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2010-10-31

魔女狩りの環境要因/『魔女狩り』森島恒雄

 歴史を学ぶことで人は異なる時代を生きることが可能となる。歴史を細かく裁断すれば、一人ひとりの息づかいや足音によって形成されているはずだ。そこに自分の呼吸を重ねる時、時代の息吹きはどこからともなく伝わってくる。


 中世ヨーロッパは王とローマ教皇の権力が真正面からぶつかり合い、ルネサンスの光と異端審問の闇に覆われていた。欧州という一大集団による熱狂とヒステリーの時代。大輪の文化の花を咲かせる一方で、魔女を火あぶりにした。


 では中世のおさらいをしよう。中世はゲルマン民族の大移動(4〜5世紀)に始まる。十字軍の遠征が11〜13世紀。これによって欧州は版図を拡大した。ルネサンスの興隆が14〜16世紀である。


 キリスト教を公認したのはコンスタンティヌス1世(272〜337年)で4世紀には国教とする国も出てきた。つまり、欧州全体にキリスト教が流布した時代が中世であったと考えてよかろう。(→まずかったら教えて)


 異端審問=魔女狩りではないが、異端視するという行為なくして魔女狩りは成立せず、キリスト教コミュニティにおける差別的な視線が温床になったことは確実だと思われる。


 1970年代以降の魔女狩り研究によれば、異端審問が12世紀から急増し、魔女狩りが行われたのは15〜18世紀と考えられている。また欧州全土というよりは小領邦ほど激しい魔女狩りが行われていたとされる。既に勢いに任せて書いてしまった以上、前言はそのままにしておく。(ここまで調べるのに2時間経過)


「近ごろ、北ドイツとライン諸地域で、多くの男女がカトリック信仰から逸脱し(魔女となって)男色魔、女色魔に身をまかせ、もろもろのいまわしい妖術によって田畑の作物や果実を枯らし、胎児や家畜の子を殺し、人畜に苦痛と病気を与え、夫を性的不能、妻を不妊にし、多数の人々の災厄の原因となっていることを、われわれははげしい悲しみと苦しみとをもって聞いている。(中略)

 そこで、われらは、彼ら審問官が自由に、あらゆる方法をもって、なにびとをも矯正し、投獄し、処罰する権限をもつべきことを命ずる。」(ローマ法皇インノケンティウス8世の長文の『法皇教書』1484年12月5日付よりの抜粋。法皇派遣の異端審問官が自由かつ強力に魔女狩りを実行しうるよう、各地の司祭に協力を命じたもの)


【『魔女狩り』森島恒雄岩波新書、1970年)以下同】


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 民衆法定から始まった魔女狩りにカトリック教会が手を貸したのが15世紀のこと。結局、どっちにしても15世紀なんだよな。ああ、うんざり。


 魔女は元々悪魔であった。キリスト教における悪魔がどんなものなのか、私は不勉強にして知らない。神が天地創造したとすれば、悪魔を創造したのも神様じゃないのか? 宗教は制度化されるにつれて脅しが多くなってゆく。罪と罰、業(ごう)と報い。擬人化すれば悪魔と鬼だ。


 信仰は不安に根差している。だから不安を煽ることで信仰の火は燃え盛る。ま、心のスクラップ・アンド・ビルドみたいなもんだろう。


 上記引用文のような価値観が定着するにはどの程度の時間を要するのだろうか? 二世代あれば十分だと思われる。つまり50〜60年だ。日本において天皇を神に祭り上げたのが明治期だから、二世代と考えるのは穏当であろう。


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「のろく燃える(生ま木の)火で焼いても、魔女に対する罰としては十分ではない。地獄で待っている永遠の劫火を思えば、この世の火は、魔女が死ぬまでの、半時間以上は続かないのだから。……魔女を火刑にしない裁判官は、裁判官自身が焼かれるべきである。……魔女は、子供といえども赦してはならぬ。ただし、その幼い年齢を斟酌して、絞殺した上で焼いてもよかろう。……正規の裁判手続きに拘泥してはならぬ。それを厳格に守っていては、10万に1人の魔女も罰することはできない。……」(当時のフランスの一流の進歩的な社会思想家、政治家、経済学者、パリ高等法院の一員、ジャン・ボダンの『悪魔崇拝』1580年、より)


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 環境史から考えると、14世紀半ばから19世紀半ばにかけては小氷期とされているので、魔女狩りの時期はどんぴしゃりである。環境から受けるストレスが充満した時代と見ることもできよう。


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 1600年を中心の1世紀間はまさしく「魔女旋風」の期間であった。この期間をピークとする魔女旋風は13世紀ごろのフランスから吹き始め、やがて全キリスト教国、つまり西ヨーロッパ全土を荒しまわり、17世紀末にその余波を新大陸アメリカに延ばした後急速におさまった。

 こうして数万、数十万の魔女が絞殺され、あるいは絞殺された上で焼かれ、または生きながら焼き殺されていった。ときには何十人もが束になっていちどきに……。「魔女の処刑場は、おびただしく立ちならんでいる処刑柱で、まるで小さな林のようにみえた」と、1590年のドイツを旅した旅行者は書いている。


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 1970年以降の研究だと魔女狩りで処刑された人数は最大で4万人としている。これは多分、文献的な記録に基づいているのだろう。だが文献が全てを網羅しているとは考えにくい。魔女狩りの経済的影響を踏まえれば、4万人は少なすぎる。拷問に至る心理情況を想像してみよう。ただ殺すだけでは飽き足りないから拷問を行うのだ。実際にはありもしない自白を強要することで、殺害は正当化される。こうして正義の名の下で罪悪感を抱くことなく人殺しができるようになる。


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 この迷信と残虐の魔女旋風が、中世前期の暗黒時代においてではなく、合理主義とヒューマニズムの旗色あざやかなルネサンスの最盛期において吹きまくったということ、しかもこの旋風の目の中に立ってこれを煽りたてた人たちが、無知蒙昧な町民百姓ではなく、歴代の法皇、国王、貴族、当代一流の大学者、裁判官、文化人であったということ、そしていまひとつ、魔女は久遠の昔から、どこの世界にもいたにもかかわらず、このように教会や国家その他の公的権威と権力とが全国的に網の目を張りめぐらしこの上なく組織的な魔女裁判によって魔女狩りが行なわれたのはキリスト教国以外にはなく、かつ、この時期(1600年をピークとする前後3〜4世紀)に限られていたということ、――これはきわめて特徴的な事実ではあるまいか。

 魔女裁判の本質は、結局、この「地域」と「時期」との関連の中にある。


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 社会とはヒエラルキーで構成される階層である。それゆえ上層になればなるほど「社会が持つ価値観」の奴隷となる。社会を知っている人ほど社会を重んじる。教師は生徒に社会性を叩き込む。教育とは奴隷が奴隷を製造する作業なのだ。


 そして人間はダブルスタンダードを生きる動物である。脳が左右に分裂しているために理性と感情が同居し、ブレーキとアクセルを同時に踏むことができる。


 チト、検索のしすぎで頭が朦朧としてきた。結論を述べよう。魔女狩りはハーメルンの笛吹き男(1284年)から始まった、というのが私の直観だ。根拠は何ひとつない(笑)。しかし、魔女狩りを超倍速で眺めれば、そこに現れるのはハーメルンの笛吹き男そのものだ。連れ去られた子供たちが魔女であったのだ。


 もしも魔女狩りが奨励される時代に私が生まれたならば、私は勇んで魔女狩りに奔走したことだろう。社会はいつの時代も正しいのだから。社会というのはその時代の多数決みたいなものだ。皆が魔女を信じれば魔女は存在するのだ。だから現代だって、500年後から見れば同様の迷信が必ずあるはずだ。世界も歴史も外側からしか見ることができないのだから。


 中途半端ではあるが、本日はここまで。

魔女狩り (岩波新書)

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