ。


 ゆらぎが方向性を形成すると世界は変わる。人類の歴史は戦争と平和の間でゆらいでいる。

歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

「ALL OF THE NIGHT」E.D.P.S


 いやはや素晴らしい時代になった。こんな曲まで聴けるのだから。サム・グレコのパンチを思い出したよ(笑)。



Edges of Dream(紙ジャケット仕様) DECEMBER 14TH~1983 MAY 27TH 1984(紙ジャケット仕様)

結局は人間であることを忘れていた時だけが愉しかった


 いや彼等には生活は一定の方式に従って歯車のように廻転しているのだろう。欲望の小さな愉しみが無数に重なり合って、過ぎて行った時間の空しさに気がついた時には、もうすべてが遅すぎて結局は人間であることを忘れていた時だけが愉しかったと、最後に、意識の溷濁(こんだく)した境にあって、思い出すことになるのだろう。しかし思い出したからといってどうなるものか。彼等が幸福なのは思い出さないことにあったし、その瞬間まで忘れていられればこそそれだけ幸福だったというものだ。私も亦(また)、人間であることを自分に問い続けることの無意味さを知っているから、自らに記憶を禁じて、自分を機械に仕立てて来たつもりだ。しかし人は生きながら、意識の中に溷濁を持つこともある。彼はそういうふうに生れついている。


【『忘却の河』福永武彦(新潮社、1964年/新潮文庫、1969年)】

忘却の河 (新潮文庫)

身体性と言葉との乖離


 悟りを言葉にすることはできない。


「あなたはいつ呼吸することを覚えたか言えますか? 言えないでしょう? 気がついたら息をしていたはずだ。僕は学校にもろくに通わなかった。本も読まなかった。でも確かに、僕は答えを知っていたんです」


【『ぼくと1ルピーの神様』ヴィカス・スワラップ/子安亜弥〈こやす・あや〉訳(ランダムハウス講談社、2006年/ランダムハウス講談社文庫、2009年)】

ぼくと1ルピーの神様 ぼくと1ルピーの神様 (ランダムハウス講談社文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

ノア・ウェブスターが生まれた日


 今日はノア・ウェブスターが生まれた日(1758年)。アメリカの辞書編纂者、教育者である。「アメリカの学問・教育の父」と呼ばれる。かれが著した通称「スペリングの青本」は5世代にわたり合衆国の子供たちに読み書きを教えた。『アメリカ英語辞書』によって彼の名は「辞書」の代名詞となった。

ランダムハウス ウェブスター現代英英辞典 ウエブスター大辞典物語 ウェブスター辞書と明治の知識人


2010-10-15

レオナルド・サスキンド


 1冊読了。


 123冊目『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』レオナルド・サスキンド/林田陽子訳(日経BP社、2009年)/面白かった。タイミングがピッタリだった。「ブラックホールで1ビットの情報はどうなるか?」というテーマでサスキンドとホーキングは真っ向からぶつかった。難解な箇所もあるが、非常に面白い読み物となっている。欧米の学者って本当に文章が巧みだよね。550ページのハードカバーで2400円は安い。

「Keep On」E.D.P.S


 E.D.P.Sはエディプスと読む。これがジャパニーズロックの白眉だ。私はレコードもCDも全部持っている。どこまでもシンプルに疾走するギターは今聴いても痺れる。ツネマツ・マサトシは何をしているのだろうか? このアルバムが出たのは四半世紀前だ。



BLUE SPHINX(紙ジャケット仕様)

文明とは病気である


 文明とは病気である。しかもかなり伝染性の強い病気である。この病気には人類しか罹らないが、今のところ、いちばんの重病人はヨーロッパ人とアメリカ人で、それ以外では日本人である。しかし、昔はそうではなく、エジプト人やインド人や中国人がいちばんの重病人であった時代もあった。とは言っても、昔のこの病気はそれほど重症ではなく、伝染性もそれほど強くはなかった。ところが、近頃はますます猖獗をきわめ、加速度的に伝染性を強め、一部のいわゆる未開社会を除いて、ほぼ全人類を席巻せんとする勢いである。

 文明は、人類が生物学的に畸型的な進化の方向にはまり込み、本来の自然的現実を見失ったことにはじまる。人類は、見失った自然的現実の代用品として人工的な疑似現実を築きあげた。この疑似現実が文明である。


【『続 ものぐさ精神分析』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(中公文庫、1982年/『二番煎じ ものぐさ精神分析』青土社、1978年と『出がらし ものぐさ精神分析』青土社、1980年で構成)】

ものぐさ精神分析 (中公文庫) 続 ものぐさ精神分析 (中公文庫)

GDPは一定期間におけるフローの概念


 GDPはある一定期間における【フロー】の概念です。経済学では、【ストック】とフローの区別が大切です。マラソンにたとえれば、ストックはこれまでに走ってきた距離を、フローはいま走っているスピードを意味します。つまり、GDPはある一定期間における経済活動のスピード(活発さ)を表す指標です。


【『図解雑学 マクロ経済学』井堀利宏〈いほり・としひろ〉(ナツメ社、2002年)】

図解雑学 マクロ経済学 (図解雑学シリーズ)

フリードリヒ・ニーチェが生まれた日


 今日はフリードリヒ・ニーチェが生まれた日(1844年)。真理理性価値権力自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈し直し、悲劇的認識、デカダンスニヒリズムルサンチマン超人永劫回帰力への意志などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。

ニーチェ全集〈9〉ツァラトゥストラ 上 (ちくま学芸文庫) ニーチェ全集〈10〉ツァラトゥストラ 下 (ちくま学芸文庫) ニーチェ全集〈11〉善悪の彼岸 道徳の系譜 (ちくま学芸文庫) この人を見よ (新潮文庫)




2010-10-14

書見台(ブックスタンド)


 プラスチック製のものは壊れやすいようだ。安くてこれが一番。iPad用に使っている人も多いらしい。ただ、送料が高い


メタルブックレスト【ブラック】 DB016 BK メタルブックレスト【ブルー】 DP016BL メタルブックレスト【ミント】 DB016 MT


メタルブックレスト【レッド】 DB016 RE メタルブックレスト【オレンジ】 DB016 OR メタルブックレスト【アイボリー】 DB016 IV

伊藤整、ホルヘ・ルイス・ボルヘス


 2冊挫折。


 挫折75『氾濫』伊藤整(新潮社、1958年/新潮文庫、1960年)/旧かな、旧漢字だった(涙)。


 挫折76『ボルヘスとわたし 自撰短篇集』ホルヘ・ルイス・ボルヘス/牛島信明訳(新潮社、1974年/ちくま文庫、2003年)/文章が馴染めず。まったくお手上げ。

J・S・バッハ「マタイ受難曲」


 何とカール・リヒター指揮の映像があった! 思わずこんなものを作ってしまった。これが人類の辿り着いた最高峰の音楽だと思う。明日はカール・リヒターが生まれた日(1926年)。

J.S.バッハ マタイ受難曲 BWV244 [DVD] バッハ:マタイ受難曲 マタイ受難曲

(※左からDVD、CD、書籍)

金本位制度におけるデフレ


 なぜこういうことが起こったのか? 簡単な例で説明するとこうだ。いまここに1ミリグラムの金があり、それを日本政府が100円と評価して法律に定めたとしよう。また、初めの状態では、ボールペン1本が金1ミリグラムと同じ価値を持つと考えることにする。したがってボールペン1本の価格は100円である。さて、世界で金に対する需要が増加したため、金の価値が増加し、1ミリグラムの金はもはやボールペン1本ではなく、その倍の2本分の価値を持つようになったとする。しかし、金1ミリグラムを100円とする法律自体は動かしようがないから。このとき変化するのは金の価格ではない。ではなにが変化するのか? 金(通貨単位)で測られたボールペンの価格が下落するのである。ボールペンの価格は1本=100円という水準から、2本=100円、つまり1本あたり50円に半減する。金価値が上昇した場合、「金本位制」を採用している国で「デフレ」が起こるのはこういうわけだ。


【『世界デフレは三度来る』竹森俊平(講談社BIZ、2006年)】

世界デフレは三度来る 上 (講談社BIZ) 世界デフレは三度来る 下 (講談社BIZ)

作家は活動家であってはならない


 作家──もちろんこの言葉は、たんに本を出す人という意味ではなく、文学という事業に取り組んでいる人を指して使っている──は活動家ではない。活動家であってはならない。解決を追求すること、そのため必然的にものごとを単純化することは、活動家の仕事だ。つねに複合的で曖昧な現実をまっとうに扱うのが作家、それもすぐれた作家の仕事である。常套的な言辞や単純化と闘うのが作家の仕事だ。


【『この時代に想う テロへの眼差し』スーザン・ソンタグ/木幡和枝訳(NTT出版、2002年)】

この時代に想うテロへの眼差し

「恋するチャック」リッキー・リー・ジョーンズ


 おお、リッキー・リー・ジョーンズのデビューアルバムがまだ売られているよ(涙)。1979年。私が夜な夜な聴いていたのは20歳の頃だ。シンプルにしてジャジー。チャックというのは実際の恋人だったチャック・E・ワイスのこと。



浪漫

フロイトの『夢判断』が出版された、他


 今日はフロイトの『夢判断』が出版された日(1900年)。監獄を「刑務所」に改称(1922年)。A・A・ミルン作の童話『クマのプーさん』が発売(1926年)。東京タワーが竣工(1958年)。マーティン・ルーサー・キングノーベル平和賞受賞が決定(1964年)。


夢判断 上   新潮文庫 フ 7-1 夢判断 下    新潮文庫 フ 7-2 クマのプーさん Anniversary Edition キング牧師―人種の平等と人間愛を求めて (岩波ジュニア新書)

2010-10-13

日清戦争に反対した勝海舟/『氷川清話』勝海舟:江藤淳、松浦玲編


 青春時代の15年間を私は江東区の亀戸で過ごした。道産子ではあったが、生来の口の悪さもあって下町の水がよく合った。近所のおじさんやおばさんにも随分とお世話になった。東京の下町にはまだ人情の灯(ひ)がともっていた。


 歴史上の人物で私が唯一親近感を覚えるのが勝海舟である。地図で見ると、亀戸から左に向かって墨田区の錦糸町、緑町、両国と続く。勝は本所(ほんじょ)の生まれだが生誕地は現在の両国4丁目25番地である。地図の左側(1/1500に拡大)にある本所松坂町公園吉良上野介邸跡。赤穂浪士が吉良の首を洗ったという井戸がまだ残っている。先日亡くなった池内淳子もこの辺りで生まれたはずだ。


 子母澤寛の『勝海舟』や、海老沢泰久の『青い空』を読んで少々知った気になっていたが、空前絶後の面白さだった。歴史というよりは政治の教科書として数百年の間は通用しそうだ。ちょんまげを結い、刀を差していた時代に、これほどの傑物が存在したのだ。勝海舟は理想的なプラグマティストであった。


 松浦玲が、最初の『氷川清話』を編んだ吉本襄〈よしもと・のぼる〉を完膚なきまでにこき下ろしている。どうやら勝手に改竄し、組み替えだらけの編集をしたようだ。詳細に渡る注釈が施されているが一つ一つに怒りが込められている(笑)。


 とにかくどのページを開いても、その見識の高さに驚かされる。軽妙洒脱でありながら本質を捉えた人物論、日本の行く末を決定づけた政治の舞台裏、諸外国との交渉、海外の人脈、金本位制度を踏まえた確かな経済的視点、そして市井の人々との交流。まさしく八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍で近代日本を築いた一人と言ってよい。


 勝は海軍の創始者でありながら日清戦争に関しては断固反対の声をあげた。黒船来航(1853年)が日本人に国家意識を芽生えさせた。明治になる15年前のこと。当時の人々は蒙古襲来を思い合わせたに違いない。300年の鎖国を経て日本は外の世界と向き合わざるを得なくなった。日本人の心理構造は激変した。

 当時は知識人という知識人が日清戦争を支持した。福澤諭吉を始め、夏目漱石森鴎外内村鑑三田中正造など。日露戦争に反対した内村ですら支持したのだから、日本人の自我の抑圧ぶりが知れよう。


日清戦争と中国観


おれは大反対だつたよ


 日清戦争はおれは大反対だつたよ。なぜかつて、兄弟喧嘩だもの犬も喰はないヂやないか。たとへ日本が勝つてもドーなる。支那はやはりスフインクスとして外国の奴らが分らぬに限る。支那の実力が分つたら最後、欧米からドシドシ押し掛けて来る。ツマリ欧米人が分からないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。

 一体支那五億の民衆は日本にとつては最大の顧客サ。また支那は昔時から日本の師ではないか。それで東洋の事は東洋だけでやるに限るよ。

 おれなどは維新前から日清韓三国合縦(がっしょう)の策を主唱して、支那朝鮮の海軍は日本で引受くる事を計画したものサ。今日になつて兄弟喧嘩をして、支那の内輪をサラケ出して、欧米の乗ずるところになるくらゐなものサ。


【『氷川清話』勝海舟/江藤淳、松浦玲編(講談社学術文庫、2000年)以下同】


 この時代にして東アジアの地政学的リスクを知悉(ちしつ)していたのである。その上マーケティング戦略まで構想していたのだから凄い。


 別の箇所では、藩の利益を超えて国家主義的視点に立ったから政策判断が功を奏したと語っている。しかしながらその本質はアジア主義であった。開国したばかりの日本にこのようなコスモポリタンが存在したのだ。咸臨丸(かんりんまる)で太平洋を横断した男は、世界的なスケールの発想をした。


 戦争でも同じことだ。世間では百戦百勝などと喜んで居れど、支那では何とも感じはしないのだ。そこになると、あの国はなかなかに大きなところがある。支那人は、帝王が代らうが、敵国が来り国を取らうが、殆ど馬耳東風で、はあ帝王が代つたのか、はあ日本が来て、我国を取つたのか、などいつて平気でゐる。風の吹いた程も感ぜぬ。感ぜぬも道理だ。一つの帝室が亡んで、他の帝室が代らうが、誰が来て国を取らうが、一体の社会は、依然として旧態を損して居るのだからノー。国家の一興一亡は、象の身体(からだ)を蚊(か)か虻(あぶ)が刺すくらゐにしか感じないのだ。

 ともあれ、日本人もあまり戦争に勝つたなどと威張つて居ると、後で大変な目にあふヨ。剣や鉄砲の戦争には勝つても、経済上の戦争に負けると、国は仕方がなくなるヨ。そして、この経済上の戦争にかけては、日本人は、とても支那人には及ばないだらうと思ふと、おれはひそかに心配するヨ。


 中国王朝の変遷を踏まえて、国家観の相違を述べている。そしてここでもまた経済について言及している。戦争には金がかかる。戦費がかさむと国が滅ぶことも珍しくはない。


 勝の見識は、人間が時代の制約から自由になれることを示している。


 本書では実に様々な人物が取り上げられているが、勝が評価しているのは西郷隆盛横井小楠の二人だけである。


 おれは、今までに、天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠〈よこい・しょうなん〉と西郷南洲〈さいごう・なんしゅう〉とだ。

 横井は、西洋の事も別に沢山(たくさん)は知らず、おれが教へてやつたくらゐだが、その思想の高調子な事は、おれなどは、とても梯子(はしご)を掛けても、及ばぬと思つた事がしばしばあつたヨ。おれはひそかに思つたのサ。横井は、自分に仕事をする人ではないけれど、もし横井の言を用ゐる人が世の中にあつたら、それこそ由々(ゆゆ)しき大事だと思つたのサ。

 その後、西郷と面会したら、その意見や議論は、むしろおれの方が優(まさ)るほどだツたけれども、いはゆる天下の大事を負担するものは、果して西郷ではあるまいかと、またひそかに恐れたよ。


横井小楠


 おれが初めて横井の名を聞いたのは、長崎に居た時分で、越前の村田が諸国を巡(めぐ)つて長崎にやつて来たから、ドーダ誰か大きな人物に出遇(であ)つたかと聞いたら、いや格別の人物にも出遇はなかつたが、肥後の横井平四郎といふ人は当今の天下第一流であらうと、痛く感心して話をした。これが横井の名を聞いた始めだ。(中略)

 おれが深く横井の識見に服したのは、おれが長州の談判を仰せ付かつた時、横井に相談した時である。おれが長州に行くにつき、かれの見込みを手紙で聞いたが、かれは、ひと通り自己の見込みを申し送り、なほ、「これは今日の事で、明日の事は余の知るところにあらず」といふ断言を添へた。おれは、この手紙を見て、初めは、横井とも言はるゝ人が今少し精細の意見もがなと思つたが、つらつら考へて、大いに横井の見識の人に高きものあることを悟(さと)つた。世の中の事は時々刻々転変窮(きわ)まりなきもので、機来(きた)り機去り、その間、実に髪(はつ)を容(い)れずだ。この活動世界に応ずるに死んだ理窟をもつてしては、とても追ひ付くわけではない。

 横井は確かにこの活理を認めて居た。当時この辺の活理を看取する眼識を有したるは、たゞ横井小楠あるのみで、この活理を決行するの胆識を有したるは、たゞ西郷南洲あるのみで、おれがこの両人に推服して措(お)かざりしは、これがためである。


 小楠は能弁で南洲は訥弁(とつべん)だつた。


 西郷については何度も何度も絶賛している。邯鄲(かんたん)相照らす間柄であったからこそ、江戸城の無血開城が可能となったのだ。この件(くだり)についても生き生きと語られている。


 時代が人を育み、人と人との出会いが時代を動かす。時が人を得て、人が時に乗じて歴史の歯車が回る。勝は一貫して「時勢が人をつくる」と断言した。

氷川清話 (講談社学術文庫)

『戦略の格言 戦略家のための40の議論』コリン・グレイ/奥山真司訳(芙蓉書房出版、2009年)


戦略の格言―戦略家のための40の議論


“現代の三大戦略思想家”といわれるコリン・グレイ教授が西洋の軍事戦略論のエッセンスを簡潔にまとめた話題の書。戦争の本質、戦争と平和の関係、戦略の実行、軍事力と戦闘、世界政治の本質、歴史と未来など40の格言を使ってわかりやすく解説。

「12号室」SION


 SIONの幼い頃の実体験が歌詞の元になっているとのこと。彼自身に小児麻痺があり、施設に入っていた時期があるようだ。世界に対する違和感。そこに芽生える狂気。孤独と孤独とが触れ合う様。社会から排除された者にしかわからぬ優しさ。汚れなき魂の彷徨(ほうこう)……。



夜しか泳げない(紙ジャケット仕様)

フィールズ賞は40歳未満が対象


 ご存じの読者も多いと思いますが、フィールズ賞には、「受賞者は40歳未満の“若い”数学者にかぎる」という年齢制限が、不文律としてついているのです。


【『新装版 数学・まだこんなことがわからない 難問から見た現代数学入門』吉永良正(講談社ブルーバックス、2004年)】

新装版 数学・まだこんなことがわからない (ブルーバックス)

目をえぐり取られ、耳をそがれ、手足や性器を切断されたチェチェン人の遺体

 武装集団の多くは女性でした。チェチェン紛争で夫を失った未亡人たちが多数参加していたのです。女性たちは全身黒ずくめで、腰に自爆用の爆弾を巻いていました。自爆覚悟で、チェチェンでの悲劇を世界に知らせようとしたのです。(※モスクワ劇場占拠事件)


【『そうだったのか! 現代史 パート2』池上彰ホーム社、2003年/集英社文庫、2008年)以下同】


 チェチェン側の死者のほとんどは、ロシア軍による無差別爆撃の犠牲者です。さらに、ロシア連邦軍の「ゲリラ掃討作戦」の名の下に、住民が突然自宅からロシア連邦軍に連行され、そのまま行方不明になったり、死体で発見されたりするケースが多発しています。行方不明になったチェチェン人男性は2000人にも達するといいます。(中略)

 2002年6月には、チャンカラという町のロシア軍駐屯地付近で、地中から50人ほどのチェチェン人の遺体が発見されました。遺体は、目をえぐり取られ、耳をそがれ、手足や性器を切断されていました。

 チェチェンゲリラの情報を集めるため、ロシア連邦軍の兵士が、一般市民を拷問することは日常茶飯事となっています。

そうだったのか! 現代史 (集英社文庫) そうだったのか!現代史〈パート2〉 (集英社文庫)

小林多喜二が生まれた日


 今日は小林多喜二が生まれた日(1903年)。築地警察署で3時間の拷問の末に死亡。左右の太ももは多量の内出血ですっかり色が変わり、大きく膨れ上がり、背中一面に痛々しい傷痕。手首にはきつく縛り上げられてできた縄の痕。首にも深い細長の縄の痕。左のコメカミ下あたりにも打撲傷。向う脛に深く削った傷の痕。右の人差し指は骨折。

愛蔵版 ザ・多喜二―小林多喜二全一冊 蟹工船・党生活者 (新潮文庫) 小林多喜二―21世紀にどう読むか (岩波新書)

2010-10-12

マルクス主義的な欺瞞の臭い/『「悪」と戦う』高橋源一郎


 人は仕事とプライベートでは異なる顔をしている。職場の嫌われ者がよき家族の一員であったとしても驚くことではあるまい。


 高橋の『13日間で「名文」を書けるようになる方法』を読んだ人であれば、手に取らずにはいられない作品だ。主人公はランちゃんとキイちゃんという3歳と1歳の兄弟。キイちゃんは言葉の発達が遅れているという設定なのだが、高橋の実子が同様の症状となっていたのだ。『13日間』の授業では、病める子を受容する父親の覚悟が赤裸々に語られている。


 読み始めて直ぐ挫けそうになった。やめてもよかったんだが、やはり結論を知りたい誘惑に勝てなかった。ま、売れっ子作家が「いまの自分には、これ以上の小説は書けない」と自信を見せるくらいだから、出版社としては贅沢な作りにしたのだろう。信じられないほど行間が広く、改行が多い。


 因(ちな)みに私は、ネット上の文章で改行の多いものは読まないことにしている。やたらと句読点で改行している文章を時折見掛けるが、女子中学生の日記みたいで薄気味悪い。小田嶋隆の改行が許容限界である。


 この物語は人間の悪意を描いている。パラレルワールド(多重世界)を通して「悪の相対化」を試み、絶対性を換骨奪胎しようとしたのだろう。


 高橋はポストモダン文学の旗手と言われているらしい。確かに分かりやすい文章でありながら、深い哲学性を窺わせる内容が見受けられる。


「なるほど。どんな遊びをするのかな」

「だっだっ」

「ぼくのつくったものをこわしたいんだって」

「おまえはそれでいいのかい?」

「いいよ」

「ランちゃんが作ったものを、キイちゃんが壊す、そこにどんな意味があるのかな?」

「ぱぱ」

「なんだね?」

「『いみ』って、なに?」

「そうだね。それをすると、褒(ほ)められるようなことじゃないかな」

「じゃあ、『いみ』はないとおもうよ。ぼくはつくりたいし、きいちゃんはこわしたい。おもしろいからね」


【『「悪」と戦う』高橋源一郎(河出書房新社、2010年)】


 ランちゃんの言葉は、生産や経済の意味を放擲(ほうてき)する。我々大人は人生に意味を求めるあまり、生産性は経済性で人生の価値を測ってしまいがちだ。


 母親が子供を育てる。多分そこに意味は無い。ただ愛(いと)おしくて、子を抱き、乳を与えるのだろう。我々は意味を求めるのは自分の行為に疑問を抱く時である。


 遊びにも意味は無い。ただ楽しいから遊ぶ。子供の時分を思い出してほしい。将来のことを考えて遊んだ人はいないはずだ。


 悪を炙(あぶ)り出すリトマス紙としてミアちゃんが登場する。ミアちゃんは人が目を背けるような醜い外見をしていた。


「わたしは」と「ミアちゃん」のお母さんはいいました。ふりしぼるような声でした。

「……『悪』と……戦っているのです」


 これは失敗だと思う。悪が醜悪へと変質してまっているからだ。確かにエレファントマンみたいな人物を見れば、我々はじっと見つめ直後に罪悪感を覚える。本人は好きで醜い姿となって生まれてきたわけではないのだ。


 本書の中で高橋とおぼしき父親が「私は唯物主義者だ」と答える場面がある。きっと実際にそうなのだろう。物語の構成や文章の端々に作為が感じられる。まるで「文章の中央集権体制」みたいだ。


 ミアちゃんという特異な人物造形や、パラレルワールドという都合のよい展開、散りばめられた暴力シーンなどが、どこかスターリン毛沢東を思わせる。


「見る」という行為について書かれた箇所があった。


 違うのです。

 わたしたちは、ふだん、なにも見ちゃいないのだ。決まってるじゃないですか。ちらっと一瞥(いちべつ)して、わかったと思う。それだけです。「見ている」のじゃない。ただ「目に映っている」だけなんです。

「目に映っている」ものの正体がなにか、それがわかれば、そのことを「見る」と称しているのです。そして、その正体というものも、自分で確かめたわけではなく、テレビや雑誌に出ているので、なんとなく、そういうものだと思いこんでいるだけなのです。

 もちろん、わたしだって同じです。

 わたしは、一度だけ、「茶事」というものに出席したことがあります。そして、「茶道」の本に書いてある通り、小さな茶室のくぐり戸に半身をこじ入れて、薄暗い室内を覗いたり、それから、無理矢理、体を斜め前方に倒して、つまり、ひどく不自然な格好をして、掛け軸や、瓶に挿(さ)した花を眺めているうちに、あることに気づいたのです。

 茶室は、どうしてあんなに暗いのか。どうして、あんなに置いてある「もの」が少ないのか。そして、どうして、その少ない「もの」を、凝視しなくちゃならないのか。

 なにかを「見る」ためには、明るい方がいいに決まっている。なのに、わざわざ部屋を暗くなんかしちゃって、「茶道」を文化の王様にした、あの利休(りきゅう)とかいう人は、頭がおかしいんじゃないだろうか。

 いや、そうではないのです。あの、小さな部屋は、「見る」ということはどういうことなのかを、鈍感(どんかん)な人間に教えるために、存在しているのです。


「見る」ためには、全身全霊(ぜんしんぜんれい)を賭(か)けて、そのためには、目が、その「見る」べき対象に、くっついてしまいそうになるぐらい近づかなきゃならない。そういうことを知らせようとして、利休さんは部屋を暗くしてしまったのです。


 これは上手い。さすがだ。クリシュナムルティに通じるものがある。視覚は光の反射を捉えることで空間を認識している。触角だと手の届く範囲の世界しか理解できない。目は私と世界を結ぶ窓である。


 ここで高橋が言いたいのは集中と注意であろう。対象に向かって全身を傾けて見つめる。見るものと見られるものの差異が消失するまで見る。自分自身が視線と化した時、見るものと見られるものは一つになる。これがブッダの説いた縁起の世界だと思う。視線とは関係性である。


 パラレルワールドを経て世界の危機的状況が明らかになる。マホさんというトリックスターが登場するが、これはマホメットのマホなんだろうね。嫌なネーミングだよ。マホさんを正義の味方にすることで暗にキリスト教を批判しているように感じた次第。


「世界はね、実はとても壊れやすいの。すっごく繊細(せんさい)。放っておいたら、すぐ壊れちゃう。でも、なんとかいままでぶっ壊れずにすんでた。それは、なぜだか、わかる?」

「わかんない」

「直してたから。補修(ほしゅう)していたから。みんながちょっとずつ」


 これまた実に巧みなセリフだが、世界が壊れやすいという発想が唯物主義の臭いをプンプン放っている。


 無名の人々が善意を施すことで世界は成り立っていると考えることも可能だが、高橋の計算高い文章が政治的思惑を感じさせる。


 全く個人的な話ではあるが日本共産党が大嫌いである。彼らは政治的思考に人間をはめ込むようなところがある。そしてプロパガンダと称して平然と嘘をつく。


 またソ連や中国が自国の国民を大量虐殺してきたことも歴史的事実である。そんなこんながあって、どうしても私はマルクス主義を好きになれない。


 マルクスを読んだこともないのにマルクス主義を批判するのは片腹痛い。でも嫌いなものは嫌いなんだからしようがない。文句があるならマルクスの手下に言ってもらいたい。


 不勉強なこともあって唯物主義=マルクス主義なのかどうかもわからない。もちろん高橋が左翼政党を支持しているのかどうかも知らない。しかし敢えて、マルクス主義的な欺瞞の臭いがすると言い切ってしまおう。


 この作品は唯物主義へと誘(いざな)うことを目的としたプロパガンダ小説である。文学が手段と成り下がっている。


『13日間』では見事なリベラル性と、しなやかな言葉で文学を語っておきながら、いくら何でもこれはないよなー、というのが率直な感想である。

「悪」と戦う さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

ウラジミール・ヴィソツキー


 余りにも激しい体制批判ゆえに、生前には1冊の詩集も1枚のレコードも出すことを禁じられていたにもかかわらず、彼はヒーローとなり、同時に良心であった。彼の歌を収録したカセットテープは何度となくコピーされ、人の手から手へと渡され、ソ連中に広まった。モスクワから遠く離れた小さな村の家の窓からさえ、彼の歌は鳴り響いていたといわれている。真実の詩と情熱と勇気とを、ギターをかかえ、しわがれた声で歌うヴィソツキーは、一人で全体主義的管理と状況に立ち向かい、42歳の若さで逝った。葬儀の行われたタガンカ劇場の周りには、前代未聞の200千人の人々が許可なく集まり、夭折を惜しんだ。

 ロシアのジョン・レノンボブ・ディランと評する人も多い。没年についても、ジョン・レノンと同じである。日本では「ソ連の尾崎豊」と紹介されたこともあった。

 ロシアの国営テレビや世論調査機関などが共催した「ロシアの英雄」を選ぶ人気投票でニコライ2世スターリン、レーニンに次いで4位になっている。


Wikipedia


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南ア・マンデラ氏の新刊出版 「大統領になりたくなかった」


【ナイロビ共同】南アフリカのマンデラ元大統領(92)の私信や日記などを収めた新刊が12日、出版された。反アパルトヘイト(人種隔離)闘争を主導し、南ア初の黒人大統領に選ばれたマンデラ氏は「私の意に反し、大統領就任を課せられた」と記し、当初は大統領だけでなく与党内の役職に就く意思もなかったことを明らかにしている。

 新刊はネルソン・マンデラ財団が編さんしたもので、タイトルは「自己との対話」。オバマ米大統領が序文を寄せ、計20カ国語で出版されるが、日本語版はない。

 獄中から家族にあてた手紙や、既に発表された自伝「自由への長い道」の未公開続編なども収録。前妻との確執をつづった手紙や、近年の南ア政界の腐敗に対する懸念を記した手記なども含まれている。

 同財団は新刊で、偶像ではない「私人としてのマンデラ氏」の姿が明かされているとしている。


47NWES 2010-10-12

「がんばれがんばれ」SION


 母から子へのメッセージか。けしかけるような「頑張れ」はどこにでも転がっているが、こんな優しい「がんばれ」は見たことがない。地の底の温もり。我々の優しさには作為や意図がある。ま、偽善だわな。孤独に打ちひしがれる若者よ、SIONの声に耳を傾けよ。


俺の声/SION

戦争と真実

「戦争が始まって最初に犠牲になるのは真実である」


【『そうだったのか! 現代史』池上彰ホーム社、2000年/集英社文庫、2007年)】

そうだったのか!現代史 (集英社文庫) そうだったのか!現代史パート2 (集英社文庫)

大量殺戮を食い止める


 今日、戦争の絶滅が可能だ、と誰が信じているだろうか。誰も、平和主義者でさえも信じてはいまい。私たちが望むのはただ(現在のところこれさえ無益な望みだが)大量殺戮を食い止め、戦時法規(戦闘員が守るべきそのような法規があるのだから)を踏みにじった者たちが裁かれ、武装による戦闘のかわりに交渉による打開をはかることによって特定の戦争を避けることである。


【『他者の苦痛へのまなざし』スーザン・ソンタグ/北條文緒訳(みすず書房、2003年)】


他者の苦痛へのまなざし

石田梅岩が生まれた日


 今日は石田梅岩(いしだ・ばいがん)が生まれた日(1685年)。江戸時代の倫理学者。「二重の利を取り、甘き毒を喰ひ、自死するやうなこと多かるべし」「実の商人は、先も立、我も立つことを思うなり」という石田梅岩の思想は、近江商人の「三方よし」の思想と並んで、「日本のCSRの原点」として脚光を浴びている。

石田梅岩 (人物叢書) 都鄙問答 経営の道と心 (日経ビジネス人文庫) 企業倫理とは何か 石田梅岩に学ぶCSRの精神 (PHP新書)

2010-10-11

勇者は懼れず


 子(し)日(のたま)わく、知者(ちしゃ)は惑(まど)わず。仁者(じんしゃ)は憂(うれ)えず。勇者(ゆうしゃ)は懼(おそ)れず。


【『論語孔子

千万人と雖も吾往かん


 自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾往(ゆ)かん。


【「公孫丑章句上孟子

チャーチル「民主主義は最悪の政治形態」


 これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。


ウィンストン・チャーチル/下院演説 1947年11月11日】

脳は視野の鼻を消している


 視野に見える鼻はどうでしょう。なぜ気にならないのでしょう。顔をどこに向けても、鼻先はいつも同じ場所に見えています。でも、鼻の存在はまったく気になりません。見えている気さえしません。これまた脳の作用です。無意識に視野の鼻を消しているのです。


【『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二〈いけがや・ゆうじ〉(祥伝社、2006年/新潮文庫、2010年)】

脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? 脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

「ガード下」SION


 叫びではなく呻(うめ)き。SIONの声は怒りよりも苦悶を響かせている。喉を振り絞り、軋(きし)んだ声が空気を異様に振るわす。絶望の中から一滴(ひとしずく)の優しさが香油のように漂う。


 誰もがガード下にいる。シモーヌ・ヴェイユが語った「重力」の下で喘いでいる。そして誰もが盲目なのだ。大事なものが何一つ見えていないのだから。


 SIONの魂を打つ歌声に戦慄せよ。



SION TWIN VERY BEST COLLECTION

ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある


 自覚された状態としての失語は、新しい日常のなかで、ながい時間をかけてことばを回復して行く過程で、はじめて体験としての失語というかたちではじまります。失語そのもののなかに、失語の体験がなく、ことばを回復して行く過程のなかに、はじめて失語の体験があるということは、非常に重要なことだと思います。「ああ、自分はあのとき、ほんとうにことばをうしなったのだ」という認識は、ことばが取りもどされなければ、ついに起こらないからです。


【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)

フランソワ・モーリアックが生まれた日


 今日はモーリアックが生まれた日(1885年)。病的なほどに我執や肉欲にとらわれる人間の内面を執拗に分析して、神なき人間の悲惨を描いた。表現は独自の内的独白の手法により、文体は古典的で端正、精緻で、構成もきわめて巧妙、深刻な道徳問題を取り扱った心理小説家として独自の地位を保つ。遠藤周作三島由紀夫に影響を与えた。

テレ−ズ・デスケルウ (講談社文芸文庫) 愛の砂漠 (講談社文芸文庫)

2010-10-10

道に迷うことは物事を発見するために欠かせないプロセスだ

 抜群の移動能力が世界へのハードルを引き下げていたことは確かだが、それもメイならではなお世界に対する態度があってこそのものだった。メイが行きたいと思う場所──というより、ありとあらゆる場所にメイは行きたかったのだが──に行こうとすれば、迷子になることを覚悟しなくてはならない。目の不自由な人にとっては、えてして考えるだけでぞっとする悪夢だ。しかしメイにしてみれば、迷子になることこそ、いちばん楽しい経験だった。「おれはとびきり好奇心が強いんだ。道に迷うのはちっともいやじゃない。ものごとを発見するのに欠かせないプロセスだ」と常々言っていた。どうやってそんなに上手に杖で移動できるのかと尋ねると、肝心なのは杖ではなく好奇心なのだと答えたものだ。


【『46年目の光 視力を取り戻した男の奇跡の人生』ロバート・カーソン/池村千秋訳(NTT出版、2009年)】

46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生

日本の自殺者数は10万人


 日本の自殺者は年間3万人とされ、この数は過去数年奇妙なくらい変動していない。一方統計上の「変死者」は急増し年間14万人に達する。両者の違いは、自殺の定義、1.遺言があるか、2.死後24時間以内に発見されたか。WHOは変死者の半分が自殺だと推定する。私は日本の自殺者は10万人だと思う。


樋口耕太郎

「住人」SION


 SIONという存在そのものが、ロックでありブルースであり歌なのだ。



住人~Jyunin~

『宮沢賢治伝説 ガス室のなかの「希望」へ』山口泉(河出書房新社、2004年)


宮沢賢治伝説──ガス室のなかの「希望」へ (人間ドキュメント)


春と修羅』『新編銀河鉄道の夜』等を内在的に総検証し宮沢賢治とその影響に徹底的考察を加える空前の試み。現代の抑圧された人びとの存在から再構築される世界の真の全体像とは? 孤高の作家による思考の一大交響楽。

アルベルト・ジャコメッティが生まれた日


 今日はアルベルト・ジャコメッティが生まれた日(1901年)。スイス出身の彫刻家。絵画や版画の作品も多い。1950年頃から作られはじめた人物像は肉付けも凹凸もなく、「彫刻」としての限界と思えるほどに細長い作品だった。サルトルは現代における人間の実存を表現したものとして高く評価した。

ジャコメッティ/エクリ ジャコメッティの肖像 ジャコメッティ―あるアプローチのために (エートル叢書)


2010-10-09

『英語達人列伝 あっぱれ、日本人の英語』斎藤兆史(中公新書、2000年)


英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語 (中公新書)


「日本人は英語が苦手だ」という通念など、信じるに足らない。かつての日本には、驚嘆すべき英語の使い手がいた。日本にいながらにして、英米人も舌を巻くほどの英語力を身につけた「達人」たちは、西洋かぶれになることなく、外国文化との真の交流を実践した。岡倉天心斎藤秀三郎野口英世、岩崎民平、白洲次郎ら、10人の「英語マスター法」をヴィヴィッドに紹介する本書は、英語受容をめぐる日本近代文化史を描きだす。

「夏の終わり」SION


 他人を期待して 不平不満ばっかり言うような奴等は俺達に触るな

 腑抜けたラップを聴く暇があったら 俺は真っ先にSIONを聴く


 Tha Blue Herbが「孤憤」で歌ったSIONだ。


「我が道」はアウトサイドにある。なぜなら、社会のメインストリームを築いているのは権力者であるからだ。彼らは大衆を自分たちの規格内にはめ込む。出る杭は打たれ、ムダな毛は剃られる。


 尾崎豊なんぞがアウトサイダーだと思ったら大間違いだ。彼は子供に過ぎない。SIONのささくれ立った声に馴染むのは時間が掛かる。だから取り敢えず、彼の言葉に耳を傾けて欲しい。


 落伍した者が耐える重力。足の裏と地面との間に通うエネルギー。重荷を背負った者だけが知る大地の温もり。孤独と孤独がふれ合う瞬間をSIONは切り取る。


 人の姿が透明化して見えにくくなっている。こんな時代には、どうしてもSIONの歌が必要だ。



東京ノクターン

ジョン・レノンが生まれた日


 今日はジョン・レノンが生まれた日(1940年)。「キリスト教は消えてなくなるよ。そんなことを議論する必要はない。僕は正しいし、その正しさは証明される。僕らは今やイエスよりも人気がある。ロックン・ロールとキリスト教。そのどちらが先になくなるかは分からない。イエスは正しかったさ。だけど弟子達がバカな凡人だった。僕に言わせれば、奴らがキリスト教を捻じ曲げて滅ぼしたんだよ」(1966年3月4日)


決定盤 ジョン・レノン~ワーキング・クラス・ヒーロー~



2010-10-08

『宇宙 太陽系とその惑星から銀河宇宙の果て、地球外生命探査まですべてがわかる』沼澤茂美、脇屋奈々代(成美堂出版、2007年)


宇宙―太陽系とその惑星から銀河宇宙の果て、地球外生命探査まですべてがわかる


 太陽系とその惑星から銀河の果て、地球外生命探査まで宇宙に関するさまざまな事項を美しい写真、精微なイラストで紹介。「相対性理論」「量子力学」「超ひも理論」などもわかりやすく解説する。

『解明される宗教 進化論的アプローチ』ダニエル・C・デネット(青土社、2010年)


解明される宗教 進化論的アプローチ


 宗教は人類至高の精神的所産なのか? それとも不幸な軋轢をもたらす躓きの石なのか? 現代哲学の重鎮デネットがついに宗教の謎と矛盾に取り組んだ。志向的姿勢、ミーム、信念の思考など諸科学の概念を駆使し、人類史の精神過程をあくまで科学的・論理的に解明する、瞠目の書。

武満徹が生まれた日


 今日は武満徹が生まれた日(1930年)。現代音楽の分野において世界的にその名を知られ、日本を代表する作曲家。無名時代、ピアノを買う金がなく、町を歩いていてピアノの音が聞こえると、そこへ出向いてピアノを弾かせてもらっていたという。

武満徹全集 第1巻 管弦楽曲







2010-10-07

ノーベル文学賞にペルーの作家 バルガス・リョサ氏


【ロンドン共同】スウェーデン・アカデミーは7日、2010年のノーベル文学賞を、ラテンアメリカ文学の代表的存在でペルー出身の作家、マリオ・バルガス・リョサ氏(74)に授与すると発表した。同アカデミーは授賞理由で「権力の構造」を明確に描き、「個人の抵抗、反抗や敗北を鋭く表現した」と称賛した。

 南米大陸出身者の同賞受賞は1982年のガルシア・マルケス氏(コロンビア)以来。

 バルガス・リョサ氏は政治にも興味を示し、90年のペルー大統領選に出馬したが、決選投票でアルベルト・フジモリ氏に敗れた。93年にはスペイン国籍を取得。以後、欧州を中心に活動し、AP通信によると最近は米プリンストン大でも教壇に立っている。

 36年、ペルー南部のアレキパで生まれ、高校時代から地元紙にコラムを執筆。その後、放送局や通信社記者などを務めた。

 士官学校を舞台に腐敗した社会を描いた1963年の「都会と犬ども」が代表作。その新しい文体と手法は、スペイン語文学に新風を巻き起こした。66年には前衛的な手法を用いてアマゾンを舞台にしたさまざまな人間模様を描いた長編小説「緑の家」を発表、作家として確たる地位を築いた。76〜79年に国際ペンクラブ会長を務め、現在は名誉会長。

 賞金は1千万クローナ(約1億2千万円)。授賞式は12月10日にストックホルムで行われる。


47NEWS 2010-10-07


楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2) 若い小説家に宛てた手紙 誰がパロミノ・モレーロを殺したか (ラテンアメリカ文学選集 6)


緑の家(上) (岩波文庫) 緑の家(下) (岩波文庫) フリアとシナリオライター (文学の冒険シリーズ)


都会と犬ども 骨狩りのとき

てんかんを抑える仕組み解明 飢餓で“スイッチオフ”


 低栄養状態の体内でつくられる化合物が、脳内で神経伝達物質を運ぶタンパク質の“スイッチ”を切り(オフ)、てんかん発作を抑えることを岡山大や第一薬科大(福岡市)のチームが解明し、7日付米科学誌ニューロン電子版に発表した。

 この化合物はケトン体で、飢餓状態になると肝臓で脂肪が分解されてできる物質。岡山大の森山芳則教授によると、飢餓がてんかんに効くことは昔から知られているが、その理由は不明だった。「薬の効かない難治性てんかんの治療薬開発などにつながる」という。

 てんかん発作は、神経伝達物質のグルタミン酸が脳の神経細胞間で過剰に伝達され、異常な興奮状態になり起こるとされる。森山教授らは、輸送にかかわるタンパク質「小胞型グルタミン酸トランスポーター(VGLUT)」を解析した。

 VGLUTは塩素イオンが結合して活発に働く。ところが、血中で増えたケトン体は塩素イオンに置き換わってVGLUTのスイッチをオフにし、グルタミン酸を輸送する働きを阻害。発作を抑えることが判明した。

 森山教授によると、欧米などでは低タンパク、低炭水化物、高脂肪の食生活でケトン体を増やす食事療法がある。


47NEWS 2010-10-07

公教育は災いである

質問者●国の(公)教育は災いではないでしょうか? もしそうなら、政府によって管理されない学校の建設資金をどのようにして調達したらよいのでしょうか?


クリシュナムルティ●明らかに、公教育は災いです――政府は納得しないでしょうが。彼らは人々が考えることを望みません。彼らは人々が自動人形であることを望んでいるのです。なぜならそのときには、人々にどうすべきかを教えこむことができるからです。そのように現代の教育、就中政府の手中にあるそれは、ますます「どのように」考えるかではなく、「何を」考えるかを教えこむ手段になりつつあります。なぜなら、もしあなたが制度から独立して考えるようになったら、あなたは危険な存在になるからです。ですから、世界中で見受けられるように、どの政府も教育に介入しつつあるのです。皆さんが商品や弾丸を生産している完璧なマシーンであるかぎり、左寄りの政府だろうと右寄りの政府だろうと、左うちわでいられるのです。(中略)

 そしてこれは皆さん――市民であり、政府に責任がある皆さん――が、自由を欲していないことを意味しているのです。皆さんは、新しいあり方、新しい文化、新しい社会構造を欲していないのです。もし皆さんが何か新しいものをお持ちなら、それは革命的かもしれませんし、現状破壊的かもしれません。そして皆さんは物事をそのままにしておくことを望むので、こう言うのです。「そうだ、教育を統制してくれる政府を支持しよう」。皆さんはあちらこちらで小さな修正は望むのですが、考え方そのものの革命は望まないのです。そして皆さんが考え方そのものの革命を欲するやいなや、政府が口をはさみ、皆さんを投獄するか、あるいはすみやかに屋外に追放し、そして皆さんは忘れ去られるのです。皆さん、人間自身が何の内なるビジョン、内なる光、理解も持っていないとき、一国はますます組織化され、そしてますます権威と外部的強制が強まるのです。そのとき個人は、全体主義国家においてだろうと、あるいはいわゆる民主主義国家においてだろうと、権力者たちの単なる道具になり下がるのです。なぜなら危機の瞬間には、いわゆる民主主義国家も民主主義を忘れ、民衆を一定の行動様式にあてはめさせることによって、全体主義国家のようになるからです。

 さて、質問の後半は、「政府によって管理されない学校の建設資金を調達するにはどうしたらいいか」です。皆さん、もちろんこれは問題ではありません。違いますか? 資金を確保するやいなや、皆さんは堕落するのです。最も理想的な仕方で始まるすべての学校を見渡してごらんなさい。その校長を見てごらんなさい。彼らは、その上にあぐらをかいて肥え太るのです。しかし皆さんは、自分の住居のすぐ近所に小さな学校を始められるのです。私はそのようにして始められた学校を知っていますが、それらはいまもなお続いています。なぜならそれらは用意の上でできたからであり、情熱と思いがこめられているからです。われわれの困難のひとつは、われわれが人類全部を一朝一夕で変容させようと望む――あるいは皆さんのいわゆる大衆を感化させようと望む――ことです。大衆、あわれな人類とは誰でしょう? あなたであり私です。ですから、もしあなたが深く感ずるところがあれば、もしあなたが、午後の数時間だけ表面的にではなく、本当にこれらの問題を熟考するなら、そのときには正しい学校をどこか、すぐ先の横町かあるいは自宅の中で始められることがわかるでしょう。なぜならそのときには、皆さんは自分の子供、ひいては周囲の子供たちに興味があるからです。


【『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】


クリシュナムルティの教育・人生論―心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性

ニールス・ボーアが生まれた日


 今日はニールス・ボーアが生まれた日(1885年)。デンマークの理論物理学者。量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。波動力学を発表したシュレーディンガーコペンハーゲンに招きよせ、討論に疲弊して倒れたシュレーディンガーの病床で議論を続けた。

ニールス・ボーア論文集〈1〉因果性と相補性 (岩波文庫) ニールス・ボーアの時代1―物理学・哲学・国家


2010-10-06

「サイゴンでの処刑」


「サイゴンでの処刑」(General Nguyen Ngoc Loan Executing a Viet Cong Prisoner in Saigon)と題されたこの写真は、1968年2月1日、AP通信エディ・アダムズ(Eddie Adams)によって撮影された。テト攻勢の最中、サイゴン警察が捕虜として捕らえた南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の兵士、グエン・ヴァン・レム(阮文歛)は記者たちの前に引き出された。当時ベトナム共和国警察庁長官であったグエン・ゴク・ロアン准将は個人所有していたリボルバー銃を引き抜き、これを射殺した。


 この射殺された士官が何者であるかについては議論がいまだにあり、グエン・ヴァン・レムもしくはレ・コン・ナであるとされ、両者ともテト攻勢下のサイゴンにて戦死した。双方の遺族とも、各々がこの写真の人物に酷似しており、断定はできないと証言した。


 その光景は、AP通信カメラマンのエディ・アダムズ及びNBCニュースのテレビカメラマンらによって撮影され、全世界に配信された。配信された写真とフィルムはベトナム戦争における最も有名なイメージの一つとなり、ベトナム戦争への介入に対するアメリカの世論に多大な影響を与えることになった。 写真を見たオーストラリア出身の従軍記者パット・バージェスは再び戦場へと戻ったという。


 南ベトナム側は、グエン・ヴァン・レムが彼の副官のみならず、無抵抗な家族やそのペットをも殺害した残虐なベトコン内の死の部隊の指揮官であり、その処刑は正当なものであると主張した。同側は、レムは警察官及びその親類が縛られ射殺された34体の死体遺棄現場にて逮捕され、その死体の内、数体はロアンの副官もしくは親友の子供であり、その内6名はロアンによる名づけ子だったとした。カメラマンであるアダムズは南ベトナム側の報告を確かめたが、彼は処刑のために居合わせただけだった。未亡人となったレムの妻は、夫がベトコンのメンバーであるとこと確認しており、テト攻勢の後は夫と面会していない。処刑の直後、処刑に立ち会わなかった南ベトナム政府高官は、ロアンはただの政治従事者であると発言した。


 一部の評論家は、ロアンがとった行動は捕虜の取り扱いに関するジュネーヴ条約を破ったと主張する。ベトコンに対し、捕虜としての地位の権利が適用されるのは、彼らが軍事作戦の間に捕らえられた場合にのみである。捕らえられた男は制服ではなく私服であり、ベトナム人民軍ではなく制式化されていないベトコンのメンバーであり、実地経験はあるがゲリラであるとみなされ、射殺は合法と弁護する向きもある。一方、射殺される前にすでに武装解除されて拘束されているため、これを裁判にかけずに[要出典]射殺することは南ベトナムでも(建前にせよ)明確な違法行為である。


 エディ・アダムズはこの写真(「サイゴンでの処刑」)で1969年度ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門を受賞している。


 その後、アダムズは自身の写真によりロアン准将の世評を傷つけたことに対し、個人的に謝罪した。その死に際し、アダムズは彼をこう称賛した。「その男は英雄であった。アメリカは涙を流さなければなるまい。私は人々が彼に関し何も知らずして、彼が死にゆくのをただ見たくはない」。


Wikipedia




戦後の焼け野原から生まれた「子供のための音楽教室」

 昭和23年9月

 子供のための音楽教室

  吉田秀和 井口基成 斎藤秀雄 伊藤武雄 柴田南雄


【『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉(新潮社、1996年/新潮文庫、2002年)以下同】


 家政学院の周囲はまったくの焼け野原だった。校内には戦争で焼けくずれた建物の跡が残っていて、そこは休み時間には幼児たちにとって格好の遊び場となった。第1回目の音楽教室には約30名の生徒が応募したが、そのなかの一人であるのちのピアニスト中村紘子は最年少の4歳だった。


 毎週土曜日の午後になると、吉田をはじめ、やがて日本の音楽界を背負うことになる演奏家、作曲家、評論家の講師たちがそろった。教室の月謝は最低であり、講師に払う金もなかった。また、払う意志もなく、講師たちは他からの収入で生活するのを当たり前としていた。

 この時期、斎藤や井口は、巌本真理を加えたトリオで、40回もの国内演奏旅行をしていた。斎藤にとってはこれが収入といえば収入の道だった。1954年(昭和29年)の資料によるが、この年4月、柴田南雄の給与は4760円、伊藤花子が3510円、合奏科の河野俊達が3080円である。この当時、大学卒業者の平均初任給は8700円だった。


 斎藤は、教師の良否が生徒の生涯を左右すると考えていた。「一に教師、二に教師、三に親、四が子供」といい、まず良き教師を選べと言った。いくら才能があっても教師が良くなければ「東京に上らなくてはいけないのに、下関に下るようなもの」といい、「子供はいかようにでもなる。生徒には教師を選ぶ権利があるのに、それが逆になっている」と豪語した。斎藤は、訪ねてきた生徒にも自分の弟子を批判するような口調で遠慮なく、否定すらする。その生徒の師との人間関係を考えて丸く納めるというような日本的発想はなかった。

 この教室が母体となって4年後に桐朋学園音楽科が創設されるが、桐朋になってからもこの教師選択の自由は継続された。

嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

千葉県役所が「すぐやる課」を設置した日


 今日は千葉県松戸市役所が、市民の苦情にすぐ対応する「すぐやる課」を設置した日(1969年)。松本清市長のアイディア。何重もの決裁を必要とするお役所仕事に業を煮やし、市長の直属組織として機動性を確保した。日本各地の自治体からも支持される。後にドラッグストア「マツモトキヨシ」を創業。

2010-10-05

産学協同が進み過ぎると大学は企業の便利屋になり果てる


 産学協同が進み過ぎると、大学の理工農医歯などの大学院が、企業の安価な出先機関となりかねない。そうなった大学にどんな独創的研究を期待できるのだろうか。大学の本領は直接の応用を視野にいれない基礎研究にあり、それこそが国家の科学技術力の基盤なのである。

 基礎研究をないがいしろにしてなお卓抜な技術力を保持した、という国家は歴史上未だかつて存在したことがない。大学の弱味と卑しさに乗じた経済界からの口出しがこのまま続けば、日本のほとんどの大学で実学が幅を利かせ、それ以外の役に立たない学問は徐々に淘汰されることになろう。大学は企業の便利屋となり果てる。


【『祖国とは国語』藤原正彦(講談社、2003年/新潮文庫、2005年)】

祖国とは国語 (新潮文庫)

ドゥニ・ディドロが生まれた日


 今日はドゥニ・ディドロが生まれた日(1713年)。美しいという語をつくりださせたのは、関係の知覚であり、その関係と人物の精神との多様性に応じて、きれい、美しい、魅惑的な、偉大な、崇高な、神聖な、その他、肉体と精神とにかかわる無数の語がつくられた。これらが美のニュアンスである(『百科全書 序論および代表項目』)。

ディドロ 絵画について (岩波文庫) 運命論者ジャックとその主人

2010-10-04

喜劇王のバスター・キートンが生まれた日


 今日は喜劇王のバスター・キートンが生まれた日(1895年)。体を張りながらも、無表情で一途な役柄を特徴としたことから、「偉大なる無表情」というニックネームがつけられた。他にも当時から「すっぱい顔」「死人の無表情」「凍り付いた顔」「悲劇的なマスク」などと呼ばれた。

バスター・キートン自伝―わが素晴らしきドタバタ喜劇の世界 (リュミエール叢書) バスター・キートン傑作集(1) [DVD] バスター・キートン傑作集(2) [DVD]


バスター・キートン傑作集(3) [DVD] バスター・キートン傑作集(4) [DVD] バスター・キートン傑作集(5) [DVD]


ジャン=フランソワ・ミレーが生まれた日


 今日はジャン=フランソワ・ミレーが生まれた日(1814年)。バルビゾン派の中でも、大地とともに生きる農民の姿を、崇高な宗教的感情を込めて描いたミレーの作品は、早くから日本に紹介され、農業国日本では特に親しまれた。その作品からは気温と音が伝わってくる。

ミレーとコロー (おはなし名画シリーズ)


2010-10-03

リー・チャイルド、プーラン・デヴィ


 3冊読了。


 120、121冊目『キリング・フロアー(上)』『キリング・フロアー(下)』リー・チャイルド/小林宏明訳(講談社文庫、2000年)/これがデビュー作。一気に読めるのだが、2冊にするほどの内容ではないと思う。『前夜』を読んだ時も同じ印象を受けた。ま、それでもそこそこ面白いんだ。及第点。ブラインド・ブレイクというブルースシンガーを初めて知った。


 122冊目『女盗賊プーラン(下巻)プーラン・デヴィ/武者圭子〈むしゃ・けいこ〉訳(草思社、1997年)/10月の課題図書。若い女性に読んで欲しい作品だ。非暴力に関心のある青年も読むべきだ。暴力が支配する世界で生きてゆくには二つの道しかない。ひれ伏すか、闘うかである。ひれ伏すとは、プーランの父親のように娘が何度も強姦される様子をじっと見つめることを意味する。奴隷制度を支えているのは無気力な奴隷なのだろう。プーランの父親は生まれながらにして死んでいたのだ。だからこそ、何度殺されても平然としていたのだろう。この男はレイプした連中よりも罪深い。カースト制度は3000年という時間をかけて、こんな人間をつくることに成功したのだ。カースト制度を編み出した人物が、どれほど人間に精通したいたかが窺えよう。まったく天才だよ。

「West Coast Blues」Blind Blake



ザ・コンプリート・レコーディングス B.O. Blind Blake

(※左がボックスセットで、右が輸入盤)

『生命とは何か 物理的にみた生細胞』シュレーディンガー(岩波文庫、2008年)


 岩波新書は1951年。


生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)


 量子力学を創造し、原子物理学の基礎をつくった著者が追究した生命の本質──分子生物学の生みの親となった20世紀の名著。生物の現象ことに遺伝のしくみと染色体行動における物質の構造と法則を物理学と化学で説明し、生物におけるその意義を究明する。負のエントロピー論など今も熱い議論の渦中にある科学者の本懐を示す古典。


生命とは何か それからの50年―未来の生命科学への指針


 理論物理学者エルヴィン・シュレーディンガーの著作『生命とは何か』は、分子生物学の発展に大変大きな影響を与えた。本書は、その本のもとになった講義の50周年を記念し、多岐にわたる分野から第一級の科学者たちが同じダブリンのトリニティカレッジに集まり、それぞれの視点から、生物学の中心的な問題や生命科学の今後の発展について、当時のシュレーディンガーの講義さながらに講演したものをまとめたものである。

ルソーは変態だった


 1745年、下宿の女中テレーズを愛人とし、10年間で5人の子供を産ませ、5人とも孤児院に送った。


Wikipedia、以下同】


 私生活においては、極度のマゾヒズムや露出癖、知的障害者性的虐待を行い妊娠させ次々に捨てるなど、性倒錯が顕著でもあり、自身の著書『告白』などでそれら様々な行動について具体的に触れている。少年時代には強姦未遂で逮捕されたこともあった。


 東浩紀がルソーを引用するのは「オタクつながり」の可能性あり(笑)。

告白 上 (岩波文庫 青 622-8) 告白 中 (岩波文庫 青 622-9) 告白 下    岩波文庫 青 623-0

吉田松陰の小児的な自己中心性

 外的自己から切り離された内的自己もそのままではすまない。外的現実への適応は外的自己の役割であるから、その外的自己から切り離された内的自己は、現実との接触を失い、現実感覚を喪失し、退行を惹き起こし、小児的、誇大妄想的になってゆく。古代の王ではあったが、当時、ほとんど名目だけの存在に過ぎなかった天皇が権威を取り戻し、尊王思想が復活したのは、個人で言えば、幼児期への退行である。幕府の屈従策によって危くされた集団としての日本のアイデンティティを、言わば日本民族の原点に帰ることによって建て直そうとしたのである。天皇を中心に据え、小児的、妄想的となったこのような内的自己にとっては、現実への適応なんかは問題ではないから、当然、攘夷へと走る。尊王と攘夷とは、感情的にも論理的にも必然的に結びつく。

 松陰の憂国の情、幕府批判は、まさにこのような内的自己の屈従する外的自己に対する批判である。


【『ものぐさ精神分析』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(青土社、1977年/中公文庫、1996年)以下同】


 さきに述べたように、現実感覚の不全が、外的自己から切り離された内的自己の宿命であるが、松陰の思想と行動は、現実感覚の不全、それに由来する主観主義、精神主義、非合理主義、自己中心性の典型的な例である。松陰にとっては、自己の主観的誠意だけが問題で、誠意をもって解けば通じると信じているふしがあり、同志を批判して言った「其の分れる所は僕は忠義をする積り、諸友は功業をなす積り」という有名な言葉に示されているように、実際的効果は眼中にない。これは、同じ目標をめざして革命なり改革なりをやろうとしている同志にとっては実に迷惑千万な話で、松陰が多くの同志に見捨てられ、孤立していったのは当然である。これを、松陰の純粋さ、人の好さと見る者もいるが、それは、そう見る者が松陰と同じように小児的、自己中心的であるからそう見えるのであって、たぶん、その人自身、自分のことを純粋で人が好い(あるいは少なくとも、そういう面がある)と思っているのであろうが、わたしに言わせれば、これは自閉的自己満足以外の何ものでもなく、実際的効果を眼中におかないのは、おのれの無能、無力を暗々裡に知っているので、その面で自分を評価してもらいたくないからにほかならない。それは一種の無意識的ずるさである。また、自分のある感情なり意志なりを自分で「誠意」と判定するには、相当の得手勝手さが必要である。そしてその上さらに、その得手勝手さを得手勝手さと自覚していないことが必要である。

 これもまた自己中心性の然らしむるところだが、相手のおかれている立場というものにまったく無理解、無感覚なのが松陰の特徴で、アメリカへの密航を企てて失敗した場合にせよ、幕府と重要で困難な交渉を進める任務を課せられているペリーの立場をまったく無視している。相手の立場を無視して相手を説得できるわけはない。ペリーに拒絶されたのは当たり前であった。松陰は、事前に同志からその計画のずさんさを指摘されてとめられたにもかかわらず、ふり切って決行しており、また、のちにこの事件を回顧して書いた『回顧録』のなかで、逮捕されるとき、役人に、本来なら護送のかごには囚人の名札をつけるのだが、特別の配慮をもって名札をつけずにおいてやるからありがたく思えと言われて、「姑息の事捧腹に堪えず。且つ此の行我れ万死自ら栄とす、姓名を以て人に誇示するの意あり、姓名を榜せざる如きは我が意に非ず」と、かえって失望しており、松陰の意図は、計画の実現よりもむしろ、自己顕示にあったと思われる。その上、自首して逮捕された際、松陰は、象山が送ってくれた詩を軽率にも携えていて役人に見つかり、そのためいたずらに象山をも獄につながせる結果を招いており、革命の同志としてもつには、実に頼りない人物である。何か事を成そうとする仲間にとって、悪意なく、ただその軽率さによって無自覚的に利敵行為をする味方ほど危険な存在はない。

ものぐさ精神分析 (中公文庫) 続 ものぐさ精神分析 (中公文庫)

アルビン・トフラーが生まれた日


 今日はアルビン・トフラーが生まれた日(1928年)。『第三の波』(NHK出版、1980年)で三種類の社会を描いた。第一の波は農業革命の後の社会、第二の波は産業革命、第三の波は脱産業社会(脱工業化社会)であるとした。トフラーは1950年代末から主張し、多くの国が第二の波から第三の波に乗り換えつつあるとした。

第三の波 第三の波

(※左が単行本、右が文庫本)

2010-10-02

清水博


 1冊挫折。


 挫折74『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』清水博(中公新書、1978年)/130ページで挫ける。非常にいい本なんだが、如何せんテンポが合わず。これはね10代、20代で読んでおくべきだったな。かような良書があったとは知らなかったよ。福岡伸一を読んでいない人であれば、本書から取り組むといいだろう。新書で350ページある。

2010-10-01

アミール・D・アクゼル


 1冊読了。


 119冊目『相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学 アインシュタインと膨張する宇宙』アミール・D・アクゼル/林一訳(早川書房、2002年/ハヤカワ文庫、2007年)/「たとえ生みの親に見捨てられても、宇宙定数は決して息絶えることはなかった」。いやはや驚かされた。文章は硬いがスラスラ読める。

貴族政=ミシュランガイド、民主政=ザガットサーベイ

 フランスで最も有名なレストランの案内書といえば、『ミシュランガイド』である。いろいろと問題も指摘されているが、依然として非常に権威ある案内書であることには変わりない。一方、アメリカで同じ地位にあるのは、これまた有名な『ザガットサーベイ』である。どちらも、レストランの紹介と格づけを幅広く行っている点では、似たような案内書であるように見える。ただし、両者は、似ているようで、その本質は全く違うのである。

 フランスの『ミシュラン』の場合、レストランの格づけは、選び抜かれた専門家によってなされている。料理に詳しく味覚を鍛えた調査員が客を装ってレストランを回りながら、専門知識に基づいて評価を下すのである。一方、アメリカの『ザガット』では、一般読者の人気投票によってレストランの格づけが決められる。しかも、その投票権は、万人に対して同様に開かれている。誰の一票でも、一票は一票なのである。アメリカ型の民主主義は、エリートと庶民の質の差を認めない。むしろ、その差を消去することが民主的だと考えられている。だからこそ、頭数だけが問題にされるのである。おそらく、ミルラッセルからすれば、『ザガット』的な決定法ほど、衆愚的なものはないということになろう。


【『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志〈やくしいん・ひとし〉(PHP研究所、2008年)】

民主主義という錯覚

ユッスー・ンドゥールが生まれた日


  今日はユッスー・ンドゥールが生まれた日(1959年)。セネガルポピュラー音楽の大御所にして、ワールドミュージックの雄。セネガルの伝統的音楽家家系グリオ(語り部)の血を引く彼は、ンバラという音楽ジャンルを確立した。2003年、反戦の意を込め、全米ツアーをキャンセル。反骨の人。

ジョコ


復刊『生の全体性』J・クリシュナムルティ、デヴィッド・ボーム、デヴィッド・シャインバーグ(平河出版社、1986年)


生の全体性


 生の核心に迫る! インドの哲人クリシュナムルティ、物理学者ボーム、精神分析医シャインバークによる「生の全体」を見通す試み。