古本屋の覚え書き このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 古本屋の覚え書きを検索

2010-11-14

孫崎享、佐々木英信、J・クリシュナムルティ


 3冊読了。


 129冊目『日本人のための戦略的思考入門 日米同盟を超えて』孫崎享〈まごさき・うける〉(詳伝社新書、2010年)/元外務官僚が書いた外交・防衛の戦略論。骨太の論考。日米安保に関する具体的な処方箋を提示している。沖縄米軍基地移転問題、そして尖閣問題で揺れている今、これほどタイムリーな本もあるまい。孫崎の実直さは幕臣の雰囲気すら醸し出している。


 130冊目『一目均衡表の研究』佐々木英信(投資レーダー、1996年)/一目均衡表を学ぶなら本書といわれている。前半だけで元は取れるだろう。後半はあまりピンと来なかった。妙な宗教臭さがあると思っていたら、佐々木英信は幸福の科学の信者であった。既に鬼籍に入る。名著とは思わないが好著であるのは間違いない。


 131冊目『人生をどう生きますか?』J・クリシュナムルティ/大野龍一訳(コスモス・ライブラリー、2005年)/過去の著作からの抄録。初心者には不向きで、それなりにクリシュナムルティの教えに接した人でなければわかりにくいことだろう。大野龍一の訳は大野純一よりもこなれていて読みやすい。ただし時折挿入されている訳注は余計だ。かえって訳者の先入観をあらわにしてしまっている。クリシュナムルティ本はこれで42冊目の読了。

岡野潔「仏陀の永劫回帰信仰」に学ぶ その一


 興味深い論文を見つけた。今、頭が回らないので何回かに分けて学んでゆきたい。

 トップページはこちら──

 尚、私の所感、意見、反論は学識、教養に基づくものではなく、直観によっていることをお断りしておく(笑)。また表記は「仏陀」を「ブッダ」と改めた。本ブログでは一貫してカタカナ表記としているため。


「ブッダの永劫回帰信仰」は、ブッダと接する時間が少なかった弟子、あるいは滅後に仏法と巡り会った人々が寄せた恋慕感情に由来していると思われる。ブッダから直接薫陶を受けた弟子たちが、在りし日のブッダを生き生きと語ることで、恋慕感情はより一層強化され、挙げ句の果てには仏舎利信仰が生まれるに至った。この時、仏は拝まれる対象になったものと推察される。


 前者の円環は実は時間の円環ではなく、単に生と死の繰り返しにすぎない。後者の円環、宇宙論的な円環こそ、本当に永劫回帰する時間の円環というべきである。


 前者=個人の輪廻(生死)、後者=ブラフマー神による世界の周期的再現、としている。ブッダが生まれたのはヒンドゥー教世界であるゆえ、ヒンドゥー的価値観が見受けられるのは致し方ないところであろう。しかしながらそれは、決してヒンドゥー教からの影響を受けたものではなく、ヒンドゥーイズムに支配された人々に通じる言葉で語りかけたという意味である。


 神々が位置する宇宙的な時間は、宇宙の大循環ごとに、つまりあらゆるカルパごとに、まったく同一に回帰する。


 カルパとは劫(こう)のことか? 問題は回帰思想がどこから発生したのかである。繰り返される天体の運行からか、あるいは巡り来る生老病死によるものか、はたまたカースト制度を守ろうと企図したものだったのか。


 多分、正解は3番だ。なぜなら、ヒンドゥーイズムで説かれる過去世、来世はカーストという社会差別を正当化する物語であったからだ。「お前が奴隷として生まれたのは過去世の行いがよくなかったからだ」というわけ。


 ところが、俗なる輪廻の世界の出来事、われわれの生死の時間は、一回性のもので、回帰しない。つまり、聖なる時間に属する出来事は回帰するが、俗なる時間に属する出来事は回帰しないという構造をもっているわけである。


 これは実に巧みな説明でありながら、少々ずるいと言わざるを得ない。「お前が死んだ後も地球は回っているんだよ」という風にしか聞こえない。そうでなければ、輪廻の意味が「歴史は繰り返す」というレベルに下げられてしまう。


 世界の意味を見失った衆生たちに、宇宙の存在論的な企図が明らかにされる。仏陀の生が反復されるごとに、宇宙の至上の存在理由が確認されるわけであり、このため仏陀の降誕は、姿を変えた一種の宇宙の再=創造神話とみることもできなくはない。


 いや、できないよ。ルネサンスは再創造ではなく再生に過ぎないからだ。大体、「降誕」なんて思想は仏教にあるのか? 天にましますのは神であって仏ではあるまい。


 有り体にいえば、輪廻とは生まれる前と死んだ後が存在するのかどうかである。それを世界観や宇宙観に結びつけるべきではない。


 そもそもヒンドゥー教の場合、1劫=43億2000万年である。とすると1劫ごとに輪廻が繰り返されたとしても、我々の認識では「繰り返し」と見なすことが不可能だ。


 仏教が小難しいのは、思想的側面(宗教理論)と行為的次元(宗教行為)の境界を見分けにくいためだ。その上、真の宗教性は別のところにあったりする。


 ブッダは悟りを開いた。そしてブッダは法を説いた。しかし、語られた言葉は悟りそのものではない。だから、ブッダの言葉を手掛かりとしながら、我々はブッダの悟りを探求しなければならないのである。言葉にとらわれてしまえば、ブッダの心を見失ってしまうだろう。


 今日はここまで。

『普遍宗教への階梯 スワミ・ヴィヴェカーナンダ講演集』スワミ・ヴィヴェカーナンダ/大野純一訳(コスモス・ライブラリー、1998年)


普遍宗教への階梯―スワミ・ヴィヴェカーナンダ講演集


 19世紀末科学の大攻勢の中、真の宗教の必要、普遍宗教の理想を雄弁に訴え、その実現の手段としての四大ヨーガを体系化し、東洋と西洋、過去と現在の合流点となったスワミ・ヴィヴェカーナンダ最重要講演集。

『原始仏典』中村元監修、森祖道、橋本哲夫、浪花宣明、渡辺研二、岡野潔、入山淳子、岡田行弘、岡田真美子、 及川真介、羽矢辰夫、平木光二、松田慎也、長尾佳代子、勝本華蓮、出本充代訳(春秋社、2003年)


原始仏典〈第1巻〉長部経典1 原始仏典〈第2巻〉長部経典2 原始仏典〈第3巻〉長部経典3


原始仏典〈第4巻〉中部経典1 原始仏典〈第5巻〉中部経典2 原始仏典〈第6巻〉中部経典3 原始仏典〈第7巻〉中部経典4


 様々な比喩を用い、民衆を仏の道に導こうとしたブッダの心が、今、よみがえる。最新の研究成果に基づき、流麗なわかりやすい訳文でおくる原始仏典現代語訳の決定版。


第一巻:『聖なる網の教え(梵網経)』『修行の成果(沙門果経)』『真のバラモン(種徳経)』『説法の奇跡(堅固経)』など「長部経典」第1経から13経までを収録。


第二巻:『偉大な過去世の物語(大本経)』『マハースダッサナ王の最期(大善見王経)』『バラモン執事の出家(典尊経)』など「長部経典」第14経から23経までを収録。


第三巻:「転輪王と人間の寿命(転輪聖王修行経)」「信仰の喜び(自歓喜経)」「シンガーラへの教え(善生経)」「教義の集成(等誦経)」など、第24経から34経までを収録。


第四巻:『森に独り住む(怖駭経)』『思念を発す(念処経)』『正しい教えの把握の仕方(蛇喩経)』『異教徒サッチャカの論難(薩遮経)』など、「中部経典」第1経から40経までを収録。


第五巻:『四つの真理の了解(小法受経)』『真の俗事の捨断(哺多利経)』『ラーフラへの説諭(羅云経)』『最上の利得と安楽(鬚閑提経)』など、「中部経典」第41経から76経までを収録。


第六巻:『残忍な盗賊アングリマーラの帰依(央掘摩経)』『真理の王(施羅経)』『真の奉仕と真の財産(鬱痩歌経)』『論争を避けるために(キンティ経)』など、第77経から106経までを収録。


第七巻:『逐一の観察(アヌパダ経)』『身体にむけた注意(念身経)』『吉祥なる一夜(跋地羅帝経)』『六つの要素と修行道の総説(大六処経)』など、第107経から152経までを収録。

斎藤秀雄は子供であろうと手加減しなかった


 オーケストラを教えていても、できる子が間違えると怒る。それから二度目に弾けると怒る。最初からなぜそのようにやらないのか、と。


【『齋藤秀雄・音楽と生涯 心で歌え、心で歌え!!』財団法人民主音楽協会編(芸術現代社、1985年)】

斎藤秀雄 音楽と生涯

見るものは見られるものである


〈画家〉と〈見えるもの〉とのあいだで、不可避的に役割が顛倒する。その故にこそ、多くの画家は物が彼らを見守っているなどと言ったのだし、クレーに次いでアンドレ・マルシャンも次のように言うのだ。「森のなかで、私は幾度も私が森を見ているのではないと感じた。樹が私を見つめ、私に語りかけているように感じた日もある……。私はと言えば、私はそこにいた、耳を傾けながら……。画家は世界によって貫かれるべきなので、世界を貫こうなどと望むべきではないと思う……。私は内から浸され、すっぽりと埋没されるのを待つのだ。おそらく私は、浮び上ろうとして描くわけなのだろう」。一般に〈霊気を吹きこまれる〉(インスピレーション)と呼ばれているものは、文字通りに受けとられるべきである。本当に、存在の吸気(インスピレーション)とか呼気(エクスピレーション)というものが、つまり存在そのものにおける呼吸(レスピレーション)があるのだ。もはや何が見、何が見られているのか、何が描き、何が描かれているのかわからなくなるほど見分けにくい能動と受動とが存在のうちにはあるのである。母の胎内にあって潜在的に見えるにすぎなかったものが、われわれにとってと同時にそれ自身にとっても見えるものとなる瞬間、一人の人間が誕生したと言われるが、〔その意味では〕画家の視覚は絶えざる誕生なのだ。


【『眼と精神』M・メルロ=ポンティ滝浦静雄木田元〈きだ・げん〉訳(みすず書房、1966年)】

眼と精神

アストリッド・リンドグレーンが生まれた日


 今日はアストリッド・リンドグレーンが生まれた日(1907年)。児童文学作家。世界の70ヶ国語以上で翻訳され、100以上の国で出版されている。教師や事務員をしながら、幼い娘のために書き上げたのが『長くつ下のピッピ』だった。同シリーズは全世界で1億3000万部以上売れた。

長くつ下のピッピ (岩波少年文庫 (014)) ピッピ船にのる (岩波少年文庫 (015)) ピッピ南の島へ (岩波少年文庫(016)) やかまし村の子どもたち (岩波少年文庫(128))


ネルーが生まれた日


  今日はネルーが生まれた日(1895年)。国民会議の議長でありながら幾度となく投獄された。「日本で象を見たい」という子供達の声に応え、1頭の象を寄贈。1949年上野動物園に到着。83年に死亡するまで同動物園のシンボルとして愛された。54年には10粒の仏舎利を日本に贈呈している。


父が子に語る世界歴史〈1〉文明の誕生と起伏 父が子に語る世界歴史〈2〉中世の世界 父が子に語る世界歴史〈3〉ルネサンスから産業革命へ 父が子に語る世界歴史〈4〉激動の十九世紀


父が子に語る世界歴史〈5〉民主主義の前進 父が子に語る世界歴史〈6〉第一次世界大戦と戦後 父が子に語る世界歴史〈7〉中東・西アジアのめざめ 父が子に語る世界歴史〈8〉新たな戦争の地鳴り