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2010-10-30

「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎


 小説は短篇の方が難しいといわれる。限られた紙数で物語を描くのだから構成や結構で勝負するしかない。石原吉郎は詩人であるが、味わい深い短篇小説も残している。


「気がかりな夢から目を覚ますと男は毒虫になっていた」というカフカ的手法に近い。不条理を戯画化することでシンボリックに描き出している。


 主人公の男は棒をのんでいる。なぜ棒をのまないといけないのかは一切語られない。


 要するにそれは、最小限必要な一種の手続きのようなものであって、「さあ仕度しろ」というほどの意味をもつにすぎない。それから僕の返事も待たずに、ひょいと肩をおさえると、「あーんと口を開けて」というなり、持ってきた棒をまるで銛でも打ちこむように、僕の口の中へ押しこんでしまうのである。その手ぎわのたしかさときたら、まるで僕という存在へ一本の杭を打ちこむようにさえ思える。

 一体人間に棒をのますというようなことができるのかという、当然起りうる疑問に対しては、今のところ沈黙をまもるほかはない。なぜなら、それはすでに起ったことであり、現に今も起りつつあることだからだ。


【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)以下同】


 石原吉郎はシベリア抑留という不条理を生きた。

 敗戦必至という状況下で日本政府は天皇を守るため、ソ連に労働力を提供する申し出をしていた。この取引は実現することはなかったが、酷寒のシベリアに連れ去られた同胞を政府が見捨てたのは事実であった。


 それはまさしく「棒をのまされた」様相を呈していた。


 それにしても僕が、なんの理由で刑罰を受けなければならないかは、やはり不明である。


 僕はその日いちにち、頭があつくなるほど考えてみたが、何がどういうふうにしてはじまったかは、ついにわからずじまいだった。


 こうした何気ない記述の中には石原が死の淵で叫んだであろう人生に対する疑問が込められている。具体的には国家に対する疑問でありながら、理不尽や不条理はやはり神に叩きつけるべき問題だ。


 理由が不明で、いつ始まったかもわからない──こんな恐ろしいことがあるだろうか? 不幸はいつもそんな姿で現れる。


 僕がこころみたおかしな抵抗やいやがらせは、もちろんこれだけではない。だがそれはつまるところ、棒に付随するさまざまな条件に対する抵抗であって、かんじんの棒をどう考えたらいいかという段になると、僕にはまるっきり見当がつかないのである。僕が棒について、つまり最も根源的なあいまいさについて考えはじめるやいなや、それは僕の思考の枠をはみだし、僕の抵抗を絶してしまうのだ。要するに災難なんだ、と言い聞かせておいて、帽子をかぶり直すという寸法なのだ。


 ここだ。巧みな描写で石原は政治と宗教の違いを示している。「棒に付随する条件への抵抗」が政治、「棒の存在そのもの」が宗教的次元となろう。


 棒をのまされたことで、主人公はどうなったか?


 すると、その時までまるで節穴ではないかとしか思えなかった僕の目から、涙が、それこそ一生懸命にながれ出すのである。

 だがそれにしても、奇妙なことがひとつある。というのは、いよいよ涙が、どしゃ降りの雨のように流れ出す段になると、きまってそれが一方の目に集中してしまうのである。だから、僕が片方の目を真赤に泣きはらしているあいだじゅう、僕のもう一方の目は、あっけにとられたように相手を見つめているといったぐあいになるので、僕は泣いているあいだでも、しょっちゅう間のわるい思いをしなければならないのだ。やがて、いままで泣いていた方の目が次第に乾いてきて、さもてれくさそうに、または意地悪そうにじろりと隣の方を見つめると、待っていたといわんばかりに、もう一方の目からしずかに涙がながれ出すというわけである。


 私は震え上がった。不条理は一人の人間の感情をもバラバラにしてしまうのだ。悲哀と重労働、飢えと寒さがせめぎ合い、生きる意志は動物レベルにまで低下する。希望はあっという間に消え失せる。今日一日を、今この瞬間をどう生き抜くかが最大の課題となる。


 帰国後、更なる悲劇が襲った。抑留から帰還した人々をこの国の連中は赤呼ばわりをして、公然とソ連のスパイであるかのように扱ったのだ。菅季治〈かん・すえはる〉は政治家に利用された挙げ句に自殺している(徳田要請問題)。


 石原の心の闇はブラックホールと化して涙を吸い込んでしまった。


「それに場所もなかったよわね。あんなところで問題を持ち出すべきじゃないと思うな。」

「じゃ、どこで持ちだすんだ。」

「そうね、裁判所か……でなかったら教会ね。」

 僕は奮然と立ちあがりかけた。

「よし、あした教会へ行ってやる。」

「そうしなさいよ。」

 彼女は僕の唐突な決心に、不自然なほど気軽に応じた。

「それでなにかが変ることはないにしてもね。」


 裁判所と教会の対比が鮮やか。どちらも「裁きを受ける場所」である。最後の一言が辛辣(しんらつ)を極める。政治でも宗教でも社会を変えることは不可能であり、まして過去を清算することなど絶対にできない。それでも人は生きてゆかねばならない。


 果たして、「棒」は与えられた罪なのだろうか? そうであったとしても、石原は過去を飲み込んだのだろう。鹿野武一〈かの・ぶいち〉や菅季治の死をも飲み込んだに違いない。体内の違和感に突き動かされるようにして、石原は言葉を手繰ったのだろう。

石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)

武藤春光、弘中惇一郎、ジェローム・デュアメル


 1冊挫折。1冊読了。


 挫折77『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実 誤った責任追及の構図』武藤春光、弘中惇一郎(現代人文社、2008年)/検察がどのように事件をでっち上げるかを、裁判の経過と併せて描かれている。安部医師は血友病治療の第一人者というだけで濡れ衣を着せられた。テレビカメラの前で癇癪を起こした映像を覚えている人も多いだろう。私は安部医師が無罪だったことすら知らなかった。やはりテレビは観るべきではない。横書きテキストではあるが、時間のある時に再読する予定。


 126冊目『世界毒舌大辞典』ジェローム・デュアメル/吉田城〈よしだ・じょう〉訳(大修館書店、1988年)/とっくに読了。書くのを忘れていた。原書の編者がフランス人のため、やや理解しにくい部分もある。やたらと「コキュ」なる言葉が出てくるのだが「寝取られ亭主」という意味。古いものも集められているので仕方がないと思うが男尊女卑や下ネタが目立つ。最後の「人物」の章は不要。この手の本はトイレに置いておくに限る。便座で表現力を磨け。

予算委員会の不思議


 予算委員会は予算の審議をするところである。ところが国民は予算委員会で予算の議論を見た事がない。テレビ中継がある時は何を質問しても良い事になっているため、予算委員会では専ら「政治とカネ」の追及が行なわれてきた。何故予算委員会で「政治とカネ」が追及されるのか、誰も不思議に思わないからこの国は不思議である。

「政治とカネ」を追及する分だけ予算の議論を行う時間は削られる。国民から預った税金を何にどう使うかを議論する筈の予算委員会が、スキャンダル追及を優先しているから税金の使い道が分からなくなる。


田中良紹

「Kings of the Wild Frontier」アダム&ジ・アンツ


 ちょうど私が雑誌『ミュージック・マガジン』を読み始めた頃、『アダムの王国』が出た。1980年のこと。海賊ファッションもさることながら、ブラス&ツインドラムの音が衝撃的だった。30年経った今でも時々聴いているよ。ニューロマンティックムーブメントの旗手とされるが、「デュラン・デュランなんぞと一緒にするな!」というのが私の持論だ。アダム・アントは現在、躁鬱病で入院中とのこと。



Kings of the Wild Frontier

神は奇蹟を起こさない


 これは霊感というものに対する私の観念にとっては厄介な問題だった。というのも、もしも神がその気になれば、ちょいちょいと奇蹟のひとつも起こして、聖書の言葉を同一に保つくらい朝飯前であるはずなんだから。


【『捏造された聖書』バート・D・アーマン/松田和也訳(柏書房、2006年)】

捏造された聖書

規則正しい時計


 長針がまた一つ動いた。まるですべてがいつもどおりだというように規則正しく。


【『喪失』カーリン・アルヴテーゲン/柳沢由美子訳(小学館文庫、2005年)】

喪失 (小学館文庫)

アゴタ・クリストフが生まれた日


 今日はアゴタ・クリストフが生まれた日(1935年)。ハンガリー出身の作家。『悪童日記』でデビュー。双子の少年達が戦時下の田舎町で成長し自立していくさまを描き、一人称複数形式(「ぼくら」)を用いて成功した稀有な小説として知られている。亡命の厳しい体験が反映されている。


悪童日記 (ハヤカワepi文庫) ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫) 第三の嘘 (ハヤカワepi文庫) 文盲 アゴタ・クリストフ自伝

ポール・ヴァレリーが生まれた日


 今日はポール・ヴァレリーが生まれた日(1871年)。日本では、アルベルト・アインシュタイン相対性理論をいちはやく理解した詩人として知られるようになった。小林秀雄訳「テスト氏」が早くから読まれ、詩は堀口大學が訳し、ヴァレリー自身と書簡のやり取りもしている。

ヴァレリー・セレクション (上) (平凡社ライブラリー (528)) ヴァレリー・セレクション〈下〉 (平凡社ライブラリー)


ムッシュー・テスト (岩波文庫) エウパリノス・魂と舞踏・樹についての対話 (岩波文庫) ヴァレリー――知性と感性の相剋 (岩波新書)